インディアナポリス研究会コルツ部

インディアンス同好会

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カーブとマローダーズ  オニール・クルーズ、パイレーツで活躍してましたね。

 シーズンも中盤に差し掛かり、そのオニール・クルーズに限らず、我らがインディアンスも、いかにもマイナーリーグらしく、選手の出入りが激しくなっている。

 で、インディアンスのトランザクションを見ていると、よく見るチーム名が4つある。すなわち、パイレーツとインディアンスとアルトゥーナ・カーブとブラデントン・マローダーズである。

 カーブとマローダーズは、すなわちパイレーツ傘下の2A、1Aチームである。

 で、早速、「綱島理友のアメリカン・ベースボール徹底攻略ブック」を調べてみると、この両チーム、当然というか、やっぱり掲載されていた。スゲーな、この本。買っといて良かった。おそらく、日本で唯一のマイナーリーグ情報刊行物であろう。少なくとも、私は他に知らない。アメリカでも、似たような本は少ないのではないだろうか。インディスター紙にすら、インディアンス情報はほとんど掲載されていないのだから、アメリカにおいても、マイナーリーグ情報なんてものは、まさしくマイナーなのだろう。
 そもそも、公式サイトにすら、うすっぺらい情報しか載ってねーし。BBSも無いっぽいし。私の知らないところで、異様に盛り上がってんのかもしれんけど。

 さて、アルトゥーナ・カーブの話である。

 ペンシルヴァニア州アルトゥーナに本拠地を構えるチームで、イースタンリーグ・サウスウェスト・ディヴィジョン所属である。

 まず目につくのは、そのカーブという一風変わったニックネームであるが(カープじゃないよ、カーブだよ。)、アルトゥーナ近郊にある鉄道の急カーブの線路に由来するらしい。

 グーグルマップで見た上空からの写真がこちら、



 「ホースシュー・カーブ」という名前なのだけど、ホント、ものの見事に蹄鉄の形になってる。おっ、こんなところで「コルツつながり」発見!!。

 で、一応、観光地っぽくなってるらしく、その写真がこちら、



 遠くに見える貨物列車のところが、すなわち「ホースシュー・カーブ」の線路である。

 アメリカだと、この程度でも観光地になるんだよね。まっ、日本も同様だが。「行きたい所が無い奴に限って、旅行したがる」っていったところか。

 あと、一応、野球の変化球、カーブもその由来になっているらしい。所謂、ダブルミーニングやね。

 「カーブ」というと、私の思い出すのは、その昔、クルマ好きの友人と話していた時、私が「カーブを曲がる」みたいな事を言ったら、そのクルマ好きがすかさず、「カーブを曲がるじゃねーよ。コーナーを攻めるだろ。コーナーは攻めるもんなんだよ。」と怒られた事である。私は、すかさず「すいやせんでした〜〜〜。」と謝った。今では、懐かしい記憶である。いや、懐かしくはない。あと、ヘビメタ好きに「ヘビメタじゃねー、ヘビーメタルないしメタルだろ。」と怒られた事もある。めんどくさいよね〜〜、好きな人って。

 つう訳で、アルトゥーナ・コーナーもといアルトゥーナ・カーブであるが、なかなかにカッコイイネーミングである。スポーツのチーム名としては一番好きかもしれない。現時点で第1位だったテキサス大学ロングホーンズを抜いた。「カーブ」っていう、有りそで無い意外性がいいよね。
 あとまあ、そもそもアルトゥーナという地名がカッコいいというのもある。私は、アラビア語の定冠詞アルが大好きなのでアル。アルコールとかアルコールとかアルコールとか。ちなみに、アルトゥーナのつづりは「ALTOONA」である。うん、カッコイイ。アルトゥーナに移住したい。アルトゥーナ市民になりたい。アルトゥーナの住所が欲しい。

 もう一つの雄(ウソウソ)、ブラデントン・マローダーズはフロリダ州ブラデントンに本拠地を構えるチームで、フロリダ・ステイト・リーグのウエスト・ディヴィジョンに所属している。1957年に創設されたタンパ・ターポンズが、そのルーツなので、歴史は結構古い。ちなみに、カーブは1999年創設の、所謂エクスパンション・チームである。

 歴史が古く、かつてはレッズ傘下だったので。所謂「ビッグレッドマシーン」の面々が在籍していた。あと、変わり種では、プロレスラーのランディ・サべージも在籍していたらしい。あと、かつて巨人にいたサンチェも在籍していたらしい。嗚呼サンチェ、当時の中学生野球部員の定番ネタ。

 で、こちらのニックネーム「マローダーズ」であるが、「カーブ」と違って、あんまり聞かない英語、つか小生御年ン十歳にして、初めて耳にした、つか目にした英語なのであるが、つづりは「MARAUDERS」である。調べてみると、「略奪者」という意味であるらしい。ちなみに、スズキにそういう名前のクルマがあるらしい。また、件のクルマ好きに怒られてしまう。

 チームロゴは、それこそ「ワンピースの海賊王」みたいなベタな海賊のロゴなので、そういう意味なのであろう。実際、パイレーツ傘下になった2010年にニックネームがマローダーズに変更されている。でも、パイレーツとかヴァイキングスとかバッカニアーズとか、海賊好きだよね、アメリカ人。まあ、日本でも、あの「ジャンプ」のロゴだしね。

 でもまあ、「海賊」って、要するに「泥棒」でしょ。つか、「強盗」でしょ。いや、「強盗殺人」でしょ。いや、「強盗殺人集団」でしょ。海なら、無罪なの。

 「インディアン」とか「レッドスキン」とか「ブレット」とかより、よっぽど悪質、つか重罪な気がするけど、ポリコレの人たちは等閑に付してんの。なんかもう、「老人介護−ズ」とか「レディファースト−ズ」とか「ノーセックスーズ」とかに改名させるべきじゃねーの。そういう事でしょ、ポリコレって。


                                もう夏至か。2022/6/21(火)
ヨシ・ツツゴー  ツツ・ヨシゴー、あっ、間違えた、ヨシ・ツツゴーがDFAされて、日本のマスコミでは日本復帰の憶測が喧しかったが、バイソンズ決定。何故に我がインディアンスに残留しない。

 ツツ・ヨシゴーよ、インディアンスに骨をうずめい。インディアンスだって、立地条件だけはメジャーっぽいぞ。近くにコルツもペイサーズもあるし。まあ、あくまで3Aだけど。

 いやまあ、別にいんだけどさ。でも、どーすんかね。もう三十路だし、もうメジャーに上がれる目も無さそうだし、生涯マイナーで頑張るのかな。「そういう選手は、アメリカにも、あまりいねーんだろーなー。」って思って、インディアンスのロースターを調べてみたら、いたよ、三十路のマイナーリーガー。

 ドリュー・マギー、33才、1989年生まれ。2010年ドラフト、全体447位。

 で、キャリアスタッツを調べてみたら、この13年間で(2020はコロナでマイナーリーグ自体が全休)、ただの一度もメジャー経験無し。ずっとマイナー。お試しメジャーすら無し。

 そういう選手もいるんだね。山際淳司の有名なノンフィクションの言葉を拝借すれば、彼の13年間は決して無駄ではなかった、とは軽々しく言えまい。措辞が間違ってたら、ゴメンナサイ。本は実家にあるので、確かめようが無いんだよね。

 まあでも、13年間マイナーで頑張れば、それなりに人脈も出来るだろうし、コーチなりスカウトなりで野球を生涯の仕事に出来るだろうから、まあ、そういった意味では無駄ではなかったとは云えるではあろう。もしかしたら、今後メジャーに上がれるかもしれないしね。

 ちなみに、昨季まで西武ライオンズで活躍(?)していたスパンジェンバーグは、お隣りメンフィス・レッドバーズに在籍している。今季の成績は、ここまで打率.220、10本塁打、メジャー昇格無し、御年31歳。
 ただし、このスパンジェンバーグは、上記のマギーとは違って、2011のドラフトでパドレスに全体10位(!!!)で指名された選手である。この年の全体1位はゲリット・コール、8位はフランシスコ・リンドア、そういう年である。まあ、人生色々だよね。万事を力づくでねじ伏せるな、この言葉。

 ちなみに、全体10位でドラフトされた選手は、現在のインディアンスにも在籍していて、それは2018ドラフト全体10位のトラヴィス・スワガッティである。

 オニール・クルーズ亡き今(死んでないつーの)、インディアンス一押しのプレイヤーであり、すでにメジャー昇格も経験済みである。9打数1安打。インディアンスでのスタッツは、ここまで打率.259、7本塁打。セプテンバー・コールアップは微妙かな。まあ、最近は年俸調停権やFA権の絡みもあるしね。って、書いてて、ちょっと調べたら、セプテンバー・コールアップって、今季から廃止、ちゅうか縮小されていたのね。

 5−10と結構小柄なのであるが、ハイライト映像でしか見ていないので、良し悪しは正直全然分らん。でも、全体10位指名なのだから、その実力は高く評価されているのだろう。あるいは、されていたのだろう。

 そうして、プロ4年目でここまで来たというのは順調なのか否か、MLBに詳しくない私には何とも言えないが、メジャー昇格一歩手前である事は間違いなかろう。まあでも、スパンジェンバーグの例もあるしな。全体10位は、そんなもんなのかもしれん。

 ちなみに、このスワガッティの直前、全体9位で指名されたのは、あのカイラー・マレーさんである。絡んでくるな、カイラー・マレー、私のサイトに。

 ちなみにちなみに、そのマレーの直前、全体8位で指名されたのが、現在ソフトバンク・ホークスに在籍しているカーター・スチュワートであったりする。この両者よりは、全然マシか。少なくとも、入団はしてるしな。

 でも、このスチュワート、どうすんの。どうやって、アメリカ帰んの。ドラフト?、ポスティング?。単純なFAという訳にはいかないだろうし。つかまあ、ポスティングも同じか。もいっかい、ドラフトにエントリーすんのかな。まっ、なんでもいいや、別にMLBファンじゃねーし。ただのマイナリーグファンだし。俺、全然関係ーねーし。

 さて、話をツツ・ヨシゴーに戻すが、ツツのメジャー失格の最大の要因は「速い球が打てない」と云われている。ぶっちゃけ、ヨシ・ツツゴーのバッティングはあまり観ていないので、実際のところはよく分からんが、多くの識者、あるいは素人が指摘するのだから、まあ、その通りなのであろう。

 つかまあ、ゴー・ツツヨシに限らず、日本人のバッターが苦しむのは、結局そこ「速い球が打てない」である。メジャーに適応したと云われている大谷や松井、イチローにしたって、そこは苦しんでいる。

 「速い球を打つにはどうするか」というと、大きく分けて4つの方法がある。

 一つ目は「スイングスピードを上げる」である。

 これには二つの方法があって、ひとつは筋力アップ等々で運動能力的に「スイングスピードを上げる」と、もうひとつはメカニックを改造して「スイングスピードを上げる」の二つである。

