インディアナポリス研究会コルツ部

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2021シーズン

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WildCard
Playoffs
雑感  ちょいとと云うか、かなり遅れてしまったが、ワイルドカードプレイオフの感想をば。

 例によって例の如く、がっつり見ている訳ではなく、夢うたたでの観戦なので、細かく突っ込まないよーに。

 まずは何と言っても、チャージャーズ対ジャガーズ戦。0−27からの逆転勝ちであろう。

 まあ、今季のコルツ対バイキングス戦でも語ったけど、この手の30点差くらいのリードからの逃げ切りって、意外に難しいんだよね。かえって、前半終了時20点差ぐらいの方が、逃げ切り易いかもしれん。

 このゲームは、一応前半終了時は7−27だったので、前半終了時20点差とも云えなくはないが、前半最終盤では0−27になっていたから、まあ、前半終了時30点差にカテゴライズしても良いかもしれん。

 そのへんのカテゴライズはともかくとして、30点前後の逃げ切りはホント難しい。まあ、勿論、50点差ついちゃいえば、さすがに楽勝ではあろう。後半全てニーダウンでも逃げ切れると思う。

 でも、30点差だと、全てニーダウンという訳には行けないし、無理して得点を狙ってターンオーバーもまずいしで、ほんとサジ加減の難しい点差だと思う。OCやQBは無論の事、DCにとっても難しい点差だろう。まあ、このへんのリスク管理がフットボールの醍醐味だとも云えるし、全てのスポーツ、あるいは人間の全判断にも通じる事であろう。我々の人生っていうのは、つまるところリスク管理だとも云える。

 また、この手のゲームの放送となると、決まって、例のライクのゲームやラックのゲームが参照されるが、30点前後のリードって、かえって、そのままリードを保って逃げ切る事の方が少ないように思う。逆転負けまで行かなくとも、接戦に持ち込まれて、あわやというゲームの方が多いのではないだろうか。まあ、統計を取った訳ではないので、あくまで私の印象、おぼろげな記憶だけれども。

 んで、この試合を決めたのが、パターソンの36ヤードFG。しかも28−30残り3秒から。所謂、ちゅうか私が勝手に名付けている「ノーウッド・ノーグッド・シチュエーション」である。「決めれば勝ち、外せば負け」シチュエーションである。

 これがあるから、キッカーって仕事は嫌だよね〜。私が絶対やりたくない仕事のひとつである。ちなみに、私がこの「ノーウッド・ノーグッド・シチュエーション」に立たされたら、失神してしまう、卒倒してしまふ。

 でも、それをパターソンがきっちり決めて、ジャガーズはディビジョナル・プレイオフ進出。ジャガーズ関係者&ジャガーズファンにとっては夢のような2ヶ月間だったよね。これを書いている今ちょうど、チーフスと戦っている。10−17。夢は続くか。

 でも、ダグ・ペダーソンは偉いよね。開幕時の状況からすると、ほんと夢のようである。2017シーズンのイーグルスの優勝って、フロントの勝利のように私は捉えていたけど、ペダーソンも偉かったのね。おみそれしやした。

 次はレイブンズ対ベンガルズ戦。

 このゲームはやっぱアレだよね。ゴール前1ヤードのスニークからのファンブルリカバー・タッチダウン。そうして、それがそのまま決勝点。これがあるから、フットボールは辞められない止まらない。そうして怖い。

 天国から地獄って、まさしくこの事。でも、これって、フットボール特有だよね。他のスポーツには、まず無いシーンだと思う。

 例えば、野球だったら、ノーアウト満塁みたいな大ピンチを無失点で凌ぐ事はあっても、そこから得点する事は絶対に無い。

 また、サッカーの場合でも、自陣ゴール前からボール奪ってカウンター、ってシーンは多々あるけれども、それがそのまま得点につながる事はまず無い。キーパーもいるしね。得点するにしても一悶着はあるだろう。フットボールほど無抵抗って事、一瞬にして天国から地獄って事はない。

 また、バスケットボールの場合は、リバウンドから速攻というシーンは多々あるけれど、そもそもそういうスポーツであるし、それがそのままスキームになっている所謂「ラン&ガン」というスタイルもあるくらいなので、特別感はないし、天国から地獄でもない。

 強いて云えば、ラグビーには似たようなシーン、「天国から地獄」感もあるかもしれないが、ただ、フットボール程頻度は多くないかもしれん。「特別」というよりは「珍しい」プレイになってしまうのかもしれん。ある程度攻めてても、フルバックぐらいは残すしね。

 ちゅうようなフットボール特有のシーンが飛び出した、このゲームであるが、偉いのは、それがそのまま決勝点になった事であろう。第4クォーター残り12分くらいのプレイ、しかも17−24、すなわち1ポゼッション差であるから、そこをキッチリ逃げ切ったというのは、それはそのままベンガルズの実力だと思う。AFCの本命かな。

 そのベンガルズの中心、ジョー・バロウは、昨季のスーパーボウルの記事にも書いたけど、さすがのクールっぷり。ジョー・クールは何人かいたけど、モンタナの正統な後継者は、このジョー・バロウだと思う。

 その他のゲームの感想は割愛するが、これでベスト8が出揃った訳である。AFC4チームのQBは、いずれもドラフト1巡上位。一方、NFCはジャイアンツのみが1巡上位。でも、他の3人もオリジナル。昨今流行のFAQBは無し。でも、私はFAQB派なんだよね〜。その理由は何度か書いているが、またドラフトの時にでも。

