Divisional Playoffs |
雑感 | 過日、近所の本屋をフラフラしていたら、なんとはなしに少女マンガ誌コーナーに足が止まった。なんとはなしにそれらを手に取り、なんとはなしに目次を見ると、懐かしい名前が並んでいる。それらの実名は伏せるが、 いや、お前ら、まだ描いてたんか〜〜〜い。 いや、これ、完全に「少女マンガ」じゃないよね。いや、読者は少女かもしれんけど、著者は完全に老婆だよね。「老女マンガ」だよね。完全に、「ババアマンガ」だよね。 まあ、少女マンガ家はデビューが早いので、キャリアに比して年齢が若いというのはあるけれど、にしても、ではある。 いやまあ、女性が老齢になっても仕事ができるという意味では、良い時代になったのかもしれんけどさ。 一方で、少年マンガ誌コーナーでは、「老人」が立ち読みしてる。こっちは、読者が老人である。ジジイである。完全に「老人ジャンプ」である。恥ずかしながら、私のその一人だから、強くは批判できないけどさ。「大学生が『少年マガジン』を読んでいる」と批判されていた頃が懐かしい。 でもまあ、「少年マンガ誌」や「青年マンガ誌」があるのだから、そろそろ「老人マンガ誌」が創刊されても良い頃だと思う。「老人ジャンプ」とか「老人サンデー」とか。 で、ここ10年くらいの「週刊現代」みたいに、「健康」とか「相続」とか、そんなテーマのマンガばっかりが連載されてたら、笑うよね。あと、「ノスタル爺」。夢も希望もないマンガ。 でもまあ、そういう「マンガ誌」が創刊されないところを見ると、マンガはやっぱり正しく「子供」の読むものなのであろう。夢や希望に溢れる「子供」の読むものなのだろう。 まっ、そんな老人の戯言はともかく、「ディビジョナル・プレイオフ」である。 今週は、その4試合を見てるような見ていないような夢うつつの状態で観戦していたので、雑感という事で、ご堪忍を。細かいゲーム情報は間違っているかもしれません。 まずは、ヒューストン@ボルチモア。10−34でレイブンズ勝利。 「ストラウドではプレイオフを勝ち進めない」みたいな事を書いちゃったので、ヒヤヒヤしながら見てた。これで、スーパーボウル制覇とかされちゃったら、私の立つ瀬がない。 でも、無事、敗退。ホッ。いや、スンマセン、テキサンズファン及びストラウドファンの皆々様、スンマセン。ほんとスンマセン。邪な気持ちでゲームを見ていて、スンマセン。 という訳で、テキサンズ、つうかストラウドは無事敗退した訳であるが(スンマセン。ほんとスンマセン。)、このストラウドを、ここ数試合、じっくり私は観察した訳であるが、それで出した結論は、何度も同じ事を言うようで申し訳ないけど、「こういうストラウドのような逸材こそ、1年寝かした方が良かったんじゃないかな。」である。 1年目にして、「ディビジョナル・プレイオフ進出」という立派な結果は残したけれども、このままだと、ひとつ間違えれば、ワトソン先輩コース、あるいは、トルビスキーのようなメイフィールドのような「はぐれ元一巡QB」コースも無くは無いと思う。素材は素晴らしいのだから、勿体ない。 「経験しながら、仕事を身に付けていく」、所謂「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」、「OJT」という方法も確かにあるけれども、この世に数ある仕事の中で、このQBほど「OJT」に向かない仕事は無いと思う。 スナップを受け、パスラッシャーを警戒しつつ、オープンのレシーバーを探し、パスするか、投げ捨てるか、自ら走るか、甘んじてサックされるか、これを、ものの4,5秒程度で判断しなければならない。しかも、ワンプレイ終了後、反省復習が出来るならともかく、すぐにプレイクロックは動き出し、次のプレイが指示される。 いや、これ、いくらやっても成長しないでしょ。勉強できないっしょ。ただただ、ゲームをこなすだけの数時間だと思う。ゲームをこなすだけで、「いっぱいいっぱい」だと思う。まあ、自軍が守備している時間や試合終了後に反省復習は出来るかもしれないけど、それでは「OJT」の意味がない。 例えば、同じスポーツでも、野球のピッチャーは「OJT」の効果のあるポジションだと思う。最近は、ピッチクロックが導入されつつあるけれども、基本的には「自分のペース」でプレイできるポジションだからである。1球投げるごとに、「何が良かったのか」「何が悪かったのか」反省学習できるし、なによりピッチャーの場合は実戦で投げてみないと分からない事が多いからである。 自信のあるボールがポカスカ打たれる事もあるし、逆に自信のないボールでも、何故かバッターが打つ損じ続けると追う事もある。また、球場ごとにマウンドは異なっている。ピッチャーというポジションは、「OJT」どころか、「実戦必須」のポジションとも言ってよいくらいである。 実際、経験しながら成長していったピッチャーは数多い。その最高峰は東尾であろう。ピッチングはマウンドでなければ覚えられないものである。ブルペンでは学べない。 一方、QBは、上述したとおり、およそ「OJT」にそぐわないポジションである。実際、経験しながら成長していったQBはというのは見た事が無い。先に例に挙げたトルビスキーやメイフィールド、後述するけど、ジョシュ・アレン、そのほか数多くの所謂「DAY1スターター」(厳密に云えば、「DAY1」ではないけれど、「1年目から先発」という意味で、)は、その一日目から何も成長していない。ラックにしたって、一日目から何も成長しなかった。とうか、ラックは一日目にして、既に完成していたのであるが。 ラックの問題はともかくとして、QBは「OJT」にそぐわないポジションだと思う。 では、QBの成長にもっとも有効な方法は何かというと、これも再三再四書いているけれども、「サイドライン」だと思う。 別に優れたコーチを付ける必要もない。ただ、「サイドライン」に座らせておくだけで、1巡上位で指名されるようなQBだったら、勝手に成長していくであろう。 ワンプレイごとに、HCやOCが何を求めているのか、自軍の選手はどう動いているのか、敵軍の選手はどう動いているのか、「サイドライン」ほど分かり易い場所は無い。しかも、自身はプレイに参加していないのであるから、反省復習する時間はたっぷりある。所謂「岡目八目」である。 そうして、そのうち、「俺ならこうする」「ここはこうするべきだ」と思い始めるであろう。その時こそ、フィールドに出してやる時である。 そういった意味では、マホームズのデビューのさせ方は見事としか言いようがない。あんな無茶なトレードアップで獲得したにもかかわらず、というか、無茶して獲得したからこそ、1年目はずっとサイドラインに座らせ、最終戦(!!!)で満を持してデビューさせる。 マホームズには、それこそ「俺ならこうする」「ここはこうするべきだ」が山ほどあったろう。でも、結果は284ヤード・0タッチダウン(!!!)