2023年 9月 |
シーズン展望 | インディアンス同好会の「打順」の記事が道半ばなのであるが、NFLの開幕も近づいてきた、つか木曜日ゲームは開幕してしまったので、とりあえず、こっち書きます。 例によって例の如く、ポジション別に概観。 【QB】 たぶん、つうか、はっきりリチャードソンが開幕から先発。 私は、以前から、ちょこちょこ書いてきているが、ルーキーQBのDAY1スターターには、はっきり反対である。1年寝かしておくべきだと思う。 でもまあ、リチャードソンは、そういうタイプでもないか。サイドラインにいても、学ぶものは無いだろうし、学ぶべき知能も(以下自粛)。 最近は、クラシカルなポケットQBも、めっきり減ったし、カレッジも、プレイヤー、チーム双方ともに、早期に結論を求める時代であるから、「じっくり3年かけて、QB育成」なんていうのは古臭い考え方、それこそ昭和な考え方なのであろう。 でもまあ、フットボールに限らず、何事も短期で決算するというのは、現代アメリカの病弊だと思う。 つう訳で、リチャードソンには、ぐいぐい走って貰って、短期的な収益を出してもらいまひょ。 ただし、私はマニング育ちなので、この手のスクランブルQBには、ついつい厳しくなってしまう。堪忍な。 バックアップは、ミンショーとエーリンガーの二人。エーリンガーはしぶとくロースターに残ってんな。 【RB】 テイラー様が騒動を起こしている訳であるが、感想は、何らかの結論が出てから、テイラーの項目に書きたいと思う。ここでは保留。 ロースターは、ジャクソン、モス、フルの3人。フルはロースターに残りましたな。 【ワイドブロッカー】 盤石、まさに盤石。バラード着任以来、孜々営々と補強してきたワイドブロッカー陣は、ブレシャッド・ぺリマンを得て、いよいよ完成の域に到達した。 てな事を書こうと思っていたら、ぺリマンは開幕前にウェーブ。 しかし、ここ数年、つうか、ずっとだけど、多くのワイドレシーバーがFA市場やトレード市場を賑わしながら、唯一手を出したのが、ブレシャッド・ぺリマン。どういう基準でレシーバーを選別してんだか。もしかして、ホントにワイドブロッカーを求めてんの。ブロッキング能力がいまいちだったから、ぺリマンをウェーブしたの。 ホントに強力ブロッカー陣で縦横無尽に走りまくる戦術を目指してんのか。だとしたら、そのスキームにぴったりのQBはリチャードソンという事になろう。待望のQBゲットって事だろう。期待していいの。そんなスキーム、成立するの。 【OL】 懸案だったRGはフリースで目途が立った模様。 課題はLTという事になるが、レイマンでいけんのか。いけないのか。いけなかったら、来ドラフトは1巡でLT確定ですな。レイマンよ、人生最大の正念場ですぞ。ここで生涯収入が大きく変わる。 【エッジラッシャー】 バラード就任以来つうか、マシス引退以来、いろんな選手を獲得してきたが、いまだ二桁サックは無し。しかも、昨季チーム最多サック9.5を記録したンガコエには逃げられる始末。フリーニー&マシス時代が懐かしい。ただただ懐かしい。 つか、こうなると分かっていたなら、ジェリー・ヒューズをキープしときゃ良かった。後の祭り。祭りの祭り。 【DT】 大黒柱バックナー様は盤石。そのバックナー様も、契約は2024年まで。こりゃ逃げられる公算大。 【LB】 オケレーケにはジャイアンツに逃げられ、ドラフトやFAでの補強も無く、デプスは薄い。薄っぺらい。全盛期の田中邦衛のように薄っぺらい。あるいは、使うのが恐いコンド〇〇のように薄っぺらい。 ぶっちゃけ、レオナルドが怪我したら、即終了ユニットである。 ザイール君のタックル数が、昨季飛躍的に伸びた事を受けて、それをザイール君の成長のように受け取っている人がちらほらおられるが、それこそスタッツだけで選手を評価する事の恐ろしさ、愚かさである。所謂「数字はウソをつく」という奴である。だいたい、タックル数なんて、LBに限らず、ディフェンスプレイヤーの評価基準になんか、ならねーっつの。何年、フットボール見てんだか。 【CB】 数年前に、「何気に厚いユニット」みたいな事を書いた記憶があるが、ここも薄い。薄っぺらい。全盛期の田中邦衛のように薄っぺらい。あるいは、使うのが恐いコン〇ー〇のように薄っぺらい。 