インディアナポリス研究会コルツ部

歴史

2025シーズン

TOPページへ

コルツ部TOPへ

/2/3/4/5/6/7

Week1 第1週あれこれ  石破首相、辞任しちゃいましたね。2万円給付金はどうしてくれんじゃ〜〜〜い。でっかいプラモ、買っちゃったじゃないかよ〜〜〜。いや、買ってません。目先の笑いのために、ウソをついてしまいました。大変申し訳ございません。

 栗塚旭、死んじゃいましたね。享年88歳。ご冥福をお祈りいたします。

 って、栗塚旭、誰が知ってるじゃ〜〜い。栗塚旭なんて知ってるの、相当のじーさんばーさんだけだぞ。70歳以上じゃないと知らないんじゃないかな。って、今ちょっとウィキで調べたら、2000年代に「時代劇専門チャンネル」で一連の新撰組もの等々を放送した際にちょっとした栗塚旭ブームがあったそう。知らんかった。

 そうした懐古ブームはともかくとして、ある年齢層にだけ知名度の高い有名人っているよね。この栗塚旭のほかに、岡崎友紀とか。他にも探せばいろいろいるだろう。

 「じゃあ、お前は何で知ってるのか。」って。私は変態だからです。でも、栗塚旭の土方はともかく、島田順司の沖田総司にはぶっとんだよな。初めて知った時には、「あの『はぐれ刑事』のか。」。

 その島田順司はともかくとして、栗塚旭の方は、その後、派手な芸能活動はなかったみたい。「当たり役」を得た役者特有の難しさもあったと思う。で、岡崎友紀同様、ある特定の年代のみに有名な芸能人になってしまったみたい。

 まあ、そういう「売れる売れない」とは別に、芸能界というのは嫌な事も多い世界だろうから、そういう理由もあるのだろう。

 で、この栗塚旭や岡崎友紀のように、ある時期、非常に人気があったけれども、気が付くと消えていた芸能人って、沢山いるよね。

 そういう芸能人で、私がここ数年気になって仕方が無いのは、神津カンナ。私が子供の頃、それこそ10代の頃はやたらテレビに出ていた。で、その神津カンナをテレビで見るたびに、私の母親は毎度毎度「ブサイクな人だねえ。」って言ってた。私は別に嫌いなタイプの顔でもないし、ブスとも思ってなかったので、「そんなもんかなあ。」程度に思っていた。が、突如テレビから消えた。突如というより、気が付くと消えていた。

 好きでもないので何とも思わなかったが、というより「消えた」事にすら気が付かなかったが、数年前に、ふと気付いたのである。「あれ、神津カンナって、いつの間にか消えてたよな。」。爾来、神津カンナが気になってしょうがない。

 まあ、神津カンナの場合は「消えた」事が気になるというより、そもそも「テレビに出ていた」事の方が気になるタイプの芸能人ではあろう。無論、神津カンナが「テレビに出ていた」理由はたった一つ、「神津夫妻の娘だから」、それ以外にないのであるが、にしてもである。私の母のように「ブス」とまで断言はしないが、まあ10人並みのルックスである。歌手や役者、コメディエンヌでもない。何故、あんなに多用されていたのか、そうして突如消えたのか、謎ではある。どーでもいい謎だけど。本格的にどーでもいい謎だけど。この世は謎だらけである。

 また、神津カンナのように「一時期多用されていたけど、突如消えた芸能人」として、他に思いつくのは高見知佳。この人も、一時期沢山テレビに出ていて、突如、波が引くように消えた。

 もっとも、高見知佳の場合は、神津カンナと違って、「枠」の問題もあろう。高見知佳の「枠」は、「それなりに可愛いけど、スーパーアイドルって程でもないので、アシスタントや軽いお笑いをやらされる枠」である。その後は、相原勇、ちはる、ベッキーあたりが引きついたんじゃないかな。今の私はテレビの視聴習慣がないので、現在その「枠」を誰が担当しているのかは知らない。私がテレビの視聴習慣を失う頃は指原莉乃あたりが台頭してきていた。

 まあ、競争の激しい「枠」である。鈴木蘭々やさとう珠緒、ソニンちゃんは、この「枠」を狙って、玉砕、討ち死にした。渡辺満里奈は、またちょっと違うんだよね。あれは、かつて檀ふみが担当していた「枠」を引き継いだと思う。

 また、井森美幸や森口博子は全然違う。これは別格。こちらは、上記と違って、誰もが担当できる「枠」ではない。明らかに「才能」がいる。まさしく「タレント」である。

 あと、似たような「枠」と思われがちなのに「不思議ちゃん枠」があるが、これはガチモンだからね。戸川純や鳥居みゆきの「枠」だからね。そうして忘れちゃいけない、天才女優藤谷美和子。こういうガチモンの「枠」だから。素人は近づいちゃいけない。ここに安易に近づいて大火傷したのが千秋、山口もえ、小倉優子等々である。くわばらくわばら。

 とまあ、例のよって例の如く、思わぬところに話が逸れたが、栗塚旭さんのご冥福をお祈りいたします。

 って、今ちょっとウィキで調べたら、なんと高見知佳も2022年に他界してた。びっくり。享年60歳。ご冥福をお祈りいたします。

 つか、当サイトもすっかり訃報サイトと化してきたな。私もそういう齢になったという事で、ゆるしてけろ。


 さて、本題のNFL開幕である。

 例年だと、この第1週は、縁起物つう事で、開幕戦の木曜日ゲームをレポートしたりするのであるが、今季はDAL@PHI。

 いやもう、イーグルスのゲームなんて見たくねえ。飽き飽きしてんだよ、イーグルスには。チームにもゲームにも。

 と思ってたところ、なんか知らんが、現地土曜日のゲームをNFLがYouTubeで無料配信するという告知が公式サイトに。貧乏人の私は喰いついた。カエルのように喰いついた。

