インディアナポリス研究会コルツ部

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Week18 無関係なコルツ  気が付けば、21世紀も、はや四半世紀が過ぎ去った。世紀末の狂騒がただただ無性に懐かしい。謹賀新年。ちょいと遅いか。

 年明け早々ツライ事があって、今回は文章が展びないかもしれません。ゴメンナサイ。って、展びないのはいつもの事か。

 ツライ事といっても、家族や友人が死んだとか、リストラされとか、プラモが壊れたとか、そういう事じゃないっす。穿鑿しないでね。

 つう訳で、新年一発目恒例テレビの感想〜〜〜〜。パチパチパチパチ。

 年末年始に限らず、帰省すると、老母の見るテレビに毎度付き合わされる訳であるが、その感想。

 今年は、ここ数年恒例の「孤独のグルメ」や「酒場放浪記」は見なかった。理由は分からん。なんとなく、であろう。

 で、それら以外をちょこちょこ見たのであるが、

 売れてんな、所ジョージ。どのチャンネルにも出てた。

 所ジョージなんて、出て来た時は完全なキワモノタレントだったのに、今や、つうか80年代後半くらいから完全に「お茶の間の顔」だよ。「お茶の間の主」だよ。40年間不動だよ。

 出て来た頃は、変な替え歌歌ってるだけの男だったのなあ。いつの間にやら、って感じである。

 同じ事はタモリにもいえるが、タモリなんて、出て来た頃は所ジョージ以上のキワモノタレントだよ。黒い眼帯してたんだぞ。黒い眼帯している、今以っても唯一の芸能人だよ。いや、黒い眼帯なんて、一般人でも見た事ねーよ。洋の東西を問わず、見た事ねーよ。ルフィだって付けてねーよ。

 もうあれだ、棺桶に収まる時は黒い眼帯付けろよな。遺影も黒い眼帯。芸能人、とりわけお笑いタレントは全盛期を遺影にすべきだな。ビートたけしはタケチャンマン、とんねるずは保毛尾田保毛男と仮面ノリダー。田代まさしは黒塗り、ではなく、おっと危ない危ない。

 田代の遺影はともかくとして、タモリなんて、出て来た頃は完全な深夜限定キワモノタレントだったからな。それが昼の生放送帯番組を30年もやるんだからなあ。分からんもんだよ、人気って。お茶の間の人気って。

 まあ、タモリや所ジョージの場合はブラウン管や液晶の外側だけではなく、内側の人気も高かったんだろうけどね。言葉の正しい意味で、非常に使いやすい、あるいは非常に扱いやすいタレントだったのだと思う。

 一方で、山田邦子とか森脇健児のような「好感度だけ」のタレントはアッという間の凋落。分からんもんだよね、人気って。あのねのねとかもな。70年代後半の段階で所ジョージとあのねのねの未来を予見できた人は相当の芸能通だと思う。 

 江頭もなんだかんだで生き残ったしな。ハウス加賀谷はさすがに厳しかったか。でも、この両者の違いを正確に説明できる人はいないでしょ。いや、ブラウン管や液晶の向こう側では明々白々なのかな。

 で、話は変わって、いや、あんま変わってないかもしれないが、タレントの老醜について。

 以前も似たような事を書いたが、老母に付き合わされてのテレビ鑑賞なので、どーしてもそういう番組が多い。

 いや、もう、おめーら引退しろ。特に小柳ルミ子な。もう、おめーはすっこんでろ。言葉の正しい意味で、起源的な意味で、キッついわ。

 そのほか個々にツッコむべきかもしれんが、とりあえず省略して、田原俊彦と早見優が若手だからな。田原俊彦はギリギリ耐えられたが(あくまで「ギリギリ」だけど、)、早見優はキッツイわ。いや、辛いわ。見てて辛い。ピッチピチだった頃を知っているだけに、辛い。小泉今日子も辛いんだろうなあ。中森明菜は、それ以前の問題だし。そういった意味では、中山美穂は、おっと、これは禁句禁句。