ムーアはともかく、両サイドのCBのデプスの一番手が、ともにUDFAって。それでいいんかい。つか、ムーアもUDFAだけどさ。 まあ、先発が務まるだけの力があるなら、それでいいけど。でも、CB、とくにアウトサイドのCBって、ドラフト順位がそのまま実力の順位になりがちなポジションだと思うんだけど、それでいいんかい。信じていいの。 【S】 先発はブラックモンとトーマスの二人。がんばって。 【スペシャルチーマー】 キッカーは、ラムズからやってきたマット・ガイ。パンターは、復活を期すサンチェス。がんばって。 つう感じ。ちょっと前だと、オフェンス、つうかレシーバー陣はしょっぱいものの、それ以外はまずまずで、それなりに戦える戦力と分析、つうか評価していたけど、今季は何これ。 オフェンスも薄っぺらいが、ディフェンスも何気に薄っぺらい。ステーヘンさん、頑張って。 まあ、油断してっと、というか、普通にやってたら、5勝以下も十分有り得る状態だと思う。思わぬ新戦力とか、隠し玉とかが無いと、ホントに厳しそう。 つかまあ、5勝以下に終わって、バラ―ド解任、全体1位でマーヴィン・ハリソンJr.様ゲッッッッッットが、私的には今季のベストのシナリオではある。がんばって。 とは云うものも、リチャードソンがああいうタイプ、所謂「実戦派」のQBなんで、オフェンスはそれなりに進むだろう。ここ数年のフン詰まりオフェンスからは脱却できると思う。御自慢のワイドブロッカー陣を擁してね。うまく機能すれば、8勝前後もあるかも。さすがに大きく勝ち越す事は無いだろうが。 唯一、でもないけど、もっとも有り得そうな懸念は、この手のQB、すなわちスクランブルQBにありがちな懸念であろう。すなわち「パサーとしての才能を証明したがる」である。実際、プレシーズンのハイライト映像には、その影がちらほらと見え隠れしてた。 リチャードソンが「パサーとしての才能を証明したがった」ら、それこそ5勝以下コースであろう。 素直にスクランブルQBに徹したら、8勝以上もあるかもしれん。 リチャードソンが「パサーとしての才能を開花させる」ってシナリオは、さすがに無いだろうなあ。 つう感じで、今季のコルツに関しては、私のコルツファン歴過去最低のテンションで臨むので、コルツ関連の記事は減ると思います。他に書きたい事も色々あるしね。もっとも、リチャードソン&コルツが調子づいて、まさかまさかのプレイオフが見えてきたら、例によって例の如く、「死んでも、勝て〜〜。」になっちゃう。 一応、他のチームについても触れておくか。 アイザイア・シモンズはトレードされちゃいましたね。ドラフト時は、プレミアパスラッシャーかシャットダウンコーナーかスーパーラインバッカーかスペシャルセイフティか、何に変わるのか、いろいろと妄想を膨らませたが、まさか7巡に変わるとはね。 NFLに限らず、「運動能力先行型」は怖いよね。私のなんがいなんがいプロスポーツ観戦歴で数多の、それこそ数多の失敗例を見てきた。むしろ、「成功例」の方が思い浮かばないくらい。誰かいたっけ?。 「失敗例」だと、パッと思いつくのが、ストロマイユ・スイフトとか、失敗とまでは云えないけどラマ―・オドムとかダリアス・マイルズとか、日本のプロ野球だと、あの羽生田様とか古木克明とか。新庄も、この口だよね。 「成功例」は秋山(初代)と松井稼頭央くらいか。 で、アイザイア繋がりで云うと、アイザイア・ロジャースがイーグルスと契約しましたな。いちいちイラつかせるよな、あのチーム。コルツファンの神経、というか私の神経を逆撫でするような事をいちいちしやがる。最下位に転落しろ。ヤクルトみたいに、優勝候補から最下位に転落しろ。 で、ロジャース繋がりで云うと、何と言っても、今季のNFL最大の注目は、アーロン・ロジャース様であろう。着々と先輩の切り開いた轍を進んでいく。ご立派。これで、来季はミネソタと契約して、いつか来た道、パッカーズファンを逆撫でして欲しい。あん時の半々ユニフォームを押し入れの奥から引っ張り出さないとな。いやでも、ジェファソンと組んだら、マジで優勝するかも。 で、3年寝かしたジョーダン・ラブの覚醒ってシナリオまで同じか。歴史は繰り返す、かな。 あっ、そうそう、今季のNFL最大の注目は、アーロン・ロジャース様じゃあ無かった。