Week5 | 10月6日 TNF TND@DEN 12−9 |
ゲームの観戦記を書く前に、まずはTNF関係者諸氏に謝罪しておきたい。 こんなしょっぱいカードでシャーセン、ア〜ンド、こんなしょっぱいゲームでシャーセン。 まあ、別に私が謝る必要は全く無いのであるが、一コルツファンとして罪の意識を感じてしまったので、謝罪した次第である。 OTに突入するタイミングで多くのデンバーファンが帰宅の途に就き、解説の森さんも呆れかえるという、そのしょっぱいゲーム内容はともかくとして、カードが発表された時点で、ベテランNFLファンの私は既に嫌な予感がしていた。 しかも、ゲーム前にはラッセル・ウィルソン欠場の報も流れていたくらいである。ウィルソン欠場なら、目も当てられない惨状であったろうが、幸い、ウィルソンは出場、でも、この始末。ほんと、TNF関係者の皆々様、シャーセン。 でもまあ、私がTNFのプロデューサーだったら、ディレクターを呼び出すよな。そうして、始末書とはいわないが、「何故に、このカードの放送を決定したのか、説得力のある理由を述べよ」というお題でレポートを提出させる。給料には響かないと約束してな。と、度量の大きいところを見せておく。 まあまあ、確かに因縁はあるよ。ディレクター的にはマニングネタで引っ張ろうと企画していたのであろう。でも、それもう10年前の話だよ。最近の若いファンは知らないよ。 マニングとラックの因縁、そうしてその遠い祖先のエルウェイ、そうして、そのラックと同じ年に3巡(75位)でドラフトされたラッセル・ウィルソンと、お題は揃っている。でも、それもう10年前の話だよ。最近の若いファンは知らないよ。 あとまあ、ネルソンとチャッブとか、小ネタもあるけれど、因縁っていう程でもない。 それに何より、この両チーム、ライバリーって感じでもねーし。地区が同じだった事も一度も無いしね。いや、あったっけ。油断していると、ある場合もあるからな。調べないけど。 このカードでの思い出っていうと、いつぞやのプレイオフで、ラックがマニングをぶち破った試合、おそらくラックのキャリアベストのゲーム(断じてパガーノのではない!!!)だろうけど、その次のペイトリオッツにけちょんけちょんにされたし。 あと、大昔のプレイオフで、マニングがボコったゲームが記憶にあるくらい。ハリソンの面白タッチダウンがあったのが、このゲームだったと思う。 いずれにせよ、アングルとしては、弱い。 ちなみに、来週のTNFは、コマンダーズvsベアーズ。こんなカード、コルファン以外、誰も見ねーよ。いや、ワシントンとシカゴのファンは見るけどさ。ダイジョーブか、TNFのディレクター。TNFのディレクターに未来はあるのか。いや、来週の給料があるのか。えっ、週給じゃないの。 さて、デンバーファンの多くが、ゲームの結果、あるいはブロンコスの勝利より自身の渋滞、つか自分の時間の方が価値があると判断して、帰宅の途を急いだ、このゲームであるが、帰ったデンバーファンが正解。つか、勝ち。残ったデンバーファンは負け。デンバーではなく、残ったデンバーファンが負け。 まあ、試合内容は、ここ最近、私の書いとる「終盤、僅差のゲームは、もはや運次第」というコルツ十八番の展開で、今週は運良く勝利できたわけである。 この展開については、ここ最近散々書いてきたけれど、もう運だよ。「僅差のゲームの終盤で、チームを勝利に導くのがQBの仕事」と云われ、最終ドライブで得点するのは、QB、とりわけ高給取りのQBにとっては必須の仕事、謂わば高給取りのQBの任務だろうけれども、ただ、得点はともかく、時間までは、どんな優秀なQB、高給取りのQBでもコントロールできない。 私もNFLファン歴20年近くになるが、この間、マニングやブレイディを始め、ロジャース、マホームズ等々、様々なQBの試合最終盤での逆転ドライブを観てきたけれども、時間までコントロールしたQBは観た事が無い。ブレイディですらも、である。 まあ、強いて挙げれば、かの有名なモンタナの「ザ・ドライブ」だろうけど、これだって、おそらく、モンタナ&ウォルシュ・コンビのキャリアにおいても唯一の事例だと思う。調べてないけどさ。つか、これを思うままに、つまり自由に実現できるのなら、全勝、無敗である。 結局、どんなに優秀なQBでも、得点はともかく時間まではコントロールできないから、仮に逆転タッチダウンに成功しても、40秒くらい時間を残してしまったら、その時間で再逆転されてしまう事も十分有り得るというのがフットボールというスポーツである。 だからこそ、第4クォーター開始時、あるいは残り時間10分くらいまでに、3ポッゼション、出来れば4ポッゼションくらいリードしておくというのが、フットボールの基本戦略になる。野球と違って、「接戦で勝つ」というシナリオは無い。せいぜい、「接戦に持ち込んで、運良く勝つ」ぐらいである。 だからこそ、大量得点する事が大事、故にラン・オフェンスではなく、パス・オフェンスが大事という事になり、その主役がQBであり(レシーバー説も浮上しているが、とりあえず、)、だからこそ、QBがチーム一の高給取りとなる。その裏返しがプレミア・パスラッシャーである。 ちなみに、ここで私は、「QBは時間をコントロールできない」と書いたけれども、それは試合の最終盤に限っての話で、試合の序中盤ではおおよそコントロールは出来る。勿論、OCとの共同作業ではあるが。 また、ちなみに、この序中盤での時間のコントロール、すなわち、序中盤で、そこそこリードを奪ってからの逃げ切りは、ラックが抜群に上手かった。逆転のラックの裏芸だったと思う。このフットボールというゲームの構造を誰よりも知っている、これこそがラックの類稀な才能だったと思う。まっ、ラック最大の不運は、フットボールというゲームの構造を全く知らないパガーノというヘッドコーチと組まされてしまった事である。 QBの話になったので、ライアンさんの話をするか。ライアンさんのゲーム、つかコルトとしてのライアンさんのゲームを観るのは、これが2試合目であるが、やっぱり判断が固いんだよな〜。選択肢が2つ3つくらいしかないという感じである。これが4つ5つくらいになると良いのであるが。 ちなみに、選択肢ガチ1つでやってたのが、カート・ワーナーとフィッツパトリックである。とにかく、ミッションコンプリートしかない男たちであった。 でも、そういうクォーターバッキングでもコーチやチームに恵まれると、スーパーボウルもあるんだよね〜。 で、そのライアンさんを守れないグダグダOL、つかプライア―とレイマンであるが、まあ、プライア―はともかくとして、レイマンは、そんなに悪くないように私の目には映った。 現地の放送ア〜ンド日本での放送では、両者は目くそ鼻くそ扱いだったけれども、レイマンは、あれくらい出来れば上出来なんじゃないかなあ。キャリア初先発だし、あのくらい動ければ十分だと思った。 一昔前みたいに、LTvsREのガチンコ勝負、ペース対ペッパーズとかオグデン対フリーニー様みたいならともかく、最近は攻守両ラインでのユニット対決という構図になっているので、そこまでタレントを重視する必要はないと私は思っている。まして、隣はネルソンなんだし。希望的観測も混入しているかもしれないけれど。 まあでも、3巡で正レフトタックルが入手できれば、スマッシュヒットなんじゃないかなあ。 って、こういうとこは当ててくんだよなあ、バラードは。どうしてエースレシーバーが分かんねえかなあ。しかも、エースレシーバーなんて、プレミアパスラッシャーと違って、下位にもゴロゴロしてんのに。カップ三冠とかさ、ちょっと前なら、アントニオ・ブラウンとかウェス・ウェルカーとか、手前味噌になるがギャルソンとかさ。どうして、ここだけが見えない、バラードよ。 ピットマンとかピアースみたいのは、エースの反対側で輝くタイプなんだよなあ。今年のチーム、つうかここ数年のコルツは、プレミアパスラッシャーはともかく、エースレシーバー以外はみんな揃ってんだから、エースさえいれば、スーパーボウルも夢じゃないのに。くううう〜。いないばっかりに、こんなゲーム、12−9。トホホ。 OLの話が出たついでに、ネルソンについても。このゲームを見ている限りでは、結構体の調子は良いみたい。ネルソンのルーキーイヤーの時に書いた、ボールキャリアへの祝福の速さ、足の速さが復活していた。ここ数年は、あの元気がなかった。って、好事魔多しにならなければよいが。 で、更についでに、ケリーについて。また欠場。なんかケガ多いよね。年がら年中とまでは云わないが、ちょこちょこ休んでる印象。目立たずに、こっそり有休を消化するタイプ。 ドラフト時、私があれほど熱望した選手だけに、ちょいと残念。下位指名ならともかく、1巡18位の選手なんで、それこそマワエみたいに、縦横無尽に派手に活躍してもらわんと。