 ちなみに、私は日本語の所謂「フォーム」という言葉は好きではない。「運動」を表すのには不適当な言葉だと思うからである。「フォーム」という言葉は、美術モデルみたいな止まっているもの、すなわち「静的なもの」を表すのには適当な言葉だと思うけれど、「動的なもの」を表すには不適当な言葉だと思う。英語をそのまま拝借して「メカニック」と云うべきだと思う。こちらには「動的なもの」という概念が含まれている。

 「フォーム」というのは、「精神のフォーム」とか訳の分からない事を言ってた小林秀雄あたりが流行した言葉だと思うが、明らかに「誤用」である。ほんと、小林秀雄はロクな事をしない。

 つう訳で、一般のスポーツマンが「フォーム」という言葉を使うところでは、私はアメリカナイズに「メカニック」を使う。

 閑話休題。「スイングスピードを上げる」に話を戻すと、「スイングスピードを上げる」には、「運動能力的に上げる」か「メカニックを改造して上げる」かの二つしかないと思われるが、実際問題、限度がある。

 まず、「運動能力的に上げる」であるが、それこそ「一晩寝る度に強くなる」と言われる10代の若者ならともかく、20代、それも25歳過ぎの場合は、運動能力のアップはなかなかに難しい。むしろ、「落とさない」ための筋トレである。

 また、もうひとつの「メカニックの改造」であるが、これも昨日今日野球を始めた人ならともかく、プロ野球選手、それもトップレベルのプロ野球選手が、メカニックを劇的に改造するのはなかなかに難しい。マイナーチェンジが精一杯であろう。フルモデルチェンジという訳にはいかない。種田みたいな例もあるけどさ。

 という訳で、「スイングスピードを上げる」は、現実的には、なかなか難しい。微増が精一杯だと思われる。

 二つ目は「バットの軌道を短くする」である。

 具体的に云うと、「バットを短く持つ」とか「バットを寝かせる」という、所謂「速い球を打つための最も古典的、つかベタな方法」である。

 これらは何をしているのかというと、要するに、トップの位置からミートポイントまでの距離を短縮しているのである。その究極が所謂「バント」である。すなわち距離「0」である。

 実際、バントなら、どんな速球も必ず当てる事が出来る。すなわち、どんな速球も、理論的には攻略できる。それこそ時速1000キロの速球でも当てる事は出来る。まあ、バットなり両腕なりが砕け散るだろうけど。

 ただ、この方法の決定的な弱点は、「軌道が短くなる」と、「ミートした時のバットスピードが落ちる」である。「バント」はすなわち「ミートした時のバットスピードが0になる」打法である。助走が短くなればなるほど、スピードは落ちる訳である。距離「0」に近づければ近づけるほど、「打つ」から遠ざかってしまう。

 三つ目は、「構えてからミートするまでの時間を短くする」である。先の二つが、すなわち「速度」と「距離」を変えるものなので、次は「時間」を変える訳である。万事は、物理に支配されているのだ。

 これには二つの方法があって、一つ目は所謂「始動を早める」である。

 「バットを短く持つ」とか「バットを寝かせる」同様、こちらもベタな方法であるけれども、最も効果的な方法でもある。つかまあ、プロのバッターは基本、この方法で「速球」に対応している。球の速さに応じて、「始動」を変化させているのである。

 ただまあ、この方法には、当然ながら、限界があって、当たり前の話であるが、「ピッチャーが投げるより前に、始動できない」のである。ピッチャーがリリースする直前あたりが限界であろう。これより前に「始動」したら、当然の事ながら、ピッチャーはボール(ストライクではない、という意味のボールね。)を投げる。

 二つ目の方法は「メカニックの改造」つか「メカニックの省略」である。大谷がすり足にしたり、イチローが振り子を止めたりしたのが、その実例である。

 ちなみに、王の一本足打法も、これが理由である。一本足打法というと、一般には「足を上げて、反動を付ける打法」であるが、王の一本足打法は違う。王の場合は、「始動が遅れる」という欠点を直すために、「足を上げる動き」を省いたのである。実際、王はピッチャーが投げる前に、既に足を上げている。反動のために足を上げている訳では無いのである。

 ただ、この方法も、当然ながら限界がある。「メカニック」を「0」にする訳にはいかないからである。つか、「0」にする打法がすなわち「バント」である。「時間」が「0」なら、当然「距離」も「0」である。

 と、ここまで、「速い球を打つにはどうするか」の方法として、「速度」「距離」「時間」を変える方法を紹介してきた。普通に考えたら、物理的に云って、これ以外に「速い球を打つ方法」は無さそうであるが、ウラ技として、もう一つある。

 それは、ピッチャーの「距離」を変えてしまうのである。さすがに、ピッチャーの「速度」と「時間」は完全にピッチャーの支配下にあるので変えられないが、「距離」なら変えられる。マウンドをうしろに下げられるなら、それに越した事は無いが、それは反則である。では、どうするかというと、それは「ミートポイントを下げる」である。

 バッターボックスの後ろに立ったり、ミートポイント自体を下げたりして、ボールの軌道の距離を伸ばすという方法である。後者は「バットを短く持つ」とか「バットを寝かせる」あるいは「始動を早める」よりも高度な方法であるが、これらもベタな方法ではあろう。

 ただ、当然のことながら、こちらにも限界がある。「キャッチャーミットに収まってしまったら、打てない」である。

 ここに挙げたもので、おそらく「速い球を打つにはどうするか」の答えが網羅されているであろう。もしかしたら、特殊なテクニックがあるのかもしれない。「始動を遅くする」とかね。
 これらの中のどれか、あるいは複数を使って、「速い球」に対応していくのがバッティングである。ただ、ここに説明したとおり、いずれも限界がある。すなわち、「速い球を打つ完全な方法は存在しない」のである。

 つかまあ、「速い球を打つ完全な方法」、努力なり工夫なりで、どんな速い球も打てるようになるというのなら、私だってプロ野球選手になれている。

 私が打てる速球の限界値がどれくらいかは調べていないけれど、おそらく時速100キロぐらいであろう。そこから、努力なり工夫なりで時速110キロぐらいは打てるようになるかもしれないが、時速150キロ、いや時速130キロが打てるようになる日は永遠に来ないであろう。仮に15歳から努力したって、無理だろう。私の運動能力の限界を超えているからだ。

 だとしたら、私に相対するピッチャーは時速120キロの速球(?)をストライクゾーンに投げ込めば、私から永遠に三振が獲れるのである。何千球、何万球も、私は空振りし続けるであろう。そんなバッター、プロにはなれない。

 「私」の事例はともかくとして、実際、プロ野球の監督やコーチというのは、新人バッターの何をまず第一に見るのかというと、「速い球を打てるかどうか」あるいは「速い球を打てる限界値はどこか」である。時速130キロなのか、時速140キロなのか、時速150キロなのか、時速160キロなのか。それで、速い球が打てるのであれば、スラッガーコース、打てなければ、守備や走塁で頑張ってねコースとなる。

 逆に云えば、その他の能力や技術の多くは、後天的、すなわちプロに入ってからでも身に付けられるのである。変化球とか内外角、高低の打ち方、配球の読みなんていうのは、本人の努力と工夫で、プロ入り後からでも、どうにでもなる。まあ、「配球の読み」は、出来ない人は出来ないらしいけどね。頭の良し悪しは変わらない。

 かつて、というか今も、「『速い球を投げる事』と『ボールを遠くへ飛ばす事』は持って生まれたもの、すなわち先天的なものだ」なんて言われているが、「速い球を投げる」はともかくとして、「ボールを遠くへ飛ばす」、すなわち「飛距離」は、後天的に身に付けることができる能力だと思う。

 「飛距離」というか、厳密に云えば「ホームランを打つ事」は、後天的に身に付けられるであろう。そのための方法はある。「体重を増やす」とか「打球に角度を付ける」とか「ヘッドスピードの出るバット、すなわち芯が遠くにあるバット、遠心力の効くバットを使う」などである。というか、この3つしかないと思う。少なくとも、私はこの3つしか知らない。

 また、先天的か後天的かが分からないバッティング能力として「選球眼」があるが、これの先天的後天的は、私もよく分からない。ただ、一般的現場的には、先天的だと云われている。
 ストライク・ボールの見極めは、目の良し悪しはともかく、ある程度、経験的なものであろうが、そこから先、きわどいところ、臭いところを見逃すか振ってしまうかは、運動能力というよりも、性格に由来する能力であろう。、とすると、先天的なのだろう。性格は変わらない。

 という訳で、「選球眼」はともかくとして、「速い球を打てるかどうか」は、そのバッターの、謂わば「格」を決める第一歩目である。というか、もしかしたら、唯一の指標なのかもしれない。

 最近の、というか、ずいぶん昔から、高校生バッターの指標のひとつに「高校通算○○ホーマー」というのがあるけれど、このように考えると、それが無意味な指標であるというのが良く分かる。

 ホームランを打てるというのは、ひとつの技術、とりわけ「変化球を上手く打って、ホームランにする」なんていうのは、そんなものはプロに入ってからでも身に付けられる能力、あるいは技術なのである。まずは「速い球を打てるかどうか」、これをチェックすべきであろう。そうして、その限界値が時速130キロなのか、時速140キロなのか、時速150キロなのか、時速160キロなのか、これをチェックすべきである。

 最近の「高校通算○○ホーマー」として、佐々木麟太郎君がスポーツニュースなどで、よく取り上げられているけれど、彼は時速何キロまで打てるのであろう。テレビで見ていると、甘い、というか甘すぎる変化球をホームランにしているシーンばっかなのだけれど。たまたま、私の見ているシーンが、そういうシーンばかりで、私の見ていないところでは、速球をガーンと1,2塁間に弾き返しているのかもしれないが。

 同じ「高校通算○○ホーマー」でも、清原なんかは、中山の全身全霊を込めた速球を甲子園左中間スタンドの中段に叩き込んでいる。これなら安心である。まあ、春は、渡辺智男の速球に4打席3三振してたけど。

 「高校通算○○ホーマー」がプロで苦しむ理由の多くはこれである。

 って、ここまで「速い球を打てるかどうか」の謂わば「入口」について書いてきたけれど、「出口」についても事情は同様であろう。

 すなわち、守備走塁型の選手はともかくとして、バッター型スラッガー型の選手が引退するのは、「飛距離が落ちた」とか「変化球が打てなくなった」とか「内角が打てなくなった」とか「選球眼が悪くなった」とか「配球が読めなくなった」とかでは全然無く、ほぼ全ての選手が「速球が打てなくなって」引退するのである。「配球の読み」なんていうのは、年齢を重ねるほど、むしろ磨かれるものである。

 海の向こうのマクガイアやボンズがドーピングに走ったのも、無論これが主因である。加齢に伴い、打てなくなっていった速球に対応する為、薬を服用したのである。

 ちなみに、速球が打てなくなる事の要因として、「スイングスピードの衰え」と「動体視力の衰え」の2者が挙げられているが、私にはどちらが正解かは分からない。ドーピングの事例を考え合わせれば、「スイングスピードの衰え」が主因なのだと思うが、まあ「動体視力の衰え」も謂わば「筋力低下」が要因だろうから、こっちの線もあるのだろう。