今季のNFL最大の注目は、そりゃあ、何と言っても、私にとって初めての、「ブレイディのいないNFL」って事だ〜〜〜〜〜〜。復帰すんなよ。いやマジで。 つう訳で、過去最低のテンションでシーズンに臨むわけであるが、コルツのていたらくっぷり以外にテンションの下がる理由がもう一つある。それは、NFLの視聴方法である。 日本のテレビのNFL放送が崩壊しているのは数年前からであるので、今更それは嘆かないが、ここ数年頼みにしてるダゾーンも、今季から配信方法が変更された。 大本営のゲームパスと合流して、年間26800円契約となってしまったのであ〜る。一応、通常のダゾーンでも配信はあるらしいけど、そちらは週1試合のみらしい。 う〜む、15年前の私だったら、それこそ聖水のような涙を流しながら、26800円の契約に飛び付いたであろうが、今現在は、「う〜む」である。 今現在のコルツを3万円近く払って見る価値があるかと問われれば、はっきり「無い」。なんつーか、わざわざ「苦痛」に3万円支払うようなもんである。3万円もあれば、エロい遊びも出来るよね〜。そっちのが、確実な「快楽」だよね〜。大失敗も無くは無いが。 つう訳で、とりあえず「スルー」かな。今季のNFLはG+オンリーと文字ライブで楽しもうと思います。だから、コルツ関連記事も少なくなりますので、ご了承ください。他に書きたい事も色々あるしね〜。そちらの拡充に努めたいと思います。「打順」も、まだ書き途中だし。 それでも、万が一、万が一にも、リチャードソン&コルツが絶好調だったら、慌てて契約すっけど。あの半額セールの奴。あるよね、多分。 つかまあ、この手の放送システム、というか視聴システムで、毎度思うけど、何故に1試合単位で売らん。1試合ごと、あるいは1チームごと、売ってくれれば、多少割高でも買うのに。何故に、頑なに全試合契約。そんなのよほど重度の、つかビョーキの、それこそ15年前の私のようなファンじゃなければ、買わんだろう。少なくとも飛び付きはしないだろう。買うにしても、「渋々」という人が多いんじゃないかな。それとも、みんな「3万円」くらい余裕なの。缶コーヒー感覚なの。 技術的に、そんなに難しい事だとも思えんし。不思議。ホントに不思議。 これからは、NFLに限らず、こういう視聴方法、あるいは観戦方法が主流になっていくのだろうけど、他のスポーツファンがちょいと疑義を呈していたし、私も数年前同じような事を書いた記憶があるが、この方法だと、なかなかライトユーザーが入ってこないよね。 全然NFLに興味の無い人が、いきなり「3万円」も支払って、NFLを見始めるとは、とても考えにくい。まあ、ダゾーンに入会していて、何気なく見たNFLにハマっていったっていうのはあるかもしれないけど、ダゾーンに入会していない人、つまり全然スポーツに興味の無い人は、日本で暮らす限り、NFLとは生涯没交渉であろう。唯一の頼みはG+。 仮に、友人からの勧めとかでNFLに興味を持っても、いきなり「3万円」は敷居が高過ぎるよね。私だって、初期はNHKBSのみだった訳であるし(受信料払います)。それ以前だと、深夜の日本テレビのみという人も多かったろう。まあ、当時はそれしか方法が無かった訳であるが。 こういう状況って、スポーツに限らず、他のエンターテインメント産業でも同様だけど、かえって市場を冷やす事になるのではないだろうか。衣食住と違って、エンターテインメントっていうのは、生活に直結しない、すなわち「無くても困らない」ものなのであるから、それだけに「ライトユーザーの拡充」っていうのは非常に大切な事だと思うけど。 例えば、日本のマンガにしたって、80年代だと、週刊誌で170円ぐらい、単行本で360円くらい、この「安さ」が市場の拡大の一因だったろうし、ファミコンにしても、本体は14800円、ソフトは一本3800円ぐらいだったかな(ソフトは、当時5000円前後という情報がインターネット上に散見されるけど、私の記憶だと3800円だったと思う。)、この他のオモチャに比しても「安い」事が、大ヒットの一因であったろう。これがもし、パソコンやそのソフトのような値段設定だったら、いくらバブルの時代とはいえ、大ヒットはしなかったろう。 