堅実じゃダメーー。つか、休み過ぎ。堅実ですらない。 同じ年の7巡248位で、同じくセンターのオースティン・ブライスをコルツは指名していて、結果的には、こっちもスターター級だった事を考え合わせると、こっちで良かったかな〜と思わん事もない。ラックは、このブライスを買っていたし。 つかまあ、1巡18位でセンターを指名せねばらならない程、追い込まれている状況を作ったパガーノが諸悪の根源なのであるが。これもまた、パガーノの数多い、やたら多い負の遺産のひとつであろう。ジョノタン・ハリソンみたいな、なんちゃってセンターを使ってたぐらいだから。 隙あらば、パガーノへの怒りが爆発してしまう。 気分直しという訳ではないけれど、このゲームで良かった点、ステフォン・ギルモア様について触れよう。 このゲームで、チームを勝利に導くインターセプトと、チームの勝利を確定するパスディフレクトを決めたギルモア様であるが、コルツ今季2勝のうちのもう1つのゲームでもギルモア様は活躍しているので、極端な話、ギルモア様がいなかったら、今季のコルツは、ここまで0勝だったとも云える。 さすがにそれは褒め過ぎかもしれんが、まあ〜、なんつーか、やっぱり、さすがの動きをしよる。分かっている奴の動きである。私のコルツファン歴およそ20年の中では、コルツベストのCBだと思う。こういう動きの出来るCBは、過去20年のコルツにはいなかった。しかも、御年32歳、全盛期じゃないのね。 でも、改めて考えてみると、全体10位のCBって、過去20年のコルツにはいなかった。最高位だと思う。さすがに、全体10位のCBって違うのね。初めての経験、ウフ。 そこで、ついでという訳でもないが、過去20年における、コルツの各ポジションのドラフト最高順位をちょいと思い出してみたい。調査した訳では無いので、厳しく突っ込まないよーに。 QBは、当然の事ながらマニングとラックの全体1位。あとまあ、リヴァース(暫定1位)やウェンツ(2位)、ライアン(3位)といったところも、それぞれ高順位だけどな。QBに関しては、アーセイはブランド志向なのね。 RBはエッジさんの4位。マーシャル・フォークの2位というのもあるけれど、ギリギリ20年以外とする。 WRはハリソン様の19位かな。アンドレ・ジョンソンの3位というのもあるにはあるが、コルトとしてはいまいちだったんで除外。欲しい選手だったんだが、コルツ在籍時は、老いていた。ある意味、ウェイン先輩よりも。あと、パガーノ物件という悪材料もある。また、ヘイワード=ベイの7位つうのもあるけど、WRじゃねーし。ガンナーだし。 TEは、順当にダラス・クラークの24位と言いたいところであるが、イーブロンの10位がある。トホホ。 OTはグレンの19位。OGはネルソンの6位。Cはケリーの18位。カスタンゾは22位なんだよね〜。惜しい。何が。 DTはバックナー様をDT扱いにすると、7位。ただ、バックナー様はドラフトエントリー時はDEだったので、バックナー様をDE扱いとすると、コーリー・サイモン(覚えている人、いる?)の6位が最高位だと思う。アンソニー・マクファーランド(こちらも、覚えている人、いる?)は15位。ちなみに、フリーニー様は11位。 LBはシャック様の36位と言いたいところであるが、残念、ロブ・モリスの28位が最高位。 CBは、前述の通り、ギルモア様の10位がダントツの最高位。コルツ・オリジナルだと、マーリン・ジャクソンの29位が最高位。 Sはフッカーの15位がダントツ1位。まさか、あんな事こんな事になろうとは。もう、オハイオ・ステイトはいらん。 キッカー、パンターはいいでしょう。 でも、こうやって、改めて書き出してみると、この20年のコルツって、いかにオフェンス偏重だったかが良く分かる。ディフェンスの一桁台って、バックナー様とサイモンだけなのね。それも、両者ともに移籍組だし。フリーニー様がキレるのも、分かろうってもんである。 という訳で、ギルモア様は、コルトとしては、ン10年ぶりのドラフト上位指名CBなので、そのプレイっぷりを堪能したいと思う。既に、2試合堪能してるけどな。 ちなみに、コルツ・オリジナルの上位指名CBというと、1984年(エルウェイ指名の翌年!!!)のレオナルド・コールマンという選手まで遡らないといけないみたい。この人が8位指名されとる。あんま活躍しなかったみたいだけど。 あと、ギルモア様、ベリチック門下生という意味でも、コルトとしては、結構珍しい選手だと思う。コルツからペイトリオッツ入りした選手は、そこそこいるけれど、その逆は珍しい。この20年で初めてかも。その意味でも貴重な選手ではある。 ベリチック門下生という意味では、勿論、ヴィナティエリ様がいるにはいるが、キッカーの場合は、門下生って言ってもねえ。上だか下だか分かんねーし。 あと、キッカーと云えば、マクローリン。ギルモア様が、このゲームの表のMVPだとすれば、影の、って事もないか、もう一人のMVPが、このマクローリン。4FGsという、この試合のコルツの全得点(涙)を叩き出した。 52ヤード、51ヤードという、ロングも2本決めているし、下がってからのキックも決めているし、無論同点FG決勝FGも決めているので、貢献度大である。意外な拾い物かな。まっ、外したらカットすりゃいいだけだしな。恐いなあ、キッカーって職業、恐いなあ。絶対やりたくない仕事。 あと、プレシーズンでしか活躍しない幻の男、ディオン・ジョンソンが遂に現出しましたな。まあ、これまでも、チョロチョロ出ってけど、ガッツリ出たのは今回が初めてだと思う。少なくとも、私が1ゲーム丸々見たのは今回が初めて。 んで、その感想はというと、結構やりそうな感じ。OCの予定した3ヤード5ヤードは確実に獲るという感じ。そこから、20ヤード、30ヤードのロングゲインは無さそうだけど。 まあでも、ショートヤーデージ要員として、ロースターに残しても面白そう。PSに置いといて、ぶっこ抜かれたらガッカリかも。 一方のリンゼイは、ちと厳しいかな。まあ、なんつーか、自他の動きが全然見えていないつう感じ。テイラー様の裏返しみたいなRBである。デンバー時代は2年連続1000ヤードラッシャーだけど、どういうプレイをしていたのだろう。 そのデンバー・サイドについては、あまり思うところが無い。ゴメンナサイ。 とまあ、こんな感じの感想なのであるが、ここで、もう一度、テレビ放送の話に戻す。 まっ、TNFのディレクターの話はともかくとして、今後のコルツの日程であるが、第13週にサンデーナイトが予定されていて、日本におけるコルツのテレビ放送は、プレイオフ進出しない限り、多分それが最後。この試合を含めて、計2試合。放送予定が変更される事もなくはないであろうが、大きく増す事は無いであろう。 どうして、こんな事になっちゃったんだろう。 以前もどこかで書いたけれども、かつては、1週間のNFL全16試合中10試合ぐらいは日本で放送されていた。バイウィークの期間だと、全13試合中10試合である。NHKBSとGAORAやG+がダブる事もあったけど、解説は異なるので、それはそれで楽しめた。 しかも、コルツは当時強豪だったので、年間16試合中13試合ぐらいは観戦できた。むしろ、観戦できない方が珍しかったぐらいである。貧乏でBS専門であっても、5試合ぐらいは観戦できたものである。稀に地上波の日本テレビもあったかもしれん。当時、弱かったチーム、例えばブラウンズとかは、コルツに比べ少なかったけど、まあ、それでも、BSでも年間数試合ぐらいは観戦できていたと思う。 そのほか、Jスポーツでカレッジを放送していたし、大昔はテレビ朝日が、お正月にボウルゲームを放送してた。深夜だけどさ。さすがに生では無かったと思うが。 どうして、こんな事になってしまったのだろう。テレビからインターネットへという巨大な流れがあるにせよ、である。NFLに限らず、アメリカを始め、海外のスポーツをテレビ観戦する環境は、大きく後退してしまったと思う。サッカーは、どうなってんの。興味が無いので、全然分からんが。 Jスポーツも、かつてはNBAやカレッジバスケットボール、NHLもやってたよね。なんか、今はダーツばっかりやっとる。WRCみたいなカーレースは、まだやってけど。今となっては、あの俗悪なスポーツセンターが無性に懐かしい。 どうして、こんな事になってしまったのだろう。ガチで放映権料が払えないという事はあるのかもしれない。払えない事は無いだろうけど、費用対効果という観点で、払えないのかもしれない。 でも、昔だって、90年代00年代だって、費用対効果は悪かったと思う。それでも、放映権料を払えていたというのは、それだけの余裕が、日本のテレビ放送局、ひいては日本社会全体にあったのだろう。 でも、今は、この体たらく。