インディアナポリス研究会コルツ部

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2021シーズン

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Week5 10月11日
MNF
IND@BAL
25−31
 日本のプロ野球のドラフト会議も終了し、各チームのファンはその結果に一喜一憂しているであろうが、ここらで私の日本のプロ野球におけるドラフト戦略を開陳してみたいと思う。

 「戦略を開陳」なんつっても、そんなにたいそうなものではないので、気楽に読み飛ばしてもらいたい。

 私の日本プロ野球ドラフト戦略は極めて単純である。単純BPA方式である。ニーズなどお構いなく、運動能力と野球センスの高いものを順番に並べたドラフトボードを作成し、残っているものからピックしていくという方式である。ポジションや年齢は一切考慮しない。25歳以上は、さすがに斟酌するが、それも少々である。クジ引きは多少斟酌するかもしれない。それでも、「多少」である。

 何故、ニーズを考慮しないかというと、理由は簡単である。野球というスポーツは、ポジションの変更、すなわちコンバートが非常に容易だからである。極端な話、外野の練習をしていないセカンドの選手に、いきなりレフトを守らせても、最低限の仕事はこなすであろうし、ピッチャーにファーストを守らせても、同様だろう。まあ、いきなりサードとなると、難色を示す選手もいるかもしれないが、内野手だったら、十分こなせるはずである。

 勿論、急造プレイヤーに複雑なサインプレーなどは厳しいかもしれないが、捕ったり投げたりの最低限の仕事はこなせる筈である。

 という訳で、「いきなり」でもコンバートできるのであるから、キャンプ段階でしっかり練習していれば、よほど性格的肉体的に不適でないかぎり、コンバートは容易なのが野球というスポーツのひとつの特徴である。まあ、さすがにピッチャーとキャッチャーは、かなりの練習が必要になるであろうが。

 実際、日本の、つうか外国でも同様であろうが、プロ野球選手の多くはアマチュア時代と異なるポジションを守っている。王や衣笠、そうして最新の貫禄村上は有名処であろうが、例えば、池山はショートのイメージが強いが、高校時代はサードである。また、松井秀喜も、若いファンには外野のイメージしかないであろうが、高校時代はサードである。福留も、アマチュア時代はショートである。井口はショート、等々。

 もっとも、プロ入り後にピッチャー転向という事例はほとんど無いけれども、齊藤隆は大学時代にピッチャー転向しているし、岩瀬は大学時代、主に外野手であり、本格的にピッチャー転向するのは社会人野球入り後だったりする。高校時代はピッチャーだったようだけど。

 また、アマチュア時代からショート一筋のイメージの強い宮本慎也も、キャリアの晩年はサードを守っているし、キャリアの初期はセカンドを守ったりしていた。
 その宮本の先輩、立浪も、ルーキーイヤーはショートで新人王&ゴールデングラブ賞であるが、キャリアの多くは他のポジションを守っており、むしろショート時代の方が希少である。

 また、彼等の先輩清原は、アマチュア時代から一貫してファーストを守っているが、それでも、一時期サードに挑戦していたのだから、完全な純正という訳では無い。その清原も、シニアリーグ時代はピッチャーである。

 という訳で、ピッチャーとキャッチャーを除けば、ひとつのポジションしか守った事のない野球選手の方が少ない、というか、かなりの希少種である。それは、「ひとつのポジションしか守った事のない」ではなくて、むしろ「ひとつのポジションしか守れない」といって良いであろう。大森とか清宮である。そうして、それはプロ野球選手にとって大きなハンディキャップである。

 という訳で、野球というスポーツでは、コンバートが容易、かつ日常的である以上、ドラフト時のポジションなんていうのは斟酌する必要がないと私は思うのである。むしろ、アマチュア自体のポジションは一旦白紙に戻して、適性やチーム事情を鑑みて、正しいポジションを決めていくべきだと思う。となれば、「ニーズ」は関係なくなってしまう。

 というか、プロ野球にドラフトされる選手なんていうのは、大学・社会人時代はともかくとして、高校時代は、大概ピッチャーかキャッチャーである。要するに、一番上手い選手、そうしてそういう選手は一番肩が強いのであるからピッチャー、二番目に上手い選手、すなわち二番目に肩の強い選手がキャッチャーをやるのが、多くの高校のチーム事情であろう。それこそ、甲子園出場レベルの高校でさえ、そういうチーム事情だと思う。
 さすがに、かつてのPL学園や現在の大阪桐蔭のような「甲子園で優勝を狙う」レベルの高校だったら、一番打力のある選手にサードやファースト、一番足の速い選手にセンター、そうして一番速い球を投げられる選手にピッチャーをさせる余裕はあるだろうけれど、「甲子園出場レベル」以下の学校に、そんな余裕はない。まして、プロに行くような選手だったら、大概「エースで4番」である。4ピー田中くんである。

 ちなみに、古田敦也は、高校時代、もちろんチームナンバー1の選手で、チームで一番肩の強い選手だったのだけれど、当時の監督が古田の将来を慮って、キャッチャーを続けさせたのだという。ピッチャーをさせていたら、もう少し勝てていた、多少は甲子園に近づいていただろうという話である。勿論、「多少」だけどね。

 そういう多少の例外はあるにせよ、プロに行くような選手なんていうのは、高校時代、大概「エースで4番」なのだから、私がGMなり編成部長なりだったら、思い切って、ひたすら「エースで4番」の高校生だけをドラフトし続ける。そうして、プロ入り後、適性を見て、ポジションを与える。で、勿論、コーチはプロなのだから、アマチュアよりも、より良い指導ができるであろう。変な癖もつかないだろうし。

 どうだろう、これを10年くらい続けたら、そこそこのチームが出来上がるような気がするのではないだろうか。いや、結構強いチームが出来上がるような気がする。名付けて「4ピー大作戦」。ちょっとエッチは匂いもして、いいんじゃない。いや、良くないか。

 さて、今ここに、私は「野球においてはポジションのコンバートは容易」と書いたけれども、プロレベルで、野手からピッチャー・キャッチャーへのコンバートは少ない。何故か。

 キャッチャーに関しては、答えは簡単である。最も競争の激しいポジションにわざわざ新規参入する必要性がないからである。よほど適性があれば、話は別であるが、そんな選手はなかなかいないであろう。肩が強くて、モーションが小さく、相手バッターの待ち球が全部わかる、そんな人間はいないだろう。

 ピッチャーに関しては、よく分からない。まず、競争は最もゆるいポジションである。なぜなら、プロ野球選手の半数はピッチャーだからである。しかも、昨今は分業制が進み、多くの選手にチャンスがある。出場機会の最も多いポジションといっていい。
 しかも、プロ野球選手になるだけの運動能力があれば、誰でも出来るポジションである。このように書くと、意外に思われるかもしれないが、野球というか、あらゆるスポーツにおいて、最も運動能力を要さないのがピッチャーというポジションなのである。かつて、あるアメリカ人が「僕はプロスポーツマンになりたいのだけれど、運動能力が低いので、ピッチャーかゴルファーになるしかない。」と語っていた。まさしく、その通りである。

 まあ、日本においては、アメリカのQB同様、ピッチャー信仰があるので、「野手からピッチャー」という発想自体が無いのかもしれない。速い球が投げられなくても、特殊な投げ方をするとか、面白い変化球が投げられるとかで、結構通用するポジションなのではあるが。ピッチャーライナーの問題さえ解決すれば、それこそ女性にでも出来るポジションだと思う。水原勇気には、案外リアリティがあるのである。まあ、それらが無いから、速球が必要になるのだろうけれど。

