2025年 3月 |
3月15日 IND@MIL 119−126 |
実に実に10年ぶりのペーサーズ、つかNBAの記事。感無量。いや、年は取りたくないもんだね。10年前の記事があるなんてさ。10年前に私が生きてたなんてさ。 NHKBSが放送を放棄して以降、なんとなく三木谷が嫌いで(ゴメンナサイ)、楽天TVにも加入する気が起きず、だらだら10年近くが過ぎてしまていた。ところが、昨年WOWOWがNBAを放送している事を知り、ちょいと興味が湧いたのであるが、昨季は何とはなしにスルー。そうして、今年3月、コルツもつまらなかったので、WOWOWに加入、実に10年ぶりのNBA観戦復帰と相成った訳である。 ちなみに、私はJCOM経由で加入したのであるが、加入月無料+続く2か月1000円の貧乏契約なのだ。泣ける。泣くこたあない。 で、早速、八村君とドンチッチ目当てで(レブロンはどーでもいい。)、レイカーズ@ナゲッツ(!!!)を観戦したのであるが、安心した。ホッとした。「もしかしたら、軽いノリで放送してんじゃねーか。」という一抹の不安があったからである。というのも、Jスポーツだかダゾーンだったか、放送局は失念してしまったけれど(ダゾーンだったかな。)、そこでも、かつてNBAを放送していたのであるが、「イエーー、サイコー」みたいな、それこそ田舎のDJのノリでNBAを実況していて、それに私は辟易した経験があったからである。あの調子で放送してたら、違約金覚悟で契約解除である。 ところが、WOWOWのそれは落ち着いた放送で安心した。さすがに、解説は塚本さんとか倉石さんとか奥野さんとかじゃなかったけどな。週に2試合くらい放送しているようなので、こんな調子なら来期以降も楽しみたいと思う。NFLも放送してくれたら、嬉しいのに。日本人プレイヤーがいないから、厳ししいか。あと、何気に映画も楽しみ。いきなり「マッドマックス」やっとった。 つう訳で、10年ぶりのNBA観戦なのであるが、まあ、当然ながらリップ・ヴァン・ウィンクル状態である。しかも、いきなりナゲッツって。私が最後に観た時は、まだマクダイスがいたからな。なんというリップ・ヴァン・ウィンクル。さすがに、アブドゥル=ラウフ(元クリス・ジャクソン)までは遡らんけどな。ビートたけしと並ぶ二大チック症有名人。私の亡き父が面白がってた。bjリーグにも来てたらしいね。 ちなみに、このアブドゥル=ラウフあたりが私のナゲッツ最古の記憶。さすがに、キキ・ヴァンダウェイとかアレックス・イングリッシュとかは知らん。つか、キキ・イングリッシュって憶えてた。それで検索しちった。キャ、恥ずかし。 また、マクダイス以降はカリメロ時代になる訳であるが、観た記憶が有るような無いような。1試合ぐらいは見たかなあ。カリメロは、ハイライト映像はともかく、がっつりゲームで見たのはニックス時代だと思う。悲しきナゲッツ。 そうして、バックス。こっちも、最後に観た時は、まだレイ・アレンがいたような気がする。なんというリップ・ヴァン・ウィンクル。その後は観ていないと思う。全く記憶がない。しかし、今、ウィキペディアでちょっと調べたら、ヴィン・ベイカーとグレン・ロビンソンの名を発見。なんというリップ・ヴァン・ウィンクル。なんというリップ・ヴァン・ウィンクル。つか、グレン・ロビンソンってインディアナ州ゲーリーの出身だったのな。今知った。あと、さすがにジャバー時代は知らんよ、さすがに。 つう感じで、今回は復帰第1弾という事で、ペイサーズの事はあんま書きません。いや、全然書かないかも。リップ・ヴァン・ウィンクル解析回としたいと思います。ペーサーズの事は次回以降ね。 さて、そのリップ・ヴァン・ウィンクルのひとつ、八村君とドンチッチであるが、八村君はこの試合はお休み。残念。次回に期待したいと思います。 一方のドンチッチであるが、こちらは元気に、ではなかったのかもしれないけど、出場。しかしまあ、正直、私の印象は薄い。「レブロンの次の時代のスーパースター」みたいな触れ込みだったので、期待していたのであるが、私には良く見えなかった。こっちもうつらうつらで、例によって例の如くのボンヤリ観戦だったし、実況によれば「ケガしてる」みたいな話でもあるので、断定はできかねるが、「次代のスーパースター」みたいな感じではなかった。こちらも次のゲームに期待、かな。 つか、C/Fみたいな選手かと思っていたのであるが、今ウィキで調べたら、なんとG/Fみたいな選手みたい。全然分からんかった。後述するが、最近のNBAは3P乱発&スモールパッケージがド定番なので、ポジションの違いが全然分からん。みんな同じポジションに見える。つう言い訳で許して。 また、これはリップ・ヴァン・ウィンクルとは違うが、バックスのHCがドック・リバースだった。ちょっとホッとする。和む。ドック・リバースは、その現役時代をギリギリ見てんだよね〜。 一方のペイサーズ。こちらはリック・カーライル。いつの間にか、ペイサーズに復帰してた。私がNBAの視聴を辞めかけていた頃、「コーチ陣の世代交代」が進んでいたので、リック・カーライルなんか、とっくに消されてると思っていたら、まだ頑張ってたのね。こっちは和まない。 まあでも、リック・カーライルがまだコーチしてるって事は「コーチ陣の世代交代」は進んでないのかな。 また、これはリップ・ヴァン・ウィンクルともNBAとも直接関係ないのであるが、最近YouTubeで80年代のカレッジバスケットボールのゲームをよく見てる。ノースカロライナとかヒューストンとかジョージタウンとか、問題のノースカロライナ・ステイトとか。 もっとも、これらは5年前くらいにも見ていて、その時、記事にしようかとも考えていたのであるが、なんとなく流れてしまった。NBA復帰した事だし、時宜を見て記事にしたいと思う。ここではひとつだけ。あのドレクスラーの大学時代の背番号は、なんと「23番」だったのだ〜〜。お前は既にこの時から「ジョーダンの影」である事を運命づけられてたんだのお〜。 また、同じくYouTubeで1986年のソ連vsアメリカのゲームを発見。大発見。オリンピックではなく、世界選手権的な大会みたいなのだけど、なんとそこにはあの「全盛期のサボニス」が出てくるのだ〜〜。いや、「全盛期」かどうかは分からんけど、とにかく「若き日のサボニス」が出てくるのだ〜。いや、もしかしたら、あのパチョレックのように、別人かもしれんが、顔も似てるし、プレイスタイルも似てるし、ポジションもセンターだし、あのサボニスだと思う。 「全盛期のサボニス」といえば、当時のNBAが死にたいほどに憧れた、夢にまで見た、それを見れるなら命を売ってもいい(いや、さすがにそれはない。)、「全盛期のジョーダン」をも凌ぐと噂された、あの「全盛期のサボニス」である。 いや〜、長生きしてみるもんだね(「ついさっきと言ってることが違う」とか言わないよーに。)。あれから20年、「全盛期のサボニス」を拝む日がやってくるとは。 でまあ、その「全盛期のサボニス」であるが、さすがに「全盛期のジョーダンを凌ぐ」って事はないと思う。といはいえ、やはりいい選手。マッチアップしていたのはロビンソン(無論、「ディビッド」の方。「グレン」では当然ない。)だったけど、どっちが欲しいかといったら、私はサボニスを選ぶ。 つか、今ウィキで調べたら、息子もNBA入りしてんのな。しかもペイサーだったみたい。まあ、観たいとは思わんが。 で、本題のリップ・ヴァン・ウィンクル、「3ポイント問題」である。 かねてより噂は聞いていたので、「どんなもんかいな」みたいな気持ちで観てみたのであるが、まあ予想通り、過不足なく予想通りといった感じである。とりあえず、「今の選手は、3Pが無いと、ロースターはともかくとして、スターターは厳しいだろうな」という印象である。それくらいの3ポイント連発、人によっては「乱発」という言葉を使ってしまうくらいの3P頼みのNBAである。 この「3ポイント問題」に関しては、このサイトのどこか、今調べたら「私とSF」というコラムで記事にしているし、前回最後の記事、すなわち10年前「2015/7/1」の記事でも話題にしている。 まあ要するに、「2点と3点というと、わずか1点差のように思えるが、これはまさしく数字のマジックで、実際は50%増しであり、その差は大きい」と10年前の私は主張しており、その考えは今に至るも変わらない。 これがサッカーみたいに、ゴールが両チーム合わせて1試合で数回しかなければ、この50%は「たかが1点差」に過ぎないかもしれないけど、バスケットボールは、周知のとおり、非常にゴールの多いスポーツである。両チーム合わせて、1試合で100回ほどゴールするスポーツである。この50回づつを片方が全て3P、他方が全て2Pなら、スコアは150−100。大差である。 実際、「50%」というのは、いつぞやも書いたが、大きな数値である。「5%」というのは人はほとんど実感しないけれども、「50%」というのは十二分に実感する数値である。たとえば、例の「半額弁当」、あれを弁当のみならず、総菜やサラダ等々、ぜ〜んぶ半額で買うと、えらく安く感じるでしょう。レシートを見てビックリするでしょう。「50%」というのは、そういう数値である。 そりゃ「半額ハンター」が生まれるよね。いやいや私は違いますよ。私は「全額ハンター」ですよ。「全額」と「半額」が並んでたら、「全額」を買う漢ですよ。 閑話休題。そういう訳で、「3ポイント」というのはそれだけ強力な武器なのである。しかも、技術的には、ミドルの2ポイントと大差ない、つか、ほぼ同じ。そりゃ「3P乱発」するよね。正しい戦略だと思う。 ただまあ、それこそ10年くらい前までは、「3P乱発」チームがなかなかプレイオフを突破できず、最終的にはフロントラインの強力なチームに敗れ去っていったので、それが流行するには至らなかった。 で、それを初めて突破したのがウォリアーズとステファン・カリーなのであるが、私はその秘密を探ろうとしていたあたりで、NHKBSはNBAから撤退し、私はNBAの視聴を辞めてしまった。その後、ウォリアーズ&カリーは王朝を築く訳であるが、この「フロントライン問題」はどーしてたんでしょ。ちなみに、私は、現時点でも「バスケットボールはフロントライン」だと思っている。ジョーダンにしても、その壁は突破できなかった訳であるし。 まあ、このへんの「勝負論」「戦術戦略論」的な問題はともかくとして、「ショー」的な意味で、この「3P乱発」を問題視している向きもあろう。ロッドマンあたりは不満を漏らしているらしいしね。まあ、確かに、現状のNBAだとロッドマン的な選手は居場所を失くすだろう。オークリーとかメイスンとかね。あと、メッタ・ワールドピースはそれ以前の問題だけどな。お前は、とりあえず改名しろ。 でも、レインビアは今のNBAでも生き抜きそうだけどな。つか、むしろ、プレイスタイル的には今のNBAの方が合っているかもしれん。長距離シュートは得意だし、ペイント内はかつてほど重視されていないし。今のNBAこそ、レインビアのプレイスタイルにマッチしているかもしれん。まあ、アジテートはするだろうけどな。 あと、それに関連して、という訳でもないが、いや関連してるかな、「ユルイ」という印象は受けた。