 まあ、内田有紀のように華麗な復活を遂げた事例もあるけどな。もっとも、内田有紀の場合は、若い頃の方が辛かったかもしれんが。そのタレントを発揮できる年齢にようやく到達したって事なのかもしれん。希少な事例ではあるが。

 他に、似たような事例だと、田村正和とかかな。彼もまた若さがそのタレントの邪魔をしていた事例だと思う。加齢とともに、邪魔な若さが消え、そのタレントを発揮していった。

 逆に、その若さがタレントにマッチしていたのが宮沢りえや広末涼子で、彼女らは加齢とともにその武器を失っていったと云える。岡崎友紀なども同様であろう。

 芸能人って、つくづく難しい商売だと思う。

 あと、「徹子の部屋」に名取裕子が出てた。名取裕子については敢えて触れないが、徹子な。俺はもう、徹子は死んでいると思う。テレビ画面のアレはCGかフィギュア、ないしロボットなんだと思う。つか、徹子に需要があんのか。それが最大の謎である。現時点に限らず、私が子供の頃から、いやもうすでに当時ババアだったけど、当時から「徹子需要」は謎だった。男性人気があるようにも思えんし(いや、あるの?。その筋の専門家がいるの?。)、かといって女性人気や子供人気があるようにも思えんし、スタッフ受けが良いようにも思えんし、かといって巨泉や久米宏のように番組制作自体に関わっているようにも思えんし、ホント謎。

 そのくせ、おそらく日本史上テレビに映っていた、あるいは出ていた時間が最も長いのは黒柳徹子であろう。少なくとも、最も長期に亘って「売れていた」タレントは黒柳徹子であろう。ホント不思議。理由が分からん。日本芸能史上最大の謎だと思う。いや、世界芸能史上最大の謎なのかもしれん。

 いやもう、「サザエさん」みたいなもんなのかもな。好悪とか善悪とか功罪とか損得とかを超越してしまっているのかもしれん、サザエと徹子は。似たようなもんは各国にあるのかもしれん。人間性の彼岸。

 徹子はともかくとして、この手の老醜タレントを見るたびに思い起こすのは、以前も書いたが、原節子である。

 原節子は、その老醜を晒さない引き際も見事だったけれど、いま改めて考えてみると、その美貌と実績において、いまだ日本芸能史上最高の女優なんだよなあ。対抗馬が思い浮かばない。いや、近づく者すらいない。

 まず、美貌という点に関してであるが、これは異論百出するであろうけど、「原節子がトップ」という結論が出たとしても、巨大な、あるいは数多くの反論が出る事は無いであろう。概ね納得すると思う。判定勝ちといったところか。

 一方、実績に関しては、これはもう反論の余地は無い、異論も百出しない。1ラウンド12秒完全KO勝ちである。なにしろ、いまだに世界最高の映画トップ5とかトップ10には必ずランクされる「東京物語」の主演女優なのだから、日本の女優に対抗馬はいない。いや、世界的に見ても、そんなに対抗馬はいないであろう。あとはもう、マリリン・モンローとかオードリー・ヘップバーンぐらいである。いや、「実績」という点では彼女らを凌いでいるかもしれん。彼女らの主演した映画は「東京物語」以上には評価されてない訳だからな。さすがに「人気」は彼女らに完敗だろうけど。

 世界女優史的に見て原節子がどの位置にランクされるかに関しては、異論百出するだろうけど、日本女優史においては、現時点でも異論の余地なくトップである。

 また、男優も含めた、すなわち役者全体で考慮しても、対抗馬は三船敏郎ぐらいではないだろうか。勝新や千葉ちゃんは原節子に及ばないであろう。

 そういう女優が老醜を晒さなかったのだから、後輩も見習えよな。

 まあ、老醜を晒し続ける、すなわち芸能人を続けるのには、金銭以外のいろんな理由もあるんだろうだけどさ。いろんなしがらみって奴がさ。

 それに関連してって訳でもないけど、老醜を晒しながら、すなわち終生テレビに出演し続けながら、視聴者に不快感を与えなかった、つまり終生売れ続けていたタレントの一人に藤田まことがいる。