 以上、野球のドラフトにおいてはポジションのニーズは必要がないと説いてきた訳であるが、翻って、フットボールやバスケットボールではどうだろう。

 まず、フットボールであるが、これはニーズが必須である。コンバートが容易でないスポーツだからである。OLは、どんなに努力しても、CBに転向できないだろうし、QBからエッジラッシャーも厳しいだろう。まして、パンターやキッカーから他のポジションも、およそ不可能であろう。つか、出来るなら、もう既になっているだろうし。で、おそらく、他のポジションからキッカーパンターも厳しかろう。1年くらい、じっくり練習すれば、不可能ではないかもしれないが。

 フットボールでコンバートが出来るのは、OLとTEとか、SとCBぐらいだろうけど、これらのポジションはそもそも同じとも云えるので、コンバートとは言いにくいかもしれない。また、意外に、OLとDLのコンバートもプロレベルでは聞いた事が無い。一見可能そうだけど、難しいところがあるのだろうか。

 一方、バスケットボールにおいても、コンバートは厳しい。ガードからセンターは不可能である。もっとも、バスケットボールの場合は、CとPFがひとまとめ、SFとSG、PGでひとまとめ、すなわち二つのポジションしかないのかもしれないけれど。その中でのコンバートはともかく、それを超えてのコンバートは厳しい。まあ、最近はスモールパッケージみたいな戦略もあるけれど。

 プロ野球のドラフトに話を戻す。プロ野球のドラフトで、ニーズの他によく話題になるのが、「即戦力」である。これも、私にはよく分からない概念、判断基準である。

 「高校生は『育成』、大学・社会人は『即戦力』」と、決まり文句のように云われるけれども、まあ確かに、高校生の「即戦力」は少ないかもしれない。ここ40年くらいは、清原、立浪、松阪、田中くらいしか、「高卒即戦力」はいない。堀内・江夏あたりが、「高卒即戦力」がいた最後の時代であろう。

 とはいうものの、2年目から戦力になる高卒組は、現在でもそれなりにいる。奥川や宮城、貫禄村上などである。他にも探せば見つかるだろう。では、1年目から戦力になるのと、2年目から戦力になるのに大きな違いはあるのだろうか。この1年の差は、私には説明が付かない。

 一方、「大卒・社会人は即戦力」とは、よく云われるが、実際のところ、即戦力の大卒・社会人は少ない。今年2021年はルーキーの当たり年で「即戦力」が多いが、例年はせいぜいリーグ全体で5人くらいであろう。一人もいない年すらある。結構しょっぱい数字の新人王はいる。

 そうして、その数少ない「即戦力」がチームに現れたとしても、その「即戦力ルーキー」がチームを勝利に導くことは、もっと稀である。長嶋や山口高志、原、清原あたりが、「即戦力ルーキー」でチームが優勝した事例だけれども、彼等の所属した巨人、阪急、西武はもともと強いチームである。彼等の力が無くても、優勝したかもしれない。3年間優勝から遠ざかっていた巨人を優勝に導いたという意味では、原が、チームを優勝に導いた唯一の「即戦力ルーキー」といって良いかもしれない。

 一方で、野茂や松坂は、それぞれ前年優勝したチームに加わり(これも問題だけどね。)、タイトル総なめの活躍をしながら、チームは優勝を逃している。前年優勝チームではないが、上原もルーキーイヤーに20勝しながら、やはりチームは優勝を逃している。「即戦力ルーキー」で勝てるほど、プロ野球は甘くないのである。チームを優勝に導く新戦力という意味では、むしろ外国人だろう。今年のヤクルトなどは、その典型である。

 という訳で、チーム側から見た時、「即戦力」はさほど意味をなさない。一方、選手側から見た時はどうだろう。これも重要な意味はないと思う。1年目から活躍するに越した事は無いけれど、2年以降活躍しても、何も問題はない。キャリアが傷付く事はない。2年目以降3年目以降活躍して、殿堂級オールスター級になった選手は山ほどいる。というか、そういう選手、ルーキー時代はしょっぱかった名プレーヤーが大部分、99%であろう。5年目以降活躍した名選手も多い。まあ、10年目以降はさすがに厳しいだろうけど。

 という訳で、いかなる意味においても、「即戦力」はドラフトの際の判断基準にはならない。空虚な概念である。そもそも、「即戦力」が必要なチームは、私の考える限り、たった一つしかない。それは、「その年限りで、消滅してしまうチーム」である。このチームは、確かに「即戦力」が必要、つか必須だろう。「即戦力」が必要条件である。「いや〜、ウチは、今年で終わりだから、1年目から、つか1年目のみ活躍してもらわないと困るんだよ〜。」。これは分かる。

 でも、そんなチームは高橋ユニオンズくらいしかないだろう。多くのチーム、つか、ほとんど全てのチームが、2年後3年後、「永久に不滅です」ではないけれど、10年後20年後、チームが存続しているという前提のもとに、ドラフトしている訳である。「即戦力」は空虚な概念である。

 では、また翻って、フットボールやバスケットボールではどうだろう。

 まず、フットボール、つかNFLであるが、これは「即戦力」が必要、つか「即戦力」でなければ話にならないリーグである。まず、フットボールは「若ければ、若いほどいい」スポーツである。QBやキッカー・パンターなど一部のポジションを除けば、加齢するほど選手の価値は下がる。実際、キャリア最初の5年が、ほとんどの選手の「全盛期」である。5年も10年も待つ、「育成」なんかしている暇のないスポーツなのである。

 それに加えて、現今のNFLの制度では、ルーキー契約下にある選手の活躍が、そのままチーム成績である。ルーキー契約下にある選手がオールプロ級プロボウル級の活躍をする、言葉は悪いが「コスパの良い」選手の数が、そのままチーム成績になる。それがQBだと、それこそスーパーボウルが見えてくるであろう。つか、スーパーボウルを獲る、現今ほとんど唯一の方法である。例外は、ベリチックとブレイディのみ。まあ、大物QB晩年移籍法というやり方もあり、今現在ロジャースが画策しているが、これは非常に条件の限られた方法であり、一般的でない。

 一方、バスケットボールはというと、こちらはフットボールとは逆に「即戦力」は、ほぼ意味をなさない。まず、バスケットボールが「老ければ、老けるほどいい」スポーツである。ベテラン有利の競技である。

 バスケットボールの基本的なプレイは、ドリブル、シュート、パス、リバウンド、ディフェンスあたりであろうが、このうち、ドリブルとシュートは練習すればするほど上手くなる技術である。体力的な衰えは、ほとんど関係ない。まあ、ボールが届かない程、衰えれば、話は別であるが。実際、60歳だか70歳だかの爺さんが、「フリースロー連続成功記録を樹立した」なんてニュースを、昔見た記憶がある。

 また、パス、リバウンド、ディフェンスは経験やIQがモノを言うプレイである。こちらも体力は関係ない。

 という訳で、バスケットボールにおいては肉体的な衰えが、選手としての価値の低下にほとんどならないスポーツである。実際、NBA選手のほとんど全てが、「肉体的な衰え」から引退はせず、「ケガ」を理由に引退している。ほぼ有り得ないだろうけど、全くの無傷なら、50歳60歳でも現役は可能だと思う。まあ、走るのが辛くなるから、40分くらいのプレイタイムは厳しくなるかもしれない。でも、10分くらいのプレイタイムなら、十分現役可能だと思う。あと、キラークロスオーバーとかウィンドミルダンクとか、運動能力必須のプレイもあるにはあるが、それらは大概バスケットボールに必須の技術ではない。

 かくして、現今のNBAは、この原則に則っているか否かはともかく、FAやトレードでチームを作るリーグである。ほぼオリジナルの選手で優勝したのは、ここ30年くらいだと、スパーズぐらいしかないであろう。バードやマジックがオリジナルでチームを構成していた最後の時代であり、ジョーダンはその過渡期の時代となる。

 という訳で、NBAのドラフトは、形骸化しているとまでは云わないけど、単なる儀式にすぎないとは思う。まあ、「だから、改善しろ。」と声高に言うつもりはないけどさ。

 と、このように考えると、NFLのドラフトが、あるいはNFLのドラフトのみが、NBAやMLB、プロ野球に比較して、抜群に面白く、盛り上がる理由が、ハッキリ分かる。NFLのみに、「ニーズ」があり、「即戦力」が必須だからである。