 で、NFCは東の3チームが、そのままNFC4強入り。ちょっと前まで、弱小地区じゃなかったんか〜い。なんか数年前、シーズン終盤で「NFC東に移籍したい〜〜」って言ってた記憶あるど〜〜。それから、数年でこの有様か。恐いな〜、NFLって。恐いな〜、サラリーキャップ制度って。

 んで、我らがコルツは、そのNFC東の4チームにきっちり4戦全敗。何ならNFCに5戦全敗。貢献してま〜す。ボンクラっぷり発揮してます。

 あと、バッカニアーズ、つかブレイディがあっさり敗退しましたな。スキルポジションを中心にトシ取り過ぎ。解体必至かな。

 で、ブレイディ様の去就が取り出さされているが、来てみろや〜〜、コルツに。歓迎するで〜〜。最後は、コルトとしてキャリアを全うするのも悪くはなかろう。もう、わだかまりねーし。青いヘルメットのブレイディも見てみたい。

                               2023/1/22(日)
Divisional
Playoffs
雑感  このサイトを始めて、もう15年以上経過しているが、未だに「Divisional」のつづりを間違える。油断してっと、「WildCard」を間違える時もある。もしもアメリカに生まれていたら、「国語」は赤点必至。

 前回に引き続き、プレイオフの感想をば。

 前回の記事で、「30点前後のリードって、かえって、そのままリードを保って逃げ切る事の方が少ないように思う。」って書いたら、早速その反証のゲームが発生。ジャイアンツ対イーグルス戦である。前半で28−0のリードから、イーグルスがそのまま逃げ切り勝利。現実はいちいち私に反抗してくる。

 で、「言い訳」めくが、あくまで「少ないように思う。」だからね。「逃げ切る事は絶対無い」とは書いていないからね。その少ない方が、今回いきなり現れた訳である。その「少なさ」が1:1000なのか3:100なのか2:8なのか4.5:5.5なのかは、自分でもよく分からんが。

 そのほか、もうちっと「言い訳」めいてみようと思う。世間一般では「言い訳無用」とか言って、「言い訳」は完全否定、それどころか道徳的にまで否定される事も多いが、私は存外「言い訳」に否定的ではない。訊いてみると、思わぬ発見もあるものである。「ちょっと言い訳してみ。」っていうのは、上司や指導者には必要な心掛けかと思われる。まあ、もっとも大概の「言い訳」は愚にもつかぬもの、屁理屈、嘆き節に過ぎないけれど。

 そんな訳で、私の「嘆き節」を聴いて下され。

 ジャイアンツが、折角、前半で28点もリードされながら、勝てなかったのは、第3クォーター中盤の攻撃で、バークリーが一発タッチダウンを奪えなかった事だと思う。そのランそのものは39ヤードのビッグゲインだったけれども、「全盛期」つうか「若い頃」つうか、要するに「ケガする前」であったら、カットなりスピンなり、あるいはスピードでチギるなりして、一発タッチダウンを奪っていたと思う。
 このシリーズそのものは、結果的にはタッチダウンを奪えているのだけれど、ここでバークリーが一発タッチダウンを奪っていたら、消費時間も少なく済んだし、気勢も上がったし、何よりイーグルスサイドが動揺していた事であろう。

 って、ウソです。完全に「屁理屈」です。多分、一発タッチダウンを奪ってもイーグルスが勝っていたと思う。単純に自力が上回っていた。28点差のリードを保って逃げ切るだけの力がイーグルスにはあった。

 その力の源は、何と言っても、「オフェンシブライン」であろう。優勝した頃のOLが戻ってきたと思う。メンツではなく、力量的な意味でね。

 その象徴が、第4クォーター中盤の8分近いドライブ、ランランランで押しまくったドライブであろう。このシリーズは、結果的にはFGで終わった訳だけど、FGの成否にかかわらず、この8分の消費がイーグルスの勝利を決定づけたと思う。「勝負あった」であった。

 イーグルスが優勝した時の記事、というか、それ以前からも似たような事は書いていたかもしれないが、まさしく「最強オフェンシブラインこそ、フットボールにおける最強の武器である」という訳である。28点リードでも、危なげなく勝てる訳である。最強オフェンシブラインは、あのベリチックですら攻略できなかった訳であるし。

 まあ、「最強オフェンシブラインこそ、フットボールにおける最強の武器である」と書いたけれども、それでも補えないのが、「ヘッポコレシーバー陣」である事は、ここ数年のコルツが完全に証明した。完璧なパスプロで、完璧なクォーターバッキングをしても、レシーバーがフリーになれなければ、それで終了、「最強オフェンシブライン」は宝の持ち腐れに終わる。

 でもまあ、イーグルスのフロントは、コスイというか、狡いというか、セコイというか、つまり優秀だよね。チーム編成が本当に上手い。用意周到である。私もNFL観戦歴が20年近くになるけれど、その間、短期的な低迷はあっても、中期的、あるいは長期的な低迷はない。すぐにプレイオフに戻って来るし、スーパーボウルにも出場&優勝してるし。

 現ロースターにしたって、もし、あん時のドラフトで、リーガ―ではなく、ジェファソンを指名していたら、ジェファソン、スミス、ブラウンの凶悪レシーバー陣が完成していた訳である。二人エースっていうレシーバー陣は、ブルース&ホルツやモス&ウェルカーみたいにたまにあるけれど、3人エースっていう布陣は、ちょっと記憶にない。
 まあ、エース級が3人いたらいたで、ゴタゴタ、刃傷沙汰は必至かもしれないけれど。

 でも、この優秀なイーグルス・フロント陣から、折角グリグソンを引っこ抜いたのに、パガーノの野郎が、いや、それは言うまい。言ってるけど。ライクが来てくれたのに、バラードの野郎が、……、以下同文。

