HCの仕事 | NFLドラフトやらNBAプレイオフやらで一ヶ月ぶりの掲載になってしまったが、この何時終わるかまるで分からぬコラム「HCの仕事」の続きを書きます。スクロールする指も疲れるので、ページも新たにし、気分一新です。 前回の記事の最後で、次回は荒川道場の一番弟子、榎本喜八について書きます、と書いて終えた訳であるが、その当人、榎本喜八がなんと、ちょうど2ヶ月ほど前の2012年3月12日に物故していた。ちょうど私がこの論考をシコシコしていた頃のことである。ご冥福をお祈りします。 もっとも、お亡くなりになったからといって、私のペン、つうかキーボードがきつくなったり弛んだりする事は無い。 およそ一ヶ月振りの記事なので、前回の論旨が如何なるものだったか、軽くまとめると、「HCないしコーチの大きな仕事として、一般的には、技術指導が考えられているが、それは少なくともHCのメインの仕事ではない。なぜなら、スポーツの技術というのは専ら個人的なもので、万人共通の技術はほとんどないからだ。ひとつの技術を、チーム全体どころか日本人全体に押し付けた最悪の事例が荒川理論である。」といった事であった。 ただし、その荒川理論でも結果を残せた数少ない、というかほとんど唯一の事例として榎本喜八の話をしようとしていたのが、前回の記事の最後である。そうしたら、ちょうど、その榎本喜八当人が鬼籍に入られたりして、私はちょっと驚いた。今回の論考は、この手の奇遇が多い。先に挙げた篠塚や古田の書物といい、この榎本当人の訃報といい、そうして、これから紹介する予定の榎本喜八の評伝「打撃の神髄 榎本喜八伝」といい、資料やニュースが向こうから近づいてくる。それが、この論考のトコトン長くなっている原因なのであるか。いつ終わるのか分からなくなってきたのであるが、ヒマな方だけ、どうぞお付き合い下さい。NFL開幕までに間に合うのかなあ。 この「打撃の神髄 榎本喜八伝」であるが、これは先に挙げた篠塚の本と違って、たまたまブックオフで見つけた訳ではない。とあるルートから、全く偶然に入手したのである。万引きではないよ、念の為。通報しないよーに。 さて、その榎本喜八の評伝「打撃の神髄 榎本喜八伝」であるが、先に挙げた篠塚の本と違って、内容は悪い。文体が散漫なので、自然、内容も散漫である。更に、スポーツマンの評伝として致命的な欠陥は、榎本の年度別成績等々の所謂スタッツが全く掲載されていない点である。スポーツマンの事跡をもっとも明白に表すのはスタッツだと思われるが、それが掲載されていないのでは、いちいち不便である。この本の著者、松井浩という人は、後述するが、どちらかというと野球への興味というよりは合気道や日本の古武術への興味から榎本へ近づいていったようなので、そういうことには無頓着だったのかもしれぬ。理由はともかく、野球選手の評伝としては、致命的な欠陥である。 したがって、この本には史料的な価値しかないのであるが、この本から判明した、榎本についての事実がいくつかある。ちなみに、私は、この記事で、榎本榎本と騒いでいるが、実はさほど榎本については知らぬ。動いている姿も見たことは無い。沢木孝太郎の有名な評伝「さらば 宝石」も未読である。榎本のバッティングフォームやスタイルについては、様々な資料から、ある程度当たりはつけているのであるが、おそらく杉浦亨や淡口憲治のような感じだったと推察している。とくに淡口は真面目で有名な選手だったので、当時全盛を極めていた荒川理論、そうしてその本場である巨人の選手でもあったので、その理論を忠実に実行したに違いあるまい。まあ杉浦もヤクルトの選手なので荒川の薫陶は受けているだろう。 杉浦や淡口と言っても最近の若い子、平成キッズにはピンと来ないかもしれないが、いずれも左打者で、カッコよく腰を回転して打つ印象的なバッターで、その打撃フォームを好むファンも非常に多かった。その半面通算成績はその印象的な打撃フォームほどでは無い、イマイチなものだった。この左打者で、かっこいいバッティングフォーム、イマイチな通算成績は、荒川理論の特徴かもしれない。まあ、王や榎本の通算成績はイマイチどころじゃないけれど。 さて、話を「打撃の神髄 榎本喜八伝」に戻す。私は、この本から榎本に関するいくつかの新事実を得たのであるが、それらを列挙すると、 1.もともとテイクバックが小さかった。 2.低目が得意だった。 3.意外に精神的に脆かった。 4.腱鞘炎を患っていた。 等々である。そのほか、これは榎本とは全く関係ないが、山内一弘の身体が柔らかいというのも新発見であった。先の記事で、私は同じくインコース打ちが上手いという事で、古田と山内を比較したのであったが。こんなところにも共通項があった訳である。 榎本の話に戻すと、まず、ここに挙げた4番目の腱鞘炎であるが、これは「やっぱりな。」というのが率直な感想である。荒川式のダウンスウィングだと、先の記事でも説明したとおり、どうしても手首を早く返してしまうために、手首が返った状態でミートする事が多い。結果的に手首を痛めてしまう。 話はちょっと逸れるが。この腱鞘炎を始め、日本のバッターは手首を痛める事が多いが、これは日本人特有の現象ではないだろうか。アメリカ人やその他の外国のバッターで手首を痛めたという事例はあまり聞かない。バッターの慢性的な怪我はたいがい腰である。腰を痛めて、思うようなバッティングが出来なくなり、引退していくバッターは万国共通である。