このへんは、「ルール変更」の影響もあるだろうから、「3P問題」と単純に絡ませるわけにもいかないだろうが、「ユルくなった」のは事実だと思う。ロッドマンの不満は、「3P」よりむしろコッチなのかもしれん。 私は、前回、すなわち10年前の記事で、3ポインターを獲ろうとしないラリー・バートに不満の意を表し、更には、それはこの「3P問題」を誰よりも深く、そうして早く認識していたのがラリー・バードなのではないかと勘ぐっているが、やっぱり、そういう事だったのかと想う。史上初にして史上最高の3ポインターであるラリー・バードには全てが見えていたのかもしれん。 ちなみに、私は3ポイントは廃止すべきだと思っている。残すのならば、センターライン(ディビジョンライン)の向こう側、すなわち自陣からのシュートを3ポイントにすべきだと思う。今の3ポイントラインはあまりに近すぎる。あれに「50%増し」の価値はない。 更に言うと、私はそれでも「3ポイント」はそこそこ入ると予想している。この試合でもリラードが只今の(?)3ポイントラインの2メートルくらい後ろから、すなわち「ディープ3」を決めてたけど、NBAのシューターだったら、あれくらいはそこそこの確率で決められると思う。 センターラインからゴールまでの距離は、およそ14メートル。これくらいの距離、野球やフットボールだったら、むしろ正確に投げないと怒られる距離でしょう。川上一塁手なら、ファーストミットを動かさない距離でしょう。無論、ボールの大きさや重さ、ゴールの高さや向き、大きさ(小ささ?)が違うので単純比較はできないけれども、そこそこの確率で決められる距離だと思う。 実際、クォーター終わりに自陣から投げて決まるシーンも結構あるでしょう。あれ、テキトーに投げてる訳じゃないよ。ちゃんと狙ってるからね。しかも、あれは時間に追われてムチャ投げしてるので、ちゃんと時間があり、正しいフォームで投げれば、より高い確率で決まる筈である。 「じゃあ、なんでやらないのか」と問われれば、「やる必要が無いから」だよね。近づいた方が確率は高まるのだから、そりゃ近づくでしょう。3ポイントラインぎりぎりまで。 で、10年前の自分の記事を今ちょっと読んだ訳だけど、今よりずっとシャープな文章書いてんな、10年前の私。あの頃は若かった。仕事明けでも記事書いてたもんな。今じゃ、とても無理。仕事明けは死んだように寝てしまう。それでも、眠気が取れん。頭フラフラで記事書いとる。そりゃ、フラフラな記事になる訳だ。 で、その記事の中で、「日本人NBAプレイヤーの可能性」について10年前の私は言及している。その説くところは「日本人NBAプレイヤーの可能性は、身長220cmくらいのセンターか205cmくらいのスポットシューターだろう」である。この考えは今現在も変わっていない。 そうして、220cmのセンターはともかくとして、身長206cmの渡邊君は誕生した。渡邊君がスポットシューターか否かは、そのプレイを見ていない私には分からない。ただ。ウィキ情報によると、オールラウンドタイプ、特にディフェンスに長けたフォワードだったらしい。ちょっと観てみたかったかな。 更に、10年前の私は、「NBAを目指すのならば、高校大学どころか、中学レベルでアメリカに移住すべき」とも説いている。で、渡邊君は大学からアメリカ。まあ、さすがに「中学から」は言い過ぎかもしれんが、高校大学、最低でも大学からはアメリカに行くべきであろう。そうしないと、技術云々以前に、NBAのスカウトの目に留まらん。親御さんは不安だろうけど、カズくらいの覚悟は必須であろう。 あとまあ、3ポイントも必須だね。先にも書いたけど、今のNBAは3Pが無いと話にならん。河村君や富永君(ペイサー)はどんな感じなんかな。 あと、八村君は、こんな言い方は避けるべきであろうが、「純粋な」日本人ではないから、先の私の持論には関与しません。でも、がんばって。WOWOWのNBA放送、すなわち私のNBA視聴は、八村君、君に掛かっているのだ。事は重大だぞ。 さて、「現今のNBA」に話を戻すが、いろいろと苦言、というか疑問を呈してきたけど、「バスケットボールはこんなもんだ」という気もしなくはない。私が熱心に観ていた、またロッドマンやバークリーが活躍していた、あるいは在籍していた90年代のNBAの方が「異常」だったとも云えなくはない。バスケットボールを「ルール通り」にやったら、こんな感じになるのだとも思う。かつて、ジョーダンがピストンズに対して述べた、「アイツらのやってることは審判に訴える事じゃない。警察に訴えるべき事なんだ。」という言葉は、このへんの消息を暗示しているものだったのかもしれない。 ちなみに、「ルール通り」というのは、NBAに限らず、NHLは知らんが、NFLやMLBにも同様の事が云える、21世紀以降のアメリカスポーツ界の大きなトレンドだと思う。 例えば、メジャーリーグでは、かつてのアウトコースに甘い、いや甘過ぎるストライクゾーンは随分と改善されている。ちゃんと「ルール通り」ストライク判定をするようになってきている。 かつて、この件に関して、「アメリカではインコースをボールにして、デッドボールによる乱闘を未然に防いでいるのだ。メジャーリーグの審判は、日本の審判と違って、権威があるのだ。」なんて述べてた識者、それこそ玉木のような識者に対して、江本孟紀が一言、「ルール通りにやれ」って一喝したのを私は懐かしく思い出す。当時の私も、ほんと「ルール通りやれ」と思ったものである。 ちなみに、「メジャーリーグの審判の権威」に関しては、例のフレーミング関連も含めて、全部ウソッパチだったことが判明した。単に、メジャーリーグの審判がルール通りにやらなかった、すなわちサボってただけである。 例えば、例のコリジョンにしたって、守備妨害走塁妨害というルールは以前からあるのだから、それをきっちり取っていれば、バスター・ボージーや日本人メジャーリーガー等々のキャリアを失うようなケガは防げたのである。それを騒動になるのを恐れて、いや一刻も早く帰宅したいがために見逃していたから、ああいう行為が常態化したのである。「三塁ランナーがキャッチャーにタックル」なんてオカシイだろ。明らかに「野球」じゃないだろ。 それに「ピッチクロック」だって、その規定時間は色々あったにせよ、それ以前からそういうルールはあったからな。それを審判がサボって見て見ぬフリをしていたから、わざわざ時計で明示しなければならなくなっただけだからな。アメリカの審判は、もっとマジメにやれ。ルール通りにやれ。つか、あまりのサボりっぷりに「ルール通り」にやらされるようになった訳であるが。 ちなみに、今ここでちょっと書いたように、日本では自説の論拠として、それこそ大化の改新以来、事あるごとに「中国では」「フランスでは」「ドイツでは」「イギリスでは」「アメリカでは」と外国を持ち出す輩が後を絶たないが、あんなのほぼ全部デタラメだからな。先の「審判の権威」みたいに、ただの妄想だからな。大概にせーよ。これはインターネット時代の今現在でも全然変わらんからな。他国にはほぼ見られない、日本特有の現象である。ほんと何でなんだろ。命題の根拠を外国に委ねるって、ほんと不思議な習慣。悪習である。日本以外の国でも、自説を説くにあたって、外国を参照する事は勿論あるけれど、それはあくまで参考程度であって、論拠にはしない。 またまた話が逸れてしまったけど、も一度「現今のNBA」について。 先にも書いたけど、色々批判もあるし、好悪もあろうが、バスケットボールつうのは、こういうスポーツなのだと思う。90年代前後が「異常」だったのである。当時のNBAが「特殊な」バスケットボールをしていたのだと思う。実際、同じ90年代でも、ヨーロッパのバスケットボールは現今のNBAに近いバスケットボールをしてた。 では、なんで、当時のNBAがそんな異常な特殊なバスケットボールをしていたのかといえば、それももう理由は一つしかない。「マイケル・ジョーダンがいたから」である。 「いやまた、マイケル・ジョーダンかよ。」って声が聞こえてくるが、当時のNBAと当時のヨーロッパのバスケットボールの違い、あるいは当時のNBAと現今のNBAのバスケットボールの違い、それはもうたったひとつ「マイケル・ジョーダンの有る無し」しかねーよ。 例えば、何故、現今のNBAがソフト、すなわち当時のNBAがハードなのかといえば、元を質せばピストンズ、バッドボーイズである。では何故当時のピストンズがバッド、ハードになったのかといえば、いろんな理由はあるだろうけど、とどのつまりは「マイケル・ジョーダンがいたから」である。「マイケル・ジョーダンを止めるため」である。で、「マイケル・ジョーダンを止めるため」には反則どころか、犯罪が必要だったのであり、故にハードになったのであり、バッドになったのである。 いや実際、今のNBAファンは信じられないかもしれないけど、マイケル・ジョーダンは反則じゃ止まらないんだよね。例の有名なマクヘイルのシーンにあるが如く、ジョーダンは反則すらさせてもらえないんだよ。故に、犯罪行為をせざる得ないのである。それを見逃してた、サボってた、当時の審判にも問題はあるけどな。でも、それを見逃さないとゲームになんねーんだよ。犯罪を取り締まっていたら、一方的な「ジョーダンショー」になっちゃうんだよ。実際、ピストンズ以降のNBAは完全な「ジョーダンショー」だったからね。「マイケル・ジョーダン一座」だったからね。 今のNBAファン、あるいは他のスポーツのファンには信じられないかもしれないけど、マイケル・ジョーダンっていうのはそのレベルの選手なんだよ。よく子供のスポーツで別格の選手、例えば高校時代の江川とかを称して、「子供の中に一人だけ大人がいる」と表現するけれど、マイケル・ジョーダンはそれをNBAレベル、世界最高のバスケットボールリーグであるNBAでやってた選手なんだよ。それも「子供の中に大人」どころか「猫の中に虎」「イワシの中にサメ」、いいや「地球人の中に宇宙人」「地球人とバッフ・クランの中にイデ」ぐらいの選手だったんだよ。 ジョーダン以降のスター、まあアイバーソンでもコービーでもレブロンでもなんでもいい、そういう所謂「ポスト・ジョーダン」といわれた選手に私は色々不満がある。言葉を変えれば、ジョーダンに遠く及ばない理由がいくつもある。 そのうちのひとつが「1on1で負けてしまう事がある」である。彼らは所謂「守備職人」ブルース・ボウエンとかリック・フォックスとかテーション・プリンスとか、最近だとカワイ・レナード(レナードは単なる「守備職人」じゃないけどな。)とかに1on1で抑えられちゃう。また、センターやフォワードだと、シャックやマローンがロッドマンに抑えられちゃう。さすがにダンカンは誰にも負けなかったけどな。 でも、マイケル・ジョーダンは1on1で負けた事がねえ。いや、1on1で負けるジョーダンなんて想像すら出来ねえ。かつてジョーダンは語ったことがある。「俺に対して1人しかマークを付けないのは俺に対する侮辱だ。最低2人。勝つ気があるなら3人付けろ。」。 また、今の選手に不満なのはジョーダンが見せた数々の技、例えば「ダブルクラッチ」なんかも、なんだかんだで今の選手は出来ないよね。