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2022

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打順  いや〜、一平ちゃん、凄いことになってましたね〜。

 ただの(?)違法賭博かと思いきや、その賭博収支は、勝ち約217億円、負け約280億円で、トータル約62億円の負け。しかも、その資金は大谷マネー。で、違法賭博ではなく、横領罪で起訴。

 前回の記事で、私は「違法賭博ぐらいじゃ、起訴されない」みたいな事を書いたけど、さすがに、これは起訴されるよね、額が額だけに。しかも、出廷した際には、「足枷」までつけられていたらしい。

 いや、この現代社会で「足枷」を付けられるなんて事あるの。アメリカって怖い。

 いや、でもスゴイよな、62億円の負けって。俺もそんな人生を送ってみたかったよ。僕なんか、3000円のバクチでしょんべん漏らしちゃうのに。62億円って。1日で1憶2億とジャンジャン使っていたっていうんだから、しかも人の金。スゲーよ、ハンパねーよ。マジで憧れるよ。大物は、むしろコッチだったというね。

 で、今回、大谷の金銭管理のルーズさ、というか甘さを問う、あるいは不思議がる声が上がっていたけれども、ああいう人たち、大谷のような超大物スポーツマン、あるいは超大物歌手、例えば美空ひばりとか小室哲哉とかは、そんなもんだよね〜。

 なぜなら、彼等には技能があるから。さすがに兆とかなれば話は別だろうけど、10憶20億くらいの金なんて、彼等なら何とかなっちゃうんだよね〜。

 例えば、大谷なら、健康でさえあれば、年収50億円くらいは約束されているだろうし、美空ひばりや小室哲哉のような超大物歌手なら、2時間も歌を歌えば、1億円くらい軽く転がり込んでくる。更に、彼等彼女等には、CM出演料という、ボーナスというには、あまりに莫大な副収入がある。かつてロッドマンは云ってた。「俺とかジョーダンは、道楽でバスケットボールをしている。」と。

 「手に職があれば」の最高形態であろう。彼ら自身が、云わば「金の生る木」なので、入手したお金に頓着、あるいは執着する必要がないのである。

 このへんは、商業や投資、投機等々で、大金を得た人達とは全然違う。あらゆる商売は、結局のところ水商売だし、投資や投機は、つまるところギャンブルである。つまり彼等は「偶然に」大金を得た人達であり、故に、その金を維持、というか死守、あるいは殖産することに固執執着せざる得ない。二度目が期待できないからである。ところが「手に職のある人」は、そんなことに執着固執する必要はない。なぜなら、彼ら自身が「金の生る木」であるから。「偶然に」、大金を得た訳ではないからである。仕事が出来る状態でありさえすれば、二度目、三度目、いくらでもある。

 そういう人達にとっては、「お金」なんか、かえって患いの元、厄災の種でしかない。実際、今回、大谷は、その大金故に、こんな騒動に巻き込まれた訳であるし。

 こういうのは、「必然的に」お大金持ちになった人たちと、「偶然に」お金持ちになった人たちの決定的な違いだよね〜。

 でも、大谷ほどの大金持ちでなくても、「包丁一本、さらしにまいて〜」みたいな生き方には、ちょっと憧れる。

 で、話を一平ちゃんに戻すが、前回の記事で「チームや大谷の監督責任」みたいな事に、ちょっと触れたけど、ドジャースやエンゼルス、大谷に監督責任はないと思うが、日本ハムには、ちょっとぐらいはあると思う。少なくとも、水原一平を採用した担当者には、道義的責任くらいはあると思う。誰だかは知らんけど。

 でも、この大谷や一平ちゃん、そうして札幌ドーム問題等々、21世紀に入って、「日本ハム」の話題が増えたよね。20世紀には無かった事である。皆無だった事である。

 90年代だったと思うが、どこぞのメディアが「プロ野球人気アンケート」みたいな事を実施した。

 1位は当然巨人で、たしか得票率は17%くらいだったと思う。んで、阪神、西武みたいな順だったと思うのだけど、最下位は、ロッテではなく、日本ハム。しかも、その得票率は、2%、ではなくて、まさかの0.2%。