 しかも、そのカードはKCvsLAC@サンパウロ。

 今季の開幕時はダニエルズダニエルズ云ってる私であるが、そういえば、昨年のこの時期はハーボーハーボーゆってた。いや、すっかり忘れてたよ。ダニエルズ・インパクトにハーボーをすっかり忘れとった。

 つう訳で、ハーボー管見。

 昨年のハーボー、つうかチャージャーズの印象は、一口にいうと「武器不足」。「戦うための武器が大量に不足している」という印象であった。

 で、昨ドラフトでは、1巡22位でオマリオン・ハンプトンを指名した訳である。

 で、この試合はがっつりスターター。15キャリー、48ヤード。まあまあ微妙なスタートといったところであろう。

 その印象はというと、典型的なパワータイプのランナー。穴の無いところに突っ込んでいく感じ。身も蓋も無い言い方をすれば、もろパチェコ2世。

 勿論、1巡22位でパチェコ2世って事はあり得ないので、パスレシーブとかブリッツピックとか色々な能力があるのだろうが、この1試合を見た限りでは、単純なパワーランナーという印象しか私には無かった。もうちょいラインの動き、彼我の動きを見れるようにして欲しい。ハーボーもそう思っているんじゃないかな。

 また、パワーランナーとしても、「目指せ、デリック・ヘンリー」ではあろう。パチェコではない。断じてパチェコではない。

 まあ、このへんが1巡、それも1巡下位あたりでRBを指名する事の難しさだよね。このハンプトンがパチェコ2世かはともかくとして、このくらいの順位のRBって3日目、あるいはストリートにもいるちゃあいるんだよなあ。「遜色ない」とまでは云わないけど、似たようなスタッツを叩き出すRBは3日目やストリートにもいる。さすがに1巡上位、例えばセキオン・バークリー・クラスは3日目やストリートにはいないけどさ。1巡下位ぐらいだと、もういるんだよなあ。似たようなのが。

 なんつーか、クルマや電化製品を新品で買うか中古で買うかの逡巡に似てると思う。

 新品で買えば、その商品は当然壊れていないし、仮に壊れていても、保証期間内であったら、同等の新品と交換、ないしは無料で修理してもらえる。

 ところが、中古だと、当然壊れている可能性がある。尤も、最近は中古品でも、短いながらも保証期間があり、返品は可能である。ただし、あくまで返品である。お金が戻ってくるだけである。同等の商品が戻ってくる訳ではない。完全解決ではない。金銭的な損害は無いものの、欲しい商品は手元になく、返品の手間ヒマを患っただけである。
 そうして、短い保証期間を過ぎたら、その返品すら不可である。その後の故障は自腹である。新品より高くつく可能性すらある。

 そういったリスク故に新品より安い訳であるが、悩みどころであろう。悲喜こもごもであろう。私も泣いたり笑ったりした。

 この逡巡に1巡RB指名はよく似ている思う。これがWRやエッジラッシャーだと上物は事実上1巡に限られるので、この逡巡はない。迷いなく指名できる。ごく稀に、3日目やストリートに上物はいるけれど、あくまで「ごく稀」、まさしく「掘り出し物」である。見つけられたら、それはあくまで「ツイてた」というだけの話である。いわんやQBをや。

 そのほかだと、キーナン・アレンが帰ってきてましたね。こちらは比喩ではなく、本当に「帰ってきたキーナン・アレン」。まあ、さすがに全盛期の力は無いけど、心強い武器になるんじゃないかな。

 あと、マッコンキ−は、昨季に書いたと思うけど、いや書かなかったかな、やっぱり私好みの良い選手。さすがにエース級ではないけれど、2番手3番手としては非常に強力。ウェス・ウェルカーみたいになるんじゃないかな。帰ってきたウェス・ウェルカー。組ませるエースレシーバーが欲しい。

 それくらいかな、ハーボー、いやチャージャーズの感想は。あっ、そうそう、試合は21−27でチャージャーズの勝利です。

 そうそう、勝利といえば、奥さん、コルツが勝ちましたよ。マイアミに33−8で快勝で〜〜す。開幕戦連敗記録が11でストップですって。

 いや、全然気づかんかったわ、そんな負けてたんかい。つか、今のコルツに負けるなんて、マイアミ、ヤバくね。タゴバイオーラ、進退問題に発展か〜〜。

 さて、一方のコルツであるが、先発QBは既報通りダニエル・ジョーンズ君。22/29、272ヤード、1TD、2ラッシングタッチダウン(ゴール前のスニーク2発)。

 スタッツ的にはまずまずちゃあまずまずである。ただし、あくまでハイライト映像を見た限りでの私の印象になるが、儚げちゅうか危うげちゅうか、とてもプレイオフを勝ち上がれるQBには見えなかった。ジャイアンツが放出したのも「さもありなん」である。

 ちなみに、そのジャイアンツはワシントン・ダニエルズに6−21で余裕の完敗。先発QBは、まさかのラッセル・ウィルソン。

 しかし、ラッセル・ウィルソンがジャーニーマンになるとはねえ。まあまあ、いろんなことがあったんだろうけど、シアトルの英雄でしょう、レジェンドでしょう。そりゃないぜ。

 つか、コルツが獲得しろや〜〜〜。あのラック・ドラフトの同期だしさ〜〜。ダニエル君よりゃあ全然マシでしょう。

 んなことより、アンソニー・リチャードソン君。この出来のダニエル君以下って事なのかあ。いや、それもう終わりでしょう。終了でしょう。

 実際早速、トレードの噂も流れ始めているようであるが、6巡あたりとトレードしてもなあ。だったら、リリースした方がマシだわ。精神衛生上、全然マシ。気分がせいせいするわ。新車で買った車を友達に売ろうとしたら、「2000円」って査定されたようなもんだよ。「だったら、やるわ。いや、焼きそばパンでいいわ。」。