 という訳で、「速い球を打てる」がバッターの生命線、あるいは格付け要素なのであるが、これを裏返すと、ほとんど全てのピッチャーが速球に拘る、あるいは拘泥する理由が良く分かる。

 ピッチャー、とりわけプロに入ってくるようなピッチャーは皆、人生のある時期、速球だけで、自分の友達を、あるいは近所の大人たちを、それこそバッタバッタと三振に切って捨てた経験があるからである。それはもう、経験というか、実体験、あるいは原体験というものであろう。そうして、それは信仰へと昇華する。

 いい年こいたピッチャーが時速1キロでも球速をアップしようと躍起になっているのは、この信仰に由る。

 まあ、見方を変えれば、「これ以上、速い球を投げられない」あるいは「これ以上、速くスイングできない」ところから始まるのがプロ野球だとも云える。まあでも、なかなか子どもの頃の信仰は消えないんだよね。三つ子の魂百まで。

 また、「速球一本槍」のピッチャー、山口や江川のようなピッチャー、大昔だと尾崎や江夏のようなピッチャーが、ごく稀にではあるが、登場するのに対し、「変化球一本槍」のピッチャーが登場しないのは、ここまで書いてきた事の証左のひとつであろう。

 山口や江川、あるいは尾崎や江夏のようなピッチャーは、プロレベルでも、謂わば「子供の頃」と同じピッチングが出来た希少なピッチャーなのである。ほとんど全てのプロのバッターのスイングスピード、あるいは動体視力を、彼等の速球は凌駕してしまったのである。

 また、山口や江川、あるいは尾崎や江夏ほどではないにせよ、1シーズンとか1試合、あるいは1イニングぐらいなら、「子供の頃」と同じピッチングが出来たピッチャーは何人もいたであろう。所謂「待っているところにストレートを投げて、討ち取ってしまう」である。

 その一方で、「変化球一本槍」のピッチャーがいないのは、どんな変化球も、見慣れれば打ててしまうからである。私は、先に「私は時速100キロ以上の球は打てない」みたいな事を書いたけれども、逆に云えば、「時速100キロ以下なら、どんな変化球でも打てる」のである。それこそ、プロの変化球でも、時速100キロ以下なら、1打席で打つのは無理にしても、10打席あるいは50打席立てば、その打球がヒットになるか否かはともかくとして、打つ事は出来るであろう。ただし、時速100キロを超えちゃうと、どんなションベンカーブでも打てないであろうが。まあ、カーブだと、ストレートに比べ、軌道は長くなるが、それを差っ引いても、打てないだろう。

 「変化球一本槍」のピッチャーがいないとは書いたけれども、多少例外はあって、一人は無論フィル・ニークロである。これは、勿論彼の変化球ナックルは、いつまでたっても「見慣れる」事が無いからである。なにしろ、一球ごとに軌道が異なるのであるから。見慣れようがない。それが時速100キロ以下であっても、無論、「私」も打てない。まあ、まぐれ当たりはあるかもしれんが。

 もうひとり「変化球一本槍」がいて、それはマリアーノ・リベラである。彼は、事実上、その代名詞であるカットボール一本槍であったと云われているが、確かにカットボールというのは、ナックルを除いて、最も軌道の読みづらい変化球はある。ただし、彼が「変化球一本槍」であったのは、それが主因ではない。

 主因は、彼が「クローザーだったから」である。

 クローザーは対戦機会が少ないのである。インターリーグとか地区とかを考慮すると、計算がややこしくなるので、単純化する。リベラが、仮に年間50セーブ挙げたとする。それをアメリカンリーグ14チームで割ると、1チームあたり3〜4セーブ。しかも、現代のクローザーの1イニング限定だから、1チームあたり3〜4イニングとなる。すなわち、1シーズンで1,2回しかマリアーノ・リベラと対戦出来ないのである。それで、あのカットボールを打てと言っても、無理な話であろう。

 勿論、実際は、りベラも無傷という訳では無いから、もうちっと対戦は増えるであろうが、それでも2,3回といったところであろう。

 インターリーグや地区の濃淡、打順の巡り合わせなどもあるから、一概には言えないだろうけど、最も多くても、1シーズン5打席ぐらいが上限ではないだろうか。逆に云えば、東地区の主力バッターであっても、1シーズンまるまるリベラと対戦しないという事も起こり得る。

 また、その希少な2,3打席でも、1試合で対戦するのであれば、多少事情は異なるであろう。自チームの同僚にリベラの調子を問う事も出来るだろうし、ベンチからその軌道を観察する事も出来るからだ。だが、1イニングで、すなわち打者3人で、あのカットボールを打てと言っても、どだい無理な話であろう。

 これが、リベラの「変化球一本槍」の主因である。実際、リベラも先発に転向したら、「変化球一本槍」という訳にはいかなかったと思う。

 ちなみに、先発からクローザーへの転向は、概ね成功するのに対し(小川のような大失敗の事例もあるけど、)、クローザーから先発への転向の成功例が少ない(吉井のような成功例もあるけど、)のは、これが理由である。

 以上、打つにしても投げるにしても、速球が野球の基本というお話でした。

 つう訳で、ツツ・ヨシゴーよ、バイソンズでガンバンサイ。

                       麦茶と氷の減るスピードがハンパ無い。2022/8/17(水) 

 上の記事について、勘違いされる方もいるかなと懸念したので、いくらか補足。

 私は、上の記事で、「速い球を打てる事が、スラッガーへの第一歩」みたいな事を書いたけれども、「速い球を打てれば、スラッガーになれる」とは書いていない。勘違いしないでね。

 「速い球を打てる事が、スラッガーへの第一歩」ではあろうけれども、「速い球を打てる事が、スラッガーの卒業証書」ではない。言葉を換えると、「速い球を打てる事は、スラッガーの必要条件ではあるが、十分条件ではない」である。

 この「必要条件」と「十分条件」という言葉は、数学的に使用すると、ややこしいので、もしかしたら間違っているかもしれない。平たい日本語で表現しよう。

 すなわち「速い球を打てなければ、スラッガーにはなれないが、速い球を打てるだけでは、スラッガーになれない」である。

 まあ、もっとも、現実的には、速い球が打てるのにスラッガーになれなかった人は、ほとんどいないけどね。それは、同じポジションにスーパースターがいたとか、練習しないとか、性格的道徳的に問題があるとか等々の、純野球的な理由以外のパターンである。

 逆に、純野球的な理由、すなわち「変化球が打てない」とか、「ボール球を振ってしまう」とか、「内角が打てない」とかは、大概克服できる。分かり易い実例が村上で、デビュー1年目くらいは、外の変化球をクルクル空振りしていたけれども、数年後には、あっさり克服していた。これは村上が特別なのではなく、大概みな同じである。まあ、デビューした時から、変化球を空振りしない人もいるけどさ。

 上にも書いた通り、「高校通算○○ホーマー」とか「未完の大器」とか「将来の4番候補」とかが、所謂「永遠の4番候補」で終わってしまうのは、ほとんどが「速い球が打てない」、すなわち「スラッガーへの第一歩」が踏み出せない、あるいは「スラッガーへの入学証書」が貰えないってパターンである。多少の例外はあろうが。

 また、ここで、ちょっと勘違いして欲しくないのは、「速い球が打てる=長距離ヒッター」ではないという事である。「速い球が打てる短距離ヒッター」や「速い球が打てるアベレージヒッター」は、それこそ山ほどいる。つかまあ、速い球が打てなければ、長距離ヒッターにも短距離ヒッターにもなれない、すなわち良い打者になれないというのが、そもそも私の論旨である。バッターのタイプは関係ない。

 速い球が打てなければ、単打も本塁打も打てないのが野球というスポーツである。ヨシ・ツツゴーが、良いちゅうか悪いちゅうか、その事例である。単打も本塁打も打てていない。

 まあ、勿論、「速い球が打てる」って事は、大概、スイングスピードが速いのだから、ホームランも打ちやすいであろう。ただ、ここで勘違いして欲しくないのは、上の記事にも書いた通り、「ホームランを打てる=スイングスピードが速い」訳では無いという事である。スイングスピードが遅くても、ホームランは打てるからだ。すなわち、「速い球を打てる」という事と「ホームランを打てる」というのは、確かに重なり合う点もあるけれど、まったく別の技術なのである。そうして、「ホームランは打てる」けれど「速い球が打てない」で失敗しちゃうのが、先にも書いた「高校通算○○ホーマー」の人達なのである。

 「速い球を打つ」と「ホームランを打つ」が全く別の技術であるという事との良い例が立浪であろう。立浪は、どこかで「速くて打てないと思ったピッチャーは、一人もいない」みたいな事を言っていたけれども、その発言の真偽はともかく、立浪が速い球を苦にしなかったのは周知の事実である。速い球を苦にしていたら、ああいう成績は残せない。

 でも、立浪はホームランバッターではない。立浪の場合は、体重が軽かったのが飛距離の無かった主因であろう。更に、飛距離を、自身もチームも求めていなかったという理由もある。

 これがもし、キャリアのどこかで、自身が、あるいはチームが、立浪に飛距離、すなわちホームランを求めたら、そういうバッティングも立浪は出来たろう。それこそ、体重を増やしたり、打球に角度を付けたりして、である。掛布や金本のパターンである。

 ただ、幸か不幸か、立浪のキャリアを通して、自身もチームも立浪にホームランを求める事は無かった。

 つう訳で、ホームラン、すなわち飛距離というのは、バッターの本質とは、あまり関係の無い能力である。どちらかと云えば、「プレイスタイル」の問題である。それは、本人の好悪とかチーム事情とかで決まるものである。野村の制止を振り切って、ホームランバッターへの道に進んだ門田などは、その良い、あるいは悪い事例であろう。

 バッターの本質は、あくまで「速い球が打てる」であり、その巧拙で、バッターの格、すなわち上下が決定する。

 で、その「速い球を打てる」は本質であるが故に、なかなか変える事、特に大人になってからは、ほぼ変える事が出来ない。ツツ・ヨシゴーを始め、日本のバッターのメジャーリーグでの死屍累々が、それを証明している。山口や江川の球を、プロのバッターがいつまでたっても打てなかった、少なくとも、山口や江川の球速が衰えるまで、打てなかったというのは、その証拠のひとつであろう。

 そのヨシ・ツツゴーであるが、何かの記事に、「プレイオフの時、レイズはツツを平均球速90マイル後半以上(球速90マイル前半以上だったかも、)と左ピッチャーの時は先発させなかった」みたいな事が書いてあって、私は思わず笑ってしまった(スマン、ツツゴー)。要するに、球の遅い右ピッチャーの時しか、先発させないという事である。で、それに当てはまったのは、田中将大とグレンキー。つまり、日本人かロートル。

 でもまあ、これがツツ・ヨシゴーに限らず、日本人の現実だよね。例えば、エンジェルスの投手陣は、今や完全に日本人の揶揄の対象となっているけれども、彼等も日本に来たら、いきなり剛速球ピッチャーだからね。先発なり抑えなりで、大活躍かはともかく、活躍はするであろう。