手首を痛めるというのは、これまた荒川理論の被害のひとつではないだろうか。 3番目の精神的な脆さであるが、これは一般的な榎本のイメージとはかけ離れているが、よく考えれば当然である。精神的に脆いから、合気道的なもの、精神修養的なもの、宗教的なものに近づいていったのである。女性や自営業者が宗教に凝りやすいのと全く同じ理由であろう。その辺は、同じ荒川門下生でありながら、精神的には、ほとんど鈍感に近いほど、強かった王とは決定的な違いである。 2番目の「低目が得意」であるが、これは少々、というか、かなり意外だった。荒川理論だと高めは打てるが、低めは通例打てなくなる。もともと低めは得意だったので、高目を打てるようにする為に荒川理論に近づいたとも考えられなくも無いが、ちょっとよく分からない。意外な事実である。 1番目の「もともとテイクバックが小さい。」、これは今回発見した新事実の中では最も重要である。示唆的といってもよい。なぜなら、このテイクバックが小さいというのは、ある意味、荒川理論の根幹、更には王の一歩足打法の根幹をなすからだ。 王の一本足打法というのは、もともとはタイミングを取るのが遅い、バットの始動の遅い王が、それを早くするために生まれた打法である。バットの始動を早める為に、よりテイクバックを小さく、ほとんどトップの位置にあらかじめ構え、足も上げたり下げたりしないように、あらかじめ上げておく。それが王の一歩足打法である。テイクバック、すなわち構えからトップまでバットを持っていく動きを極端に簡略したのが王貞治の一本足打法といってよいだろう。 あらかじめバットも足もトップの位置に置いておき、ピッチャーがボールを投げ下ろすと同時にバットを振る、それが王のバッティング理論である。実際、王も「ピッチャーが投げ下ろすと同時にバットを振り、ピッチャーの前足が着地するのと同時に僕の前足も着地する。これが一致している時は好調のバロメーターでしたね。」と発言している。ちなみに、このピッチャーがトップの位置に入った時にバットを振り出すというのは、上記の本で篠塚も指摘しており、バッティングのひとつのコツなのであろう。 王の一本足打法というと、その足を上げるのは、反動をつけてボールを飛ばす為のように思われがちだが、実際はタイミングを取る為、つうかタイミングを崩されない為のものであり、飛距離とはほとんど関係ないであろう。これを大きく勘違いしていたのが大豊で、彼はピッチャーが投げ出してから足を上げていたので、結果的にもの凄くタイミングのと取りづらい、王とは正反対のバッティングフォームになっていた。彼が、バッターボックスで忙しく足を上げ下げしていた事を記憶している人も多いと思う。 また、足を上げて反動を付けることで飛距離が増すという説があるが、これは迷信だと思う。飛距離とはほとんど関係ないだろう。ほんの数パーセントは増すかもしれないが、大勢に影響は無いと思う。バッティングフォームに於ける足の上げ下げはほとんどタイミングを取る為に行うものであり、飛距離とは関係ない。 さて、榎本の話に戻すと、榎本のバッティングフォームはもともとテイクバックが小さかったというのは、もともとの榎本のバッティングが王の一本足に近かったのでないだろうかという事である。榎本のバッティングを評して、よく「不動の構え」と評されるが、それはそのまま王の一歩足打法である。両者ともに、非常にコンパクトなバッティングフォームという共通項がある。 私は、ここまで散々荒川理論荒川理論を騒いできて、その荒川理論の第一の成功者が榎本喜八で、第2の、少なくとも形式的には第2の成功者が王貞治のように思ってきたが、もしかしたら、それは間違いなのかもしれない。私は、荒川理論というのは荒川博の頭の中にあった理論を始めに具現化したのが榎本で2番目が王のように思っていたが、この荒川理論というのは、もともとは榎本喜八のバッティングなのかもしれない。榎本が独自でといったら大袈裟かもしれぬが、荒川らとともに磨き上げたのが、所謂荒川のダウンスウィング理論であり、それを参考に作り上げたのが王の一本足打法なのかもしれない。 私はこれまで、榎本を荒川の一番弟子みたいな書き方をしてきたが、王は荒川の弟子と言ってよいかもしれないが、榎本に関しては荒川の弟子と言うよりは盟友、せいぜい話の合う先輩程度なのかもしれない。また荒川サイドから見ても、王に関しては、明らかに指導をしている、すなわち師弟関係だろうが、榎本に関しては、師弟関係ではなく、ともにバッティングを研究する同士、学友のような感じだったのかもしれない。先輩後輩の関係はあったにせよ。王とは教官と学生の関係だろうが、榎本とは同じゼミの先輩後輩ぐらいの関係なのだろう。榎本が荒川から学んだ事も多かっただろうが、逆に榎本から荒川が学んだ事も多かったろう。むしろ、こちらの方が多かったかもしれぬ。 ちなみに、この当時の大毎オリオンズは、この荒川、榎本のほかにも、先述した山内などもいて、ちょっとした打撃の梁山泊的な雰囲気がある。更にはここに西本幸雄も一年だけではあるが、監督と言う形で在籍している。日本の打撃理論史的には、良かれ悪しかれ、非常に大きな意味を成した人達である。更にはその後、高畠や落合といった、これまた日本の打撃理論史に名を連ねる人たちをオリオンズは輩出している。そういった風土みたいなものがあったのかもしれない。今のマリーンズにその風土は残っているか。 