 一方、「帰ってきたショッキー」ことタイラー・ウォーレンのプロ第1戦は、7レシーブ、76ヤードと順調な滑り出し。

 こちらもハイライト映像を見た限りの判断であるが、もろショッキー、まさしく「帰ってきたショッキー」。バイオレンスなところといい、傍若無人なところといい、それでいて、ルート取りはマジメという、もろショッキー、「帰ってきたショッキー」。あとは腕にイーグルの刺青をするだけだ。ホークでも可。

 でも、このウォーレンの活躍はバラードの功績じゃないからな。1巡14位でのタイトエンド指名なんて、安全牌中の安全牌だからな。外す方が難しいくらい、つか不可能だからな。

 先に1巡でのRB指名を、私はクルマや電化製品を中古で買う事に喩えたけど、同じ比喩を用いるならば、TEは本やDVD、CDだからな。中古で買った方が絶対得な商品だからな。まあ勿論、本やDVD、CDでも、「破れてる」とか「音が聴こえない」等々のトラブルはあるかもしれないけど、それはあくまで稀、「ツイてない」だけの話だからな。

 本やDVD、CDを中古で買うリスクは、新品の発売日に買えないだけ、それを我慢、というか、それが気にならないなら、中古で買った方が絶対得だからな。

 ウォーレンの活躍成功はバラードの功績じゃねーぞ。釘刺しとく。

 まあその辺の損得勘定はともかくとして、ウォーレン加入は非常に大きかったと思う。今までのコルツオフェンスはテイラー様一本鎗状態だったけど、これでもう一つ武器が出来た。テイラー様にも相乗効果があると思う。この試合のMVPでもあろう。

 そのほかだと、昨季の超大物新人ライアツ・ラツ様がキャリア初インターセプト〜〜〜〜。

 ってバカ。お前どこ守らされてんだよ。超大物新人がゾーンブリッツさせられてどーすんだよ。完全に諦められてんじゃねーか。3番バッターにスクイズのサインが出るようなもんだよ。4番バッターが打席の時にホームスチールのサインが出てるようなもんだよ。

 あと16試合で10サック、ノルマだかんな。

 コルツ戦はそんくらいかな。そのほかだと、見逃せないのは、やっぱPIT@NYJ。34−32でスティーラーズの快勝〜〜(って程でもないか。)。

 スティーラーズのロジャースさんは、22/30、244ヤード、4TDsの大活躍〜〜〜〜。

 これ、俺がジェッツファンなら狂い死ぬな。いや、殺るな、ロジャースを。殺るしかない。八つ墓村のタ・タ・リじゃ〜〜。

 いや、なんかロジャースが好きなってきた。そのデビュー以来一貫して好きになれない、大嫌いなロジャースが、苦節21年初めて好きになってきた。その極悪非道ぶりが、残虐無頼ぶりが。

 んなとこか。

 今週最大のトピックスであろうBAL@BUFはパスで。もう飽きちゃた、このカード。

 でも、フットボールとNFLは楽しい。来季は、ドラフトガイドとイヤーブック、忘れず買おっと。

 インディアンス、あと1週間。大激戦中。

                         雨が猛暑を洗い流した。2025/9/14(日)
Week2 9月11日
WAS@GB
18−27
 ドジャース、揺れてますね。もう、あれだな、やって貰うしかないな、大谷に、「三刀流」を。ピッチャー、バッター、監督を兼ねた「三刀流」を。

 上記の記事で岡崎友紀や高見知佳に触れた。エッチな意味じゃないよ。

 そのついでという訳でもないけれど、何とはなしに彼女らを検索した。すると、出てくるんだな、彼女らの現在の画像が。あられもない現在の姿が。高見知佳は逝去しているので、最晩年、死の直前の画像ではあるが、当時の現在の画像が。

 まあ、キッッツいんだよな。はっきり言って、只のばーさん。往時の面影があるっちゃああるけれども、決して可愛くは無い。どこにでもいる、只のばーさん。

 インターネットの登場と普及により、こういう懐かし芸能人が、一種のファンサービスなのであろうが、ブログやインスタグラム等々で、近況という名の「現在の画像」を晒す。

 どうなんだろうかね。ファンは喜んでいるのかね。私は、正直言って、見たくはない。ご健在なのは何よりだけど、正直、見たくない画像というのもある。

 これがもし、「懐かしの芸能人」「引退同然の芸能人」ではなく、現役であったら、同じ60代70代でもまた違った「現在の画像」であろう。当人の気持ちの張りも違うだろうし、プロのスタイリストやメイクも付く。専用のライトもあるだろう。鈴木その子的な所謂「美魔女」である。

 でも、事実上引退している芸能人は、今の姿、現在の画像、老醜は晒さない方が良いと思う。芸能人というのはセルフイメージをコントロールする仕事なのだから、その辺は引退後もきっちりコントロールた方が良いと思う。。

 山口百恵なんかは、その辺きっちりしてるよね。20年くらい前、「現在の画像」を週刊誌に盗み撮りされたくらいである。ちなみに、それはホントに「只のおばさん」だった。まあ、山口百恵の場合は、元々がトビキリの美少女って訳でもないから、それは仕方ないか。

 原節子も、そのへんはきっちりしてた。一切、老醜は晒さなかった。でも、原節子クラスだと、岡崎友紀や山口百恵等とは違って、老醜は無いのかも。美魔女でなく、老婦人になっていそうではあった。

 男性だと、田村正和や山城新伍は一切老醜を晒さなかった。

 また、それと関連してという訳ではないけど、最近はYouTubeで、老醜ではなく、ブス、ブサイクを晒す人、ホント増えたよね。YouTubeが「公共」かは微妙かもしれないけど、公衆に晒してはいけない「顔」というのはある。確かにある。猥褻物陳列罪とまでは云わないけどさ、公開の最低限のレベルに達していない「顔」って、あるよね。