ジョーダンのように華麗にダブルクラッチを魅せる選手はいない。辛うじてコービーだけど、コービーの場合は、根本的な身体能力運動能力がジョーダンに劣るので、これらのプレイをジョーダンレベルで再現できない。完成できない。ダブルクラッチからのダンクなんかもコービーの運動能力身体能力では厳しい。 あと、ジョーダン得意のプレイのひとつ「ベースラインのドライブ」。これもその後の選手はほとんどできない。ジョーダンはこのプレイを、それこそ「死ぬほど練習した」って語ってたけど、今の選手は練習しないのかねえ。まあ。3ポイントの方が「効率的」だけどさ、いろんな意味で。 あと、ダンクね。ジョーダンが特別な理由のひとつにこの「ダンク」がある訳だけど、ジョーダンのダンクが何故特別なのかというと、ジョーダンはそれらのダンク、すなわちダンクコンテストで魅せるようなダンクを試合中にやったんだよ。ワンマン速攻からのトマホーク、ウィンドミル(さすがに360°はやってないかな。)等々を実際の試合でジョーダンはやってた。披露してた。だからジョーダンは特別なんだよ。ジョーダンのダンクは特別なんだよ。 その後、いや、当時を含めても、強いて挙げればドミニク・ウィルキンスくらいで、多くの選手はワンマン速攻の時は普通の、あるいはトマホークやウィンドミルにしてもささやかなものしかやらない。やっても年一とか、キャリアで1回とかその程度。そりゃそうだよね。失敗したら無得点になってしまうのだから。出来るだけではダメで、高確率、あるいは100%の自信があって、初めて試合で使える、実践できる訳である。故に、多くの選手はそれらのダンクが出来るとしても、実際のゲームでは、普通の、あるいはささやかなダンクしかしない。ところがジョーダンは圧倒的な練習量が自身を支えていたのであろう、それらを毎試合のようにやってた。 だからこそ、そのハイライト集を集めたビデオが売れたんだよ。今でも、ジョーダンのハイライト集が各種動画サイトにうじゃうじゃしてんだよ。「ジョーダンスーパープレイ・TOP100」的なのがな。普通の選手、つうか普通のスーパースターはそんなスーパープレイを100個も持ってねえ。 ちなみに、「come fly with me」は私も買った。今でもはっきり覚えている。近所のCD屋に3800円で売っていて、私は小一時間ほど悩んで店内をうろうろしてから、購入した。そりゃ、当時の私だって20歳を超えていたから、3800円くらいは持ってはいる。自由に使える。ただまあ、スポーツマンのハイライト集、それもたかだか30分くらいのビデオに3800円出せるかといえば、一悩みはするだろう、小一時間は悩むだろう、店内を怪しくうろうろするだろう。 で、買って正解だった。家に帰って早速再生したのだが、私はたちまち魅了された。その後のジョーダンのビデオも全部買っていると思う。今度はほとんど中古だったと思うが、定価もあったかもしれん。 で、その後発売された、その手のビデオ全てとジョーダンの有名なゲームを数試合収録したDVD全集全6巻的なものも私は購入した。店頭で見かけて、今度は悩まず即買いした。1万円くらいだったと思う。その間に、私は裕福になった訳ではない。変わらず貧しい。 このビデオに触発されてか、NBAに限らず、その他のスポーツマンのハイライト集的なものが沢山発売されたが、ほとんど売れなかった。バークリーとかシャックとかオラジュワンとか、エミット・スミスとかもあったかな。2000年前後に、それらは1本100円で中古屋に並んでた。その頃でも、ジョーダン関連は値崩れしてなかったように思う。500円とか1000円とか付いていたと思う。記憶違いかな。 その後のスポーツマンがその手のビデオを出さなくなったというのは、要するに、売れなかった、売れる見込みが立たなかったからであろう。例えば、今、大谷がその手のビデオを出したとしても、インターネット時代という点もあるけれど、売れ行き的には日本ですらなかなかに厳しいであろう。ハイライト集を30分分集めるというのは、意外な難事業なのだ。「大谷のホームラン全部見せます」でも、結構厳しいでしょう。いまのとこ、メジャーリーグで226本打っているんだけど、30本目くらいで厭きるよね。3800円の価値はないよね。王の868本でも、なかなかに厳しいだろう。史料的価値はあるだろうが、娯楽としてはねえ。 我が愛しのレジさんなんか、スーパープレイは例の二つしかねえ。それじゃ30分埋まらねえ。撮れ高足りねえ。家族引っ張り出してきて、ハートウォーミングやるしかねえ。 いや、シェリルの姐さん連れ出すしかねえ。いや、シェリルの姐さんのスーパープレイ集なら楽々30分もつ。 とまあ、期せずしてか、期してか、ジョーダンの話、ジョーダン賛歌になってしまったけれど、80年代90年代のNBAの何が違うかって、究極的というか、単純にというか、それが全てだと思う。すなわち、「ジョーダンの有る無し」。 実際、ジョーダン以前の、すなわち70年代以前のNBAだって苦しんでいた。メジャーリーグという強力なライバルがいるのに、それに加えてNFLという凶悪な敵が恐ろしい勢いで拡大している。しかも、メジャーリーグと違って、開催時期も被っているのだから、タチが悪い。 で、ABAは更にその下である。ドクターJなんて、ある意味、バスケットボール史上ジョーダンの次くらいに人気のある選手、少なくともジョーダンの次に派手な選手を抱えているのに、人気は低迷。その人気獲得策の一案が「3ポイント」だった訳である。かつて、人気獲得策として考案された「3ポイント」というアイデアが、人気低迷の一因とされているのだから、皮肉な話である。 そうして、その「ドクターJ」と「3ポイント」があったにもかかわらず(あと、「カラーボール」とかもね。)、結局、ABAはNBAに合併吸収されてしまうのだから、そもそもバスケットボールというスポーツは「やるスポーツ」としてはともかく、「見るスポーツ」としては、そのくらいの位置づけなのだと思う。 ちなみにカレッジバスケットボールの黄金時代も80年代、すなわち「ジョーダンのいた時代」である。 カレッジ、NBAともに、ジョーダンの直前にバード・マジック時代があり、これが謂わばジョーダン登場の露払い的な役割となっているのも面白いところである。 でまあ、今現在、カレッジ、NBAともに、「ポスト・ジョーダン時代」あるいは「ジョーダンのいない時代に苦しんでいる訳である。 なにしろ、WOWOWのNBA放送でも、いまだにジョーダングッズを視聴者プレゼント(厳密に言うと、「販売」だけど、)に使ってんだよ。ビックリしちゃった。二度見しちゃった。レブロンじゃねーのかよ、カリーじゃねーのかよ。ジョーダンって30年近く前に引退した選手だよ。ウィザーズ時代をどう見るかはともかくとして、ブルズラストイヤーは1998年、今から27年前だよ。 これ、80年代の日本のプロ野球で換算したら、巨人戦中継の視聴者プレゼントに川上を使っているって事だよ。長嶋じゃないよ、川上だよ。今のプロ野球で換算したら、落合だよ。松井やイチローじゃないよ。そんな選手がいまだに視聴者プレゼントって。まあ、40代50代にはウケるのだろうけど。しかしねえ。 また、昨今では、「ジョーダン・レブロン論争」が盛んだけれども、これも穿った見方をすれば、レブロン単体では数字の取れないテレビ・雑誌等々のマスコミがジョーダンの名声を利用しているとも言えなくはない。 ちなみに、「ジョーダン・レブロン論争」について言えば、そんなのは、はっきり言って、ありとあらゆる角度から結論は出ていると思う。「ジョーダンの勝ち」である。それは揺るがない。その論拠については、当サイトでも、これまでちょこちょこ書きてきたし、これからもちょこちょこ書いていくであろうが、ここではとりあえず一つだけ。 レブロンも近い将来引退することとなり、それが先のドンチッチかは知らぬが、誰かが次代のスーパースターの地位を継承することとなるであろう。で、そのスーパースターは誰と比較されるか。そんなの答えが出てくる。レブロン・ジェームスではない。マイケル・ジョーダンである。 いいや、そんな近い未来に目を向けなくても、現代の他のスポーツのスーパースターも誰一人レブロンとは比較されていない。ジョーダンである。大谷は野球界のジョーダンである。マホームズはNFLのジョーダンである。そんな文言はこの30年間イヤっていう程聞いてきた、読んできた。○○○のジョーダンを集めたら、ちょっとした書籍が出来上がるであろう。「バースの再来」みたいなもんだよね。「北のゴジラ」「浪速のダルビッシュ」とかね。んで、現状、スポーツ界における最高の称号が「マイケル・ジョーダン」なのである。 それが将来的にどうなるかは分からん。ジョーダンを超えるスーパースターが現れて、ジョーダンが「NBAの○○○」とか「90年代の○○○」とか言われる日が来るかもしれない。ただ、現状それが「レブロン」でない事は確かである。結論が出てる。「メッシ」も難しいんじゃないかなあ。 ちなみに、ジョーダンはデビュー時、「第2のドクターJ」「ネクスト・ドクターJ」なんて言われてた。その証拠の一つがこちら、 ![]() 私が自家用タイムマシンで当時にひとっ走りしてきて(ウソウソ)、裏のルートから入手した1984年10月29日号のスポルティングニュースの表紙である。医者の格好をしているのは、申す迄もなく、「ドクター」に掛けているのである。 もっとも、これから数年後には、皆様周知の如く、ジョーダンが「ネクスト・ドクターJ」ではなく、ジュリアス・アービングが「プロトタイプ・マイケル・ジョーダン」となる訳である。同じことは、ジョーダンとベーブ・ルースの関係についても言えるであろう。 でもまあ、ジョーダンとレブロンの関係というのは、長嶋と原、と言ったら各方面から苦情が殺到しそうであるが、鳥山明と尾田栄一郎の関係に似ていると思う。 両者ともに、前任者が座っていた、というか制作した椅子に、タイミング的に鎮座する事となったものの、その座にふさわしくなく、色々と苦情が殺到し、当人とそのファンが猛烈に抗議抗弁するという図は非常によく似ていると思う。んで、前任者とそのファンは「ハイハイ、がんばれよ。」みたいな態度。まあ、抗う気持ちも分からんでもない。 鳥山明がジャンプに登場した瞬間に、ジャンプはナンバー1少年誌の座をチャンピオンから奪い返し、その後一貫して発行部数は上昇。そうして、鳥山明の事実上の引退、すなわちジャンプからの脱退後、ジャンプは一貫して発行部数が減少。尾田栄一郎もそれを盛り返せずにいる。 ジョーダンがNBAに登場した瞬間、NBAは、以下同文。 復帰一発目はこんくらいにしとくか。 復帰一発目が「ジョーダン話」になってしまい、ちょっと申し訳ない気もするのであるが、でも、しょうがない。NBAやバスケットボール、更にはプロスポーツやスポーツの事の概論的、あるいは本質的な話をすると、最終的には、あるいは、ちょっと油断すると、どうしても「ジョーダン話」になってしまう。今、「補習シリーズ」でそれに近いことを書いているが、ここでも最終的には「マイケル・ジョーダン」が登場する。