インディアナポリス研究会ペーサーズ局
歴史

24−25シーズン

TOPページへ

ペーサーズ局TOPへ

1/2/3/4

Finals 第5戦第6戦  書店に長嶋追悼号が並んでいる。良さそうなのがあったら買おうかなと思って、パラパラしたのだが、これといったものは無く、購入は見送った。

 長嶋関連誌というのは、生前から山ほど出版されており、どんな編集をしても今更感は否めないので、致し方ない点もあろうが、もう少し何とかならんかなと思わんでもなかった。

 そうした記事の中でちょっと目に留まったのは、とある長嶋のインタビュー記事である。それによると、長嶋は、若い頃、ディマジオを意識していたというのである。

 さもありなんと思った。前々回の記事で、「長嶋に似た選手はいない。」「長嶋はカッコよかった。」みたいなことを書いたけれども、そこでちょいと書き忘れたのであるが、強いて挙げれば、長嶋に似ている選手はディマジオだったと思う。「56試合連続ヒット」や「マリリン・モンローとの結婚・破局」といった、長嶋に比するとスケールは小さいが、その事跡に「ミラクル」はある。また、ディマジオは、長嶋やジョーダン同様、「カッコいい」選手であった。「GRACE」と称えられた。

 また、テッド・ウィリアムズとの関係も長嶋と王との関係に似ているかもしれない。いや、こちらは、さすがにルースとゲーリッグかな。

 それはさておき、イラン・イスラエルの続報である。最近は鳴りを潜めているが、ちょい前には「イスラエルによるイラン放送局への攻撃」の一報があった。しかも、そのターゲットとされた放送局自体が自身への攻撃を生放送(?)しているのである。地震発生時の放送局の生放送は日本人にはお馴染みであろうが、ミサイル攻撃の生放送は初めて見た。史上初だと思う。

 で、その生放送を担当していた女子アナウンサーは生きててやんの。いや、生きててよかったけど、命あって何よりだけど、そんなもんなの、ミサイル攻撃って。前回も書いたけど、現代兵器の殺傷力・破壊力ってそんなもんなの。

 建物自体は半壊、あるいは4/5壊程度で、それなりに死傷者も出たらしいが(ご冥福をお祈りいたします。お悔やみ申し上げます。)、壊滅的な被害とは程遠い。

 いや、知ってますよ。こんなトボケタことを書いているけれども、現代兵器が殺傷力や破壊力をコントロール出来るってことぐらい、晩稲の私でも知ってますよ。

 イラク戦争の時、フセインの弟がどこぞのビルの二階に潜伏している事を知ったアメリカ軍は、ピンポイントでミサイル、あるいは誘導弾を放ち、さすがにフセインの弟のみって事は無いだろうけど、その二階を攻撃、フセインの弟の殺害に成功したらしい。「60ミニッツ」で報道してた。それが20年くらい前の話であるから、現在では、その精度、制御システムはより洗練されているであろう。GPSがあるのだから、緯度経度が判明すれば、そんな事は容易いであろう。

 今回のイラン・イスラエル戦争は「核施設云々」が一応動機となっているけれど、そういった意味では「核兵器」は時代遅れの兵器に成り下がっているといっても良いであろう。ヒロシマ・ナガサキ以降、「核兵器」が使用されないのは、「反核団体」の尽力も大きいであろうが、もうひとつにはこの核兵器自体の時代遅れっぷりもあると思う。現代戦で使用するには、破壊力・殺傷力が強大過ぎる、あるいは制御不能なのである。アバウトに過ぎる、あるいはノンシャランな兵器といってよいであろう。「核兵器」は、もはや政治的な意味、政治的カードでしかない。今回もそういう「使われ方」をしている。

 もっとも、そういう兵器を、思わぬ使用法で巧みに運用して、自軍を勝利に導くのが所謂「天才軍師」なのであるが。「鉄砲と織田信長」とか「大砲とナポレオン」とかである。

 そのへんの軍事史はともかくとして、最近、サンライズチャンネルで「イデオン」が配信されている。それを何とはなしに見ていたら、その第18話で「同じ人種でも、違いところに住んでいる人間は違う人間なのよ。」ってセリフが出て来た。耳の痛い話である。40年以上前の子供向け(?)テレビマンガに痛いとこ突かれてちゃあねえ。

 イランとイスラエルも何をか況やだけれども、この機に乗じて漁夫の利を得ようとしているアメリカとトランプの「強欲」もどうかしている。恥ずかしくないのかねえ。

 「強欲」はアメリカの国是、トランプの人生指針であるから、致し方ないのかもな。日本人だって、ちょっと前までは「エコノミック・アニマル」と言われてたしな。

 そうして、その「強欲」の頂点は、アメリカとトランプではなく、ミニマリストであろう。所有に伴うマイナスすら嫌がるっていうのだから、「強欲」もここに極まれりである。顔が醜い。そんなに「捨てる捨てる」いうのなら、「捨てる」すら捨てるべきであろう。