 かつて、ナンシー関が槇原敬之に対して、「歌や歌唱力の良し悪し以前の問題として、テレビで歌ってよい顔の歌手と、歌ってはいけない顔の芸能人というのがある。槇原、オマエは歌ってはいけない顔の歌手だ。」と指摘した、いや叱った事がある。酷い言葉ではあるし、槇原敬之がテレビで歌ってはいけない顔の芸能人かはともかくとして、確かにそういう顔、そういう判断基準はあるとは思う。上記の記事で書いた神津カンナなんていうのは、私の母にとっては「テレビに出てはいけない顔」であったのだろう。

 思いっきりルッキズムだけどな。でも仕方ないんだよ、テレビってルッキズムだから。芸能活動ってルッキズムだから。文化ってルッキズムだから。上下、高低、優劣、好悪がはっきりある世界だから。それが文化の特性だから。

 良い機会なので(って程でもないか、)、ここで「文明」と「文化」の定義をしておきたい。この二つの概念は似ているところがある故、日本のみならず、世界中で混乱混同されている。不肖わたくしめが両概念を明確に定義する。

 「文明」とは何か。

 「文明」とは、動物にはない、人間独自の一切の活動、そうしてその集合体である。具体的には、「火を使う」とか「衣服を着る」とか「車に乗る」とか「コンピューターを操る」とか「栽培をする」とか「商業をする」等々、人間活動の一切である。

 そうして勿論、この手のカテゴライズにはどうしても境界線問題が付き物である。この場合だと「家に住む」とか「言葉を使う」などがある。鳥や蜂などは、巣という「家」に近いものを作り、そこで暮らしている。また、イルカやサルなどは人間の言語ほど複雑ではないにせよ、音によるコミュニケーション活動をするは言われている。真偽は不明だけどな。

 こういった「境界線的なもの」はともかくとして、一般的に、人間独特の動物的ではない活動の一切を「文明」という。定義する。

 したがって、それに反する行為活動、例えば「真っ裸で暮らす」とか「生で食事をする」とか、更には「殺す」とか「盗む」等々は「非文明」的な活動、動物的な活動とみなされ、慣習や法律で禁止、制限されている。この手の行動をした人を、女性が「ケダモノ」と非難するのは、これを根拠にしている。動物的な行為、それは非文明的な行為、文明に反する行為である。

 では、「文化」とは何か。

 「文化」とは、そういった人間的な活動行為の一切のうち、人間の生活に直接的に役立たないものである。すなわち、それが無くとも生きるのに困らないものである。

 具体例を挙げると、最も分かり易いのが、当サイトの主題(?)でもあるスポーツ、あるいは先に触れた芸能活動、そのほか、絵画や音楽、あるいはプラモデルや囲碁将棋等々、探せばいくらでも見つかると思うが、そういった生きるのに直接役立たない活動行為の一切を「文化」という。定義される。

 なかでも、スポーツは最も分かり易いものであろう。程度にもよるが、多くのスポーツは健康に有害であるし、更には勝敗を付けることにより、人々に憎しみを生み出し、時には刃傷沙汰にまで発展までする。人間の生活に直接に役立たないどころか、有害ですらある。

 これをもっとも端的に表しているのが、「食事」であろう。「食事」というのは、普通に考えれば、人間の生命を維持するためのもの、それこそ人間の生活に直接に役立つものである。そうして、その「食事」をより快適、より有益にするために、農業牧畜をしたり、火に通したり、干物漬物等々で保存日持ちさせたりする。また、より効率的に栄養を摂取するための栄養学がある。これらは、まさしく「文明」であろう。

 ところが一方で、「美食」というものがある。食事をより美味くするための様々な工夫である。例えば、栄養学的には「ブタ肉を食う」という意味では大差ないであろうが、美食的には、「ロース」「カルビ」「バラ」等々に異なるといった類である。同様の事例はいくらでも、まさしくいくらでもあるだろう。そうして、その「美食」の一部は、いや多くかな、非健康的、非栄養学的、ときには有害、あるいは致死的なものすらある。全く以って「非文明的」、すなわち「文化」である。

 胃が「文明」を象徴し、口が「文化」を象徴しているといっても良いだろう。そうして、飢えが限界ギリギリに達すると、人は何でも美味しく食べてしまう。塩胡椒どころか、火すら通さない。これは何を象徴しているか。これは「自然」を象徴している。飢えに飢えた人間は、人間を殺して食べてしまう事すらある。まさしく、「自然」の猛威である。

 故に、「自然」は「文明」の対立概念であり、同じく「文明」の対立概念である「文化」に時に近づく。

 また、「文明」同様、「文化」にも境界線問題はある。例えば、「狩猟」である。これは、一般的には「人間の生活に直接的に役立つ」ので、「文明」にカテゴライズされるけれども、一方で、皆さんご承知の通り、スポーツ的趣味的な「狩猟」もある(断固禁止すべきである。)。それは、野蛮な行為として、「文明」に嫌悪される。「文化」が「自然」に近づく一例であろう。

 「狩猟」に近い趣味スポーツとして「釣り」があるけれども、こちらはその多くが所謂「キャッチ&リリース」などで、「文明」に嫌悪されない「文化」である。

 では何故、こうした「文化」、人間が生きていくのに、存在することに、直接役立たない「文化」が人の世にあるのか、「文化」を人間が必要としているのか。

 理由は簡単である。人間は、その人生の多くを「退屈との戦い」に費やしているからだ。一日の時間で考えると分かり易い。

 まず、一日の1/3、8時間くらいは「睡眠」に費やすであろう。また、他の1/3、8時間、あるいは10時間くらいは、生存のためのエネルギーを得る事、生活の資を得る事、ひらたく言えば「仕事」に費やすであろう。そうして、残りの1/3、8時間、あるいは6時間くらいかな、それが自由な時間、余暇、すなわち「退屈との戦い」に費やす時間である。

 この時間配分は、時代、民族、国家、身分、貧富等々により個人差はあるだろうが、現代に生きる、日本人のみならず、世界中の多くの人々の時間配分は、概ね上述のような感じだと思う。