マイケル・ジョーダンは、あらゆる意味で、プロスポーツそのもの、スポーツそのもの、スポーツの本質なのだ。マイケル・ジョーダンはプロスポーツマンとして必要なものを全て持っている。そうして、必要でないものも全て持っている。 とまあ、こんな風に書くと、私がマイケル・ジョーダンの猛烈なファン、信者のように思われる方もいらっしゃるであろうが、全然違うんだよね。信者どころか、ファンですらない。私はミラーやペイサーズのファンである。 ここがマイケル・ジョーダンという選手の不思議なところで、「スゴい」と思っても、好きにはなれない、応援する気にはなれない選手なのである。実際、猛烈なマイケル・ジョーダンファンというのを私は知らない。まあ、それなりにいるだろうけどさ。 これには面白いエピソードがあって、ちょっと紹介したい。ある人が、NBAにもバスケットボールにも全然興味のない人をブルズの試合に招待した。無論、ジョーダン在籍時のブルズである。 すると、その招待された人は、第1クォーター終了時にジョーダンに気付く。「あの23番が一番上手い」と。そうして、第2クォーター終了時には、ジョーダンのファンになる。そして、第3クォーター終了時に、ジョーダンに疑問を持つ。で、試合終了時、ジョーダンを嫌いになっている。 この逸話が実話か否かは分からないけれど、当時NBAを見ていた人は、「あ〜、その感じ。分かる分かる」って同意してくれると思う。そういう人は多いと思う。 先に、「ジョーダンは子供の中の大人だった」みたいに書いたけど、まさしく、そんな感じ。この場合、「大人」を応援する人はいないでしょう。むしろ、「大の大人がそんなムキにならんでも、」ってなると思う。 こういう感じの選手って、今はいないと思う。大谷にそういう感じにはないでしょ。万人に愛されている。強いて挙げると、先にちょっと、その名を出したが、「高校時代の江川」だと思う。私はそのリアルタイムを知らないけれど、似たような感じがあったのだと思う。想像する。 江川のニックネームといえば「怪物」であるが、本人は、「耳が大きいので、マンガの『怪物くん』が由来だ。」だと述べている。まあ、確かに、それが「由来」なのかもしれん。でも「普及」したのは、それが理由ではないよね。明らかに、「得体のしれない感じ」「怪しい物体の感じ」が当時の江川にあったからだと思う。松坂の「怪物」は江川に模したものであるけれども、江川のそれはもっと本質的な理由だったと思う。松井の「ゴジラ」はそれに準ずるものであろう。 高校時代の江川は「怪物」と称され、マイケル・ジョーダンは西洋の歴史上初めて「神」と称された人間である。一脈通じるものがあると思う。両者ともに、敬されてはいるけれど、愛されていない、少なくとも、好かれてはいない。 なんつーか、「自然災害」みたいな感じでもある。それなりのお金を使って、3年くらいの月日をかけて、計画設計施行した我が家を台風とか地震で失うみたいな、そんな感じとも云える。そういうのって、「自然の力は偉大だな」とは思っても、愛せないでしょ、好きにはなれないでしょ。まあ、憎みも出来ないだろうが。「神」「怪物」「ゴジラ」、そんな感じでしょ。 当時の多くの人々、私も含めて多くの人々が何故にジョーダンを観ていたかというと、それはジョーダンが好きだからとか、ジョーダンを応援したいとか、そういう事ではなくて、もっと単純に「この世ならざるもの」を観たかったからだと思う。 実際、ジョーダンのプレイを観た後だと、体操とか新体操とか飛び込みとかシンクロナイズドスイミングとかスノーボードとか、そういう「演技系」のスポーツが私には全然物足りなく感じた。「いや、明らかにジョーダンの方がカッケーわ。ジョーダンの方がスゲー動きしとるわ。お前ら、『演技専門』なんだから、基本的に『勝負』であるジョーダンに負けんなよ。」。 あと、カール・ルイスね、長嶋には悪いけど、明らかにジョーダンの方が跳んでたよ。 そういった意味では、「マイケル・ジョーダンは、人類の歴史上初めて、『運動』を『芸術』にした人間」だとも云える。多くのダンサーには申し訳ねーけどさ。だからこそ、上述のビデオが売れたし、今でもネット上にうじゃうじゃジョーダンの動画が溢れかえっている訳である。 でも、思ったもんな。私がマイケル・ジョーダンを知ったのは、多くの日本人と同じく、90年代前半だけど、「いや、こんなもん、日本のゴールデンタイムで放送しろよ。そのルーキーイヤーから放送しとけよ。中畑のホームランや篠塚の流し打ちに興奮していた自分が恥ずかしいよ。時間返してくれよ。」って。日本のテレビ局を恨んだものである。バブル期だから、金の心配はしなくてよかったろうにさ。 でも、バスケットボールが好き、あるいはスポーツが好きな人で、ジョーダンをリアルタイムで観れなかったというのは痛恨事だよね。悲しくて死んでしまうくらいの痛恨事だよね。私は幸いギリギリ間に合ったけどさ。神に感謝。 なんか、終わりにすると言いながら、更に書いちゃった。ジョーダンについてはどんどん書けちゃう。 で、最後に、いやほんとに最後に、もひとつリップ・ヴァン・ウィンクルを。 なんか会場が明るくなったな。いや、雰囲気とかムードとか、そういう意味ではなく、光学的光量的に明るくなったな。昔の会場は、もっと暗かったと思う。 理由は簡単で、要するに、会場の照明が昔ながらの電球、エジソンの電球から、LEDに変わったって事であろう。10年前もそれなりにLED化は進んでいただろうけど、この10年でそれが完了したって事だと思う。まあ、これはNBAのみならず、世界全体の変化だけどさ。一部を除いてな。でも、オレンジ色の明かりも懐かしい、。今は、NBAの会場に限らず、世界が白すぎる。 んな感じ〜〜。ペイサーズについては次回以降な。さすがに、この1試合、10年ぶりの1試合では何とも言えん。ハリバートン、誰。ポール・ジョージは何処。ヒバートは何処。 といって、次回の記事が10年後だったりしてな。 2025/3/23(日) |
2025年 4月 |
3月26日 LAL@IND 120−119 |
はいっ、10年後です。ウソウソ。 夜、虫が鳴いていた。 えっ、どういう事。確かに、最近、急激に気温は上昇した。っつたって、せいぜいこの1週間ぐらいの話である。1週間前は、「寒い寒い」とか言って、コートも着てたし、暖房も付けていた。 あの虫、この1週間で孵化して、成虫になっちゃったの。それとも、冬の間は冬眠していて、この暖かさにつられて目覚めたの。不思議。まあ、いずれにせよ、日本は確実に亜熱帯化しているという事だ。去年の12月にも、蝶が舞ってたしな。 と書いてるそばから、また寒い春。体がついていかん。あの虫も死んだだろうなあ。いや、再冬眠。 芦屋小雁が死んだ。芦屋小雁といえば、怪奇コレクションと斉藤とも子。その結婚はナンシー関も仰天するほどのものであったが、それから8年後、無事(?)離婚。それはまあいい。レッドビッキーズの斉藤とも子、好きだったなあ。 話は変わって、中島宏之である。 つい先日、引退を発表した。それはまあいい。特に感慨もない。私にとっての中島の唯一の記憶といえば、メジャー挑戦の際に、現地の記者だかコーチだかに、「中島の守備はルーキーリーグレベル」と酷評された事だけである。 その酷評の正否もいい。関心はない。 ただ、今回の中島の引退で、私がチョイと思ったのは、その「1928安打」である。 「2000本」に「72本」足りなかったという事で、色々記事になっていたが、お前ら、どんだけ「キリ番」が好きなんだよ〜〜。 「1928本」も「2000本」も大体同じだよ、同カテゴリーだよ、同レベルだよ、誤差の範囲だよ。 ただし、「2001本」と「2999本」は全然違うからな。同じ「2000本安打」じゃないからな。同カテゴリーじゃないからな。同レベルじゃないからな。誤差の範囲じゃないからな。998本というのは7シーズン分くらいはあるからな。井端(1912安打)と荒木(2045安打)は凡そ同じようなもんだけど、荒木と立浪(2480安打)は全然違うからな〜〜。同じ2000本安打じゃないからな〜〜。 その差100本くらいだったら、シーズン2/3程度の安打数であるし、ケガ等々による誤差の範囲である。また、チームに求められる役割の差ともいえよう。主に「1番」を任された荒木と、主に「2番」を任された井端の差である。 でも400本は違うからな〜。明かな「実力の差」だからなあ〜。3シーズン分の安打数は「ケガ等々による誤差の範囲」にはならんからなあ〜。「主に1,2番」を任された選手」と「クリーンナップも任された事のある選手」との差だからな〜。 話はちょっとそれるが、イチローの「シーズン200安打」は他の200安打、マートンとかラミレスとか青木とか秋山とか西岡とかとは全然違うからな。イチローは「シーズン130試合制」での達成だからな。他の連中は皆、「シーズン144試合制」での達成だからな。価値が全然違うど。打数は546、それで210安打。それに最も近い青木でも583打数で209安打。全然違うからな。もっとも、マートンやラミレスは右であるし、ラミレスはクリーンアップでの達成なので、その分価値は高いけどな。 いずれにせよ、数字はちゃんと見ろよ。野村の52本塁打も150試合制での達成だからな。王の55本塁打は140試合制。落合の52本塁打は130試合制。もっとも、王は130試合制でも50本打ってるけどな。それも2度。 話を中島に戻す。 「1928安打」という事で、名球会云々も話題になっていたが、お前ら、どんだけ名球会が好きなんだよ〜〜〜。 あんなの金田の「会員制飲み会」つうだけの組織だからな。それ以上でもそれ以下でもない。今現在は社団法人化しているけど、日本プロ野球機構とは全くの別組織だからな。公的には無関係だからな。ちなみに、かつて「昭和生まれ」に限定されていたのは、川上(大正生まれ)の入会を金田が嫌った為だと言われている。無論、自分が威張れなくなる為、嫌ったのだ。まあこれは、「玉木正之情報」なので、その程度の信憑性だけどな。 まあ、いずれにせよ、「名球会」っていうのは、金田の数ある自画自賛のうちのひとつ、そうして最も成功した自画自賛の方法なのである。 でも、みんな、好きだね、「名球会」。金田の「自画自賛」は皆大嫌いなのに、これだけは無条件に肯定しているのが、不思議。 まあ、その「自画自賛」の表現の仕方が非常に巧みだった、巧妙だったは云える。「名球会」という名称も素晴らしいし、あの「緑のブレザー」もいい。金田は広告代理店に勤めていたら、良いプランナーになっていたと思う。 あと、「名球会」の入会資格、すなわち2000本安打と200勝、250セーブについてグダグダ言っている人、特に元プロ野球選手は多いけど、そんなに不満だったら、自分で作りゃあいいんだよ。「名球会」なんて、上述したように、あくまで私的な組織であって、公的なものじゃないんだから。自身でより優れた入会資格を作って、新たな自画自賛組織を作りゃあいいんだよ。「名球会」を凌ぐ名称と、「緑のブレザー」を凌ぐ衣装を考案してな。 ちなみに、これは意外であったのだが、リリーフ投手の入会資格を提案したのは、なんと金田だったらしい。