 とまあ、ここまで、日本のプロ野球のドラフトで「ニーズ」や「即戦力」を考慮する必要はないと、私は説いてきた訳であるが、「ニーズ」とはちょっと違うかもしれないが、「プレイスタイル」は多少考慮すべきだとは思う。

 例えば、同じ「守備が上手い」でも、大別して2種類ある。「エラーが少ない」と「守備範囲が広い」である。で、そのどちらを選ぶべきかとなったら、チーム事情を考慮すべきであろう。すなわち、チームに「打たせて取る」タイプのピッチャーが多ければ、「エラーが少ない」タイプを選ぶべきだろうし、「速球派」が多ければ、「守備範囲が広い」タイプを選ぶべきだろう。

 また、チームに3番4番タイプが少なければ、3番4番タイプ、1番2番タイプが少なければ(そういうチームは少ないだろうが、)、1番2番タイプを選ぶべきだろう。
 
 この手のプレイスタイル的な「ニーズ」は考慮すべきだろう。あと、右・左とかね。まあ、茂野吾郎くんみたいに、右投げ左投げを変える事も出来なくはないであろうが、現実味はない。

 そうしたプレイスタイルの他に考慮すべきは、「性格」である。真面目・不真面目、几帳面・ズボラ、強気・弱気、短気・呑気、とまあいろんな「性格」があるであろうが、これは絶対考慮、というか調査すべきである。

 野球選手としての能力なんていうのは、ぶっちゃけ1試合見ればほとんどの事は分かるだろうけれど、「性格」に関しては、追跡調査しないと、なかなか分からない。思わぬ「性格」が隠れていたりするものである。麻雀の席を囲んだり出来ればベストだろうが、高校生相手では、それは厳しい。チームメイトどころか、クラスメイトぐらいまで、聞き込みしたいものである。

 何故、私がここまで「性格」を重視するのかというと、それは「性格は変えられない」からである。ドラフトの際の選考基準の多くは、入団後に変える事が出来る。ポジションやプレイスタイル、運動能力、技術などは、限度はあっても、ある程度変える事が出来る。ただ、「骨格」と「性格」は変えられない。だから、重視するのである。フットボールやバスケットボールでポジションが変えづらいのは、すなわち「骨格」が変えられないからである。

 「性格」は選手の良し悪しの決定的要素にはならないけれども、人間の運命の多くは「性格」が決める。「性格」によって、運命は決められていく。

 実際、清宮と村上が、ここまで差の付いた要因に「性格」を挙げる人は多い。「おぼっちゃん」の清宮と「貫禄」の村上では、答えは出ているといってよいだろう。でも、「おぼっちゃん清宮」が7球団競合で、「貫禄村上」はそのハズレ1位である。両者の技能に、それだけの差があったのだろうか。技能に大きな差が無いのなら、「貫禄」を選ぶべきだろう。

 ちなみに、清宮は、この記事で2度登場しているが、「コンバート出来ない」と「性格」、2つのハンディキャップを背負っている。野球選手として、致命的なハンディキャップではないけれど、ハンディキャップである事に変わりはない。

 また、中田翔も、ドラフト時から、その「不良っぽい」性格、「ワルっぽい」性格は指摘されていた。結果、ああいう形でチームを去る事になるのだから、「性格」は重要である。

 また、落合の成功には、その独特の性格が関与していると考えているのは、私だけであろうか。

 もっとも、「性格」は何が奏功するか分からないという側面はあろう。不真面目でズボラで弱気で呑気でおぼっちゃんでワルっぽい選手が大成するかもしれない。そこが「性格」の難しいところであり、精査すべき所以でもある。

 ただ、「性格」に関する唯一の例外としては、「リーダーシップ」である。これのある選手は、多少能力的に落ちても獲得すべきである。それくらい「リーダーシップ」というのは稀有な才能だからである。「球が速い」とか「ボールを飛ばす」より希少な才能である。その最高の実例は、ジーターであろう。極端な話、「リーダーシップ」のみで殿堂入りした選手といっても良いくらいである。でも、それくらい価値が高く、稀有な才能が「リーダーシップ」なのである。

 また、これは私の独断になるけれど、私がGMだったら、絶対いらない「性格」は、「言い訳が多い」、すなわち「出来ない理由ばかり見つける」である。まあ、こんな「性格」は、スポーツの世界に限らず、どんな世界でも不要だろうけれど。

 とまあ、いろいろ書いてきたけれど、こんなのは、ドラフトの現場では当たり前の事なのかもしれない。「ニーズ」や「即戦力」を云々しているのはスポーツマスコミだけの話なのかもしれない。何故か。

 理由は簡単である。「それくらいしか分からない」からである。選手名鑑に書かれているのは、「身長・体重・右左・ポジション・学校」くらいである。あと、「球速」と「高校通算本塁打数」。そうしたら、「ニーズ」と「即戦力」しか話題に出来ない。あと、「球速」と「高校通算本塁打数」か。「プレイスタイル」や「性格」も書いとくべきだと思う。さすれば、少なくとも、清宮の悲劇は防げただろう。

 以上、長々とドラフトの話を書いてきたが、ついでに、というか余談として、私が過去見てきたありとあらゆるルーキーのうち、最も衝撃を受けた選手の名前を挙げて、この稿を閉じたい。

 それは、あまりにベタなので大変恐縮なのであるが、「イチロー」である。あのジュニアオールスターでイチローを始めて見た時の「えっ」って感じは、いまだに忘れる事が出来ない。しかも、その感じは、それ以降は味わっていない。イチローが最初で最後である。

 また、これは以前どこかで書いたと思うけど、その時、決勝ホームランを打って、MVPを獲得し、そのヒーローインタビューで横井ひろみアナウンサー(これも憶えている)の「どんな選手になりたいですか。」という質問に、決勝ホームランを打っているにもかかわらず、「脚と肩で魅せる選手になりたい」というイチロー節での答えも、その時の「えっ」って感じとセットで覚えている。

 と書くと、なんか私の慧眼を誇っているように思われるかもしれないが、当時のイチローに何事かを感じたのは私だけではなかったと思う。ちょっと野球を知っている人は皆感じていたと思う。

 確か翌シーズンのマンガ雑誌にやくみつる(畑山ハッチだったかな。)が、オリックスの開幕スタメン予想で、1番ライトを鈴木一朗にして、そこに「名前は平凡だが、才能は非凡。」とコメントしていた。「へぇ、みんな分かってんだな。」と私は思った。これも、はっきり覚えている。

 また、オリックスギャル、それこそ連日オリックスの2軍の練習や試合を見に行っているグルービーの女の子が、テレビの取材に「あの鈴木って選手は、絶対活躍しますよ。」と力説していたのも、これもはっきり覚えている。

 ちなみに、この手の女の子は、「将来の旦那を探す(大概、女子アナにかっさわられる。)」という女性にとって最大の仕事(と書くと、フェミニストに怒られるかな。)に従事しているため、その選手(男?)鑑識眼は信用できる。監督・コーチの皆さん、2軍から若手を抜擢したいのなら、この手の女の子に尋ねてみるのも、一案ですよ。信用できます。

 さて、本題のコルツ戦であるが、25−31でレイブンズに敗れました。以上。コルツファンおよびレイブンズファンの皆々様方、スマン。


 っていうのを一度やってみたかったんだよ〜〜〜。マクラを長々長々書いてきて、本題は一行で終わりってネタを一度やってみたかったんだよ〜〜。

 まあ、それも何なので、少し書くか。

 戦前から苦行は予想されていて、一方的に蹂躙されると思っていたら、第3クォーター中盤に22−3でリードしてからの逆転負け。そういうタイプの苦行か。苦行にもいろいろありますなあ。勉強になりました。