 2%ではなくて、0.2%だよ。東京中の日本ハムファンを集めても、およそ2万4000人。東京ドームが満員にならない。

 北海道に行って大正解だったよね。しかも、その移転に反対する声は、東京都民からほとんど上がらなかったという。永遠のライバル、ロッテの移転でも、幾ばくかの川崎市民は反対したのにね。しかも、川崎から千葉って、そんなに離れてないのに。

 ロッテの場合は、云わば「不人気球団」というキャラクターを確立していたが、日本ハムの場合、それすら無い。

 大毎、東映時代も、オーナーのキャラが立っていた分、大毎の方が、人気かはともかく、話題にはなってたしね。

 そういった意味では、ホント、北海道移転は大正解だったよね。

 でも、改めて考えてみると、パ・リーグの各球団は皆、親会社、フランチャイズともに、オリジナルを失ってしまった。セ・リーグの各球団が、なんやかんや言って、ヤクルトと横浜に多少の変更があったにせよ、オリジナルを維持しているのとは対照的である。実際、巨人、阪神、中日、広島は、親会社はともかく、フランチャイズの移転はとても考えられない。 「厳密には、オリジナルではない。」とか、ツッコまないように。あくまで、世間一般のイメージでの「オリジナル」です。


 さて、「鳥山明」の話の続きである。

 それに入る前に、前回の補足というか、付け足し。

 前回、「ガッちゃん」の画像を張り付けたのだけれども、その折、マンガを読んでいたら、なかなかに面白くて、他の画像も貼り付けたいと思います。

 前回の「ガッちゃん」の画像は、所謂「ターボくん誕生」のエピソードの1シーンなのであるが、その発端はみどりさんのダイエット騒動である。

 

  

 

 太った理由が妊娠だと判明して、

 

 全世界の女性の皆さ〜ん、妊娠が判明した時は、これくらいの「ピース!!」をしましょう。

 

 でも、何故か、このタイミングで、次回は別の話。まあ、雑誌掲載時の都合なんだろけど、どういう都合じゃ。

 で、その次回の話はというと、なんと、あの伝説の、

 

 うんちくんの回なのだ〜。お食事中の皆さん、ゴメンナサ〜イ。

 話自体は、千兵衛がした野グソ(お食事中の皆さん、ゴメンナサイ。)をアラレがきちんとトイレに流してあげるという、解説するのもしょーもない話である。しかも、これアニメ化されてる。私は、はっきり見た記憶がある。しかし、今見返してみると、原作は、背景が何故かオシャレっぽいんだよね。うんちの話なのに。いや、うんちの話だからか。ついでに、もう一個アップしとくか。

 

 で、このうんちくんの回、終了後、再びみどりさんの出産話に戻るのであるが、その扉がコレ。



 いや、素晴らしい。そのまま結婚式場の広告に使えるようなイラストですな。これを見たら、全ての女性が、いや、全ての男性も結婚出産したくなるでしょう。例のカルテットは例の笑顔だけど、みどりさんの誇らしげな表情と、それを見上げるオボッチャマンが素晴らしい。

 で、この回、無事出産するのであるが、例の大事件が発生。チャリンコをすっ飛ばすみどりさんの画像がコレ。



 前回、高速で飛ぶガッチャンの画像をアップしたけれども、こちらも高速移動の画像。こういう風に欠ける人は、なかなかいないんだよね。特に、髪の乱れる感じが、たいていのマンガ家は描けない。固定されちゃってる。そうして、ちゃあんと自転車なりのスピードになってる。

 で、その後、ターボくんは無事(?)、超能力を獲得するのであるが、それを、当初、みどりさんは自身の超能力だと勘違いして、高度1万2千メートル(!!!)から飛び降りる。

 

 で、結果。

 

 

 

 ギャグマンガの住人で良かったね、というオチ。

 先に、各所で絶賛される扉絵を一枚紹介したけれども、その他にはこんなのが、

 

 プラモデルを好きな人が見たら、泣いて喜ぶイラスト。

 その他、クルマが好きな人には、こんな一連のシリーズも、

   

 

 

 

 

 

 


 