で、それに猛反対したのは北別府で、「1イニングしか投げない奴に名球会の資格はねえ。」と啖呵を切ったらしい。リリーフ投手諸君、先発ピッチャーはあなた達をそういう風に見てるんですよ。 とまあ、そんな猛反対もあったらしいが、そこは金田が「まあまあ」となだめて、あるいは「俺が金田だ。文句あっか。」と一括して、250セーブの資格を創設したらしい。意外でしょ。金田には、こういう柔軟性もある。 で、野球つながりになるが、メジャーリーグで魚雷バットが流行ってるそうですな。魚雷といえば、ボーボボ。ついに来たな、ボーボボの時代が。ハジケまくるぜ。 とまあ、恒例の時事ネタ4連発を片付けて、本題のペイサーズ戦である。 ペイサーズ戦っつても、前回同様、どっちかつうと、というか、はっきり「10年ぶりのNBA観戦」的な内容になりますので、純ペイサーズファンの皆さま、ゴメンナサイ。 思いつくままに、つらつら書いてみる。 まずは、近藤さん。いつの間にかNBAにも進出してやがった〜〜。アメプロ総取りかい〜〜。いや、NHL事情は知らんけど。 メジャーリーグに進出していたのは、数年前から知ってはいた。でも、NBAは油断してた。この人、元々は今は亡きGAORAで(いや、放送局はあるけどさ。)、NFLの「解説」をやってなかったっけ。それがいつの間にやら、「実況」に転身、そうして大成功。「週刊ベースボール」だか「ナンバー」だかに、「スポーツ英語コラム」みたいなのも連載していると思う。大出世ですな。村田さんのギリギリという歯ぎしりがこの関東にまではっきり聞こえるよ。いや、ター濱の歯ぎしりも聞こえるよ。 ター濱、懐かしい。懐かし過ぎる。マジで10年ぶりくらいにタイプしたように思う。10年振りくらいに発声したように思う。 タージン、どうしてっかなあ。元気かなあ。関西エンターテインメント業界ではまだまだ健在なのか。濱田さん、元気かなあ。こちらは活躍という意味ではなく、健康あるいは寿命という意味で心配。怖いので調べない。検索しない。 でも、両者ともにご健在だったら、NFL復帰を私は強く望みます。レイダース復帰を切望します。いや、これ、日本の全NFLファンの悲願でしょ。大袈裟でなく。いや、大袈裟か。 まあでも、ター濱はともかくとして(ともかくじゃない。)、近藤さんの実況転身はアメリカンスポーツ放送業界(?)にとっては慶賀すべき事ではある。かつては酷かったからな。私がNFLを見始めた頃、およそ20年前なんて、QBをピッチャーと比較してたからな。「今のボールはピッチャーだと球速140キロぐらいでしょうか。」とかね、あの手のNHK定年退職アナウンサーはホントお払い箱にして貰いたい。そういった意味でも、近藤さんにはフル稼働を望む。過労死を望む。過労死を命ずる。 次は、J.J.レディック。レイカーズのヘッドコーチやっとる。 レディックといえば、私がNBAを観るのを辞めるようになる直前くらいに、その3ポイントを見込んで、というかカレッジ時代の活躍にほだされて、「獲れ獲れ」言ってた選手である。言ってなかったら、ゴメン。 でも、3ポインターに洟もひっかないバードがレディックを獲る訳もなく、ペイサー・レディックは私の数多い妄想のひとつに終わった。 その後、先述した通り、私のNBA観戦は遠のいたので、その後のレディックの事跡は知らない。当時でも、カレッジほどは活躍できていなかったので、そこそこの選手止まりだったのだと思う。3ポインターの需要は、散々書いている通り、増加の一途だったろうけど、という事は、同じように、供給も増加の一途だったと思うので、同タイプの選手の増加に埋もれてしまったのではないだろうか。 で、今ネットで調べてみたのであるが、キャリア中盤のクリッパーズ時代はスターターにも定着して、まずまずの存在感を示していたようである。 でも、ここに来て、何故にレイカーズのHCをしているのかは謎。アシスタントも含めたコーチ歴は皆無みたいだし、レイカーズとは縁もゆかりも無いっぽいし、元クリッパーズだし。 どうもレブロン王の政治力が働いたらしいのであるが、そういう事してっから、レブロンは嫌われるんだよね、軽蔑されるんだよね。「神」ではなく「王」なのだよね。王は人事を変える、神は運命を変える。 で、そのレブロン王の統治する現代バスケットボールに分け入っていく訳であるが、この数試合、パッと見の印象では、やはりペイント内のガラ空きっぷりが、リップ・ヴァン・ウィンクルファン的にはどうしても気になる。あんだけガラガラだったら、ペネトレイトすりゃいんじゃねーの。 それこそ、ジョーダンだったらアベレージで100点取れそうなぐらいのガラガラっぷりである。どこぞの観光地なみのガラガラっぷりである。 ジョーダンでなくとも、例えばケビン・ジョンソンとかティム・ハーダウェイ(譬えが古くてゴメンネ。)というようなスラッシャーならアベレージ50点コースだと思う。 この手のペネトレイターは各チーム一人づつくらいは用意しているようだけど、もうちっと増やしてよいように思ったし、PTを増やしても良いように思った。この手のスラッシャーは皆ベンチスタートのムード変え要員リズム変え要員であるのは、ちょっと惜しいように思う。 で、試合は119ー120でペイサーズの逆転サヨナラ負け。残り数秒でドンチッチがフローター。それは幸い外れたのであるが、レブロンがチップイン。終了。 いや、いいよ。チップされんのは仕方ねー。バスケットボールはそういうスポーツではある。 でも、なんでスクリーンアウトしてねんじゃ〜〜い。フローターなんて、どうせゴール周辺に落ちるに決まってんだから、きっちりスクリーンアウトしてりゃ、リバウンド確保しなくとも、それでゲーム終了だろうがよ〜〜。 レブロンが、スクリーンの後ろから、力押しで、あるいはハイジャンプでチップしたっつうなら、まあまあ諦めもつくが、レブロン、普通にディフェンダーの前からチップしてんじゃねーかよーーー。何やってんだよ。赤木剛憲オカンムリだよ。 んで、そのチップの起点となったドンチッチ。さすがに今回はPGだと分かった。はっきり認識した。常にボール運んでたしね。 でも、PGとしては、リップ・ヴァン・ウィンクルファン的には、ちと物足りなく映った。確かにシュート力はあるけれど、ボールハンドリングとかボールセキュリティ、コートビジョンなどはイマイチなように映った。 てな事を考えていて、ちょっと思ったのであるが、私の10年前の最後の記事のステファン・カリー評で、私は似たような事を書いているのである。「確かにシュート力はあるけれども、パスやドリブルといった古典的、あるいは原始的なPGスキルはイマイチ」みたいな評なのである。確かに、カリーについてはPGとしては平凡、ベンチレベルみたいな印象を持ったのを、おぼろげながら記憶している。 でも、そのようなPGが時代を代表するようなPG、いや時代を代表するようなスーパースターになってしまったのだから、私の評こそ時代遅れ、時代錯誤、オールドスクール、先見の明の無さ、エピメテウスという事になるのだろう。ゴメンチャイ。 その正統的な後継者という訳でもないであろうが、そのスタイルのPGとして大活躍中なのが、このドンチッチ様という事になるのだろう。 ただまあ、この選手が「時代を代表するスーパースター」になるとはとても思えないんだよなあ。このドンチッチの顔写真なりシグネチャーシルエットをプリントしたTシャツを世界中の若者が着るようになるとは、とても思えないんだいなあ。いや、もう着てんの。流行ってんの。おじさん、遅れてんの。 で、次は八村君である。 今回、そのプレイっぷりをじっくり拝見させて頂いたが、まあ、なんつーか、一口で言うと、小レブロン、リトルレブロンといった感じ。「そこそこシュートが上手くて、そこそこドライブ出来て、そこそこリバウンドも取れる」みたいな、そんな感じのプレイヤーである。 っていうか、今のNBA、だいたい、そんな選手ばっかし。前回の記事で、「私はドンチッチのポジションをC/Fだと勘違いしてた」と書いた、というか告白したけれども、それくらい今のNBAプレイヤーはプレイスタイルとか体格が似通っていて、一目で個人やポジションの区別がつかん。 先に私は「カリーがその後のPGの範になり、ドンチッチもその系譜だ。」みたいなことを書いたけれども、同じようにレブロンが多くのプレイヤーの範となったのかというと、そういう事ではなくて、現今のNBAの求めるプレイヤー像が、先に私の挙げた如く「そこそこシュートが上手くて、そこそこドライブ出来て、そこそこリバウンドも取れる」であって、むしろレブロンはそこに合わせていったのだろう。レブロンの資質、あるいはNBA入りをした当時の期待を考慮すれば、レブロンは本来もっとエキサイティングな選手だった筈である。そういった意味では、「レブロンは時代の犠牲者だった」とも言えなくもない。 実際、現今のNBAプレイヤーの範は、レブロンでは全然なく、それこそまさしくステファン・カリーなのであろう。カリーの体格をもうちっと良くすると、まさしく先に私の挙げた「そこそこシュートが上手くて、そこそこドライブ出来て、そこそこリバウンドも取れる」になる。だとすると、ホントに偉いのはステファン・カリーではなく、もちろんデル・カリーでも全然なく、スティーブ・カーなのだと思う。まさしく、時代を先取りしたプロメテウスだったのだろう。こういう形でジョーダンに復讐するとわ。 これだけ100点ゲームばかりになって、リーグ全体の総得点が上昇しているのだから、アベレージで40点獲るような選手が出て来てもよさそうであるが、そういう選手が出て来ないというのは、それだけ全選手に得点機会を与えているという事なのであろう。平均化しているという事なのであろう。まさに機会均等オフェンス。究極のトライアングル・オフェンス。やはり、スティーブ・カーの勝利なのか。レブロンは時代の犠牲者なのか。 ただまあ、その副作用という訳ではないだろうけれども、先にも書いたように、選手の区別がつかん。みんな似たような体格・プレイスタイルの選手ばっかり。小レブロン、小カリーみたいのばっかり。 前回の記事で、「レインビアは、むしろ現今のNBA向きだ。」みたいな事を書いたけれども、同じような意味では、アラン・ヒューストンとかスティーブ・スミスとかロバート・オーリーなんかも現今のNBA向きだと思う。 で、「同じような意味で、ロッドマンとかオークリーとかメイソンとかは、現今のNBAではお払い箱だ。」とも書いたけれど、ほんとああいうタイプは見かけん。オリバー・ミラーとかね。 ああいうスクリーン要員というか、スペースイーターというか、邪魔要員というか、デブは、今のNBAでは完全にお払い箱ですな。河田兄は現今のNBAにぴったりのプレイヤーだけど、河田弟は洟もひっかけられないであろう。つか、唾吐かれるわ。 で、今、オリバー君を検索したら、なんと2025年3月12日に死んでた。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。やっぱダメだな、デブは。てやっぱ、デブは死ぬな。河田弟ももう死んでっかも。 オリバー君のデブはともかく、現今のNBAはかつてと違って、同じようなタイプの選手が多く、一目でそのポジションやスタイルを分別しがたくなっている。 