また、巨人がかつて「プロ野球の全て」みたいな状態だったのは、長嶋・王の力も大きいが、何と言っても、連日連夜放送される「プロ野球中継」、つか「巨人軍中継」の力が、あまりに大きかった事に異論を挟む者はおるまい。実際、所謂「地上波」を失った巨人軍は、タダの1チームに成り下がっちゃたしね。つか、「プロ野球」自体が、タダの1スポーツになったとも云えなくもないが。 こういう「安さ」、あるいは「敷居の低さ」が、エンターテインメントの世界では、その人気の為には必須のように思われるが、どうだろう。 このへんの問題については賛否両論もあろうが、いずれにしても、はっきりしているのは、メディアの主役が「テレビ」から「インターネット」に移行したという事であろう。 20世紀後半の50年くらいは、「テレビ」がメディアの主役だった。その「テレビ」を利用して、当時の娯楽は発展してきた。その代表格、最もテレビの恩恵に浴したのが「スポーツ」であり「音楽」だったと思う。このメディア抜きには、これらのエンターテインメントの隆盛は考えられなかったろう。 「音楽は、レコ―ドやテープ等々のオーディオ機器があればよいので、テレビは関係ない」と反論する人もいるかもしれないが、そんな事は無いと思う。音楽というエンターテインメントの拡充、少なくとも、その市場の拡大、実も蓋もない言い方をすれば「ゼニになる」為には、テレビは必須だった。 テレビやラジオで、連日連夜「タダで」、音楽を放送する事で、それが「市場の拡大」に、どれだけ貢献してきたか、それを疑うものはいるまい。「アイドル歌手」みたいな、音楽的には思わぬ副産物も生むには生んだが、それだって「市場の拡大」には、大きく貢献したであろう。 実際、ここ20年くらい、日本人なら誰もが知っているような歌が無くなってしまったが、それはテレビの衰退とぴったり歩調を合わせている。最後のヒット歌手といったら、モーニング娘や宇多田ヒカルぐらいまで、遡らざる得ない。AKBの面々はヒット歌手とは言いずらいよね。そもそも、今の若い人たちは、「ヒット歌手」とか「ヒットソング」といった概念自体、知らないかもしれない。ちなみに、この20年くらいで、日本人なら誰もが知っている歌といったら、「ドンドンドン・ドンキー・ドンキホーテ」ぐらいであろう。 かつて、毎年のように国民的ヒット曲のあった事、それ故に、年末に「紅白歌合戦」や「レコード大賞」を放送していた事、今の若い人には分かりにくいよね。実感できないよね。音楽は時代精神を何とやら、である。 「テレビ」というメディアの最大の特徴は、その「排他性」である。世界一、「テレビ」が発達した日本でも、所謂「キー局」は、5局しかないし、それにNHKの2局を加えた7局が、謂わば「テレビの全て」である。もちろん、所謂「地方局」もあるし、それぞれ存在を主張してるけど、「テレビ」とは、原則的に「キー局で放送されるもの」であろう。「水曜どうでしょう」、「サクサク」、「街かどクイズ」、ゴメン。 また、アメリカでも、「キー局」というか、「3大ネットワーク」だし、これら以外の各国は、これら以下であろう。 今現在、世界各国で、いろんなユーチューバーが視聴数を競っているけれど、そのほとんどは「テレビ東京」の視聴率の足元にも及ばない。この「排他性」こそ、テレビの最大の特性である。 その「排他性」を最大限に利用して、「市場を拡大」、つうか「ゼニを稼いできた」のが、何と言っても「スポーツ界」と「音楽界」、そうして「広告代理店」であろう。彼等の高給の根拠は、このテレビの「排他性」にある。実際、「テレビ」が発明普及するまでは、彼等はけっして「高給取り」では無かった訳であるから。つか、「仕事」でも無かったろう。「テレビ」に近いものとして「ラジオ」があった時代はともかくとしてね。 ちなみに、プロ野球というか、メジャーリーグが、あらゆるスポーツに先駆けて、プロスポーツとして成功した理由は、申し迄もなく、野球がラジオのスポーツ、ラジオでもおおよそ分かるスポーツだったからである。サッカーやフットボール、バスケットボール等々は、ラジオでは厳しい。テレビの登場を待たざる得ない。 そうして、そのテレビの「排他性」に真っ向から対立する、というか「多様性」の極みが「インターネット」であるけれど、その「インターネット」と「スポーツ」や「音楽」、「広告代理店」が、どのような付き合っていくのかは、私には分からない。