インディアナポリス研究会コルツ部

インディアンス同好会

インディアンス同好会

TOPページへ

2022

/2/3/4/5/6/7

打順  いや〜暑いですね〜。自動販売機で冷たいお茶を買って、10分間放置していたら、温かいお茶になってた。真冬のホット缶コーヒーでの逆バージョンの経験もあり。

 とまあ、いつものように軽く書き出してみたが、今回の記事では、ねちねちとセイバーメトリクスの悪口を書くつもりなので、この手の記事に愛撫を求める人は堪忍な。読まない方が良いと思う。「閲覧注意」ってほど、大仰なものでもないけど。

 過日、って言っても、もう一ヶ月ほど前になるかな、パイレーツ対カージナルス戦が日本で放送されていたので、見ていたら、日本のアナウンサーだか解説者だかに、「パイレーツも4月5月くらいは絶好調でしたが、それから調子を崩し、いまや定位置の最下位です。」とか云われてやんの。

 シーズン開始当初、「もしかしたら、もしかするかも。」なんて私は書いていたけれども、もしかしなかったのね。現実は厳しい。

 そのパイレーツは、現在52勝64敗でNL中地区4位、カージナルスと激しく最下位を争ってま〜〜す。

 一方、我らがインディアンスは17勝19敗。

 って、何故に17勝19敗?。試合数少なすぎないか。ストでもやってたの?。って、調べてみたら、今季から、突如、前期後期制に移行してやがる。着いていけん。マイナーリーグの変わり身の速さには着いていけん。光の速さで変わっていきよる。マイナー・光だよ、ホント。
 ちなみに、我らがインディアンズは、その前期、33勝41敗で、西地区の下位の方です。正確な順位、数えんのメンドイ。

 また、期待の若手として、ちょいと紹介した全体10位男トラヴィス・スワガッティは、今季中のメジャー昇格どころか、7月17日にDFAされてやんの、トホホ。何が理由か、よう分からんし、調べる気も無いが、とにかく世の中ままならないの〜。日本のプロ野球チームの皆さ〜〜ん。全体10位男が、只今無所属ですよ〜〜。狙い目ですよ〜。

 で、そのスワガッティのドラフトの年、すなわち2018年のドラフトをちょいと調べてみたら、全体5位でジョナサン・インディアって奴がレッズに指名されていて、2021年に21ホームランを放って、新人王を獲得してやんの。獲れよ、インディア。インディアンスなんだからさ。まあ、先に指名されてっから、仕方ねーけど。つか、パイレーツだけど。

 まっ、そういうパイレーツの体たらくっぷりはともかく、ここ最近、つうかここ数年、私はメジャーリーグ、つうか大谷のゲームをちょろちょろ見ているのであるが、ま〜酷いね。エンゼルスも無論のこと、メジャーリーグ全体が。目を覆わんばかりの惨状である。人気とか視聴率云々ではなく、単純にゲームの内容が、である。

 生前、野村克也が、「最近のメジャーリーグからは学ぶべきものは何もない。ただ、パワーとスピードが優れているだけだ。」と語っていて、当時の私は、「ホンマかいな。」と思って聞いていたのであるが、この生前の野村の言葉を、今私ははっきりと理解できる。確かに学ぶべきものは無いもない。酷いと思う。惨状といっていい。

 まず、外野からのバックホームは、ほぼ暴投である。キャッチャーミット、つうかキャッチャー周辺に帰ってくる事はまず無い。で、中継プレーもデタラメである。ただ、外野からの返球を捕っているだけ。ランナーの動きとか得点差とか、すなわち状況が全然内野手の頭にない。

 一方、ランナーも、野手の動きを全然見ていないから、トンチンカンな走塁のオンパレードである。タッチアップやゴロゴーもろくに出来ないし、意味もなく滑り込んで、先の塁に進めなかったりも日常茶飯事である。

 先日も、メジャーリーグ、つうか大谷のゲームを見ていたら、アウトカウントは忘れたけれども、ランナー2塁でセンター前ヒット、センターがバックホームするも、楽々セーフのタイミング、つかベース上にボールは来ない。でも、バッターランナーは1塁で止まってる。ガッツポーズしてたかまでは確認していないが、とにかく1塁停車。2塁に行っていない。

 この場合、間に合わないホームに投げる外野手も論外だけど、それを見ておらず、2塁に行けないバッターランナーも論外。んで、それを指摘しない日本の放送席。まあ、英語に暗い私は現地の解説がどうだったかまでは認知できないが、おそらく等閑視であろう。

 「間に合わない所に投げるヘボ野球」という父の口癖を私は思いだしだ。

 その昔、西武ライオンズが日本シリーズで、同じ走塁ミスをした秋山(初代)に、ベンチが激怒していたのも、私は思いだした。

 まあ、こういう守備のミス、走塁のミスが、現今のメジャーリーグでは日常茶飯事である。むしろ、普通のプレイの方が希少なくらいである。「普通」という言葉の定義を変える必要があるくらいである。

 この手の守備や走塁、またバッティングやピッチングを含めても、この手のプレイに関しては、現今のメジャーリーグは、はっきり言って「草野球レベル」である。そのへんのお父さんのプレイと、何ら変わりはない。

 ちなみに、こういう野球を私は「打って、走って、守るだけ」と呼び、軽蔑しているのだけれど、日本のプロ野球でいうと、かつての大洋ホエールズが、この手の野球の代表格であった。今のベイスターズにも、その遺風、忌まわしき遺風が多少残っているかな。

 選手だと、その代表格が高木豊である。典型的な「打って、走って、守るだけ」の選手であった。

 もっとも、これは高木豊の罪ではない。そういう野球を教えなかった、あるいは強いなかった、当時の大洋ホエールズの罪であろう。高木豊も、ちょいと時代は違うが、野村監督時代の南海ホークスだとか、あるいは、当時だったら、それこそ西武ライオンズとかに入団していたら、また違ったタイプのプレイヤーになっていたかもしれない。セカンドは辻ではなく、高木が守っていたかもしれない。基本的な打力や走力、守備力は、高木の方が全然上なのであるから。それこそ、「打って、走って、守るだけ」なら、高木は辻以上であったろう。

 かつて、オリックスからヤクルトに移籍してきた坂口智隆も、そういう選手「打って、走って、守るだけ」の選手であった。「いい選手なんだけれども、」ってやつである。

 で、メジャーリーガーは、ほぼ全員が「打って、走って、守るだけ」である。

 例えば、野球の走塁におけるイロハのイである「ボールと野手の動きを確認しながら、走る」っていう事を、今のメジャーリーガーは全然分っていない。コーチ陣は、さすがに世代的に、それくらいの常識は知っているだろうけど、例のセイバーメトリクスやヤングエクゼクティブやらの意向で、選手たちへの指導教育が全然出来ないのであろう。

 そうそう、走塁といえば、例の盗塁であるが、シーズン当初は、例のルール変更の影響で、やたらと数多く、そうして、その多くは無意味に試みられていたけれど、今やすっかり鳴りを潜めてしまった。セイバーメトリクスが止めたのであろう。非効率的であるから、コストパフォーマンスが悪いから。

 セイバーメトリクスが、どういう計算をして、「盗塁は非効率的」と定めたのか、私は皆目知らないけれども、私の長い長い野球観戦の経験から云うと、少なくとも、日本のプロ野球では、一時代を築いたチームには、必ず代名詞的な1,2番バッター、あるいは盗塁王の常連のような1番バッターがいた。広瀬であり、柴田、土井、高田であり、福本、大熊、蓑田であり、高橋慶彦、山崎、正田であり、辻、平野であり、アライバであり、最近では、彼等に比べると、ちょいと小粒であるが、タナキクマルとか、福田、宗、塩見あたりである。
 巨人が、V9以降、そこそこに勝つけれども、所謂「黄金期」を作れないでいるのは、こういう「1,2番バッター」を欠いている、あるいは、定着させようとしないというのも、その一因であろう。松本、緒方は、一時的な活躍にとどまったし、仁志、清水は「1,2番」というタイプではなかったしね。

 また、メジャーリーグの歴史に私は明るくないけれども、80年代のアスレチックスの全盛期とリッキー・ヘンダーソンは無縁とは云えないであろう。

 また、盗塁数は少ないものの、ピート・ローズとビッグレッドマシンを無縁と考えるバカはいないだろう。

 まあ、勿論、スーパーカートリオとかイチローとかを擁しながら、まるで勝てなかったチームもあるから、優秀な1,2番バッターがいれば、チームは強くなるとまでは云わないが、強いチームに優秀な1,2番は必須である事は間違いないと思う。絶対条件ではなく、必要条件といったところであろう。

 ところが、セイバーメトリクスは、それを完全に否定して、2番最強論なんて宣まっているのだから、呆れる。で、それで各チームの得点力が飛躍的に向上しているのなら、私もシャッポを脱がざる得ないけれど、打撃成績なんか、向上どころか、むしろ悪化している。

 「いやいや、待て待て、お前、いつぞや、日本のプロ野球は2Aレベルといったろう。」という反論も聞こえる。確かに、私は「日本のプロ野球は2Aレベル」と断言したし、今のその見解を変えるつもりはない。ただし、それは、野村の言う通り、「パワーとスピードに限っていえば、」の話である。この点では、日本のプロ野球は2Aレベルであろう。だが、それ以外の部分、チームプレイや、その他の目に見えない部分、あるいは見えにくい部分では、日本のプロ野球の方が上だろう。まあ、もっとも、日本のプロ野球も、最近では、どんどん、この悪しきメジャー化が進んでいってはいるが。

 まあ、確かに、1シーズン、あるいは100試合以上戦えば、メジャーリーグのチームは、日本のプロ野球のチームに大きく勝ち越すと思う。所謂「技術は力に勝てない」である。でも、一発勝負、それこそWBCのような一発勝負なら、日本のプロ野球にも十分チャンスはあるし、実際勝ってきた。それは、チームプレイの差、あるいは見えない部分の差、「打って、走って、守る」以外の部分での差であろう。