・1インターセプト。 これほどの反省材料は無いであろう。しかも、オフシーズンたっぷり時間をかけて反省できるのである。自分の意図と現実が何が違ったのか、イヤでも考えるであろう。そうして、2年目からの大活躍、というか大爆発は、今更説明するまでもあるまい。 ちなみに、その1年目、チーム、すなわちチーフスはプレイオフに進出してるのであるが、マホームズは出場していない。出場したのはアレックス・スミス(!!!)。ちなみに、初戦敗退。 「オフシーズンに反省する時間があるのは、『1年目スターター』組も同じでは。」という反論もあるかもしれないが、「1年目スターター」は、反省するための材料が、そもそも無い。あるいは、少ない。なぜなら、「俺ならこうする」「ここはこうするべきだ」という企画意図のないままにプレイしているからだ。反省材料が作れない、あるいは「1年目サイドライン」に比して、少ないのである。 このマホームズ、ちょっと前だとロジャース、そうして今年のラブの成功を見るに、QBの1年目はサイドラインに座らせておくべきだと強く思う。「はぐれ元一巡QB」を、これ以上増やさないためにも。 ちなみに、ブレイディも一年目はほぼ「サイドライン」。1ゲームだけ、ちょりっと出場して1/3、6ヤードというスタッツ。そうして2年目の3試合目、あの運命の(?)コルツ戦から先発デビューする訳である。まあ、ブレイディの場合は、上記の1巡QB達とは意味が違うけど、「1年目サイドライン」という意味では同じである。 でもまあ、こんな事を書いていると、大昔、私が職場で新人教育みたいな事をやっていた頃を思い出す。私は「OJT」方式では全然無く、完全に「サイドライン」方式であった。 新人には、1ヶ月という事はないけど、最初の1週間ぐらいは何もさせなかった。「まあ、今日一日は隣で見ててよ。」ぐらいのノリである。 で、そうやって仕事を見せていると、気の利いている奴は一日目の後半ぐらいで、「何かやりましょうか。」とか「こうすれば、いいんですよね。」みたいな事を言ってくる。そこで、私は「おっ、じゃやってみ。」となる訳である。そういう事を聞くというのは、自分なりに仕事を理解した証拠だからである。まあ、勿論、やらしてみてミスがあった場合は、私が突っ込む訳であるが。 このやり方で、気の利いた奴で初日の後半、気の利かない奴でも3日目くらいには、「何かやりましょうか。」となる。1週間位以上経過して、そういう事を聞いてこないのは、「バカ」か「ヤル気の無い人間」なので、クビにするしかないであろう。幸い、そういう人に出会った事は無いけれど。 まあ、勿論、命や健康の危険に関わるような事は、最初に厳しくクギを刺しておくけれど、基本的には、私はこの「サイドライン」方式、つか「ほったらかし」方式で仕事を教えてきた。新人を教育してきた。だいたい、上手くいったと自負している。「OJT」というか、マニュアル渡して、「これ覚えろ」よりは、はるかに効果的だったと思っている。 勿論、これは職種にも依るので、先のピッチャーみたいに「OJT」向きというか、「OJT」必須の仕事もあるだろう。また、「マニュアル」をキッチリ覚えさすべき仕事もあるだろう。また、その新人の性格やオツムの出来にもよるだろう。でも、私はこの「サイドライン」方式、つーか「ほったらかし」方式が最も効果的な、あるいは最も効率的な新人教育方法だと、今でも思っている。NFLの新人QB事情が、それを図らずも証明した訳である。そういえば、昔の「職人」の世界も同様だったよね。「先輩の仕事を目で盗む」、って奴である。 次は、グリーンベイ@サンフランシスコ。21−24でナイナーズ勝利。 このラブが「サイドライン」方式の新たな成功例となった訳であるが、この成功はラブ的にはともかく、パッカーズ的には失敗だったかもしれない。ちと勝ち過ぎた。今季と来季ぐらいは、プレイオフを逃して、ドラフト高順位をゲット、再来年以降に勝負というのが、パッカーズ的には理想のシナリオだったと思う。 今ドラフトは25位。再建計画が、ちと崩れたかな。 ナイナーズについては、次週以降に書こうと思います。 次は、タンパベイ@デトロイト。23−31でライオンズ勝利。 なんつーか、結果云々の前に、見た事のないカード。あまりに新鮮なカード。プレイオフで、このカードって、あったのかな。 プレイオフというと、どうしても、その時代時代に強いチームが出場するから、マッチアップ的には食傷気味なものが多い。その事例は、いちいち挙げないけどさ。「またか。去年見たぞ。」と、なりがちではある。 でも、このカード、タンパベイ@デトロイト。見た事ない。あまりに新鮮である。少なくとも私は記憶にない。 タンパベイは2度のスーパーボウル制覇があるけれども、基本的には、この両チーム、強かった時期の無いチームである。故に、プレイオフでは、このカード、新鮮にはなるよね。 改めて考えてみれば、この両チーム、シーズン全敗、すなわち逆パーフェクトシーズンを達成(?)しているチームだしね。そういった意味では、感慨深いマッチアップだったとも云える。 で、その感慨深いマッチアップ、ライオンズが完勝した訳だけど、今季のライオンズを見ていると、NFLにおいて、「ドラフト権」というものが、いかに価値が高いかというのが、はっきりと分かる。分かり過ぎるくらい分かる。他のプロスポーツ、NBAやメジャーリーグ、日本のプロ野球と比べても、その価値はダンチであろう。 しかも、デトロイトは、ゴフ様の力でデタラメに集めた「ドラフト権」をRBやTE、DE、LBといった、比較的外しにくいポジションに使ったというのも、上手い所というか、憎い所である。 そういった意味では、今回のカンファレンス決勝進出は編成の勝利だとも云える。さしずめ、「帰ってきた90年代カウボーイズ」といったところであろう。 ただまあ、それを腐す訳じゃないけど、このプレイオフ2戦は、対戦相手に恵まれたともいえなくはない。2年前にスーパーボウル制覇してダウントレンドのラムズに、なんちゃってプレイオフのバッカニアーズ。真のスーパーボウルコンテンダーなら楽勝すべき2戦ではあった。でも、辛勝とまでは云えないが、楽勝とも云えない内容。 そうして、次戦は、正真正銘スーパーボウルコンテンダーのナイナーズ。ライオンズ、というかゴフの真価が問われるゲームではある。ジャレッド・ゴフの明日はどっちだ。 次は、カンザスシティ@バファロー。27−24でチーフスの勝ち。 この一戦を見終わっての感想は、「成長しねーなー。」であった。成長しないのは、勿論、リードやマホームズではなく、ビルズとジョシュ・アレンである。 G+で解説してた森さんは、「実力伯仲の好ゲームでした。」みたいな事を言ってたけれど、私にはそうは見えなかった。確かにスコア的には伯仲していたし、後述するが、ツキはビルズ側にあって、ビルズ勝利の目も十分あったと思うけれど、そういうスコア的勝敗的にはともかく、内容的には大きく差が開いていたと思う。