この問題に何らかの結論が出る頃には、私は命を失っているだろうし、仮に命を得ていたとしても、この問題を認識判断するための知性を失っているだろう。 とりあえず、現状、「音楽業界」は壊滅的な被害を受けているみたいだけどね。先述した、「ヒット曲」や「ヒット歌手」の無さは、その象徴だろう。つか、このままだと、歌手っていう職業は無くなるよね。少なくとも、「アイドル歌手」って職業は無くなるよね。って、もう無いか。それは、「音楽」自体にとっては、歓迎すべき事なのかもしれないけれど。 ちなみに、20世紀後半のメディアの主役は「テレビ」だったと、今私は書いたけれども、そも前のメディアの主役は「雑誌」である。まあ、「新聞」まで含めた、「定期刊行物」であろう。 一応、「映画」がメディアの主役になりかけた時期もあったのだけれど、「テレビ」がすぐに開発普及しちゃったので、その機を逸した。もしも、「テレビ」が開発普及されなかったら、「映画」で、「スポーツ」や「音楽」、「バラエティ番組」、「ニュースショー」を見る時代が来ていたのかもしれない。実際、美空ひばりは「映画スター」としてデビューしている訳だしね。 まあでも、「音楽」はともかく、「スポーツ」を「映画」で見るのは厳しかったかもしれない。「スポーツ」の場合は、「生放送」っていうのが、非常に重要な要素だからだ。そういった意味では、「テレビ」が開発普及しなかったら、「音楽」はともかく、「スポーツ」をめぐるゼニカネ状況は、今とはまるで違っていたかもしれない。良かったね、スポーツマン諸君、「テレビ」が開発されて。 まあ、それはともかく、「テレビ」が開発普及してしまった為に、「映画」は専ら「劇映画」のみになってしまった訳である。あとはせいぜい「ドキュメンタリー映画」。「テレビ」が開発普及しなければ、「映画」にも、違った未来、表現があったかもね。 で、「新聞・雑誌」の話になるが、まあ、これは地域によって差があるけれど、日本だと19世紀後半から20世紀前半、欧米だと、おおよそ19世紀から20世紀前半あたりが、「新聞・雑誌」がメディアの主役だった時代である。 で、その「新聞・雑誌」のスターが作家、とりわけ小説家である。ユーゴ―でもフローベールでもトルストイでもドイルでもポーでもメルヴィルでも、人気の差はそれぞれであるが、いずれも「雑誌スター」だった人達である。日本だと夏目漱石とか芥川龍之介といった人たちである。彼等が、「雑誌スター」だったという事は、大事ではないかもしれないが、意外に忘れられがちな事である。 ちょうど、今のユーチューブにスターがいるように、テレビにもスターがいたし、同じように新聞・雑誌にもスターがいた訳である。 ただし、「新聞・雑誌」は、「テレビ」と大きく違って、多様であるために、その「多様性」故に、「排他性」の極みである「テレビ」と共存共栄出来た訳であるけれど、その「多様性」の極みである「インターネット」とは、さすがに共存共栄は難しそうだよねえ。実際、世界各国で、「新聞・雑誌」は休刊廃刊に追い込まれている訳だし。 では、その「新聞・雑誌」以前のメディアの主役は何かというと、そんなものは無い。何故かというと、仕事を終えて、家に帰ったら、寝るしかなかったからである。暗くて。ここ大事。 「映画」や「テレビ」はともかく、「新聞・雑誌」は、18世紀以前でも刊行普及は出来たろう。実際、印刷物そのものは、これも地域において差があるが、13世紀ぐらいから、徐々に世界に普及していった。でも、メディアの主役になれなかったのには理由がある。暗くて読めなかったからである。 貴族とか、それに近い階級の人は、昼間に読書する時間があったろう。でも、多くの人達、この世の大部分の人達は、何らかの形で仕事、たいていは野良作業だけど、それをこなして、日暮れとともに帰宅するのである。そうしたら、あとは飯食って寝るだけ、である。場合によっては、飯も食わないかもしれない。ただ、寝るだけ。なぜなら、暗いから。 まあ、勿論、暖炉や囲炉裏のような火はあったかもしれないけれど、文字を読むには暗い。光量が足りない。光量を上げるためには、火力を上げればよいのだろうけど、そうすると、今度は熱い。熱さを我慢してまで、読書する人はいないだろう。あと、火力を上げると、危ない、というのもある。 