さて、またまた榎本に話を戻すが、おそらく荒川理論の原型というか、荒川理論の理想ともいってよいのが、この榎本喜八のバッティングフォームであり、おそらく荒川はそれを皆に目指して欲しいと願って、あの諸悪の根源ダウンスウィングを日本中に鼓吹したのであるが、それは、ここまで散々書いてきたとおり、完全な失敗に終わっている。その唯一の成功者が榎本喜八なのであるが、これは成功というか、そもそも彼が原型なのだから、荒川理論の実践者とか成功者とか言うのは、よく考えたら可笑しな話である。鳥は航空理論によって作り上げられたと言っているようなものである。航空理論そのものが、鳥の運動の観察から生まれているのだから、本末転倒もいいところである。 この榎本のバッティングは、当然の事ながら、榎本の性格や身体的特徴から生まれたものであり、それを万人に課すのには、当然の事ながら、無理がある。 まず、この榎本のバッティングで最も重要なのは、その史上最高とも称される選球眼である。ちなみに2番目が王貞治である。この榎本のバッティング、すなわちダウンスウィングだと、巷間よく言われているように、また上述の篠塚の本でも指摘されている通り、ミートポイントがひとつ、すなわち一点しかない。かつて、王と長嶋の間で、ボールを点で捉えるか線で捉えるかという不毛な議論があったが、そんなのは線で捉えた方が良いに決まっている。点で捉えるにも、それだけの目が必要になってくるからだ。荒川理論の対極にあるイチローのバッティングがほとんど、つうか全く選球眼を必要としないのとはあまりに対照的である。この選球眼を全く必要としない、先に触れた篠塚同様、ストライクゾーンの外側二つ分くらいまで打とうとするのが、イチローのバッティング理論のひとつである。この選球眼を必要としないというのは、イチローの性格の根っこにある臆病に由来するものであろう。 また、榎本のバッティングだと、先に述べたようにミートポイントがひとつしかない為、当然、打球は一方向しか飛ばない。すなわち一二塁間の弾丸ライナーのみになる。こういう点でも、様々な方向に打球を飛ばせるイチローや篠塚、更には張本等とは対極のバッティングということになる。しかも、理想の打球が弾丸ライナーということは、その打球を獲られる可能性、更にはアウトになる可能性も非常に高い。上に挙げた淡口や杉浦が、印象の割には、スタッツ的にはいまひとつというのは、そういう理由である。 もっとも、当の榎本は、そんな窮屈なバッティング理論ながら、毎年のように3割を打ち、2000本安打は史上最年少で達成しているのだから、恐れ入る。張本や篠塚のような、所謂華麗な流し打ちが無く、引っ張り専門で毎年のように3割を打っていたのだから、驚異的としか言いようが無い。 では、何故、榎本だけが、強いて挙げれば王と榎本の両者だけが、この荒川理論で結果を残せたのかといえば、それはもう、彼等に合っていたからとしか説明の仕様が無い。身体的な特徴的にも、そうして何より性格的に、このバッティング理論があっていたのだろう。 荒川理論の特徴を一口で云えば、非常にコンパクトなバッティング、非常に単純なバッティングであるという事、そうして単純なものの多くがそうであるように、実践が非常に困難なバッティングであると言えよう。スウィングがひとつしかない為に、異常なバッティングアイが要求され、打球の質がひとつである為、アウトにもなり易い。そういうバッティングである。実際、榎本は4打数1安打でも満足する事があれば、逆に4打数4安打でも不満を漏らす事が多かったと言われている。結果と内容が一致しにくいバッティングだとも言えるだろう。内野安打でどんどんヒット数を稼ぐイチローとはそのあたりでも対極的である。また、榎本のスウィングがひとつしかないと今私は書いたが、逆にイチローのスウィングは、オルルドの言葉によれば「イチローは10のスウィングを持っている。」だそうである。 このように、労多くして功少なしというのが、荒川理論、すなわち榎本のバッティングの特徴だと思われるが、これは結局、求道者的とも称される榎本の性格や気質に良く合致していたのだと思う。もっとも、その榎本にしても、このバッティングを体得する為に合気道を身に付ける必要があり、さらには晩年奇行が目立つようになったというのは、この打撃理論の難しさを表すものであろう。 そういうものを荒川は、本人の意志はともかくとして、日本中全ての野球選手に施そうとしていたのだから、罪は重い。そりゃ、日本人は打てなくなる訳である。 ことほどさように、スポーツにおける技術というのは千差万別十人十色である。身体的特徴や性格、とりわけ性格には、ここまで述べてきたように、非常に左右される。自分の性格に見合った技術を体得すべきだろう。そうして、性格というのは十人十色、皆それぞれ違うのだから、結果的に技術も十人十色。皆違うという事になる。 身体的特徴から技術は異なってくるとは、皆周知だと思うが、性格から技術は異なってくるというのは、あまり言う人がいないので、ここに強調しておきたい。榎本やイチローのバッティングのみならず、ここで突如NFLに話を戻すが、ファーブやマニングのクォーターバッキングが、それぞれ彼らの性格や気質に由来しているのは明白であろう。 つうぐらいで今回は終わり。でも、この論考はまだまだ続く、続くったら続くのであーる。 