 この世に、命を賭してまで守るものなんか何もないのにね。命を賭してまで奪うものなんて何もないのにね。「命」すら、命を賭して守る価値は無いのに。捨てちゃえばいいんだよ、命なんて、ましてや、財産なんて。

 と、こんな事を書くと、「じゃあ、お前の全財産、おくれ。」って言ってくる奴がいそうだが、お前にはやらん。「強欲」だから。

 最近、近所のブックオフで、ちくま文庫の「坂口安吾全集第14巻」が半額セールで売られていたので、ついつい買ってしまったら、牧野信一の話が出て来た。

 ある時、足穂が牧野のもとに赴き、「貧乏で食えないし、めんどくさいから首でもくくろう。」と唄でもうなるように早口でまくしたてたと牧野が安吾に語った、とある。

 足穂が牧野に自殺の相談をして、それを安吾に語るって。しかも、その自殺の動機が貧乏。私は腹を抱えて笑ってしまった。まさしく抱腹絶倒。

 命はすべからく軽々に扱うべし、といったところか。

 つう訳で、この世に命を懸けて守るべきもの、命を懸けて奪うべきものなんて何もないというお話でした。ちゃんちゃん。


 いや、違うわ〜〜〜い。


 NBAチャンピオンの座は命を懸けて奪うべきものじゃわ〜〜〜い。


 つう訳で、NBAファイナル第5戦第6戦が執り行われたのでありますが、結果は、ペイサーズ側から見て●○。ここまで6戦通算だと○●○●●○。つまり3勝3敗。第7戦で決着じゃ〜〜い。雌雄を決するんじゃ〜〜い。どっちがオスでどっちがメスかはよう分からんが。なにげに性差別的表現かも。ヤバい、フェミニストに狙われとる。

 で、第5戦第6戦の感想であるが、正直無い。つか、2戦とも途中で寝ちった。以前どこかで書いたが、典型的な私のバスケットボールあるある。すぐ寝る。そうして試合終了時にピタリと目を覚ます。

 録画はしているので、見返すことは出来るのであるが、その情熱は無い。まあ、たぶん、第5戦はペイサーズのシュートの調子が悪く、第6戦はペイサーズのシュートの調子が良かったのであろう。

 専門家、あるいは通の方々が見れば、勝敗を分けたポイントとかを専門用語をちりばめて解説説明出来るのであろうが、リップ・ヴァン・ウィンクルの私にその力は無い。いや、リップ・ヴァン・ウィンクルで無くとも、無い。正直、今のNBA、少なくとも今のペイサーズは「シュートの調子」が全てだと思う。そうとしか見えん。素人の私には、そうとしか見えん。

 エースのハリバートンについては色々思うところがあるが、それは「選手紹介」の項で書きたいと思う。今回は割愛。

 とにかく、第7戦については、ペイサーズの面々の「シュートの調子」が良い事を願う。それだけだ。誰でもいい、シュートを決めてくれ〜〜。3P連発してくれ〜〜〜。連発してくれたら、抱きついちゃう。私のすべてをあげちゃう。みんなあげちゃう。

 とにかく、

 死んでも勝て〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

 いや、マジで。
 
                                       2025/6/22(日)
6月22日
IND@OKC
91−103
(滂沱の涙)

 およよ。

 取り急ぎご報告まで。詳細は1週間後くらいにアップする予定で〜〜〜す。

                                       2025/6/24(火)

 前回の記事(記事ちゅうほどのものでもないが、)、「1週間後くらいにアップする予定で〜〜〜す。」とか書いたけど、結果スルー。所用もあったけど、腰痛を患ってダウンしちゃいました。許してちょ。

 無理して書けば書けない事も無かったけど、椅子に座るにしても床に座るにしても、腰に負担がかかんだよね。「違和感」を感じちゃいました。ごめんちゃい。誰に謝ってんだか。

 暑くて、何もやる気なくなるっていうのもあるが。暑いのキライ。

 さて、ペイサーズ、運命の第7戦の結果でありますが、

 負けちゃいましたね〜〜。なかなか優勝は出来んもんですな。厳しいもんです。

 インディアナ州は一応、いやホントに一応「バスケットボールの州」を謳っているのでありますが、なんやかんやで、ここまでペイサーズの優勝は無し。ABA時代に三度(1970,1972,1973)あるが、NBA加入以降は無し。新参者のコルツにワールドチャンピオンは先を越される始末。