 もっとも、数年単位どころか、シーズン開幕当初と閉幕時でさえ、ロースターが大きく変わってしまうメジャーリーグにおいては、先に挙げたようなチームプレイはなかなか難しいのかもしれない。内外野の連携、投内連携、今のメジャーリーグには皆無である。練習もしていないのであろう。まして、阿吽の呼吸なんて、臨むべくもなかろう。

 実際、今のメジャーリーグは、あたかもゴルフのティーショットを見ているかの如くである。アプローチもパットも無い、ただのティーショット大会のゴルフ。それが、現今のメジャーリーグの姿である。まあ、セイバーメトリクスが、「野球はホームランと四球と三振のみで構成されている」と断言しているのだから、それも仕方なかろう。この基本原理に則っているのが、現今のメジャーリーグだとは云える。指標が一つしかないのだから、バッティングスタイルも、自然、一つしかなくなる。1番バッターから9番バッターまで、皆同じバッティング、状況を一切考慮せず、ひたすら同じバッティングをし続けてるのが、今のメジャーリーグの姿である。バカといっても良い。

 特に、最近のバッターは異常に四球を獲りたがる。一昔前のバッター、すなわち打率と本塁打と打点でバッターの価値を計っていた時代、すなわち四球の価値が過小評価されていた時代は、ボール球をぶんぶん振り回すバッターが非常に多かった、とりわけ日本に来るバッターに非常に多かったけれども、最近は、そういうバッターはめっきり減った。四球を選んで、ガッツポーズしているようなバッターすらいる。

 まあ、四球の価値が高まったのは、それはそれで良い事だと思う。セイバーメトリクスの功績のひとつではあろう。でも、何でもかんでも四球を選べばよいってもんでもない。状況によっては、ボール球でも強引に打ちにいかなければいけない場面もある。

 特に、日本に来る外国人なんていうのは、「助っ人」、すなわち、自身がチーム1のバッター、あるいは、後続に自身より力の劣るバッターが続くわけであるから、多少無理をしても打ちにいかねばならない場面も多い。四球を選んでも、意味がない場面がある。そういう場面で、ボール球に手を出すのは、仮に凡打で終わったとしても、チームプレイと解釈すべきであろう。却って、四球を選ぶ方が個人プレイ、セルフィッシュなプレイである。

 まあ、そういうセルフィッシュなプレイを強烈に後押ししているのが、何と言っても、セイバーメトリクスであるし、それはセイバーメトリクス最大の罪であろう。

 つかまあ、今のような野球がメジャーリーグだというのなら、チームで争う必要ないよね。100人なり300人なり、人数は何でも良いが、投手と野手を選抜して、それを10組くらいに分けて、同じく組数も何でも良いが、週に何回か、全米各地で対戦させて、ホームラン数で勝者を決めればよいと思う。

 そうすれば、MVP論争恒例の「チームへの貢献度」なんて消滅してしまう。はっきり個人成績で、つか、それしかないけれど、個人成績で個々の優劣を決定すればよいのである。自明であろう。

 実際、現今のメジャーリーグにチームプレイは皆無なのであるから、チームで勝敗を決定する事に、何の意味もないであろう。ただの幻想でしかない。多くのメジャーリーグのチームのファンは幽霊を応援しているようなもんである。

 まあ、日本のプロ野球も同じ軌跡を辿ってるけどな。その証拠のひとつって訳でもないけど、盗塁やバントは勿論のこと、エンドランやランエンドヒットもめっきり減ったよね。かつては、角のような、エンドランの名手がいたけれど、今のプロ野球にいるのかね。冒頭話した「ボールと野手の動きを確認しながら、走る」っていう走塁の基本が出来ていないチームや選手も、ホント多いしね。まっ、これは昔も多かったけど。

 ちなみに、この「ボールと野手の動きを確認しながら、走る」という走塁の基本はブレイザーが野村と南海に教えたもののひとつである。

 で、それを野村は、70年代後半から80年代前半あたりに(確認してないけど、多分この頃。)、自著で公開した訳であるが、案外、プロ野球界、日本の野球界には広がっていない。

 広沢が巨人に移籍した頃、自身が1塁ランナーだか2塁ランナーだかで、ヒット一本で本塁に帰ってきた時、誰かにこう云われたそうである。「今のは、外野手がファンブルしたからよかったものの、普通に捕ってたらアウトだったぞ。」。

 それを受けて、広沢が「いやいや、外野手がファンブルしたのを見たから、僕は還ってきたんですよ。」と返答したら、「そんな事、できる訳がねえ。」と言われたそうである。広沢は、そこで議論を打ち切ったそうであるが、巨人といえども、こんなものである。

 また、宮本も、ヤクルトで「ボールと野手の動きを確認しながら、走る」という指導を受けたと語っていたから、アマチュア球界でも一般的ではないのであろう。

 ちなみに、ブレイザーがこの指導をした際に、広瀬が「ボールを見ながら走ったら、遅くなる。」と反論したそうであるが、それを受けてブレイザーは、「じゃあ、タイムを計ってみよう。」と実測し、ほぼ変わらない事を証明したそうである。そうして、広瀬には、「それは君の習慣になっているから、矯正する必要はない。ただし、悪い習慣だ。」と云ったそうである。

 でも、「ボールを見ながら走っても、遅くならない」なんていうのは、ちょっと考えれば気付きそうなもんだよね。外野手なんか、ボールを見ながら走っている訳だし。しかも、広瀬は、その外野手だし。

 また、他のスポーツ、例えば、サッカーやバスケットボール、テニス等々においても、基本的にボールや他のプレイヤーを見ながら走っているのだから、「ボールを見ながら走ったら、遅くなる」というのは、完全に屁理屈といっていい。

 ちなみに、今、「外野手はボールを見ながら、走っている。」と書いたけれども、上手い外野手、例えば秋山とか飯田とかは、ボールを見ながらは走らない。まず、落下地点に行き、そこでボールに対して微調整して、捕球する。ボールを見ながら走るのは、下手な外野手である。例えば、イチローとか。あっ、言っちゃった。

 また、ちなみに「ボールを見ながら走ったら、遅くなる」のが、仮に正しい、あるいは、僅かながらでも遅くなるとしても、そんなのは野球にはほとんど関係ない。なぜなら、「僅かながら、遅くなっても」、審判の目には分からないからだ。ビデオ判定でも首を捻るだけである。走塁において、少しでも速くする努力というのはいろいろ行われているけれど、「ほんの少し速い」なんていうのは、審判の目には分からない。判別不可能である。気持ちひとつといったところであろう。

 で、実際、野球における走塁ミスというのは、ほとんどの場合、判断ミスである。足が遅くて、アウトになるなんて事は、まず無い。だって、野球の場合、アウトになると思ったら、走らなければ良いのだから。走塁死というのは、足が遅くてアウトになるのではなく、判断が悪くてアウトになるのである。

 また、逆に好走塁だって、それは足が速いから、好走塁になったのではなく、優れた判断だったから、好走塁になったのである。分かり易いのが、日本プロ野球史上最高の走塁と云われる辻のアレであろう。アレだって、辻の足が速かったから、セーフになったのではなく、辻の判断が正しかったから、セーフになったのであろう。

 またまた、逆に、足が遅いから、アウトになるのは、それは走塁ミスではなく、それは致し方ない事であるし、そんな場面はほどんど無い。各チーム、1シーズンに1度あるかないかであろう。
 だって、野球の場合、アウトになると思ったら、進まなければ良いだけであるし、フォースプレイのような場面では、足の速い遅いはほとんど関係ない。誰でもセーフになるし、誰でもアウトになる。

 また、何が何でも、多少無理しても、先の塁に進みたい場合は、代走を使えばよいだけの話である。

 実際、私の長い長い野球観戦歴でも、足の速い遅いが勝敗を分けるって事はまず無い。WBCの準決勝の周東の走塁にしたって、確かに周東は恐ろしく速かったけど、あれは誰が走ったって、香川や大久保級の鈍足でない限り、いや、彼等にしたって、還ってこれるであろう。

 ベース一周となれば、かなり差が付くだろうけど、塁間、せいぜい20メートルぐらいでは、俊足と鈍足に大きな差、あるいは決定的な差は無い。それより、判断力である。福本が、「盗塁で最も大事なのは、『目』だ。」と語っていたのも、理屈は同じい。

 話が逸れた。

 メジャーリーグが完全に個人プレイのリーグになってしまった件であるが、その理由は色々あるだろうけど、その主因、最も大きな要因として考えられるのは、やはり何と言っても、セイバーメトリクスだと思う。そこで、これから、ねちねちとセイバーメトリクスの悪口を書きたいと思う。

 と思っていたが、そこそこ長くなってしまったので、このへんで一旦切るか。序論で、既にねちねちしてしまった。次回は、いよいよ本論の「セイバーメトリクス批判」です。つか、この稿の本題は「打順論」なんだけど……。

 プレシーズンマッチ、始まりましたなあ。

                                       2023/8/13(日)

 先日、エンジェルスvsレイズを見ていたら、9回の表、6−6の同点で、レイズの攻撃。ノーアウト1,3塁からショートゴロ、6−4−3のゲッツーの間に、3塁ランナーが本塁突入。で、憤死。トリプルプレー。私のン十年にわたる野球観戦歴で初めてのタイプのトリプルプレーである。だって、こんなことは常識的にあり得ないからだ。

 この場合、内野ゴロの際の3塁ランナーの選択肢は二つある。

 一つ目は、3塁に留まり、2アウト3塁の状態に甘んじる。

 二つ目は、本塁に突入して、ランダウンプレー。1アウト1,2塁、あわよくば、1アウト2,3塁の状況を作る。

 この二択である。ゲッツーの様子を見ながら、本塁突入なんてのは見たことない。そんなのは、相当高度な走塁である。まあ、メジャーリーグだから、最高度な走塁を魅せるべきかもね。メジャーリーグのヘッポコ内野陣なら、エラーする可能性も高いしね。でも、アウト。トリプルプレー。実にしょーもないトリプルプレー。

