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2022

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打順  この稿を始めたのが、昨年2023年の8月13日。1年経ってもうた。こんなに長く続けるつもりは無かったのであるが、鳥山明の訃報があったりして、それについてつらつら書いていたら、一年経ってもうた。NFLの2024シーズンも、もうそこまで来とるし。

 順調にいっても、あと1年くらい続きそうな感じなので、しばらくお付き合いください。いやもう、付き合っている人いないか。でも書いちゃう。ひとり吠えるのも好きなのだ。

 前回は、「水島新司」について書いていたところで終わりにしたので、その続きというか補足から。

 前回は、「水島新司の週刊少年マンガ史的位置」について書いた訳だけれども、水島新司の訃報の際にも、その追悼記事で、こういう事、だあ〜れも書かないんだよね。私の目の触れないところでは書かれていたのかもしれないけど、目の触れる範囲では、「野球マンガの第一人者」とか、そのレベル。その「野球マンガ史的位置」にすら触れていない。

 水島新司つうのは、初めて「魔球マンガ」、すなわち「忍者マンガ」でない、今風の言葉で言えば、「能力バトル」でない「野球マンガ」を書いたマンガ家なんだよ〜。それ以前の「野球マンガ」は、極論すれば、「忍者マンガ」、「能力バトル漫画」なんだよ〜。

 あと、もうひとつ、水島新司は、初めて、ではないけれど、数多くの「野球マンガ的記号」を産み出しマンガ家でもあるんだよ〜。水島以降の野球マンガがその恩恵をどれだけ受けたことか。

 それはちょうど、「バスケットボール漫画的記号」を数多く産み出したという意味で、井上雄彦に似ている。というか、同じ仕事をした。

 また、グローブやスパイクを、本物らしく、すなわちリアルに描いた初めてのマンガ家でもあんだよ〜(厳密にいうと、違うのかもしれないけど、)。そういった点でも、バスケットボールシューズ等々を初めてリアルの描いた井上雄彦とよく似ている。っていうか、井上雄彦が水島新司を踏襲した訳だけど。

 あと、もうひとつ、これは「マンガ史」とは関係ないけれど、「野球史」的に重要なのは「野村克也」の広報宣伝である。

 1989年、野村克也がヤクルト監督に就任した際、私にはちょいとした不安があった。それは、世間のみならず、野球界全体も「野村克也」や「ノムラ的なもの」を受け入れないのではないか、大袈裟に言えば、生理的拒否反応を示すのではないかという不安だった。なんやかんやいって、劇薬だからね、野村克也は。

 ところが、それが杞憂に終わったのは人も知るとおりである。私の不安をよそに、世間と野球界は、あっさり「野村克也」を受け入れた。それどころか、「サッチー」までも受け入れた。

 その理由は「雑誌やテレビといったメディアが上手く宣伝した」等々色々あるだろうけど、最も大きな理由は「水島野球マンガ」だったと思う。

 野村克也がヤクルト監督に就任した当時、多くのプロ野球選手は昭和40年以降生まれ、すなわち、「男どアホウ甲子園」以下、「水島野球マンガ」を読んで育った世代である。そうして、「水島野球マンガ」の奥座敷には「野村克也」がいる。「ドカベンの尊敬する選手は南海の野村捕手」である。「水島野球マンガ」には、至る所に「ノムラ的なもの」が散りばめられている。そういう、云わば「下地」があって、当時のプロ野球選手、主に「昭和40年以降生まれ」の野球選手たちは、あっさり「野村克也」を受け入れていったのだと思う。

 一方で、「昭和40年以前生まれの選手」、中畑とか江川とか原とか岡田とか石毛とかいった選手。すなわち「ドカベン」ではなく「巨人の星」で育った選手たちは、キョトンとしていた。「ノムラ的なもの」に無感覚であった。受け入れる「下地」が無かったのだと思う。