特にクォーターバッキングに関しては、両者に雲泥の差を感じた。試合中終始、チーフスのサイドラインに余裕を感ぜられたのは、その現れだと思う。 実際、第4クォーター中盤での、ビルズエンドゾーン手前での「ファンブルからのタッチバック」が無ければ、おそらくチーフスはそのままタッチダウンしていて、チーフス楽勝のゲームだったと思う。 ところが、ああいう形になって、試合は縺れる訳であるが、これはビルズサイド的には非常な幸運である。しかも、ビルズの最終ドライブでは、アレンがファンブルしながらもロストにならず、攻撃続行である。謂わば、二つのツキに恵まれながら、結果は敗戦。 まあ、勿論、FG外しは痛かったとはいえ、このFGが決まっていたとしても、これはあくまで同点FGであって、サヨナラFGではない。このFG外し自体は、あの伝説の「ワイドライト」と違って、勝敗に直結するものでは無かったと思う。 もっとも、キッカーのバース(!!!)は、この時点まででヨレヨレ、調子も悪かったみたいで、44ヤード。外し頃、というか外しそうな雰囲気ムンムンであった。そういった意味では、4th&9とはいえ、残り時間も2分を切っているし、ギャンブルも一つの手ではあったとは思う。あくまで結果論だけどさ。 そういった結果論はともかく、勝敗を決したのは、両チームの実力差、とりわけ両QBのクォーターバッキングだったと思う。 先に、「ファンブルをロストしなかったのは、ビルズの幸運。」と書いたけれども、そもそも、あの場面でファンブルする方が大問題である。残り時間5分で3点ビハインドという状況、あの場面で最も避けなければならないのは、得点できない事では無く、ターンオーバーからの失点である。これはゲーム終了である。故に、QBのミッションは、「ターンオーバーを絶対避けつつ、理想的には得点、無理ならパントで我慢。」であろう。ところが、ジョシュ・アレンはゆるいボールセキュリティでファンブル。言語道断である。 ちょうど似たようなシーンが、その直前のチーフスの攻撃シリーズであり、その似たような状況の下、マホームズはボールをしっかり抱えて、無理せずサックされていた(公式記録的には、「アウト・オブ・バーン」)。 こういうところに、マホームズとジョシュ・アレンの力の差が如実に表れていると思うし、それがゲームの結果に反映されたと思う。 そもそも、いまだにゴール前でラッシング・タッチダウンしているのもどうかと思う。確かに、スクランブルであれデザインであれ、ゴール前でのQBのランというのも最も容易かつ確実にタッチダウンできる方法ではあろう。でも、そればっかりだと、いつまでたっても、真のクォーターバッキングは身に付かない。レッドゾーンでの厳しいパスカバーをかいくぐって、パッシング・タッチダウンを決めるのが、QBの仕事であり、レシーバーの仕事であろう。見せ場といってもいい。また、これが出来ないと、なかなかスーパーボウルは厳しい。 まあ、ゴール前1ヤードで余裕のショットガンをやってたマニングも問題ちゃあ問題だけど(テレビの前で、「スニークしろよ、バカ。」と私は怒鳴ってた。懐かしい。)、ゴール前でラッシング・タッチダウンばっかりのジョシュ・アレンも、これはこれで問題であろう。スーパーボウルは見えないと思う。 ちなみに、今、公式ホームページのボックススコアで「ジョシュ・アレン」をクリックしたら、ジャガーズのジョシュ・アレンにリンクされてた。バカ。でも、今季、17.5サックしとる。勉強になります。って、バカ。 まあまあ、そんな公式ホームページのポンコツっぷりはともかくとして、ビルズの今後の舵取りはなかなかに難しいと思う。私がオーナーだったら匙投げるかも。 編成陣コーチ陣一掃というのも一つの案かも知れないが、それをしたところで何が変わるかといったら微妙なところではあろう。後任は「さて、どこから手を付けたらよいものか。」。 理想的には、ジョシュ・アレンを、それこそラムズ方式で放出してしまうべきであろうが、ビルズ的には、ジム・ケリー以来の待望久しいフランチャイズQBだしのお。さすがに、それは出来んだろう。う〜む、いや、難しい。このままだと、典型的な8勝チーム、今は17試合制なので9勝チームか、それにハマってしまう。 あと、このゲームのもう一つのトピックスはパチェコかな、やっぱし。あんな鬼気迫る、つうか危機感迫る走りは、久々、というか初めて見た。「俺たちに明日は無い」的な走り、ボニーとクライド走法。 いやもう、完全にレギュラーなんだから、あんなに鬼気迫らなくてもいいんじゃない、とは思う。でも、ああいう走りを見せられたら、首脳陣は使いたくなるよね。ぶっちゃけ、ランナーとしては平凡な選手だと思うけど、あの危機感を首脳陣は買ってるのかもしれん。 実際、ここ数年のチーフスみたいに勝ってきたチームだと、どうしてもチーム内にマンネリ感、ゆるみが生まれるから、尚更、ああいう選手は必要なのかもしれん。「このゲーム、チーフス側からは終始余裕が感ぜられた。」と私は書いたけれども、それは、逆から云えば、「油断」「ゆるみ」とも云える。実際、それも一因で、このゲームを落としそうだった訳であるし。そういった意味ではこのゲーム、あるいは今季のチーフスのMVPはパチェコなのかもしれん。パチェコの危機感なのかもしれん。 でも、そう考えてみると、あのペイトリオッツ王朝で最も危機感を持っていたのは、終始勝ちに飢えていたのは、あのブレイディなんだよね。今から考えると、それこそブレイディの最大の美点だったのかもしれん。飽くなき勝ちたがり。 そういえば、ハーボーがチャージャーズのHCに就任するみたいですね。ちょっと楽しみ。 2024/1/28(日) |
Conference Chanpionships |
雑感 | 先週、「老人マンガ誌」について、ちょっと書いたが、それに関連してというか、全然関連してないが、「売春」の話。 ネットニュースで「売春」の記事をちらと読んだが、この言葉「売春」は、おそらく「春を売る」という意味なのであろう。違うかもしれんけど。 でも、世の中には、「春」じゃなくて、「夏」を売っている人もいるよね〜。いや、「秋」や「冬」を売っている人もいるよね〜。まあ、「秋」や「冬」が大好物の人もいるけどさ。 そんな本格的に下世話な話とは全然関係なく、今度は「宇宙」の話。 いまや、すっかり忘れ去られてしまったけれども、私の子供の頃、あるいは幼少の折、宇宙ブーム、あるいはスペースシャトル・ブームというものがあった。 ブームとしては、そんなに規模の大きなものでは無く、その後のナメ猫ブーム、アラレちゃんブーム、ガンプラブームに比べれば、全然ささやかなブームだったのだけれども、そのブームは確かに存在した。実在した。 幼い私は、そのブームにほだされて、スペースシャトルの写真が印刷された筆箱を親に購って貰ったりした。これも、いまやすっかり忘れ去られてしまっているが、当時、○面筆箱というのが流行っていた。 