2012/5/16(水) さて、前回は荒川理論唯一の成功者、榎本喜八について書いた訳であるが、今回は、では何故、事実上榎本くらいしか成功者のいない、非常に難儀なバッティング理論である荒川理論が70年代から90年代にかけて、日本中を席巻したのかちょっと考えてみたい。 勿論、その最も簡単で、恐らく唯一の理由は、先にも述べたとおり、王貞治と巨人軍という絶対的なブランドの為であろう。今現在は見る由も無いが、70年代から80年代の巨人というのは、まさしく絶対的なブランドだった。江川問題で多少評価は下げたとはいえ、少なくともフィールド上の事に関する限り、巨人のやる事は絶対的に正しかったのである。 その巨人軍、それも川上時代のバッティングコーチである荒川がダウンスウィングと云えば、それはもう絶対的にダウンスウィングが正しい事になったのである。しかも王貞治のお墨付きである。となれば、日本中の野球指導者、特に少年野球のような素人レベルの野球指導者がそれを盲信するのは至極当然であろう。彼等を責めるわけにはいかぬ。王と荒川にその責任の大部分はある。 もっとも、その当の荒川と王がどれだけこのダウンスウィング理論を信望していたかはいくらか疑問ではある。王に関しては先の末次の証言があるし、荒川に関しても、このダウンスウィング理論を全面的に信用していなかった節もある。先に挙げた著書「打撃の神髄 榎本喜八伝」の中に、「バッティングフォームは、体格に応じて、ひとそれぞれ異なる。」といった記述があるからだ。 とはいえ、この両者が日本中にこの荒川理論を流布し、日本中のバッターを打てなくしていった中心人物である事に疑いの余地は無いであろう。罪は重い。 一方で、この荒川理論を王と巨人軍の言うことだからという理由だけで鵜呑みにし、子供達にそれを強制した当時の少年野球の指導者達に全く罪は無いとは言えない。実際、ちょっと考えてみれば、私のような素人にも、この理論の粗忽である事は明瞭なのである。というか、考えてみなくたって、目の前の子供達が、この理論を教えられると途端に打てなくなるのである。考えなくても気付きそうなものである。もっとも、その場合、彼等はそれを理論のせいではなく、練習不足や素振り不足のせいと考えたのであろうが。そもそも、この荒川理論の御本尊、巨人軍の選手がほとんど打てなくなっているにもかかわらず、である。人間いうのは、何故か、目の前の現実よりもブランドや権威を重視してしまうものなのである。所謂裸の王様である。 まあ、この荒川理論に限らず、この世には、こういう大部分の人間が正しいと考えていたものの、結果的には間違えていたという事は、それこそ掃いて捨てるほどある。300万人も死んで、ようやく間違っている事に気が付いた、というか気が付かされた、先の太平洋戦争などは、その悲惨な例であろう。また、ガリレオやニュートンなどは、人類史的に非常に有名な例であろう。つうか、「物は重いから落ちる。」と思っている人は未だに沢山いる。確かに、重いから落ちるけれども、軽くたって落ちるのである。重さと落下の間には何の因果関係も無いのである。まあ、確かに厳密に言えば、あるけれど、少なくとも、我々の日常生活レベルでは、無い。 ちなみに、私の弟は、「蟻の30センチは、人間で換算すれば300メートルくらいなのに、何で蟻は30センチの高さから落下しても死なないのだろう。」と本気で言っていた。高校卒業しているのに、20歳過ぎているのに、である。蟻にとっての30センチは、人間にとっても30センチだっての。地面に衝突している段階での、スピードは同じなのだから、人間よりはるかに軽い蟻は、パワー=スピード×重さで、衝突時のエネルギーは人間よりはるかに小さいのだから、当然死なないっつの。あとは固さの問題があるが、その問題はここでは措く。固さを無視すれば、、空気抵抗を無視したとしても、むしろ蟻の方が300メートルの高さから落下しても死ににくいっつの。乳幼児が、4階くらいのビルから落下しても、大概は軽症で済むのと全く理屈は同じである。 そんな訳で、この世の人間の大部分が正しいと信じているような事は、大概間違っている事が多い。私の実感として80%くらいは間違っていると思う。それくらい、人間の知性というのはお粗末なものなのである。 たとえば、NFLの話でも、今はそんな事を言う人はほとんどいなくなったが、私がNFLを見始めた頃は、「プレイオフを勝ち抜くには、強力ディフェンスと強力ランオフェンスが必須。」と、それこそ猫も杓子も、特に日本の実況席では、耳にタコが出来るほど唱えられていたが、実際、この10年間くらいで、強力ディフェンスと強力ランオフェンスでスーパーボウルを制したのはスティーラーズくらいのもんである。スーパー進出にまで枠を広げても、ベアーズとパンサーズ、イーグルスぐらいのもんである。シーホークスはディフェンスが微妙なところだろう。それら以外のチームは、ほとんど平均的なディフェンスと強力パスオフェンスを武器にスーパーボウルまで勝ち上がってきている。コルツなどはその良い例であろう。人間の知性というのは、そんなもんなのである。 という訳で、私がここに書いている事も盲信しないよーに。デカルトではないが、何事も疑ってかかるのが肝要である。特に大部分の人が正しいと言っているのは、大概の場合間違っている。先にも述べたように、人間の知性というのは非常に貧相なものであるからだ。無知の知じゃないけれど、人間というのは、この世のほとんどの事は分からないからだ。 