 このへんは野村克也の持つ「強運」の一つだったと思う。絶妙のタイミングでの現場復帰であったのだ。

 ちょいと話が逸れた(どんだけ〜〜)。そういう訳で、水島新司というのは、マンガ史的にも野球史的にも非常に重要な人物なのである。「水島新司無かりしば」といった仮定が成立してしまうくらい重要な人物なのである。

 そのほか、「マンガ史」的に重要な二人についても軽く触れよう。

 まずは、「ちばてつや」。

 「ちばてつや」というマンガ家のマンガ史的に重要な点はいくつかあるが、そのひとつは「コマ割り」である。「コマ割り」に関しては、「ちばてつや以前」「ちばてつや以後」に分かれる、画期されるといってもい程、重要であり、決定的な仕事をしたといっても良いと思う。

 「コマ割り」に関して、最も重要なマンガ家は、申すまでもなく「手塚治虫」であるが、その次に重要なマンガ家が「ちばてつや」である。その次は「岡田史子」かな。

 手塚治虫の「コマ割り」に関しては、いずれ「手塚治虫」について書く際に触れるので、ここでは割愛する。

 その手塚治虫の創始した日本マンガの「コマ割り」であるが、その後は試行錯誤が続いた。その代表は「石森章太郎」であろう。「ひっちゃかめっちゃか」と言ったら言い過ぎであろうが、「石森章太郎」以下多くのマンガ家たちがその可能性を限界ギリギリまで広げた「コマ割り」を整理完成したのが「ちばてつや」なのである。

 「ハリスの旋風」でも「あしたのジョー」でも「おれは鉄平」、いや「紫電改のタカ」でもいい。見事な「コマ割り」である。溜息が出るほど美しい。

 ここで初めて、「コマ割り」の教科書が完成したのである。その後のマンガ家は、意識的無意識的にせよ、この「ちばてつやのコマ割り」を見本としたのだ。模したのだ。

 大友克洋がマンガ家を志した際、最も勉強したのが「ちばてつやのコマ割り」だったと語っていたし、これはウィキペディア情報になるが、鳥山明は、デビュー当時、鳥嶋から「『おれは鉄平』を読んで、『コマ割り』を勉強しろ」と諭されたらしい。

 これらは、その証拠のいくつかであるが、そういった証言証拠がなくとも、多くのマンガ家が「ちばてつやのコマ割り」を模した、参照としたのは、その作品を読めば自明である。意識的でなくとも、無意識的に模しているのだ。

 裏からの証明もある。それは海外のマンガ事情である。

 日本のマンガを世界中の人々が読むようになって久しい。90年代頃からであるから、もうかれこれ30年以上である。

 30年前の私は、そういった、世界中の人々が日本のマンガを読むようになったという事を知り、ひとつの期待をした。日本のマンガを読んだ世界中の人々の中から日本式マンガを描く者が現れ、そうした中から、傑作名作が生まれてくるだろう、という予感であり期待である。10年後は厳しいにしても、20年後30年後には、韓国人が中国人がフランス人がドイツ人がトルコ人がインド人がアメリカ人がアルゼンチン人がトンガ人がナイジェリア人が「マンガ」を描き、その中から、「ドラゴンボール」のような、あるいは「ワンピース」のような、世界的な人気を博す作品が現れるであろうと30年前の私は期待した。そうして、そういった世界各国の「マンガ」を読む事を老後の楽しみにしていた。

 しかし、いっかな現れない。まあまあ、描いている人は、多かれ少なかれ、いるだろうけど、誰もが知るような傑作は、いまだ現れない。いや、傑作でなくてもいい。世界各国の「マンガ」を私は読みたい。でも、未だ日本の書店の本棚は「日本」のマンガで埋められている。辛うじて、アメコミの翻訳が並ぶ程度。ヨーロッパの作品となると、未だ「タンタン」止まり。いや、いつのマンガだよ、タンタン。