 第3クォーターでの19点リードで、私は安心していたかというと、そんな事は無い。今季のコルツに限らず、一般的にフットボールの安全圏は「試合終了まで5分切っての3ポッゼッション差」だと私は考えている。第3クォーター中盤での3ポッゼッションなど安心材料にはならない。

 ちなみに、「5分切っての2ポッゼッションは、やや有利」、「5分切っての1ポッゼッションは、同点みたいなもん」というのが、私の形勢判断である。


 22−3とリードしたら、当然敵はリスク覚悟で攻めてくるから、失点するのは仕方ない。でも、時間かからな過ぎだろーが。3分前後でことごとくタッチダウン献上してんじゃねーよ。せめて5分使わせろや。

 まあ、タイトエンドが空くのは仕方ない。あそこ閉めると、今度はラマーに走られるし。

 まあまあ、そういう構造的な事はともかくとして、やっぱレシーバーにエッジラッシャーという、本来金を掛けねばならないところに金を掛けない、というか掛けられない、掛ける人材がいないとこうなるよね。

 今シーズンの冒頭の記事で「同カンファレンス他地区は実力がそのまま出る」と私は書いたけれども、まっ、そういう感じのゲーム。

 今年はもうドラフトモードでいいや。1巡も惜しいし。プレイオフに出れなきゃ、キープできるんだっけ。それとも、ウェンツの出場数?。調べんの、メンドイわ。

 あと、来週も野球ネタあります。覚悟しとくよーに。

                      ビールはエビス派。2021/10/14(木)
Week6 10月17日
KC@WAS
31−13
 さて、今週の「ダ・ゾーンとともに行くNFLお礼参りの旅」であるが、今週のダ・ゾーンのNFL中継は数試合あったのであるが、その中で日本時間2時台の放送、すなわちコルツ戦と同時間帯の放送は「GB@CHT」と「KC@WAS」の2試合。正直、どちらも食指は伸びないのであるが、まあロジャースのゲームも飽き飽きしているので、KC、つかマホームズを選択。「KC@WAS」のレポートになりま〜〜す。

 ワシントンといえば、マーカス・ワシントンではなく、まずは、その新(?)チーム名、フットボールクラブであるが、2年目の今季も継続する模様である。ぶっちゃけ、サボってね。

 確かに私も昨年は好意を寄せた。実際、好評だったようである。でも、それは一周回って新鮮つうだけであって、それでいい訳ねーだろー。とっとと改名しろー。
 つかもう、いんじゃねーの。「ペンタコンズ」で。そうして、選手もコーチも関係者も全員、全身白タイツで、背中に白い翼を付けて、顔に星のマークを付けて、「クロノス・チェーーンジ」とか言ってりゃいいんじゃねーの。

 そのワシントン・ペンタゴンズとカンザスシティー・チーフスのゲーム、注目はやはり、QB格差対決であろう。10年4億5000万ドルの男と2年475万ドルの男との戦いである。総額で、およそ100倍。1年あたりなら、単純計算で19倍の賃金格差の戦いである。過去最高かは知らんが、NFL史的に見ても、結構上位の賃金格差対決だと思う。

 まあでも、この両者に19倍の価値の違いがあるとはとても思えないよね。せいぜい2,3倍だと思う。まあ、勿論、賃金というのは、その時点での価値では無くて、それまでの功績も含まれている訳だから、19倍もあって然るべきだろうけど。パッと見、分からんよね。この試合のスタッツも、「397ヤード、2TDs、2INTs」、「182ヤード、TD、INT」、19倍の開きはない。

 でも、クォーターバックというのは、他のスポーツの他のポジション、あるいはフットボールの他のポジションと比較しても、素人目には、その価値の非常に分かりにくいポジションだと思う。

 例えば、全く野球の知識のない人に、松坂のピッチングなり投球練習なりを見せて、そこらへんのピッチャー(実名を出すと、語弊があるので、実名は挙げません。1軍半的ピッチャーを想像してください。)と比べさせても、松坂の価値ははっきり分かると思う。
 大谷とそこらへんのバッターの打撃練習を比べても同様だろう。その究極がマイケル・ジョーダンである。マイケル・ジョーダンのプレイは、バスケットボールの知識皆無の人が見ても、すぐさま「この人がナンバー1」だと了解できるものであった。

 でも、クォーターバックの場合は、それはかなり難しいと思う。フットボールの知識が何もない人が、例えば、この日のマホームズとハインニッキを比べて、「どっちが優れている」という質問に、即答は出来ないだろう。
 「勝った」し「トリッキーなプレイ」もあったのでマホームズの方が上だとは思うだろうが、両者の給料に19倍の差があるとは、すぐには了解できないと思う。

 まして、ブレイディがGOATだと、1ゲーム見ただけで分かる人は、異常なQB判定能力の持ち主といって良いと思う。

 つか、俺も分からん。10年くらい前は、わかったような気もしていたが、最近はとみに分からん。「ハインニッキでも良くね」と思ってしまう。パスも通るし、それなりにディープにも投げられるし、マホームズとの19倍の差がまったく分からん。

 ブレイディとかマホームズを見ていると、当人の能力よりはコーチングの方が大事なのではないかという気も最近はしてきた。考えてみれば、マニング兄弟にも、父親という偉大なコーチがいた訳だし。

 まあ、QBに迷走するのがフットボールの醍醐味なのかもしれん。

 そのほか、この試合の感想はといえば、やっぱ、ロン・リヴェイラのしぶといフットボールかな。こういう我慢強いフットボールは私の大好物である。ジョン・フォックスとかね〜。この手のコーチには、ハインニッキみたいなQBが似あうよね〜。ジェイク・デロームとかティーボーとかね〜。マニングじゃダメだよね〜。

 その他の感想はというと、チェイス・ヤングかな。このゲームを見る大きな動機のひとつだったんだけど、このゲームでは不発。1サックのみ。1サックでも十分ではあるが、縦横無尽の活躍という体ではなかった。

 まあ、これはヤングに限らず、最近のエッジラッシャー全般に云える事であるが、最近はQBの逃走能力がとみに高まっているので、なかなか捕まらない。逮捕出来ない。LTをブレイクしても、肝心のQBを逃がしてしまう事が多い。「大外まくってスピンターン」というフリーニー様の名人芸は、なかなか通用しなくなってきていると思う。まあ、フリーニー様の足があれば、追いつくか、マホームズくらいなら。

 フリーニー様の脚力はともかく、両エンドはコンテイン重視で、QBはインサイドラッシャーに仕留めさせるというのが、最近では主流になっているように思う。そういった意味では、エッジラッシャー受難の時代とも云える。

 選手評はそんな感じだけど、このゲームのハイライトは、何といっても、そのDEターショウン・ワートンのインターセプトであろう。その写真がコレ。


             いい写真が無かった。

 DLのインターセプトというと、誰かの弾いたボールが自分の手元に落ちてくる、所謂「ごっちゃんインターセプト」がほとんどであろうが、これはパスディフレクトしようとしたボールをそのまま捕球してしまうという、謂わば「真性インターセプト」なのである。DLで、これをやった人は少ないと思う。

 大昔、ジャレッド・アレン(多分)が「真性インターセプト」をした記憶があるが、でも、あれはゾーンブリッツでのインターセプトだったので、こういうパスラッシュしつつのインターセプトを、私は初めて見た。しかも、ダブルチーム喰らっとるし。

 昨季のインターセプト・オブ・ジ・イヤーはムーアのアレであろうが、今年はこれで決まりだと思う。

 んな感じかなぁ。

 では、お次は恒例の「今週のコルツ罵倒コーナー」。

 今週のコルツは、コルツ同様全体1位に色気を見せ始めたテキサンズに31−3で完勝。全体1位が大きく遠のいた〜。

 試合そのものについて、序盤から楽勝ペースだったので、特に感想は無いのだけど、テイラー様について。

 テイラーは、この試合の前半は2回6ヤードぐらいで、全然振るわなかったんだけど、後半いきなり83ヤードのロングゲインで大爆発。終わってみれば、「14回、145ヤード、2TDs」。