 一方、カレッジはというと、アイザイア・トーマスとボブ・ナイトの頃まで遡るのかと思いきや、調べてみたら、1987年にインディアナ大学が優勝してた。MVPはキース・スマート。知らん。一応、2巡41位でスパーズに指名されているが、ルーキーイヤーの1シーズン2試合の出場にとどまり、その後、各国リーグを転々、コーチ業に転職、現在はアーカンソー大学でアシスタントコーチをしとる。

 改めて思うと、っていうか、当然ながらボブ・ナイトは優秀だったんですな。NCAAチャンピオン三回、例の1984のオリンピックチームのヘッドコーチ。2023年に逝去しております。ご冥福をお祈りいたします。

 そういえば、マイケル・ジョーダンが「ボブ・ナイトって、どんなコーチですか。」っていう質問に、ただ一言「うっさいコーチ」って答えてたのを今思い出した。この「うっさい」は無論コーチング的にという意味では更々なく、明確に音量的にという意味である。

 つう訳で、インディアナ州は「バスケットボールの州」を謳うわりには成績はイマイチ、たいしたことが無い。実績に裏打ちされてはいない。ケンタッキー州やマサチューセッツ州、あるいはカルフォルニア州やノースカロライナ州に実績的には完全に負けとる。これらに続く第2グループ筆頭ぐらいの位置づけか。

 まあ、「バスケットボールの州」つっても、インディアナ州の場合は、プロや大学ではなく、高校だけどな。

 その高校バスケットボール大会も例の方式を20年くらい前に辞めちゃったってニュースをどっかで読んだ記憶があるし、いよいよ「バスケットボールの州」の看板を下ろさざる得なくなってきているかな。

 さて、ゲームの話に入るか。

 まあ、このゲームについて語る場合、この点は外せないので、まずここから入るが、試合序盤でのハリバートンの負傷退場である。

 ケガは「右足アキレス腱断裂」という重傷で、来季はほぼ絶望、下手すりゃキャリアエンド級の大ケガである。一日も早い回復をお祈りいたします。

 ただまあ、死人にムチ打つ(酷い表現)という訳でもないが、私はそれをこれから批判する。まあ、ハリバートン本人への中傷ではなく、あくまで一般論、この手のケガにまつわる事象への一般的批判と受け取ってもらいたい。

 ハリバートンのケガを見ての私の第一の感想は、「可哀想」では全然なく、「いや、ここでケガする。」であった。いや、自分でも冷酷非道な男だと思うけど、そう思った。勿論、その倒れ方から「こりゃ、アキレス腱だな」とは一発で分かったけど、それでも「いや、ここでケガする。」と私は思ってしまった。

 NBAファイナルに限らず、チャンピオンシップ、選手権的なゲームを私は数多く見てきたけれども、主力選手、いや主力選手でなくとも、レギュラークラスの選手が、この手のチャンピオンシップ、選手権的なゲームで序盤で負傷退場するというのは、初めて見た。

 ちょい前の「長嶋逝去」の記事で、長嶋の「ミラクル」について、いくつも私は書いたけれども、今回のハリバートンは、まさしく「逆ミラクル」である。大事なゲームで序盤負傷退場してしまう選手なんて、ちょっと記憶にない。

 強いて挙げれば、例の「10.8」の立浪ぐらいであるが、今調べたら、立浪が負傷退場したのは「序盤」ではなく「8回裏」であった。

 あとは何も思い出せん。もちろん、私の知らない試合、記憶の外にある試合で「主力選手の序盤負傷退場」はあったのかもしれないけど、私の知る限り、私の記憶の限り、「主力選手の序盤負傷退場」は、このハリバートンが第1号である。第2号の無い事を祈る。

 あっ、そうそう、立浪絡みといえば、例の夏の甲子園決勝である。その決勝戦、序盤ではなく、試合そのものを欠場したのが三塁手の深瀬である。深瀬は、確か入学時は片岡より格上、立浪や橋本、野村あたりと同格の扱いであり、そのまま主力となったものの、例の決勝戦は無念の負傷欠場。で、代わりに出て来たのが二年生で守備専門扱いの宮本だった訳である。

 その後、深瀬は鳴かず飛ばずでプロ入りすら叶わず、一方、宮本はプロ入り、名球会に名を連ねるような選手になる。ケガなんて、あくまで蓋然性だけの問題であるから、あれこれ言いたくは無いけれど、人生っていうのはそういうものである。もし、この決勝戦、深瀬が負傷欠場していなかったら、深瀬の人生はいかなるものとなっていただろう。宮本の人生はいかなるものとなっていただろう。