 未だ、世界中の人々は、日本式マンガを描くに至らない。読むに留まっている。

 まあ、確かに、いきなり「ドラゴンボール」や「ジョジョ」「ワンピース」等々を読んじゃうと、「とても自分には描けそうもない」となってしまうのかもしれない。貸本マンガ的段階を飛ばしちゃっているからね。そういう不幸、あるいは不遇はあるだろう。

 そのほか、理由は色々あるのだろうけど、その一つに「コマ割り」の問題もあると思う。

 「コマ割り」というのは、ある程度、意識的、自覚的、更に言えば、専門家的、当事者的、そうして何より作者的にマンガを読まないと、見えてこないものである。

 実際、日本には、山ほど、それこそ富士山ほど、チョモランマほど、マンガ好きを自称する者がいるだろうけども、ちばてつやのマンガがコマ割りの教科書だという事を知っているものがどれだけいるだろうか。存外少ないと思う。

 まして、海外である。ちばてつやのマンガがどれだけ訳されているだろう。私は寡聞にして知らない。ほとんど読まれていないのではないか。

 まして、ちばてつやのマンガは心理マンガである。心理というのは、文化が異なると、なかなかに伝わりにくいものである。そのあたりは、「ドラゴンボール」や「ワンピース」のような「勝利・友情・努力」のマンガとは大きく異なる。普遍性を大きく欠いているといってもよいかもしれない。

 ただまあ、そういう内容的には普遍性を欠いているマンガが、技術的には最も普遍的であるというのが、皮肉なところである。

 まあ、「ちばてつや」を読まなくても、「ドラゴンボール」や「ワンピース」からでも「コマ割り」は学べるだろうが、それだと、どうしても遠回りになってしまうんだよねえ。

 という訳で、「コマ割り」を学ぶ最短ルートは「ちばてつや」なのだけど、一方で、「コマ割り」というのは内容と不即不離の関係にあるから、「ちばてつや」のマンガを内容的に理解しにくい外国人は、どうしても教科書的な「コマ割り」を学びにくくなってしまう。難儀だねえ。 

 尤も、遠回りとはいえ、進んではいるだろうから、そのうち外国人の描いたマンガが世に溢れるではあろう。ただ、その頃、私はもうこの世にいないかもしれない。

 まあ、私の老後の楽しみはともかく、「コマ割り」という意味で、ちばてつやはマンガ史的に重要なマンガ家なのであるが、もうひとり、マンガ史的に重要なマンガ家は「小林まこと」である。

 小林まことのマンガ史的な業績はたった一つ、それは「ストーリー漫画にギャグを混ぜ込む」である。これは、それ以前のマンガ家の多くが挑戦しながらも誰も出来ず、不可能ではないかと思われていた事を、見事やってのけた、そうして、現時点でも最高度に完成した形でやってのけたマンガ家が「小林まこと」なのである。


 「ストーリー漫画にギャグを混ぜ込む」というのは、一見すると、簡単そうだし、誰にでも出来そうであるが、これは案外難しい。そうして非常に難しい。これに派手に討ち死にしたのは、何といっても手塚治虫である。その後、死屍累々となるのであるが、それを初めて、そうして見事に成立させたのが小林まことであり、その「1・2の三四郎」なのである。

 そうして、「ストーリー漫画にギャグを混ぜ込む」という点では、現時点でも最高峰が「1・2の三四郎」なのである。

 「ストーリー」、すなわち「シリアス」であるが、これと「ギャグ」は本来相容れないものである、後述するが、この問題は非常に大きく、「キン肉マン」でも「ドラゴンボール」でも、これに難儀しているし、「ワンピース」もこれに苦しめられている。