 でも、テイラーのプレイを見ていて、しみじみ思うのは、RBにとって最も重要、あるいは貴重な能力は、スピードでもパワーでもクイックネスでもアジリティでもテクニックでも、況やカットバックでもなくて、フィールドヴィジョンあるいはデイライト能力だって事である。

 RBというのは、「タックルされない限り」、止まる事は無いのであるから、ディフェンダーの動きをよく見る事、そうして、そのディフェンダーをブロックする自軍のプレイヤーの動きをよく見る事、すなわち「自他のプレイヤーの動きをよく見る」という事が何より大事っていうのはテイラーのプレイを見ていると、ホント良く分かる。ハインズやマックという反面教師がいるだけに尚更である。

 今季は、ネルソンとスミス、そうしてカスタンゾを欠いているので、数字的に落ちるかなと心配していたが、もう覚えてきたみたい。さっすが〜。

 だがしかーし、これで全体1位を争う当面のライバル、テキサンズとドルフィンズに直接対決で完勝。全体1位は大きく遠のいたといって良い。まあでも、全体5位ぐらいでも良い選手はいるしねえ〜。OLがしっかりしていれば、ウェンツが仕事の出来る事ははっきりしたので、QBに固執する事もないし。LTやWR、エッジラッシャーのナンバー1評価の選手が獲得できそう。

 でも、大丈夫なんだろうなあ、1巡は。「総スナップ数の75%以上」出場しちゃうと、プレイオフ未達でも失う事になるんか。よし、強制欠場。12月休んで良し。今季はウェンツ12試合制。早めのクリスマス休暇をどうぞ。たっぷり1ヶ月かけて、家族みんなで世界一週旅行でもしてこ〜い。エーリンガーも見てみたいし。って、これ許されるの?。

 で、いよいよ、本題の野球ネタである。

 両リーグの優勝争いが佳境である。私はプレイオフ賛成派であるが、こういう優勝争いを見ていると、プレイオフ導入以前のような、残り数試合で、この半年間の努力、あるいは1年間の努力の一切がパーになる、あの緊迫感は、どうしても薄まる。関係者及びファンの心中に「まあ、2位でもいいや、3位でもいいや。」的な余裕が垣間見える。まあ、これだけ縺れたのだから、直接対決で雌雄を決した方が良いとも云えるけどね。

 プレイオフの可否はさておき、たかっつぁんが優勝しそうである。たかっつぁんと云えば、思い出すのは、1993年だったと思うが、シーズン序盤で広島戦に先発も(テレビ中継があった!!)、滅多打ちに遭い、先発失格、リリーフに転向、松井にキャリア第1号のホームランを献上するも、その後は、クローザーとして、ほぼ完ぺきな投球、チームは日本一、その胴上げ投手になった、あの頃である。広島戦での滅多打ちは1992年かも。

 しかし、たかっつぁんが優勝争いとはねえ。当時は思いもよらなかった。池山や古田あたりが監督になって優勝するかもとは思っていたけど、たかっつぁんは予想だにしなかった。真中の優勝監督も大概驚いたけど。

 その高津と優勝を争う矢野も、ドラゴンズを放出された時点では、それから20年後、まさか阪神の監督をやっていようとは、当時は思いもよらなかった。人生、何が起こるか分からんのお。

 高津がヤクルトの監督に就任した時、私がちょっと思ったのは、キャリアのほとんどをクローザーとして過ごした、おそらく初めての監督だという事である。抑え投手出身の監督としては森繁和や牛島がいるが、彼等はキャリアのほとんどをクローザーという訳でもない。あとまあ、与田が抑えとして長く活躍したかは微妙なところであろう。

 最近のクローザーは9回1イニング限定が常識であるが、これの嚆矢はおそらく佐々木で、それに続くのが高津である。そこから、小林雅英、岩瀬らが続く。森や牛島の時代は、抑えといっても、2イニング3イニングは当たり前だった。例えば、有名な「江夏の21球」も、江夏は7回から登板している。複数イニング投げた最後の時代のクローザーが吉井であり、赤堀や河本は、その過渡期といったところか。

 ちなみに、今、岩瀬のことをウィキペディアで調べていて、初めて知ったが、岩瀬は、学生時代、社会人、プロと一貫して、愛知県チームに在籍していたらしい。まあ、これから他チームでコーチするかもしれんけどね。現時点では「純正品」。

 まあ、そんなクローザー変遷史や純正品問題はともかく、その、おそらくプロ野球史上初めての純正クローザー出身の高津監督の特徴であるが、この2年間見ている限りでは、正直分からんかった。まあ、ブルペンを大事にする姿勢は垣間見えるが、それは今時どの監督でも同様なので、特徴とは云えないだろう。もっとも、「2年間見ている限り」といっても、全試合全イニングつぶさに観察した訳では無いので、ダイハード・ヤクルトファンの目には、高津監督の特徴が捉えられているのかもしれない。

 「クローザー出身監督」としての特徴は分からなかったけれども、ピッチャー出身らしい特徴はハッキリしていたと思う。

 ピッチャー出身監督の特徴というのは、私の知る限り、3つある。

 一つ目は、当然ながら、「投手陣の整備に長けている」である。ピッチャー出身の監督というと、私は誰よりもまず藤田元司を思い浮かべるのであるが、藤田は監督に就任すると、前任者がそれぞれ新浦だ鹿取だと投手陣に四苦八苦していたにもかかわらず、就任1年目でいきなり、江川・西本・定岡、第2次政権時には、斎藤・槇原・桑田と、あっさり3本柱を成立させてしまった。

 今回の高津監督も、就任2年目であっさり投手陣の再建に成功している。また、チーム成績そのものは悪いが、与田監督は投手陣を整備しているし、佐々岡や三浦も今後改善する可能性はある。

 ここで注目すべきは、いずれも「投手陣の整備に成功」していながらも、新戦力はほとんどいないという点である。前任者とほぼ同じ顔ぶれで、投手陣が整備出来てしまっているのである。もっとも、与田の場合は前任者もピッチャー出身だけど。

 それはともかく、やはり「ピッチャーの事はピッチャーにしか分からない」という事なのだろう。まさしく、「ピッチャーはガラス玉」である。

 二つ目の特徴は、「キャッチャー軽視」である。

 これも藤田監督の例を出すが、第2次政権時、山倉というリーグMVPのキャッチャーがいるにもかかわらず、中尾を取ってきたり、藤田浩雅を取ってきたり、挙句の果てに大久保である。しかも、結果レギュラーは村田真一という微妙なところ。90年代の巨人とライバル・ヤクルトとの決定的な差がキャッチャーになってしまった事は言うまでもあるまい。

 同じような事は東尾もしている。伊東がいるにもかかわらず、中嶋や高木大成を使おうとする。

 このピッチャー出身監督のキャッチャー軽視の究極は、言わずと知れた、金田監督のキャッチャー・ディアズであろう。キャッチャーが、言葉の分からない外国人には難しいポジションだというのは論を俟たない。

 こういう事例をつらつら眺め見ると、ピッチャーという人種には、やはり無意識レベルでキャッチャー軽視の感情があるのだと思う。「キャッチャーなんて、ボールさえ捕れりゃいい。いちいち俺をリードすんな。」である。ピッチャーは皆、無意識レベルでは、金田や村田のようにノーサイン投球に憧れているのだろう。