日本の戦後は、80年代を頂点に、1990年、あるいは1989年を頂点に、はっきり衰退している。 戦後の日本が、80年代までグイグイ成長していった理由についてはいろいろ言われている。どれも皆正しいのだろう。ただ、あんまり言われない事のひとつとして、少なくとも私が聞いたり読んだり事のない理由のひとつとして、不謹慎かもしれないが、「大人の少なさ」があったと思う。 実も蓋もない言い方をすれば、「先の戦争で、多くの大人が死んでしまって、結果、若者たちが文化や社会をリードしたのが、戦後から80年代くらいまでだった」、である。 そういう若い人たちの元祖が、三島由紀夫だったり、手塚治虫だったり、力道山だったりしたのであろう。 三島が、「私のような作家は、戦後のドサクサでなければ、とてもデビューできなかった」、と語っていた。まあ、三島がデビューできたか否かはともかくとして、手塚治虫のような、全く新しいタイプのマンガ家は、戦前、すなわち明治や大正の頃には、とてもデビューできなかったであろう。 戦後当時でさえ、「デッサンが狂ってる」等々、先輩マンガ家に散々否定されたのが手塚マンガである。実際、当時の大人で、手塚マンガを正しく評価できた人を私は知らない。 手塚マンガを正しく評価したのは当時の子供たちである。まさしく、子供は天才であり、天才は子供である。 といっても、ここで多くの人達は勘違いしがちなのであるが、全ての子供たちが、手塚マンガを正しく評価した訳では無い。というか、多くの子供たちは手塚マンガに無関心であった。実際、私の両親は、そういう世代だけども、ともに手塚マンガには完全に没交渉である。全く気付いていない。 手塚マンガの美しさ新しさに気付いたのは、ごく一部の子供たち、グラフィカルな感受性を持ったごく一部の子供たちであった。石森章太郎とか藤子不二雄とか矢口高雄とか宮崎駿とか、そういう人達である。 ちなみに、三島は、この段階で手塚の才能に気付いており、60年代末には手塚の衰退にもはっきり気付いていた。そうして、何より、マンガという全く新しい文化の可能性に最も早く気付いていた大人が三島由紀夫である。さすがに感受性の人である。 また、力道山が、大相撲を捨てて、アメリカから輸入したものであるにせよ、プロレスという全く新しい文化を日本で作り上げる事が出来たのも、大人の少なさからだったろう。戦前、あるいは90年代以降の、大人のうじゃうじゃいる社会では、力道山はマゲを切る事が出来なかったろう。ちょうど、朝青龍がマゲを切れなかったように。 マンガやプロレスの世界に限らず、20代から40代くらいまでの若い人たちが、大人の少なさ故に、社会をリードしていったのが、戦後から80年代くらいまでの日本社会の特徴だったと思う。その集大成が、日本のマンガやアニメだったり、ロードスターだったり、ウォークマンだったりしたのであろう。そういった意味では、手塚治虫に始まり、鳥山・鳥嶋コンビに終わったのが、戦後日本の文化だったとも云える。 ところが、90年代以降、かつて若者だった人々が大人になりだすと、もう駄目である。若い人たちの飛翔を妨げる足枷でしかない。その結果の象徴が、ウルトラマンほにゃらら、仮面ライダーほにゃらら、ガンダムほにゃららの大量生産である。こんなのは文化の恥である。 そうして、スマートファンという、いかにも70年代80年代の日本人が発明しそうなものを、90年代00年代の日本人は、結局発明できなかった。Iモード、ガラケーと、いいところまで行ってたにも関わらず、である。 まあ、そりゃ分かるよ。人間50歳を過ぎたら、隠し子の養育費、あっ、間違えた、子供の教育費とか、愛人のマンション代とか、あっ、間違えた、家のローンとか、色々金が入り用になってくる。そうなったら、若者の作る、得体のしれない芸術作品より、確実に収益の見込める再生産品に投資するであろう。 かつて、コクトーは、「個体発生に限らず、人類の歴史もまた、系統発生を繰り返す」と述べたけれども、全くその通りだと思う。 日本史で云えば、古代から平安時代ぐらいまでが、「どうして、どうしてとモノを聞きたがる年頃」。当時は、中国人にモノを尋ねていた。そうして、鎌倉時代から戦国時代ぐらいまでが、「火遊びをしたがる年頃」。そうして、江戸時代が「分別臭い年頃」である。 そうして、明治維新で一旦リセット。すなわち世代交代である。そうして、明治時代が「どうして、どうしてとモノを聞きたがる年頃」。今度は、欧米人にモノを尋ねていた。そうして、大正から昭和が「火遊びをしたがる年頃」。そうして、平成以降が「分別臭い年頃」である。 室町と昭和が日本文化の最盛期である事は、論を俟つまい。 でも、人間同じ生きるなら、分別臭い時代ではなく、火遊びをしたがる時代を生きたいよね。 とまあ、若い人たちの気持ちが暗くなるような事を書いてしまったが、大丈夫大丈夫、あと30年もしたら、今の50歳以上はきれいさっぱりいなくなって、いびつな年齢構成は解消されるから。その頃には、現在のような逆三角形ではなく、長方形に近い形になるのかな。あっ、30年後は、今の若者たちは、分別臭い大人になっているから、やっぱり駄目か。ご愁傷様。 そう云えば、阪神がプレイオフ1回戦突破しましたね。このまま、阪神が優勝しちゃったら、岡田新監督はスゲーやりづらいだろうなあ。激やりずらい。 でも、矢野監督って、阪神の歴史上唯一Bクラス未経験のまま、退任するんだよね。これって、阪神の監督に限らず、結構難しいことだと思う。あんまりいないじゃないかな、Bクラス未経験の監督って。1,2年で退任した監督はともかく、3年以上、あるいは5年以上、監督経験のある人で、Bクラス未経験は非常に少ないと思う。川上も一回Bクラス経験してるしね。最もBクラスに無縁そうな森祇晶ですら、横浜で経験してる。あと、古葉も。横浜は鬼門か。権藤は、同じ横浜でBクラス無しだけどさ。 落合の8年間でBクラス無しが最長記録かも。 で、今、ちょっと調べてみたら、水原は監督就任以来18年連続Bクラス無し。惜しくも19年目で4位。しかも、これは中日の監督に就任しての4位だから、もし就任していなければ、在任18年間でBクラス無しの記録を打ち立てていた。スゴイ。しかも、その中日も、退任時の3年目には3位にしている。スゴイ。 また、鶴岡は、監督就任以来ではないのだけれど、17年連続クラス無し。惜しい。川上は12年連続でストップ。そのまま退任。 優勝する事も、勿論難しいことだけれども、「Bクラス無し」も、これはこれで難しいよね。ケガとか引退とか、監督の力量だけでは、どうにもならない事があるからね。補強、戦略、戦術等々、トータルでのマネジメント力が要求される。 八女茶が美味い。2022/10/12(水) |
Week6 | 10月16日 JAX@TND 27−34 |
コルツファン垂涎のカード、ワシントン・ウェンツ対シカゴ・イバーフェルズのレポートを書こうと思っていたんだけど、まさかの録画し忘れ。無期限延期しまーす。再放送を予約録画したので、そちらを見て、もしかしたら書きまーす。まあ、ダゾーンで見ても良いのだけど、パソコンのモニターでフットボールを観るの、あんま好きじゃないんだよね。 という訳で、コルツファン健忘のカード、コルツ対ジャガーズのレポートと相成った訳であるが、34−27で勝利。パチパチパチパチ。今季初めてのオフェンスによる勝利です。 ウッズが逆転タッチダウン、ピアースが再逆転の決勝タッチダウンと、私の否定するガタイレシーバー・コンビの活躍での勝利となった訳っであるが、これって信用していいの。ガタイは信用できるの。 もっとも、活躍とはいっても、ピアースは3レシーブ1タッチダウン、ウッズは2レシーブ1タッチダウンな訳だけど。まあ、ピアースは「競い合い」、ウッズも「荒削り」と、それぞれドラフト時に評価されているところを見せたので、とりあえず「良し」としますか。 あとまあ、そのガタイーズの一角、ピットマンは、ほんのちょっとルートランニングが上手くなってた。あくまで、「ほんのちょっと」だけど。以前より、「切れ味」は出てた。 あと、ピュア・レシービング・タイトエンド、グランソンも、まずまず活躍してたね。 あとまあ、このゲームのコルツオフェンスの最大の特長は被サック0ってとこかな。今季初めてだと思う。ハイライト映像を見ているだけなので、コルツOLとジャガーズDLとの力関係は、皆目分からないのであるが、少なくとも、スタッツ的には勝利だと云える。 ただ、先発LTのレイマンは、途中で引っ込んで、アナザー・ケリーことデニス・ケリーと交代した模様。ケガか力不足か。 とまあ、まずまずの結果を残したオフェンスに比して、ディフェンスは、崩壊とまでは云わないが、半壊ぐらい。今季初めての失敗かも。 とりわけ、ジャガーズの事実上のラスト・ドライブでは21プレイ・10分3秒(!!!!!)