インディアナポリス研究会ペーサーズ局

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R.Horry  
懐かしのヒューストン時代。
 最近NBAプレイオフを見ていたら、何故かコイツの事を思い出したので、唐突にロバート・オーリーの記事を書いてみたいと思います。 

 と、その前に、最近、これまたJ−SPORTSではグレイテスト・ゲームと称して、’90年代のプレイオフの試合をよく放送している。そこで久しぶりにジョーダンのフェイダウェイを観たのであるが、改めて見ると、ありゃ凄いね、確かに金を払って観るだけの価値のある、そういうプレイだと思う。ジョーダン自身は後方に下がりながら、ボールは高い軌道を描いてリムに吸い込まれる。本当に美しい運動だと思う。コービーも好んで使うプレイであるが、はっきり言って、生きている世界が違う。ダンチである。
 しかしジョーダンは普通のジャンプシュートのボールの軌道は低いのに、フェイダウェイの時は低いのね、不思議。

 閑話休題。ロバート・オーリーである。ロバート・オーリーと云えば、1年の内で、この時期のみに活躍し、それで生計を立てていた男として有名である。
 敵のチームからしてみれば、理解しがたい、受け入れがたいシュートを、そのキャリアで連発してきた。相撲取りを揶揄する言葉に「一年を7日で暮らす、いい男」(ちょっと違うかも。)というのがあるが、彼はさしずめ、「一年を一投で暮らす、いい男」である。

 たしかに、大事な時に、価値あるシュートを決めるという事には、強靭な精神力や確かな技術が要求されるのかもしれないが、彼の場合は、もはや運としか言いようが無いと思う。そういう星の下に生まれてきたとしか言いようが無いと思う。ああいうシュチエーションでのシュートなど技術や精神力だけでどうなるものでもない。

 彼を初めて見たのは、ちょうど私がNBAを見始めた頃、ヒューストン2連覇の頃である。ロケッツ対ニックスの一戦は
私の観たNBAのゲームの5試合目ぐらいではなかったではなかろうか。そのシリーズでも、確かいいところでいいシュートを決めていた筈であるが、私の目を引いたのは、オーリーの反対側にいたオーティス・ソープ(名前がかっこええ。)であったし、また、マッド・マックスウェルやマリオ・エリー(なつかし〜)なんかもいいとこでいいシュートを決めていた。まさか、このロバート・オーリーがこういうキャリアを送るとは当時誰も予想できなかったであろう。たりめーだ。

 当時のロバート・オーリーは、3ポイントが上手いPFだなあ、ぐらいの印象しか私には無かった。3ポイントが上手いというか、それしか能がないといった感じである。その3ポイントにしても、信じられないほど上手いと言うほどのレベルではない。

 3ポイントの上手い、あるいはそれしか能の無いフォワードというのは、いつの時代にも沢山いるけれども、たいがい微妙な活躍で終わるものである。ラシード・ウォーレスとかペーサーズにもいたサム・パーキンスとかである。最近ではラシャード・ルイスなどがその一例だろう。あとひとり顔は覚えているが、名前の思い出せないのがいる。確かネッツにいた筈だ。
 そういったプレイヤーは大概、なんだかなあ、といった印象でキャリアを終える。結局のところ、フォワードに求められるのはペイント内の得点力であり、リバウンドであるからだ。

 もしロバート・オーリーにこの特殊な能力、プレイオフの一番大事なところで決定的なシュートを決められるという能力が無かったら、もっと早い時期に彼はNBAからフェイドアウトしていたことであろう。しかし、彼はこの特殊な能力、おそらくNBAの歴史の中で彼だけが持つ能力を武器に、見事な、というか不思議な、あるいは強運なキャリアを全うした。ななつ持ってます。

 その強運の結果がこれである。→
 ジャバーやジョーダンをも凌ぐ、7つのリングである。彼をNBA史上最も幸運な男と呼ぶ事に誰も異論は無いと思う。

 そうして、彼が何より強運だったのは、彼は常に自分の反対側、つまりセンターやパワーフォワードにリーグ最強のプレイヤーを配していた事である。オラジュワン、シャック、ダンカン。これこそ、彼の最もの強運であったろう。

 フルネームは Robert Keith Horry 。
                                                2009/5/25