 で、その裏、すなわち同点の9回裏。エンジェルスの先頭打者が四球だかヒットだかで出塁。

 その1塁ランナーに代走が出て、初球スチール。無論、牽制球は無し。で、2塁にはセカンドもショートもカバーに行かず、キャッチャーは送球できず。

 そうして、その無人の2塁にランナーはヘッドスライディング。カバーに誰も入っていないのだから、キャッチャーの悪送球もあろう。だとしたら、スライディングしないのが、プロのプレイなのではないだろうか。

 で、そのノーアウト2塁から、続くバッターは、右バッターだったのだけど、思いっきり引っ張って3塁ゴロ。右打ちの気配すら無し。アウトカウント、勘違いしてたの。

 こんな場面、バントはともかくとして、右打ちして、ワンアウト3塁のシチュエーションを作って、犠牲フライなり前進守備の間を抜くなりすれば、サヨナラ勝ちなのだから、何故に引っ張る、何故にホームランを狙う。

 うん、仕方ないよね、評価基準が一つしかないから。いついかなる場面でも、シチュエーション関係なしに、ホームランを狙わなきゃね、給料が下がっちゃう。

 まあ、例によって例の如くである。見慣れた光景である。こういうプレーも年に一回程度だったら、珍プレーとして珍重するのも、プロ野球観戦の醍醐味のひとつであろうが、昨今のメジャーリーグは、こういうプレーがほぼ毎試合である。

 たまにレフトから、良い返球、というか、まともな返球が返ってきたな、と思ったら、吉田だったりする。

 なんつーか、日本人選手も、やってて馬鹿らしくならないのかね。こういう「打って、走って、守るだけ」のベースボールに。

 現在のメジャーリーガーが、1990年前後の西武や90年代のヤクルトに移籍したら、何をしてよいか分からず、パニックになってしまうであろう。

 いや、ホント草野球。草野球のオヤジなら、こういうプレーも、「しょ〜がね〜な〜」でビールをかっくらって終わりだけど、曲がりなりにもプロだからね。大金貰って野球している、そうして大金を払って貰って野球を見せている人たちだからね。アメリカの観客は、腹が立たないのであろうか。ホームランと三振が見れれば、それで良いのであろうか。それで良いのかもしれんけど。

 ちなみに、このゲームは、そのワンーアウト2塁の後、後続が続かず、私はそこで観戦を打ち切ったが、レイズが勝ったみたい。ちなみに、その後続の一人は大谷だったけど、不発。セカンドゴロだったかな。

 大谷って、案外、こういう場面、弱いよね。メジャーでサヨナラホームランは無かったような気がする。サヨナラヒットも無かったかな。日本ハム時代は、よー分からん。

 大谷の勝負強さはともかくとして、書く必要もないメジャーリーグの悪口をまた一つ書いてしまったが、とりあえず、前回の続き、と言いたいところであるが、その前に、前回の補足的なことを。

 前回、私は、「野球のランナーは、野手とボールの動きを確認しながら、走塁するのが基本」みたいなことを書いたけれども、同じ事は、当然ながら、野手の方にも云える。「ランナーの動きを見ながら、送球するのが基本」である。

 ところが、2年前、新庄が日本ハムの監督(BIGG BOSS)に就任した際、その秋季キャンプかなんかで、「野手はボールをすぐ投げ返そう」みたいなことを言っていて、更に多くの野球関係者がそれに同意していたのには、驚いた。

 いや、すぐ投げ返しちゃダメでしょう。ランナーの動きを確認してから、投げ返すべきでしょう。だって、一度投げてしまったボールは、繰気弾のようには、進路変更できないのだから。

 実際、新庄は、現役時代、間に合わないところに送球して、無駄にランナーを進塁させることが多かった。まあ、本人にとっては、魅せ場のつもりなのだろうけど。「間に合わないところに投げるヘボ野球」。

 また、この言葉「野手はボールをすぐ投げ返そう」も、好意的に解釈すれば、「野手は、ランナーの動きを確認したら、ボールをすぐ投げ返そう」の「ランナーの動きを確認したら、」の部分を、当然の事として、省略したのかもしれないけれど。いや、でもそこは省いちゃダメでしょう。最も肝要なところでしょう。野球の守備の肝でしょう。

 ちなみに、野手、とりわけ外野手が返球する際、最もベストな方法はというと、捕球したら、ランナー及びバッターランナーの動きを確認し、動かないようであれば、すなわち塁上にとどまっている場合は、送球せず、走って、セカンドなりショートなりの内野手に手渡しすべきである。そうして、ボールを手渡された内野手は、同じくピッチャーまで、走って行って、ボールを手渡しすべきである。無論、ランナーの動きを警戒しながら。

 これが理想というか、基本であろう。うかつに送球すると、気の利いたランナーなら次の塁へ進もうとするし、エラー、すなわち送球ミス捕球ミスの発生する可能性もある。そこまで警戒する必要はないと思われる方もいるだろうし、また、実際、そこまで警戒する必要もないのかもしれないが、ちんたら、あるいはルーティン的にプレイする、すなわち、何も考えず、何も警戒せず、内野手やピッチャーにボールを投げ返すと、例の辻のような走塁が発生してしまうのである。そうして、意外に、この基本は、プロでもアマでも、そうしてメジャーでも徹底されていないのである。

 ちなみに、この基本が、ルーキーイヤーから出来ていたのが、高橋由伸である。

 ランナー2塁とかでライト前ヒット。すると、それを捕球した高橋は、2塁ランナーが3塁で止まるのを確認すると、ボールを保持しながら、セカンドに近づき、手渡し。私はしたたか感心した。

 これが新庄なら、考えなしにバックホームして、バッターランナーの2塁進塁を許すか、下手すりゃ暴投で1点献上、挙句ランナー3塁である。

 高橋と新庄の外野守備は、こういう点も含めて、何から何まで対照的だった。走力や肩の強さといった運動能力は新庄に劣るものの(勿論、悪い訳ではない。あくまで、新庄と比較して、の話である。)、何から何までスマートな高橋と、何から何までガムシャラと云ったら聞こえがいいが、要するに何も考えていない新庄。本当に対照的な外野守備の二人だった。どちらが優れているかは、申す迄もあるまい。クッションボールの処理なんか、雲泥の差だったなあ。

 ところが、最近、とあるユーチューブの番組で、高橋が外野守備の要諦を問われ、「とにかく、内野手にボールを返す事」と答えてて、私は驚き、慌ててしまった。「いやいや、お前、現役時代、違ったやん。正しいプレイ、してたやん。」

 まあ、先の新庄の発言を受けての回答なんだろうけど、この辺が高橋のダメなところなんだよねえ。素晴らしい才能を持ちながら、その才能が完全に開花しなかったのは、こういう遠慮がちというか、正しいことを知っているのに、それを押し通せない弱さなんだよねえ。世間の顔色を伺うようなところがある。金田級とまではいわないけれど、金田の1万分の1くらいでも、押しの強さがあれば、親父や大人の意向を無視して、ヤクルト入り、不動の4番で、タイトルも獲りまくって、名球会入りして事だろう。正しいことは、そのまま実行すればよいのである。発言すればよいのである。何らかの才能を持ちながら、遠慮がちな人間は、どこか怪しい。

 話が逸れた。セイバーメトリクスの悪口でしたな。

 例えば、WHIPというものがある。ピッチャーが1イニング当たりに許した出塁数(被安打数と与四球)の平均値であり、ピッチャー評価の指標のひとつになっている。まあ、それはいい。でも何故に、安打数なのか。OPSでは、あれほど塁打数に固執していたのに、こちらでは、単に「安打数」。ホームランも三塁打も二塁打も単打も、みな等しく「1安打」で計算しているのである。

 単打と二塁打と三塁打は、ある程度は、守備力や打者の走力に依存するから、等しく「1安打」としても良いのかもしれない(それでも、かなり問題はあるが。)。でも、単打と本塁打は違うでしょう。明らかに、ピッチャーの能力の優劣にかかわってる。でも、等しく「1安打」。こういったものを指標にするのなら、「被塁打数と与四球」で計算すべきであろう。

 「打率」の問題点、すなわち「単打」と「二塁打」と「三塁打」と「本塁打」を等しく「1安打」とすることを指摘したのは、セイバーメトリクスの功績のひとつだと思うが(みんな知ってたことだけどさ。)、こちらでは逆戻り。粗忽だと思う。

 また、そもそも、1イニング当たりに許した安打数や四球数なんて、ピッチャーの能力の目安にならないと思う。だって、内野ゴロゲッツーでしのいじゃうピッチャーは、それなりにいるのだから。また、「ホームランを避けつつ四球でいい」という戦略もあるだろう。WHIPは、おおよその目安にはなるかもしれないけど、絶対的な目安にはならないだろう。あくまで、「おおよそ」。すなわち、無意味な指標である。だって、「おおよそ」なら数値にする必要はないのだから。計算する必要はないのだから。「おおよそ」なら、計算する必要ないじゃん。

 また、このWHIPに似た指標というか、セイバーメトリクスの考え方のひとつに「勝敗は、自軍の打力に左右されるので、ピッチャーの能力の指標にはならない」というものがあるけれど、これもバカげきった考え方だと思う。

 だって、ピッチャーに限らず、野球選手というか、あらゆるスポーツマンは「勝つ事」を唯一にして絶対の目的にしているのだから、それが「能力」の指標にならないなんて、そんなバカな話はあるだろうか。
 まあ、アマチュアスポーツだと、「健康のため」とか「友達作り」とか「ビールを飲むため」とかが唯一にして絶対の目的の場合もあるだろうが、プロスポーツの場合は「勝つ事」が唯一にして絶対の目的であろう。まあ、他を強いてあげれば、「観客を楽しませる事」であろうが、そのための最短の近道が「勝つ事」であるのは、論を俟つまい。

 かつて、落合の述べた「勝つ事が最大のファンサービス」の間違いは、「勝つ事だけがファンサービス」という印象を与えてしまった点である。実際、落合が「勝つ事だけがファンサービス」と考えていたかはともかくとして、落合の言動が、そう採られても仕方のないものであったのは事実であろう。