 でも、名球会コンビの三遊間って、改めて考えるとスゴイな。おそらく甲子園の歴史上、唯一の事例であろうし、プロでも結構珍しいと思う。一時的なものはあるかもしれないけど、レギュラーレベルでの「名球会コンビの三遊間」は無いと思う。パッと思いつかない。「名球会コンビの二遊間」も珍しいだろうしね。吉田・藤田コンビくらいか。まあ、吉田は「本職」のセカンドじゃないけどな。「名球会コンビのバッテリー」は、数は少ないながらも、それなりにいる。皆川・野村とか佐々木・谷繁とか高津・古田とか岩瀬・谷繁とかな。あと、ギリ工藤・阿部。

 で、ハリバートンというか、ハリバートンのケガに話を戻すが、こういう事があるのと必ず出てくるのが、「試合数が多いから、ケガするんだ。」という酷使論者、酷使教の方々。

 そんなに厳しい日程?。

 私は今回10年振りにNBAのプレイオフを見た訳であるが、その感想のひとつは、「随分、日程ユルくなったなあ。」である。なんか、しょっちゅう休んでいる印象。

 「昔はファイナルでも連戦してたんじゃねーかな。」と思って調べてみたら、現在と変わらず、1日おきに試合してました。私の勘違い。ゴメンチャイ。

 例の「プレーイン」の分だけ試合数が増えたと言えなくは無いが、計8チーム数試合、まあ、計算には入れられないでしょう。今も昔も日程の厳しさは変わっていないと思う。悪名高い「3連戦」が無くなったぐらいじゃないかな。まだ、やってんの。

 それはともかくとして、こういう「疲れている時、試合をするとケガをしやすい。」という論調を見るたびにいつも思うのであるが、疲労とケガの蓋然性って、関係あるの。普通に考えたら、むしろ、「疲れている時の方が、ケガをしにくい」「体力充実している時の方が、ケガをしやすい」のではないだろうか。

 例えば、「両者疲労困憊、立っているのもやっとの状態で相撲を取る場合」と、「両者大量充実、体がうずうずして仕方が無い状態で相撲を取る場合」では、前者の方が「ケガをしにくく」、後者の方が「ケガをしやすい」のではないだろうか。「子供の方が大人より重傷になりにくい」も同じ理屈である。

 また、今回のハリバートンのアキレス腱断裂やピッチャーの肘のような靱帯系のケガの場合、休んだところでケガの蓋然性が変わる訳ではないだろう。「そのまま」である。なぜなら、靱帯は自然回復しないから。

 むしろ、休んだ方がケガのリスクは高まるであろう。なぜなら、筋肉や骨は休んだ分だけ自然回復してしまうからである。筋肉や骨(皮はともかくな。)、とりわけ筋肉は、休めば自然回復、ましてや超回復してしまうのだから、休んだ方が、その分だけ靱帯に負担がかかる訳である。

 クルマで喩えれば、エンジンやサスペンション、ブレーキなどはフルレストア、フルチューンアップしているのに、タイヤだけは手つかずのまま、未交換のままみたいな状態である。そんなの、「整備前」より怖い状態でしょう。

 靱帯のケガというのは、「タイヤ」で喩えると非常に分かり易いのであるが、その点については別に文章をまとめたい。ここでは割愛する。

 以上のような事は、どこぞの大学でも似たような研究結果を出しているらしいが、そういう理論面理屈面はともかくとしても、単純に経験的、実感的に言っても、「疲れている時、試合をするとケガをしやすい。」とはとても言えないと思う。

 NBAに限らず、昨今のプロスポーツ界は、「ケガ防止の観点から」、日程は非常にユルくなっているし、選手も「ケガが怖いので」、すぐ休む。練習すら、「ケガを恐れて」しない。

 特に、ピッチャーなんていうのは、アメリカ・アジアを問わず、一昔前とは比較にならない程、労働環境がユルくなっている。半減どころか1/3減くらいしているのではないだろうか。先発ピッチャーは「中6日100球交代」、リリーフピッチャーは「1イニング限定」。実際、金田や稲尾の時代は、エースは年間350イニングぐらい投げたものであるが、今や150イニング前後の時代である。

 勿論、これはパフォーマンスの面では大きな「改善」であろう。常により良い状態でマウンドに上がるのであるから、その分パフォーマンスは上がるであろう。昨今の「投高打低」の最も大きな要因である。ピッチャーをコロコロ変えられたらただでさえ打てないのに、それが「より良い」状態でマウンドに上がってくるのだから、バッターが打てなくなる、完封が続出するのも無理からぬ話である。