 
 ディフォルメ云々いう以前に、まず車種の選択がいいよね。ベタでもなくシブくもなく。なんつーか、分かってる人って感じである。勉強学習した感じが全くしない。この手のイラストって、「いかにも資料を見て描きました」って感じだと、興醒めだものね。

 「鳥山明のクルマ」というと、有名なのは、何と言っても「ティープアッシュ」だろうけど、あのクルマ、一時期は、乗り回していると「アラレちゃんのクルマだ。」って、どこ行っても、子供たちに云われたそうである。オーナーが言ってた。

 
 という訳で、鳥山明の素晴らしいマンガ、イラストのいくつかを紹介ししてみたけれども、では、「何故、鳥山明は画が上手いのか」という話になる。それは「画の才能があったから」と言ってしまえば、身も蓋もないのであるが、もとより天分はあったろう。でも、それだけではないと私は思う。鳥山明の画と他の多くのマンガ家の画との違いは、他にもある。

 何故か。それは、鳥山明が実物を見て画を描いていたからである。

 「いやいや、実物を見て画を書くなんて当たり前の話ではないか」と反論する向きもあろう。ところが、多くのマンガ家は違うのだ。この世の数多くのマンガ家は、マンガを見てマンガを描いているのである。まあ、必要があらば、実物を見てマンガを描くこともあろうが(背景や道具等々)、多くの場合は、マンガを見てマンガを描いているのである。とくにその原点、マンガを描き始めた当初は、マンガを見てマンガを描いているのである。所謂「模写」である。

 更には、マンガを見てマンガを描いている人のマンガを見て、更には、マンガを見てマンガを描いている人のマンガを見てマンガを描いている人のマンガを見て、更には、マンガを見てマンガを描いている人のマンガを見てマンガを描いている人のマンガを見てマンガを描いている人のマンガを見て、以下続く、と、云わば「コピーのコピー」、更には「コピーのコピーのコピー」、更には「コピーのコピーのコピーのコピー」、その行き着く果てが、所謂「アニメ画」であり、現行のマンガ状況である。

 コピーをコピーした経験はおありだろうか。試した事のある人はお分かりであろうが、コピーしたものをコピーすると、劣化する。更にそれをもう一度コピーすると、更に劣化する。そうして更に、とそれを5回も繰り返すと、原稿にもよるが、大概原稿とは似ても似つかぬものになってしまう。10回も繰り返したら、まるで別物である。

 「コピーのコピー」だからといって、「下手である」とか、「見るに堪えない」とか言うつもりは毛頭ないけれども、実物からほど遠いものであるのは、確かであろう。それが、現行における、ほとんど全ての「マンガの画」である。

 ところが、鳥山明は「実物」を見て、画を描いているのである。マンガを描いているのである。かつて、鳥山明はこんなような事を書いていた。「私は、子供の頃、欲しいモノがあると、それを絵に描いていた。自動車、飛行機、バイク、サル、犬などなど。」。

 私は、「なるほど」と思った。それが、鳥山明の画の原点であり、そうして現在であろう。鳥山明は、今でも、実物を見てマンガを描いているのであり、実物を見てディフォルメしているのである。いや、死んじゃったけどさ。

 ちなみに、ここにある「欲しいモノがあると、それを絵に描いていた。」というのは、絵画の原点であり、創作の原点であろう。芸術の原点である。最も原初的な絵画の目的は「本物の代わり」であり、それの最も分かり易い事例は「肖像画」であろう。亡くなった妻の「代わり」、あるいは亡くなった偉大な王様の「代わり」として、「肖像画」を描くのである。
 アンリ・ルソーが、肖像画を描く際に、実物の寸法を採る、すなわち、まつ毛の長さとか、目の長さとか、腕の長さとかを採寸し、その寸法で、そのまま肖像画を描いていたというエピソードを想起させる。なるほど、ルソーは絵画の総てを知っていた。