で逆転タッチダウンを献上する始末。私は文字ライブで見ていて、発狂した。 ただ、このドライブで10分も時間を使ってしまい、結果、いい感じの時間をコルツに残してしまったのが、ジャガーズの敗因のひとつとなるのが、フットボールの面白いところ、ではある。 私は、先に「発狂した」と書いたけれども、発狂の裏では「いい展開かも」とほくそ笑んでもいた。ジャガーズサイド的には、タッチダウンを獲れても獲れなくても、得点出来ても出来なくても、5分くらいで、このドライブを終えていたら、また違った展開もあったと思う。 残り5分を切ったくらいでのポッゼッションっていうのは、「接戦の終盤」では、勝ってても負けてても、非常に重要なポイントである。まあ、それをコントロールできないから、「接戦での終盤は、運」という事になっちゃうんだけど。 さて、一方、コルツ・ディフェンス半壊の要因である。「あの、ザイールの野郎」と言いたいところではあるが、これはよく分からん。ただ、ジャガーズのハスティ、ロビンソン、イーティーエヌの、謂わばRB3兄弟に、いいようにやられたのが、表面的には、半壊の要因ではある。 ハイライト映像を観ただけではあるが、見慣れないプレイもあったし、ジャガーズ・オフェンスのプレイデザインの勝利であったかもしれない。まあ、3兄弟が、単純に揃って「速い」つうのもあるけれど。 で、今回初めて知ったのだけど、エティーヌって「イーティーエヌ」って発音すんのね。現地放送は、そう発音しているように、私には聞こえた。ドラフトの時から、私は「エティーヌ」って発音してたけど、それは間違いだったのね、反省。 でも、イバーフェルズといい、イーブロンといい、最初の「E」は「エ」じゃなくて「イ」と発音すんのね。勉強になりました。でも、発明王エジソンは「エ」だよね。それとも、「イジソン」とか「イージソン」とか発音するのかしら。はいっ、女子小学生風に、へ〜〜んなの。 でも、「イーティーエヌ」って言いたいよね。私もそれから、油断すると、発声してしまう。イーティーエヌ、イーティーエヌ、イーティーエヌ。「E・T・N」って、なんかロボットの名前みたい。イーティーエヌ、イーティーエヌ、イーティーエヌ。 こんな感じかな。なにしろ、文字ライブとハイライト映像だけなんで、こんくらいで許してね。本命のワシントン・ウェンツ対シカゴ・イバーフェルズはコケたし。イーティーエヌ、イーティーエヌ、イーティーエヌ。えっ、こういう使い方じゃないって。 そう云えば、阪神がヤクルトに軽くひねられちゃいましたね。あれだと、横浜、つうか横浜ファンは、泣くに泣けないよね。あれだったら、俺らが出た方がいい。 まあ、横浜ファンの憤慨はともかくとして、クライマックスシリーズを見ていると、下位のチームは、ファイナルステージが所謂「裏ローテ」になるのがキツイよね。青柳が、0勝2敗、つうか事実上の0勝3敗での第3戦の先発になっちゃうのは、キツイとこだよね。青柳が初戦に先発出来たのならば、せめて第2戦ならば、また違った展開も有ったろうと思う。 私が下位チームの監督だったら、ファーストステージは、思い切って「裏ローテ」を使う。批判もあろうが、日本シリーズに進出できなければ、ファーストステージ敗退もファイナルステージ敗退も同じだからね。あとまあ、ファーストステージもファイナルステージも「表ローテ」を使うという方法も無くは無いが、酷使派の皆々様が、さぞかし発狂する事であろう。「選手の将来が〜〜〜〜。」ってね。いつ来るのかね、「将来」。 でも、これで、日本シリーズはプロ球界ナンバー1ピッチャー対プロ球界ナンバー1バッターの図式となった訳である。なかなかに楽しみ。 これって、意外にありそうでない事なんだよね。2002年も、松井はともかく、松坂は振るわなかったし、1985年も、バースはともかく、郭泰源はケガしちゃってるし。江川対落合は幻だったし、王対山口高志もプロ野球界ナンバー1というには、ちと微妙だし、案外ないんだよね〜。 V9当時だと、プロ野球界ナンバー1ピッチャーは江夏だろうから、山田や成田、木樽だと、ちと微妙だよね。野村対バッキ―、野村対城之内もなあ。プロ野球界ナンバー1かというと、ちと違う気がするし。杉浦対長嶋とか稲尾対長嶋も、文句無しにプロ野球界ナンバー1かというと、同じく微妙だし。当時は、おそらく金田対中西がプロ野球界ナンバー1であろう。 プロ野球界ナンバー1のピッチャーとバッターが、美味い具合に、それぞれ両リーグに分かれて、日本シリーズに出場し、尚且つ好成績を上げているという条件をクリアしないといけないから、意外に難しい。 今回のように、押しも押されぬプロ野球界ナンバー1ピッチャー対プロ野球界ナンバー1バッターの対決というのは、もしかしたしたら、日本シリーズ史上初めてかもしれない。ホント楽しみ。 でも、村上は凄いよね。プレイオフの優勝を決める試合の決勝打が逆転満塁走者一掃ピッチャーゴロって。ヴァレンティン成分やペタジーニ成分だけじゃなくて、ホージー成分まで加味されているのか。これで、あとホーナー成分があったら、完璧だな。あっ、ホーナー成分っていうのは、日本の野球をバカにして、アメリカに帰っちゃうことで〜す。 さて、そのクライマックスシリーズというか、プレイオフが導入されて、もう10年以上の歳月が経過しているが(かつて、パ・リーグには別種のプレイオフがあったけど、それはひとまず措く。)、いまだに反対している奴がいて、なかなかに笑える。頭ダイジョーブかなとも思う。横断歩道渡れるのかなと思う。 反対意見というか、悪口というか、言い掛かりとしてよくあるのが、「プレイオフは興行目当てだ。」って奴である。うん、その通りだよね。というか、プレイオフに限らず、あらゆるプロ野球のゲームは興行だよね。お金目当てだよね。だって、プロ野球なんだから。公言してるよね。プロ野球は宗教活動じゃないよね。 プレイオフに限らず、レギュラーシーズンもオールスターゲームも日本シリーズも全部、ひとつ残らず「お金のために」開催しているんよね。強いて挙げれば、オープン戦は金目当てではないかもしれない。入場料や放映権料は取ってるだろうけど。「プレイオフは興行目当てだ。」と非難する人達は、オープン戦だけ見るのだろう。最も「金目当て」では無いから。 つうか、プロ野球に限らず、あらゆるプロスポーツが「金目当て」だよ。一部のアマチュアスポーツにしたって、もはや「「金目当て」だよ。甲子園とかオリンピックとかさ。だから、放映権料が発生してんだろ。 というか、スポーツに限らず、今現在の文化活動なんて、ほとんど「金目当て」だよ。コミックマーケットだって、全部とは云わないが、一部だか半分だかは「金目当て」だよ。なんなら、宗教だって「金目当て」だよ。娯楽だって、規模が大きくなれば、いつしか「金目当て」にならざる得ない。それはもう、欲得というより、構造的な問題だよ。最近では、それこそ同人誌とかガレージキットとかが、分かり易い例だよ。いや、分かりにくいか、別の意味で。 まあ、「ナイターは電気の無駄使い」とか「公共の財産である球場を、一部の人達の金儲けや娯楽のために使用するのは間違っている」とか主張するのなら、分からんでもないけど、つか、それも間違ってはいるけれど、「プレイオフは興行目当てだ。」なんていうのが、まっとうな反対意見だと思っているのは、完全なバカである。悪口にすらなっていない。 また、一昔前、「勝率5割以下のチームが日本シリーズに出場するのは間違っている」と主張していた人も多かったが、最近は、「勝率5割以下のチームが日本シリーズに出場するのは、なかなかに難しい」事が判明してきて(最初から分かっていた事である)、いつの間にか「どうせ1位チームが勝つのだから、やるだけ無駄」とか言い出している。論理が破綻している。反論するまでもあるまい。 念のため、反論しておくか。こういう人達は、プレイオフの結果を反対の根拠にしていた訳であるが、「日本シリーズに出場するのが、レギュラーシーズンの1位チームでも2位チームでも3位チームでもダメ」だと言い出した訳だから、プレイオフの結果は反対の根拠にならないと言い出した訳である。不謹慎な例えで申し訳ないけれど、「麻薬は人を狂わすから、罪であり、あるいは、人を狂わさないから、罪である。」と言っているのと同じである。人を狂わす狂わさないが、麻薬否定の根拠になっていない。仮定法が機能していない。 それとも、「勝率5割以上の3位のチームが日本シリーズに出場するのなら、プレイオフは認める」のだろうか。 以上2点はバカの意見なので、検討する価値も無いが(今、検討したけどさ)、プリオフ反対論者の意見で最も多いのは、「2位や3位のチームがプレイオフに出場したら、レギュラーシーズンの価値が減ずる、あるいは失う」である。 レギュラーシーズンの価値って何。