それは1番バッターから9番バッターまでホームランバッターの並ぶ、あるいはホームラン狙いのバッターばかりの並ぶ現今のメジャーリーグを連想させるものがある。 「現今のメジャーリーグのこの戦略戦術ははっきり間違っている、非効率的、非科学的である」と私は断言できるし、それについては「打順論」で詳しく述べたい。いつ終わるか分かんねーけど。 ただ、現今のNBAの採用するこの戦略戦術、まあ「長距離砲攻撃」「ロングレンジ攻撃」とでも名付けるかな、そういうものが間違っていると私は断言できるかといえば、それは出来ないし、むしろ「肯定派」である。バスケットボールの戦略戦術を効率的、科学的、合理的に考えていったら、こういう戦略戦術に行き着くのではないかと思う。 理由をいくつか述べよう。 まず一つ目。「バスケットボールの長距離は長距離でない」である。 バスケットボールのコートの広さは、リーグやカテゴリーによって微妙な差はあるものの、一般的には「縦28メートル、横15メートル、ゴールの高さ約3メートル」である。 したがって、まあまあ最長のシュートはせいぜい10メートル前後という事になる。自陣ゴール下からのムチャ投げシュートもなくはないが、それは例外的なものであろう。 で、10メートルなのであるが、これって、他のスポーツなら短距離、いや最短距離だよね。 例えば、野球の「10メートル」というと、分かり易いのはピッチャープレートからホームベースまでの距離、18メートルほにゃららの約半分である。その程度の距離でストライクを取れないピッチャーは話にならないであろう。 前回の記事でも、似たようなことを書いたけど、「野球の10メートル」とはそういう距離である。キャッチボールの最初の距離といっても良いかもしれない。人によっては2メートル、あるいは5メートルぐらいから始めるかもしれないけど、それくらいの距離は所謂「おしゃべりタイム」で肩慣らし程度、10メートルくらいからが、本格的と言ったらおかしいが、ある程度全身を使って正しいフォームで投げる距離であり、そこから15メートル、20メートル、30メートルで距離を伸ばしていくものであろう。 で、その最初の10メートルをきちんと投げられない選手はクビになるよね、野球を辞めた方がいいよね。 また、フットボールにおける「10メートル」というと、凡そ10ヤードちょい。そこをきっちり投げられないQBは即クビであろう。ポジション変更を言い渡されるであろう。 つか、QB以外でも、フットボール経験者なら10ヤードくらいは誰でもきっちり投げられると思う。いやまあ、「俺はフットボールを初めて20年経つが、いまだに只の一度もボールを投げたことがねえ」なんて強者ラインマンもいないことはないだろうけど、そんなのは特殊な例外であろう。 FGに関しては、10ヤードは無論「最短距離以下」である。いや、「近すぎて入らない」かもしれんけどな。 では、サッカーの「10メートル」はというと、分かり易いのがPKの距離で、これが11メートル。 これが「10メートル」という距離で、他の多くのスポーツの場合、それはむしろ「最短距離」なのである。 実際、この程度の距離なら、スポーツマンでなくとも、大概の人は、ちょっと練習すれば、「ボールを的に当てる」事のできる距離であろう。それが「10メートル」という距離である。 しかも、バスケットボールは基本的には「屋内競技」である。風の影響は受けない。 まあ勿論、前回も書いたように、ボールの大きさや重さ、ゴールの高さや向きが、他のスポーツとは大きく異なるから、単純比較は出来ないであろう。「ゴールの高さ約3メートル」という事は「実質20メートル」とも云える。 ただまあ、バスケットボール自体においても、1メートル、3メートル、5メートル、10メートルで、シュート成功率はたいして差がないんだよね。ディフェンスの無い状態、すなわちフリースローの状態ならば、シュート成功率は1メートルでも10メートルでも70%前後なのではないだろうか。勿論、距離が延びるにつれて、シュート成功率は落ちるであろうが、数%、せいぜい10%程度の差だと思う。フットボールのFGのように、90%と50%というような、そういう差ではない。1メートルと10メートルはそれくらいの差である。20ヤードと50ヤードの差ではない。 しかも、その10メートルのシュートというのは、誰でも、それこそバスケットボール選手ではなく、平均的な運動能力の持ち主ならば、それなりの練習量は必要であろうが、そこそこの確率、それこそ70%くらいで決められる距離であろう。 例えば、私でもそれは決められる距離であろう。勿論、現時点でいきなりは無理、届かないであろうが、1年とは言わないが、半年くらいきちんと練習すれば、それなりの確率で10メートルのシュートを決める自信はある。つか、フリースローなら現時点でも70%くらいで決める自信はある。シャックには負けない。 実際、ン10年前のテレビで「フリースロー連続1000本成功だか1万本成功だかした爺さんがギネスブックに掲載された」なんてニュースが報道されてた。 まあ勿論、試合中の3ポイントと練習状態でのフリースローを同一視は出来ないけれども、バスケットボールの「長距離シュート」というのはその程度の技術である。「誰でも」は言い過ぎかもしれないけど、NBA選手なら誰もがそれなりの確率で決められる技術である。実際、センターやパワーフォワードの選手が現今のNBAではバンバン3Pを決めている訳である。 つか、女子でも、3ポイントだけなら、NBA選手並み、いやNBA選手以上に上手い選手はいくらでもいるだろう。それこそ「ディープ3」だって女子にも可能な技術である。 プロ野球で使用される球場で、フェンスを越えるホームランを打つ事は女性にはなかなか難しい、というか一般男性でも難しいだろうけど、バスケットボールの3ポイントや長距離シュートというのは、男性女性を問わず、多くの人に可能な技術である。「10メートル」というのは、そういう「距離」である。 二つ目の理由は、「ディフェンスのしにくさ」である。 これは当然、スペースの広い「長距離シュート」の方がディフェンスはしにくくなる。故に、ペリメーターに4人並べて、3回ぐらいパスを回せば、どこかかしらはフリーになる。人はボールより早く動けない。 一方で、ペイント内は、逆に3人ぐらいで埋まっちゃう、オリバー君なら2人くらいで埋まっちゃう広さである。ペイント内の方が当然ディフェンスはしやすい。それでも、突っ込んできてダンクなりダブルクラッチなりをしてしまうジョーダンみたいなのもいるにはいるけどさ。 つう訳で、「ディフェンスのしにくさ」、オフェンス側から見れば「シュートの打ちやすさ」は長距離シュートの方が上なのだから、ここでもやっぱり、短距離シュートより長距離シュートを打つべきなのである。 ちなみに、シュート成功率は一般にゴールに近いほど高い、すなわちペイント内が最も高いのだけど、これはひとたびシュートを打てさえすれば、その通りになるであろうが、「シュートを打つまで」も換算したら、ペイント内も3ポイントも径庭はないように思う。 すなわち、ペネトレイトしたはいいものの、ペイント内の混雑に阻まれ、シュートを諦めキックアウトした場合、これは「シュートアテンプト」とはみなされず、「パス」、その後のシュートが決まれば「アシスト」になる訳だけど、これも、ある意味「シュート失敗」だと思う。勿論、「シュートを諦めてのパス」なのか「あらかじめ意図してのパス」なのかの線引きは難しい、というか、事実上不可能だろうけど、これも「シュート失敗」と換算できると思う。そういう事も換算すれば、内も外もシュート成功率は同等、もしかしたら、前述の「シュートのしやすさ」も勘案すれば、外の方が実質的なシュート成功率は高まるようにも思う。まあ、統計採ってる訳でもねーけどさ。あくまで思考実験の域を出ないけどさ。 3つ目は「オフェンスリバウンドの取りやすさ」である。 普通に考えれば、シュートが遠ければ遠いほど、ゴールを外れた場合、ボールは遠くに弾む。となれば、すなわち、ゴールから遠いところにいる選手にもリバウンドを取れる確率は高まり、オフェンスリバウンドの方が有利とまでは云わないが、少なくとも五分五分に近い確率にはなるのではないだろうか。 先に私はペイサーズの選手のスクリーンアウトサボりを責めたけれども、こう考えると、最近の選手がスクリーンアウトに熱心でない理由が分かる。まあでも、あれは「敗因」だけどな。 ペイント周辺のシュートが多い時代には、スクリーンアウトはリバウンド死守のために必須の技術だったかもしれないが、この3ポイント乱発時代だと、あまり重視されない技術になるのかもしれない。赤木剛徳、涙。シシューーーー。 とまあ、そんな風につらつら考えると、前回書いたような「ルール通り」かはともかくとして、バスケットボールというゲームの理屈に則って戦略戦術を考えていくと、現今のNBAのようなスタイルになるのかもしれない、とは思った。さしづめ、「正しい進化」といったところであろう。私の、あるいは、かつての識者の「バスケットボールはフロントライン」という信条は完全崩壊かもしれない。 そりゃ勿論、かつてのチェンバレンとかジャバーとかシャックのようなスーパーセンターがいれば、話は別であろう。それこそ、ポートボールじゃないけれど、「彼らへのパス=得点」な訳である。しかも、コート最長身選手へのパスは3ポイントよりはるかに容易だし高確率である。なかには全盛期のオラジュワンのようにペリメーターでボールを貰えるような、そんなセンターすらいた訳である。それなら、まさしく「バスケットボールはフロントライン」であろう。まあ、「ジョーダンへのパス=得点」でもあったけどな。 ただまあ、そういうセンターは非常に、ヒジョーに少ない。NBAのの80年近い歴史の中で、先の3人にジョージ・マイカンを加えて4人しかいない訳である。ダンカンは準センターとして数え入れても良いかもしれない。ほんとに20年に一人とか、そういうレベルの人材である。 実際、NBAドラフトの歴史は、スーパーセンター発掘の歴史、いやスーパーセンター発掘失敗の歴史といっても良いくらいである。ジョーダンの前に、オラジュワンとサム・ブーイが指名されたのはその象徴であろう。 でも、大概ケガして、いなくなっちゃうんだよね。最近だとオデンちゃんとか。あとは、ミュアサンのような「デカいだけ」シリーズ。高さと技術と運動能力と健康を兼ね備えた選手は、ほんとに上記の4人くらいしかいない。ヤオミンをどう見るかは微妙なところではあろう。やっぱり「デカいだけ」シリーズに連なっちゃうんかなあ。 つう訳で、現実的には「スモールパッケージ」&「3ポイント乱発」という現代NBAのスタイルにバスケットボールは収束するのであろう。「正しいバスケットボール」なのであろう。 もっとも、「面白いか」と問われれば、微妙なところではある。多くの人々が返答に窮するのではないか。私もその一人である。 でまあ、そういう、ある意味、バスケットボールへの究極的な疑問を背に、かつて80年代90年代に活躍し、今、解説者やテレビタレントに転身したウルサ型、バークリーとかシャックとかレジさんとかがやいのやいの言って、現代のNBAプレイヤーやファンに嫌われているらしい。