 もっとも、「絵画」における「本物の代わり」という機能は、昨今は「写真」に完全に取って代わられてしまっているけれども。

 また、同じ事は、「物語」の創作と受容にもいえよう。それらは、申す迄もなく、「自分の人生の代わり」である。「いじめっ子や大人をやっつけたい」から「バトルもの」は生まれるのだし、「世界中を冒険したい」から「冒険もの」は生まれるのだし、「異性と素敵な恋をしたい」から「恋愛もの」が生まれるのであろう。んで、「変態的なセックスをしたい」から、以下自粛。

 そうして、これが「物語」に「リアリティ」が求められる由縁、あるいは起源であろう。「ありえそうもない」ものは、「自分の人生の代わり」には成りづらいからだ。

 それは、芥川の言うところの「自分から遠い生活」であるが、それがどんなに遠くとも、自分とつながっていなければならないのである。それが「リアリティ」なのであろう。

 また、所謂「夢オチ」の嫌われるのも、これが理由であろう。たとえ「フィクション」であっても、「夢」は「現実」ではないからである。まあ、「フィクション」も「夢」も、同じく「現実」ではないのにさ。

 もっとも、昨今の「物語」は、「自分から遠い生活」一辺倒ではなく、「自分に近い生活」や「筋そのものを楽しむ」などもあるが、それはまた別の話。

 また、「絵画」「文学」と並ぶ、もう一つの芸術形式である「音楽」は、どんな「本物の代わり」かというと、これは申す迄もなく、「感情」、「本物の感情の代わり」である。悲しい理由もなく、悲しみたい時、あるいは、楽しい理由もなく、楽しみたい時、人は、それぞれ悲しい音楽、楽しい音楽を聴くのである。

 もっとも、「音楽」の場合は、起源的には、「本物の代わり」というよりは、孔子の説くように、「感情の強化」あるいは「感情の完成」のために、人は音楽を演奏し、聴くのであろう。結婚式や葬式の際の音楽が、この一例である。

 また、それらから転じて、楽しい時に悲しむために、ってシチュエーションはあまりないであろうが、悲しい時に楽しむために音楽を用いるという事は多々ある。分かり易いところでいうと、「軍楽隊」などがそれに当たる。出征する、あるいは行軍するという悲しい状態を忘れる為に、音楽を聴く、あるいは演奏するのである。

 また、楽しくない時に楽しい気持ちにさせる音楽としては、デパートやスーパーマーケット等々のBGMである。本来買い物なんていうのは、基本的には「等価交換」であるのだから、損も得もしない訳だけど(厳密には、違うが、)、それを、あたかも得したかのように感じさせるために、売り手側は「楽しいBGM」を流しているのである。ドンドンドン・ドンキ〜、ドンキ・ホーテ〜。

 そういった諸々を考え合わせると、テレビのニュース番組にBGMをかけるのは禁止すべきだと思う。世論誘導といわれても仕方ないであろう。

 さて、話を鳥山明の画に戻すが、このように「実物を見て」マンガを描くマンガ家は、彼の時代、だいたい70年代以降かな、それ以降にデビューした作家では非常に珍しい。

 ただ、それ以前は、それなりにいた。水木しげるとかムロタニツネ象などである。絵を描く仕事の一つとして、「マンガ家」という職業を選んだ人たちである。

 80年代くらいだったかな、「ガロ」でマンガ家100人インタビューみたいな記事があった。100人かどうかはともかくとして、当時のマンガ家に色々な質問をして、それをまとめた記事である。
 その一つにド定番の質問として「どうして、マンガ家になったのですか。」というものがある。そのうちの半分くらいは、「マンガが好きだから」とか「手塚治虫の影響で」みたいなものであったが、他の半分くらい、特にベテランマンガ家の多くは「絵を描く仕事がしたくて」であった。

 ちなみに、われらが豪ちゃんは何と答えてたかというと、「子供の頃に、マンガ中毒になったからでガスよ。」と回答してた。

 豪ちゃんはともかくとして、当時のマンガ家、特にベテランマンガ家の多くは「絵を描く仕事がしたくて」、マンガ家になっていた。昔は、絵が好きでも、本職の画家以外だと、絵を書く仕事となると、それこそ映画館の看板とか紙芝居とかしかなかったろう。そこで、やむをえず、マンガを描いてた、というか、紙芝居屋から、なし崩し的に「マンガ家」になってしまった人も多いであろう。