今の若い人たちには、全然イメージできないかもしれないが、筆箱の色々なところ、前面や裏面、側面等々にフタが付いていて、それぞれ、鉛筆入れ、ペン入れ、消しゴム入れ、カッター入れ等々になるというものである。で、そのフタの枚数を、各社が競っていたのである。5面とか8面とか10面とか、である。テレビCMもあったと思う。そうして、その発展形として、その各部位を磁石で着脱式にした、「合体変形」なるものまで発売された。TVCFもあったと思う。 「子供だまし」といえば、これより下が考えられないくらいの「子供だまし」であったが、私に限らず、当時の小学校低学年くらいの児童らは、豪快に騙され、その面数とか「合体変形」とかを教室で競った。 もっとも、数ヶ月もすると、騙されている事に全小学生が気が付き、缶や布の普通の筆箱、あるいはペンケースに戻った。私も、恥ずかしくなって、ドラえもんのちょっと洒落た缶ペンに替えた。 で、その6面体だか8面体だかの私の筆箱の表面と裏面に(表裏の正否は、もち不明)印刷されていたのが、スペースシャトルのなかなかカッコイイ写真だった。あれは、もう実家には無いかな。捨てられちゃったかも。今度帰省した折に、探して見よっと。ちなみに、ドラえもんの缶ペンはサルベージして、今手元にある。イラストは、だいぶ剥げちゃったけど。 とまあ、こんな調子で、このささやかなスペースシャトルブームの時には、小学生の身の周りには、宇宙やスペースシャトルが溢れていた。例の「ひみつシリーズ」で、「宇宙のひみつ」とか「スペースシャトルのひみつ」とかもあったと思う。これも買ってもらって、今も実家の本棚に眠っている、筈である。今度、サルベージしてくっか。 こんな時代があった訳である。かつて、ホリエモンが「宇宙開発どうのこうの」云っていたのは、この小学生の頃の記憶が残っていたからだと思う。冷徹な成算があっての投資では無かったろう。 という訳で、当時の小学生は、自分たちが大人になる頃には、宇宙観光や宇宙定住は当然になっている、既定路線であると、単純に信じていた。信じ切っていた。私もその一人であった。 で、それから、ン十年、結果はどうなったか。 何も変わっていない。1ミリも進んでいない。 いやあ、さすがに、この結果にはビックリしたね。ン十年前と何も変わっていないのだもの。いやまあ、専門家的技術的には大きく進歩しているのかもしれないけど、庶民的一般生活的には何も変わっていない。あいかわらず宇宙旅行は出来ない、あるいは限定的だし、宇宙定住なんて、とっかかりすらない。インターネットにおけるWindows95的なものは何もない。小学生の夢は、未だ夢のままである。身体的精神的には、完全に老人なのにさ。 どうして、こんな結果になってしまったのだろう。つらつら考えてみる。 まず、技術的な問題というのが、あるのかもしれない。 私も専門家では無いので、この点については、何ら発言する権利は有さないのだけれども、ただまあ技術的な問題は、素人目にはそんなに無いように思う。 実際、秋山さんのような一般人、宇宙飛行士的でない人も、宇宙、大気圏外に行っている。その程度の宇宙旅行なら、普通の人でも、ちょっとした訓練、あるいは、ちょっとした審査くらいで、可能なのだと思う。 また、宇宙定住にしても、どこぞの国の宇宙ステーションでは、1年とか2年とか宇宙に滞在しているのだから、まあ10年20年となると、何らかの健康上の被害があるのかもしれないが、数年なら十分可能なのであろう。 このン十年、進歩したもの進歩しないもの、色々ある。進歩したものとして、パッと思いつくのは、「電球」である。 私の子供の頃は、それこそエジソン御用達の竹に端を発したフィラメントの「電球」が、まだまだ現役であった。それ以外だと、「蛍光灯」。今の若い人たちだったら、それこそイライラして、「タイパがワリィーーー。」とか怒鳴り散らかしそうな代物である。でも、いまや、それらはLEDに取って代わられた。 あと、「自動車」なんかも大きく進歩したものひとつであろう。当時は、まだキャブレターだったもんね〜。 一方で、このン10年、全然進歩していないのは「電池」である。 こちらも、私は全然専門家ないので、発言する権利は有さないのだけれど、素人目に見て、あるいは門外漢的に見て、技術的には全然進歩していないと思う。少なくとも、画期的に進歩はしていない。 だって、それが充電式であれ非充電式であれ、私の子供の頃から、全然変わっていないのだもの。単3電池単2電池、機能的にもデザイン的にも全然変わってねー。充電式電池も、その重さ、その容量、全然変わってない。むしろ、悪化しているようにさへ感じる。まあ、これは、諸々の電化製品の機能が向上した、すなわち電力消費量がアップしたからであろう。 昨今は、電気自動車問題が喧しいが、これも結局は、「電池」の問題だと思う。単純に、「自動車の制御」という点では、電気の方が容易だろうし簡明であろう。現時点でも、技術的にも完全にクリアしていると思う。あくまで素人考えだけどさ。 なのに、それが全然普及しないのは、要するに「電池」が自動車の使用に耐える程、進歩していないからだと思う。「急速充電1時間」って、そんな自動車、使えないでしょう。全然、「急速」じゃねーー。 そもそも、「電池」が自動車の使用に耐えられるくらいなら、それ以前に、多くの電化製品も「電池式」になっていると思う。テレビやパソコン等々の電気コードや電源タップに悩まされているのは我が家だけではないだろう。おそらく、世界的な問題である。 そうして、何より、「電池式」にして貰いたいのは、掃除機。これが「電池式」になったら、どれだけ掃除が楽になるだろう。 でも、それらが「電池式」にならないのは、そういった電化製品の使用に耐えられるほどに、「電池」が進歩していないからだと思う。 そういった事情から、世界中の自動車会社、電気会社が叡智を結集して、「電池」の進歩に躍起になっている訳だろうけど(当然、凄まじい利益を生み出す。)、これは、あくまで、私見というか、予感だけど、電気の性質を考えてみた場合、なかなかに難しいんじゃないかなと思う。それが出来るのなら、もうとっくに生みだしているだろう。トヨタとかテスラとかグーグルとか東芝、あっ、間違えた、日立とかが。それが出来ないという事は無理なんだと思う。その無理、不可能を証明する方が容易にさへ思う。 電力というのは、引力や磁力と並ぶ(「ジャッカー電撃隊」とか云わないよーに。ヲタク、ぶっ殺す。)、この世の根源的な力、エネルギーである。そうして、それらは、同じものの三つの形態なのであろう。あるいは、異なる条件下における、異なる現出形態なのであろう。電池が、そのサイズに比して、総じて「重い」というのは、それを予感させる。で、勿論、電力は磁力から生み出される。 また、これら三者はその特徴が似ている。