 ファンサービス論はともかくとして、あらゆるスポーツの唯一にして絶対の目的は「勝つ事」なのであるから、それをピッチャーの能力の指標にしないなんて、そんなバカな話は無いであろう。

 実際、ピッチャーだって、例えば5回で5−0ぐらいでリードしていたら、あとは力を緩めて、7−3ぐらいでフィニッシュ出来たら、それこそ旨いビールが飲めるというものであろう。「今日はいい仕事をした」って奴である。

 ところが、セイバーメトリクスでは、この3失点はピッチャーの能力だと主張するのである。それこそ、先のWHIPなども併せて、失点は無論の事、許したヒット数や四球数も、みなピッチャーの能力として換算される。たとえ「勝利」したとしても、である。というか、その「勝利」はピッチャーの力ではないと主張するのである。

 かくして、ピッチャーは、シチュエーション関係なしに、常に全力投球せねばならなくなる。常住坐臥、全力投球を強いられる。防御率やWHIPを悪化させないために、である。ちなみに、ここに書いた「シチュエーション関係なしに、」というのは、今回の記事では非常に重要な言葉、云わば「キーワード」であるので、常に、頭の隅に、この言葉を置いておかれたい。

 ちなみに、セイバーメトリクスとは関係ないけれど、最近のピッチャーが「常に全力投球を強いられる」理由としては、他に「投げ込みの少なさ」が挙げられるだろう。

 「肩・肘の負担」を理由に、投げ込みを避け、結果、コントロールが悪くなり、結果、「球の勢い」でしか勝負せざるなり、結果、「常に全力投球」が、日米を問わず、現今のピッチャーのおおよそである。で、「腕を振れ、腕を振れ」の大合唱。で、初球、それも試合開始の第1球から、アウトローへの全力投球。

 試合開始の第一球なんて、ゆるい変化球で十分であり。大概のバッターは、甘いストレート狙いだろうし、それもよほどの絶好球じゃなければ、まず振らない。様子見で見逃すものである。試合開始の初級に食らいつくなんて、それこそ高木豊ぐらいである。

 また、仮にそれをホームランされたところで、痛手にはならない。初回の1点なんて、勝敗を左右しない。

 まあ、初回第一球論はともかくとして、そりゃ、ケガもするよね。「常に全力投球」なんだもん。今ちょうど、大谷の肘のケガの第一報が入ってきたが、いい加減気付いて欲しいよ。1試合当たりの球数とか登板間隔なんてのは、靭帯のケガとは何の関係もないことを。この問題に関しては、いずれ記事を書こうと思うけれど、球数とか登板間隔を制限管理したって、ピッチャーは靭帯を痛めるっつの。むしろ、球数や登板間隔を制限するからこそ、痛めやすくなってるといってもよいくらいである。その理由は、いずれ書く記事に書こうと思う。

 靭帯をケアする最高のかはともかく、ひとつの方法は「なるべく全力投球をしない事」だと思う。「手抜き」といったら、聞こえは悪いが、なるべく7分8分の力で投げる、また、そういうピッチングスタイルを確立するというのが、靭帯をケアする一つの方法だと思う。

 ところが、昨今の野球界は、日米を問わず、セイバーメトリクスを始め、ありとあらゆるものがピッチャーに常住坐臥の全力投球を強いる。そりゃ、ケガするよね。

 とりあえず、今回はここまで。

                               最近、災厄が多い。2023/8/26(土)

 プロ野球のドラフトやってましたね。

 「野茂英雄 21歳 投手 新日鉄堺」、この35年近く、パンチョのダミ声、無限リピート中です。

 でも、パンチョの本職はダミ声じゃなくて、パ・リーグ広報部長なんだよね。でも、当時のパ・リーグの不人気っぷりを考えると、本職はテキトーにやってたんだろうな。そうして、メジャーリーグ三昧。そうして、ダミ声。そうして、ヅラの手入れ。
 
 でも、翌年の「小池秀郎 21歳 投手 亜細亜大学」は全然記憶にない。何故?。そう云えば、ともに「ヒデオ」だね、そうして同い年。この昭和43年組は(小池は早生まれなので、出生年は昭和44年)、近藤真一も5球団競合しているという恐るべき競合世代である。同期がしょっぱいという説も無くは無いが、それぞれ同期も豪華絢爛なので、ホントに不思議な競合世代である。1989年は言わずもがな、86年、90年も、それぞれ当たり年。

 でも、やっぱり、ドラフトはパンチョだよね。あのダミ声と、全く心がこもっていない感じがたまらん。パンチョにとっては、ただの声出しに過ぎないかもしれないけれど、選手にとっては、それこそ一世一代の晴れ舞台なのだから、もう少し心を込めてアナウンスしてやりゃいいのに。でも、それがパンチョ。メジャーリーグとヅラ以外は興味なし。

 ちなみに、選手間では、「パンチョに名前を呼ばれた事がある」と「呼ばれた事が無い」では、それこそ「甲子園出場組」と「不出場組」くらいの差別があるとか、ないとか。

 でも、最近の若いファンは、パンチョを知らない人も多いかもね。まっ、知る価値はないけど。

 そう云えば、ヤクルトは5位に終わりましたね。最下位予想すれば優勝するし、優勝予想すれば5位に終わるし、ホント解説者泣かせの球団ですな。

 ちょっと前まで、ホークスの事を「巨大戦力」とか言ってた人たちは、今何を言ってるんかね。まあ、「専門家」の化けの皮は新型コロナウイルスが完全に剥ぎ取りましたけどね。

 でも、高津監督やってましたね。1番濱田。あと、1番内山とか。あと、三浦監督も1番佐野とかやってて、野手上がりの解説者が顔をしかめていたけど、あれはホント分からん。以前どこかに書いたけど、ピッチャー出身の監督は必ずやる、1番白幡。あれは一体、どういう心理なのか、どういう戦略なのか、私には、さっぱり分からん。

 ちなみに、私の知る限り最も理解不能な打順は、1番今岡、2番赤星、3番金本。これほど、各バッターの長所を打ち消しあう打順は、それ以前もそれ以後も見た事がない。
 まあ、当時は、今岡が1,2番タイプとみられていたので、こういう打順になったのだけれど、当時としても理解に苦しむ打順ではある。もっとも、この打順で優勝するのだから、野球は分からん。

 その後、岡田監督が、1番赤星、4番金本、5番今岡という打線に組み直したけど、これは当然の処置であろう。

 さて、中日は、そのヤクルトの後塵を拝して6位。立浪監督が苦しんでいる。私は以前、立浪の茶髪禁止法(?)を擁護したので、所謂「立浪派」のように思われているかもしれないが、断じて、そんな事はない。ここは強調しておく。

 ってまあ、そんな事、強調しておく程の事ではないんだけど、「立浪監督論」、というか「立浪監督待望論」については、思うところがあるので、時宜を見て、書きたいと思う。

 で、ちょっと書きたいのは、そんな「立浪監督論」、あるいは「中日論」ではなくて、「球場が広いチームは、ひとたび低迷すると、なかなか、その低迷期を抜け出しにくいのではないか」という命題である。

 例えば、90年代のタイガースの暗黒期は、ちょうどラッキーゾーンを撤去した頃より始まっている。また、日本ハムも、札幌ドーム移転当初は勝ちまくっていたけれど、徐々に弱くなり、只今、暗黒期真っ最中。その札幌ドームは脱出したけどね。

 オリックスもグリーンスタジアムを本拠地にしていた頃は、当初の数年はともかく、徐々に弱体化していき、暗黒期。本拠地を大阪ドームに移転、その開催数を増していく、すなわちグリーンスタジアムでの開催数を減らしていくにつれて、勝ち出した。

 そうして、この10年くらいの中日。そうして、海の向こうのマリナーズも20年くらい低迷していた。

 その一方で、ヤクルトがちょこちょこ優勝するのも、神宮球場の狭さが、その一因になっているかと思われる。

 もちろん、ホークスみたいに、広い広い福岡ドームをモノともせず、勝ち続けるチームもあるから、一概に「本拠地が広いと、勝ちにくくなる。あるいは、低迷期を脱出しにくくなる。」とは言えないが、一考には値すると思う。そういった意味では、狭い球場に移転した日本ハムの今後の動向、清宮の今後の成績には要注目である。

 その理由に関しては、全然分からないけれど、とりあえず、下駄を履かせるのは、ピッチャーではなくバッターという事なのであろう。もともと、野球というのは、ピッチャー有利のスポーツなので、もともと有利なピッチャーをさらに有利にしてしまうと、バッターがますます不利になってしまうという事なのであろう。

 実際、シーズン10勝ピッチャーとシーズン30本塁打のバッター、どちらが希少かと問われれば、それは後者となろう。キャリアで1度でもシーズン10勝したピッチャーは、それなりにいるだろうけど、シーズン30本塁打達成のバッターは、それに比べ、ぐっと少なくなると思う。まあ、統計採っているわけではないけどさ。

 勿論、シーズン10勝とシーズン30本塁打が等価かという問題はあるが、とりあえず、下駄を履かせるなら、ピッチャーよりバッターという事になると思う。

 実際、先に挙げた長期低迷チームも、投手陣に苦しむというよりは、野手、とりわけ長距離砲に苦しんでいた訳である。また、投手陣の立て直しより、打撃陣の立て直しの方が、はるかに難しい事から考えても、下駄は、ピッチャーではなく、バッターに履かせるべきであろう。

 他の球場より狭くすると有利になるとまでは言えないが、他の球場より広くしちゃうと、不利にはなると思う。まあ、確かに、広い球場は気持ちいいけどね。

 あとまあ、中日の場合は、その「地元偏重ドラフト」を辞めたら、というのはある。

 金田&杉浦&イチローという愛知出身3大スーパースターを逃した事のトラウマがあるのかもしれないけど、その「地元偏重ドラフト」は編成に歪みをもたらしていると思う。

 「田中が欲しかったけど、天の声で堂上に決まった」なんていうのは、その最たるものであろう。しかも、結局何の実績も残せなかった、その堂上をコーチとして採用しているのだから、「地元偏重」ぶりは目に余る。まあ、堂上にコーチとしての才能があるのかもしれないけどさ。