 ただし、70年代くらいになると、世の中に雑誌等の印刷物があふれ、所謂「イラストレーター」をいう職業が成立し、また、広告産業も盛んになるから、「グラフィックデザイナー」のような仕事も増えてくる。すなわち、「絵を描く仕事」が増えてくる。

 一方で、「マンガ」も異常なスピードで発達し、所謂「マンガ家を志す人々」も増えてくる。実際、70年代80年代以降にデビューしたマンガ家の多く、というか、ほとんどは、「マンガ家になりたくて」マンガ家になった人たちであろう。手塚治虫に憧れて、石森章太郎に憧れて、「あしたのジョー」みたいなマンガを描きたくて。「ドラゴンボール」みたいなマンガを。等々。

 そのような状況下で、鳥山明はかなり異質であったと思う。というか、独特であったかもしれない。周知のように、鳥山明は元々「イラストレーター」である。それが、遅刻、欠勤等々の、所謂「社会不適合」で、目先の100万円に惹かれて、「マンガ」を描きだした人である。「マンガ家に憧れて」、あるいは「マンガを描きたくて」、マンガを描いた人ではない。

 鳥山明の先輩や後輩マンガ家たちは、無条件に鳥山明を礼賛するけれども、案外「同期」は鳥山明に手厳しい、というか、無言の事が多い。勿論、「同期」のなので、その最大の出世頭、それも目もくらむような出世頭に対して、嫉妬はあろう。でも、彼らが、鳥山明について、あまり発言しないのは、鳥山明に自分たちとは違うもの、異質なものを感じているからではないだろうか。「同じ釜の飯を食ってる」感じがしないのだろう。故に、無視というか、ライバル視も出来にくくなっているのだと思う。ちょっと下手な譬えだけれども、日本のプロ野球選手が、所謂「ガイジン」をライバル視しないのに似ていると思う。

 実際、鳥山明のマンガからは、マンガに対するシンパシーや知識は全く感ぜられない。もしかしたら、マンガに対する知識は深いのかもしれないけれど、少なくとも、そのマンガからは、それは全く感ぜられない。70年代以降にデビューしたマンガ家には、非常に珍しい事である。「唯一」といっても良いかもしれない。

 そのマンガに対する視線は、ムロタニツネ象ほどではないにせよ、非常に「クール」である。

 今回の訃報で、鳥山明が高校時代、「漫画研究会」に所属していた事を私は初めて知ったけれども、非常に意外であった。「画そのもの」への興味から属したのか、「マンガ自体」に興味があったのか、謎である。

 と、ここまで書いてきて、ちょっと思ったのであるが、鳥山明は水木しげるによく似ていると思う。共通項が多い。

 1.絵を描く職業として、マンガ家になった。
 2.キャリアの初期に、ユートピア的、あるいは楽園的マンガを描いている。「河童の三平」「Dr.スランプ」。
 3.所謂「バトル漫画」で大ヒットした。「ゲゲゲの鬼太郎」「ドラゴンボール」。
 4.その大ヒットした「バトル漫画」の終了後、その免罪符なのか、照れ隠しなのか、そのセルフパロディ的マンガを描
   いている。「田中ゲタ吉」「ネコマジンZ」。
 5.申す迄もない事であるが、絵を描く事が好きであり、上手い。
 6.所謂「社会不適合者」。それぞれ、「軍隊」「会社」と反りが合わない。

 とまあ、意外に共通項が多い。サイヤ人が執拗に働こうとしないのも、両者の親近性を思わせる。

 鳥山明は、そのマンガ界の地位的に、手塚治虫に比せられることが多いけれども、むしろ、比すべきは、こちら、水木しげるであろう。
 後述するが、というか、ここまでもちらほら触れてきたけれども、鳥山明は、手塚治虫とは、非常に対蹠的なマンガ家であると思う。手塚治虫から最も遠い、いや「最も」じゃないわ、「最も」は別にいるわ、「最も」ではないにせよ、非常に遠くにいるマンガ家だと思う。で、最も近いのは、今申したように、水木しげるであろう。