という訳で、18世紀以前の人達は、家帰ったら寝るだけ、あるいは食って寝るだけ、娯楽といったら、せいぜいセッ(以下自粛)ぐらいだったろう。 多くの人達が、家に帰って、食う寝る○ッ○〇以外の事をする、すなわち娯楽に興じるようになるのは、光量が高くて熱くない光源、すなわちランプや、なりより電灯を入手してからの事である。ここで初めて、「メディア」が生まれたといってよいであろう。それ以前のメディアは、ほぼクチコミのみであろう。もちろん、「新聞・雑誌」も18世紀以前からあったろうけど、非常に限定的で、マス・メディアにはなっていなかった。 電灯が各家庭に配され、帰宅し食事をし就寝するまでの数時間を楽しむための娯楽が、「新聞・雑誌」であり、「テレビ」であり、「インターネット」であったと云えよう。 ちなみに、18世紀以前だと、夜中に弱い光で本を読む人はいないみたいな事を書いたけれども、それでも読書あるいは執筆をするような奇特な人たちはいて、例えば、本居宣長の息子は、父親から強制されて、連日徹夜で「古事記伝」を筆記させられ、結局、失明してしまったという。暗さと失明に因果関係があるかはともかく、実際、当時の光量はそんなものだったのである。そこまでして、「娯楽」の為に読書する人はいないよね。 この「夜の暗さ」というのは、現代人、とりわけ現代日本に生きる人たちは、なかなか実感できないけれど、不肖私は実感した事がある。というか、実感させられた事がある。 例の大震災での計画停電である。なんか知らんが、私の暮らす地域が計画停電させられ、しかも夜7時から11時ぐらい。何の出来ねーよ。確か、2回くらいあって、1回目は、面白半分で、ちょいと外を歩いたのだけど、ホント真っ暗。信号も点いてねーの。それでも、クルマは走っていて、みんな超ノロノロ運転。時速5キロぐらい。あれなら、歩いた方が速いんじゃねーのってぐらいののノロノロ運転。ホント、自転車より遅かったと思う。でも、そうなるよね、信号が消えていたら。スピードなんか出せる訳がない。2回目の時は、さすがに信号は付いてた。苦情殺到したのだろう。つか、危険すぎ。 で、家に帰った私は何をしたかというと、なんかしようかなとも思ったが、何も出来ん。電気が無いというよりは、暗くて。懐中電灯で読書しようかとも思ったけど、光量不足でやんなった。で、不貞寝。18世紀以前の人々のように不貞寝。 ちなみに、昼間の計画停電もあったのだけど、この時は、そんなに不都合は感じなかった。読書してたか、飯食うかしてたら、いつの間にか計画停電は終わってた。 つう訳で、例によって例の如く、とりとめのない事を書き綴ってしまったが、今季もヨロシク。何を。でも、コルツの事は、あまり書かないので、ご理解ご了承の程、宜しくお願い致します。 2023/9/10(日) |
Week1 | 開幕戦あれこれ | 私が、現今の日本のプロ野球中継で大嫌いなもののひとつに、解説者の選手への敬称がある。敬称っていうか、山本投手とか村上選手とか大城捕手とかいうアレである。 選手への敬称のつもりなんだろうけど、ほんとダサいので、辞めて欲しい。 しかも、何故か、外国人選手は、オスナとかワゲスパックとか呼び捨てで、オスナ選手とかワゲスパック投手とかは言わない。 で、しかも、何故か、アナウンサーは、例外なく、というか当然、呼び捨てである。村上とか山本とかワゲスパックとかオスナとか、言ってる。当たり前の話である。こんなのは、当然「敬称略」であるからだ。 あと、○○投手とか○○選手とか言うくせに、○○二塁手とは云わない。何故か。簡単である。野手の場合、試合中にポジションが変わってしまう事が、ままあるからである。5回まで田中二塁手で、6回から田中三塁手、9回は田中右翼手では、ややこしいからである。 そもそも、「投手」とか「捕手」、「選手」というのは、「職種」、あるいは「担当」であって、「敬称」ではない。「敬称」は、「さん」や「様」、「殿」「君」等々である。 「投手」とか「捕手」、「選手」というのは、「運転手」とか「車掌」とか、「揚げ」とか「焼き」とか、「積み」とか「降ろし」とかと、同ジャンルの言葉であり、断じて「敬称」ではない。まあ、「社長」とか「部長」とか「監督」とかが、「敬称」か「職種」かは微妙なところであるが。 