 そうして、それはやっぱり、それぞれがそれぞれに対応している。すなわち、「睡眠」は「自然」であり、「仕事」は「文明」であり、「退屈との戦い」は「文化」であろう。そうしてやっぱり、「自然」と「文化」はここでも親和している。すなわち「夢」と「文化」の親和性である。

 また、「睡眠」は動物、自然の時間であり、「覚醒」は人間の時間とも云えるであろう。この手のメタファーでモノを語ると、思わぬ陥穽に嵌まる事もあるので、このへんで辞しとくか。

 また、「文明」、すなわち「仕事」の時間は、現代ではおおよそ8時間から10時間と私は規定したけれども、「文明」というのは、この時間を短くするのが一つの使命、目的でもある。
 かつては、15時間とか12時間働いていたであろう、また休日も少なかったであろう人類は、「文明」の力で、その時間を少しづつ短くしていき、今現在は週休2日制・1日8時間労働まで来た訳である。それだけが全てではないけれど、労働時間の短縮は「文明」の使命、目的目標である。全ての人間の労働からの解放、働かなくても良い世界。

 ただ、その「文明」の目的使命である労働時間の短縮に伴い増していくのが「退屈との戦い」、すなわち「文化」に費やす時間である。まあ、「睡眠」時間を増やすという方法も無くは無いが、限度はあろう。人はどうしても起きてしまう。ここでも、「自然」は猛威を振るう。

 で、その「退屈との戦い」のために人はさまざまな文化、実に様々なを開発してきた訳である。映画、スポーツ、音楽、文学、マンガ等々。

 人がどれだけ退屈を嫌うかについては、電車に乗れば一目瞭然である。皆、スマートフォンをいじっている。かつては、雑誌やウォークマン、携帯ゲーム機等々であった。たった10分20分の退屈さえ、人は嫌うのである。

 また、20年程前、テレビのドキュメンタリー番組で、中国のド田舎の話を放送してた。

 そこは中国の奥地の奥地みたいなとこなのであるが、そこに住む人たちも年に1度だけ(いや、2回だったかな。)、街に(ちいせえ街だけどさ。)買い物に行く。年に一度、政府が依頼する仕事があり、それをこなすついでに街で買い物をするらしい。

 で、その地にも遂に電気が通じるのであるが、その後の初めての買い物の時、何を買ったかというと、生活雑貨の他に冷蔵庫を買っていた。食料の保存は非常に重要だからであろう。「文明」的買い物である。

 そうして、次の買い物の時、何を買ったかというと、テレビなのである。これには私は驚いた。エアコンとか洗濯機とかいうような生活家電ではなく、テレビを買ったのである。「文化」的買い物である。そんな地球レベルの僻地に住んでいる人々でも、やはり「退屈との戦い」は重大な問題なのである。多くの「文明」より重視する問題なのである。

 ちなみに、何でそんな年一ペースで買っているかというと、勿論金銭上の理由もあるだろうが、それより何より、それらの電化製品を彼らは背負って、あるいは馬に乗せて、村に持ち帰らなければならないからである。しかも、山二つくらい越える。輸送上の理由から物理的に年一ペースなのである。

 故に、彼らの電化製品を購入する際の第一の基準は、性能や価格ではない。重さと大きさである。おおよそ30キロ以下で、尚且つ背負える大きさというのが、第一の判断基準なのである。それを超えると、背負って山二つを超えられないのである。

 二宮金次郎みたいにテレビや冷蔵庫を背負う。そうして山二つ超えるのだ。しかも、山奥になると道幅が30センチくらいの崖みたいなところを進んでいくので、人や馬が転落するらしい。崖の下を指さして、「ほら、あそこに去年落ちた馬の死体がある。」って撮影スタッフに教えていた。「いや、てめえら、引っ越ししろ。」って思ったね。

 ちょっと話は逸れたが、それくらい人間にとって、「退屈との戦い」、すなわち「娯楽」、すなわち「文化」は死活問題、上述の中国人にとっては、まさしくリアルに死活問題なのである。

 ちなみに、この世には、ごく少数ではあるが、「退屈との戦い」と無縁な人達もいる。その人生に「退屈」の無い人達である。電車でスマートフォンをいじらない人達である。その手の人たちについては、別の機会に詳述しよう。

 そうして、これは人間独特の特徴であって、動物には見られない。退屈に苦しむ昆虫や鳥、魚なんて見た事ない。彼らは常に食べ物を探すか配偶者を探すかしている。犬や猫といった哺乳類も、腹が満たされ眠くない時は、ただじっとしているのみである。退屈に苦しんでいる様子は無い。
 強いて挙げれば、チンパンジーやゴリラといった猿、霊長類は退屈に苦しむとまではいかないものの、退屈しのぎくらいはしているかもしれない。

 あと、子犬や子猫、子ザルといった、動物の子どもは退屈しのぎで遊んでいるかもしれない。「子ども」と「文化」の親和性はここにも見られる。

 あと、パンダね。これはもしかしたら遊んでいるかもしれん。退屈を凌いでいるかもしれん。いろんな意味で謎な動物ではある。

 このへんの境界線問題はともかくとして、「退屈との戦い」は優れて人間的な事象であり、そういった意味でも「文明」的な行為、その一部である「文化」的な行為であるといえよう。

 そうして、この「文化」、「文明」との対立点、相違点は色々あるが、そのうちのひとつは「価値の多様性」である。

 この稿のきっかけは、そもそもは岡崎友紀や高見知佳の老醜であった訳であるが、その彼女の老いた姿も人によって、とりわけファンによっては美しいと感じるかもしれない。いや、それは無いかな。少なくとも、嫌悪は感じないであろう。

 また、前回の記事で触れた神津カンナの相貌にしても、私の母は「ブサイク」一点張りであったけれども、前回も書いた通り、私はそこまで醜くは感じなかった。人によっては、「美しい」と感じるかもしれない。