 で、水木しげるの話が出たので、ここでちょっと水木しげるについて触れるが、水木しげるのマンガは、私は発禁処分にすべきだと思う。何故誰もこれを唱えないのであろうか。

 だって、あれ、完全に「ダメ人間製造マンガ」でしょう。「ニート万歳マンガ」でしょう。何故誰も咎めないのであろう。朝は寝床でグーグーグー、楽しいな、楽しいな、オバケにゃ学校も試験も何にもない。って、よくこれを高度経済成長期に歌ってたよな。人の世の不思議だよ。いや、オバケの世か。

 で、たまに思うのであるが、もしも水木しげるが、大好物のお金に釣られて、80年代の週刊少年ジャンプで連載を持ったら、どのようになっていただろう。鳥山明のように大ヒットを飛ばしたのであろうか。5年くらいは頑張ったのであろうか。ちょっと面白い妄想ではある。

 また、ちなみに、水木しげるは、ある対談で「絵を描く理由」の話が出た際、「手を動かすのが面白いから」と答えていた。

 いや、確かに、そういう側面はあるだろうけどさ。手芸とか日曜大工とかプラモデルとか、そういう趣味かもしれないけどさ。確かに、手を動かせるのは、人間と、ごく一部の動物だけだけどさ。

 ダメ人間製造マシーン水木しげる先生はともかくとして、ここらでちょっと手塚治虫について触れたい。

 先に私は、日本のマンガ家の多くは「マンガを見てマンガを描いている」と書いたけれども、そう、その元祖は、他ならぬ、手塚治虫である。手塚治虫こそ、「マンガを見てマンガを描いていた」最初のマンガ家である。手塚治虫が、マンガ記号論の元祖であり、嚆矢であるのは当然であろう。

 この「マンガを見てマンガを描ける」という事の発見こそ、手塚治虫のいくつかの功績のうちの最たるものだと思う。この発見、あるいは発明により、日本は「マンガ大国」になったのである。日本だけが「マンガ大国」になったのである。他の国の多くは、「マンガを見てマンガを描く」というアイデアに到達できなかったのである。マンガは、あくまで「画の上手い人」「画の描ける人」の芸術だったのだ。

 私は、ここまで「鳥山明は画が上手い」と何度も描いてきたけれども、それはあくまで日本国内のマンガ界においてのみの事であって、海外なら、あれくらい描ける人はいくらでもいる。というか、あれくらい描けなければ、マンガ家にはなれない。
 また、日本国内のマンガ界以外の絵を描く業界であっても、あれくらいは、誰でもはともかく、多くが描けるであろう。アニメーター、イラストレーター、画家等々。

 手塚がデビュー時、「画が下手」「画が下手」とさんざん言われたのは、そういう事情である。だって、手塚は、「実物を見て」マンガを描いていないのだから。デッサンが下手なのは当然であろう。手塚は、「のらくろ」を、「タンクタンクロー」を、そうして何より、「ディズニー」を見て、マンガを描いたのである。

 そうして、それこそ手塚治虫の偉大な発見であったのだ。画が下手でも、マンガは描ける。記号で、マンガは描ける。デッサンの巧拙はマンガの本質とは全然関係ない。その手塚のマンガを見て、日本中の子供たちは思ったであろう。あれくらいなら、俺でも描ける、と。そうして、手塚のマンガを見てマンガを描いた人のマンガを見た子供たちは、以下同文。

 まあ、「あれくらいなら、俺でも描ける」を日本中の子供たちに思わせた最大のマンガは、所謂「貸本マンガ」だろうけどさ。

 と、こういう風に考えてみると、手塚治虫というのは、やはり20世紀の大きな芸術潮流の中にいた人だという事が分かる。

 「20世紀の大きな芸術潮流」とは何かというと、それはすなわち、素人、芸術的天稟はともかく、芸術的訓練、芸術的修養を納めていない人でも、芸術活動に参加できる。また、参加し出したという事であろう。