ところが、頭の悪い奴に限って、なんでもかんでも分かった分かった、知ってる知ってる、言うのである。「解けない謎は無い。」なんて豪語している名探偵コナン君なんていうのは、それらバカの代表であろう。謎なんていうのは、大概の場合、それこそ99.9999…%解けないものなのである。ガリレオやニュートンの天才でなければ解けぬものなのである。 こういう事を云うと、問題発言になるかもしれないが、実際のところ、犯罪なんていうのは、万引きやスピード違反、ネコババというような軽犯罪まで含めれば、99%成功する。8割方、露呈すらしないであろう。誘拐や殺人というような凶悪犯罪に限っても、50%くらいは露呈すらせず、8割方成功しているのではないだろうか。犯罪者が逮捕されるのは、現行犯を除けば、別件逮捕や人間関係から足が付く場合がほとんどであろう。そこらの探偵小説にあるような、推理に推理を重ねての検挙なんていうのは、ほとんど無いと思う。しかも冤罪がある。 謎なんていうのは大概解けないのである。名探偵コナン君や推理小説にあるような謎なんていうのは、実際謎と云うにも値しないようなお粗末なものばかりである。そういう、推理小説が世界中で大量に売れているというのは、まあ、あまり言いたくは無いが、人間の知性というのがお粗末なものであるという事の、裏からの証明だろう。実際、名探偵コナン君は、世の中にそれこそ掃いて捨てるほどいる。本を一冊読んだくらいで世界の全てを知ったような気になっている文学者、ちょっとした科学的真理を発見したくらいで世界の全てを知ったような気になっている科学者等々である。 そうした、すぐ分かった気になる人間のひとりがスポーツ実況のアナウンサーである。NBAやNFLといった外国スポーツのファンなら皆ご承知だと思うが、彼等、特にNHKやキー局のアナウンサーは本当に酷い。ここで話題にしている荒川理論なども、プロレベルでは無論のこと、私のような素人レベルにおいてさえ、完全に否定されている代物なのに、いまだに「今のは、バットが下から出ていましたね〜〜。」なんて、したり顔で放送している。 私は先に荒川理論を全国に広めた責任の大部分は王と荒川にあると断罪したけれども、その片棒を担いだのは彼等スポーツ実況のアナウンサー達である。彼らも同罪であろう。 彼らの発言の根っこにあるものは何かというと、それは一口に言ってしまえば、詰まるところ、「一夜漬けの精神」という奴であろう。何でもかんでも前日勉強すれば、事足りると思っているのである。実際、彼らの人生は、その一夜漬けの精神で貫かれているのだけれど。勿論、一夜漬けでは何も知ることが出来ない。先に挙げた、私の弟などはその一例だろう。おそらく、彼もテスト前は一夜漬けで基本的な力学を勉強し、テストでは大いに役立ったであろう。でも、実際のところ、基本的な力学は何も理解していなかったのである。学校の理科の先生だって、危ういものである。アナウンサーの言葉も同様である。そんな彼らが、言葉の専門家みたいな顔をしているのだから、大笑いである。 そういう一夜漬けの精神の最悪の事例のひとつが、池上彰や大橋巨泉であろう。私は今年の正月、実家で私の母親が池上彰の番組を見ているのを横で見ていて、ほとほとうんざりした。新聞や雑誌で読んだ事をただ喋っているだけなのである。そうして、それを何もかも正しいと思っていやがる。そうして、その池上彰を私の母親は「この人、物知りだねえ〜。」なんて言って感心していやがる。私が、「くだらねえ。」とチャンネルを換えたら、それこそ烈火の如く怒る。 ちなみに、この池上彰や大橋巨泉の口癖は「実は、」である。なんというか、彼等は自分だけが人の知らぬ真実を知っていると思い込んでいるのだろう。それが、この「実は、」という言葉の乱用の心理である。そのくせ、その真実とやらは、誰かが新聞記事にしたものなのであるから、自分だけもへったくりもあったもんじゃない。そもそも新聞記者の書くことなど真実ですらない。半分とは言わぬが、30%くらいは新聞記者の希望的観測や妄想である。例えばスポーツの記事などでも、実際に自分の見たゲームの印象と新聞記事に大きく隔たりのある事に驚いた事がある人も多いであろう。元来、新聞記事というのは、そういうものなのである。そもそも、ある事件を正確無比にレポートするなんていうのは、それこそ天才以外には不可能な難事業なのである。というか、そんな事に成功した天才は、私の知る限り、ひとりもいない。それこそ「藪の中」ではないが、あらゆる認識はどこまでいっても、畢竟個人的なものなのである。とりわけ、事件を即日記事にする新聞記事などというものは、特別粗いレポートなのである。そうした新聞を読む事で世界の全てを知った気になっているのが池上彰や大橋巨泉といった連中である。この池上彰や巨泉に限らず、「実は、」という言葉を使いたがる人間は要注意である。 その池上彰の番組を世間は喜んで見ているというのだから、荒川理論や太平洋戦争の悲劇はこれからも繰り返されるであろう。 さて、話をこの荒川理論の発端になったスポーツ技術に戻すが、ここまで長々長々述べてきたように、一般にスポーツの技術というのは周囲の指導や理論の勉強で身に付くものではないと思う。中には万人共通のスポーツ技術というものもあるのかもしれない。ここの例に挙げた打撃というのは、テッド・ウィリアムズが述べたように「あらゆる技術の中で最も難しい」ものである為に、非常に特殊な例外なのかもしれない。