 大昔、ヤクルトと西武の日本シリーズで、松井稼頭央がブロスの球を「はえ〜はえ〜」って言っていたのも、懐かしく思い出す。ブロスの球を速いと感じているようじゃあ、メジャーリーグは厳しいよね。

 また、ツツゴーのメジャー行きを疑問視していたラミレスだって、やっぱりメジャーリーグの速い球に苦戦した選手であろう。ちなみに、日本落ち(?)してしまうメジャーリーガーあるいはマイナーリーガーには、大きく分けて4つ、特殊なのも数えると5つあるが、そのうちのひとつが「速い球が打てない」である。このラミレスとかペタジーニとかバースがそれにあたる。残りの3つ、あるいは4つに関しては、また別の機会に。

 つう訳で、「速い球が打てない」っていうのが、筒香に限らず、日本のバッターの多くがメジャーリーグで苦しむ大きな、というか唯一の原因であろうが、どの選手もそれを口には出さない。「速い球が打てなくて、メジャーリーグで通用しませんでした。」とは口が裂けても云わない。

 なぜなら、「速い球が打てる」というのがバッターの格を決める、バッターの本質に関わるという重大事だからである。まして、メジャーリーグに行くような選手というのは、それこそ生まれてこのかた、先の立浪ではないけれど、「速い球を打てなかった」という経験の無い人たちである。その敗北を認めるという事は、人格の否定といったら大袈裟だけれども、バッターとしての本質、あるいは誇りにかかわる重大事である。それを認める事は絶対にない。それを認めるのは、野球を辞める時である。あるいは、野球を諦める時である。変化球が打てないとか、内角が打てないとか、ボール球に手を出すとかとは、訳が違うのである。もっと重大な問題なのである。

 そうはいっても、メジャーリーグの生き残ろうとしたら、譲歩せざるは得ない。「守備や走塁で頑張ってねコース」に進む訳である。田口は元々そんな選手だったけれど、松井稼頭央とか井口とか岩村はそのコースに進んだ。高校時代は「エースで4番」だった選手が、プロ入り後は「2番セカンド」になるのと、事情は全く同じい。メジャーリーグの8番、あるいは3Aの6番が、日本で4番を打つのは、その逆の事情である。理屈は同じい。

 中村ノリはそれを拒否し、新庄や福留、そうして筒香には、その器用さが無かった。また、青木や秋山は、時代が降って、そういう選手をメジャーリーグが求めなくなっていた。あと10年、あるいは20年早く、メジャーに渡っていたら、また違った結果になっていたかもしれない。

 「2番セカンド」的な選手を絶滅させた最大の要因は、何といってもセイバーメトリクスの隆盛だろう。私はビル・ジェイムスを支持するけれども、何でもかんでもセイバーメトリクスが正しいと主張するのも如何なものかと思う。とりわけ、「OPS、OPS」とそれこそバカの一つ覚えみたいに連呼する連中にはうんざりする。

 ちなみに、私はこの「OPS」はほとんど意味の無い指標だと思う。確かに「出塁率」は重要だけど、「長打率」の方は胡散臭い指標だと思う。

 セイバーメトリクスの大きな功績のひとつに、「当たったボールがヒットになるかアウトになるかは、ホームランを除いては、バッターの力量とは関係ない」というものがある。要するに、ひとたびボールがバットに当たってしまったら、インフィールド内に関しては、バッターはそれをコントロールできない。ホームランはバッターの技量であるが、ヒットはバッターの技量ではない。まあ、ファウルに関しては、スタンドに入れるのは、とりあえずバッターの技量といってよいと思う。

 つまり、ホームランを打つ練習は出来ても、多少の例外を除いて、ヒットを打つ練習は出来ないのである。まあ確かに、わざと芯を外す練習をしていたなんていう、篠塚みたいな事例もあるけれど、それは極めて少数派であろう。ほとんどのバッターは当てるまでの練習しかできない。当たった後、それがヒットになるかアウトになるかは、ほとんどのバッターはコントロールが出来ない。「あとはボールに聞いてくれ」である。

 「打球が速いほど、ヒットになりやすい」と主張する人がいるけれど、それは間違っている。「当たりが良すぎて、何とやら」は野球の日常である。「打球が速いほど、ホームランになりやすい」だろうが、「打球が速いほど、ヒットになりやすい」ではない。

 ただし、「打球がヒットになるか否か」はバッターの力量では無いかもしれないけれど、足の速い人ほどヒットにはなりやすい訳であるから、これを「バッティングの技量」と云って良いかもしれない。多少、意見は分かれるであろうが、「飛距離」や「選球眼」等々と並んで、「バッター」のひとつの能力であるとは云えると思う。実際、「セイフティバント」は例外的に「狙ってヒットを打つ技術」である。

 ちなみに、所謂「エラーによる出塁」は「出塁率」に加算しないけれども、このように考えると、「エラーによる出塁」も「ヒット」や「四死球」と同等に考えても良いと思う。
 実際、同じプレイ、例えば「一塁手の落球からの拾い直し」も、足が遅ければアウトになるか、足が速ければヒット(でも、記録上は大概エラー)になる。これは、バッターの能力のひとつではないだろうか。

 「エラーによる出塁」の問題はともかくとして、以上のように考えると、単打と二塁打と三塁打と本塁打の価値をそれぞれ変えている「長打率」はバッターの真の価値を表していないという事になる。二塁打と三塁打は単打と同様にみなすべきであろう。狙って、二塁打や三塁打は誰も打てないのだから。まして、ランニングホームランなんて、バッターの力量とは全く関係ない。ほとんど「エラー」みたいなもんである。足の速い遅いはあるけれど。

 まあ、「フェンス直撃」は「準本塁打」とみなして、バッターの力量に換算しても良いかもしれないけれど、そのほかの二塁打や三塁打、ランニングホームランは単打と同じく計算すべきであろう。それが、セイバーメトリクス的思考だと思う。「足の速い遅い」は一考の余地があるとして、「三振」と「四死球」、「ホームラン」と「フェンス直撃」がバッターの力量を表す要素の全てだと思う。「ヒット」と「凡打」はそれら以外とみなして、切り捨てるべきである。まあ「ファウル」をどう考えるべきかという問題は多少残るけど。それは誰か考えてね。

 あと、「OPS」という指標のもう一つの問題として、「出塁率」+「長打率」が「OPS」なので、すなわち単打が二重に換算されているという点がある。四死球の換算率をどう見るかは、ちょいとややこしい計算になるので、ここでは省く。ただし、「単打」は、はっきり二度取りされている。二重計上である。

 厳密に云うと、二重計上ではないけれど、単打の価値が上がってしまっている事は間違いない。

 また、これは「OPS」ではなく、「長打率」の方であるが、「本塁打の価値は、果たして単打の4倍か」という問題も、依然残っていると思う。もしかしたら、2倍かもしれないし、8倍かもしれない。ただし、現状は、「4塁打」という事で4倍で計算している。「2塁打」「3塁打」にも、同様の問題がある。

 長打の価値はともかくとして、単打の二重計上という問題もあり、この「OPS」という指標では、「打率を残しつつ、ホームランを打つタイプのバッター」、すなわち、中距離バッターが有利になってしまう。

 日本のバッターでいうと、王は別格としても、落合や張本のようなタイプに有利な指標であろう。逆に、野村や田淵のような純然たるホームランバッターは不利であるし、イチローや若松のような純然たるアベレージヒッターも同じく不利であろう。

 じゃあ、中距離ヒッターが、ホームランバッターやアベレージヒッターより、よりチームを勝利に導くかといったら、そんな事は無いであろう。張本や落合は、ぶっちゃけ、あまりチームの勝利の貢献しないタイプのバッターであった。それは、中距離ヒッターというバッターのタイプとは関係ないかもしれないけれど。

 勿論、私も「打率」をバッターの唯一の指標とする考え方には大反対だけど、「OPS」だって、胡散臭さにおいては、「打率」とさほど変わらない。いくらかマシという程度であろう。
 つかまあ、「セイバーメトリクス以前」だって、「打率」「本塁打」「打点」の旧三大指標でバッターの価値を定めていた訳であるし、その方法が、そんなに大きく間違えているとは思えない。まあ、「打点」は要らないかもしれないが。

 また、「OPS」は、「出塁率」と「長打率」を加算してしまったために、かえって、分かりづらくなっているという側面もある。「OPS」を見ただけでは、「出塁型」の選手なのか、「長打型」の選手なのか、区別がつかない。「打率」と「本塁打」、あるいは「出塁率」と「本塁打」で分けてあった方が、分かり易いだろう。無駄な加算だと思う。しかも、分母の異なる分数の足し算だし。誤解を生みやすい数値だと思う。ビル・ジェイムスは算数が苦手だったのかしら。

 単打の二重加算の問題もあるし、私だったら、似たようなものとして、次のようなものを考案する。

 分母に関しては、犠飛や犠打、野選の問題があるので、とりあえず、「全打席数っぽいもの」としておこう。それで、四死球と塁打数の合計を割ればよいのである。すなわち、「四死球と塁打数の合計」÷「全打席数っぽいもの」=「私版OPS」である。こちらの方が分かり易い位と思う。「エラーによる出塁」は、とりあえず、今回は省く。

 つう訳で、野球通お得意の「セイバーメトリクス」も「セイバーメトリクス以前」と同様、疎漏の多いものだと思う。とりわけ、うかつな人が用いると、ほんとマヌケな結果になってしまう。

 例の「バント論争」もそのひとつであろう。セイバーメトリクス信者は、それこそ鬼の首でもとったかのように、しかも、自身が考案した訳でもないのに、所謂「初回から、バント戦法」を否定し、その得点率の低さを指摘するけれど、「バントした結果、そのイニングに得点できるか否か」と「初回から、バント戦法」は全然関係が無い。

 「初回から、バント戦法」の骨子は、「出塁したランナーは確実に得点圏に送って、ピッチャー、そうして守備陣を疲弊させよう」という戦略である。そのイニングに得点できるか否かは問題ではない。
 そうして、この戦術を用いて、巨人がV9を達成し、王者西武がそれに追随したからこそ、多くのチームがそれに追随したのである。「得点率云々」は完全にナンセンスな議論だと思う。

 また、「セイバーメトリクス」、とりあえず「現行のセイバーメトリクス」が正確なものであるならば、FAやドラフトの成功率はもっと上がっている筈であろう。私のささやかな見聞の範囲では、「セイバーメトリクス以前」と「セイバーメトリクス以後」で大きな改善があるとは思えない。「ほとんど変わっていない」という印象である。まあ、「この手の成否率は、誰かが成功すれば、同じ数だけ誰かが失敗する、すなわち、勝負事においては勝ち星と負け星は必ず同数なのだから、どこまで行っても変わらない」という説も無くは無いが。