 代表的なのは、何といってもビートルズである。彼らの音楽を聴いて、世界中の若者は思ったであろう。「あれくらいなら、俺でも出来る」と。歌が下手でも、演奏が下手でも、楽譜が読めなくても、音楽活動に参加してよいのである。それは、一部の例外はあるけれども、前世紀までにはみられなかった事だ。誰でも歌ってよい、演奏してよい、それがビートルズ、ひいてはロックンロールの最大の功績である。

 モーツァルトを聴いて、「あれくらいなら、俺でも出来る」と思う人は狂人であろう。まして。モーツァルトの事跡を知って。

 この20世紀の巨大な芸術潮流の嚆矢に位置するのは、申す迄もなく、印象派であり、手塚治虫やビートルズの位置にいるのは、申す迄もなく、セザンヌである。

 そうして、印象派の延長線上に抽象絵画(おっ、本題に触れた。)があり、ポップアートがあるように、手塚漫画の延長戦上には記号マンガ、ビートルズやロックンロールの延長線上にはヒップホップがある。

 そうして、このように考えると、鳥山明というマンガ家は、先にも書いたが、80年前後にデビューしたマンガ家の中では、かなり異質な存在だったと思う。

 鳥山明の訃報に接して、多くの人々、実に多くの人々がコメントを発表したが、その中の一つに、「鳥山明はマンガを変えた。」「画期的なマンガ家だった。」「後世のマンガ界に大きな影響を与えた」みたいなものがったが、それは違うと思う。間違えていると思う。鳥山明は、日本マンガ史的には、屹立した、あるいは孤立したマンガ家だったと思う。

 「画期的」というのはどういう事かというと、分かり易く言えば、「○○以前○○以後」っていう事である。最近の事象でいえば、「インターネット以前インターネット以後」であろうし、あるいは「スマートフォン以前スマートフォン以後」であろう。

 日本マンガ史でいえば、当然の事ながら、「手塚治虫以前手塚治虫以後」であろうし、そのほか、分かり易いところでいえば、「水島新司以前水島新司以後」であろう。水島新司登場以後、明らかに野球マンガは変わった。つか、いまだに「水島式野球マンガ」描いてるけどな。

 また、少女マンガ史的には、当然、「岡田史子以前岡田史子以後」であろう。彼女の登場により、明らかに「少女マンガ」は変わった。

 また、ギャグマンガ史における「がきデカ」。これも典型的な「以前以後」である。

 また、これは「以前以後」とまではいかないが、井上雄彦がマンガ界に新しい画風、というか新しい記号を導入したのは間違いない。まさしく、「後進に影響を与えた」である。

 彼らは、まさしく「期を画した」人たちであろう。

 ただ、そういった観点からすると、鳥山明は、およそ「期を画して」いない。単純に言っても、鳥山明の画は「記号」ではない。所謂「記号的表現」は非常に少ない。ベタなところで云うと、90年代以降、マンガ界を席巻した「汗マーク」とか「怒りマーク」を、鳥山明はほとんど使わない。また、井上雄彦のマンガによく見られるような、簡易ディフォルメも、鳥山明はほとんど使わない。なぜなら、鳥山明は、「実物を見て」、画を描いているからだ。「記号」ではないのである。

 「記号」でマンガを描くという手塚式日本マンガから、鳥山明は逸脱している。

 また、「後世への影響」も、ほぼ無いといってよいであろう。なぜなら、画が「記号」でない鳥山明のようなマンガは、ほとんどのマンガ家が描けなかったからだ。強いてあげれば、高野文子あたりが、「絵を描く」という意味では、鳥山明に近い作風だったといえる。

 実際、「Dr.スランプ」が大ブームを起こしていた頃、他の出版社は、例によって例の如く、二匹目のドジョウを狙って、似たようなマンガ、つか、パクリマンガを画策したであろうが、結局、誰もパクれなかった。「Dr.スランプ」の肝であり本質である「画」が誰も描けなかったからである。

 パクリ編集部の「少年サンデー」は、それこそ細野不二彦あたりを擁して「Dr.スランプ」っぽいマンガを作ろうとしたろうが、結果的には作れなかった。あの達者な細野不二彦でも、鳥山明もような「画」は描けないのである。なぜなら、どんなに上手くても、細野不二彦の画も、やっぱり「記号」だからだ。