 次は、ベンガルズ対ビルズ戦。

 まあ、天候だよね。晴天に恵まれれば、ビルズが勝ってたとまでは云わないけれど、あの天候を見た時、ビルズ関係者&ビルズファンは「あちゃ〜。」って感じになったんじゃないかな。プレイオフ中継冒頭のファックスボローの荒天に、目の前が真っ暗になった、あるいは頭がクラクラした「あの日」を私は思いだした。

 でも、毎度思うけど、「屋根つけりゃ、いいじゃん。」。特に、今回のビルズとかパッカーズとか、チームのプレイスタイル的に雨雪に弱いチームは、屋根つけりゃいいと思うんだけど。一選手に30億円ぐらい払う財力があるなら、屋根つけりゃいいと思う。大国アメリカなんだから、金銭的技術的に難しい訳でもあるまい。

 あと、「ぺ」の付くチーム、「ブ」の付くQB、「べ」の付くHCもな。一時は、私自ら付けてやろうかとも画策したが、もうそんな財力ねーよ。ビニール傘も買えねーよ。雨の日はずぶ濡れダッシュだよ。

 そんな私の財産事情はともかくとして、ビルズはこれで一段落となりますな。今年がラストチャンスだったので、これから生殺し状態が5年とか10年とか続く事になる。「全身に千本のツマ楊枝を刺されて、いてーわ、血は出るわ、だが、死なない。」みたいな状態である。まあ、ツキにツイて、優勝しちゃったりするかもしれんけどさ。

 これが1巡上位でQBを指名する事の怖さなんだよなあ〜。ベンガルズみたいにスーパーボウルまで届けばいいけど、カンファレンス決勝止まりじゃあ、微妙だよねえ。まあ、アリゾナやシカゴみたいな、もっと悲惨なチームもあるけどさ。

 でもまあ、ビルズファンにとっては、待望久しいフランチャイズQBだし、それで良しとするか。生殺しも、また愉し。

 あとまあ、こんな天候になると分かっていたら、ザック・モスを残しておいた方が良かったかもね。と、コルツファン的イヤミも言ってみたり。ビルズファンの皆様、ゴメンナサイ。

 一方、ベンガルズは、さすがのジョー・クールだよね〜。いや、天候に掛けた駄洒落じゃないよ。私自身の名誉のために、断っておきます。

 ハドルでさ、OCからの連絡を「ハイハイ、わーたわーた」って聞いている感じなんかは、まさしく「ジョー・クール」。んで、必要な事だけ選手に伝えて、余計な事は一切云わずに、「さあ、行こう。」。「ジョー・クール」だねえ。「過不足なく」の極み。
 ジョシュ・アレンなんか、「余計な事を怒鳴り散らして、大事な事を言い忘れている」みたいな感じだもんね。

 次は、カウボーイズ対ナイナーズ戦。

 このゲームの勝因ではないけれど、まずは何と言っても、ブロック・パーディ君について。

 前のゲームとこのゲーム、2試合じっくり見たけれど、「おっ!!」っていうところも無いが、気になるところも無い。強いて云えば、「背の低さ」と「投球モーションが若干大きい」ぐらいである。
 当然の事ながら、十分合格点のQBである。なんなら、「ブレイディ」が出てきた頃も、こんな感じではあった。ちょっと「頼りない」感じではあったけれど、あれよあれよとチームは勝っていって、気が付けば「GOAT」。まあ、ブレイディの方が、「体が大きい」、「QBとして理想的な体格」だったけれど。

 えっ、このまま行っちゃうの。ブレイディと入れ替わるように、パーディが登場してくんの。なんか、名前も似てるし。ブレイディtoパーディなの。199位を大きく上回っちゃうの。いや、下回るのか。

 断定はできかねるが、不気味ではある。

 あと、このゲームの見どころという訳でもないが、トピックスと云えば、ダラスのキッカー、マット・マーハーのXP外し。前の試合が1/5で、この試合も、いきなりブロックされてるという。芸が多彩だね。有名人モノマネのみならず、動物モノマネも出来るという。コロッケと猫八の奇跡の融合。

 んなぐらいかな。

 あと、プレスコットは、このへんが限界のような気がする。ダラスつうか、ジェリーさんはどーするんでしょ。

 あと、マリク・フッカーが、この試合も元気に出場しているのが、何気に、つうか、はっきり腹立つ。今シーズンは、レギュラーシーズン16試合&ポストシーズン2試合、元気に出場。ケガしろよ、バカ。

 んなぐらいかな。

 あっ、そうそう、あとジャガーズ対チーフス戦ね。このゲームは、あんま感想無し。ジャガーズの夢が終わったって事だけだね。

 まあ、ジャガーズはレシーバー陣を強化した方が良いのじゃないかな。ゼイ・ジョーンズもエヴァン・イングラムも悪くはないけど、オリジナルのチームではバスト扱いだったし。エースにするには力不足のように映った。

 んな感じか。

 で、恒例って訳でもないけど、優勝予想でもしてみっか。いやもう、4チームしか残ってないけどさ。

 本命は、やっぱりイーグルスかな。残り3チームに比べると、頭一つ、あるいは二つぐらい、力は抜けていると思う。対抗はベンガルズかな。この2チームのスーパーボウルになる公算が高いと思う。まあ勿論、審判の笛とか天候とかターンオーバーとかコントロールできない事象が発生すれば、あるいは思わぬ戦略戦術や秘密兵器が登場すれば、話は別だけど、単純な力比べなら、この両チームだと思う。