 まあ、当たり前の話だけれども、「シリアス」と「ギャグ」は対立概念である。どちらかを立てれれば、どちらかが立たなくなる。「日本式マンガ」というのは、その誕生の経緯からいって、どうしても「ストーリー重視」、「シリアス」にならざる得ない。ところが、本来、マンガは「コミック」という英語からもわかる通り、コミカルなもの、面白いものである。そこで、手塚をはじめ、多くのマンガ家、ストーリーマンガ家は、そのマンガに、コミカル、面白いものを挿入しようとするのであるが、先に示した通り、「シリアス」と「ギャグ」は本来対立概念である、どうしても上手くゆかない。「シリアス」を活かせば「ギャグ」が死に、「ギャグ」を活かせば「シリアス」が死んでしまう。

 つう訳で、これは非常に慎重に扱わなければいけない表現なのであるが、それに天才的なセンスを発揮したのが「小林まこと」だったのである。もっとも、題材が「プロレス」という「フィクションに近いスポーツ」。というか「厳密にはスポーツではないもの」だったというのも功を奏した一因であったではあろうが。実際、「キン肉マン」も「プロレス」だしね。 

 という訳で、「水島新司」「ちばてつや」「小林まこと」の三者は、「週刊少年マンガ史的」にも「マンガ史的」にも非常に重要なマンガ家であり、その後のマンガ家の多く、すなわち一部の例外を除いた全てのマンガ家が、意識的無意識的に、その影響下にあるといってよい。「週刊少年ジャンプ」なんていうのは、雑誌丸ごとといってよいくらいである。このうちの二人は「マガジン」の作家であるにもかかわらず、である。

 この三者の影響が最も顕著なのは、っつても、そんなのは沢山いるけど、何といっても、井上雄彦とその「スラムダンク」であろう。井上の場合は、世代的にも、この三者の直撃世代であるし、井上雄彦にとって、マンガ家といったら、「水島新司」であり「ちばてつや」であり「小林まこと」なのであろう。「スラムダンク」は、この三者のごった煮といっても良いくらいである。とりわけ、「水島新司」と「小林まこと」の影響は顕著である。この二者のごった煮でもいいかな。それら以外の影響が認められないくらいである。その他を強いて挙げれば、北条司であろうけど、これはアシスタント時代の名残程度である。

 ちなみに、ゆでたまごも当然のことながら、この三者の影響下にあるけれども、それら以上に梶原一騎の影響が大きい。それは随所にある。「これを、あんたに貰って欲しいんだ」とかね。あっ、でも、これ「あしたのジョー」だから、「ちばてつや」でもある。

 世間では、「マンガ」の全てを手塚治虫が創造した、みたいな意見があるけれども、それは全然正しくない。確かに、「マンガ」の最も重要な部分を手塚が発見創造したことは事実であるけれども、手塚以外のマンガ家たちが創造したものも沢山ある。まあ、確かに、何でもかんでも「一者」に帰してしまうのは理解を容易にするだろうけど、人間の文化、人間の事象はそんなに簡単ではないのだ。

 あと、海外でのマンガ事情みたいな話が出たので、それについてちらほら。

 最近は、外国人のマンガファンも多く、彼らのマンガ評や感想を読んだり聞いたりする機会も増えたが、まあ、日本人の私からすると、正直言って「おやおや」、あるいは「あらら」って感じである。

 「アニメ」はともかくとして、「マンガ」は全然だなと思う。単純に、数を知らない。彼ら外国人のマンガファン、あるいは事象マンガヲタクの多くは、自分たちが「マンガ」に詳しい、「マンガ」をよく読んでる、あるいは、よく知ってる、と思っているんだろうけど、全然知ってない。恐らく、彼らの知っている、あるいは予想するマンガの1000倍、あるいは1万倍、100万倍くらい、日本には「マンガ」がある。

 「100万倍なんて、いくら何でも。」って思った人もいるだろうが、この数、あながち大袈裟ではない。細かく数えたら、本当に「100万倍くらい」あるかもしれん。それくらい、日本には「マンガ」がある。それこそ「薄い本」をカウントしたら、100万倍どころか、1000万倍までいってしまうかもしれない。