「接触せずに作用すること」、「目に見えない事、すなわち光に反射しない事」、「向きのある事」、そうして「保存できない。あるいは、保存しづらい事」等々である。 そうして、引力や磁力が保存できないように、電力もまた、保存できないのだと思う。「エネルギー保存の法則」や「慣性の法則」に反する事なのだと思う。 故に、充電量を上げると、その分だけ、重くなるにだろう。 電気自動車に関して云えば、「優れた電池」を開発発明するよりは、「優れた小型発電機」を開発発明する方が容易じゃないのかな。それこそ、原子力等々を用いてね。もしくは、電力の無線輸送。まあ、素人考えだけど。 閑話休題。 とまあ、「電池」はなかなかに進歩しないものなのだけど、それに比して「宇宙開発」は、技術的には十分進歩しているように思う。 では何故に、「宇宙開発」が遅々として進まないのであろうか。理由は一つしかない。「宇宙に行く理由が無いから」である。 大昔、島田紳助(今、何してっかな。)が、「宇宙旅行なんて、つまらんで〜。見るもん、地球しかあらへん。」と言っていたけれど、全く以ってその通りだろう。多少の命の危険を冒してまで、「地球を見たい」人がどれだけいるだろうか。 しかも、基本、というか完全に「夜」ばっかだしね。しかも、そのナイトライフを楽しむ歓楽街もない。そもそも名勝旧跡もない。現時点での名勝旧跡といったら、「アームストロング船長が、」とか「帰ってきたウルトラマンが、」とかしかないであろう。あれっ、エースだったけ。ヲタク、ぶっ殺す。 もし、「宇宙旅行」を開発進歩させたいというのなら、「宇宙旅行」のための技術の開発より、むしろ、名勝旧跡、というか観光地の開発の方が急務であろう。それこそ、月にディズニーランドをつくっちゃうとかね。「ディズニーランド・ムーン」みたいな(セーラームーンっぽいな。ヲタク、ぶっ殺す。)。で、その1/6の重力を利用した遊具を開発してね。まあ、ジェットコースター的な遊具にとっては不利な条件ではあるが。で、お土産は、もちろん「萩の月」。まあ「萩」ではないけれど。 一方、「宇宙定住」に関しては、更なる難事業である。だって、まだまだ地球には住むとこ、沢山あるもの。海上都市や海中都市、空中都市も無いのに、それらより危険度は増すであろう「宇宙」にわざわざ住みたいと願うのは、よほどの酔狂だろう。あるいは、死にたがりの狂人。 それこそ、「ガンダム」みたいに「増えすぎた人口を、」となれば、話は別だけど、現時点の地球は、全然「増えすぎて」ないよね。 つかまあ、「ガンダム」も「増えすぎて」ないよね。「ガンダム」っていうのは非常によくできた作品だけど、いくつかある不満のひとつが「増えすぎた人口」感がまるで描写されていないってとこである。冒頭で「総人口の半分が死んだ」としているけれど、それを差っ引いても(増しても?)、まだまだ「増えすぎた」感は無い。むしろ「ガラガラ」であるとさへ見える。もしかしたら、「強力な自然保護政策」を地球全体で敷いていて、人間の居住区が極端に狭くなっているのかもしれないけど、とりあえず、そういった描写や説明は無い。物語前半の地球の描写を見る限り、「ガラガラ感」は強い。アメリカ大陸にしても、、ユーラシア大陸にしても、ガラガラである。ジャブローのような地下基地を作れるのなら、地下都市を作っても良い訳だし。視聴者が「いや、こりゃ、人多過ぎだわ。キツキツだわ。」と思わせるような描写や演出は必要だったと思う。まあ、この点をツッコむ人は、あまりいないけれども。「ガンダム論」は、それこそ星の数ほどあるにも関わらず。ヲタク、ぶっ殺す。 「ガンダム論」はともかくとして(「ガンダム」については、いずれまとまったものを書きたいと思う。)、人間というものは、少なくとも大部分の人間は、「知的好奇心」や「冒険心」だけで、「宇宙」には行かない。行くには行くだけの明確な理由、明確な利益、すなわち明確な動機が必須である。 これの最も分かり易い事例が、何と言っても「大航海時代」であろう。中国や日本、インドやアラビアではなく、何故にヨーロッパで「大航海時代」が興ったかと問われれば、理由は一つしかない。「遠洋航海技術」とか「海への冒険心」とか云われているが、そんなのは全部ウソッパチである。それらも、ごく細やかな理由になっているかもしれないが、大きな理由は一つしかない。「香辛料」である。 「遠洋航海技術」や「海への冒険心」なら、程度の差こそあれ、中国や日本、インドやアラビア等々の国々(東南アジアやアフリカはちょっと厳しいかな。ゴメンナサイ。)にもあったろう。でも、これらの国々には、地球を一周しようとする明確な理由、明確な動機、すなわち明確な利益が無かった。これらの国々にも、このヨーロッパ各国にとっての「香辛料」のような利益、理由、動機があれば、その国々が世界を一周をした事であろう。アメリカを発見したであろう。だが、残念ながら、これらの国々に、「香辛料」のような利益、理由、動機は無かった。 それは、幸か不幸か、ヨーロッパのみにあった。そうして、ヨーロッパに「大航海時代」が始まり、それは「ルネッサンス」「産業革命」「植民地時代」を準備した。 でもまあ、「香辛料」って、今から考えると、ほんと天の配剤だよね。これほど、船で運ぶに適しているものは無い。船で運ぶ条件は、おそらく二つある。ひとつは「日持ちのするもの」、もうひとつは「重くないもの」である。 例えば、同じ植物でも「トマト」とか「ほうれん草」とか、あるいは、あの足の速い「もやし」では、それがたとえ莫大な利益を生むものであったとしても、船での輸送、海運輸送には向かなかったろう。 また、「重金属」のように重いものも、それがたとえ莫大な利益を生むものだとしても、同じく海運には向かなかったろう。まあ、もっとも、こちらはバカでかい船を作って解決したかもしれないが。 更に、もうひとつ付け加えると、これは海運とは関係ないが、「資源が、ほぼ枯渇しない」という意味でも、「香辛料」は優れていた。「香辛料」なんて、東南アジアにおいては、年がら年中発生しているものである。更には、当時の(今もかな?)ヨーロッパでは、「ほぼ栽培できない」という利点もある。 こういった諸々を考えてみると、「香辛料」は、ほんと「天の配剤」といってよいくらい、海運に適した、「大航海時代」を準備するに適した「金の成る木」であったと思う。 つう訳で、こういう「香辛料」的なものが宇宙のどこかで発見されたら、「宇宙開発」は劇的に進歩すると思う。 例えば、先に述べた「電池」を劇的に進歩させる物質が月で発見されたら、それこそ「大宇宙時代」が始まるであろう。つか、戦争必至だよね。「宇宙大戦争」、始まり始まり〜〜。 一般市民、すなわち非戦闘員は住んでいないし、重力は1/6だから、核兵器も使いたい放題。つか、バイファムとかレイズナーとかも出てきちゃうよね。まあ、さすがに、ガラットは出てこないであろうが。ヲタク、ぶっ殺す。 つか、これテレビ放送されたら、ガブリつきで見るわ。