「100ゲーム以上戦っての勝率」と「1発勝負の勝敗」では、「100ゲーム以上戦っての勝率」の方が価値が高いって事なの。何で。 一般的には、むしろ「1発勝負の勝敗」の方が価値が高いんじゃないの。例えば、麻雀とかで、1勝1万円の勝負で700勝300敗(麻雀でお金を賭けてはいけません。犯罪です。ダメ、ゼッタイ。)の人より、1発100億円の勝負(麻雀でお金を賭けてはいけません。犯罪です。ダメ、ゼッタイ。)で一戦必勝してしまう人の方が「強い」とされているんじゃないの。そういう人を「勝負強い」として讃えているんじゃないの。それを讃えるのは、間違いなの。 また、そういう博打(万事、お金を賭けてはいけません。犯罪です。ダメ、ゼッタイ。)じゃなくても、人生という勝負で、仮に1勝99敗だったとして、その、たった1勝が価値あるもので、人生を幸せに過ごす人だって、いるんじゃないの。むしろ、こっちの方が多数派でしょう。多くの人は、通算負け越しの人生だろうけど、その数少ない勝利を活かして、生きてるんじゃないの。幸せになってるんじゃないの。 またまた悪い例えで恐縮であるが、普段の学校での成績が良くても、入学試験で失敗してしまったら、それは敗北じゃないの。良し悪しはともかく、世の中そういうものでしょう。何故に、プロ野球だけ、レギュラーシーズン重視なの。理由が分からない。根拠がない。 一方で、甲子園やWBCは、あんなに喜んでいる訳だし。意味が分からない。まあ、WBCでの日本の優勝に不満を持つ人たちは、「短期決戦否定論」を展開してたけどさ。まさしく、「結論ありきの主張」である。 また、仮に「長いスパンでの勝率の方が価値ある」と主張するのなら、何も1シーズンで勝敗を決せず、10シーズンくらいで勝敗を決した方が良かろう。10シーズン通算ならば、ケガ人の影響は、ほぼ、というか完全に排除されるだろうし。まあ、3シーズンくらい丸々消化ゲーム、つうか消化シーズンというチームも出てくるであろうが。 つう訳で、「プレイオフ反対論」には何の根拠もない。少なくとも、私は根拠のある反対論を聞いたり読んだりした事が無い。 では何故に、こんなに多くの人が反対したかというと、理由は一つである。ある種の人達は、新しい事象を異常に恐れるからである。新しい事象の良し悪しを判別する知能を持っていないからである。良し悪しが分からないから、とりあえず、安全が確認されるまで、遠ざけるのである。 最近の事象で云うと、「大谷の二刀流」を不可能不可能と騒いでいたのは、分かり易い事例であろう。結果的には、「可能」であった。二刀流反対論者は、それを判別する知能を持っていなかった訳である。しかも、「可能か不可能か分からない」という判断すらできなかったのだから、タチが悪い。新しい事象が怖いから、反対したのである。 あと、昔、携帯電話が普及し始めた頃、藤原正彦が「私も私の家族も、質実剛健だから、携帯電話を持たない」と書いているのを読んで、私は呆れかえった事がある。この程度の知能の人が、読売新聞で人生相談しているのである。何を相談するのだろう。しかも、大学で数学を教えているっていうのだから、呆れかえる。学校でのお勉強が何の役にも立たない、少なくとも知能の向上には何の役に立たないという事は、こういう人を見ても、よく分かる。 野球に話を戻そう。「グローブが開発された頃、それを使用すると、『タフじゃない』『男らしくない』と批判された」という記事を最近の「週刊ベースボール」で読んだ。さもありなん、と思った。 私の知る限りでも、さすがにヘルメットが使用され出した頃は知らないが、ヘルメットの耳当てが使用され始めた頃、「ボールの音が聞こえない」とか「クビが疲れる」とか云って、拒否した人たちがいた。 また、最近、バッターがデッドボールや自打球から身を守る為にプロテクターを付け出し、それを例によって例の如く、批判や否定する人たちがいる。「ボールの逃げ方が下手になる」とか、訳の分からない事を言っている。逃げる必要が無いんだよ、そのためのプロテクターなんだから。実際、デッドボールや自打球によるケガは減っている訳だし。 また、一昔前、グローブから人差し指を出す事を批判したり否定したりしている人達もいた。「心を失う」とか「ほんの僅か送球が遅れる」とかね。また、それに対する反論、すなわち「人差し指出し肯定論者」も出ているけど、こんなのは、どっちでもいいよね。プレイが劇的に変化、あるいは向上や劣化している訳じゃないんだから。 今現在、グローブやヘルメットが禁止になったら、プロ野球選手は全員野球を辞めるだろう。いや、数人は残るかな。便利な道具は使えば良いのである。それが、文明の進歩というものである。 また、そんなに「動きやすさ」を求めるのなら、全裸や全身タイツでプレイするが良かろう。実際、全裸はともかく、全身タイツみたいな服装でプレイする競技もあるのだから。まあ、エロ目的もあるけどさ(コラコラ)。 服装の話が出たので、ついでに話すが、大昔、それこそ太古の昔、初めて、服を着たり、口を履いたり、食べ物を火で焼いたりした人たちを、一部の人達は、現在同様、否定したり批判したりした事であろう。「根性がない」とか「男らしくない」とか「気持ち悪い」とか「人間の尊厳にかかわる」とかである。当時、そんな言葉や概念があったかは不明だが、似たような事を言った筈である。 こういう人達は、「衣服を着る」ことの良し悪し、あるいは「食べ物を焼く」事の良し悪しがまったく分からない。判断できないのである。故に、とりあえず遠ざける。そうして、それを着る人、それを食べる人の安全を確認して、初めて着たり食べたりするのである。 実際、私の周りでも、私のささやかな人生経験においても、衣服はともかくとして、新しいものを食べたがる人、平気な人は、総じて頭がいい。また、新しいものを食べようとしない人、偏食とは云わないが、同じものばかり食べる人は、総じて頭が悪い。 つっても、かつて、石坂浩二が、何かのテレビ番組で、東南アジア辺りの国を旅行していて、そこらの樹にたかっている何かの幼虫みたいなのを、「これ美味いんだよ」って言って、いきなり口にしたのにはドン引きしたけどな。でも、石坂浩二が聡明であることは、よく知られている。 という訳で、例のよって例の如く、「プレイオフ反対論」からはずいぶん話が逸れてしまったけれども(いや、そうでもないか。)、「プレイオフ反対論」には何の根拠もない。 と、このように書くと、私自身は「プレイオフ賛成論者」のようにも思われるかもしれないが、私自身は「プレイオフ賛成論者」ではない。私自身は、「どっちでもいい派」である。 だいたい、スポーツのレギュレーションとかフォーマットとかルールなんていうのは、両チームの公平性が担保されていれば、なんだっていいのである。さすがに、担保されていなければ、異議を申し立てるけど。 ましてフォーマットなんて、どうだっていい。年間1000試合制だって、一試合完全燃焼主義だって、どっちだっていいのである。アマチュアはともかく、プロスポーツの世界で、それを決定するのは、最終的には観客である。理屈じゃない。勿論、法に触れなければ、の話だけれど。 実際、ここまで長々「クライマックスシリーズ反対論」を否定してきたけれど、「クライマックスシリーズ」の可否を最終的に決定するのは、観客である。儲かるか儲からないという話である。儲かっているのなら続ければいいし、儲からなくなったら辞めればいいだけの話である。 そうして、そういうルールやフォーマットに合わせて、戦略や戦術を練るのが、監督やGMの仕事である。かつて、ダイエー・ホークスが、プレイオフ敗退を繰り返していたけど、それは根本や王に何らかの問題があったのである。ルールやフォーマットが悪い訳じゃない。 また、レギュラーシーズンは常に3位通過で、それでもプレイオフは勝ち上がって、日本シリーズ5連覇とかしちゃったら、それはそれで偉大な監督なんじゃないの。「い〜んだよ、必要最低限勝っておけば。」とか、うそぶくようなさ。全盛期の三原監督とか、やりそうだけど。 また、ルールやフォーマットだって、変えていい。例えば、ピッチャーが週に1回しか投げられないというのなら、ゲームは週に1回、年間30試合にしたっていい。そうすれば、常にエースの投げるプロ野球となる。 また、現行の6ヶ月間週6試合というフォーマットだって、深い意味はない。もとより、真に強いチームを決めるためのフォーマットでもない。野球シーズンの6ヶ月間で、出来るだけ数多く試合をしているだけである。専ら「金儲け」が理由である。 むしろ、試合数が増えれば増える程、一試合の価値は下がってしまう。薄まってしまう。これは、プロ野球に限らず、現行のプロスポーツの抱える「隠れた問題点」である。気付いている人は少ないけれど。だから、「レギュラーシーズンの価値」とか言い出すのである。 