日本人であり日本在住の私にそのへんの事情を詳しく知る由はないけれど、目には浮かぶ。はっきり浮かぶ。あの娘の涙のように、はっきり浮かぶ。 で、現代のNBAプレイヤーやファンがウルサ型に対して色々と反論しているらしいのだけど、その中で最も強力かつ中心的なのが「当時はレベルが低かった」であるらしい。 出た、「レベルが低い」。この手の議論になると必ず出てくるフレーズ。これって洋の東西を問わないのね。初めて知りました。勉強になります。 特に、時代や時間が隔たっているものの比較、この場合は「現在のNBA」と「シャックやレジさん時代、すなわち90年代前後のNBA」との比較になる訳だけど、この「レベルが低い」論は非常に多用される。「バカの慰みもの」と言っていいくらいである。 では、何故にバカはこの論「レベルが低い」を多用するかというと、理由は一つしかない。それは、「絶対、反証されないから」、すなわち「実証できないから」である。 これが仮に、同時代、すなわち時間を共有するものの比較ならば、それほど多用されない。実証反証が容易だからである。すなわち、実際に戦ってみる、あるいはプレイしてみればよいからである。 例えば、セントラルリーグとパシフィックリーグ。これは時折、そのレベルが比較されたりもするが、多用乱用されることはない。結論が出ているからである。日本シリーズやオールスターゲームで両リーグに所属するチームが直接戦ったり、あるいは一方のリーグに所属していた選手が他方のリーグに所属したりしているからである。 んで、その結果はというと、おおよそ同等。局地的に勝敗が偏ったり成績が偏ったりする場合もあるが、全体としてみれば、大きく勝敗や成績が隔たることはない。よって、「両リーグのレベルが同等」という結論になる。 また、日本のプロ野球とメジャーリーグ、これもかつてはそのレベル差について云々される時もあったが、野茂の渡米以降、完全に結論が出た。多くの日本人プレイヤーが日本と同等の成績を収められず、せいぜい日本の7割程度の成績が精一杯である。一方で、これは野茂の渡米以前から分かっていた事であるけれど、メジャーリーグで活躍できなかった選手の多くが日本でタイトルホルダーとなってしまう。 日米野球やWBCといった多少の例外を除き、この両リーグがチームとして直接対決したことはないけれど、選手の往来は盛んであるので、それを基にほぼ結論は出せる。「メジャーリーグは日本のプロ野球よりレベルが高い」である。 また、同時代であっても、かつてのソ連とアメリカのバスケットボールのように、政治的な理由等々で直接対決できない場合もなくはないが、それはあくまで例外的なものであろう。 ただし、こうした事例と異なり、時を同じくしないリーグ、あるいはスポーツ集団の比較は容易でない。というか、事実上不可能である。実証不能である。 まあ、勿論、タイムマシンがあれば話は別だけど、タイムマシンを作れない事は、哲学的論理的に完全に証明されているので、不可能である。実証不能である。 まあ仮にタイムマシンが作れるのなら、それこそ長嶋vsダルビッシュとか金田vs村上とかが実現し、「レベル問題」は実証されるであろう。解決されるであろう。 案外、長嶋がダルビッシュからスコーンとあっさりホームラン打っちゃうかもな。で、「いや、ダル君はイイピッチャーですね。過去に連れて帰りたいですよ。」なあんてコメントしたりしてね。 「長嶋vsダルビッシュ」については私は全く予想できないけれど、「金田vs村上」の予想は簡単である。最初の数打席は見逃し三振が続くであろう。村上は金田のカーブを見逃す事しかできないと思う。ある程度慣れてきたら、どうなるかは分からんけどな。それこそ、後楽園の場外にドカーンと確信歩きかもしれないけどな。 金田のカーブについては、かつて野村が「金田さんのカーブは凄いんだ。振る事すら出来ないんだ。明らかにボールというところから、急角度かつ高速で曲がってきてストライクになってしまう。ある程度慣れれば話は別だけど、初めのうちはずっと見逃しだよ。それを初対戦で4打席連続空振り三振した長嶋はスゴいんだよ。異常だよ。普通は絶対に振れない。」。 みたいな事を常々云っていて、私は「ホンマかいな」と思っていたのであるが、最近裏書きを得た。 数か月前、どこぞの野球雑誌に南渕(憶えている人、いる?。)のインタビュー記事が掲載されていた。それによると、南渕はルーキー時、監督が金田であったのであるが、その金田に可愛がられ、バッティングピッチャーまで務めて貰ったそうなのである。 当時、金田は50代後半であったから、球速はそれなりだったのであるが、あのカーブはやはり「振れない」そうなのである。野村が述べている通り、「明らかにボールというところから、急角度かつ高速で曲がってきてストライクになってしまう。」そうなのである。 で、南渕は「監督、あれは振れませんよ。」って感想を述べたら、金田は嬉しそうに「だろう。」と言ったそうである。細かな言葉使いは間違ってるかもしれないが、そんなニュアンスである。 こういう類の変化球としては、杉浦のカーブとか伊藤智仁のスライダーなどが挙げられる。「ボールだと思って見逃したら、右足に当たってた」とか「デッドボールかと思ったら、バッターは空振りしてた」とかいう変化球である。石井vs松井の初対決のスライダーもそんな感じかもね。その最高級品、頂点が「金田のカーブ」なのであろう。 ちょいと話が逸れた。 この手の架空対戦を空想、あるいは妄想するのはスポーツファンの楽しみのひとつかもしれないけど、それはいずれにしても、空想妄想であって、論拠にはならない。故に、スポーツファンの議論の切り札として「レベルが低い」は使用される訳である。絶対反論されないからね。永遠の安全地帯。 で、今回の「20年代と90年代のNBA、どちらがレベルが高い」に関しては私は分からん。議論に参加するつもりもないし、資格もない。 ただまあ、一般論として、人間のやる事に今も昔も対して差はないと思う。今回の議論に関しては、最近派の人達は「昔の選手は技術が無かった」って盛んに述べ、それを「レベルが低い」の論拠にしているらしいけど、人間の技術というのは、「大谷の二刀流」でも分かった通り、その多くは「出来る出来ない」ではなく「要る要らない」だと思う。「出来ないから、やらない」のではなく「要らないから、やらない」であり、「出来るから、やる」のではなく「要るから、やる」なのである。「可能不可能」ではなく「要不要」だと思う。 例えば、先に私は「現今のNBAでは、ロッドマンやオークリー、メイスン、オリバー君(いや、あいつは当時からか)らはお払い箱で、レインビア、アラン・ヒューストン、スティーブ・スミスなどは重用されるだろう」みたいなことを書いたけれども、これは彼らの技術レベルの問題ではなく、そのプレイスタイルと戦略戦術の一致不一致の問題である。技術の優劣の問題ではない。 また、最近のプロ野球解説者は「今の選手はバントが下手」みたいな事をよく言うけれど、これも最近のプロ野球がかつてほどバントを多用しなくなった結果であって、バントが多用されれば、今の選手だって、バントくらいいくらでも上手くなるであろう。「要不要」の問題である。 また、古田のフレーミングなども、かつては否定されていた、いや軽蔑さえされていた技術だけれども、今では歓迎、いや切望されてさえいる。 また、スポーツの世界以外でも、同様の事はいくらでもある。例えば、今の40代以下の人たちには想像もつかないであろうが、かつての駅員達は皆、恐ろしいスピードで切符を切っていたのである。それこそ、現今の自動改札機と変わらぬ(いや、それは大袈裟か。)と言っても良いくらいである。そうして、切符を切る一方で、定期券もきっちりチェックしており、期日が過ぎていると「お客さん、期限切れてますよ。」といって、肩をつかむ。 こういう技術を持っている人は粗方定年退職してしまって、今いきなり自動改札機が完全に機能停止して、切符切り大復活となったら、駅の構内は大混乱となろう。 でも、1ヶ月どころか1週間もすれば、元の落ち着きを取り戻すであろう。今の駅員たちがかつての技術をアッという間に身に着けるからだ。「要不要」の問題である。 駅といえば、かつては駅の売店のオバチャン達も皆名人芸を持っていた。店の全商品の値段を丸暗記しており、なおかつ、それらをアッという間に暗算できるのである。常連となると、商品を出す前にお釣りが出てきたりするのだ。そこで、ごくまれに東スポを買ったりしてイタズラするのはサラリーマンのささやかな楽しみであった。バーコードやICカードの普及した現在には不要の技術、イタズラである。 また、最近の大工はすっかりカンナを掛けなくなってしまったけれども、これも工法の変化によるもので、最近の大工が腕が落ちたからではない。実際、今でも宮大工はカンナを掛けてるしね。 このような事例は山程あるだろうけど、実際人間の能力というものが、30年50年くらいで変わるとはとても思えない。今の人に出来る事は30年前の人にも出来るだろうし、30年前の人に出来る事は今の人にも出来るであろう。極端に言えば、1000年前2000年前でも事情は同じだと思う。 例えば、孔子やキリストの時代の人々をタイムマシンで現代に連れてきたとする。その当初、最初の数日は世界のあまりの違いに大きく戸惑うであろうが、1ヶ月どころか1週間2週間でたちまち現代生活にその人達は慣れてしまうであろう。PASMOで缶コーヒーを買うようになるし、現金で缶コーヒーを買ってお釣りが出なかったら、その電話番号に苦情のひとつも言うであろう。「お釣り出ないぞー。」。 それは恐らく1万年前の人でも同様であろうが、100万年前の原人のような人達はさすがに分からん。予想できん。 原人の人間度はともかくとして、人間の能力というのは時代の変化で大きく変わるものではないと思う。勿論、特殊な環境下では話は別である。例えば、江戸時代の日本人、今の人々に比べ、食糧事情が低劣であるから、当然体格も劣る。それによる能力の低下は当然あるだろう。でも、環境がおおよそ同じ、例えば、アメリカ人なんていうのは、ここ100年、いや200年300年、そんなに生活環境は変わっていない。同じような食生活をしている。電化社会、車社会になったぐらいが大きな変化であろう。故に、例えばテッド・ウィリアムズが現代にタイムスリップしてきたとしても、4割かはともかく、同じように強打者であるだろう。 また、ジャバーのスカイフックやティム・ハーダウェイのキラークロスオーバーみたいな技術もあるが、これらは確かに技術ではあるけれど、どっちかというと「特技」とか「個人技」に属するもので、全体の技術の優劣、レベルとは関係ないものであろう。 とまあ、こんな風に書くと、「いやスポーツの記録、100メートル走、マラソン等々、全ての記録は昔より良くなっている。スポーツマンは日々進歩している」というような反論もあろう。 まあ、確かにスポーツマンは進歩しているのかもしれない。技術も進歩しているのかもしれない。