夢中だわ。仕事辞めるわ。人生に一度出会うか出会わないかレベルの大スペクタクルだわ。NFLなんか見てる場合じゃねー。こっちは「ゲーム」ではなく、「リアル」な戦いなのだから。そうして、「白い方が勝つわ。」なあんて言っちゃたりしてね。ヲタク、ぶっ殺す。 んで、戦争が終結したら(ボトムズ世界のように、「100年戦争」になるかもしれんけど。ヲタク、ぶっ殺す。)、めでたく名勝旧跡が出来るよね。「ここは、かの○○将軍が、その軍才を最大限に発揮した〜」とか、「この地から指す太陽光線が、○○国の第3宇宙艦隊を〜」とか、「この地にて、初めてラウンドバーニアンが、」とか。まあ、ほぼ全て古戦場だけど。あと、いろんな饅頭も作れるよね〜。 あるいは、木星で、そんなようなものが発見されたら、シロッコ出てくるよね、絶対。あと、シャリア・ブル。ヲタク、ぶっ殺す。つかまあ、「ガンダム」は実際そういう設定なんだよね。強力なエネルギー源だか、物質だかが木星で産出するという。ガンダリウム・ガンマの原料だったけ。 というような「ヲタク、ぶっ殺す」はともかくとして、カンファレンス決勝である。 先週と同じく、「うつらうつら観戦」にての感想なので、細かいところはツッコまないで下さい。「いや。大金叩いて購入したゲームパスで確認すればいーだろ。10日以上経過してるし。なめんな、バカ。」というお叱りご批判罵声も聞こえなくはないが、なんかメンドクさくて。ごめんなさい。 まずは、アメリカンであるが、こちらは17−10でチーフスの勝ち。 点差的には、7点差と僅差であるが、内容的にはチーフスの圧勝、というか楽勝だったと思う。ビルズ戦同様、終始一貫チーフスには余裕が感ぜられた。 で、この一戦を見終わっての私の感想は、「結果、出ちゃったなー。」である。 いやまあ、結果なんて最初から出てたのかもしれないけれど、このラマー・ジャクソンのような所謂「スクランブルQB」の結論、というか結末である。私のNFLを見始めた頃だと、あのマイケル・ヴィック様、その後、キャム・ニュートンやラマー・ジャクソン、広義ではジョシュ・アレン等々、有象無象の「スクランブルQB」を見てきたけれど、「なかなかに厳しい」という結論である。マクナブやマクネアは純正の「スクランブルQB」とはちょっと違うかな。 この手の「スクランブルQB」の最高の結果はキャム・ニュートンであろうが、それでもスーパーボウルは厳しかった。私の過去観戦したスーパーボウルで最もしょっぱかったゲームはゴフのそれであるが、次点はキャム・ニュートンのそれである。おそらく、マニングのキャリア史上最も楽チンチンだったゲームである。ほぼ何もしないで、ハンドオフしてるだけで、スーパーボウルリングを手に入れちゃった、あのゲームである。 ちなみに、マニングのブロンコとしてのもう一つのスーパーボウルは、こちらはマニング史上最も何も出来なかったゲーム、おそらく唯一完封されたゲームである。マニングにとって最も厳しいゲームと最も楽なゲームが、ブロンコとしてのスーパーボウルの両ゲームだった訳である。 閑話休題。 ラマーに話を戻すが、まあ、厳しいよね。試合を決めたのは、あのエンドゾーンでのインターセプトであろうが、それ以外でも危なっかしいパスは散見した。ダブルチーム、トリプルチームでガンガン放っちゃてんだもの。私は、ヒヤヒヤしながら見てたのであるが、結果最も大事なところでのインターセプト。試合は決した。ゲームセット。 「この手のQBはパッシングに対して劣等感がある為に、大事な試合になればなるほど、パスに固執する」という説があるけれど、なるほど、そんな風にも見えた、この日のラマーのクォーターバッキングであった。インターセプトの直後、サイドラインでヘルメットを叩き付けていたけれども、あれはどういう意味だったのだろう。 ただまあ、この手のQBがどうしてプレイオフだと結果が出ないのかは、私には、正直、よく分からん。レギュラーシーズンでは結果が出ている訳である。でも、何故かプレイオフだと勝ち切れない。このラマーを始め、ジョシュ・アレン、キャム・ニュートン等々、結構惨めな負け方を喫してしまう。「プレイオフだと、ディフェンスのレベルが格段に上がるから」という説もあるけど、にしてもである。 ただまあ、他のスクランブルQBはともかく、ラマーを観ていて感じるのは、「このQB、全然前後を考えていないな。」って事である。今さっき、フィールド上で何が起こったのか、そうして、これからフィールド上で何が起こるのか、全然考えていない。「永遠の現在」を生きているのがラマー・ジャクソンである。ラマーには、過去も未来も無い。 そうして、コルツファンとして最大の問題は、我らがアンソニー・リチャードソン君も、このタイプだという事である。いや、何気にリチャードソンの実戦を私は一度も見てないので、もしかしたら違うタイプかもしれんけどさ。イメージ的に、スカウティングレポート的に。リチャードソンの明日はどっちだ。いや、コルツファンの明日はどっちだ。 話をラマーに戻すと、どうすんのかねえ〜、ラマーを、レイブンズは。勿論、我らがコルツと違って、というか、おおいに違って「レシーバー陣が弱かった」という言い訳は通用しない。ロートルではあるけれども、ベッカム、アゴラーは実力者であるし、アンドリュースもいる。さすが、リーグベストのレイブンズのフロントである。出来得る限り、ベストのレシーバー陣を用意したといってよいであろう。マホームズに、このレシーバー陣があったら、毎試合30点は取るであろう。つか、バラードのバカッ。 バカのバラードはともかくとして、かつて、オジー・ニューサムの率いた、この20年でNFLベストといってよいであろうレイブンズのフロントは、どういう決断をするのかねえ。前回の記事で、「ジョシュ・アレンの今後、つうか扱い」について、ちょろっと書いたけど、レイブンズ・フロントはどーすんのかねえ、ラマーの扱い。 こっちは、リーグ最強のフロントなので、決断しちゃうかもね、ラマーの放出。それをやりかねないのが、レイブンズの編成であり、過去の実績である。 一方、ナショナルは31−34でナイナーズの勝ち。 前半、ライオンズのランが出まくって、あれよあれよで前半終了時点で24−7。ライオンズ初のスーパーボウルが見えたかと思いきや、そこから、あれよあれよで逆転負け、夢のスーパーボウルが、夢に終わった。 いや、でもまあ、難しんだよね。前半終了時の17点差ぐらいって。以前、どっかで書いたと記憶してるけど、このくらいの点差を逃げ切るのはディフェンスの力では無くて、QBの仕事なんだよね。そうして、これは二流と一流の差ではなくて、一流と超一流の差なんだよね。記憶に新しいところでは、スーパーボウルで、マット・ライアンが大恥かいているし、あのブレイディですら、例のコルツとの一戦で21−3から逆転負けを喰らってる。QBの仕事としては、最も難しいものかもしれない。