 年末年始に限らず、私の老母は「必殺」やら「はぐれ刑事」やらをよく見ているのだけれど、この年末年始、私はそれを横で見ていて、改めながら「うまいなあ。」と思った。

 キャリアを通して一貫して売れていた役者として、私はかつて水谷豊について語った事があるけれど(いや、語ってなかったかな。)、藤田まこともその一人であろう。「安定した売れ方」という意味では、水谷豊以上かもしれん。さしづめ、役者界の「サッポロ一番塩ラーメン」といったところであろう。いや、「味噌ラーメン」かな。私は塩派。

 なにしろ、キャリアを通して主演してきたドラマ4つがいずれもヒット作。それも大ヒット作である。しかも、いずれもロングヒット。「てなもんや三度笠」「必殺シリーズ」「はぐれ刑事純情派」「剣客商売」。

 「主演しかした事のない男」であり、「外した事のない男」でもある。逆大根役者である。フグ役者。フグは「必ず当たる」ちゅうか、「死ぬ」けどな。

 キャリアの転機は、やはり「必殺仕置人」であろう。それまでは、なんて事の無い、たまたま「てなもんや三度笠」がヒットしたというだけのタレントであったが、念仏の鉄、いや違った、山崎努と出会って、見る見る芝居が上達した。「必殺仕事人」の第1話から最終話の間で、見る見る芝居が上手くなっていく。まさしく、桜木花道を見守る安西先生である。

 藤田まこと自身がどこぞのインタビューでそんなような事を語っていたと思う。もっとも、これは藤田まことに限った話ではなく、山崎努の力なのである、特性なのである。山崎努と共演した役者は見る見る上手くなっていく。それが最も顕著なのは「早春スケッチブック」の子役二人であろう。第1話と最終話で芝居がまるで違う。その子役の一人が鶴見辰吾なのだけど、これもどこぞのインタビューで、藤田まこと同様、山崎努に感謝してた。武田鉄矢には感謝してない。

 山崎努には共演する役者を上手くさせる力があるのだ。おそらく、芝居というものを理論的に解しているのであろう。

 ちなみに、その「早春スケッチブック」の共演者のひとりが岩下志麻なのであるが、こちらはあまり上達していない。もともと「上手い」というのもあるのだけど、男優と女優、とりわけ主演女優、いや、主演女優と他の役者は芝居の骨格が異なるので、山崎努の芝居理論は参考にならなかったのであろう。

 主演女優はともかくとして、実際、「スター」には「芝居の上手さ」は不要なのである。いや、相反するものと言っても良いかもしれん。反対概念である。

 その辺の事情を熟知していたのは、何と言っても石原裕次郎で、彼は頑なに芝居が上手くなろうとしなかった。それを拒否してた。ずっとイモ臭い芝居をしてた。石原裕次郎ほどの知性と感受性があれば、芝居が上手くなることは決して難しくなかったろうけど、彼はそれを拒否した。イモ芝居を通した。「スター」である事を選んだからである。

 その恩恵、あるいはトバッチリを被ったのが石原軍団で、彼らは全然芝居が上手くならなかった。実際、「芝居が上手くなる事」を石原裕次郎に禁じられていたらしい。

 その恩恵を最大に浴したのは舘ひろしであろうが、トバッチリを被ったのは神田正輝であろう。神田正輝が芝居を上手くする努力をしていたら、芸能人として役者として、また違うキャリアがあったと思う。

 また、そのトバッチリを最大に被った、いやキャリアの岐路、運命の岐路だったのは、何と言っても石原軍団団長の渡哲也であろう。もともと上手い役者であった、役者として大きな可能性を持っていた渡哲也がもし石原裕次郎に出会わなかったら、あるいは石原軍団に入らなかったら、彼の役者としてのキャリアは大きく変わっていただろう。「いい歳こいて、グラサンにショットガン」みたいな芝居(?)とは無縁だったろう。もっとも、「上手い芝居」の方に進んだら、弟の渡瀬恒彦のように器用貧乏な役者で終わっていたかもしれないが。 