 また、その堂上はともかくとして、ドラフトされる地元選手も、やりづらいところがあるんじゃないかな。

 山崎武司が、「中日は地元なんで、入りたくなかった。」なんて発言しているけれども、大学生、社会人はともかく、高校生ぐらいだと、「地元を離れたい」っていう気持ちも強いんじゃないかな。

 私は、プロ野球選手になる能力は全くなかったけれど、それはともかくとして、高校卒業時は、とにかく「地元」を出たかった。最近、異常に増えた「子供部屋おじさん」なんて、私にはまるで理解できない。高校生の頃の私は、子供部屋を憎んでいたといってもよい。たまに、というか、最近野暮用が増えて、実家に帰ることが多いけれども、その度、その「子供部屋」で寝泊まりする訳であるが、その度に、あの頃の不快な気持ちがよみがえる。長渕剛じゃないけど、「オレが此処を出てった訳は、誰もがオレの居場所を知ってたから」。

 つかまあ、今というか、昔から、私は、この地球を出たい気持ちも強い。宇宙の果てを目指すような宇宙探査船があって、それの乗組員を募集していたら、私は躊躇なく応募するであろう。「Anywhere,out of the world」って奴である。んで、旅のお供に、大量のエロビデオを宇宙船に積み込んで…。エロエロ、あっ間違えた、ウソウソ。

 でもまあ、今から、つうか当時から出発しても、たいして地球を離れられないだろうなあ〜。銀河系どころか、太陽系も厳しいだろう。でもまあ、冥王星ぐらいまでは行けっかな。もちろん、「ワープ」とか出来りゃあ、話は別だけど。あと、「デスドライブ」。

 そんな「Anywhere,out of the world」問題はともかくとして、中日の「地元偏重」は編成に歪みをもたらしていると思う。しかも、広島みたいに、「地元出身選手」の多くが活躍しているならともかく、中日の場合、先の堂上を始め、ほとんど成功しない、活躍しない。云わば「藤王コース」である。まあ、近藤真一みたいな例もあるけどさ。

 実際、中日のレジェンドは、杉下から始まり、江藤や星野、谷沢、鈴木孝政や小松、田尾、宇野、落合、山本昌、今中、福留等々、ほとんど「非地元選手」である。

 地元出身のレジェンドといったら、高木と岩瀬、浅尾ぐらいである。あと、和田か。重大な選手を忘れていたら、ゴメンナサイ。

 やっぱり、金田&杉浦&イチローを流したトラウマなのかなあ。考えてみると、中日以外の球団でも、「地元偏重ドラフト」をしなくとも、何気に地元出身のスターをゲットしてるよね。巨人の王とか、西鉄の稲尾とか、大毎の榎本とか、阪神の村山、江夏とか、阪急の福本、加藤とか、近鉄の鈴木、土井とか、大洋の田代とか。あと、東映の土橋とか。張本をゲットできなかったのは、広島の痛恨事と言えなくもないけど、山本浩二がいればいいでしょ。

 やはり、金田&杉浦&イチローを流したトラウマか。

 ちなみに、イチローが頭角を現し始めた頃、中日の愛工大名電担当は、星野の勅命により、死刑になったらしい。職業的な意味ではなく、生命的な意味で。エロエロ、あっ間違えた、ウソウソ。

 勿論、実際に死刑になる訳ではないけど(当たり前だ!!)、死刑級だよね、イチローを見逃すなんて。中日の愛工大名電担当に限らず、どうして気づかなかったかなあ、あんなあからさまな才能。私のような素人でさえ、一目で「首位打者、2,3回は獲る」と思ったぐらいなのに。まあ、まさか、あんな選手になるとは思わなかったけどさ。

 で、セイバーメトリクスへの悪口の続き。

 今回は、「セカンドゴロ」の話である。

 「セカンドゴロ」とは何を唐突にと思われた方もいるかもしれないが、「セカンドゴロには色々ある」という話である。

 「セカンドゴロ」には、当然、二塁手の右や左、ボテボテ等々、色々な「セカンドゴロ」が当然あるけれど、今回は、そういう打球の質の話ではなく、打球の結果、あるいは効果、すなわち「セカンドゴロの結果や効果」についての話である。打球自体は、単純な正面のゴロ、プロなら、というか、アマチュアでも、野球経験者なら、90%以上の確率でアウトにできる、そういった平凡な「セカンドゴロ」である。

 ただ、そんな平凡な「セカンドゴロ」でも、状況によって、「結果や効果」は随分異なる。

 まず、単純に、「ノーアウト・ランナー無し」の場合。この場合は、単純にアウトが一つ増えるだけである。次の状況は、「1アウト・ランナー無し」である。

 次に、「ノーアウト・ランナー1塁」の場合。この場合は、アマチュアだと高確率とはいかなくなるかもしれないが、プロなら、かなり高い確率でダブルプレーであろう。次の状況は、「2アウト・ランナー無し」である。

 次に、「ノーアウト・ランナー2塁」の場合。この場合は、ランナーの巧拙や二塁手の技量にもよるが、大概は、進塁打。すなわち、次の状況は、「1アウト・ランナー3塁」である。

 次は、「ノーアウト・ランナー3塁」の場合。これも同じく、ランナーの巧拙や二塁手の技量、そうして守り方にもよるけれど、前進守備を敷かなければ、進塁打になるであろう。すなわち、次の状況は、「1アウト・ランナー無し・得点1」である。

 以上4パターンの結果をまとめると、上から、「1アウト」、「2アウト」、「1アウト・進塁打1」、「1アウト・得点1」となる。

 まあ、勿論、これらは得点差等々の状況や守備陣の守り方によって、色々と変わってくるだろうけど、同じ「セカンドゴロ」でも、「結果や効果」は大きく異なるのである。

 こういう事も、セイバーメトリクスは、きちんと算出しているのでしょうね。算出しないと、野球を正しくどころか、まるで数値化できませんよ。

 次は、「10打数1本塁打」と「10打数4単打」の選手の比較である。

 これまた、何を唐突にと思われた方もおられるであろうが、要するに、10打数でホームラン1本の選手と、10打数でヒット4本、ただしすべてシングルヒットの選手の比較である。

 まず、単純に、打率は、「1本塁打男」が0.1。「4単打男」が0.4である。当たり前である。

 で、出塁率は、四球は換算していないので、それぞれ、同じく0.1と0.4であり、長打率は、それぞれ0.4と0.4。故に、OPSは、それぞれ0.5と0.8。実に300ポイントも違う。

 まあ、4割バッターと、ホームランのみとはいえ、1割バッターのOPSは、それくらい差があっても、然るべきかもしれない。

 ただし、10打数で1本塁打というのは、シーズン換算だと、50発ペースである。所謂、「強打者」がキャリアの絶頂期のホームランペースである。例えば、野村の1963年が550打数で52本塁打、落合の1986年が417打数(!!!)で50本塁打、村上の2022年が487打数で56本塁打である。

 ちなみに、王の恐ろしいところは、キャリアを通して、このペースで打っていたことである。すなわち、9250打数868本塁打。ちなみに、野村は10472打数657本塁打、落合が7627打数510本塁打、村上が2430打数191本塁打。

 10打数で1本塁打というのは、そういうペースなのであるが、意外に知っている人は少ない。本塁打数しか見ていない人ばかりである。

 ちなみに、その本塁打50本ペースの半分、25本ペースだと、すなわち20打数に1本のペースでの本塁打になる訳であるが、だとすると、1番から9番まで全てシーズン25本塁打選手のレベルを並べたとしても、1試合当たり、せいぜい1本2本、2本弱くらいの本塁打数という事になる。

 実際、「史上最強打線」と謳われた2004年の巨人のチーム総本塁打が259本(138試合)であるから、まあやっぱり、1試合あたり2本弱という事になる。これがホームランの現実である。

 たとえば、一発サヨナラの場面で、25本塁打クラスのバッターが打席に入ったとしても、サヨナラ本塁打の確率は、せいぜい20回に1回、5%しかないという事になる。

 その程度の確率が、ホームランなのである。もっとも、そういう場面で、打ちそうなバッターを打ちしそうなシチュエーションにして出してやり、その5%を8%、10%、20%に挙げるのが、監督の腕の見せ処なのではあるけれど。で、それが抜群に上手かったのが野村監督である。謙二郎の方じゃないよ。

 ホームランなんていうのは、そういうもんなのであるが、ヒットの方は打率で表すのに、ホームランの方は未だホームラン数で表している。ちゃんとホームラン率を出すべきであろう。まあもっとも、その多くが1割以下の、しょっぱい数字が並ぶだろうけどさ。で、そういうのを是正しようというのがセイバーメトリクスのひとつの思想、志向ではあるけれども。

 話を戻す。

 そうはいっても、10打数1本塁打というのは、あまり現実的な数字ではないので、もう少し数字を現実的にしよう。「10打数1単打1本塁打」と「10打数2単打1本塁打」、つまり2割50本ペースと3割50本ペースのOPS等を出してみよう。すると、以下のようになる。以下、それぞれの「率」の表記は、いろいろと煩わしいので、ポイント制にする。つまり、「0.300」という表記法ではなく、「300」という表記法である。ご理解されたい。

              打率(出塁率)  長打率  OPS
 「10打数1単打1本塁打」 200     500  700
 「10打数2単打1本塁打」 300     600  900

 参考までに3割30本ペースも出しておこう。10打数だと計算しづらい、つうか少数になってしまうので、100打数にする。

 「100打数24単打6本塁打」 300  480  780

 以上を、ひとまとめにすると、
打率(出塁率) 長打率 OPS
10打数4単打 (4割バッター) 400 400 800
10打数1本塁打 (1割50本塁打) 100 400 500
10打数1単打1本塁打 (2割50本塁打) 200 500 700
10打数2単打1本塁打 (3割50本塁打) 300 600 900
100打数24単打6本塁打 (3割30本塁打) 300 480 780