つかまあ、レギュラーシーズン1位のチームがプレイオフも勝ち抜く確率が高いというのなら、トーナメント一発で決着をつけてしまった方が、よほど経済的であろう。電気代も安く済む。144試合制なんて、無駄である。 そんなもんである、スポーツなんていうのは、ゲームなんていうのは。私がここまで長々と否定してきた「クライマックスシリーズ反対論」の最も馬鹿馬鹿しいところは、そこである。野球の勝敗を、何か重大な事のように論じている点である。プロ野球関係者にとっては、所謂生活が掛かっているのだから、重大ちゃあ重大かもしれないが、それ以外の人にとっては所詮幻想である。面白きゃ、なんだっていいのである。 プロ野球選手に限らず、スポーツやゲームを仕事あるいは人生の重大事にしてている人達は、「ゲームの勝敗は、所詮幻想である」という事実に耐えられず、スポーツやゲームを意味ありげに語ったりする。スポーツやゲームは何かの役に立つって奴である。 昔、先崎九段が「将棋も戦争も同じですね。歩の付き捨てから始まります。」って言ってたけど、違うよ。将棋はともかく、現実の戦争は、歩の付き捨てからは始まらないよ。 戦争って言っても、色々あるだろうけど、戦争の一般的な戦術っていうのは、まずは、かつては弓矢や大砲、現在は爆撃機等々で銃弾爆撃を行い、敵のおおよその戦力を低下させて、次に、かつては騎兵や槍兵、現在は戦車で突撃して、おおよその勝敗を決し、最終段階で、かつては歩兵、そうして現在も歩兵が戦後処理というか、最終的な戦闘、敵将の殺害や確保、残存戦力への応対等々を行うのである。 まあ、一番最初は、騎馬やオートバイ、ヘリコプター等々での索敵だという説もあるけど、歩兵が先陣を切るなんていうのは、かなり特殊な戦闘、戦争であろう。所謂、「奇襲」の類である。 つう訳で、歩の付き捨てから始まる戦争なんてないよ。あったとしても、かなり特殊な戦争だよ。 そもそも、お互いの戦力が、質的にも量的にも全く同等な戦争なんてない。つうか、そこをいかに同等にしないかで戦争の勝敗は決する。将棋で云えば、歩を百駒用意するとか、初期配置でいきなり敵陣に龍を置くとかである。それこそが、政治家とか軍事指導者の腕の見せ所であろう。 で、そういう事をしない、戦争を何らかの度合いで抽象化したものが、将棋を始め、色様々なゲームである。まあ、さすがに野球は戦争の抽象化ではないであろうが。 お互いの戦力差を、先手後手以外は、完全に同等にして、戦術のみに抽象して、戦争をしたらどうなるかというのが将棋というゲームだと云っても良いと思う。もっとも、先述したように、将棋の戦術なんて、実際の戦争の戦術とは全然違うけどな。ただ、戦術的な思考の争いという意味では、同じであろう。そこだけ抽象したのである。 プレイオフに話を戻す。 先に、私は「プレイオフどっちでもいい派」だと書いたけれども、「プレイオフ制度」には明々白々な利点がある。それは消化試合が激減したって事である。まあ、最初から分かってた事だけどさ。 消化試合の激減にともない、かつて、3年に一度、あるいは5年に一度くらいは、必ずやってた「首位打者取るための、出たり出なかったり」が全く無くなった。その有名な、というか最悪の事例は田尾長崎問題であろう。 今季のセ・リーグにしたって、もしもプレイオフが無かったら、中日は、かなり早い段階で消化試合になっていたであろうから、すると、「大島の首位打者獲得」のために、「出たり出なかったり」をした事であろう。まあ、それで村上の三冠王を阻止できたかは、また別の話であろうが。 また、かつて80年代の南海やロッテ、あるいはヤクルトや大洋の「客の入り」が悪かったのも、理由は色々あるだろうが、そのひとつは消化試合の多さであろう。このへんのチームは、下手すっと、5月くらいから消化試合、年間100試合くらいが消化試合である。それじゃあ、客は入るまい。 また、今の阪神ファンには信じられないかもしれないけれど、90年代の甲子園球場は、ほとんどガラガラだった。ガラガラのレフトスタンドの最上段で、「ラッタラ〜」やってた。当時の私は、「あんな大人には絶対なりたくない」と思ったものである。「ラッタラ〜」やってた人、ゴメンナサイ。 もっとも、現在の連日満員の甲子園球場のレフトスタンド最上段で「ラッタラ〜」したら、「じゃかしい、邪魔じゃオンドレラ〜。」がオチであろう。まあ、そういうオチも楽しいけどね。 とまあ、ここまで色々書いてきて、例によって例の如く、何を書いてきたのか、何を主張してきたのか、自分でもよく分からなくなってきたが、最後にひとつだけ。 それは、「予選リーグ・決勝トーナメント」というのが、欧米における、最も一般的なスポーツのフォーマットだという点である。そこは、甲子園とか、神宮球場とか、国技館とか、花園ラグビー場とか、選手やチームを一か所に集めて、スポーツ大会をしたがる日本人とは、大きく異なる。 どちらが良くて、どちらが悪いと言うつもりは全く無い。ただ、日本人が真似して欲しい、あるいは増やして欲しいのはリーグ戦である。とりわけ、ホームでのリーグ戦である。いや、リーグ戦でなくてもいい。ホームグラウンドでのゲームである。 中学でも高校でも何でもいい、自分の校庭で、あるいはホームグラウンドで、すなわち同級生や学校の先生、近所のおっさんおばさん、そうして何より、好きな女の子あるいは好きな男の子の前で、もっとプレイして欲しい。それは、技術の向上につながる。そうして、何より楽しい。失敗したら、死にたくなるけどさ。それも、スポーツの楽しさのひとつである。 ところが、日本の多くのスポーツ大会では、甲子園や神宮球場とまではいかなくとも、大概どこか別の会場や球場で試合をする。せいぜいブラスバンド部員しか見に来ない。そりゃ、金と時間をかけてまで、同級生の野球やサッカーや相撲を見に行く人はいないであろう。あるいは、ごく少数派であろう。 ところが、自分のところの校庭で試合をしていれば、多くの在校生や先生が、何とはなしに見に来るだろう。とりわけ、好きな女の子が(しつこい)。いや、好きな男の子も(いや、ホモって意味じゃないよ。女子スポーツって意味だよ。)。 まあ確かに、不特定多数、見知らぬ人の前でプレイしても技術は上達するであろう。でも、知り合いの前で、とりわけ、好きな女の子と好きな男の子の前でプレイしたら、もっと上達する筈である。そうして楽しい。 自分とこの校庭といっても、日曜日だとあまり意味がないかもしれないが、土曜日の午後(最近の学校は、土曜日も休みだっけ?)、あるいは平日の午後だったら、同級生や学校の先生、近所のおっさんおばさん、そうして、好きな女の子や好きな男の子が数多く見に来る筈である。そういう環境で、若い人こそプレイして欲しい。いい歳こいたオッサンの草野球は、早朝5時からで充分だけどな。観客なんて、贅沢だ。とりわけ女の子なんて。10年早いわ。いや、40年遅いわ。 ひとりぼっちで技術の向上を追及するというスポーツの楽しさもあるだろうけど、それは異端である。観客も含めて、多くの人とプレイするのがスポーツである。 NFLの選手がかつて、誰だったか忘れてしまったけど、「俺は、高校・大学・プロと全てのカテゴリーでフットボールをやってきたけど、最も興奮したのはフライデーナイトだな。」って言ってたのは、まったく以って、そういう意味である。 と、無理矢理NFLに話を戻してみた。 2022/10/19(水) |
Week7 | 10月23日 TND@TEN 10−19 |
ちょいと遅れたけど、テネシー戦の感想をば。 つっても、例によって例の如くの敗戦。 ディフェンスとスペシャルチームが頑張って、接戦に持ち込むものの、敗戦って奴である。「接戦で終盤」だと、どんなチームも勝率5割である。 オフェンス不振の責任を取らされてか、マット・ライアンは次週から先発落ちの模様。まあ、ケガもあるらしいが、先発落ちは、ちと可哀想な気もする。 点が取れない、オフェンスが前に進まないのは、QBやOLの責任ではなく、レシーバー陣の責任だからである。エースレシーバーがいないのなら、せめてディープスレッドを入れるとかしないと、どーにもならん。フロントや首脳陣には、こんな私のような素人でも分かるような事が見えていないのか。不思議。 今のレシーバー陣なら、誰がQBでも大差ないであろう。実際、ここ5年、ラック、ブリセット、リバース、ウェンツ、そうして今年のライアンと、みな同じ悩みである。むしろ、5年前に比して、当時はまだヒルトンが健在だっただけに、より問題は深刻になったとも云える。 なんで、アメリカ人は、フットボールの問題を、何でもかんでもQBに帰すのだろう。そのQB信仰が不思議。QBって、救世主?。ケンシロウなの。 で、代わりはニック・フォールズが昇格するのかと思ったが、サム・エーリンガー。