なにしろ5打数1安打なら史上最低のバッター、5打数2安打なら史上最高のバッター、すなわち5の1を5の2にする為に、それこそ命を削るような特殊な技術である。専ら個人的になるのも当然なのかもしれない。他の技術なら、もっと指導し易い、一般的なものも多いであろう。 でも、最終的には、スポーツ技術に限らず、この世の大概の技術は個人的なものだろうと思う。周囲の指導や教育ではなく、自分自身で編み出す、開発していく、身に付けていくものだと思う。事実、多くのスポーツマンはそういった類の発言をしてる。周囲の人間がしてやれる事と云えば、結局のところ、練習の付き合いやアドバイザー的な役割が限界であろう。それこそ、王に対する荒川のような関係である。少なくとも、この論考の本来の主題である「HCの仕事」では無いと思う。まあ、アルバイト的にやる分には構わないだろうが、本業とは云えない。 「HCの仕事」とは、その才能を持った人間に、その才能を活かす場を与えてやる事である。そうすれば、その人間はその才能をより活かすべく、勝手に技術を身に付けていくであろう。中途半端なアドバイスは却ってマイナスである。才能というものはそういうものである。 と、このように書くと、私は何だか勉強否定論者の様に映るかもしれないが、はっきり言って、私は勉強否定論者である。 勉強とは何かというと、また定義は難しいかもしれないが、「人に強制されて何かを学ぶ。身に付ける。」というのが勉強の定義だとしたら、先の一夜漬けの話ではないが、そんなことは百害あって一利無しだと思う。結局のところ、何も理解していないし、何も身に付けていないからだ。それどころか、その何も理解していない、身に付けていない状態を、逆に、身に付けている、理解している、と周囲も本人も勘違いしているのだから、勉強していないより遥かに質が悪い。まさしく池上彰や大橋巨泉の状態である。一知半解の徒である。エヴァンゲリオンの庵野監督は高校入学時に「俺はこれから一生勉強をしない。」と心に誓ったそうであるが、蓋し名言であろう。高校生にもなって勉強なんかしているのは、はっきり言って、バカだけである。 勉強というものを世界で一番熱心にやっているのは隣の中国だと思われるが、ここ1500年くらいの中国の歴史を見れば、勉強というものが如何に役に立たぬかというのは一目瞭然であろう。 もっとも、勉強にもひとつだけ効用がある。それはテストには役に立つという事である。つうか、進学、就職、資格等々、この世には様々なテスト、試験があるが、そのテストの為だけに勉強は存在しているといってよいであろう。 じゃあ、そのテストは何の為に存在しているのかというと、まあこう書くと身も蓋もなくなるが、それは何の才能も無い人々に出世のチャンスを与える為に存在しているといって良い。むかし、三島由紀夫が、サラリーマンの仕事なんて、大概は誰でも出来るような仕事なのだから、そこに差を付けるとしたら学歴しかないと書いていたが、まさしくその通りである。入学試験の国語の問題に「優れた詩を書け。」とか、数学の問題に「誰も発見していない公式をひとつ書け。」というような問題が出たら、ほとんどの人が不合格である。しかしながら、本来文学というのは「優れた詩を書け。」であり、本来の数学は「誰も発見していない公式をひとつ書け。」であろう。作者の気持ちを考えるとか、既に誰かが解いてしまっている問題を解くなんていうのは、文学でも数学でもない。 先に私は、「ここ1500年くらいの中国の歴史を見れば、勉強というものが如何に役に立たぬかというのは一目瞭然であろう。」と書いたが、その中国は、おそらく世界で最も平等な国である。貴族社会から、この1500年間、最も遠くにいた国であろう。その中国が試験大国である事は至極当然の成り行きである。 その中国に限らず、日本に於いても、所謂テストで高得点を得た者が社会的に出世しているが、彼等が何の役にも立っていないのも、そう考えれば当然至極である。だって、何の才能も無い人達なのだから。所謂大企業病なんていうのは、その典型であろう。 今、私は彼等に何の才能も無いと書いたが、才能と言ったらちょっと違うかもしれないが、彼らにも得意な事がひとつだけある。それは記憶と計算である。計算も、厳密に言えば、単なる記憶であるから、結局のところは、記憶である。彼等は、これのみを頼ってテストで高得点を取り、社会的に出世してきたのである。 大学の先生が、せっせせっせと他人の論文を書き写して、自分の論文や著書を作ったり、官僚が二言目には外国外国言うのも、結局は彼等が記憶しか頼るものが無いからである。いくつになっても、アンチョコがこの世にあると思っているのである。勿論、この世のほとんどのもの、つうか試験以外にアンチョコは存在しない。過去問は試験の世界にしかない。 しかも、記憶なんていうのは、機械でも出来る。機械の方が、人間より遥かによく出来る。このコンピューターがそれである。更に云えば、記憶なんていうのは、動物でも出来る。さすがに、植物には無理だろうが。実際、優れた頭脳になればなるほど、記憶には頼らぬものだ。優れた数学者なのに計算は苦手なんていうのは、その一例であろう。まあ、得意な人も多いけどね。ちなみに、数学とは計算の方法を研究する学問であり、計算そのものとは直接は関係無い。算盤十段が数学者ではないのと同じである。 ところが、世の中というのは、先の池上彰の例でも分かるとおり、単に記憶しただけの人を賢いと思っている。