それが結果、数値に表れているのかもしれない。でも、その多くは、本人の進歩、人間の進歩というよりは、周囲の進歩、周辺機器や環境の進歩だと思う。 どっかの記事で、ちょろっと書いたけど、まず単純に考えても、計測機器の進歩があるだろうし、靴やウェアの進歩もあろう。あと地面ね。かつては土や芝の上を走っていたのがアンツーカーになり、いまや、それを超える素材で地面が作られている。実際、記録の出やすい競技場がある訳である。 また、水泳のスイムウェアも一時期話題になっていたよね。あと、魚雷ガール。 また、食事やコンディショニング法、トレーニング法の進歩もあろう。 そういった諸々が現代のスポーツマンの「レベルの向上」につながっているかもしれないけど、でもそれはスポーツマン本人と関係ないでしょ。スポーツマンの功績ではなく、スポーツ関係者の功績でしょ。自分の手柄にするのは良くないよね。 実際、アベベが現代に蘇ったら、2時間切っちゃうかもしれないよね。でも、それは詮無き想像であろう。マンガのアングルとしても劣っていると思う。 そうそう、「食事やコンディショニング法、トレーニング法」に関しては、日本のみならず、世界的に見ても、金田は大変な、というか異常な先駆者であるから、これは金田本人の功績とみるべきであろう。そういった意味では、金田は現代の投手、ダルビッシュ等々より「レベルが高い」とは云えるかもしれない。ウィキ情報によると、金田はタバコも吸わなかったらしい。理由は分からんが。しかし、今回の記事、やたら金田が登場するな。あとで、もっかい出てくる。 で、金田からレベルに話を戻す。 多くの人々が「レベル」の話をしたがるのは分かるけどさ、一方じゃ、なんでそんな事ばかり言うかなとも思う。「レベル」っていうのは、客観的に、あの時代とこの時代と比べたり、あるいはかつてのアメリカとソ連のように諸般の理由で対戦出来ないものに対して、色々と妄想に妄想を重ねる為の、ひとつのツールだとは思う。、スポーツファンの楽しみの一つだとも思う。私はあまりしないが。埒が明かないから。結論が出ないのは分かっているから。「角の三等分問題」同様、答えが出せないことが証明されているから。私は解けそうな問題しか解かないタイプなのだ。 では、何故多くの人々が「レベル」を持ち出すかというと、それは「愛国心」同様、結局のところ自己愛の変化したもの、ひねこびた自己愛だからだ。自分のプレイした時代、自分が観客として楽しんだ時代をベストとするために「レベル」を持ち出している訳である。それは間接的な自己愛だよね。それって、ダサい事でしょう。 自己愛っていうのは無論、生命としての本能だから、それ自体、否定はしない。それを否定したら、私は自殺しなければならなくなっちゃうしね。自分の好きなマンガがアンケートで人気第1位を取れなかったので泣き崩れちゃった、っていうような女子中学生がいたけれども、そういう自己愛なら可愛いもんだと思う。 でも、この「レベル論争」をしている人達や右翼の方々のような間接的な自己愛、回りくどい自己愛、ひねこびた自己愛は、ほんとダサいと思う。女子中学生のように直接的表現しろよ。 私がダルビッシュが絶望的にダサいと思うのは、そこなのである。自画自賛したいなら、それこそ金田のように臆面もなく、直接的に自画自賛すればよいと思う。「400勝したで〜。ミッキー・マントルから三振とったで〜。180キロ出てたで〜。」と臆面もなく自画自賛すればよいのである。180キロはともかく、先の二つは事実なんだから。 それは決して恥ずかしい事ではないと思う。実際、三島由紀夫は「男の中の男」の代表として金田をその文章によく使っている。「カッコイイか」と問われれば、微妙だけどさ。 ちなみに、マイケル・ジョーダンも直接的な自画自賛の人間である。もっとも、マイケル・ジョーダンの場合は「言う」だけでなく、その場で「やる」、というか「やってきた」から恐ろしい男なのであるが。 ところが、こういう人たちと違って、ダルビッシュはSNS等々で「レベルがどう」の、グチグチ言うからダサいのである。もっとも、ダルビッシュの場合は、日本人とイラン人のハーフという事で色々辛い目にあってきたろうから(かつて、メジャーリーグ行きをためらっていたのは、それも理由のひとつであろう。あの当時、イラン人の渡米はハードルが高い。)、多少大目に見てやる必要もあるかもしれない。ただ、それを云うなら、金田とて在日韓国人として、同様に、あるいはそれ以上に辛い目に遭っているであろう。まあ、それくらいは軽く弾き返しちゃうだろうけど。 自画自賛は、金田やジョーダンのようにおおらかにやりましょうというお話でした。 つう訳で、何の話をしていたのか自分でも分からなくなってきたが、とりあえず、現今のNBAと90年代のNBAの比較論に関しては、私は何とも言えないという立場でございます。 あと、「つまらくなった」という主張もあるのだけど、私個人的には、「昔もこんなもんだったんじゃないかなあ」とも思う。 こんなNBA関連サイトを制作している私が云うのもなんだが、そうして衝撃の告白になるかもしれんが、NBAのゲームは、私は結構寝てまう。現今のゲームではなく、このサイトを始める前、それこそNBA全盛期とされる90年代のゲームでもである。ジョーダンのゲームはさすがに寝ていなかったと思うが、いやジョーダンのゲームも寝てたかなあ。 仕事から帰ってきてから見てたというのもあるだろうが、ゲームを見始めると、私はたちまち寝落ちした。バスケットボールの場合、ボールが左右に頻繁に動き、そうして、あのダムダムがある。完璧な睡眠誘導剤だと思う。医学的に活用できると思う。不眠症に苦しんでいる皆さん、お試しあれ。 んで、不思議な事に、まことに不思議な事に、試合終了前後に、ものの見事に目を覚ますのである。目が覚めると、ヒーローインタビューをしてたりする。 あとまあ、試合終了2分前に上手い具合に目を覚ますという時もある。「バスケットボールは試合終了前の2分間だけ、見りゃいんだよ」っていう迷言があるけれど、あれってホント名言だよね。 一方、NFLの場合は、よほど疲れているとき以外は寝落ちすることはない。むしろ、ちょっと疲れている時、寝落ちしたいなと思っている時に、NFLを観戦すると、逆に頭が冴えてきて、「ヤベえ、寝る時間が4時間しかねえ。」となったりする。 バスケットボールというのは、私にとっては、「それくらいの面白さ」ではある。 つかまあ、前回の記事にも書いた通り、NBAを人気スポーツにしたっていうのは、結局のところ「マイケル・ジョーダン」だからな。80年代90年代の選手は誰もがこの事を承知していながら、それを絶対口に出さないのは、それを云ってしまったら、自身が「ジョーダンのツマ(by魚住)」であることを認めてしまう事になるからであろう。そのへんが分かっている、勘付いているから、現代のプレイヤーやファンはイラついているのだろう。「結局、オメーら、ジョーダンがいただけだろ。」。 本来、スポーツっていうのはドメスティックなもので、その名声が外国にまで広がる、世界中に広がるという事はまずない。長嶋や王の海外での知名度は0に近いだろうし、ジャバーやモンタナ、グレツキー、ボンズにしたって同様であろう。 かつて、ジャパンボウル、最後のジャパンボウルだったかな、その時、ペイトン・マニングやマイケル・ヴィックが来日した訳だけど、当時の、というか今現在でもだろうけど、日本人の多くはマニングやヴィックに全然関心が無く、アメリカのウェブニュースか何かの見出しが「Who,Manning.Who,Michael.」になってた。で、それに続く記事の冒頭は、「日本ではマニングやヴィックより、イチローや松井の方が人気がある。」。 そんなもんである。テニスやゴルフ、ボクシングのように世界チャンピオンを争うスポーツ、あるいはワールドカップのような大会のあるサッカーを除いては、スポーツマンが世界的名声を得ることはなかなかに難しい。 いや、それらだって、名声は一時的のもので、意外にあっさり忘れられちゃう。マッケンローやボルグ、ニクラウスやタイガー・ウッズ(いや、ウッズはほんとにどこに行った。どこにいる。)なんて、みんな忘れてるでしょ。ペレやマラドーナだって、今のサッカーファンは話題にしないでしょ。 アリとタイソンは、現時点でも名声(タイソンは悪い方で、)はあるけれど、これもどっちつうと、「リングの中」というよりは「リングの外」での名声って感じである。 世界中どころか、時を隔てて、すなわち時空を超えて、名声を保っているスポーツマンはマイケル・ジョーダンしかいない。昨今はやりの「GOAT論争」にしたって、あれは結局「ジョーダン論争」でしょ。「ジョーダンを超えたか否か」、いや「ジョーダンにどれだけ近づいたか」って論争、議論でしょ。 もう引退して、30年近く経過している選手だよ、マイケル・ジョーダンは。今の若い人が生まれる前に引退してる選手だよ、マイケル・ジョーダンは。 また、マイケル・ジョーダンは、その所属するチームを世界一有名なプロスポーツチームにしちゃった、現状唯一のプレイヤーでもある。 ジョーダン以前のブルズなんて、そもそもアメリカ人、いやシカゴ市民ですら知らないようなチームである。当時のシカゴにおけるプロスポーツチームの人気はというと、当然ベアーズが断トツ一位。しかも、ダ・ベアーズの頃である。そういえば、フジテレビの元アナウンサー内田恭子はかつてシカゴ市民、それもダ・ベアーズの頃のシカゴ市民だったらしく、「プロ野球ニュース」のキャスターを務めていた頃、基本的にどんなスポーツニュースにも無関心なのであるが、「ベアーズ」にだけは反応してた。「ベアーズ、頑張ってるんですか。」。シカゴにおけるベアーズというのは、そういうチームである。 んで、そのベアーズのずっと下にカブス。で、そこから、だ〜〜〜〜っと下がってホワイトソックス。んで、その下がブルズ。いや、どんだけ人気ねんだよ。ジョーダンも、ドラフトされた時は、ブルズの事を知らなかったと思う。それから10年後、シカゴ・ブルズは世界一有名なプロスポーツチームになる訳である。 そんな事をしでかしたスポーツマン、ジョーダン以外にいない。「SSCナポリ」、知ってる。知らんでしょ。 大谷比率で云えば、ドジャースやエンゼルスを世界一有名なチームにするのではなく、北海道日本ハムファイターズを世界一有名なチームにするって事である。スイス人やエストニア人、タイ人やチリ人、エチオピア人でも北海道日本ハムファイターズを知ってるって事である。想像できんでしょ。でも、そういう事をしたんだよね、マイケル・ジョーダンは。まあ、エチオピア人がブルズを知っているかは微妙だけど。自信はない。 期せずして、というか、やっぱりジョーダンの話になっちゃった。許してね。 ペイサーズについては、やっぱり全然書いていない。ハリバートンとニスミスは覚えたぞ。あと、マイルズ・ターナーは昔からいたな。私が見るのを辞めたその年くらいにピックされてた。 しかし、二スミスって。日本の苗字にあてはめたら、上佐藤とか西鈴木とか、そんな感じか。 以上、新URL一発目の記事は超拡大版でお送り致しました。許してね。いっぱい出ちゃった。テヘ。 2025/4/5(土) |