 ただ、「ケガの防止」という観点からは、上述の理由から、むしろ悪影響、ピッチャーを「酷使」しているとさえ云えると思う。少なくとも、ピッチャーの靱帯にはより無理を強いていると云ってよいであろう。

 また、以前どっかで書いたけど、「防御率」や「被打率」を重視し、「勝ち星」を軽視するセイバーメトリクスが、よりピッチャーを追い込んでる、ピッチャーの靱帯を酷使していると云えるであろう。ピッチャーなんて勝ちゃあいいのである、何点取られようが、何安打打たれようが、勝ちゃあいいのである。マダックスなんて355勝もしてるのに、ノーヒットノーランしてないでしょう。してたら、ゴメン。

 つう訳で、諸々の面から言っても、昨今のピッチャーをめぐる事情はよりピッチャーを酷使、少なくともピッチャーの靱帯は酷使していると思う。実際、ケガ人、減ってないでしょ。イニング数だけで判断したら、金田や稲尾の時代に比して、ケガは半減していなきゃいけないのに、「減っている」という実感は、少なくとも私にはない。「むしろ、増えてんじゃねーか。」とすら思う。このへんは、統計を取る事が非常に難しいジャンルであるから、断言は出来かねるけどさ。

 とはいえ、劇的に、実感できるほどにケガが減っているのなら、「なるほど、正しい事してるなあ。」となるけれど、少なくとも私の実感的には全然改善されないんだから、その施策が間違ってるって事である。佐々木朗希なんか、あれだけ休んでいるのにケガしてるんだからさ。休むから、ケガすんだよ。

 医療行為の場合は、その性質上、「瀉血法」とか「ガンの大規模切除」とか、良かれと思った事が裏目に出るのはよくある事だけど、ダメだと思ったら、すぐ改めないと。それが西洋医学と漢方の決定的な違いでしょう。ダメだと分かったらスパっと切り替えるのが西洋医学で、ダメだと分かっているのに、いやダメだと分からずに、効果のない、いや逆効果すらある「治癒法」を延々続けているのが漢方である。民間療法である。

 多くの病気やケガ、風邪とか擦り傷、軽い骨折等々が「休む」事で治るので、全ての病気やケガも休むことで治る、あるいは改善すると勘違いしてる、誤った連想をしているのだろうけど、ほとんどの病気やケガは休んでも治らんからな。適切な処置せんと治らんからな。結核はストレプトマイシンを処方せねばならないし、骨折は外科手術をしなければ「元通り」にはならない。

 あとまあ、「蓄積系のケガ」というのはある。今回のハリバートンのケガがそういうものであるかは定かではないが、例えば、プロレスラーの三沢のケガ、というか死はそういうものであったろう。確かに、これらは「休めば、ケガはしない」であろう。

 ただまあ、これらはそのケガを完治させない限りは、問題を「先送り」しているだけなので、「休む」事が正しい方策とは言えないであろう。昔、谷沢がアキレス腱痛に苦しんでいた時に、とある医者に「こんなの遅かれ早かれ切れちゃうんだから、パッパッと切っちゃって、修復手術した方が話が早いよ。」って言われたらしいけど、まあ、そういうもんかもしれんよね。谷沢や門田、遠藤なんかは、それで改善(?)した訳だし。前田は、まあグズグズ云ってたけどな。

 じゃあ、三沢の場合はどうすれば良かったかとなるけど、あれは「引退」しない限り、健康的、あるいは医学的な解決は不可能だったと思う。で、その「引退」が当時のノアに可能かと問われれば、そんな事は絶対不可能であるから、この問題は三沢の健康問題医療問題というよりは、プロレス団体のマネジメントの問題だったといえよう。

 とまあ、ケガにまつわるエトセトラをあれこれ書いてしまったが、話を最終戦に戻そう。

 でまあ、ハリバートンが負傷退場した訳であるが、その時、ハリバートン個人についてはともかく、チーム的に絶望的だったかというと、そういう心持ちは私には無かった。ハリバートンはそのレベルのエースではないからだ。「代わりに出て来た選手が、トッピンでもシェパードでもマサリンでも誰でもいいから、ポンポン3ポイント決めてくんねーかな。」と思ってた。でも、誰も決めず、敗退。トホホ。

 これがジョーダンやオラジュワンのような選手だったら、負傷退場した瞬間に、それこそ「他の選手がケガをするかもしれないから」、即試合終了、コールド負け、投了を宣言しちゃうけど、ハリバートンはそのレベルの選手ではない。実際、このファイナルの得点も第1戦から、14点、17点、22点、18点、4点、14点、9点。いや、これピッペンの数字でしょう。エースじゃなくビースの数字だよ。