勿論、記憶力と頭の良し悪しは何の関係も無い。魚屋の主人が魚の名前を全部覚えているからといって、彼の頭の出来とは何の関係も無いし、駅の売店のおばちゃんが商品を即座に計算し、お釣りを出せるからといって、このおばちゃんが賢い訳でもない。そんなことは大概、誰でも出来る。 最近、将棋ソフトがプロ棋士に勝ったが、だからといって、その将棋ソフトが賢い訳でもない。賢い者とは将棋というゲームそのものを開発した人間であろう。もっとも、ゲームというものが大概そうであるように、それは時間をかけて多くの人の手によって改良されてきたのであろうが。ただ、将棋ソフトに将棋というゲームそのものは作れない。 世界中のゲームソフト会社が求めるのは優れた演算機能を持つコンピューターではなく、面白いゲームを開発できるコンピューターであろうが、そんなコンピューターは無い。それはただ計算するのみである。 では、言葉の正しい意味で、頭が良いというのはどういう事かと云えば、それはつまり、「ある事象とある事象の因果関係を正しく把握する。」という事になろうが、勿論、それが出来る人間は非常に少ない。一般に1000万人にひとりと言われている。今の日本にはたった13人しかいないという事になる。本来頭の良い人というのは、それくらい希少なものなのである。 ちなみに、これは頭の良い人の割合であって、天才はもっと少ない。ひとつの民族に一人出るか出無いかぐらいである。事実、日本の歴史では、今のところ葛飾北斎しか天才はいない。まあ、天才というのは世に埋もれてしまうことも多いであろうから、実際はこれ以上にいたのかもしれないが、少なくとも、私の知る限り、世に出てきた日本の掛け値なしの天才は葛飾北斎ただ一人である。実を言うと、もう一人いるにはいるのではあるが、まだ存命中でもあるし、秘密。もちろん、私ではないよ、念の為。 ちなみに、天才の最大の特徴は何かと言うと、それは先に才能について述べたのと同じく、というか、それ以上に強烈な意味で、「人から何も学ぶ事が出来ない。」であろう。 音楽を人から学ぶモーツアルト、数学を人から学ぶガウス、台本の書き方を人から習うシェイクスピア、詩の書き方を人から習う杜甫、そんなものは想像すら出来ない。モーツアルトなんか、人から音楽を学ぶどころか、教える事すら出来なかったであろう。 彼等のような特別な天才で無い、ちょっとした才能の持ち主でも、それは同じ事だ。怪獣映画の作り方を学ぶ円谷英二など想像すら出来ない。鳥山明にいたっては、マンガを読んだことすらほとんどなかったらしい。才能というものは、そういうものなのである。 世の中には、日本に限らず、芸術学校的なものが沢山あるが、一体あそこでは何が行われているのであろう。私には不思議でならぬ。人にものを教えられる、人からものを学ぶことが出来る、それはもう天才で無い証拠である。そうして、芸術は天才の特権である。アンリ・ルソーとアカデミーの関係である。 こんなことを書いていると、私は学校否定論者のように思われるだろうが、まあ私は学校を否定はしないけれども、学校の定義は一般的なそれとは少々異なるかもしれない。 私は、子供やある種の人々が何故学校に行くのかというと、それは他に行く所が無いからだと思っている。矢吹丈の玉姫公園みたいなもんである。何故、勉強しているのかと云えば、それは他にやる事が無いからだと思っている。 多くの人は忘れてしまっているけれど、学校というのは本来、児童労働を禁止する為の施設として作られているのである。金八を始め、学校の先生は出鱈目な事を言っているが、それが義務教育の意である。親は子供を働かしてはいけない、学校に行かせなければいけない、の義務である。子供は学校に行かねばならない、の義務ではない。 また、ティーボゥを見れば分かるように、学校に行く行かないと学力には何の因果関係も無い。実際、ボストンあたりに、そういう何にもしない学校というのがあるらしい。で、そこに6才ぐらいから18才ぐらいまで通わせるとどうなるかというと、やる奴はやるし、やらない奴はやらないという普通の学校と同じ結果になるらしい。大学進学と不良になる比率も通常の学校と変わらないらしい。 始めのうちは、子供らしくただ遊んでいるだけだが、そのうち、昆虫とか車とか絵とか、子供が好きそうな事を導入口にして、自然にそれら以外のこと、算数や国語的なことを学び、18才時には普通の高校生と変わらぬ学力になるらしい。勿論、ダメな奴も当然いて、どっかの段階で町のギャングになってしまうらしい。んで、その比率は普通の学校と変わらないらしい。 教育については、世界中で、ありとあらゆる出鱈目が唱えられているが、結局のところ、そんなもんなのである。勉強、とりわけ学校式の勉強なんていうのは、百害あって一利無しで、何の役にも立たない。逆に本当に勉強したい者にとっては、ありとあらゆる雑音のある学校は、却って勉強に不向きであろう。ニュートンやガウスの多くの発見が、大学ではなく自宅で行われたというのは、そういう事である。 という訳で、もはや何を論じているのか自分でも忘れかけているが、この論考の前半部分、すなわち「HCの仕事の一つ目は選手を気分よくプレイさせる。」については、次回軽くまとめて終わりにしたい。あと半分書かねばならんのか。 ハナコに土下座するエキシャ最高 2012/6/11(月) さて、NBAプレイオフがあった関係で、およそ一ヶ月ぶりの更新になってしまった訳であるが、今回は、この論考の前半部「HCの仕事の一つ目は選手を気分よくプレイさせる。」