 もっとも、ピッチャー出身監督でも、星野のようにキャッチャーを軽視しない監督もいる。もっとも、それは星野ではなく島野の思想なのかもしれないけど。

 三つ目の特徴は、「徐々に打てなくなる」である。

 ピッチャーというのは、本能なのか、ホームランバッターを嫌がる。従って、自身が監督になるとホームランバッターをラインナップさせたがる。

 確かにホームランというのはバッティングの最高の結果だけれども、ホームランが野球における最高の攻撃かというと、そうではない。

 ホームランの最大の欠点は何かというと、「ホームランの後、ピッチャーはワインドアップあるいはノーワインドアップで投げられる。」という点である。つまり、ホームランが出ると、そこで攻撃は終わってしまい、得点が続かなくなりがちである。野球における攻撃の基本「常にランナーを塁上に置く」に反してしまい、結果大量得点に結びつかない。所謂「ホームラン打線」が散発4得点とかに終わりがちなのは、これが理由である。

 バッティングオーダーにホームランバッターが皆無というのも、それはそれで問題だが、全員ホームランバッターというのも、それはそれで問題である。出塁率の高い1,2番、ホームランを打てる3,4番、ランナーを還せる5,6番、意外性の7,8番というのが理想のラインナップであろう。

 また、所謂「ホームランバッター」はいないものの、マシンガン打線というのも、一つの理想だと思う。ちなみに、98年の横浜は、私が見た中では、プロ野球史上最も強いチームである。走・攻・守に隙がなく、投手陣も先発・中継ぎ・抑えともに万全。全盛期の西武と戦っても、よい勝負をしたと思う。全盛期の西武に力押しで勝つ事の出来た唯一のチームだったろう。

 閑話休題。そういう訳で、打線にホームランバッターばかり並べるというのは弊害が多いのであるが、ピッチャー出身の監督は、そういうオーダーを作りがちである。また藤田監督の話になって恐縮なのであるが、藤田監督の1番白幡は、私が今まで見た中で、最もひっくり返ったバッティングオーダーである。1番駒田なんていうのもあった。これは王監督時代だったかな。

 という訳で、ピッチャー出身の監督というのは、一般的に打線の機能というものを知らず、一発頼みの打線になりがちである。ネチこい攻撃、群がってくるような攻撃、そうして何より、ここぞという時に1点をむしり取ってしまうような攻撃が出来ない。そうして、歳月を重ねるうちに、少しづつ打てなくなり、いつのまにやら貧打線が完成してしまう。4番岡崎みたいな打線である。

 以上が、ピッチャー出身監督の3つの特徴であるが、ピッチャー出身の監督というのは、「投手陣の整備に長けている事から、就任1,2年目で結果を出すものの、徐々に打てなくなり、Aクラスはキープしつつも、優勝からは遠ざかり、解任ないし退任する頃には、ロートル投手陣と貧打線が完成しており、後任は頭を抱える。」というのがありがちなパターンである。

 もっとも、就任当初早い段階で「優勝」する事が多いので、結果を出せない監督という訳では無い。勿論、ピッチャー出身の監督だからといって、皆が皆成功する訳では無く、金田や鈴木、堀内といった派手な失敗例もある。

 彼等は、所謂「大投手」、すなわち「俺が俺が」の人種である。つまるところ、自分の利益しか考えていない人達である。「選手のため」あるいは「ファンのため」に尽力し、それが間接的に自身の評価につながるという「監督」という商売には最も不向きな人達といってよかろう。彼等自身に問題があるというよりは、彼等に監督を任せたフロントに問題がある。もっとも、この手の人達は、お得意の「俺が俺が」の精神で、自身を売り込んでくるから、タチが悪いのだけれども。

 ちなみに、こういう「自身の利益しか興味のない」堀内が、本来「他人のための」仕事である政治家をしていた(今もしてるのかな?)のだから、何をか況やである。民主主義って怖いよね。選挙って怖いよね。

 以上、ピッチャー出身監督は、ある程度の成績を残すものの、所謂「王朝」を作るには至らないのが通例である。ちなみに、日本のプロ野球で、過去「王朝」を建設した監督はというと、三原・水原・鶴岡の所謂三大監督に、川上、西本、古葉といったあたりであろう。あと、性格的な問題があって、「王朝」の監督で居続ける事は出来ないものの、「王朝」を建設する能力を持った監督として広岡がいる。

 以上7名、不思議なことに、いずれも「内野手」出身なのである。野球のポジションを4つと考えれば、1/4が普通の確率である。もっとも、プロ野球の場合は、ロースターの半分がピッチャー、1割がキャッチャー、残りの4割が内野手・外野手であるから、単純な1/4にはならないだろうけれども、いずれにしても、全員、100%内野手出身は確率論的には説明が付かない。仮に1/4だとすると、1/4の7乗という、結構低確率の事象が実現していることになる。そこに、何らかの理由があると考えるのは自然であろう。

 私の少ない脳ミソでつらつら考えても、これぞという理由は思いつかないのであるが、強いて挙げれば、「コミュニケーション能力の高さ」であろう。

 よく云われるように、野球というのは「個人スポーツに近いチームスポーツ」である。実際、各ポジションは孤立しがちである。ピッチャーは野手7名に背を向けているし、キャッチャーはひとりファウルゾーンで守っているし、外野手はバッターボックスから遠く離れたところで、一人ぽつねんとしている。
 その中にあって、内野手のみが他のポジションと連携している。バッテリーとは牽制プレイで、外野手とは中継プレイで、また他の内野手ともバントシフト等で、常にコミュニケーションを求められるポジションである。実際、他人に興味のない人は内野手には不向きである。

 そうして、「ホウ・レン・ソウ」ではないけれども、チームは「組織」である。コミュニケーションは必須の活動であろう。瞑想ばかりしている監督なんて聞いた事が無い。

 つかまあ、野球に限らず、監督とかリーダーの原初的な仕事は、つまり「命令」であろう。

 人間の集団というのは、ごく原始的な時代は、監督やリーダー無しで暮らしていた筈である。ただの「人の集まり」に過ぎなかった。
 ただ、そこで農作業でも土木作業でも戦争つかケンカでも何でもいい。その中の一人、あるいは複数の人間が、仕事の計画やケンカの作戦等々を考え、その他の人々に「命令」を始めると、仕事の効率が良くなる、あるいはケンカに勝てるようになる。それが「監督」の起源であり、「組織」の起源であろう。

 最近は、ちょいと強権的に「命令」すると、パワハラだ何だと言い出す輩が多いけれども、そもそも「命令」するのが監督の仕事であり、「命令」する「監督」がいるのが「人間の組織」なのである。それが嫌なら、「人間の組織」から離れるより仕方ないだろう。ちなみに、その「命令」が間違っていたら、「責任」を取るのは「監督」である。「構成員」ではない。

 まあ、もっとも、「コミュニケーション能力」のみで「王朝」が築けるかというと、それはまた違うような気もするが。

 と、ここまで、ピッチャー、内野手と考察してきたので、ついでという訳でもないが、残りの二つ、キャッチャーと外野手についても考えてみたい。

 キャッチャーというのは、一般的には最も監督向きとされるポジションである。アメリカでは、今でも「キャッチャーにあらずんば、監督にあらず」といった調子で、キャッチャー出身の監督が続々誕生している。

 キャッチャーが監督に向いている理由については諸説あろうが、ひとつには「ゲームにかかわる濃度」があると思う。

 野球というのは、先に挙げた「コミュニケーション能力」などもそのひとつであろうが、ポジションごとに、その特性が大きく異なるスポーツである。そのひとつに「ゲームにかかわる濃度」がある。

 仮に1投球を1プレイと考えると、バッテリーは全プレイに参加している。ただ、ピッチャーは、当然全試合全イニングに投げる訳はいかないので、そのプレイ参加数は、キャッチャーより少ない。先発ピッチャーなら5,6試合に1回、ブルペンなら1試合当たり数イニングである。まあ勿論、リーグや大会のフォーマットによっては、ピッチャーが全試合全イニング投げる場合もあるかもしれないが、とりあえず、日本のプロ野球やMLBで、それはない。