 あと、「セイバーメトリクス」の負の遺産、つうか副作用と云うべきものは、全てのバッターを一つの基準で評価してしまったという点があると思う。1番から9番までといったら大袈裟だけど、バッターというのは1番から5番ぐらいまでは、バッティングの目的、すなわち性質が異なる。ベタなところで云えば、1,2番は出塁重視だろうし、3,4番は長打重視であろう。そのほか、細かく言い出せば、様々な評価基準がある。「打率」にも「出塁率」にも換算されない好プレイというのは、野球には沢山ある。いや、むしろ、そちらを重視すべきが野球というスポーツ、とりわけ野球というスポーツの面白さであろう。なにしろ、ヒットをバッターはコントロールできないのだから。「3割のヒットより、7割のアウトの方が大事」、である。ところが、現状、ヒットの内容や価値を測る指標や評価基準はあるけれども、アウトの内容や価値を測る指標や評価基準は無い。「セイバーメトリクス」は、それを用意しているのかしら。

 それはともかくとして、各バッターの目的をほとんど排除して、いくつかの評価基準で、全選手を評価してしまった結果が、1番から9番まで、力量に差こそあれ、似たようなタイプのバッターの並ぶ現状の大リーグなのだと思う。「2番バッター最強説」なんていうのは、その象徴なのかもしれない。どういう計算をしたのか知らないけれど、典型的な「間抜けセイバーメトリクス」だと思う。スパンジェンバーグが全体10位だと知って、私はちょっと驚いたけれども、スパンジェンバーグもセイバーメトリクス的には良い選手なのかもしれない。

 このように書くと、「野球で1番バッターから始まるのが確定的なのは初回だけなのであるから、打順によるバッターの役割は、あまり意味がない」と反論する方もあろうが、確かに、「1番バッターから始まるのが確定的なのは、初回だけ」であろうが、「打順自体は常に変わらない」。1番バッターの次は、常に2番バッターだし、2番バッターの次は、常に3番バッター、以下順繰り、である。そうして、これは不変である。4番バッターの後を1番バッターが打ったり、8番バッターの後を3番バッターが打ったりは、絶対にしない。となると、「打順」による「バッティングの性質」は存在する、あるいは必要となる。
 で、それを掬えない「セイバーメトリクス」は不完全と云えるであろう。そういう「セイバーメトリクス」もあるのかもしれんけど。

 極端な例えになるかもしれないが、フットボールにおいて、「QBレイティング」(これまた、胡散臭い指標)で、全選手、すなわち、WRやLB、OT、PやKを評価しているようなものである。あるいは、「足の速さ」という指標のみで、全選手を評価しようとしているようなものである。そんな馬鹿な話はないであろう。

 ところが、現今の「セイバーメトリクス」は、「1,2番バッター」も「3,4番バッター」も同じ基準で評価しているのである。それは、おかしな話であろう。

 「1,2番バッター」は、一般的には「足の速いバッター」みたいに思われているけれど、それは「1,2番バッター」の「手段」であって、「目的」ではない。「1,2番バッター」の「目的」は、「3,4番バッターをより楽に打たす事」である。その「目的」のための「手段」が、「足が速い」であったり、「出塁する」であったり、「球数を投げさす」な訳である。

 土井だったか柴田だったかが、「私たちの仕事はONの成績をよくすること」と言っていたけれど、それは全くその通りである。高橋慶彦も似たような事を言っていた。

 その「目的」を達する為、自然、自身の打撃成績は悪くなるだろうけど、そこは、監督なりフロントなりが配慮すべきであろう。

 ところが、それを「配慮」出来ないのが、「セイバーメトリクス」である(いや、してんの?)。で、結果、同じようなバッターばかりがズラリと並び、結果、得点能力も低いのである。現今の大リーグの打率低下には、「フライボール革命」や「ピッチャーの球速アップ」の他に、この理由も絶対あると思う。
 
 また、非常に特殊な評価基準、例えば野村克也のみが使う「見逃し方の良し悪し」なんていうのは、「セイバーメトリクス」では掬えないもののひとつであろう。

 統計学的手法というのは、戦略や戦術といったものを計算しにくいのかもしれない。将棋や囲碁の所謂「評価値」も同様であろう。

 あれも不思議な数値で、例えば「評価値70%」とは、一体何を指しているのだろう。「この局面から指したら、10回中7回勝つ」という事なのか、それとも、「この局面からの全分岐の70%が勝利、30%が敗北」という事なのだろうか。いまいち、よく分からん。分かっている人はいるのだろうか。

 でも、「全分岐の70%の勝利」も、それらが全て300手以上かかるものばかりで、非常に複雑な手順を含むものばかりである一方、「30%の敗北」すなわち「敵方の30%の勝利」が、どれも皆30手ぐらいで、手順も簡単なものばかりだったら、実戦的には「30%」の方が勝率は上がってしまうであろう。まあ、その300手以上の複雑な手順を正確無比に指すのがプロだとも言えなくはないが。

 また、これは「セイバーメトリクス」とは直接関係ないかもしれないが、例えば「常に10−0で勝つチーム」と「常に1−0で勝つチーム」では、統計学的には、前者が強い事となるであろう。
 だが、我々の実感的には、後者の方が強いと思う。直接対決したら、おそらく後者が勝つであろう。また、「常に10−0で勝つチーム」ではなく「常に10−3で勝つチーム」となら尚更である。でも、統計学的には「常に10−3で勝つチーム」は「常に1−0で勝つチーム」より強いとなる。これも数字のパラドクスである。

 以上、このように書くと、私は「セイバーメトリクス否定派」のように思われるかもしれないが、先にも書いたように、概ねは「肯定派」である。

 例えば、「流れ」なんていうのは、私は完全に否定している。

 「流れ」っていうのは、そもそも定義自体が曖昧だけれど、例えば「ピンチの後にチャンスあり」みたいなのが、典型的な「流れ」であろうが、野球なんていうのは、そもそも三者凡退なんて9イニング中3イニングぐらいしかないのだから、大概「ピンチの後にはチャンスがある」のである。
 「何を以って、チャンスか」という問題はあるにせよ、「ピンチの後にチャンスあり」という実感は、私の野球観戦歴ン十年には無い。むしろ、「ピンチの後にチャンスが来ない」の方が多い印象すらある。これらは、おそらく、統計を取れば、「蓋然性どおり」という結果が出るであろう。

 そもそも「流れ」なんていうのは、目の前で何が起こっているのか分からない解説者が、それでも何かを言わねばならない場合に重宝される言葉でしかないと思う。そういう解説者にとっては、非常に「便利な」言葉であろう。「流れ」といっておけば、「一切」が解決するのだから。

 一方、先の「OPS」と同じく、「セイバーメトリクス」の怪しげな主張のひとつに「勝負強さ」の否定があるけれど、これを私は否定も肯定もしない。少なくとも、「セイバーメトリクス」はこれを上手く説明できていないと思う。

 例えば、「ジーターはプレイオフでもレギュラーシーズンでも打率はほとんど変わらないから、『勝負強く』ない」という主張があるけれど、これは証明がおかしいと思う。だって、プレイオフだって、どーでもいい場面は多いからである。初回の攻撃なんて、勝敗に、間接的にはともかく、直接的には影響ないであろう。

 「『勝負強さ』というのは、試合を決める場面で何ができるか」である。例えば、サヨナラの場面、1アウト・ランナー3塁で外野フライを打てる選手は「勝負強い」と云えるだろうけど、打率は変わらない。同じ場面で、内野ゴロでランナーを還したら、むしろ打率は下がってしまう。いや、この場合は下がらんのか。でも、それは「勝負強い」プレイだとは云えるであろう。何しろ、勝利を確定しているのだから。

 また、「試合の価値」という問題もある。ぶっちゃけ「消化試合」の成績は何の価値も無いよね。両チームともに、「勝とう」と思っていないのだから。
 下手すりゃ、「負けたい」と思っているチームすらある。日本のプロ野球では、それはほぼ無いだろうけど、アメリカのプロスポーツには、所謂「タンク問題」がある。そういうチームにとっては、「良い成績」は、すなわち「悪い成績」であろう。「余計なとこで、打ちやがって」、シーズン終了間際恒例の悲喜劇である。結果的に、「笑い話」で済まなかったチームもあるけどね。

 それはともかく、「打率」だけでは「勝負強さ」は測れないであろう。まして「得点圏打率」なんてのは意味の無い数字である。

 例えば、「同点で迎えた9回の裏に、2アウト・ランナー無しからサヨナラホームランを打つ」事は、「勝負強い」と云えるだろうが、「得点圏打率」には加算されない。
 また、「1点ビハインドでの、2アウト・ランナー1塁から、逆転サヨナラツーランホームランを打つ」のは、もっと「勝負強い」だろうけど、やっぱり「得点圏打率」には加算されない。

 また、例えば、1,2番バッターは通常得点圏打率は高いものであるが、これは1,2番バッターが「勝負強い」訳では無く、「1,2番バッターが得点圏で打席に立つ」という事は、すなわち「7,8,9番バッターが塁に出ている」、すなわち「7,8,9番バッターに打たれる程、ピッチャーの状態が悪い」という事である。そりゃ、打って当たり前であろう。

 まあ、勿論、実際は、そういう場面だとピッチャー交代になる事が多いので、一概には言えないけれど、1,2番バッターの得点圏打率は高くて当たり前である。「勝負強さ」とは、何も関係ない。

 つかまあ、「ランナーが得点圏にいる」って事は、すなわち、ピッチャー側から見れば、ピンチという事なのだから、打率が上がるのは当たり前である。つか、セットポジションなのだから、上がって当たり前である。下がる方が異常である。セットポジションの方が被打率が下がるというのなら、ワインドアップの意味が無くなってしまう。

 かつて、あの原辰徳が獲得して、その信憑性を失い、消滅した「勝利打点王」同様、実態を表さないスタッツであると思う。まあ、もしかしたら、原は本当は「勝負強い」バッターだったのかもしれない。「『勝負強さ』は無い」というセイバーメトリクスの主張の裏書きのひとつなのかもしれない。なんか、論理が錯綜してきた。

 以上、「セイバーメトリクスの胡散臭さは、セイバーメトリクス以前とあまり変わらない」というお話でした。

 そのセイバーメトリクス的には、どう評価されているのかは皆目分からないが、現今日本プロ野球最大の話題、村上のメジャーリーグ行きはどうなりますやら。今の、というか今も昔も日本のプロ野球には、メジャーリーガーのような速い球を投げられる投手はいないので、なんとも判定のしようがない。佐々木にしても、メカニック自体が大きいので、その球速表示程には、速さが感じられない。メジャーリーグの投手のスピードは、もう1ランク上である。手投げで速いっていうのが、メジャーリーガー。

 で、その村上、今季のMVPはほぼ確定、つか、犯罪行為でも犯さない限り、絶対確定だろうけど、これって「紛う事なきMVP」だよね。ちょっと珍しいと思う。今まで、というか通常のMVPは、リーグで立派な成績を収めるか、優勝チームの中で最優秀の成績の選手に贈られてきた。後者は、所謂「チームを代表して」である。
 でも、今季のヤクルト、村上の力で勝ったゲームが、低く見積もっても、10ゲームはある。広く見積もれば、ヤクルトの勝利の半分くらいが村上のバットによるものじゃねーかつうぐらいの、圧倒的なMVP、まさしく最高殊勲選手である。ちょっと珍しいパターンだと思う。私は、前例がパッと思いつかない。全盛期の長嶋が、こんな感じだったのだろうか。