 つう訳で、「上手い芝居」と「スター」は両立し難いものなのである。その最も分かり易い事例が、先に挙げた「山崎努」で、山崎努は断じて「スター」ではないはなかった。

 かつて、京本政樹がの何かのテレビ番組で(「笑っていいとも!」だったかな。)、「必殺仕置人」のポスターを手にして「念仏の鉄」を指差して、客に「これ、誰だかわかります?。山崎努さんですよ。」って述べてた事があったけれども、そう、上手い役者は誰だか分からなくなってしまうのである。芝居が上手いが故に。

 実際、芝居の理想は役者が消える事であろう。観客が役者ではなくその登場人物を感じる事であろう。視聴者が、「山崎努」ではなく、「念仏の鉄」を見る事であろう。

 でもまあ、それは「スター」としては失敗だよね。「スター」は何より「自分」を売る商売なのだから、「念仏の鉄」ではなく「山崎努」を売る商売なのだから。

 実際、石原裕次郎の出演した映画やドラマの役名を覚えている人はほとんどいないであろう。せいぜい、「ボス」止まりで、「藤堂係長」と云える人は稀で、「藤堂俊介」は完全なマニアである。

 同じような事は高倉健にも云える。高倉健の役名を逐一云える人などほとんどいないであろう。高倉健の出演する映画は、いずれも「高倉健」あるいは「健さん」の登場する映画である。しかも、そのイメージを石原裕次郎ほど与えない、むしろ「上手い」役者のように見せていたのが、高倉健の上手いところ、巧妙なところであろう。

 そういった意味では、高倉健は「不器用」の看板を背負っていたけれども、実際は非常に器用な、セルフイメージを操るのに長けた役者だったとは云える。

 まあ、なかには「寅さん」とか「古畑任三郎」とか「コロンボ」とかいうような役者と登場人物の区別がつかなくなってしまっているような事例もあるが、これらは超越的芝居といったところであろう。役者本人にとって、幸か不幸かは大変難しいところではある。その最も不幸な事例は畠山麦であったろう。

 また、この「スターと芝居」という二律背反する命題については、一時期、松田優作も迷っていたようである。「スターを夢見ていた自分」もいるし、「職人的、あるいは芸術家的に芝居を追求したい自分」もいる。そうして、前者を諦め、後者を選んだのだろう。「家族ゲーム」への出演はそういう意味もあったと思う。

 という訳で、セルイメージのコントロールというのは、役者に限らず、芸能人にとって最も難しい、あるいは唯一の仕事なのであるが、それはともかくとして、藤田まことである。

 「必殺シリーズ」の終わった頃、私は恐らく高校生ぐらいだったろうけど、「これで、藤田まことも終わりかな。」なんて思ってた。

 すると、しばらくして、後番組的に「はぐれ刑事純情派」が始まった。当時は、20年近く日本の日本のお茶の間を賑わせた「刑事ドラマ」が過渡期に来ていた時期であったし、概要を見ると、いかにも平々凡々な人情モノ、「こりゃ、厳しいだろうな。いよいよ藤田まことも終わりだ。」なんて思っていたら、皆さん、ご存じの通り、大ヒット。日本刑事ドラマ史に残るヒット作となった。

 とまあ、ここで「はぐれ刑事純情派」を「平々凡々な人情モノ」と私は説いたけれども、これ違うんだよね。「平々凡々な人情モノ」に擬した「中年男性の夢モノ」なんだよね。

 基本的な構造は「必殺シリーズ」、つか「中村主水」を踏襲している訳だけど、「中村主水」をより強化、あるいは徹底しているのが「はぐれ刑事純情派」、いや「安さん」といってよいであろう。

 主人公、つまり「安さん」は出世を諦めた、でも有能な刑事。で、上司には、待ってましたの「バ課長」。しかも、演ずるのは「元二枚目役者」。ここもポイントだよね。

 んで、同僚はボンクラ、いや凡庸。なのに、女性パートナーは優秀。しかも、エロい。七瀬なつみはともかくとして、岡本麗。ただのオバサンに見せかけておいて、実体はエロい。何と心憎い配役。エロいキャスティング。

 んで、部下には二枚目若手俳優、しかもあまり人気の無い二枚目若手俳優を配し、彼等には尊敬されている。そうして、上司の上司にはかつての映画スター。絶対的な後ろ盾。盤石の職場環境である。