 また、スポーツの勝ち負けにしたって、多くの人は「勝ちを喜ぶ」だろうけど、人によっては、本当にごく少数の人によっては「負けを喜ぶ」人もいるにはいる。「弱いからこそ、応援するんだ。好きなんだ。強くなってしまったから、ファンを辞めた」って奴である。

 先に私は、「文化ってルッキズムだから。上下、高低、優劣、好悪がはっきりある世界だから。それが文化の特性だから。」と書いたけれども、その「上下、高低、優劣、好悪」が人それぞれに異なるのも、また一つの文化の特性なのである。

 まあ勿論、おおよその傾向というものはある。大部分の人が好きなもの、大部分の人が嫌いなものはあろう。でも、それでも、価値観は人それぞれに異なるのだ。「絶対」、ではない。

 ところが「文明」は異なる。「文明」の価値は単一であり絶対である。すなわち、個々人の安心長命であり、人類の繁栄であろう。これに沿うものが「善」であり、これに逆らうものが「悪」である。

 故に、「文明」は、時に「文化」と対立し、「文化」を攻撃する。上記の価値に逆らうもの、反価値と対立し、攻撃、時に取り締まる。

 「ルッキズム」なんていうのは、そのひとつである。人の容貌の美醜を論じるなんていうのは、醜い人の安心を損ねるものであるから、それを「悪」と認定し、攻撃、破壊する。

 また、最近は「ポリコレ」、「ポリティカル・コレクトレス」なんていうのもある。「政治的正義」である。完全な同語反復、トートロジーである。なぜなら、政治は正義であり、正義は政治だからだ。「文明」の価値観は単一であり、絶対だからだ。「勝利・友情・努力」に「正義」が含まれていないのは、そういう意味でもある。

 更には、最近は「多様性の尊重」なんていう妙な政治標語まである。「多様性を尊重しろ」なんて命令してくる。命令こそ、何より多様性の否定であろう。何でもかんでも許してしまうのが、真の多様性であり、自由であるからだ。そこでは、当然、殺人、強姦、窃盗、全て一切が許される。まさしく、サドの世界である。「多様性の尊重」は政治の否定であり、「文明」の否定であろう。

 「ポリティカル・コレクトレス」「多様性の尊重」なんていうのは、まさしく全く以ってカントの定言命法である。

 実際、「ポリティカル・コレクトレス」というのは、元来は、そういう逆説めいた、皮肉めいた、自嘲めいた言葉であったらしい。自分たちが政治活動をすればするほど、自分たちが望む世界になればなるほど、そこは非政治的世界、非文明的な世界になるという皮肉、逆説である。先にちょいと書いたとおり、「文明」の目的は「文明」の消滅である。

 かくして、政治、すなわち「文明」の代表者である政治家と、「文化」の代表者である芸術家は鋭く対立する。政治家は芸術家の宿命のライバルであり、芸術家は政治家の宿命のライバルである。

 以前にもどこかで書いたが、小学館の標語「おもしろくて、ためになる」は、この関係を実に簡単に語った見事な名言だと思う。「おもしろい」は芸術家、文化の立場であり、「ためになる」は政治家、文明の立場である。
 そうして、「おもしろくて、ためになる」は、ホント難しいんだよねえ。おもしろくすればするほど、ためにならなくなるし、ためになればなるほど、おもしろくなくなる。

 また、かつて国会議員に立候補した石原慎太郎を、足穂が「政治家になろうとするなんて、そんなバカな芸術家がいるか」と喝破一喝したのは、全く以って正論である。

 もっとも、石原慎太郎なんていうのは、作家でもなければ芸術家でもなく、ただの雑誌ライター、それも三流雑誌ライターだったけどな。

 つかまあ、日本の作家なんていうのは、厳密に言えば文学者とは言えないだろう。太宰や三島でも、ぎりぎり雑誌ライターである。もっとも、こちらは、石原慎太郎とは違って、一流雑誌ライターだけどな。

 私の知る限り、日本で文学者といってよいのは、紀貫之と稲垣足穂のみである。西行や芭蕉もぎりぎり落ちるであろう。理由は省略。気が向いたらね。

 あとまあ、専門の(?)芸術家、詩人ではなかったけれども、文学者としての可能性があったのは高杉晋作だと思う。ああいう時代、ああいう家柄、すなわち、ああいう運命に生まれなければ、優れた文学者、詩人になっていたと思う。そういった意味では、その先蹤であろう曹操や織田信長によく似ている。本来、芸術家である彼らを運命が政治家にしたのだ。「文化」を担当するべき人間が「文明」を担当したところに、彼らの人生の悲劇、面白さ、栄光があったといえよう。

 あとまあ、芸術家が政治家を兼ねた例としては、蘇東坡とゲーテがいるが、彼らは良い意味でも悪い意味でも胡散臭い人達なので、ここで論評は避けたい。私の手に余る。

 王安石までいっちゃうと、勿論、詩人としても優れているけど、こちらはやはり政治家だよね。

 つかまあ、この芸術家と政治家という本来相反する人格を兼ねさせたところが、中国史の巨大な悲劇であったと思う。2000年前、あれほど優れた「文明」を誇った国、というか地域をこんなにも腐らせてしまった大きな要因、それは「文明」だったと思う。プラトンは正しい。

 とまあ、とりとめのない事を書いてきたけれども、とりとめが無いのはいつもの事なので、赦してね。

 さて、NFLである。今回のお題はワシントン・ダニエルズ。

 昨季終盤から、狂ったようにダニエルズダニエルズと唱えてきた私であるが、今季初観戦。試合は18−27でパッカーズに敗戦。残念。

 昨季のダニエルズ、というかコマンダーズは「ダニエルズとその他大勢」(ボビー・ワグナー、すまん。)みたいな印象だったので、昨オフはどんな補強をするのか楽しみに、そうして期待してた。