 一方、内野手や外野手も、当然全プレイには参加していない。まあ勿論、「ピッチャーが1球投げるごとに、俺は守備位置を変えているから、全プレイに参加している。」と主張する人もいるだろうが、少なくともボールには触れていない。

 1試合当たり、内野手なら30プレイぐらい、外野手なら10プレイぐらいが、一般的な上限だろう。外野手が30回もボールに触れるのは異常な試合である。

 その中にあって、一人キャッチャーのみが全試合全プレイに参加しているのである。少なくとも、全試合全プレイに参加可能である。「ゲームにかかわる濃度」が最も濃いポジションがキャッチャーといって良いと思う。そうして、経験が増せば、知識が増す。その知識は、監督という職業に有利に働くであろう。

 野村克也が何故優れているのかというと、その最も基本的な理由がコレである。キャッチャーとして3000試合近く出場しつつ、なおかつ4番として2000試合以上出場し(これは現時点でも、日本記録だと思う。次点は落合か清原で1800試合ぐらいだったと思う。多分。)、なおかつ監督として3000試合出場しているのだから、「野球を経験している」という意味では、間違いなく日本一、もしかしたら世界一の人間だったかもしれない。

 という訳で、キャッチャーが「監督向き」のポジションである事は概ね肯定できるであろうし、実際、監督経験者の多くが優勝している。優勝していないキャッチャー出身監督として、パッと思いつくのは、田淵、大矢、達川、古田、谷繁、大久保あたりであろうが、達川、古田、谷繁、大久保は在任期間が短いので、判定保留といったところだろうし、大矢が98年のベイスターズを準備した事に異論の余地は無いだろう。しかも、大洋つうか横浜というか、おそらく12球団で最も難儀なチームを優勝出来る態勢にもっていったという意味では、もっと評価されてよい監督だと思う。ヤクルトを優勝に導いた広岡に準ずる成果だと思う。

 という訳で、キャッチャー出身監督での、あからさまな失敗例は田淵のみだと思う。リーグ優勝していないという意味では伊東も失敗例かもしれないが、一応日本一にはなっているので、あからさまな失敗とまでは云えないだろう。成功とも言い難いが。
 また、現時点での中嶋や矢野も成功といって良いであろう。

 という訳で、キャッチャー出身監督は概ね好成績なのであるが、ただ、上記の内野手出身者のように「王朝」を築いたかというと、それは微妙であろう。

 「いやいや、上田や森がいるではないか。」という反論もあろうが、上田や森の場合は、確かに成績は立派であるけれども、自身で「王朝」を築いたわけではなく、「王朝」チームを預かり維持した監督と云うべきであろう。さしずめ「準王朝」監督といったところか。

 あと、90年代の野村ヤクルトをどう見るかというのがあるが、確かに優勝回数そのものは昭和50年代の広島に匹敵するが、90年代のヤクルトの場合は、優勝していない年がほとんどBクラスなので、優勝していない年でも、ほとんど優勝争いに参加していた昭和50年代の広島に比べると、その点で劣る。「時代を代表するチーム」といったところであろう。

 あと、これはキャッチャー出身監督ではないけれども、00年代の落合ドラゴンズをどう見るかという、似たような問題があるが、こちらもリーグ優勝回数は昭和50年代の広島に匹敵するが、日本一がたった1回なので、「王朝」とは言いずらい。野村ヤクルト同様、「時代を代表するチーム」止まりであろう。

 まあ、西本も日本一にはなっていないけどさ。3チームでリーグ優勝8回(9回説もあるけど、)なら、「王朝」監督といって良いと思う。しかも、率いたチームはすべて優勝に導いているし。しかも、うち二つは阪急と近鉄だしね。

 あと、キャッチャー出身監督として、忘れてならない人に根本睦夫がいる。この人の場合は、監督としての結果はけんもほろろであるが、彼が携わったチーム、広島、西武、ダイエーがいずれも「王朝」を作ったという点では、ある意味キャッチャー出身監督の監督としては、最も高く評価しなければならない人かもしれない。しかも、広島、西武、ダイエー、この3チームがいずれも、彼の監督就任以前は箸にも棒にも掛からなかったチームであった事も考え合わせれば、その評価は最大限にせざる得ない。先に挙げた「王朝監督」と同等といってよい。

 根本の凄さに、その「寝業」を挙げる人は多いけれども、彼のGMあるいは編成担当としての真価は、その「スカウト網作り」にあったと思う。

 選手を獲得するためにはスカウティングが重要であり、理想的には、この世といったら大袈裟に過ぎるが、日本の全てのチーム、学生・社会人・リトルリーグ等々、全てのチームにスカウトを常駐させておきたい。
 しかし勿論、そんな事は金銭的に不可能である。スカウトを10万人くらい雇う必要が出てくるからである。で、その代わりに必要となるのが「スカウト網」である。

 「スカウト網」というのは、要するに、日本全国津々浦々の野球関係者との人脈作りである。監督・コーチは無論の事、そこらへんの野球好きのおっさんとも人脈を作っておく。これが大事である。実際、清原は小学生の頃からマークしていたと云われているし、千賀はスポーツ店のおっさんからのタレコミ情報だったという。

 こういう「スカウト網」は、今の広島はよく分からんが、今の西武やソフトバンクにも、それは生きていると思う。そうして、こういう「スカウト網」を作る能力に、日本プロ野球史上、最も長けていたのが根本睦夫だったと思う。ホークスの3軍制度は「寝業」を禁じられた根本の最後ッ屁といったところか。千賀や甲斐は、大学や社会人に進んでいたら、頭角を現して、ドラフトにかかっていたかもしれない。そういう選手を、「3軍」で囲っちゃうというのは、まさしく根本陸夫最後の「寝業」だと云えよう。

 ちなみに、根本以前に、「スカウト網作り」に最も長けていたのが鶴岡だったと思う。

 野村は自分から南海に売り込んだとよく語っていたが、おそらく野村も、広瀬同様、鶴岡の「スカウト網」に引っかかっていたのだと思う。また、長嶋や杉浦も高校時代からマークしていたのだろう。

 ただ、根本と違って、「寝業」を持っていなかった鶴岡は、その自慢の「スカウト網」が、ドラフト制度導入以降、ほとんど無意味なものとなってしまい、結果、南海は弱体化する。例えば、長池などは、高校の時から目を付け、餌付けしていたらしいけれども、長池が大学に行っている間に、ドラフト制度が導入され、阪急にかっさらわれてしまう。

 ドラフト制度導入により、最も被害を被ったのは鶴岡だったと思う。

 ちなみに、「ドラフト制度導入により、巨人は選手を自由に獲得できなくって、弱体化した。」とはよく言われるが、それは違うと思う。

 実際、V9のメンバーで、入団時に騒がれた選手としては、長嶋、王、高田、柴田、堀内あたりが挙げられるだろうが、このうち、堀内、高田はドラフト制度下の入団であるし、柴田は、甲子園のスターだけれども、争奪戦というレベルでは無い。猛烈な争奪戦が繰り広げられるのは長嶋で、現今のドラフト制度下なら、それこそ8球団競合くらいであろう。一方、王は、よくて3球団くらいか。

 長嶋と王は、確かにドラフト制度下なら、揃って巨人入りしていなかった可能性もあるけれど、揃って巨人入りしていた可能性も、決して低くはない。1/8×1/3=1/24なので、なくはない蓋然性である。アイスの当たりクジぐらいかな。あれは1/10ぐらいか。

 一方で、当時、昭和30年代のアマチュア野球界のスターが、皆が皆、巨人入りしたかといえば、そんな事は全然なくて、当時の甲子園スターとしては、王以上の争奪戦になった尾崎は東映。王ほどではないにせよ、同期の甲子園スターの板東は中日。長嶋と同期の森も、同じく中日。長嶋の翌年の桑田は大洋。「あなた買います」の穴吹は南海。もちろん、巨人入りしている木次のような例もあるけどさ。