そうして、これが抜群に上手かったのが、いつぞやも書いたが、アンドリュー・ラックである。ラックは、「逆転のラック」であると同時に、「逆転負けを喫しないラック」でもあった。 この手のシチュエーションにて、QBのミッションは、つまり以下である。「時間を潰す事を最優先にして、ターンオーバーは絶対不可」。これの理想的なシナリオとしては、「15プレイぐらいで80ヤード進み、FG」といった感じであろう。かてて加えて、「3rdダウンまで消費しつつ、コンバージョンする」のが理想であろう。しかも、ここが大事なところであるが、「ロングゲインや一発タッチダウンは不可。出来ればタッチダウンも避けたい」である。 「いやいや、タッチダウンを奪って、点差を広げた方がいいんじゃない。」という反論もあるだろうが、理想的にはタッチダウンを奪いたくない、あるいは点差は広げたくないのである。せいぜいFGである。なんなら、敵陣奥深く、3ヤードくらいの4th&ギャンブル失敗でも良いくらいである。 というのも、点差を広げると、敵は、より無理をして攻めてくるからである。将棋用語で謂うところの「暴れる」である。敵オフェンス陣は無論のこと、リターン陣も暴れる。敵のスペシャルチーム・コーディネーターは、リターナーに「ファンブルしても良いから、タッチダウンやロングゲインを狙ってけ。」と指示を出すだろうし、また、ブロッカー陣には一発タッチダウン用のブロッキングスキームを用意するであろう。実際、ビックリターンは、負けている側、それも大きくリードされている側から出ることが多い。勝っているチーム、大きくリードしているチームにビックリターンされているようでは、スペシャルチーム・コーディネーター失格である。更迭である。 という訳で、リードしているチーム、前半終了時点で3ポゼッションくらいリードしているチームは、細心の注意を払ってゲームを進める必要がある。ちょいと間違えると、このゲームのように、あるいはマット・ライアンやブレイディのように、惨めな逆転負けを喫してしまう。 まあ勿論、レギュラーシーズンだと、力の差がある場合もあるし、状況によっては、前半3ポゼッション差の時点で、敵側がゲームを諦めてくれる事もある。「今日は、ゲガしない程度にやろう」って奴である。 でも、プレイオフではそうはいかない。元々、力がある、あるいは力の差が無いし、そもそも、当然ながら、諦めてくれない。有名な大逆転ゲーム、グレートカンバックのゲームがプレイオフに多いのは、そういう理由である。 故に、前半3ポゼッションぐらいをリードしたまま安全に逃げ切るというのは、QBにとってなかなかの難事業なのである。「生かさず、殺さず」じゃなく、「生かしつつ、最後にきっちり殺す」、あるいは「生かしつつ、気付いたら死んでる」というような、徳川幕府以上に精密な経営がQBに求められていのである。「『希望』を餌に、殺す」といったところか。 そういった意味では、アメリカンカンファレンス決勝のように、7点差を維持しつつ、ゲームを終わらせてしまう方が、却って容易であろう。リードとマホームズは、そこまで考えて、ゲームをコントロール、マネジメントしていたかもしれない。 実際、前半でチーフスが大きくリードしたら、ラマーも観念して、バカ走りしてくるであろうから、そっちの方が、チーフス的には恐ろしいシナリオであったろう。 結局、QBの最終的な仕事、最後的な仕事は「リスク管理」という事になるのであろう。あるいは、「状況判断」といっても良い。おそらく、ベリチックが、口酸っぱく、ブレイディに指導教育した事である。ブレイディの歴史は「状況判断」を学ぶ歴史といっても良いかもしれない。そういった意味では、あのコルツとの一戦は格好の教材となった事だろう。 まあ、この「リスク管理」「状況判断」は、我々の人生においても同様で、結局、我々の人生とは「リスク管理」「状況判断」の歴史である。それが端的な形、濃厚な形で見られるのが、フットボールの人気の理由の一つである。 そうして、これの名人だったラックというのは、こういう彼我の状況を完全に把握しながらゲームを進めていたという事になる。故に、「逆転させなかった」し、「逆転した」のである。返す返すも、稀有な才能だったと思う。それは、マニングにさへ無かったものだ。あの「引退」も、ラックの優れた「リスク管理」「状況判断」だったのかもしれない。あのパガーノの馬鹿野郎さえ、以下同文。 つう訳で、この逆転負けに関しては、ゴフを責める心算はない。このゲームを楽々逃げ切れるようなら、そもそもトレードされていない。ラムズはゴフを堅持しただろう。 ただまあ、そうは云っても、ここ数試合、私はゴフのゲーム、あるいはゴフのクォーターバッキングをじっくり拝見した訳であるが、やはり不満はある。 ゴフへの不満は、その判断力等々を含めた精神的なものは、あまり無い。状況判断は妥当だと思う。ゴフへの不満は、もっと単純に技術的なものである。QBとしての技術的なものである。 前回も書いたけれども、単純に投球フォームが大き過ぎると思う。これが、諸悪の根源だと思う。 投球フォームが大きいので、どうしてもディフェンダーの寄りが、一歩分、あるいは半歩分近くなる。故に、パスがディフレクトされたり、レシーブ直後にタックルされたりで、インコンプリートになってしまう。 また、これは投球フォームと関係があるのかまでは分からないが、コントロールも悪い。ミンシュー君のように畳一枚分とまでは云わないが、ボール1個分あるいは2個分くらい、コントロールがずれる。このゲーム後半での4th&ギャンブル失敗のパスミスなどは、その典型であろう。気持ち、コントロールが悪い。 故に、結果的に、スクリーン多用となる。G+の実況が「ライオンズのレシーバー陣はRACが多い」と述べていたけど、これは、それを意味している。 投球フォームが大きいので、当然ディープは厳しくなる。遠くなればなるほど、ディフェンダーは、より寄れるし、コントロールの悪さも、より大きくなる。 故に、パスはショートパスが多くなるが、クロス系のようなルートだと、レシーバーが動いているので、その分だけ、コントロールの悪さが、より大きくなる。 結果的に、消去法的に、スクリーン多用となるのであろう。というか、スクリーン頼みになるのであろう。スクリーンならば、レシーバーは動かないので、コントロールの悪さは、より少なくなる。そうして、ブロッカーも多いので、ディフェンダーの寄りを防ぐ事ができる。 この技術的な欠陥がゴフの首を絞めている、あるいはゴフのキャリアを苦しめているのであろうが、なかなか治らないんだろうなあ。仮にゴフがストラウドのように投げる事が出来たら、楽々スーパーボウルを取っていただろうし、現時点でもラムであったろう。カルフォルニア州民であり続けたろう。何が悲しくてミシガン州民に、それも依りによってデトロイト市民に、以下自粛。デトロイト市民の皆々様、数々の、そうして度々の暴言、ごめんなさい。