プレシーズンを見た限りだが、ちと面白そうなので、ちと楽しみ。でも、ダゾーンでは第11週まで配信は無いみたい。う〜む、持つのか、エーリンガー。まあ、エーリンガーがコケたら、フォールズという、謂わば「切り札」もあるしな。 「ディフェンスとスペシャルチームが頑張って、」とは書いたが、ミスもちらほら。 マット・ハックはミスパントがちらほら。オフェンスがアレなのだから、きっちり10ヤード、つうか5ヤード以内に落としてもらわんと。 ザイール君は例のよって例の如く。それによって勝敗どうこうって事は無いだろうけど、第3クォーター中盤での3rd&10からのフーパーへのミスタックルは痛かった。ザイールの野郎。 まあ、基本的に控えだから、どうこう言っても仕方ないのであるが、それより何より、シャック出てこーい。サイドラインで監督面してんなっつの。あの元気があるのに、何故にゲームに出れん。どこケガしてんの?。 つー訳で、3勝3敗1分け。まあ、現状、オフェンスとディフェンスとスペシャルチームがアレなので、どうしても「接戦で終盤」ちゅう展開になりがち、ではある。 で、「接戦で終盤」だと。結局勝率5割なので、8勝前後でフィニッシュ、ドラフト順位は20位前後という、例のよって例の如くのコースである。んで、その20位前後の1巡でギャロッポロ指名すんじゃねーだろーなー。既視感あり過ぎなんだよ。デジャブ―なんだよ。無限ループものかよ。のび太の大魔境かよ。過去の自分たちを助けに行かなきゃいけねーのかよ。 つー訳で、8勝前後の結果が先取り約束されている今季のコルツであるが、現地の放送でも、ちょいと触れていたが、今季のコルツの日程は、ちと奇妙。お気づきの方も多いと思うが、地区内対決全6戦中5戦が、この時点で終了してしまっているのである。あとは、最終週のテキサンズ戦のみ。しかも、このテキサンズは開幕戦の相手という。また、引き分けるのか。 例年、この手のスケジューリングは、地区内対決を、なるべく終盤に残して、スリリングにするものなのであるが、今季は新機軸。まさかの前半戦で、ほぼ終了。これはこれで、新しいスリルを生むのかもしれん。終盤に集中する他カンファレンスとの一連のゲームが新たなドラマを生むのか。まあでも、8勝コースだしなあ〜。あと、バイウィークも第14週にあんだよなあ〜。これも意外なドラマを生むのか、否か。 と、NFLの地区割りの話が出たので、ついでという訳でもないが、前回に引き続き、プロ野球のプレイオフ制度の話をしたい。 前回は、プレイオフ制度反対論者への罵倒に終始した訳であるが、罵倒のみでは後味も悪いので、今回は建設的な話をしたいと思う。 所謂「クライマックスシリーズ」において、プレイオフ制度反対論者の気分を最も害している、釈然としないというのは、まあ要するに、「2位や3位のチームに優勝の権利があるのが気に喰わない」って事であろう。だが、プレイオフに進出できるのが「優勝チームのみ」にするという方法はある。すなわち、NFLを始め、アメリカのスポーツ界ではお馴染みのディビジョン制度、地区割り制度である。これだと、「優勝チームのみ」がプレイオフに参加出来る。 これを、日本のプロ野球も導入すればよいのである。日本人お得意の「いただき」である。 その日本のプロ野球における「地区の割り方」であるが、かつて誰かさんの唱えた「16チーム4地区制」というのも、私も太古の昔、構想ないし妄想していたことがある。優しい私は、ニュートンやライプニッツの如く、先取権を争うつもりはない。ただ、人と同じ事を提唱するるのも癪なので、ちょいと趣向を凝らしたい。 実際、全12チームの経営がアップアップの状態と言われている現状で、プロ野球に参加したいという企業なり大金持ちなりが、この不景気の日本に4名もいるとは考えにくいので、現行の12チームのまま、「地区割り」を再編したいと思う。再編すればよいと思う。 要するに、12チーム3地区制にするのである。そうして、各地区の優勝チームとワイルドカード1チームで日本シリーズ、というか「クライマックスシリーズ」を争うえばよい。これならば、プレイオフ制度反対論者も釈然とするであろう。 また、これでも、消化試合が多く発生するというのなら、各地区2位まで計6チームでの「クライマックスシリーズ」にすればよいであろう。 で、その「地区割り」であるが、こんなのは何でも良いのであるが、割とベタなのが、「北日本」、「中日本」、「南日本」の3地区制であろう。各チームは、例えば、「北日本」が日本ハム、楽天、ロッテ、巨人、「中日本」が西武、ヤクルト、DeNA、中日、「南日本」が阪神、オリックス、広島、ソフトバンク、である。 ちなみに、この「地区割り」の良いところは、「セントラル」、「パシフィック」という名称がそのまま残せるという点である。「中日本」は、まさしく「セントラル」であるし、「南日本」は「パシフィック」がイメージ通りであろう。 問題は「北日本」であるが、名前なんか何でも良いのであるが、例えば「オホーツク」とか「北の恋人」とかにしちゃえばいいんじゃない。ネーミングセンスゼロだな、俺。 つかまあ、厳密に云うと、つか、厳密に云わなくても、「南日本」の各チームが面しているのは、「パシフィック」では全然無くて、ほぼ「瀬戸内海」だけどな。あと、福岡は「日本海」。じゃあ、いいじゃん、「瀬戸内海地区」で。ないし、「瀬戸の花嫁地区」で。で、北日本を「パシフィック」に。 また、このような「地区割り」だと、巨人阪神戦みたいな所謂「伝統の一戦」が無くなる事を危惧する声もあろうが、そんなのは交流戦を増やすとか、全チーム総当たりにするとか、解決策はいくらでもある。些細な問題である。 大切なのは、「一地区を4チームぐらいにしておく」という事である。NFLに限らず、アメリカのスポーツ界においても、もともとは8チーム制ぐらいだったのが、6チームになり、4チームになり、と減少していったのは、これは明らかに「消化試合対策」である。一地区当たりのチーム数が多ければ多いほど、消化試合は増えるし、一地区当たりのチーム数が少なければ少ないほど、消化試合は減る。 私がJリーグを見ていて、バカらしいというか、何より改善すべきと思うのは、ココである。 全18チームもあるのに、「1リーグ」でやっているから、やたらに「消化試合」が多いのである。18チームもあったら、5地区とか6地区とかに分割して、それぞれの優勝チームでプレイオフを開催した方が絶対に盛り上がる。ワールドカップだって、各プールに分けてんだから、それと同じ事をすればよいのである。 現状だと、優勝争いと降格争いしか盛り上がらない。つか、降格争いが一番盛り上がっている始末である。しかも、「降格争い」というのは、J1で最もレベルの低いゲームという事である。そんなバカな話はあるだろうか。 私は、Jリーグはほとんど、というか、全く見ないので、もしかしたら実情は全然違うのかもしれないが、このフォーマットを見る限り、全18チーム中10チームぐらいは、シーズンのほとんどが消化試合であろう。「このゲームに勝てば、11位から8位に上がる」ゲームを喜ぶのは、異常なマニアだけであろう。ファンだって、ほとんど興味ないのではないだろうか。しかも、ドラフトもねーから、下位チームには何の楽しみもねーし。 「降格争いがあるという事は、消化試合は一つもない」と言う事も出来るかもしれないが、最下位争いなんてねえ〜。 もっとも、「降格争い」が盛り上がってるというのは、そういった意味では、「消化試合は無い」のかもしれない。 では、何故に、私が、こんなに「消化試合の減少」にこだわるかというと、それがスポーツ・エンターテインメントの生命線だと考えているからである。 「消化試合の減少」、すなわち「意味のある試合を多く作る」というのは、スポーツ・エンターテインメントの肝だと思うのである。 これは、スポーツ・エンターテインメントに限らず、あらゆるエンターテインメントでも同様である。 例えば、映画やマンガの作劇で重要な事は色々あるけれど、そのうちのひとつに、「登場人物、とりわけ主人公の動機を、より明確に、より強力にする」というのがある。 主人公や登場人物が何をしているのか、何が目的なのかが分からないと、読者や視聴者は、その物語を読む気持ちや見る気持ちを失ってしまうのである。所謂「共感できない」である。 そうして、その目的や動機は、出来るだけ明確、出来るだけ強い方が良い。要するに、「単純かつ強力な動機」である。「近くのスーパーマーケットで、そこそこ安い辛子明太子を見つける」なんていうのは、「単純かつ強力な動機」にはならない。「共感できない」、すなわち「読者や視聴者の興味を引かない」のである。 「主人公や登場人物の動機や目的」は、「ドラゴンボールを見つける」とか「宇宙一強くなる」とか「海賊王になる」でなければならない。