 ちなみに、マンガ史的に見れば、「Dr.スランプ」は所謂「がきデカ・フォロワー」であるけれども、その「がきデカ・フォロワー」にとどめを打ったのが「Dr.スランプ」である。「Dr.スランプ」の登場で「がきデカ・フォロワー」が、はっきり古くなってしまったからだ。もっとも、その後、ギャグマンガは袋小路に入っていくのだけれど、それはまた別の話。

 また、「ドラゴンボール」に登場した「スカウター」等々のバトル漫画的ギミックの数々を鳥山明は発明したといっているバカがいるけれども、あれらはほぼ全て「キン肉マン」あるいは「ゆでたまご」の発明である。それらを、鳥山、あるいは鳥嶋がパクったのである。鳥山明や「ドラゴンボール」は「影響を受けた」方である。

 以上、マンガ史に限らず、「歴史」を知ってから、「画期的」とか「○○を変えた」とか「影響を与えた」とかいう言葉は使いましょうというお話でした。

 とまあ、ここまで書いて、ちょっと不安になったのであるが、マンガを「記号」で書く事は決して悪い事では無い。「劣っている」とは、云えなくも無いが、決して「間違って」はいない。マンガ、「日本式マンガ」は「記号」で描くべきものである。「記号」でも、傑作は描ける。

 最も分かり易いのは、何と言っても「ドラえもん」であろう。あれは「マンガ記号論」の集大成のようなマンガである。藤子・F・不二雄は手練手管の全てを尽くして、「記号」でマンガを描いているのである。「名人芸」といっても良いくらいである。自身の「記号」の全てを用いて、自身の「表現」したい全てを描いている。その頂点、集大成が「ドラえもん」である。

 もっとも、自身の「表現したいもの」あるいは「表現できるもの」しか、表現しないとは云えるだろうが。藤子・F・不二雄に「ドラゴンボール」のような「格闘マンガ」を描けと云っても、どだい無理な話であろう。
 また、先に挙げた鳥山明の描いたクルマのイラストも、藤子・F・不二雄には無理な仕事である。「記号」で実車は描けない。ちなみに、水木しげるなら描けるであろう。めんどくさがって描かないだろうけど。

 そうして、そういう「記号」で描かれた「ドラえもん」のようなマンガしか知らなかった私が初めて読んだ「記号」で描かれていないマンガこそが「Dr.スランプ」だった訳である。幼き私が「新しい」と感じたのも、無理からぬ話であろう。

 ちなみに、ドラミちゃんには、ドラえもんと違って、「眉毛」がある。これもまた、「記号」である。「眉毛」自体は、この場合、「記号」でないけれども、「眉毛と目を離して描く」というのが女の子、あるいは女性の「記号」なのである。おそらく、「リボン」や「まつ毛」だけだと「女の子っぽく」見えなかったのであろう。それで「眉毛」を、あの位置に付け足したのだと思う。

 また、ちなみに、女性というか、老女というか、老人を描く際の有名な「記号」に「ほうれい線」がある。でまあ、数多くのマンガ家が「年老いている」の「記号」として「ほうれい線」を用いている訳であるが、それだけじゃあ、なかなか「年老いた」感じは出ない。

 ところが、鳥山明は、それもちゃんと書ける。勿論、「ほうれい線」も用いているのだけれど、やっぱりちゃんと老けて見える。年増女、もとい、妙齢の女性に、ちゃんと見える。分かり易いのが、ブルマであろう。ブルマの年老いていく感じには、私はほとほと感心した。「さすがだな。」と思った。他のマンガ家には厳しい。

 次回は、「ドラゴンボール」と「ワンピース」、つうか「ワンピースの悪口」について書くつもり。若者の大好きなものに悪口を言うのは老人の特権である。

 話は逸れるが、先の5月9日同日に、ロジャー・コーマンとダディ竹千代が逝去した。お悔やみ申し上げます。R.I.P。

 てか、ロジャー・コーマンって、まだ生きてたんだな。驚いた。

 てか、ダディ竹千代って、意外に若いのな。ビートたけしより若いとは知らなんだ。

                                         2024/5/19(日)

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