 そういう選手に最後のボールを託さねばならないのが今のペイサーズの辛いところというか、そういうチームがファイナルに出てきちゃうの今のNBAのレベルというか、そういう感じである。

 ついでに、もひとつハリバートンへの不満を書いちゃうと、ペネトレイトしても、そのフィニッシュがフローターってとこなんだよなあ。最後がフローターだったら、3ポイントを打った方が良いと思う。そちらの方が得点期待率は上だと思う。おんなじことはシアカムやマッコネルにも言えるんだけどさ。ペネトレイトしてもフィニッシュが無いんだよな。その辺がシェイ・ギリジャス=アレキサンダー、SGAとの決定的な違いである。そのSGAのファイナルの得点はというと、38点、34点、24点、35点、31点、21点、29点。これがエースだよね。こういう選手が「負傷退場」しちゃったら、それこそ「投了」であろう。それが「エース」ってもんである。

 実際、このファイナルっていうのは、「SGAの安定したインサイドの得点力vsペイサーズの3P成功数あるいは3P成功率」という図式だったと思う。で、ペイサーズの3PがSGAを上回った試合が第1戦、第3戦、第6戦だったという事なのだろう。

 そういった意味では、単純ちゃあ単純なファイナルだったとも云える。まあでも、インサイドの選手がフックシュートひとつ打てないっていうのはちょっとショックだったな。これが「戦術変更」によるものなのか「レベル低下」によるものなのかは、それは私には分からない。

 でも、「このNBAやファイナルが、かつてよりレベルが高い」とはとても言えないと思う。あくまで素人考えだけど、このオクラホマシティー・サンダーがかつての90年代00年代のトップチームに勝てるとはとても思えない。ブルズやレイカーズは言うに及ばす、ジャズとかサンズあたりでも厳しいのではないだろうか。全盛期のキングスあたりでも厳しいと思う。あの、もはや芸術的とも云っていい「プリンストン・オフェンス」を今のサンダーが止められるとはとても思えない。キングスがカンファレンスファイナルで敗退したと知った時は、ちょっとビックリしたもんな。そのくらいの完成度のチーム、オフェンスだったと思う。逆に言えば、シャックっていうのはそれくらいの選手だった訳である。

 今のサンダーがいい勝負を出来そうなのは、それこそペイサーズとか、ネッツ、シクサーズあたりであろう。ピストンズには厳しいかもしれない。実際、あのピストンズ(00年代の方)と、今のサンダーに限らず、今のNBAの各チームと戦ったら、ちょっと面白いと思う。どんなゲームになるのか、興味がある。見てみたい。

 とまあ、優勝チームのサンダーを腐してしまったけれども、このサンダーに限らず、今のNBAのプレイっぷりには不満が大きく三つある。

 一つ目は、先にも書いたが、センター・フォワード陣がフックシュートひとつ打てないインサイドの得点力の低さである。その中にあって、数少ない安定したインサイドの得点力であったSGAを有するサンダーが優勝したという事なのであろう。形は違えど、「バスケットボールはフロンライン」という格言は生きていた訳である。

 二つ目は、の割には3ポイントが下手、である。このファイナルでも散見されたけど、どフリーでも割に外す。一昔前は、どフリーなら80%70%の確率で沈めてた。3Pでなくとも、どフリーなら、それくらいの確率で決めてたし、決められなければ、サヨウナラの世界だった。田伏君への私の大きな不満もそれである。「ベンチスタートのガードがあれだけシュートを外してたら、厳しいな。」と思った。で、そんな事を記事にも書いている。NBAのプレイヤーというのは、ベンチスタートのガードに限らず、守備型の選手であっても、どフリーなら80%70%の確率でシュートを決めるのがNBAだと思ってた。攻撃型の選手というのは、それに加えて、チーム的に個人的にもオフェンスをクリエイトする能力を有する選手である。厳しいマークをかいくぐってシュートを決めたり、フリーを作ったりする選手、それがオフェンス型の選手である。どフリーなら、攻撃型でも守備型でも、80%70%の確率、すなわちフリースローのようにシュートを決めるのがNBA選手だと思ってた。それが日本の大学や実業団の選手との大きな違いのひとつだと思ってた。

 ところが、最近は外すんだよね。「イタダキ」と思っても、結構外す。レベルが上がったから。それとも、レベルが下がったから。

 3つ目は、凡ミスが多い、である。これはこれまでも何回か指摘してきたけど、パスミスとかドリブルミス、ハンドリングミスが結構多い。もっとも、これは二つ目に挙げた「どフリーで、外す」と同様に、厳密に統計を取ったら、異なる結果が出るのかもしれないが、少なくとも、私の印象としては、「凡ミスが多い」「どフリーで外す」である。