 あとまあ、プレイオフのゲームをいくつか見てきて、しみじみ思ったのは、「フットボールって、ディープパスが通るもんだねえ。」って事である。

 ディープパスが通らなきゃあ、フットボールじゃねぇ〜〜〜〜。

                                     2023/1/24(火)
Conference
Championships
雑感  何回か前の記事で、「1985年くらいから、テレビの主役が、子供からオバサンに変わった。」みたいな事を書いたけれども、そもそも、では何故、「1970年代から1985年くらいにかけて、テレビの主役が『子供』だった。」に関しては、その理由を説いていなかったので、ここで軽く触れたいと思う。

 この議論は多くの人の説いているところなので、「今更感」はぬぐえないが、論議の補足として付け加えておきたい。

 「1970年代から1985年くらいにかけて、テレビの主役が『子供』だった。」の理由は、その数が一つか二つかはともかくとして、いずれにしても理由は簡単である。

 要するに、単純に、「子供の数」が多かったからである。この頃子供だった人々、すなわち1970年前後に出生した人たちというのは、所謂「第2次ベビーブーマー」の世代であり、その前後の世代に比べ、人口が2倍ほど多い。
 最近の一世代あたりの出世数は、およそ100万人弱、あるいは80万人ほどまで落ち込んでいるかもしれないが、当時、すなわち「1970年前後に出生した人」は、おおよそ200万人前後いた。

 「第2次ベビーブーマー」、すなわち「団塊ジュニア」の定義は「1971年〜1974年の間に生まれた人たち」らしいが、そのへんの数字的な定義はともかく、この世代は、他の世代に比べて、およそ人口が2倍ほどある。すなわち、それだけで、単純に「市場規模が2倍」という訳である。

 そうして、もうひとつ、この世代「第2次ベビーブーマー」には際立った特徴がある。それこそ「第1次ベビーブーマー」との決定的な違いであろう。ちなみに、この「第1次ベビーブーマー」は「第2次ベビーブーマー」より、更に人口が多く、一世代250万人くらいいる。

 では、「第2次ベビーブーマー」の際立った特徴は何かというと、それは「親が、有り余るほど、金持ってる」世代だという事である。

 このへんが、「第1次ベビーブーマー」との決定的な相違点で、「第1次ベビーブーマー」世代の親も、ほにゃらら景気で「お金」は持ってはいたけれど、「有り余って」はいなかった。

 「買うもの」あるいは「買いたいもの」が、当時は沢山あったからである。所謂「三種の神器」、冷蔵庫や洗濯機を始め、カラーテレビや自動車等々、1970年ごろまでの日本には、「買いたいもの」が沢山あった。「持ち家」も、そのひとつ、というかゴールであろう。

 ところが、1980年代に入ると、当時の日本人に「買いたいもの」は、ほぼ無くなってしまっていた。で、当時の日本人は「海外旅行」とか「ブランドもの」とか「欲しくもない」モノを買い、それでも、「お金」は余っていた。

 これが、すなわち「バブル景気」である。可処分所得が有り余っていたのである。

 ちなみに、これは、あくまで私の印象だけれども、当時の40代の人達、まあ所謂「両親に子供二人の平均的な家庭」の世帯月収は、今では考えられないが、100万円近くあったのではないかと思う。
 だいたい、父親が平均的なサラリーマンでも、年収は800万円くらい、で、母親がパートとなり何なりで、ちょいと働いたら年収200万円、合計1000万近くいっていたのではないだろうか。それを月で割ると、80万円ほど、100万円弱である。

 ちなみに、私も、皆さん御想像の通り、この世代、「第2次ベビーブーマー」世代であるけれど、私の父親も、しょっぱい自営業ながら、当時月収100万円を得ていたと思う。90年代以降はしおしおだったけれども。

 という訳で、当時の大人たちは「可処分所得が有り余っている」人達、すなわち「使い切れない程お金を持っている人達」であった訳であるが、そういう人達がお金を何に使うかと云ったら、もうそれは二つしかない。「お金」と「子供」である。

 「お金」とはどういうことかというと、要するに「お金でお金を買う」のである。「100万円で120万円を買おうとする」のである。今では完全に死語になってしまっているけれど、当時は「財テク」なんて言葉が街中にあふれていた。

 ちなみに、こういう事象から考えても、所謂「ケインズ理論」、すなわち「財政投融資を増やすと、景気が良くなる」というのは間違えているというのが、よく分かる。
 「財政投融資」を増やしても、人は「お金」を使い切れず、結局、「お金」で「お金」を買おうとしてしまう。で、結果、「金融業者」だけが儲かってしまう。「ケインズ政策」というのは、つまるところ、税金を使って、「金融業者」を太らせているだけの政策である。

 まあ、勿論、「金融業者」は「投資」をしているのだから、広い意味で「景気を良くしている」とも云えなくはないが、その「投資」は、理論上、ほとんど失敗に終わる、というか「投資量と景気には、何の因果関係もない」のだから、最終的には「何らかの金融破綻」が発生し、「徳政令」あるいは「ニューディール政策」の出動という結果に終わる。

 こういう訳で、昨今流行の「経済を回す」なんていうのが、何の意味もない、内容空疎な言葉、概念である事が分かるし、ケインズやケインジアン達の言う事が間違っている事もよく分かる。
 まあ、もっとも、この「ケインズ政策」というのが、あらゆる人々、政治家にも資本家にも経営者にも労働者にも消費者にも大変「都合のいい」、「大歓迎すべき」政策ではある。そうして、そういう誰にとっても「都合のいい」「大歓迎すべき」政策というのは、政治というものの性質上、大概間違っているものである。誰もが歓迎するなら、「政治」は要らない。なんらかの「利害調整」をするのが、「政治」なのだから。誰もが、「大歓迎する」ような「政策」はない。「お腹がすいたら、ご飯を食べましょう」なんて「政策」はない。