 その証拠の一つという訳もないけれども、「全集」の問題がある。日本にはマンガ家が数多くいるけれども、「全集」を出しているマンガ家は少ない。というか、手塚のみかもしれない。石森章太郎や藤子不二雄もそれに近いものを出しているが、「全集」ではなく、「選集」「作品集」止まりだと思う。手塚にしたって、例の講談社版が、本当に「全集」かといえば、微妙なとこだろう。疎漏があるかもしれない。

 これには色々な理由があるが、その最も大きなものは、原稿の管理保存という問題であろう。自身の原稿を完全に管理保存してるマンガ家なら、全集刊行も可能だろうけど、ほとんどのマンガ家はそんな事していない。最近のマンガ家だと、それこそパソコンでも使って、原稿の保存維持管理しているかもしれないが、一昔前のマンガ家は、そんな事、まずしてない。

 例えば、水木しげるなんて、「全集」が出て然るべきマンガ家だと思うけど、それなりの「全集」はともかく、完全な「全集」は、まず不可能、つか、事実上不可能であろう。本人でも無理だろう。それこそ、紙芝居時代まで遡らなければならないのだから。本人だって、描いていた事を完全に忘れているマンガやイラスト等があるだろう。

 「マンガ」というと、一般的には、所謂「マンガ雑誌」に掲載されているものという認識であろうが、実際は違うんだよね。「マンガ雑誌」以外にも、意外に「マンガ」、あるいは「マンガ的なもの」は掲載されている。

 単純に言っても、「新聞」や「総合誌」にも「マンガ」が掲載されている場合があるし、あと、侮れないないのが、所謂「趣味の雑誌」である。「車雑誌」とか「釣り雑誌」とか「ゲーム雑誌」とかにも「マンガ」は掲載されているし、あと「通販誌」みたいなのにも「マンガ」は掲載されている。それこそ、ありとあらゆる「紙媒体」、例えば「宗教パンフレット」とか「スーパーの折り込み広告」とか、ほんとありとあらゆる「紙媒体」に「マンガ」は掲載されている。しかも、最近はここに、インターネット上の記事も加わるから、ほんと収拾がつかない、文字通り、数えきれない程の「マンガ」が日本には存在してる。

 しかも、こういう些末媒体に結構な大物が「マンガ」を描いたりしているから、ややこしい。例えば、藤子不二雄Aは地元富山のPR誌に「マンガ」を描いたりしている。本当に本人が描いているかまでは分からないけれども、作者は「藤子不二雄A」なので、「藤子不二雄全集」には収録せざる得ない。

 また、これは調べているわけではないけれども、例えば、松本零士が「ミリタリー誌」に「マンガ」や「マンガ的なもの」を掲載していたとしても、全然おかしくないし、矢口高雄と「釣り雑誌」にも同様のことは言えるであろう。あと、池沢さとしと「車雑誌」とかもね。

 また、鳥山明なんていうのは、その「マンガ」はジャンプ編集部が完全に管理しているように思われるが、もしかしたら、キャリアのごく初期に、地元の広報誌的なもの(「市民だより」的なものね)に「今度、ジャンプからデビューした鳥山明です」みたいな「マンガ」や「マンガ的なもの」を描いていたかもしれない。それこそ、「鳥山明先生のマンガが読めるのはジャンプだけ」じゃないかもしれないのである。

 しかも、日本人は、そういう商業誌的なもの、金銭の授受の発生しているものの他でも、「マンガ」を描く国民である。「社内報」とか「修学旅行のしおり」とかにも「マンガ」を描く国民である。
 そうそう、そう云えば、青木雄二が、デビュー前に、折り込み広告的なものに漫画を描いていたという話を聞いたことがある。「マンガ夜話」で紹介してたかもしれない。そういう「マンガきちがい」が日本人なのである。