 そうして、何より恐るべきは、自宅に美人の娘姉妹がいるという点である。しかもここが最も肝要な点、肝心要のポイントなのであるが、「血がつながっていない」、「血がつながっていない」のである。何というエロ設定。何という盤石のエロティシズム。ここにエロティシズムを感じない中年男性、いや男性は一人もいないであろう。

 「中年男性の夢モノ」としては完璧に近い設定であろう。真野あずさはよく分からんが、ここまで設定が徹底した「中年男性の夢モノ」はなかなかないであろう。

 「中年男性の夢モノ」、あるいは「男性の夢モノ」は他にも色々あるが、分かり易いところでは「ルパン三世」とか「シティーハンター」とか「釣りバカ日誌」などである。そのチャンピオンは、申す迄も無く、「寅さん」であろう。

 実際、「寅さん」と「はぐれ刑事純情派」は構造的によく似ている。「血のつながっていない女性家族」なんて、そっくりでしょう。

 そうして、何よりこの手の作品は主演俳優、すなわち、この場合だと渥美清と藤田まことの芝居が最も重要、いや生命線であるという点においても、よく似ている。というか、同じ構造である。

 これがもし、武田鉄矢とか西田敏行のような「スターになりたがる役者」が演じると大概成功しない。あるいは、長続きしない。折角の設定が台無しになる。「刑事物語」が長続きしなかったのは、ひとつにはこの理由がある。「釣りバカ」に関しては、山田洋次が厳しく指導したのであろう。もちろん、「寅さん」という巨大過ぎる重しもあるしね。西田敏行はわがままできなかった、スターになれなかったのだろう。

 この手の話、すなわち「中年男性の夢モノ」は、主人公が平々凡々、能力的にはともかく、社会的地位においては平々凡々であるからこそ、視聴者は自身を投影出来る、あるいは投影しやすい訳である。この主人公が「スター」であったら、話はいきなり台無しであろう。この手の話の主人公に二枚目役者が起用されないのも同じ理由である。

 つう訳で、この手の作品には、繊細、というか微妙な芝居が求められるので、もしも、藤田まことが山崎努と出会っていなかったら、作品は失敗していたかもしれない。つかまあ、それ以前に「中村主水」は成功していなかったろう。

 なあんて事を考えながら、私は今年の年末年始を過ごしたのであるが、そのほか「文章と文体」についても考えた。それも書いて、「新年超特大号」にしようかと思ったけど、やめます。疲れちった。気が向いたら書きます。


 あっ、そうそう、コルツね。

 第17週の試合開始前、すなわち現地の土曜日ゲームでヒューストンが勝利したため、この時点でコルツのプレイオフは完全消滅。エリミネートされちゃいました。

 つう訳で、残り2試合は、コルツ的にも、対戦相手のジャガーズやテキサンズ的にも消化試合、まあジャガーズやテキサンズはシード順位的なものがあるので完全消化試合ではないけれども、第一義が「ケガしない」ゲームである事に変わりはない。

 そんなゲームでコルツは2連敗。結果8勝9敗。いや〜、ユカイユカイ。一時はダントツ首位だったのにねえ。プレイオフも逃しちゃうとは。予想できませんでした。10試合で2勝って。いや、9試合で1勝って。

 つう訳で、こっからバラードへの批評批判悪口罵声罵倒痛罵を書く事になるのだけれど、新年早々ネガティブなことを書くのも縁起悪いしなあ。いや、逆に「縁起良い」という説もあるけどさ。

 縁起云々はともかく、それらは次回に書きま〜〜す。バラード、覚悟せいや〜〜。

 つう訳で、本年もよろしくお願い致しまーーーす。

               年末年始は金欠病を患う。いい歳こいて、何してんだか。2026/1/11(日)
Wildcard
Weekend
無題  上の記事で徹子について触れたら、タイミングよく、じゃないか、相方の(?)、いや元相方のかな、久米宏の訃報。