 「ケインズ政策」というのは、要するに「金融業者のみを太らせる政策」である。

 「ケインズ政策」というか、ケインズの出鱈目っぷりはともかくとして、1980年代に「お金」の有り余った大人たちは、その「お金」で「お金」を買い、もうひとつ、その「お金」を「子供」に分け与えた。

 「教育費」は無論のこと、「お小遣い」「おもちゃ」「お菓子」等々。

 実際、当時の子供達は、私の経験上から言っても、その後、あるいは、それ以前の子供たちより、ずっと裕福だったと思う。

 私の子供の頃、「ゲーム&ウォッチ」、通称「ゲームウォッチ」が、一時流行ったけれども、たかだか数ヶ月間の流行だったにもかかわらず、アレを10個くらい持っている友人はザラにいた。アレは一個3000円〜5000円くらいするのである。私も、そんな裕福な家の子ではないけれど、それでも3個くらいは持っていた。それくらいをポンポン買える親が、当時はザラにいたのである。勿論、私の暮らしていた地域は、高級住宅街では全然無く、ごくごく平均的な郊外のベッドタウンである。

 ちなみに、この「ゲーム&ウォッチ」で儲けた任天堂は、その資金やノウハウで、あの「ファミリーコンピューター」の開発、販売に至るのである。
 ちなみにちなみに、この「ゲーム&ウォッチ」は、元々はサラリーマンの「暇つぶし用」に開発された商品であったが、当のサラリーマン達には全然売れず、当時の子供たちが、その面白さ新しさに気付き、世界的ヒット商品となっていったのである。

 もしも、当時の子供たちが、「ゲーム&ウォッチ」の面白さ新しさに気づかなかったら、また、当時の大人たちに、それを子供の買い与える財力が無かったら、後々の「ゲーム市場」は違っていたものになっていただろう。まあ、さすがに「ゲーム市場が生まれなかった」というのは言い過ぎかもしれんが、エポック社やセガの天下になっていたかもしれん。「ゲーム市場」は「アタリショック」の二の舞になっていたかもしれん。また、その遠い子孫である「スマートフォン」も、違った形になっていたかもしれん。

 まあ、そういう「不確定未来」の話はともかくとして、「第2次ベビーブーマー」世代は、今例に挙げた「ゲーム&ウォッチ」の性質を変えてしまうくらいの力を持った「強力な市場」だったのである。それは、もしかしたら、戦後どころか、日本の全歴史を通じても、「最強の市場」だったかもしれない。それを成立させる「人口」と「お金」が、この世代にはあった。

 この「市場」が最初に発見した、あるいは、この「市場」が最初に発見された商品は、おそらく「およげ!たいやきくん」であろう。こんな、何の変哲もない「みんなのうた」を大ヒット商品にしてしまうのが、この「第2次ベビーブーマー市場」の恐ろしさである。

 その後、この手の大ヒット商品、「第2次ベビーブーマー市場」の大ヒット商品は連綿と続いていく。「ピンクレディー」、「キャンディキャンディ」、「週刊少年ジャンプ」、「ガンプラ」、「プロレス」、「ファミコン」、「バンドブーム」、「スキーブーム」等々。そうして、90年代、彼等が長じるに及んでは、「スポーツカー」や「モーニング娘」、あと、大きな声では言えないが、「アダルトビデオ」。そのほか、色々あるかもしれない。NFLやNBAといった「海外スポーツ」も、そのひとつかもしれない。

 この手の商品がヒットしたのは、無論、商品自体に力も有ったろうが、何より「第2次ベビーブーマー市場」の強大な力であろう。金が集まれば、人が集まるし、結果、商品のクオリティも上がる。そのモデルケースが、先に例を挙げた「ゲーム&ウォッチ」であろう。
 また、1980年代くらいまでの「日本の家電」の評価の高いのは、これは「第1次ベビーブーマー市場」の力といって良いであろう。

 もちろn、「お金」が集まれば、優れた「文化」が生まれるかと云ったら、それはま、ちょっと違うかもしれないが、この「市場」は「子供の市場」であった。この特異性が、ちょっと世界史的にも例を見ない、強力な「文化」を発生させる「市場」になったとは云えると思う。「お金」×「子供」は「優れた文化」を生み出す。子供は天才であり、天才は子供である。

 実際、この70年代から80年代にかけての「子ども文化」が、日本文化史的に唯一といっていい、世界に圧倒的な影響を与える「文化」となる。「アニメ」や「漫画」は、その先兵かつ頂点であり、「テレビゲーム」や「プロレス」、「スポーツカー」といったものが世界に波及していく。「プラモデル」や「アダルトビデオ」なんかも、そのひとつであろう。いや、「アダルトビデオ」は「大人の文化」か。

 また、ちょっと意外なところでは、「ラーメン」なんかも、そのひとつだと思う。'80年代までの「ラーメン」というのは、「不味くもないけど、美味くもない」みたいな、「しょーもない」食べ物、所謂典型的なジャンクフードだった。だからこそ、「ラーメン大好き小池さん」みたいなギャグが成立したのである。「不味くもないけど、美味くもない」「しょーもない」食べ物を、「ウマイウマイ」といって食べているからこそ、ギャグになったのである。ところが、いまや、「ラーメン大好き○○さん」といっても、「あっ、俺も俺も」と同意されて、終わりであろう。