 アマチュア野球のスターが、こぞって巨人入りを熱望し、パ・リーグ入りを拒否するのは、70年代から80年代にかけて、すなわちV9巨人をテレビで見て育った選手たちであろう。その頂点は、申す迄もなく、江川卓である。江川がもし昭和30年代の選手だったら、あれほど執拗に巨人入りに固執しなかったと思われる。

 また、原辰徳の事を、「全国長嶋茂雄後継者レースの最終勝ち残り者」と評した人がいたが、これはまさしくその通りだと思う。そのレースには、当時の日本全国の男児のほとんど、もしかしたら少数の女児も参加していてだろう。おそらく若き日の落合博満も、その参加者のひとりだったろう。

 そうして、巨人入りに固執する最後の世代が、大森、元木あたりだと思われる。長野や菅野は、彼等とはちょっと事情が違うように思う。

 そういった意味では、70年代以降、ドラフト制度が無ければ、確かに巨人は強力になっていたかもしれないが、V9は、60年代以前に、ドラフト制度があっても、似たような成績を残していたと思われる。

 まあ、もっとも、90年代以降は、FAや自由獲得枠とか、そんなような事をやり始めるけどね。

 そういう「巨人とドラフト話」はともかくとして、GM的な能力という意味では、1に根本、2に鶴岡、3,4がなくて、5に星野といったところであろう。星野のGM的能力については、いずれ機会があったら、書きたいと思う。

 閑話休題。次は外野手。

 一般に、「外野手出身は監督に不向き」と云われ、確かに大下の派手な失敗が目立つものの、決して優勝監督がいない訳ではない。古くは与那嶺、大沢、山本浩二、若松、最近だと真中や緒方など、決して、他のポジションに比べて、優勝監督が少ない訳では無い。

 ただし、「王朝」監督とか、「時代を代表するチーム」の監督は皆無である。リーグ3連覇した緒方は「時代を代表するチーム」の監督ではないかという意見もあろうが、日本一になっていないという憾みもあるし、あと、この時期のセ・リーグは、真中、小川、高橋、ラミレス、金本と、中日以外の監督は、みな外野手出身なので、微妙に評価しづらいという点はある。まあ、3連覇したことに変わりはないけどね。「時代を代表する」とまでは云えないと思う。

 というのが、出身ポジション別監督総覧といったところである。もっとも、これはあくまで私の印象による感想なので、厳密な統計を取った訳では無い。厳密な統計を取ったら、また違う結論が出るかもしれない。そこは、ご理解していただきたい。

 で、その印象に基づく結論はというと、次のようなる。

 1.内野手、2.キャッチャー、3.ピッチャー、4.外野手

 勿論、内野手出身でも失敗した監督はいるだろうし、外野手出身でも成功した監督はいるだろう。ただ、「王朝」を頂点と設定すると、それに近づきやすいのは上のような順位となろう。

 この順番を見て、ピンときた方はおられるであろうか。そう、これは、私が先述したコミュニケーション能力の順番と共通なのである。

 内野手が最もコミュニケーション能力、というかコミュニケーション量の多いのは先述したが、次はキャッチャーである。ピッチャーとは密にコミュニケーションを取るし、牽制やフォーメーションプレイで内野手とコミュニケーションを取る必要がある。ピッチャーも、そういった意味では、キャッチャーと同様であるが、ピッチャーはキャッチャーのみとコミュニケーションを取れば良いのに対し、キャッチャーは自軍の全ピッチャーとコミュニケーションを取らねばならない。その分だけ、差が出る。外野手は、内野手との中継プレイぐらいが、せいぜい必要なコミュニケーションである。あとは、他の外野手との守備シフトでの連携ぐらいか。

 コミュニケーション能力が監督にとって、どれだけ重要なのかはよく分からないのであるが、ちょいと思い出すのは、かつて野村克也が宮本慎也に語ったという次の言葉である。

 「君は将来監督になる人間なのだから、講演を数多くこなしなさい。言葉は大事だよ。」

 この言葉の真意がどこにあるのかは、最終的には、よく分からないのであるが、野村は、監督経験を重ねるにつれて、言葉の重要性を思い知ったのであろう。言葉の重要性というのは、コミュニケーション以外にもあるのであるが、それは別の機会に書きたいと思う。

 こんなところかな。これだけ長々と監督話を続けてきたので、ついでという訳でもないが、最後に余録的なものを付け加えて、この稿を閉じたい。
 
 アメリカに比べて、日本のプロ野球にキャッチャー出身者が少ない理由はいろいろあると思われるが、そのひとつ、それも大きな理由のひとつに、「スター尊重」がある。

 日本のプロ野球では、スター選手以外が監督になる事は非常に難しい。そうして、キャッチャーというポジションは、どうしてもスターの生まれにくいポジションであるので、結果的に「キャッチャー出身監督」は少なくなる。上田は、そういった意味では、奇跡のような存在だろう。

 プロ野球の歴史も随分長くなっているけれど、キャッチャー出身監督のいないチームというのは、まだあると思う。あれ、巨人だけかな。ちなみに、巨人で未だに出身監督のいない二つのポジションが、ショートとキャッチャーだというの一部では有名な話である。

 巨人では顕著であろうが、この「スター監督」というのは、フロント陣はともかく、何よりファンが熱望する。オールスター内閣を熱望する。

 でも、いい加減気付いて欲しい。監督とプレイヤーというのは、全く別の職種だという事を。先にもちょいと触れたが、原則的に「自分の事だけ」考えて働くのがプレイヤーであり、原則的に「他人の事だけ」考えて働くのが監督なのである。運動のベクトルが全く反対の仕事といっていい。「名選手、必ずしも名監督にあらず」、当たり前の話である。むしろ「名選手、必ずしもダメ監督にあらず」の方が、より普遍的であろう。「大工に図面は引けない」

 「スター出身監督」が乱発する日本のプロ野球を見ていると、そこに私はアジア的蒙昧を感じる。そうして、「監督をお辞め頂きたい」なんていうバカ丸出しの発言する連中も後を絶たない。でも、こういう人達にも選挙権があるんだよね。そりゃ、世界中の政治家が芸能人だらけになる訳である。選挙やペーパーテストで優れた人間を選ぶ事はできない。

 閑話休題。日本のプロ野球で、スター選手以外の監督が少ないのは、監督修行をする場、あるいは監督の才能を発見する場が、現状二軍しかないという理由もあろう。昨今の監督成功者に二軍監督出身者が多いというのは、監督修行の場、監督の才能を発見する場として機能している証左であろう。

 私は、思い切って、学生・社会人を問わず、アマチュア野球界にも人材を求めるべきだと思う。最近は、プロ野球界からアマチュア野球の監督・コーチに転身する人が多いけれども、逆に、アマチュア野球の監督・コーチをプロ野球に招き入れても面白いと思う。故人になってしまったけれども、取手二高と常総学院の元監督の木内幸男は、プロ野球の監督にしたら、面白い人だったと思う。むしろ、プロ野球向きの監督だったと思う。

 あともうひとつ、これだけ長々監督について語ってきて、「何故に、原辰徳について触れないのか。」という疑問はあろう。

 確かに、21世紀で最も結果を残している監督は、誰あろう、原辰徳であるが、彼の唯一の戦略「FA大作戦」は評価しにくいよねぇ。確かに、他チーム、それも同一リーグから主力をブッコ抜くというのは、大変強力な戦略であろうけど、それを評価してもねぇ。まあ、同じ条件下で優勝できなかった堀内や高橋は、確かにいるけれども。ちなみに、原も長嶋も、やっぱり内野手出身なんだよね〜。「王朝」とは、断じて認められないけど。

 いや、これ、ペーサーズやコルツのサイトだよ〜。

                         納豆は超小粒派。2021/10/24(日)

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