 OPSがイメージより低めなのは、四球を換算していない、すなわち打率と出塁率が同じためである。そのほか、二塁打や三塁打、犠打、犠飛等々も換算していないため、あまり現実的でない数値かもしれないが、参考程度にはなろう。

 「シングルヒットのみの4割バッター」のOPSが800、「3割30本」が780で、数値的に近いのは意外かもしれない。しかも、この試算は四球を除いているので、四球を加味すると、当然のことながら、「3割30本」の方が四球は多いであろうから、OPSは「3割30本」の方が上回ってしまうであろう。

 ちなみに、余談になるが、門田や落合が「ホームランを捨てれば、4割打てる。」と豪語しているけれども、シングルヒットのみのバッターだと、「4割」は厳しいと思う。ホームランを打ちつつ、四球を稼ぐのが、4割バッターへの近道、というか唯一の道であろう。

 まあ、勿論、門田や落合が、それまでの実績から、ホームランを見せつつ、実際はシングルヒット狙いというのなら、話は分かるが、純粋にシングルヒットのみのバッターだと、「4割」は厳しいと思う。

 日本のプロ野球で、最も「4割」に近づいたのは、1989年のクロマティであろうが、というか、規定打席到達時点で4割は超えていたのであるが、そのクロマティにしても、それまでの「ホームランがある」という実績を利用しての単打狙いでの「4割」である。

 ちなみに、「最後の4割打者」テッド・ウィリアムズの4割達成時のホームランは37、しかし何より四球が147(!!!)もある。

 まあまあ、それはともかくとして、「4割バッター」と「3割30本」がOPS的には近いというのは、意外なのではないだろうか。単純に「レア度」という意味では、100年近い日本のプロ野球の歴史で未だ達成者のいない「4割バッター」と、毎年数人は達成者のいる「3割30本」が、ほぼ同じいというのは、やや奇異な感はしなくもない。

 「4割バッター」が「3割50本」に負けてしまうのは、仕方ないにせよ、感覚的には「3割30本」以上の価値はありそうに思える。しかも、「2割50本」でもOPSは700あるので、四球を換算してしまうと、こちらも「4割バッター」と同等の価値という事になってしまうであろう。

 つう訳で、OPSという指標で、ひとつはっきりしているのは、まず、純粋なホームランバッター、例えば野村や田淵のようなタイプは最も不利という事になる。「2割50本」で、ようやっと「4割バッター」と同等である。それも、ある程度「四球」を選んでの話であって、「四球」が少ないと、「4割バッター」に劣ってしまう。

 次に、その「4割バッター」も、「単打」のみだと、「3割30本」に劣ってしまう。

 で、結果、OPS的に最も有利なのは、率を残しつつホームランを打てるバッター、所謂「中距離ヒッター」、張本や落合みたいなタイプという事になる。

 すなわち、OPS的な価値では、

 中距離ヒッター>短距離ヒッター>長距離ヒッター

 となる。もっとも、現実的には、長距離ヒッターは短距離ヒッターより四球が多くなるので、短距離ヒッターと長距離ヒッターは同等、あるいは逆転するかもしれない。

 中距離ヒッターの価値については、以前書いたので、ここでは省く。

 とまあ、ここまで長々書いてきて、こういう事を書くのも気が引けるが、私はここで、このバッターの3種類のタイプの優劣を議論したいわけではない。また、OPSの1ポイント、あるいは10ポイントに、どういう価値があるのか、議論するつもりもない。

 つうか、そんな事、すなわち「4割バッター」と「1割50本」「2割50本」「3割30本」の優劣などは、百万年議論しても答えは出ないであろう。まあ、1億年議論すれば、何らかの答えは出るかもしれんけどね。

 でも、実際は、答えが出るのである。それも簡単に。

 「試合を見れば、いい」のである。そうすれば、簡単に答えが出るであろう。

 まあ、「1割50本塁打」の選手とか「4割全単打」のような選手は、プロ野球やメジャーリーグのような100試合以上のスパンの大会だと、まず、というか絶対現れないであろうが、短いスパンの大会、それこそ「日本シリーズ」とか「高校野球」では十分ありうる数字である。10打数は非現実的でも、20打数、すなわち「20打数2本塁打」「20打数8単打」なら、十分現実的である。

 そうして、そういう選手の優劣は、はっきり付く。「試合を見れば、」である。「その2本塁打のうち、1本が優勝決定逆転サヨナラホームラン」だとか、「その8単打が、ことごとく得点に結びついた」とか、何らかの形でたいてい優劣が付く。
 
 また、「プロ野球やメジャーリーグのような長期のスパンの大会」でも、優劣は大概はっきり付く。分かり易いのが「MVP」で、それが議論になることはまずない。大概、全会一致であろう。昨年のジャッジ・大谷論争ぐらいが数少ない事例のひとつであろうが、これは「打者vs二刀流」という非常に珍しい、というか前代未聞の対決になったため、議論になっただけであり、しかも、その結論の「ジャッジ」だって、一部の大谷ファン以外には、納得のいくものだったろう。

 「そういう印象批評を退けるために、セイバーメトリクスが生まれた」という反論もあろう。でも、スポーツの優劣なんて、印象だよね。それを退ける「統計理論」なんて、現れていない。「打率」とか「本塁打数」とか「エラー数」とか「勝ち星」とカテゴリーを小さく絞れば、数字的な優劣は付くだろうけど、「OPS」のようにカテゴリーを広げて、ひとまとめにしようとすると、かえって収拾が付かなくなる。分かり易くしたつもりが、かえって分かりにくくなる。ただ、数字の高下だけである。少なくとも、私には、現行の「セイバーメトリクス」は、選手の正しい評価には、何の役にも立っていないように思える。

 例えば、先に挙げた「セカンドゴロ」を現行のセイバーメトリクスは数値化できているであろうか。いや、出来てたら申し訳ないけど、少なくとも、私は知らない、聞いたことがない。

 でも、「セカンドゴロ」一つにだって、チームへのプラス・マイナスははっきりある。

 90年代のヤクルトに土橋勝征という選手がいた。当時のヤクルトファン、セ・リーグファンなら、みな覚えている選手だと思う、何故かというと、他チームの選手やファンにものすごく嫌われていた選手だからだ。

 この土橋は、かつて「ニュースステーション」に呼ばれたことがある。「ニュースステーション」は、滅多にスポーツ選手をゲストに呼ばないのであるが、そこに珍しく呼ばれた選手が土橋だった。

 当時のヤクルトだと、野村監督と古田ぐらいじゃないだろうか、「ニュースステーション」に呼ばれたことがあるのは。でも、全然記憶がないから、呼ばれていないかもしれない。

 で、その土橋に、久米宏は、ゲストに呼んでおきながら、「僕はね、あんたが憎くて憎くてしかないんですよ。あなたに、どれだけ煮え湯を飲まされたか。」っていう感じの言葉、というか罵詈雑言を繰り返していた。ゲストに呼んでおいて、「憎い憎い、憎たらしい」を連呼するのもどうかと思うが、それは無論、土橋への最大の賛辞であろう。そうして、それは、当時のヤクルトの選手とファン以外の、セ・リーグの選手とファンの声でもあったろう。

 その土橋のキャリア通算のOPSは701。何の意味も価値もない数字である。

 ちなみに、野村監督の最高傑作というと、古田や飯田の名前がよく挙がるが、彼等は、野村監督と出会わなくとも、どういう形であれ、活躍したと思う。でも、土橋に関しては、野村監督と出会わない限り、絶対出世しなかった、全く違った形でキャリアを終えた選手だったと思う。たまにホームランを打って喜んでる、そういう選手止まりだったろう。こういう選手は、具体名は上げないけど、いつの時代にも腐るほどいて、そうして全然役に立たない、ファンの記憶に残らない選手として終わる。

 野村監督の最高傑作は、柏原であろうが、それに続くのが土橋、赤星といった面々であろう。

 閑話休題。

 こういう土橋のような選手、セイバーメトリクス的には全く価値がないけれど、現場にいれば価値がはっきり分かる選手、そういう選手が動かしていくのが野球というゲームである。

 それこそ、野村監督なんていうのは、「ヤジがうまい」というだけでベンチ入りさせていたぐらいである。「ヤジがうまい」を、セイバーメトリクスはどのように評価するのであろう。でも、「ヤジがうまい」選手の価値、それは野球をしたことのある人なら、みんな分かっている事である。

 また、星野監督には、戦闘要員としてベンチ入りさせていた選手がいる(さすがに、具体名は挙げられない。)。「戦闘要員」を、セイバーメトリクスはどのように評価するのであろう。スカウターを使うのかな。「戦闘要員」の価値、それは野球をしたことのある人なら、みんな分かっている事である。いや、これは分からんか。「素振り」じゃなくて、「なわとび」とか「シャドー」してたからね〜。ウソウソ。

 そうして、エクスタイン。全世界全時代を通じ、全野球選手中、私の最も好きな野球選手であるが、このエクスタインを、セイバーメトリクスは、どのように評価するのだろう。ジーターも低評価だったよねえ。

 「戦闘要員」はともかくとして、こういう選手、土橋やエクスタインや「ヤジがうまい」選手を評価するのが、監督の仕事のひとつである。そう、あまり表面化しないが、監督の裏の、というか真の仕事である「査定」である。

 これは、ほとんどメディアの記事になる事はないけれども、監督は「査定」を通して、自身の戦略や戦術、哲学を選手に伝えていくのである。そうして、この「査定」の能力こそ、監督の能力なのである。全部とは言わないけど、大部の能力である。

 例えば、先の「セカンドゴロ」も、ある監督は「価値無し」と判断し、ある監督は「価値有る」と判断する。それは、すなわち、そのままチームの戦略・戦術になるだろうし、哲学となるだろう。