 その「ラーメン」が劇的に進歩したのは、'90年代以降である。それは、'80年代の子供たちが若者となり、「スポーツカー」同様、支えた文化のひとつであろう。

 日本文化史的に、これほど世界に波及した「文化」、そうして、それを生み出した「時代」は他にない。せいぜい「浮世絵」ぐらいか。これも、葛飾北斎という、正真正銘の「天才」がいたからであって、「浮世絵」自体に、たとえば「アニメや漫画」ほどの力があったかというと、微妙なところであろう。文明や文化に関しては、輸入専門だった日本が、ほとんど唯一輸出した文化、それが「70年代から80年代にかけての子ども文化」である。

 この当時に限らず、元来「子どもっぽい」、「マニエラ的」なのが日本文化の一大特徴であったが、それが製作者側、消費者側、ともに「子ども」であり、そこに「バブル景気」の大量資本が投入されたのが、この「70年代から80年代にかけての、世界に冠たる日本文化」というものなのだろう。ちなみに、いま世界で人気の「ラーメン」や「カレー」も、本来「子どもの食べ物」である。

 という訳で、この後々世界的な影響力を持つに至る「強力な市場」であった「70年代から80年代にかけての子供市場」を、当時のテレビ業界が見逃す訳もなく、結果、この時代の「テレビの主役」は「子ども」だった訳である。
 この時代のテレビ番組のいくつかが海外に輸出されていったのは、「アニメ」や「漫画」、「プロレス」、「アダルトビデオ」、「スポーツカー」等々と事情は同じい。当時の「子ども市場」に通用したものは、大概、どこの国どこの時代でも通用する。「世界的」「永続的」となる。「ジャンプ」の「勝利・友情・努力」なんていうのは、その象徴であろう。これは、時代や国を超えて、通用する理念なのである。

 「子ども」の批評眼というのは、それくらい正しく厳しく、故に、優れたものなのである。その「子どもの批評眼」に「お金」、すなわち「力」を与えた、世界史的に唯一の時代、それが「70年代から80年代にかけての日本」だったと思う。故に、その時代の「日本の文化」が、世界的にちやほやされているのである。

 この世代に属する私の手前味噌感もなくはないが、事実なのだから仕方ない。これほど世界的に普及した「文化」を生み出した時代が、それ以前にありますか、それ以後にありますか。まあ、「以後」に関しては、どうなるか分からんけどさ。

 勿論、これは、その時代に「子ども」だった我々が優れていたという訳では全然無く、ここまで述べたように、たまたまタイミング的に色々な諸条件が合致しただけの事である。誇る事では無い。むしろ感謝すべき事であろう。自分たちが子供の頃楽しんだ漫画やアニメ、ゲームといったものが、世界的なものになっていくという、あの不思議な感覚を味わえたのだから。俺たちは子供の頃から知ってたんだぜ。連載第1回から読んでいるんだぜ。

 実際、こういう事を書いていると、その時代を生きた子供として、それを誇っているように思われるかもしれない。しかし、私にはそんな気持ちは全然無い。むしろ、「世界に冠たる日本のアニメや漫画」なんつっているナショナリストどもを見ていると、胸がムカつくぐらいである。お前らの先輩たちだろう、「アニメや漫画」を軽蔑しきっていたのは。そうして、お前らの誇りたかった「日本文化」は世界から完全に無視されたよなあ。気軽に鞍替えするなっつの。

 そういった「ナショナリスト」どもはともかくとして、その時代に生きた子供として、今現在、私の心持ちにあるのは、「ナショナリスト」連中のような「誇らしい気持ち」では更々なく、先に述べたように、むしろ「不思議な感じ」である。「えっ、アレが。」といった感じである。

 冬の寒い日、「ドラゴンボール」の第1話が掲載された「ジャンプ」を友だちと回し読みした日を思い出す。私の感想は、今から考えると、ちょいと恥ずかしいが、「えっ、だいじょぶかコレ。」であった。「10週で打ちきりじゃねーの」と心配した。「まあ、ギャグは辛いから、ストーリー漫画にしたいと云うのは分かるが、今更『西遊記』ものって。『Dr.スランプ』、続けてた方がいいんじゃねーの。」。

 ちなみに、当時の子供たちは、私に限らず、「ジャンプシステム」ははっきり認識していた。調べた訳でもなければ、教えられた訳でもないけれど、そういうものがあるだろういうのは、うすうす感じていた、いや、はっきり認識していた。

 で、その「打ち切り」を心配した「ドラゴンボール」は、今や「世界ナンバー1の漫画」である。私の不明を恥じいるばかりである。

 この「ドラゴンボール」に限らず、当時の「ジャンプ漫画」のほとんど、そうして「ゲーム&ウォッチ」や「ファミリーコンピューター」、「スポーツカー」や「ラーメン」、そうして「アダルトビデオ」といった、私たちの愛したものが、いずれも「世界的」になっていったのは、「誇らしい」というよりは「不思議な」気持ちである。そうそう、世界に輸出された「テレビ番組」も、この当時のものである。

 自分たちの鑑識眼が正しかったという気持ちも無くは無いけれど、先に述べた通り、「子ども市場」に「大量の資本」が投入されると、「優れた文化」が出来上がるという事なのだろう。そうして、それは「世界」に広がっていく。ちょうど、水が高いところから低いところへと広がっていくように。

 ちなみに、この世代が、長じるに及んでどうなっていったかというと、この世代は「消費専門」で、「生産能力」は皆無、90年代以降の日本のていたらくの責任の全てとまではいかないけれど、この世代の「無生産性」、あるいは「ひきこもり性」、要するに「ボンクラっぷり」が90年代以降の日本のていたらくの一因であった事は違いあるまい。反省。今更手遅れだけど。