では、どうして、こんな事になってしまったのか、理由は簡単である。江川である。 若くして、解説者になってしまった江川が、まだ当時現役だった先輩プロ野球選手を呼び捨てするのにビビッて、かといって、「さん」や「様」、「殿」「君」等々も使えず、苦肉の策で、門田選手とか落合選手とか村田投手とか言い出したのが、その嚆矢である。あれっ、パリーグの選手ばっかりだ。杉浦選手とか八重樫捕手とか、斎藤投手とかである。 同じく、若くして、解説者になった江本は、ガンガン呼び捨てにしてたけどな。あれっ、してなかったっけ。 江川が日本のプロ野球に広めた悪習は色々あって、例えば、そのひとつは「投手会」、また別のひとつは「先発投手は、原則リリーフをしない」(「他のピッチャーの職域を犯すので、」とか言い訳してた)、また別のひとつは、今話題にしてる「○○選手という言い方」であり、また別のひとつは、最も悪名高い「巨人にしか入団しない」である。 江川以前の選手で、「実力に不安がある」とか「学校や社会人チームの事情」等々で、プロ野球入りを拒否する人は多々いたけれど、「巨人にしか入らない」なんて、駄々こねたのは江川が初めてであり、その後20年近くにわたって続く「悪習」となる。しかも、「巨人にしか入らない」理由なんて、「テレビの影響」以外何もないからね。「ウルトラマンになりたい」っていう幼児と同レベル。大人の発言じゃない。 まあまあ、そういう「江川問題」はともかくとして、この「○○選手問題」(?)を解決する妙案が、私にはある。 それは、将棋や囲碁の世界、あるいは柔道や剣道の世界にあやかって、つか、パクって、プロ野球界にも「段位」を導入すればよいのである。そうすれば、選手を呼び捨てにせず、しかも「○○選手」みたいな妙ちくりんな言い方をしないで済む。 村上九段とか山本九段とか田中九段とか、柳田八段とか丸七段とか、佐々木朗希は、難しいな、実力的には九段だろうが、二桁勝っている訳でもないし、タイトル獲っている訳でもないので、六段くらいかな。 んで、中野三段とか長岡二段とか清宮初段とかオコエ4級とか根尾12級とか。 で、スペシャルな選手は、囲碁や将棋の世界同様、「永世」とか「名誉」とかを与えちゃう。王永世本塁打王とか落合名誉三冠とか野村名誉捕手、つか名誉捕手兼監督とか、大谷永世二刀流とか野茂名誉メジャーリーガーとか、である。 で、長嶋茂雄は無論、プロ野球界唯一にして最高の称号「ミスター・プロ野球」である。長嶋ミスター・プロ野球である。 こうすれば、先の敬称問題があっさり解決するばかりではなく、素人にも選手の実力が一目瞭然だし、選手の競争意識も高まるという、謂わば一石三鳥の妙案なのだ。 今現在、選手の実力を測る目安としては、唯一「年俸」があるが、これを名前の後に付けて敬称代わりにする、すなわち菅野5億円とか村上6億円とか清宮3300万円とか根尾1850万円とかしても、面白かろうが、倫理的に問題、つか大いに問題があるので、実現不可能であろう。 でも、プロ野球の世界に「段位」を導入しても、将棋の世界同様、忖度だらけでグダグダになるんだろうなあ。 将棋なんて、普通にやってりゃ、「七段」にはなれる(まあ、まれに6段以下で引退しちゃう人もいるけれど、それは実力不足というものであろう。)、すなわち、実質「九段」「八段」「七段」、つまり上・中・下の3つしかクラスが無いという事になっている。で、おかしな事が多々起こる。 羽生九段と渡辺九段と森下九段が、同じ「九段」なんておかしいでしょう。実力・実績ともに三者三様なのだから。 まっ、そんな戯言はさておき、一応、縁起物なんで、開幕戦についての感想をあれこれ。っつても、デトロイト@カンザスシティを流し見しただけなんだけどさ。 で、そのライオンズ@チーフスであるが、チーフスはやっぱり、昨季のスーパーボウルの記事にも同様の事を書いたが、あんまり強さを感じなかった。 まあまあ、この試合はケルシーとクリス・ジョーンズを欠いていたので尚更だけど、彼等がいても、結構厳しいと感じた。とりわけ、ワイドレシーバー陣は、コルツ同様(涙)、グダグダだし。 ただ、これはあくまでタレント的に、という意味であって、戦略的戦術的には優れたチームなのかもしれない。だが、その優れているであろう戦略戦術が不肖私には全然分らない。