 逆に、3度の三冠王全てで優勝できなかった落合、あるいはロッテってどういう事?、とも思う。しかも、当時は王者西武が完成する直前だしね。実際、1984年のブーマーは優勝しているし。1982年はともかく、1985年1986年くらいの成績を残すバッターがいて、優勝できないって。逆に「優勝できない」、それこそ、落合が奇跡的なくらい「勝負弱かった」のかもしれないが。「打点」とか「得点圏打率」とかではなく、本当の「勝負所」でね。まあ、当時のロッテがどんな調子の野球をしていたかは、異常なロッテファン以外は知る由も無いので、如何とも言えんが。

 でもまあ、流川が「日本一の選手は、チームを日本一に導く選手」と言ったけれども、バスケットボールなら、それこそマイケル・ジョーダンみたいな選手も有り得るだろうけど、つか、いなきゃ勝てないのがバスケットボールというスポーツだろうけど、同じチームスポーツとはいえ、根本的に分業制の野球というスポーツで、一人の選手が、これだけチームの勝利に貢献したって事例も珍しいと思う。

 強いて云えば、古田だろうけど、古田の場合は、無論本人の力量もあるが、ポジション的な理由が大きい。あとはまあ、大魔神佐々木やマー君ぐらいか。それでも、今季の村上に比べると、落ちると思う。それに、彼等はピッチャーだしね。4番サードというポジションで、それが出来たのは奇跡に近いと思う。あとは、長嶋や王か。でも、長嶋や王が比較対象となる選手が現れるとは。生きてみるもんだね。

 もっとも、大谷が、そのまま日本でプレイしていたら、シーズン100本塁打&30勝&防御率0点台を同一シーズンで達成していたかもしれないが。

 つか、ヤクルトの優勝(予約中)って、村上の分だけじゃねーかって気もする。例えば、村上が中日や日本ハムにいたら、中日や日本ハムはそれぞれ優勝していたかもしれん。それくらいの活躍だったと思う。1985年のバースでも、ここまでの価値は無かったんじゃないかなあ。1985年の阪神は、「準バース」くらいの選手でも優勝していたと思う。例えば、「オマリー」くらいでも、優勝できていたと思う。でも、今季のヤクルトは「準村上」じゃあ優勝できなかったろう。「準村上」を実名で喩えるのは、語弊が生ずるので、自粛させていただきます。

 日本ハムといえば、日ハムのポンセがノーヒットノーランを達成したが、ポンセは日ハムじゃないでしょう、大洋でしょう。日ハムはイースラーでしょう。違和感がハンパ無い。

                         掃除機を新調した。掃除がしたい。2022/8/31(水)

 だいぶ前の話柄であるが、補足の補足。

 前回ちょいと触れた「本塁打の価値」について、ちょいと考えてみたい。

 まず、単純に「打ちやすさ」あるいは「打ちにくさ」について検討してみよう。

 例えば、2022シーズン、村上は本塁打を56本打ったが、単打は77本。「単打:本塁打」は「1.375:1」(プッ)。

 まあ、村上を例にすること自体、間違っているだろうが、村上にとって、本塁打は単打に比べ、およそ1.3倍打ちにくいという事になる。

 勿論、本来は、全選手の「単打:本塁打」を調べるべきだろうけど、それはしない。面倒くさいのもあるが、そんなのは意味がないからである。
 なぜなら、「打ちにくさ」で比較してしまうと、「三塁打」の価値が暴騰してしまうからだ。ちなみに、今季の村上の三塁打は1本、単打に比べ77倍打ちにくいという事になってしまう。ちなみに、二塁打は21本である。

 村上が今季初めて三塁打を打った時、「村上は足も速いのに、三塁打が一本とは意外だ。」みたいな事を言う人もいたが、普通に考えれば、村上みたいな強打者の時には、外野手は深く守るだろうし、良い当たりがそのまま本塁打になってしまう事も多いだろうから、「三塁打」は強打者にとっては不利な記録だとは云える。ちなみに、村上はキャリア通算でも三塁打は三本しか打っていない。

 もし、二塁打や三塁打が強打者にとって「打ちやすい」ものであるならば、今シーズンの「二塁打王」と「三塁打王」も村上になるべきであろう。なにしろ、「OPS」ダントツトップなのだから。
 でも、現実は違うのだから、強打者にとって、二塁打や三塁打は「打ちやすい」ものではないという事になる。

 もっとも、同じ強打者でも大谷や佐藤輝のように三塁打を量産する選手もいるから、一概に「強打者に不利」とも云えない。「打球の特徴」とか「三塁への意欲」みたいなものも加味されるのだろう。

 ただ、いずれにしても、この「三塁打」と「二塁打」があるので、「打ちやすさ」や「打ちにくさ」で、「本塁打の価値」を定める事は出来ない。

 で、もうひとつ、「本塁打の価値」を定める方法として考えられるのは、「ゲームにおける価値」がある。

 実際、本塁打が単打に比べて4倍の価値があるとされているのは、これが主な、あるいは唯一の理由であろう。本塁打は1本で1得点できるのに対し、単打は4本打って1点だからである。

 とは云うものの、今時、単打4本打って1点なんて、そんな「敬老会」みたいな、あるいは「野球盤」みたいな野球は無いであろう。少なくとも、「プロレベル」では批判の対象になってしまう。

 単打3本で1点が通常の計算であろう。

 となると、本塁打を単打の4倍と規定している「長打率」は「本塁打」を過大評価しているという事になる。この分だけ、「単打型」のバッター、所謂「アベレージヒッター」は損をしているという事になる。
 一方で、ホームランバッターは、前回の記事に書いたような理由、すなわち「単打の二重計上」とい理由で損をしているから、結果、OPSは、その中間の所謂「中距離バッター」に有利な指標になってしまっていると思う。「単打が多く、本塁打もそこそこ打てるバッター」である。

 で、ここで、話がちょっと逸れるのであるが、「単打3本で1点」について、もう少し考えてみたい。

 「単打3本で1点」というと、すなわち、1本目でランナー1塁、2本目でランナー1,2塁あるいはランナー1,3塁、そうして3本目で得点という訳であるが、これを、「単打2本で1点」にするのが、所謂「送りバント」である。1本目でランナー1塁、「送りバント」でランナー2塁、で、2本目で得点という訳である。

 すなわち「単打2本+送りバントで1点」に出来るのが、「送りバントの効用」という事になる。その代償として、アウト一つを計上する訳である。最近(でもないか。)流行の言葉で表すなら、その「バント」と「アウト一つ」が等価交換であるか否かが、所謂「送りバント論」の肝という事になろう。

 で、ここでそれを単純計算してみたい。

 まず、1アウト・ランナー2塁からヒット1本が出る確率はというと、単純に3割バッターが2人続くと仮定すると、「ヒットが1本も出ない確率」は70%×70%=49%なので、まあまあ50%くらいが、ヒット一本出る確率、すなわち得点できる確率という事になる。私の実感的にも、そんな感じである。違和感はない。
 ちなみに、2割バッターが連続すると、80%×80%=64%なので、35%くらいが得点確率という事になる。逆に、4割バッターが連続すると、60%×60%=36%なので、65%くらいが得点確率という事になる。見事に数字がひっくり返っているね。

 まあ、65%〜35%というのが、1アウト・ランナー2塁からヒット1本、つうか1本以上出る確率と考えて、まず間違いないであろう。実感とも一致する。

 一方、ノーアウト・ランナー1塁からヒット2本出る確率はというと、これは、上記より、ちょいとややこしくなる。

 3割バッターが連続すると仮定しよう。

 まず、そこから3者凡退してしまう確率は、70%×70%×70%=34.3%、およそ35%くらいという事になる。

 また、ヒット1本しか出ない確率はというと、30%×70%×70%×70%=10.29%、およそ10%くらいという事になる。
 そうして、これが1番目のバッターから3番目のバッターまで、それぞれ3パターンあるので、10%×3=30%というのが、「ヒット1本しか出ない確率」という事になる。

 んで、この「ヒット1本しか出ない確率」と「3者凡退してしまう確率」の合計65%の裏返し、35%が「ノーアウト・ランナー1塁からヒット2本、つうか2本以上出る確率」という事になる。

 で、これを「1アウト・ランナー2塁からヒット1本以上出る確率」から引くと、50%−35%=15%、すなわち15%が所謂「送りバントの価値」という事になる。これを高いと見るか低いと見るかは意見の分かれるところであろうし、これがすなわち、所謂「送りバント論争」の肝であろう。

 まあ、勿論、ノーアウト・ランナー1塁からの得点というのは、なにも「ヒット2本」に限らず、他にもいろいろ得点する方法はある。

 例えば、「長打」である。ホームランは無論の事、二塁打三塁打でも、当然得点できる。そうして、この場合は、そのチャンスが2度しかない「1アウト・ランナー2塁」より、チャンスが3度ある「ノーアウト・ランナー1塁」の方が、その確率は高いであろう。
 また、その他のプレイ、エラー等が発生する確率も、当然「ノーアウト・ランナー1塁」の方が高いであろう。そうした諸々を計算すると、「ノーアウト・ランナー1塁」の方が「1アウト・ランナー2塁」より得点確率が高いという事になるのであろう。

 あと、もうひとつ、「ノーアウト・ランナー1塁」からヒット1本が出て、「ノーアウト・ランナー1,3塁」。そうして、そこから犠牲フライで得点というパターンもある。

 でも、これ、「送りバント」と同じだよね。「単打2本+犠打」という事だよね。ただ、「送りバント」の場合は、ヒット、バント、ヒットの順番で、「犠牲フライ」の場合は、ヒット、ヒット、犠飛というだけで、扱いは同じにすべきだよね。「送りバント否定論者」は、当然そういう修正補正計算はしているのであろう。

 「送りバント否定論者」は、彼等のスーパーコンピューターで、そういう修正補正計算を重ねに重ねて、スーパーコンピューター1兆分の1レベルといわれる私の頭脳(それでも、高いの?)が弾き出した「15%の優位」を覆したのであろう。

 まあ、もっとも、ここに算出したのは、あくまで「机上の計算」なので、「送りバント否定論者」がその根拠としたのは、こういう謂わば「机上の計算」ではなく、過去のデータ、すなわち「統計」なのかもしれない。

 ちなみに、この所謂「机上の計算」を完璧に行うのが、所謂「コンピューターによるシュミレーション」という奴で、その廉価版が、MADDEN等々のテレビゲームのシュミレーションモードである。
 私は、コンピューターの世界には疎いので、それが現在どのレベルなのかは皆目分からないけれども、それが「完全」に到達すれば、実際のゲームと同じ結果が出る事になる。すなわち、わざわざ「実際にゲームする」必要は無くなる訳である。ケガも皆無だしね。ファン・ノイマンの「天気予告」みたいなもんだね。素人目で見ても、「天気予告」以上に、はるかに難しそうな計算だけど。