 つう訳で、ナショナリストの皆さんの誇る「日本のほにゃらら」なんていうのは、大概70年代80年代の遺産だから、それが底をついたら、もう誇るものは無くなるだろう。
 もっとも、アニメはともかく、漫画に関しては、「日本の漫画大好き〜〜」な外国人の想像する10倍位どころか100倍、いや1000倍くらいのストックが、日本にはあるけれど。

 ちなみに、ここまで「1970年代から1985年くらい」みたいな表記をしてきたけれど、これ要するに「昭和50年代」って事です。年号だと、時間感覚が分かりにくいかなあと思って、西暦表記にしてました。

 でも、「西暦導入以前」って、こういう事はどうしてたんだろ。凄く分かりにくいと思うのであるが。江戸時代なんて、年号がポンポン変わるのに。過去についての時間感覚、狂うよね。

 さて、本題のカンファレンス決勝である。

 まずは、NFCのイーグルス対ナイナーズ。こちらは、イーグルス御自慢の強力オフェンシブラインが、その暴力的な、あるいはビグザム的な(下手な比喩で、スマン。)力を発揮して、快勝。ナイナーズに付け入るスキを与えなかった。つか、プレイオフ2戦ともに完勝。盤石の態勢で、スーパーボウルに臨む事と相成った。

 まあでも、2017年もそうだったけど、イーグルスは強力OLの使い方が上手いね。ある時のカウボーイズやコルツのように、強力オフェンシブラインを擁しながらも、スーパーボウルに手の届かなかったチームとは違う。

 あと、パーディはこれで終わりなの。ブレイディ化計画、失敗か。

 あと、ジョシュ・ジョンソン。まだ、やってたんか〜〜い。

 で、今ちょっと調べたのであるが、ジョシュ・ジョンソンのキャリア、完全に暗記物になっとる。クイズ番組で使えるレベル。完璧に云える奴、アメリカにも一人もいないと思う。たぶん、ジョシュ・ジョンソンも間違える。暗記できてない。

 お次は、AFCのチーフス対ベンガルズ。

 こっちも、イーグルスと同様とまではいかなくとも、ベンガルズが割にイージーに勝つかなと私は予想していたのであったが、予想に反して、チーフスの勝利。

 細かな勝因敗因はあるかもしれないけれど、大雑把な勝因敗因としては、チーフスのレシーバー陣が、私の予想より活躍し、ベンガルズのレシーバー陣が、私の予想より活躍しなかった、である。チーフスのDB陣が、ベンガルズのレシーバー陣を良く抑えたとも云える。

 あとまあ、上っ面の勝因敗因としては、第4クォーター終盤での、ベンガルズサイドの「ファウル過多」という事になろう。ちょっとした審判の不手際もあったしね。

 でもまあ、これはしょうがないよね。こういう事があるのがフットボールなので、「なるべく接戦で終盤に持ち込まない」というのが、今季私が再三再四唱えてきた、「フットボールの原則的ゲームプラン」である。それを忠実に履行したのが、今プレイオフのイーグルスである。
 また、ある程度、力的に劣勢が予想される場合は、逆に「なるべく接戦で終盤に持ち込む」というのが、アンダードッグ側の「基本的ゲームプラン」となろう。

 チーフスがベンガルズとの力量差をどのように見ていたかは皆目分からないけれど、接戦で終盤に持ち込み、幸運が微笑んだのがチーフス側だったというのが、このゲームだとは云える。

 あとまあ、マスコミ的には話題になってたオサイーのアンネクサリー・ラフネスであるが、確かに、これが無ければ、かなり高い確率でオーバータイムであろうから、そういった意味では、「戦犯」だとは云える。

 ただまあ、オーバータイム入りしたからといって、ベンガルズが必ず勝てる訳でもないし、あのプレイそのものは不可抗力的なものだから、オサイーを責めるのは酷だと思う。

 つかまあ、あのサイドラインを過ぎての「アンネクサリー・ラフネス」っていうのは、ぶっちゃけ(表現がキムタク的で、スマン。)、ほとんど「不可抗力」だから、このオサイーに限らず、ガミガミいうのは酷だよねえ。サイドラインを超えた瞬間に、ボールキャリアーを「避ける」なんて、ほとんど不可能であろう。

 だから、「悪質なもの」だけファウルにすればよいって話になるけれど、「じゃ、悪質と非悪質の違いって。」という話になって、結局、ボールキャリアーと接触したプレイを、全て、機械的に、「アンネクサリー・ラフネス」とせざる得なくなる。

 もっとも、これはフットボールに限った話ではなく、ルールとか法律に関する「根本的な問題」、「本質的な齟齬」といって良いであろう。「必要悪」と云っては、言い過ぎであろうが。

 本来、人間の活動というのは、それぞれに状況が異なるのであるから、それぞれに判断すべきである。ところが、それだと、判断に迷うことが多いので、一律に判断する。それが法律であり、ルールである。

 先のオサイーの一件で云えば、あのプレイが本当に「不必要なラフプレー」であるのか、両者、そうして両チームの言い分を聴き、審判団が討議して、結論を出さねばならない。でも、なかなか結論を出すのは難しいので、「結論が出るまで、試合は無期限停止にしま〜す。」な〜んて言ってたら、それこそ試合にならない。で、便宜上、「触れたら、アンネクサリー・ラフネス」とせざる得なくなる。

 とまあ、冗談めいた例えにしたが、実際の裁判では、「法律」があるにも関わらず、手間暇かけて審判してるからね。軽犯罪はともかく、重大事件だと、10年は大袈裟にせよ、5年くらいかけて審議してるからね。
 ちなみに、理想的な法律は、諸条件を入力したら、有罪無罪、刑罰、量刑を即決できるような法律であろう。それこそ、コンピューターで結審して、誰も不満を持たないような法律である。