「勝利」なんていうのは、その最たるものであろう。 まあ、勿論、「読者や視聴者の興味を引く」ためには、「主人公や登場人物の強力かつ単純な動機」だけではないだろう。他にベタなところでは「謎解き」がある。推理小説は、その最たるものであろう。世界中のエンターテインメントの大半が「バトルもの」か「推理もの」であるのは、これが理由である。昨今大流行の「伏線回収」も、この口である。 また、テレビ番組で最も簡単に数字を取れるのが、所謂「クイズ番組」であるというのは、「クイズ番組」には「謎解き」と「勝利」という二大娯楽要素が完備されているからである。 まあ、勿論、「謎解き」や「勝利」ばかりが「読者や視聴者の興味を引く」ものではないし、優れた作家や読者ほど、そういったものとは無縁であろう。かつて、三島由紀夫が「優れた小説というのは、読み終わった後に、ひとつの、あるいは複数の『謎』が残る。ところが、推理小説というのは、最初に『謎』が提示され、読み終わった時には、きれいさっぱり『謎』が解けてしまう。そんなバカな話があるだろうか。それが私の推理小説を読まない理由である。」と語っていたが、それは全くその通りである。 また、「あしたのジョー」では、主人公の矢吹丈が、大事な試合ではことごとく負けてしまうが、それでも高い人気を誇っていたというのは、ちばてつやが、あるいは高森朝雄が、いかに優れた作家だったかという事の証左であろう。明訓高校が負けた途端、人気のガタ落ちした「ドカベン」や、キン肉マンがカメハメに負けた途端、人気のガタ落ちした「キン肉マン」とは、対照的である。 まあまあ、そういった芸術作品の優劣はともかくとして、エンターテインメントにおいて、「主人公や登場人物の単純かつ強力な動機」というのが、「読者や視聴者の興味を引く」ためには、非常に重要というのは間違いない事であろう。 そうして、それはスポーツ・エンターテインメントにおいても同様であろう。というか、それが、ほぼ全てである。すなわち「勝利」である。また、スポーツの世界に「友情」があるかどうかはともかくとして、「勝利」のために「努力」はするであろう。すなわち、あのジャンプ漫画の三大理念のうちの二つ「勝利」と「努力」を、スポーツはあらかじめ完備しているのである。これが、スポーツの、エンターテインメントとしての、骨格であり、全てであろう。まあ、ごく稀に、「努力」無しで、「勝利」する奴もいるのはいるけれど。 ちなみに、ジャンプ漫画の三大理念のうちの残りのひとつ「友情」の目的は何かというと、それは「勝利」の「理由付け」、「根拠」、あるいは「言い訳」である。かつては、それは主に「正義」の役割だったけれども、ご存知のとおり、「正義」は色々とややこしい問題を含むので、「友情」がそれに打って変わったという訳である。「友情」のために、「努力」をして、「勝利」するのが、ジャンプ漫画である。愛する友のまなざしが、倒れるたび傷つくたび、俺を強くする〜。 ジャンプ漫画三大理念はともかくとして、、その「勝利」をより強力にしたものが、「優勝」である。したがって、スポーツ・エンターテインメントにおいては、「優勝」を、より増やす必要がある。ボクシングの世界で、たくさんの「チャンピオン」があるのは、勿論「技術的」な理由もあろうが、もうひとつは、この理由、すなわち「興業的」な理由である。 ちなみに、ボクシングの世界で、およそ5kg刻みで「チャンピオン」のある事に、疑問を持つ人も多いであろうが、ボクシング経験者に聞くと、5kgの差は大きいらしい。体重60kgのパンチと体重65kgのパンチは全然違うらしい。 つー訳で、そういう「技術的」な理由もあろうが、「チャンピオン」の多いのは、当然「興業的」な理由もある。 かつて、ナンシー関が、ミニマム級だかモスキート級だかのボクシングを観戦した際に、「このリングの上にいる3人の男性の中で、大変申し訳ないけど、最も強そうに見えるのは、真ん中の蝶ネクタイを付けている人である。勿論、そんな事は無いんだけどさ。」と述べているのは、「チャンピオン」濫造の弊害である。リアルであるが故に、リアリティを失うという稀有な例ではある。稀有でもないのかな。 つか、今調べたら、もう5kgじゃないのね。3kgなのね。3kgって。主婦のダイエットじゃないんだから。 また、プロレスの世界においても、「チャンピオン」を濫造しているけれども、さすがに3kg刻みという訳にもいかず、「興業的」に苦しんでいる。 で、「アングル」の登場となる訳である。 という訳で、「勝利」という非常に強力な「読者や視聴者の興味を引く」ものを常設しているスポーツ・エンターテインメントの世界にあっても、その「勝利」をより強化する必要はあるのである。「消化試合の減少」は、そのひとつ、それも大きなひとつであろう。 前回、「私はプレイオフ制度はどっちでもいい派」と書いたけれども、プリオフ制度は、こういった意味で、スポーツ・エンターテインメントにおいては非常に重要なのである。それは、あのバカ丸出しの「プレイオフ興業派」の唱える試合数の増加による増収という意味ではなく、レギュラーシーズンの価値を高める為に非常に重要なのである。 まあ、私は、プロ野球のオーナーや選手の収入には無関心なので、だから「どっちでもいい派」なのだけど。 ちなみに、その「勝利」が、何故に「読者や視聴者の興味を引く」のかという、謂わば根本的な問題、すなわち「何故に、フィクションの勝利を、あたかも自分の勝利のように、人は感じる事が出来るのか。」という問題もあるにはあるが、それは、また別の話。何故、俺はエロビデオを見て、勃起してしまうのか、あまつさえ射精してしまうのか。 また、ちなみに、プロレスの世界では所謂「アングル」が必要になってくるみたいな事を先に書いたけれども、プロ野球の世界でも、追いつめられると、「アングル」を採用する。金田や野村の「遺恨試合」である。まあ、パ・リーグの選手はどうしてもね。 野村なんか、効き過ぎちゃって、「俺は長嶋と仲悪くなかったのに、最近はスゴク嫌われちゃったよ。昔は、名球会でも席が隣だから、仲良くしてたんだけどなあ。同級生だしさ。」って、ボヤいてた。 最近の若い人には、にわかに信じ難いかもしれないが、90年代のヤクルト対巨人戦というのは、ただのレギュラーシーズンのゲームでも視聴率30%台を連発してた。夏の神宮での3連戦を、フジテレビが「ナイター祭り」と称して、煽りに煽ってたしね。 原のバット投げとか、古田のサヨナラ逆転スリーランとか、9回裏の池山広沢の連続ホームランでの同点とか、村田のよろめきとか、堀内のビリビリとかも、「ナイター祭り」では無かったかもしれんが、一連の巨人ヤクルト戦の話である。あと、荒井ポカリもね。 誰か、巨人の選手だったかな、そのホームランが出た際に、近所から「ヤッターーー。」って声が聞こえてきたくらい。それも一度や二度じゃない。勿論、それぞれ別の家からだよ。 藤田監督時代もあったけど、やはり長嶋対野村だよね。何から何まで対照的な人生&人物なのに、同級生。しかも、率いるチームも、何から何まで対照的。ほとんどのポジションで巨人が有利なのに、唯一勝てないところがキャッチャー古田。しかも、ここでのみ差を付けられて負けるという。 んで、かたやFA野球、かたや再生工場。ちなみに、小早川の例の3連発も、ほとんどの人が忘れてっけど、あれは清原の巨人移籍元年だからね。多くの人が、清原の巨人第1号を期待した開幕戦で、同じPL学園で、同じ移籍組だけど、先輩の小早川が3発打つというドンデン返し。そりゃ見ちゃうよね。 こんくらいの「アングル」作らんと。ねえ、TNFのディレクターさん。 そう云えば、日本シリーズ。切羽詰まってますねえ。両チームのファンの皆様は不安と緊張の日々かな。でも、これがスポーツファンの最大の醍醐味ですよねえ。なかなか、他の趣味では味わえないと思う。この不安と緊張を、自分自身の力では、どーにも出来ない感じ。 たかぁっちゃんはマクガフと心中しちゃうんですかねえ。日本シリーズでは無敗を誇ったリリーフエースが、リリーフエースの失敗に泣くとは、これがスポーツですなあ。 まあ、なんつーか、マクガフはパワーピッチャーなんだけど、そのパワーが無い、あるいは不足しているという感じだよね。でも、今更、ピッチングスタイルは変えられないという。高目の速球が生命線なんだろうけど、そこに力が無い、あるいは指に引っかからないと、あっさり打たれちゃう。 さて、どうなりますやら。最後は村上が爆発するのかな。日本シリーズ初の1試合3ホーマーとか。いや、調べてないけど。まあ、でも、たかぁっちゃんには、最後の切り札「絶対大丈夫」があるからな〜。 あっ、そう云えば、私が楽しみにしていた村上vs山本は、あっさり2打席で終了。1四球1凡打だったかな。トホホ。 2022/10/30(日) |