 で、その難しそうな計算を避けて、とにかく過去の結果から未来を予想しようというのが、所謂「統計学」である。「送りバント否定論」は、その「統計学」より弾き出された結論なのかもしれない。

 でも、その過去のデータがアメリカの野球、とりわけメジャーリーグだったら、あんまり意味無いよね。

 だって、メジャーリーグの場合、「送りバント」をするのは、大概「接戦の終盤」であろうからである。日本のプロ野球と違って、「初回から送りバント」なんて、まずないであろう。

 そうして、そういう「接戦の終盤」であれば、当然「ピッチャー交代」もあろうし、何より「ピッチャーの気持ち」が違う。所謂「ギアが上がる」である。

 そうなれば、当然、「ノーアウト・ランナー1塁」より「1アウト・ランナー2塁」の方が得点しにくくなるであろう。

 「いやいや、ピッチャーのギアが上がるのなら、その分、バッターのギアも上がるのだから、互角ではないか。」という反論もあろうが、それは違う。バッティングというのは本質的に「受け身」なので、バッター側でギアを上げたり下げたりは出来ないのである。

 だからこそ、「ギアを上げる」というテクニックというか、方法が、日米を問わず、古今を問わず、ピッチャーにあり、それ故、得点圏打率の低いバッターが存在するのである。

 私は、先に、「得点圏打率の低いバッターなんて、有り得ない」みたいな事を書いたけれども、「得点圏打率の低さ」には「配球の読みの拙さ」もあるけれど、もう一つの理由、そうして、より大きな理由はこちらである。「ギアを上げたピッチャーから、打てない」である。こういう点から見ても、バッターは常に受け身であり、野球というスポーツが常にピッチャーにアドバンテージのある理由が良く分かる。

 「いやいや、だとしたら、尚更、送りバントはしない方が良いのではないか」という反論もあろう。そう、その通りである。そこで、前回の主張に戻るのである。「初回からの送りバントは、ピッチャーを疲れさせるため」である。バントは「接戦の終盤」より、むしろ「初回や序盤」にこそ、すべきなのである。「得点する」為ではなく、「ピッチャーを疲れさせる」為に、である。

 初回から、1アウト・ランナー2塁の状況になったら、ピッチャーは力を入れざる得なくなる。初回なんていうのは、10段階なら3ぐらいの力でチャチャっと終わらしたいのがピッチャーであるが、ランナー2塁となれば、そうはいかない。10とはいわないまでも、6ぐらいの力は出さざる得ないであろう。

 初回の1失点でゲームが決まる事は、まず無いであろうけれど、失点すれば、防御率は下がるし、監督・コーチにも怒られるであろう。そうして、もしかしたら、スミイチで負けてしまう可能性も全くない訳では無い。だとしたら、ある程度、力を入れざる得ないであろう。当然、「球数」も増える。ランナー2塁だと、古今東西あらゆるピッチャーの大好物、ダブルプレーの可能性も、ぐっと低くなってしまう。

 そう、先発ピッチャーのギアを上げさせるのが、「初回送りバントの本質」なのである。

 というのが、「初回送りバントの本質」であろうが、それはともかくとして、送りバントが「接戦での終盤」に限られるメジャーリーグで、「統計」を取れば、上記の「ギア上げ問題」もあり、「統計学」的な数値も落ち、「送りバント否定論」という事になろう。

 と、まあ、こんな書きぶりだと、私が「送りバント否定論否定論者」のように見えるかもしれないが、私も、大昔は、どっちかつーと「送りバントなんて、あんま意味ねんじゃねーーーかな。」と漠然と思っていた口であった。
 と思っていたところ、20年くらい前かな、この「送りバント否定論」とその数値を知って、たしか10%くらいしか差が無かったと思うが、「思っていたより、差がねーんだな。これならバントした方が良いかも。」と思ったように記憶している。
 その数値の記憶は曖昧だけれど、50%と40%とかそんな感じだったかな、とにかく、昨今の「送りバント否定論者」が、鬼の首でもとったように、否定する程の数字では無かったように記憶している。

 という訳で、「送りバント」に関しては、私は「どっちでいい派」、あるいは「試合の状況派」なんだけど、「2番バッター最強論」は「完全否定派」である。

 この「2番バッター最強論」に関しては、説得力のある理由、というか理由自体を、私は全然聞いた事が無いというのが、私の否定論の大きな根拠なのだけれども、それよりなりより、理屈じゃねーーーー。実感として、全然得点できていないから、大嫌いなのである。しかも、その目の前の現実がありながら、「アメリカでは、」とか「最新の研究では、」とか言っている連中を見ると、ほんとウンザリする。冗談抜きで「死んでくれ」と思う。そういう人達は、社会にとって有害だと思う。

 日本のプロ野球はともかくとして、最近のメジャーリーグは、ほんと打てねー。打てない理由は色々挙げられているけれど、そのひとつに「2番打者最強論」もあると思う。ってか、ある。

 この「2番打者最強論」で、一番イライラするのは、4番以降のバッターが全然打てねーって事である。1番から3番で得点できないと、あとは無力で、4番以降、それこそ2イニング丸々捨てているようなもんである。

 これが、2番に所謂「つなぎ役」を入れるのなら、この無力な6人のうち1名は、謂わば「有効活用」できる訳だが、「2番打者最強論」だと、それは無い。ただ「無効」なバッターが一人増えるだけである。

 それこそ、エンジェルスのゲームなんか見ていても、とにかく大谷とトラウトの長打を待っているだけ。そういう打線である。しかも、1,2番バッターでピッチャーにプレッシャーを掛けて、大谷とトラウトをより打ちやすくするなんて芸当もないから、とにかく両者の個人技に頼るしかない。

 勿論、4番以降も「打てるバッター」を揃えられるなら、この「2番バッター最強論」も機能するだろうが、この「仮定」は無意味だよね。「4番以降も『打てるバッター』を揃えられるなら」、2番バッターが最強でなくても、得点できるのだから。

 でも、「2番打者最強論」が、もし無意味、あるいはマイナスの戦略である事が判明したら、トラウトは、この戦略のために、キャリアを失った事になるよね。
 これだけ打てるバッターがいて、ワールドシリーズはともかく、プレイオフにも、ほとんど出られないなんて、ちょっと過去に例がない事だと思う。昨年のゲレーロJr.や今年のジャッジみたいに、三冠王レベルで打たないと機能しないのが「2番打者最強論」であると思う。つか、ジャッジを4番に置けば、ヤンキースはもっと楽々勝てたであろう。ワールドシリーズ制覇はともかくとして。

 「1,2番バッターが3,4番バッターを助ける」と私は書いたけれども、その助けられた3,4番バッターが先発ピッチャーを打ち崩す事により、中継ぎのピッチャー、あるいは負けパターンののピッチャーが登板する事となり、1,2番バッターのみならず、5番以降のバッターも、より打ちやすくなるのである。
 それが打線というものであろうし、個人競技的色彩の強い野球というスポーツにおける数少ないチームプレイの側面だと思う。「情けは人の為ならず」である。他人の為にした事は、巡り巡って、自分を助けるものなのである。

 ところが、「2番打者最強論」だと、それは無い。ただ、少しづつ打てなくなっていく順番にバッターが並んでいるだけである。ピッチャーは楽であろう。カウントが悪くなったら、歩かせて、次で勝負すればよいのだから。しかも、最近は、セイバーメトリクスの影響というか、「マネーボール」の影響というか、バッターは喜んで四球を選ぶ。ピッチャーサイドから見れば、願ったり叶ったりであろう。

 しかも、チーム一打力のある1,2番バッターの前は、ラインナップで最も打力の無い8,9番バッターである。楽な事この上ない。ホント「2番打者最強論」はおかしな戦略だと思う。

 で、ここで、儚げな空想をしてみる。それは野球というスポーツの始まった頃である。今でいうクリケットみたいなものだったのかな。
 
 おそらく、その頃は、ただ打力の高い順に打線を組んでいただろう。現行のクリケットが、どんな調子なのか全く知らないけれども、最初期の野球の打順は、そういうものだったと思う。

 ところが、そこにちょいと頭の良い人が現れて、最も打てる人の前に出塁率の高い人を置いた。それが「4番打者最強論」の始まりであろう。そうして、長打力、とりわけホームランが増していくにしたがって、この「4番打者最強論」がますます堅固になっていった。この妙ちくりんな「2番打者最強論」が現れるまでは。

 しかも、「盗塁は効率が悪い」なんて言い出して、盗塁も減っちゃって、それを増やす為にベースを大きくするなんて言い出す始末。
 盗塁が減ったのはベースが小さいからではないだろう。お前たちがサインを出さないからだよ。ホント、本末転倒だよ。

 もっとも、この手の「戦略」は金融業等々で財を成した人たちが、野球ビジネスに首を突っ込んできて、お得意の「統計学」を振り回しているだけなのかもしれない。彼等の「経済的成功」なんて、「統計学」の力は全然関係なく、ただの「幸運」に過ぎないのにね。って、それを証明している「統計」がある筈である。

 まあ、経済的に成功した人たちが、金に目がくらんで、あるいは、その華やかさに憧れて、「文化」の世界に首を突っ込んで、その「業界」をぐちゃぐちゃにしちゃうっていうのは、野球に限らず、映画、テレビ、ゲーム等々でよくある話ではある。日本のアニメや漫画の世界では、あまり聞かないけどね、不思議と。ビッグビジネスじゃないからかな。出資者、つうか、誰も儲からないようなシステムなのかのしれないが。あっ、消費者、享受者は儲かるか

 マンガビジネスはともかくとして、もういい加減に気付いて欲しいよね、お金儲けに熱中するっていうのは、それ以外にやる事が無いって事であると。人生に何の目的もない人たちは、お金を集める事そのものに熱中する。貯金なんて、使う目的の無いお金、すなわち無駄に働いちゃったって事の証だよね。死ぬ時、10億円の貯金を残した人と、10億円の借金を残した人、どちらが得をした人生だったかは、明々白々であろう。

 と、海の向こうの野球を罵倒したけれど、日本のプロ野球だって大同小異である。

 今年のの中日や阪神は、それぞれシーズンで20完封以上を喰らっているけれど、80年代90年代のプロ野球では、シーズン20被完封なんて、ちょっと考えられなかった。全盛期の阪神でも、そんなに完封されていないと思う。いや、されてっかもしれんけど。

 確か、全盛期の西武ライオンズには、被完封0のシーズンがあったと思う。

 「2番打者最強論」は日本のプロ野球には、まだ上陸していないけれども、「バント」は一昔前に比べると、本当に減った。初回バントなんて、ほとんど見ない。「2番打者最強論」はないけれども、「攻撃型2番」なんていうのは、定着して久しい。

 の結果がこれである。

 シーズン20被完封もそうだけど、各チームに打率0.250以下がラインナップされている。これも、一昔前、それこそ80年代90年代、とりわけ90年代には考えられなかった現象である。0.250打てない選手なんて、スタメンどころか2軍である。