 また、法律やルールと似たようなものとして、「格言」がある。将棋や麻雀、野球やフットボール等々、いや、その他の世界においても、所謂「格言」は多い。そうして、「格言」というのは、「法律」同様、判断に迷う人のために、とりあえず、まあまあ確率の高い判断を下したものである。で、状況は、やっぱり、それぞれに異なるのだから、その判断は100%ではない。

 故に、賢い人ほど、「格言」には頼らないのである。藤井〇冠や若き日の羽生九段が、のべつ幕なし考えていたのは、それが理由である。局面ごとに、正解は異なるからである。名人に定石なし。ところが、賢くない人ほど、「居玉は避けよ」とか「二枚替えは歩とでもせよ」といった「格言」頼みの判断を下してしまう。んで、負けると、「格言は信用できない」、「誰も信用できない」。いや、「信用できない」のは、オメーの知能だよ。

 まあ、こんな感じかな、感想は。

 で、恒例って訳でもないけど、スーパーボウル予想は、ここまで述べてきたとおり、チーフス優勝、ウソウソ、イーグルス優勝です。

 まあ、あの強力オフェンシブラインを無力化するっていうのは、なかなかに難しいんじゃないかな。ベリチックですら、不可能だったし。イーグルスOLに蹂躙されるチーフスの姿が目に浮かぶ。

 まあ勿論、何らかの幸運に恵まれれば、チーフス勝利もあるかもしれんけど、ひとつふたつ程度のラッキーじゃあ、この差は覆らないような気がする。みっつよっつ、いや、いつつむっつくらいは必要かもしれん。やるか、審判団の買収。

 まあ勿論、そのような不正、もといラッキーに頼らなくとも、この差を覆すだけの、アッと驚くような戦術戦略を発明使用すれば、チーフスにも勝機はあるだろうが、それが浮かばないのがアンディ・リードだからなあ。ベリチックに思いつかないような戦略戦術をリードが発明使用するとは、とても思えん。まあ、一世一代、コーチ人生の総決算、集大成があるかもしれんけどさ。

 つう訳で、単純は力勝負なら、イーグルス有利、つうかイーグルス勝利と見ます。

 ちなみに、ベンガルズが出場していたら、思い切ってベンガルズ乗りにしていた。ハーツに若干の不安を感じるからである。このカンファレンス決勝でも、危なっかしいプレイが散見されたので、そこをベンガルズが衝けば、ベンガルズも面白いと思っていた。

 「いや、じゃあ、チーフスが衝いても、面白いんじゃないの」という異論もあろうが、チーフスだと、仮にそこを衝けたとしても、まだ逆転するに至らないと思う。それこそ、ひとつふたつのターンオーバーくらいじゃあ、まだまだイーグルス有利だろう。

 とまあ、なんだか随分チーフスの悪口を書いてしまったけれど、今回のスーパーボウル進出は、それだけで充分な偉業だと思う。というのも、私の知る限り、大型契約下にあるQBを擁して、スーパーボウルに進出したのは、このマホームズとチーフスだけだからである(ブレイディとペイトリオッツは除く。チッ。)。あと、マット・ライアンとファルコンズもあるにはあるか。

 ちなみに、マホームズの今季のキャップヒットを調べたら、4700万ドル近く、実にチームのおよそ21%である(ともに、スポトラック調べ)。良く出てきたな、それで。いま、「ブレイディとペイトリオッツは除く。」って書いたけれども、全盛期のブレイディでも、ここまでヒットしていなかったんじゃないだろうか。調べてないけど。

 さっき、「アッと驚くような戦術戦略を発明使用できないのが、アンディ・リード」みたいな事を書いたけど、これこそ「アッと驚くような戦術戦略」である。立派。素直に讃えたい。

 でも、4700万ドルって、凄い数字だよね。最初、数え間違いかと思って、何度も桁を確認しちゃった。

 日本円にして、60億円くらい。まあ、あくまで、今季のキャップヒットなんで、マホームズが、今季、どれくらいの収入を得ているのかは分からんし、興味も無いが、とにかくすごい数字。イメージが湧かない。この契約が締結された頃、「マホームズはベイスターズを買収できる」みたいな揶揄をしたけれど、そんな安物、買いたくないよね、マホームズは。こんなにお金持ってたら。
 大谷の今度の契約の予想金額が700億円とか報道されているけど、わけ分からん。

 しかも、会社経営者の、所謂「事業収入」じゃなくて、あくまで「給料」、「サラリー」だからね。払っている奴がいるという。多分、史上最高の「給料」なんだろうなあ。まあ、「給料」というよりは、「報酬」に近いのだろうけど。個人事業主の「報酬」か。ゴルゴ13みたいな感じ。スイス銀行の私の口座に20万ドル振り込んどけ、みたいな。

 でも、「年収60億円」って、あんまり大きすぎて、「大きさ」が分からない、イメージできない。身長5万メートルのウルトラマンみたいなもんである。いや、デカすぎだろっつの。富士山の10倍以上って。ここまでデカイと、もはや「巨人」という感じがしない。大昔、泉昌之に、そういうネタの漫画があったけど。

 あんまり「大きい」ものや、あんまり「小さい」ものは、人間の理解や認識を超える。コロナウイルスの事情と同じい。ほとんどの日本人、つうか世界中の多くの人々は、ウイルスの「小ささ」をイメージできなかった。

                    だんだん暖かくなってきました。2023/2/8(水)

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