アンディ・リードに講義してもらわんと。 一方のライオンズは、結構久しぶりに見たけど、噂のハッチンソンやセント・ブラウンを中心に、タレント的には、なかなか充実しているように見えた。ジャック・キャンベルも、一発で気に入った。 まあ、1巡18位だと、ちと高いような気もするが、ニーズなら、それも仕方なかろう。理想的には、レオナルドのように、2巡上位だったと思う。 ただまあ、ジャレッド・ゴフがなあ。数年前のスーパーボウルの印象が悪すぎたので、それを未だに引っ張っているというのもあるかもしれんが、全然良くは見えなかった。 なんつーか、リズムが悪い。テンポが悪い。センターだけが動かないつうお笑いフォルススタートもあったが、あれもアローヘッドが最大の理由だろうけど、ゴフのテンポの悪さ、リズムの悪さも一因かと思う。 ここさえ良くなれば、スーパーボウルはともかく、プレイオフが見えてくるチームかと思うけど、それはどこも同じか。 んで、我らがコルツ戦。21−31で、やっぱり敗戦。 ハイライト映像しか見ていないので、このゲームを批評する資格が私には全然無いのだけれど、まあ見なくても大体分かる内容。たぶん、きっと、そんな内容。 ちなみに、今年から、不肖私めの労働事情がちょいと変わって、例年だと、日本時間で日曜深夜のゲームを、文字ライブとはいえ、リアルタイムで追えたのだけど、今年からはちょっと無理。レイトゲームはリアルタイムで追えるのだけど、日本時間2時開始だと、最終盤のみくらいの感じ。 まっ、いいけどね。どうせ勝てないからな。「苦痛」の時間だから。苦行タイムだから。 前回の記事で、あんな事を書いたけれども、もしかしたら勝つかもしれない、もしかしたら最高のシーズンになるかもしれない(ウソウソ。んな訳ない。)と思って、ゲームパスの誘惑になびきそうになったのだけど、加入しなくて大正解。3万円をドブに捨てなくて済んだ。 いや、行ってませんよ、そんなイカガわしいお店なんか。私は清く正しい男ですよ。もう、みんな、すぐイヤらしい想像をするんだから。エッチ。3万円は、将来のために貯金しました。 で、次はジェッツ、つかロジャース。 4プレイでアキレス腱断絶、まさかのシーズンエンド、つか、もしかしたらキャリアエンド。 恐いな〜、現実って怖いな〜。容赦ないなあ。これだから、スポーツ観戦は辞められん。現実の恐ろしさを、まざまざと見せつけてくれる。フィクション系の娯楽には、絶対有り得ない結末。誰もが望まない、誰一人望まない結末。 ちなみに、フィクション系の娯楽における、誰もが望む結末、誰もが望む完全な結末は、申す迄もなく、「天国」。もちろん、フィクションだけどな。 しっかし、さすがに、このヲチは予想だにしなかったな〜。恐いよね〜、中年のスポーツは。すぐアキレス腱切っちゃう。そういう人、たっくさんいます。ロジャースのようなプロ中のプロはともかく、中年のいきなりスポーツは超危険ですよ〜。アキレス腱切っちゃいますよ〜。内転筋やっちゃいますよ〜。 さすがに、このままキャリアエンドはプライドが許さない、というか、泣いても泣いても諦めきらないらしく、来季への意欲満々らしい。そりゃそうだよね、殿堂入りプレイヤーの結末としては、あまりに悲し過ぎる。がんばって。つか、またパット・マカフィー・ショーかよ〜。 つか、私がジェッツファンなら匙投げる。ガチで匙投げる。具体的に、スプーンを投げる。 でも、意外に、こういう状況でザック・ウィルソンが覚醒したりしてね〜。まさしく、望外の結果。 ちなみに、ジョーダン・ラブは3タッチダウン挙げとる。エバーフェルズ相手に。こちらは、予定通りか。アーロン・ロジャース路線か。望内の結果。 でも、このままラブがロジャース路線を突っ走っていったら、私も、負けじとラブ批判しないとな。つか、ラブ否定。愛の否定は大得意です。ライフワークです。エロス専門です。ラブは要らない。 んな感じかな〜。今季はこんな調子でいきま〜す。例年に増して、というか例年に減じて、内容薄いで〜す。薄っぺらいで〜す。全盛期の田中邦衛のように薄っぺらいで〜す。あるいは、使うのが恐いコ〇ドー〇のように薄っぺらいで〜す。 あと、カウボーイズ@ジャイアンツの40−0というスコアにも驚いた。あんま見た事ないスコア。 2023/9/16(土) |