ウケ狙いで、書いてしまいました。 でもまあ、ライオンズフロント陣はどーすんのかねえ。現状のライオンズは、QBを除けば、完全にスーパーボウル・コンテンダーである。最右翼といっても良いかもしれない。ハッチンソンの契約が切れる前に、スーパーボウルをバシッと決めたいところであろう。 で、その最大のネックはゴフ。ジャレッド・ゴフ君。ここをロジャースに替えて、グリーンベイ市民への積年の恨みを晴らしてザマーミロも一計であろうし、隠遁中のラックを引っ張り出すというウルトラCもあろう。 でも、その最大のネックはゴフ。いや、出せん、出せんなあ。これは無理。無理過ぎる。フットボール・オペレーション的には正解、完全正解であろうが、人道的に無理、人として無理、人倫的に無理、オジー・ニューサムでも無理。ここで、ゴフを放出したら、ゴフの人格が崩壊してしまう。ゴフの精神が崩壊してしまう。ライオンズのスーパーボウルより、デトロイト市民の悲願より、ゴフの人格の方が大事であろう。これは、この極悪非道、吉良吉影の1000倍、あるいはディオの10000倍悪いと云われている私でも無理。 んな感じかな。ナイナーズとパーディ君については、次週に持ち越します。 今季は、多くの先発QBがケガした事もあって、多くのバックアップQBを目にしたし、プレイオフでも、マホームズは別格としても、このラマーやゴフ等々、様々なタイプのQBを目にした。そういった意味で、結構珍しいシーズンだったと思う。勝ち上がっていくQBは、どうしても似たタイプになってしまうからだ。 で、その感想、あるいは総括はというと、「やっぱ、このスポーツはQBだな。」って事である。私は、ここ数年、5年くらいかな、「QBは過大評価されているのではないか」「アメリカ人は、QB信仰に過ぎるのではないか。」という考えに傾いていたのであるが、それを、ちょっと揺り戻した。「やっぱ、QBだな。」。 特に、ミンシュー君以下、数々のバックアップQBのクォーターバッキングを見て、その気持ちを強めたし、プレイオフに入っても、マホームズと、彼以外のQBには、大きな力の差があったと思う。それは、技術的なものであったり、精神的なものであったり、個々色々ではあるが、技術的精神的にマホームズとは大きな差があったと思う。 さて、数日後に迫った第58回スーパーボウルであるが、恒例って訳でもないけど、予想しとくか。 単純にMADDEN数値的ならナイナーズであろう、というか、そういうMADDEN的な数値では、チーフスは、マホームズを除くと、NFL全32チームでも下位の方だと思う。我らがコルツと比較しても、いい勝負どころか、我らがコルツの方が上かもしれない。単純に、オールプロ級なら、コルツが、ネルソン、バックナー、テイラーと3人擁しているのに対し、チーフスはクリス・ジョーンズとケルシーの2人のみ。しかも、両者ともにロートル気味。少なくとも、全盛期は過ぎている。 でも、チーフスはスーパーボウル進出。それはマホームズがいるから。 って事で、チーフス有利かなあ。少なくとも、私はチーフスに賭ける。総資産390円を。 ナイナーズは、リードとマホームズに軽く捻られちゃうんじゃないかなあ。あるいは、いなされちゃう。 でも、長きに亙るベリチック時代が終幕したら、次はリード時代の開幕かい。世代交代が進まんのお。次代の覇者も見えてこんし。シャナハン息子とパーディ?。それとも、帰ってきたハーボー?。なんかピンと来んのお。 NFLも創立100年を超え、スーパーボウル時代になってからも50年以上、なかなか画期的な進歩は難しくなってきているのかもしれない。ウォルシュ時代、ベリチック時代の次と云っても、どんな時代になるのか想像が出来ん。次代の覇者が見えてこん。 まあ、スポーツエンターテインメント自体が、一つの曲がり角、あるいは袋小路に陥っているのかもしれない。 今から100年前は1924年。ちょうど両大戦間である。NFLもNBAも、ヨーロッパの各サッカーリーグも日本のプロ野球もよちよち歩きの時代。プロスポーツで自立していたのはメジャーリーグとボクシングぐらいであったろう。あと、大相撲。 そのメジャーリーグは、ちょうどベーブ・ルースの時代。このあたりから、野球に限らず、あらゆるプロスポーツが劇的に進歩していく。20世紀はプロスポーツの時代でもある。19世紀を代表する娯楽が雑誌と文芸であるように、20世紀、20世紀は言い過ぎかもしれないが、少なくとも20世紀後半を代表する娯楽はテレビとプロスポーツであったろう。それぞれの時代の代表するスターは、そこから生まれている。 これからの100年、どうなるか、私には全然分らない。19世紀の雑誌、20世紀のテレビに相当するものが、インターネット、あるいはスマートフォンである事は、ほぼ間違いないであろう。まあ、これから、思わぬ製品が発明流行するかもしれないけどさ。 で、19世紀の文芸、20世紀のプロスポーツに相当するものが何であるか、私にはさっぱり分からない。プロスポーツが今から100年後、今のような地位にいるか、それも分からない。また、私には確かめようも無いであろう。案外、みんな滅んでいるのかもしれない。現状、文芸が、ほぼ滅んでしまっているように。 まあ、今現在でも、小説を書いている輩は山ほどいるけれど、文化としては完全に死んでいる。死骸である。少なくとも、19世紀のそれとは別物である。 勿論、これから「文芸復興」があるのかもしれないけれど、それは「小説」とは別の形式であろう、ブルトンも嘆いていたよね、未だに、ディケンズのような、フローベールのような、トルストイのような「小説」を書いている輩が山ほどいるって。後を絶たないって。 「文芸」の問題はともかくとして、プロスポーツに限らず、人間の文明や文化というのは、最初の何年かで急激に進歩するが、ある一定のレベルまで来ると、そこから先にはなかなか進まなくなる。例えば、マンガも、最初の30年間、1950年くらいから1980年代くらいまでは急速に進歩したものの、それからは、ほぼ漸進というか、漸減といっても良いくらいである。ちょうど、人間の個体が、最初の20年、あるいは最初の15年で、一気に成長して、それ以降は成長しない、あるいは衰退するのと、よく似ている。 よく云われているように、成長は2次関数的、あるいは2次的なものなのであろう。ちなみに、この世というのは、2次関数的、あるいは2次的なものが非常に多い。ベタなところでは、万有引力の法則である。そのほか、2次関数的、2次的事象は非常に多い。この世は3次元であるにもかかわらず、である。つか、もしかしたら、この世は3次元ではなく2次元なのかも。空間の3方向ではなく、時間と空間の2次元なのかもしれない。 改めて考えてみると、「タテ」、「ヨコ」、「奥行」なんていうのは、人間が恣意的に決めたものである。「空間」は自分を中心に球状に広がっている。 2024/2/10(土)「銀色ドレス」無限ループ中。 |