 で、ドラフトの1巡29位はOLのジョシュ・コーナリィ。

 私はスキルポジションに行くのかなと思っていたが、オフェンシブラインで来た。まあまあ、それも正解であろう。

 で、スキルポジションはFAでディーボ・サミュエル。

 そのほかはちょっと分からん。ドラフトガイドやイヤーブックが無いと、こういう時困る。

 OL強化はそれはそれで正しいであろう。だが、ディーボ君はエースってタイプでもない。本質的にはガジェットプレイヤーである。エースWR、エースRBは来オフに賭ける所存なのかな。

 んで、その強化したOLがこのゲームの敗因だったりする。ダニエルズは被サック4。つか、前試合の第1週も被サック3。で、その影響かは知らんが、次週第3週は早くも欠場決定。暗雲垂れ込めまくってます。

 しかも、大きな補強である1巡29位のコーナリィがRTに入っているんだけど、そこが穴。この試合の大きな敗因になってた。

 それがタレントの問題なのかコーチングの問題なのかは私には全く分からないけれども、要改善ポイントではある。ラックの二の舞は避けれ。

 その被サックに苦しんだダニエルズであったが、プレイ自体はさすがの出来。当たり前であるが、昨季がフロックでなかった事は完全に証明された。この試合でもパッカーズの関係者の「内容以上に点差が付いていないので、要注意」というレポートがあたけれども、それはひとえにダニエルズの力である。並のQR、例えばダニエル・ジョーンズ君なら、惨敗のゲームだったろう。とにかく、ラックの二の舞は避けれ。

 一方、パッカーズ側で話題にしなければならないのは、何と言っても、帰ってきたレジー・ホワイトことミカちゃんであろう。

 パッカーズは今季に全てを賭けてきた、オールインしてきた訳であるが、その心意気、私は大好きです。ガンガレ。

 スーパーボウルを狙うには、スキルポジションが弱い気もしなくは無いが、その心意気や由しである。ガンガレ。

 一方、そのミカちゃんを献上したダラスであるが、まあ、飛びつくよね。私も飛びつく。私も、その商品を棚に発見した瞬間、手を出した事が、人生で数回あるけれど(1ヶ月くらい前にもあった。テヘ。)、ジェリー・ジョーンズも今回はそんな調子だったろう。

 その内容は、

 パッカーズ:ミカ・パーソンズ
 カウボーイズ:ケニー・クラーク、2026の1巡、2027の1巡

 ケニー・クラークも何気にデカいかもしれんが、当然メインは1巡二つである。飛びついちゃうよね。ほおずりしちゃうよね。

 まあ勿論、パッカーズはスーパーボウルを狙う、あるいは狙いたいチームであろうから、普通に考えれば、この1巡は下位であろう。でも分からんよね、何があるか。ブレイディだって、ほぼ全休したんだからさ。ロジャースさんも4プレイ全休してたしね。何があるか分からんよね。1巡上位に化けても、全然おかしくは無い。しかも、チャンス(?)は2度ある訳だし。そりゃ飛びついちゃうよね。

 ジェリー・ジョーンズも1巡二つは考えてなかったろうなあ。1巡一つは当然だろうけど、プラスαと、その中で最も弱そうなチーム、負けそうなチームという事で考えていたと思う。そこで、1巡二つは飛びついちゃうよね。ほおずりしちゃうよね。


 そうして、今週のコルツコーナー〜〜〜〜。デンバーに29−28で逆転サヨナラ勝ちで〜〜す。

 転がってきたよ、勝ち星が、向こうから。向こうから勝ち星が転がってきたよ。これだけ、「ツイてる勝利」は、コルツファン歴20年で過去一かもしれん。他に思い浮かばん。

 このゲームは文字ライブで追いかけていたので(←バカ。今時そんな奴いるか。)、この幸運を私はリアルタイムで味わった、それも幸運。

 縁起物だし、その幸運を詳述しておこう。

 前半終了時で20−21で1点ビハインド。

 前半に限らず、この試合、というか、この2試合通じてであるが、テイラー様やウォーレンがボールを進めるものの、レッドゾーンに入るとジョーンズが無力、あまりに無力なのでFG止まり。んで、このゲームも前半終了時で2TD・2FGの20点。

 2TDのうち一つは、ジョーンズ唯一の武器である必殺スニークとテイラー様への7ヤードフラットパス。これはレッドゾーンからのTDパスではあるけれども、コールの当たり外れがすべてのプレイなので、ジョーンズの技術とは言えない。あんなのはコールさえ当たれば、私でも決められる。外れれば、インターセプト・リターンTDだけどな。

 もっとも、レッドゾーンで無力化するのは、ジョーンズに限った事ではなく、現今のほとんどのQBに云える。ここでTDパスを奪えるのはマホームズやダニエルズら10名くらいであろう。ジョシュ・アレンやストラウドも厳しいんじゃないかな。

 後半開始はデンバー・ボール、そこであっさりタッチダウン献上。20−28。正直、ここで私は「終わった」と思った。ある程度、敗戦は覚悟した。

 一方、コルツの攻撃は、前半同様、テイラー様とウォーレンがボールを進めるものの、レッドゾーンで糞詰まりのFG止まりを繰り返す。これ、おそらく今季のコルツオフェンスのディフォルト。

 他方、デンバーも油断からか、追加点が奪えず、運命の第4クォーターへ。スコアは23−28。

 開始時はコルツボールでちょろちょろボールを進めるものの、フィールド中央50ヤードで4th&2からギャンブル失敗。「何、普通のチームみたいなことしてんだよ、真摯にパント蹴れや。」と私はキレる。キレる老人。カスハラ老人。

 で、その返しのドライブを、デンバー、つかボー・ニックスは楽々進めて、インディ陣28ヤード3rd&3。「終わった」と思ったね。そこで、まさかのというか、さすがのというか、キャム・バイナム様がインターセプト。起死回生。

 先週の記事で書き忘れてたけど、先週もバイナム様は、さすがにやっぱりのインターセプトを決めておりやす。目指せ、シーズン17インターセプト。

 そのバイナム様、背番号は「0」。ちょいと前の記事で、「競技によらず、背番号0の名選手はいない」と私は書いたけれども、バイナム様には是非とも史上最高の背番号0になってもらいたいものである。とりあえず、目指せギルバート・アリーナス。いや、目指せ、ハリバートンか。