 打順や守備位置を決めたり、サインを出したりするのも、監督の重要な仕事かもしれないけれど、それと同等、あるいは、それ以上に重要な仕事が「査定」なのである。

 そういった意味では、落合が、監督就任時に言った「オレの仕事は、オマエらを首にすることだ。」は、いかにも落合らしい、事の本質を突いた言葉と云えるであろう。

 ところが、この「査定」権、日本のプロ野球はともかくとして、現行のメジャーリーグの監督は、おそらく取り上げられていると思う。セイバーメトリクス頼みのエクゼクティブにな。野球なんか見たこともなければ、見る気もない連中にな。セイバーメトリクスという資料で、すべてを判断する連中にな。

 今のメジャーリーグの監督が、ホントつまらなそうにしているのは、そういう「査定」を含めた采配権を、事実上全て奪われているからだと思う。お仕事は、メディアとのおしゃべり、あるいは弁明くらいであろう。自分の采配じゃないのにね。

 と、ここで一つの仮説が生まれる。それは、このセイバーメトリクスの開祖、ビル・ジェイムスは野球を見た事がほとんど無かったのではないか。そう仮定すると、彼の著書の謎めいた表題「ベースボール・アブストラクト」も意味を帯びてくる。

 ちょいと長くなってきたので、この意味ありげな仮説を提出して、今回は筆を擱く、じゃなかった、ひとまずアップしようと思う。


           関西在住のタイガースファンのサンテレビに対する信頼感がハンパない。2023/10/28(土)

 ちょいと古い話柄で恐縮であるが、ダイアモンドバックスが、リーグチャンピオンシップでエンドランを使ってましたね。メジャーリーグでエンドランなんて、久方ぶりに見た。

 その後、Dバックスはワールドシリーズに進出するも1勝3敗で敗退。まあ、Dバックスのゲームなんて、ほとんど見ていないので、どんな野球をやっているのかは皆目分からんけれども、監督のロブロが元ヤクルトという事で、今年のスプリングキャンプに古田を臨時コーチとして招聘していた。

 その様子が、ユーチューブの「古田の方程式」で公開されているけれども、古田への各選手やコーチの質問が、すごい幼稚なんだよね。まあ、そういうとこだけ切り取って編集しているのかもしれないけど、「お前は、キャッチャーボックスからバッターをじろじろ見てたけど、あれは何を見てたんだ」とかね。かつては、ブレイザーやスペンサー、あるいは「ドジャース戦法」が、日本人に野球を教えたけれども、それから50年以上の月日が流れて、今度は日本人がアメリカ人に野球を教える番になったのだろうか。かつての自動車や家電のように。

 で、前回の続き。

 前回、私は「ビル・ジェイムスは野球を見た事がほとんど無かったのではないか。」という疑義を提出して、稿を終えたのだけども、ビル・ジェイムスの経歴を、ちょっと調べてみると、その疑惑は強まる。

 人も良く知るように、ビル・ジェイムスは食品工場の警備員時代に野球の研究を進めたといわれている。このへんの「直接」現場に取材していないというのが、新聞記者やスポーツライター等々と異なる、ビル・ジェイムスの強みでもあり、弱みでもあろう。

 ビル・ジェイムスの勤務形態がどのようなものだったかは分からない。昼勤なのか夜勤なのか、一日何時間労働なのか、休日はどのようなものなのか、また、その勤務内容が厳しいものなのか、楽なのか、私には皆目分からない。

 そうは言っても、20世紀後半のアメリカでの話であるから、現行の日本の勤務状況と大きく隔たるという事はあるまい。「8時間労働・週休二日制・夜勤あり」みたいな感じであろう。週休は、もしかしたら一日制+半ドン、あるいは隔週二日制だったかもしれない。

 そういう勤務状況の中、職場で、かどうかは知らぬが、休日や休憩時間に、その野球研究を進め、公刊したのが、あの名高い「ベースボール・アブストラクト」である。

 と想像すると、ビル・ジェイムスの野球というのは、おそらくボックススコアの野球、新聞や雑誌の野球であろう。当時のアメリカの野球放送事情がどういうものかは、さっぱり分からないけれども、ビル・ジェイムスがその研究を進めた70年代は、ESPN開局以前であるし、せいぜい地元チームの試合、どの程度かは分からないけれど、全試合か、ほとんどの試合を地元のテレビ局が放送するくらいであろう。ラジオだと、もう少し聴取範囲が広がるかもしれない。

 また、ビデオ機器が各家庭に普及するのは80年代以降であるから、テレビ観戦も、基本的には生、リアルタイム観戦であったろう。

 まあ、これだけの野球ファンであるビル・ジェイムスの事だから、出来うる限りのテレビ視聴はしたであろうし、ビデオ機器導入も、一般家庭より早かったかもしれない。また、入手しうる限りの野球関連の雑誌や新聞、書籍は入手したであろう。でも、その中心は、新聞や雑誌に掲載されているボックススコアだったに違いあるまい。それを眺め、計算し、考察するのが、ビル・ジェイムスの主たる「野球観戦方法」だったろう。上述したように、それしか、「野球観戦方法」が無かっただろうし、また、それが好きだったのかもしれない。

 で、その「ボックススコアによる野球観戦」であるが、私の経験上、実際の野球観戦に比べ、分かるのはせいぜい4割5割といったくらいである。それも、かなり野球に詳しい人で、の話である。

 まあ、野球というのは、他のスポーツ、例えばサッカーやバスケットボールに比べ、その競技の性質上、ボックススコアはかなり充実しているが、それでも、所詮はボックススコアである。実際に、この目で観戦するのとは、結構異なる。大いに、とまでは云わないが、やはり全く同じとまではいかない。

 私もかつて、ボックススコアを熟読玩味し、それからビデオ録画しておいた実際のゲームを見るなんていうおヒマなお遊びをしていた事があるが、せいぜい4割5割である。ボックススコアでイメージしたゲームとは、結構異なる。また、最近では、NFLを文字ライブで追って、それからネット配信や録画放送を見たりすることもあるけれど、野球とフットボールは異なるとはいえ、こちらもやっぱり結構異なる。印象が違う。

 私の経験上だと、ボックススコアで4割5割、ラジオで6割、テレビで7割8割といったところであろう。あとまあ、現地観戦というのもあるのだけれど、これも曲者で、座席によって、見える野球は全然違うし、また、それをテレビにしたもの、テレビのフレームを通して見たものとは、何かちょっと異なる。

 野球に限らず、スポーツの試合を現地観戦して、帰宅後、スポーツニュース等で、そのゲームを見た際、なにか違和感を感じた経験があるのは、私だけではないだろう。これは、スポーツに限らず、「編集」というのは、そういうものである。そうして、それに気づいている人は案外少ない。これだけの情報化社会でありながら、である。テレビの映像を「現実」だと思ってしまう。新聞や雑誌の記事を「現実」だと思ってしまう。当事者の発言を「現実」だと思ってしまう。本に「黒」と書かれていたら、現実は「白」だと思え。

 私は子供の頃、詳細は省くが、近所で新聞沙汰テレビ沙汰になる事件が発生した。そうして、その報道に、子供ながら違和感を感じたものである。私自身が見聞きしていたのと、随分異なっていた。無理矢理、公式に当てはめているような、定型文に当てはめているような、そんな報道だった。

 ちょっと話が逸れたが、ボックススコアで知る野球というのは、よほどの玄人がそれを読んでも、テレビの野球、「現実」の野球とは結構異なるというのは自覚しておくべきである。

 つかまあ、「実際」の野球なんて言うのは、極端な話、「現場」にいなければ何もわからない。そういった意味では、ぶっちゃけ、テレビもラジオも、新聞も雑誌も、ボックススコアも0割である。

 例えば、代打ひとつとっても、観客や記者は、「対戦成績」あたりを根拠に良し悪しを判定するものだけど、「現場」レベルでは、そんなものは、ほとんどアテにしていない、根拠にしていないだろう。

 普通に考えれば、当事者、この場合は、代打の感覚を、まず根拠にするであろう。例えば、「打率3割」でも、それが3打数1安打で、本人の感覚的には結果オーライのヒット、内容的には完全に打ち取られ、ピッチャーとのタイミングも合っていないと本人が申し出ている場合もある。一方で、「打率1割」でも、それが10打数1安打で、アウトになった9打席のうち2打席はいい当たりで、ピッチャーとのタイミングも合っていると本人が申し出ている場合もある。この場合、普通の監督だったら、後者の「打率1割」をバッターボックスに送り出すであろう。

 そのほか、練習での調子や球種的な相性、バッティングスタイル、試合状況等々を総合的に判断して、監督は「代打」を決定しているのである。「対戦成績」だけで「代打」を決めている監督なんていうのは、ハッキリ言って、ボンクラ監督といってよいであろう。

 「代打」に限らず、それが監督の「采配」である。「数字」なんていうのは、数多い判断材料のひとつに過ぎない。

 また、昨今は、故野村克也の影響で、解説者のみならず、お茶の間の一般のファンまで、「配球、配球」と云うけれど、実際のところ、その日のバッテリーミーティングにも参加してない人が、「配球」に口出せる訳がない。そんな芸当ができるのは、それこそ野村克也のような「配球」の裏も表も知り尽くした「名人」だけである。その野村にしたって、80年代の解説者時代は、ちゃんと予習してゲームに臨んでいるのである。その成果が、あの掛け替えのない「野村スコープ」である。何の予習もしていない解説者連中では不可能である。素人と同レベルといってよいだろう。その無様な結果が、あのバカの一つ覚えの「インハイ、インハイ」である。かつての、それこそ野球解説者野村克也登場以前の「外角低めに投げておけば、間違いがない」とまったく同様である。

 まあ、かくいう私も、野球について何か書くときは、ついつい素人考えの「配球」論を述べてしまうけど、上述のような自戒は常にある。サッカーファンの「戦術」論も、まったく同様である。