 まあ、さすがに「100万倍」「1000万倍」は大袈裟かもしれないけれど、外国人が普通に考える以上に、日本には「マンガ」がある。

 そういう末端些末はマンガ全体とはあまり関係がないかもしれないが、外国陣のマンガファンやマンガヲタク達が「史上最高のマンガは『ドラゴンボール』と『ワンピース』と『進撃の巨人』だ」なあんて言ったりしているのを聞くと、「ああっ。」っていうよりは「おやおや。」って気持ちになる。これらの作品は、トップ10どころか、トップ100にも入らないようなマンガである。

 つかまあ、同じような事は日本のマンガファンやマンガヲタクにも言える。ネット上やネット外でも、日本ではマンガ批評が盛んだけれども、それらの多くは、自身が10代20代の頃、親しんだマンガを賛仰するのみである。それ以前、あるいはそれ以後と比較して賛仰、あるいは批評するならともかく、そもそも読んでない。マンガ体験は、10代の頃の「ジャンプ」と20代の「ヤンマガ」程度である。それだけで、「マンガ史上最高」とか言われてもねえ。自分の生きた時代を美化したいのは分からんでもないけど、それじゃあ批評にはならんよね。

 「マンガを批評するなら、最低限の歴史くらいは学んどけっ」て思う。ジャンプの事を語っていても、過去のジャンプ作品で知っているのは「ドラゴンボール」くらいで、「ハレンチ学園」や「男一匹ガキ大将」も知らないってんじゃあ、まさしく、話にならない。

 例えば、日本の三大マンガ雑誌は何かと問われて、パッと答えられる人はどれだけいるだろうか。正解は「少年」「週刊漫画アクション」「週刊少年ジャンプ」の三誌。「マガジン」をどうするかみたいな異論はあるだろうけど、この三誌でほぼ間違いはない。

 でも、それくらいも知らないんだよね。「少年」どころか「アクション」も知らない人たちが大部分である。それで「マンガ史上最高」とか言われてもさ。

 まあでも、仕方ないよね。何回か前の記事で書いたけれども、時間的に隔たりのある事象、更にはここで書いた空間的に隔たりのある事象、つまり時間的空間的に遠い事象を人間は正確に認識することはできないのだから。

 例えば、過去の、そうして現在も、多くの日本人が外国の書物に対して様々な批評をしてきた。経書とか史書、ドイツ哲学、フランス文学等々である。

 でも、そういったものも、その同時代に同地域に生きた人たちが見ると、私の外国人のマンガ批評への感想のように「おやおや」ってな代物なのかもしれない。

 そういう遠くから見た批評にも一定の価値はあるだろうけれども、リアルタイムに経験した人とは、また違う感想であろう。同じ「ドラゴンボール」でも、外国人が翻訳で読む場合と、最近の日本人が単行本で読む場合と、そうして当時の10歳前後の日本の子供たちが毎週月曜日(田舎はゴメンな)に書店やコンビニに駆け込む気持ちは、やっぱり異なるものであろう。少なくとも、「まったく同じ」とは言えまい。

 翻って、私も、こんなしょっぱいサイトでコルツやペイサーズ(とんとご無沙汰だけど、)、インディアンスについて、勝手気儘なことを書いている。そうして、それは恐らく、現地のアメリカ人、インディアナ州民、インディアナポリス市民とは少しづつ、いやもしかしたら、大きく異なるものなのだろう。自戒しようと思う。

 まあ、でも、好き勝手書くけどな。「史上最高のマンガは『ドラゴンボール』と『ワンピース』と『進撃の巨人』だ」なあんて調子で。そうして、現地のアメリカ人、インディアナ州民、インディアナポリス市民は、「やれやれだぜ。」。

 もちっと書こうかと思っていたけれど、きりがいいので今回はこのへんで。

                               コメが買えた。2024/9/1(日)

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