 で、そのバイナム様がインターセプトで奪ったボール、3つ目のプレイでテイラー様の68ヤードランが出た。ビックプレイが2つも出たら、大概、勢いだけでタッチダウンを奪えそうなものであるが、ジョーンズはやっぱりさっぱりのFG止まり。これしかない。この通常運転っぷり、凄みすら感じる。

 で、スコアは26−28。残り時間8:33。とりあえず1ポゼッション差。何とかしたい。

 でも、ボー・ニックスに余裕でボールを進められ、インディ陣24ヤードでFG。残り時間3:19。ここでFGを決められたら、タッチダウン能力皆無のジョーンズには絶望的な点差となる。でも、42ヤードFG。

 「さすがに決まっちゃうよなあ。」なんて思ってたら、ミス。あとで、ハイライト映像を見たら、信じらんないくらいシュートしてた。んで、右ポール直撃。助かった。

 で、返しのドライブ。インディ陣32ヤードから。残り時間3:15。結構、微妙な距離と時間。

 でも、さすがに「40ヤード以内には進んで、40ヤード前後のFGを祈る」みたいな展開かなと思っていたら、やっぱりさすがにのデンバー陣42ヤード止まり。残り時間0:03。FGを蹴るしかない。60ヤードFGキック。半笑いの私。

 で、当然のように外れるのであるが、ここでペナルティのコール。ドントレア・ティルマンのレバレッジ。ちなみに、プロフットボール・レファレンスではウワズリーケのペナルティとなっとる。どっち。

 で、そのファウルで15ヤード罰退。45ヤードFG。さすがに決まるよね。コルツのサヨナラ勝ちと相成りましたとさ。ちゃんちゃん。

 って、殺されんだろ。ティルマンかウワズリーケのどっちか。シャイニング的に殺されんだろ。

 いやこれ、スーパーボウルだったら大問題だろ。ティルマンかウワズリーケかどっちか分からんが、肉体的な生死はともかくとして、精神的な生死の問題にはなるだろ。

 60ヤードのサヨナラFG、それも逆転サヨナラFGなんて、ふつう決まらんだろ。これが30ヤードくらいだったら、イチかバチか、ペナルティ覚悟のブロックに行っても良いと思うが、60ヤード逆転サヨナラFGなんて、ほっといたって決まらんだろ。それで決められたら、「おぬし、なかなかやるのお。」(70年代少女漫画風)の世界である。

 それをペナルティしちゃって、15ヤード下がっちゃって、決勝サヨナラFG決められるなんて、スーパーボウルなら、肉体的はともかく、精神的な生死の問題だろ。

 ウィーク2で良かったね。いや、良くねーだろ。殺ってんな、デンバーファン。シャイニング的に殺ってんな。

 つーわけで、転がり込んできた美人妻、押しかけ女房、いや、転がり込んできた勝利の話でやんした。

 そのほかだと、ちょいと注目してたのは、「大学時代、ダニエルズよりも試合に出場していた男」ことボー・ニックス。あくまで、ハイライト映像を見た限りの印象だけど、「やっぱりというか、なかなかやるな。」とは思った。エルウェイ以来は大袈裟だけど、デンバー待望のフランチャイズQBだと思う。怖いのはケガだけだ。

 あ、あと、期待の超大型新人2年目のライアツ・ラツは、この試合、余裕の欠場。15試合で10サック、ノルマだかんな。

 テイラー様はプレイヤー・オブ・ザ・ウィーク。余裕。

 んなとこかな。あ、あと、来週は所用でお休みで〜〜す。更新は無いと思いま〜〜す。

 インディアンス死闘中。あと2試合。最終戦はスキーンズ様投入じゃ〜〜〜。

                               いきなり涼しくなった。2025/9/21(日)
Week3 ココココルツ
3連勝速報
 「鬼滅の刃」の映画が世界中でヒットしているそうですね。死にぞこないの老人が今更ジャンプ漫画について論評するのは野暮なので、それは避けますが、ひとつだけ。

 「鬼滅の刃」のタイトルロゴって、ちょっと珍しいと思う。ああいうゴシックと明朝を混ぜ合わせたロゴって、ありそでなかったと思う。作者本人の仕事か、他の専門家の仕事か、それは分からないけれども。

 ココココルツ、怒涛の3連勝〜〜〜。

 前回の記事で「来週は書かない」と書いてたけど、書いちゃいました。目先の快楽でウソをついてしまいました。

 スタッツとハイライト映像のみなので、それ以上の論評は避けますが、巨乳熟女オーナーも喜んでいる事でしょう。チチをも揉みたい。すかさず、セクハラ。老人は呼吸をするようにセクハラしてしまふ。ノーセクハラ、ノーライフ。

 テイラー様は余裕の3タッチダウン。今週もプレイヤー・オブ・ザ・ウィーク、いただき。

 たぶんにツキに恵まれた3連勝であるけれども、勝つ事は良い事です。ユカイユカイ。

 そうして、

 我らがインディアンス後期優勝〜〜〜。前後期通算も優勝〜〜〜〜。

 の筈なんだけど、公式ページは全然盛り上がってないんだよな。違うの?。それとも、見るとこ、間違えてんの?。マイナーリーグのフォーマットは、ホントよー分からん。

 ペイサーズに続き、インディアンスも快進撃。コルツも続け〜〜〜。

 来たな、来たなインディアナ州、あるいはインディアナポリス。風水的に来てるな。バカづきが怒涛のように押し寄せてきとる。宝くじを当てたい人は、今すぐインディアナ州、あるいはインディアナポリスに引っ越せーーー。

 で、さすがにもう今週は書きません。お約束します。次週は待望のハリソンJr.様をレポートせんと。

                        25℃を「寒い」と感じた。2025/9/25(木)

/2/3/4/5/6/7