のとりあえずのまとめである。 と、その前に、前回の記事について、ちょっと補足をば。 前回の記事で、私は「何故に、荒川理論がこんなにも世に広まってしまったのか。」について、つらつら理由を書き連ねてみた訳であるが、もうひとつ書くことを忘れていた。それは、「この荒川理論が非常に単純だった。」という点である。 とにかく、ダウンスウィング、叩きつけるバッティングの一点張りなのであるから、誰でも簡単に覚えられる非常に簡明な理論である。 まあ、荒川自身の頭の中には、遥かに複雑で神妙な理論だったのかもしれないが、世間に流布した段階では、非常に単純な理論であった事に違いは無い。 単純であったからこそ、全国津々浦々の素人野球指導者が採用し、一夜漬けの精神しかないアナウンサー等が実況席で連呼したのである。 まあ、この手の単純なテクニカル・ターム、キーワード的なものは、この荒川理論に限らず、いつの時代、どのジャンルに於いても、新聞・雑誌・テレビ等々を賑わすものであるけれども、大概は、というか、その全ては、この荒川理論同様、誤解である。その言葉、その理論を正確に解している例は、新聞・雑誌・テレビでは、まず無い。皆無といってよい。 その言葉が単純である故に、連呼されているというのが通例である。一昔前の「フラット4」なんかはその代表的な事例である。最近では「球数制限」「ウェーバー方式」あたりか。キーワードが無ければ、文章が書けない人は、驚くほど沢山いる。ところが、残念ながら、世の中には 、一言のキーワードで解されてしまうような単純な理論というものは、ほとんど無い。 あと、そうそう、私はこの論考で再三再四、選手への技術的指導はHCの本業ではないと書いてきたが、それはあくまで個人レベルの話であって、チームプレイへの指導は勿論全然違う。それは、勿論、本業である。それは勿論ドンドンやらねば駄目である。 さて、話を本題、それも元々の本題に話を戻すが、この「HCの仕事の一つ目は選手を気分よくプレイさせる。」という一点に限っては、前コルツのHCコールドウェルは、ほとんど完璧といってよいほどの仕事をしたと私は思っている。その結果が初年度のスーパーボウル出場であり、2年目の10勝、そうして、それを裏から証明したのが、3年目、すなわち最終年となった昨季の2勝だったと思っている。 選手を気分よくプレイさせるといっても、コールドウェルの場合は、それは事実上、マニングを気分よくプレイさせると同義語だったから、その結果は上記した成績に直結したのである。 このような、一人の選手にチームの命運を委ねてしまうという戦略が果たして正しいのか否かについては賛否両論があろうし、私もどちらかと云えば、否定派ではある。この戦略の一つの難点は、その当の選手がポシャってしまうと、まさしく昨季のコルツのように剣もホロロな成績に陥ってしまう事であるのは云うまでも無いが、もうひとつの難点としては、どうしてもチームがまとまり難い、不協和音とまでは云わぬが、一体感が生まれにくいという点もあると思う。 コルツで云えば、守備選手、特にフリーニーあたりは、そうしたチームの方針に、何とはなしに不満を持っていたとは思う。言動や態度に、それを感じる。もちろん、それを表立って批判するというような中学生じみた事はしないだろうが、やはり不満は感じていただろう。 一体感がチームの勝利にそのまま直結するとは私は考えていないけれど、マニングのコルツのプレイオフでの弱さの一因は、そんなところにもあったのではないかと思っている。 無論、この戦略はコルツないしポリアンの計画したものであり、コールドウェルに責任は無い。むしろ、コールドウェルは、この戦略を完璧に全うしたと云えるだろう。というか、その能力のみを買われて、HCの職に付いたといって良いぐらいである。 当時は、私はコルツファンでなかったので、詳細は不明であるが、ジム・モーラがコルツ、つうかマニングと袂を分かったのも、結局はこれが原因でなかったかと思っている。その後任として、オフェンスには、ほとんど関心の無いダンジーを連れてきたのも、それが大きな理由であろう。そうして、コールドウェルは、それのマイナーチェンジである。 一方、マニングの側から見れば、おそらく彼のフットボールのキャリアを通じて、それこそ高校大学も含めて、最も自由に気分よくやらせてくれたHCがコールドウェルである事は論を待たぬと思う。これで、マニングがコールドウェルを批判していたら、俺が許さん。 そういった意味では、この3年間、つうか実質2年間は、良くも悪くもマニングのハイライトだったと思う。自分の力というものを最大限に発揮できた2年間だったのではないだろうか。特に2010年シーズンは、当のマニングを除けば2勝に終わった2011年シーズンより戦力不足の中で10勝を挙げ、プレイオフも優勝候補のジェッツ相手にあわやという所まで行ったのであるから、マニングにとっては、ある意味、生涯会心のシーズンだったと思う。その翌シーズンに怪我しちゃうのが、マニングのマニングたる所以なのであるが。 という事で、この論考の前半部は終了としたい。しかし、シーズンが始まるまでに終わるんか。分量的にはともかく、内容的にはまだ半分なのであるが。まっいっか、シーズン始まっても。今季はコルツの放送、少なそうだし。 2012/7/8(日) |