 また、今上述したのは、純粋に「野球」だけの話だけど、実際の現場では、「野球以外」の事も、大きな判断材料になる。例えば、「審判が気に食わない」とか「お腹が痛い」とか「息子が病気で」とか、報道されない、あるいは報道できない「野球以外」の理由だって、現場には山ほどある。そういった諸々を、総合的に判断するのが監督の采配であり、「現実」の野球であろう。テレビやラジオ、そうして勿論「ボックススコア」だって、「現実」の野球とは、程遠いものだという事は、常に肝に銘じておくべきであろう。

 とまあ、そこまで考えるのは、大袈裟に過ぎるかもしれないけれど、「ボックススコア」のみで「野球」を理解するというのは、土台無理な話である。大甘に見ても、上述した4割5割程度であろう。

 そうして、そのように考えると、ビル・ジェイムスの著作の不思議な表題「ベースボール・アブストラクト」も、俄然、意味を帯びてくる。

 「アブストラクト」、英語というか原語だと「ABSTRACT」であるが、それを訳すると、一般的には「抽象的」になるのであるが、「アブストラクト」には、もうひとつ、意味というか、使い方があって、それは「概要」「摘要」である。
 これは、一般的には、あまり使用しないのであるが、例えば、大学の講義目録などが、年度初めに出版というか、1冊の本にまとめられるけれども、そこで、各教授のその年予定されている講義内容をまとめたものが「摘要」、「ABSTRACT」である。

 で、おそらく、ビル・ジェイムスは、こちらの意味で使っているのだろう。でも、「ABSTRACT」には、やっぱり「抽象」という意味もある。というか、「抽象」「摘要」も、当然のことながら、最終的には、意味、概念は合致する。そう、ビル・ジェイムスはベースボールをアブストラクトしているのである。

 と考えると、彼の「セイバーメトリクス」が、私には、はっきりとした形を帯びて見えてくる。それこそ、「抽象」してくる。「概要」してくる。

 ビル・ジェイムスの主張に、賛同すること、異論すること、私には色々あるのだけれど、なかでも、大きな違和感を感じるのは、彼の代表的な主張のひとつである「守備の良し悪しは、エラー数では分からない」である。

 と、彼は主張して、「レンジファクター」等々、守備にかかわる色々な数値を捻り出しているのであるが、「守備の良し悪し」なんて、そんな数値、いらんでしょう。だって、見りゃあ、一発で分かるんだから。

 というか、「守備の良し悪し」なんて、試合でのプレイを見なくても分かる。ノック一発見りゃあ、ある程度野球が分かる人なら、すぐ分かるでしょう。また、「試合の前のシートノックで、そのチームの強い弱いが分かる」なんていう人がいるけれど、これは、その拡大版でしょう。

 「守備の良し悪し」を「エラー数」で判定している方が、異常だよ。例の「打率」の件も同様だけど、ある程度野球が分かっている人なら、「参考」程度にしか扱っていない数値を、さも絶対の「指標」のように捉えて、声高に反論するというのが、ビル・ジェイムス、そうしてセイバーメトリクス一派の、いつものパターンである。いや、単に、おめーらが分かってないだけだっつの。他はみんな分かってるっつーの。なんつーの、「逆・裸の王様」みたいな感じ。王様ではなく、騒いでる子供の方が裸、みたいな感じ。

 この「守備の良し悪し」の件にしたって、「エラー数」で守備の良し悪しなんか、誰も判定してねーつの。「エラー」なんて、グラウンドの状態や打球の回転等々、ある程度偶然にも左右されるし、当然「守備機会数」にも左右されるであろう。でも、守備の上手い下手は、ノック一発で分かってしまうものである。

 ちょっと前、宮本慎也のユーチューブの番組で、石井、小坂、鳥谷、源田に、ホストの宮本も加えて、ノックを受けていた。皆、ゴールデングラブ受賞歴のある面々なだけに、それぞれに上手いのであるが、私が監督だったら、宮本を使う。他のプレイヤーはエラーをしないように守っていたのに対し、宮本は、エラーをしてもアウトにできるような守り方をしていたからだ。謂わば、「保険を掛けた」守り方である。

 このへんは、人によって、判断が変わるだろうけれども、ノックひとつで、守備の良し悪し、考え方まで分かってしまうものである。

 つか、守備の良し悪しなんて、殿堂入りクラスなら、ノックを見なくても分かる。「雰囲気」だけで分かってしまう。

 昔、NHKBS(あれ、Jスポーツだったかも、)で「懐かしのメジャーリーグ」みたいな番組をやっていて、ブルージェイズのゲームだったのだけども、「なんかえらい雰囲気のいいセカンドがいるなあ」と思って、ビックリした事がある。セカンドベース上に突っ立てるだけでも「決まってる」のである。よくよく考えたら、ロベルト・アロマーjr.だった。そりゃ、「決まってる」筈だよね。

 つう感じで、このクラスの選手なら、「プレイ自体」を見なくたって、分かるものである。

 また、少しく話が逸れるが、また別のユーチューブの番組で、古田が、宮本に向かって、「お前は入ってきた時は、ホントに打てなそうな構えをしていた。ある時期から、打てそうな構えに変わった。」というような事を言っていた。

 古田はキャッチャーのなので、ポジション柄、バッターの雰囲気や構えには敏感なのであろうが、打てそうか否かなんていうのは、雰囲気で分かる。構えで分かる。

 私は、5年くらい前、たまたまオリックスのゲームを見ていて、いかにも打つそうな選手が出てきて、ビックリした事がある。構えだけで一発で好きになってしまった。そうして、フォロースルーも良かった。好きになった。吉田正尚である。5年くらい前なので、吉田はもう実績を残していた頃であったが、オリックスの試合なんか全然見ていなかったので、それが初見だった。

 ちなみに、私が、その構え、あるいはバッティングフォームだけで、一発で好きになった選手は山本和範以来、実にン十年ぶりの事であった。もちろん、カズ山本になる前だよ。さすがに近鉄時代じゃないけど。

 また、ちょっと話はそれるが、吉田はその後、皆さん周知のとおり、メジャーリーグ入りする訳であるが、私は「反対」だった。悪口も用意していた。ところが、なかなか成績が落ちてこないので、私はイライラしていた。妙な「イライラ」もあるものである。その後、無事(?)、成績も下降し、1年目のシーズンが終了したので、その用意していた「悪口」をここに目出度く(?)開陳したい。「お前、衛星放送のアンテナ、持ってんの。」。あっ、今はインターネット時代だから、アンテナ要らんか。チャンチャン。

 アンテナ問題はともかくとして、野球の野手や打者については、私は、トッププレイヤーなら「雰囲気」で分かる。野球観戦歴、あるいはプレイ歴の長い人なら同様であろう。何度か書いているが、イチローなどはその典型であろう。

 ちなみに、私は、ピッチャーはいまだに全然分からん。ブルペンの様子を見て、「良さげ」だなと思っても、ポカスカ打たれる選手はいるし、ブルペンでダメっぽくても、案外抑えてしまうピッチャーもいる。ピッチャーはホント分からん。「ブルペンエース」なんて言葉もあるくらいだしね。ピッチャーに「雰囲気」を感じたことは、一度もない。松坂クラスでも、「雰囲気」は感じなかった。まあ勿論ブルペン段階で、「やるな」とは思ってたけど、それでも確信はなかった。

 ほかのスポーツだと、フットボールは全然分からん。「雰囲気」を感じた事は無い。絶対的な観戦歴が不足しているのか、それとも、そういうスポーツなのか、それは分からん。野球と違って、個人にカメラをフォーカスしないスポーツってとこはあるのかもしれない。

 バスケットボールは、「雰囲気」は感じたことはないけれど、ポール・ジョージ(どこへ行った)なんかは、ジャンプシュート一発で好きになった選手ではある。

 つう感じで、「選手の良し悪し」なんていうのは、プレイを見れば分かる事で、スタッツなんか見る必要は無い。

 というか、スタッツを見なければ、「選手の良し悪し」が分からないというのなら、そんなスカウティング、何の意味も無い。だって、これから獲得しようとする選手にはスタッツがまるで無いのだから。アマチュア選手には当然無いし、FA選手にしたって、そのスタッツは、あくまで、これまでのスタッツである。云わば、「過去」のスタッツである。欲しいのは、当然ながら「未来」のスタッツである。「未来」のスタッツだったら、そりゃ、セイバーメトリクス否定派の私だって、欲しい。

 セイバーメトリクスの普及というと、例の「マネーゲーム」が有名だけれども、つか、これを「聖典」だと勘違いしている自称メジャー通の日本人も多いが、そのアスレチックスにしたって、結局のところは、選手獲得にことごとく成功している訳ではない。ちょっと当時の主流派的な考えとは異なる選手を安価に集めて、成功したというのみである。それも大成功とまではいかなかったろう。

 また、アスレチックスのみならず、昨今のメジャーリーグの各チーム、というか全チームは、この「セイバーメトリクス」に基づいて、少なくとも、参考にはして、ドラフト、FA等々、選手獲得しているのだろうけど、その成功率が、「セイバーメトリクス」以前に比べて、格段に上昇したという印象はない。むしろ、下がってんじゃねーか、とすら思う。

 当時の、というか、今もそれは変わらないであろうが、スカウト連中の目、見識が「いい加減」だというのなら、同じ程度に、セイバーメトリクスも「いい加減」であろう。

 でも、70年代当時、野球に触れようと思ったら、「スタッツ」が主になるというのは致し方ない事かもしれない。その点で、ビル・ジェイムスを責めるつもりはない。

 でも、「スタッツ」で、少なくとも「スタッツのみ」で、選手を測ろうなんていうのは、愚の骨頂である。「スタッツ」はあくまで補助的なもの、自分の判断を支える証拠のひとつに過ぎない。それで、全ては測れない。

 って、いう感じで、今回はペンを措きたいと思う。ちなみに、この稿、まだまだまだまだ続くのである。ドラゴンボールのように、続くったら続くのである。ワンピース程じゃないけどね。とりあえず、年内に一本アップしておきまーす。

 次回は、ページも改めますので、次ページ(2023シーズンの3ページ目)を開いてね。

                                     2023/12/29(金)

/2/3/4/5/6/7