 まあ、バントの減少だけが、打てなくなった要因の全てだとは云わないが、バントを含めた、チーム全体でのバッテリーに対する揺さぶりの減少が、日米ともに、バッターの打てなくなった要因のひとつではあると思う。

 今季のヤクルトが、比較的そういう野球をするから、村上が三冠王を獲ったとまでは云わないけどさ。

 その村上が、来季2番を打って、ヤクルトの得点力が倍増、せめて5割増しするのなら、私もシャッポを脱ぐ。

 で、話は変わって、中距離バッターの話である。

 OPSが中距離バッターに有利な指標であると先に書いたけれども、では、中距離バッターって、チームにどれほど役立つかについて考えてみたい。

 私はメジャーリーグについては詳しくないので、日本のプロ野球で考えてみるが、優秀な中距離バッターの多いチームは、そんなに勝てていないと思う。

 代表的なのは、ミサイル打線の大毎オリオンズとか張本がいた頃の東映だろうけど、両チームともに優勝は1回きりである。

 ちょっと時代が進ませると、片岡や小笠原のいたビッグバン打線が中距離バッター打線だろうけど、こちらは優勝していない。

 一方で、王朝的な一時代を作ったチームには、中距離バッターは存外少ない。

 V9の巨人だと、長嶋をどう見るかは意見の分かれるところだろうし、末次も、強いて云えば中距離バッターだろうけど、にしては打率が低すぎる。

 阪急王朝だと加藤秀司ぐらいで、マルカーノは、中距離バッターというには、末次同様、打率が低い。

 赤ヘルカープだと、水谷ぐらいである。山本浩二を中距離バッターと見る向きも無くはないであろうが、赤ヘル全盛期の浩二は、やはりホームランバッターと云うべきであろう。

 で、全盛期の西武ライオンズは、中距離バッターは石毛ぐらいで、秋山、清原、デストラーデ、皆ホームランバッターである。

 落合中日だと、福留と森野がいるが、森野は、中距離バッターというには打率、本塁打ともに物足りない。あと、この両者は、ちょうど入れ替わりみたいな関係である。

 あと、立浪もいるにはいるが、落合時代は晩年だし、そもそも立浪の場合は、打率、本塁打等々、スタッツ的には非常に物足りない選手であると思う。盗塁も少ないし。二塁打が多いのは特筆すべき点であるけれど、スタッツ的には、典型的な過大評価選手だと思う。先代のミスタードラゴンズ、高木守道とは比較の対象にもならない。

 ちなみに、ちょっと話はズレるが、立浪というのは面白い選手で、名球会入りした選手でありながら、代名詞的な打順やポジションが無い。

 例えば、王なら3番ファースト、山本浩二なら4番センター、福本なら1番センター、新井宏昌なら2番センターみたいな、名選手には、代名詞的な打順ポジションがあるけれども、立浪には、そういうパッと思いつくような打順ポジションが無い。

 守備位置はセカンドが最も長かったと思うが、打順は何番だったのかパッと思いつかない。3番みたいなイメージがあるけれど、90年代の中日の3番はゲーリーとかパウエルが務めていたように思う。3番立浪4番落合なんて記憶にねーし。

 おそらく、その頃は1,2番を打っていたようにも思うが、当時の中日の1番は彦野だし、とすると2番か。1番彦野2番立浪3番ゲーリー4番落合5番宇野6番仁村みたいな感じだったのか。でも、2番立浪というイメージはあんま無い。バントしているイメージもねーし。

 落合退団以降は、3番立浪4番外国人みたいな感じだったっけ。でも、あの頃は、3番パウエル4番大豊か山崎みたいな打順だったと思う。

 まして、00年代に入ると、1,2番はアライバになるから、立浪ではない。で、3番福留4番タイロン・ウッズ。とすると5番ぐらい打っていたって事になるのか。

 という訳で、名球会入りしているような選手なのに、代名詞的な打順ポジションが無い立浪っていうのは、非常に珍しいタイプの選手だったと思う。
 
 どんな打順やポジションでもこなせるって事で、所謂「器用貧乏」に陥ってしまった選手なのかもしれない。キャリアの早い段階で、1,2番とか3,4番とか5,6番とか打順を固定すれば、また違ったキャリア、スタッツを残せたのかもしれない。タイトルも二つ三つ獲れたかもしれん。逆に、名球会入り出来なかったかもしれないけどさ。

 閑話休題。

 という感じで、一時代を築いたチームには中距離バッターは案外少ないのである。優秀なホームランバッターと代名詞的な1,2番バッターというのが基本的なラインナップである。

 ただ、ちょっと例外的なのが90年代のヤクルトで、古田、秦、オマリー、稲葉と、比較的中距離バッターの多い打線であった。代名詞的な1,2番バッターもいなかったし、以前もどこかで書いたが、こういった意味でも、特殊なチームであったと思う。

 ちなみに、中距離バッターとはどういうバッターかというと、これは意外に定義しづらいのだけど、初めて獲ったタイトルが首位打者であるのが中距離バッター、本塁打王であるのが長距離バッターという言い方は出来るかもしれない。で、首位打者しか獲れないのが短距離バッターである。

 また、ホームランでレギュラーを奪うのが長距離バッター、単打でレギュラーを奪うのが中距離バッターと短距離バッターと云えるかもしれない。

 中距離バッターの話はこれくらいにして、ちょっと話は変わって、前回の記事でも、ちょいと触れた「勝負強さ」である。

 前回の記事で、「プレイオフの打率と『勝負強さ』は何の関係もねー」みたいな事を書いたけれども、では、「日本シリーズの打率の高い長嶋は、勝負強くないのか?」と反論される向きもあろう。

 確かに、長嶋の日本シリーズでの打率はレギュラーシーズンより高いけれども、長嶋の場合はオールスターゲームでの打率も高いんだよね。

 そうして、オールスターゲームっていうのは、当然、プロ野球のあらゆるゲームの中で、最も勝敗の価値の低いゲーム、すなわち「勝負強さ」の最も求められないゲームである。

 これをどう解釈するか。これは簡単だよね。日本シリーズとオールスターゲームの共通項を探せばいい。日本シリーズとオールスターゲームの共通項とは何か。

 それらは、日本でその日唯一開催されているプロ野球のゲームだという事である。まあ、日本シリーズの場合は、稀に唯一でない事もあるけれど(私は日本シリーズの裏で開催されているロッテ対南海みたいなカードを見た事がある。悲しいゲームだった。いや、スポーツニュースで見ただけだよ。現地じゃあ見てないよ。)。それはともかく、この二つのゲームの共通項は、その日唯一開催されているプロ野球のゲームである事に間違いないであろう。

 すなわち、当たり前だけど、最も耳目の集めるゲームである。そうして、そういうゲームこそ、最大限の力、あるいは最大限以上の力を発揮するのが、長嶋茂雄というプロ野球選手なのである。

 その極めつけは、申す迄もなく、あの天覧試合であろう。このゲームは6月のゲームだったので、ペナントレース的には、さほど価値の無い試合だった筈である。あくまで、レギュラーシーズンの1ゲームに過ぎない。

 ただし、「耳目を集める」という意味では、究極のゲーム、日本プロ野球史上最も「耳目を集めた」ゲームだったろう。そういうゲームで活躍、つうか大活躍するのが長嶋茂雄なのである。だからこそ、日本プロ野球史上最も人気のある選手だった訳である。そういえば、引退試合のダブルヘッダーでもホームランを打っているよね。

 よくパ・リーグの選手が「パ・リーグは人気が無い」なんて嘆いたりする、いや今は違うかな、かつては嘆いたりしたけれども、違うよね、人気が無いのはパ・リーグじゃないよね、人気が無いのは、お前らだよね。

 また、「巨人は人気がある」「セ・リーグは人気がある」ともよく言われたけれども、これも違うよね。人気があるのは長嶋茂雄だよね。長嶋茂雄が所属するから、巨人は人気があり。その巨人が所属するから、セ・リーグは人気があったんだよね。

 実際、長嶋の記憶が薄れていくにしたがって、巨人もセ・リーグも人気を失っていった。

 巨人人気の低迷はともかく、日本シリーズでの成績と長嶋の「勝負強さ」は関係ないと思う。

 と、ちょっと「勝負強さ」から話は逸れてしまったが、肝心の「勝負強さ」については、私は正直分からん。怪しげな概念だとは思う。分からないとは云ったけれども、「勝負強さ」に関して、私は否定的とまでは云わないが、消極的な立場である。

 ちなみに、「勝負強い」選手という事で、私がパッと思い出すのは、西武ライオンズの大田だけれども、たまたまあの日本シリーズで活躍しただけだったかもしれないし、その「風貌」もあったと思う。

 その「勝負強さ」同様、怪しげな概念として「流れ」があるけれども、こちらは前回書いた通り、私ははっきり否定的である。

 そもそも「流れ」っていうのは、おそらく、つうか、ほぼ間違いなく「博打用語」であろう。「博打用語」だったら、話は分かる。博打っていうのは、煎じ詰めれば、いかにイカサマするか、ではなくて、いかに「ツキのムラ」を読む、あるいは感じ取る競技(?)、あるいは遊びであろう。

 ツキには当然ムラがあるから、それが自分のところに来ていれば「流れが来た」であろうし、自分のところから離れていったら「流れが去った」であろう。そうして、「流れが来た」時、大きく張り、「流れが去った」時には、小さく張る、あるいは全く張らないのが、所謂「博打の基本」である。

 野球においても、元々はそういう意味で使われていたんだろうけど、野球はあくまで技術である。確かに、「ツキ」の側面も無くは無いけれど、それは、「博打」に比べれば、はるかに小さい。つか、「博打」、すなわち、ほとんどが「ツキ」で勝敗が決するのなら、プロスポーツにはならないだろう。なんでもかんでも「流れ」、で解釈しちゃうのは、「野球」の否定である。

 あとまあ、「流れ」の定義として、英語で謂うところの「モメンタム」みたいな意味を与える人もいるが、「モメンタム」の定義は、日本語だと「勢い」だと思う。「流れ」ではない。そうして、「気持ちの高ぶり」を「勢い」というのであろう。

 まあ、確かに、スポーツに限らず、人間の行動において、「気持ち」は重要かもしれない。例えば、フットボールのディフェンスなんていうのは、「気持ち」に左右されるところも大きいと思う。あと、野球のバッティングなんかも、「気持ち」すなわち「思い切り」は重要であろう。「バッティングカウントにおける打率の違い」なんていうのは、これを基礎にしている。

 とはいえ、多くのスポーツのプレイで、「気持ち」が大きく左右するシーンは少ないと思う。あくまで「技術」である。まして、「プロ」の場合は、スポーツは「日常」であるから、プレイの成否を決定する大きな要素にはならないであろう。

 まあ、野球に限らず、「勝負強い」とか「流れ」とか「時代」とか、あと人類の大好きな例の言葉、人類史上最高の発明といっていい例の言葉、あらゆる事の万能薬といっていい例の言葉を、よく使う人達は、オツムの弱い人達だと思う。

 正しい理由を見つけるべく、努力せねばならない。

                                        2022/11/29(火)

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