 あっ、そうそう、4つ目もあるわ。思い出した。これも何回か指摘したが、速攻が下手。とりわけ、ワンマン速攻が下手。折角いい感じで速攻の形になっても、フィニッシャーがオロオロしていて、シュートを外して終了みたいな形が実に多い。「散見」というレベルではない。ダンクやレイアップでフィニッシュしろい。いや、スラムダンク決めてこい。プロだろーが。全員、ケニ夫に弟子入りしてこい。ケニ夫の家で合宿してこい。

 以上3点、いや4点が、現今のNBAへの私の不満・愚痴である。それが「レベル」によるものか否かは分からないが、古参の、という程ではないけれど、10年振りに観戦した時代遅れのリップ・ヴァン・ウィンクルのファンの素直な感想である。

 偏見は無いと思う。私は自分の考えより自分の目を重視するタイプである。大昔、「A感覚とV感覚」というタイトルとか「稲垣足穂」というペンネーム、つか実名だけど、その名に偏見を持っていて、足穂を「スカした奴だな。」と思っていたのであるが、バイト先の昼休みに古本屋で見つけた「一千一秒物語」の最初の5行を読んだ瞬間、私は偏見を改めた。一発で「本物」だと分かった。なるほど、三島や澁澤が絶賛する訳である。その後刊行された全集も、各巻発売時に購入していったのも、今では懐かしい思い出である。その全集はほとんど読んでないけどな。私は自分の感覚を偽れない。

 んなとこかな。

 つう訳で、10年振りの観戦は、現今のNBAへの不満や愚痴を述べる結果に終わったけれども、それなりに楽しかった。ペイサーズもファイナル進出したしね。で、来季以降も視聴しようと思っていたら、なんとWOWOWは来季NBAを放送しないらしい。トホホ。つか、2シーズンしか放送しないのかよ。またあれか、放映権料か。まあ、放映権料に見合う視聴者数の獲得はなかなか難しいだろうしな。一体、どうなってんだ、昨今のプロスポーツ業界は。経済的なメカニズムがさっぱり分からん。人気低下に歯止めがかからんのに、放映権料とか選手年俸とかは高騰する一方って、どういうこと。

 楽天かあ。入ってみようかなあ。Jスポーツで放送してくれるのが一番有難いのだが。最近はあそこも日本のスポーツしか放送せんからなあ。まあ、「Jスポーツ」なんだから、それが正しい姿なんだけど。

 とか思ってたら、楽天も配信終了みたい。つか、その楽天の配信終了に伴い、その2次受けみたいな形だったWOWOWも放送終了となったみたい。

 で、一応、来季はアマゾンプライムでの配信が予定されているらしいのであるが、どーなることやら。俺のNBAは10年後か、また10年後なのか。そんなの異常な観戦態度(?)だろう。


 7月5日は結局何も起きませんでしたね。がっかし。そこそこ期待してたのに。

                                      2025/7/6(日)

 近所の本屋で「私が見た未来 完全版」が撤去されていた。7月5日以前は平積みされていたのに。マンガの価値は予言だけかよ〜〜。

 いや、そんな本格的にどーでもいい事を書きたい訳ではない(たりめーだ。)。上記の記事への補足追加である。

 上記の記事で「ピッチャーの靱帯」について云々したが、書き忘れた悪口ないし罵倒があったので、忘れずに追記しておく。

 大谷の復帰登板についてである。最近は2イニングに増えたが、復帰当初は1イニング限定だった。「1イニング限定の先発」っていうのもバカだけど、復帰登板を1イニング限定あるいは20球限定にするって、完全にバカだろ。バカの所業だろ。そんなもん、練習でやれっての。練習で1イニング充分、いや6イニング充分、いや9イニング充分投げられるようになってから、実戦復帰しろっつの。練習と実戦って、そんなに靱帯の損傷度が違うのかっつの。バカ丸出し。いや、大谷の事じゃないよ。メジャーリーグの医療関係者の事だよ。大谷本人は投げたがっているらしいし。そりゃそうだろう。

 あれで、大谷がまた靱帯損傷したら、「1イニングは長すぎた」って言いだすんだろーな。んで。10球限定、5球限定、0球限定、−1球限定、−10球限定、−50球限定、−100球限定、−5000球限定って、限定数をどんどん減らしていくんだろーな。どんだけ減らすんだか。無限に減っていくんだぜ、数は。

 だいたいピッチャーの肘、っていうか靱帯なんていうのは総投球数が決まっていると考えるのが普通であろう。それは個人差があって、人によっては100球だったり(そんな人はいないか。)、1万球だったり、10万球だったり、100万球だったり色々あるだろうが、その有限の球数をチーム的にも個人的にも出来る限り有効的に使っていくべきであろう。

 今回の大谷の復帰登板なんて、チーム的にも個人的にもまさしくムダ球、何の価値もありゃしない。10球だか50球だかをムダに使っちまっただけ。

 靱帯を交換したばかり、すなわち新品同然の状態なんだから、ここで使わないでどーする。ガンガン投げさせろっつーーの。

 つーかまあ、どうして「質」の問題を「量」の問題と勘違いするのかね。これはどんな世界でもありがちだけど、医療の世界では本当に多い。

 上の記事で挙げた「ガンの大規模切除」なんてのもそのひとつであろう。例えば、乳ガンが見つかる。最初はそのシコリだけを切除する。転移が見つかる。じゃあ、もう少し広く切除。また、転移。よし、もう少し広く切除。乳房全体だ。また、転移。よし、右胸全体。また転移。よし、腰まで。更に転移。ってドンドン切除してっちゃって、最後は左手親指だけになりましたとさ。転移してない。よし、全快だ。完治。

 「瀉血法」も同様である。ちょっと血を抜いた。治らない。よし、もっと抜こう。治らない。よし、もっともっと抜こう。そうして、患者は死んじゃいましたとさ。恐ろしい病気だ。いや、血を抜いたのが死因だろーが。

 最近の「コロナ騒動」も同様だよね。これでもかこれでもかってワクチン打ってた。いま、何次くらい。52次くらい。大変だよねえ。もっともっと打たなくちゃ。新型コロナウイルスの絶滅は確認されていないんだから。

 マスクもそんなに効果があるのなら、二重三重にすればよいのにねえ。十重にすれば、10倍感染しにくくなるんでしょう。

 さういえば、かつての私のバイト先でもこんな事があった。私の同僚が無断欠席をした。そんな事をするような人間ではなかったので、自宅に電話連絡してみたが、つながらない。「なんらかの理由でバックれたんかなあ。」と思っていたら、1週間後くらいに、ひょっこり姿を現した。

 話を聞くと、当日、風邪気味で薬を服用したとの事。で、自分は人より体が大きいので(っつても、180cmそこそこぐらいだけど、)、規定量より多く服用した。そうしたら、通勤の電車内で卒倒、そのまま病院へ救急搬送。翌日、目を覚まし、医者に言われたのが「睡眠薬自殺者のような状態だった。」。

 たりめーだっつーの。生きてたから笑い話ですんだものの、もっと薬を多く飲んでたら、死んでたよ。風邪薬自殺だよ。良い子は真似しないよーに。ダメ、絶対。

 服用量を増せば増す分だけ、より良くより早く効くと思ったのだろうけど、んな訳ねーっつの。大概の薬は「化学物質」なんだから。大概の効用は「化学反応」なんだから。

 しかし、どーして化学は四則演算の世界じゃないって気付かないんだか。いや、知らないんだか。酸素原子二つが合わさると、「二つの酸素原子」ではなく、「一個の酸素分子」になるんだよ。そこに更に1個の水素原子が合わさると、「一個の水の分子」になるんだよ。1+1が2ではなく、別の1に化ける、だから「化け学」なんだよ。誰だか知らんけど、明治時代の誰かは(江戸時代かな。)上手く訳したでしょう。

 まあ、電子とか陽子といった所謂「量子の世界」となると、「質」も「量」も究極的には同じ事の顕現の違いになるのかもしれないけど、我々が日常的に生きる世界では、「質」と「量」は全然違うんだよ。混同してはいけない。

 ちなみに、この人、有名大学在学中だったんだよね。全体、こんな調子。仕事も失敗ばっかし。「ぺーバーテストでは優れた人間を選べない」という命題の数多い証左のひとつである。東大生や、早稲田慶応等々、いろんな所謂「偏差値の高い大学」の在校生や出身者に私もそれなりに出会ってきたけれど、ほんと「賢い人」はいない。ポンコツばっかり。特に東大生は酷かった。「動く死骸」みたいなのばっかし。

 だといって、「偏差値の低い大学」や「高卒」に「賢い人」が多いかっつったら、そんな事は無いけどな。単純に「賢い人は非常に少ない」つうだけの話である。何人に一人くらいかつうのも大体分かってんだけど、ショッキングな数字なので、ヒ・ミ・ツ。案外、「中卒」の方が見込みあるかもな。修はバカだけど。やはり「小卒」か。

 そりゃ、1イニング限定なんてバカげた事、やる訳だよね。バカだけに。

                                  2025/7/11(金)

1/2/3/4