 享年81歳。意外と歳とってた。なんとビートたけしより年上。

 死因は肺がん。今時珍しい。ベビースモーカーだったのかな。そんなイメージは無かったんだけど。

 謹んでお悔やみ申し上げます。

 久米宏といっても、今の10代20代は勿論の事、30代の人でも、久米宏がどんなテレビタレントだったか、知っている人はいないと思う。70年代から80年代にかけて、いや90年代もかな、その云わばテレビというメディアの全盛期における久米宏の位置というのは今の若い人達には非常に分かりづらいものだと思う。なぜなら、その後、似たような人、その位置に近づいた人は全くいないからだ。

 所謂「久米宏フォロワー」というのは、いつぞやの記事で触れた生島ヒロシ以下、松下賢次とか小林豊とか有象無象、それこそ履いて捨てるほど出た。実際、履いて捨てられてた。

 また、筑紫哲也とか森本毅郎あたりは、本人の意向というよりは、テレビ局の都合、すなわち「我が局のニュースステーション」「我が局の久米宏」という形で売り出したのだろうけど、そのタレントは久米宏の足元にも及ばなかった。

 また、古舘伊知郎は、まさしく「久米宏の後釜」を無理矢理背負わされたのだろうけど、久米宏とは根本的にタレントの質が異なっている。本人も苦にしてた。

 久米宏に最も近づいたのは、意外にみのもんたあたりだと思うが、あくまで「最も近い」というだけで、絶対的な距離は遥か彼方である。

 久米宏の番組のひとつに「ニュースステーション」がある訳であるが、覚えているかい、「ニュースステーション 金曜版」を。

 これは、上の記事でも触れた「必殺シリーズ」の「金曜10時」は動かせなかったために、金曜日のみは「11時台」の放送になっていた。そうして、当時は「花金」なんて言葉もあったので、通常の「ニュースステーション」よりバラエティ色の濃い番組にしていた。「金曜チェック」なんていって、「夢の遊眠社」がしょっぱいコントをしてた。久米宏もスーツを着用していなかったと思う。

 この「金曜版」も「必殺シリーズ」の終了とともに終了。「月〜金枠」の帯番組となる。

 そもそも、この夜10時に帯番組のニュースを放送するという事自体が、当時、というか今現在でもあろうが、異常な事なのである。10時台というのは、本来プライムタイムである。民放テレビ局的には視聴率を稼がなくてはならない時間帯である。そこで根本的に高視聴率を望めないニュース番組を、しかも帯で放送するという事自体が異例中の異例、異常事態なのである。

 当時、すでにパクリテレビ局だったTBSが早速これを真似して10時から帯のニュース番組を放送開始したが、軽く討ち死にしている。その照れ隠しで始まったのが「ニュース23」である。ほんと、くだらん番組だった。80年代90年代のTBSは、ほんと全ての番組がひとつ残らず下らなかった。言葉の正しい意味で「低俗番組」だった。唯一の例外は「60ミニッツ」。あっ、でもこれはCBS制作だわ。あと「たけし城」か。でもこれ、桂プロデューサーだからな。

 そのビートたけしが「オールナイトニッポン」等々で、当時よく嘆いていたのが、「ニュースステーション」のプロ野球速報である。「あれ、ほんとズリィいよなあ。あんな時間にプロ野球ニュースをやられたら、みんな見ちゃうよ。」。

 速報という意味ではNHKの「ニュース9」の方がより早いのだけど、9時台だと終了していない試合も多かったので、事実上の「プロ野球速報」は「ニュースステーション」の独擅場だったのだ。これだけを目当てに「ニュースステーション」を見ていた人も多かったと思う。私もその一人だった。

 また、「ニュースステーション」は当時初めて、いや今現在も含めて唯一かな、「テレビ番組制作会社」が事実上制作していた「ニュース番組」であった事は絶対忘れてはいけない事実だと思う。

 また、世界で最も有名、いや二番目に有名かな、なテレビゲーム機である「プレイステーション」の名称は「ニュースステーション」のパクリである。これは世界中の多くのゲームファンが知らない事であろうし、また、最近では多くの日本人も知らない、あるいは忘れていると思うが、これは紛れもない事実である。

 当時、80年代後半くらいかな、「ニュースステーション」にあやかって「○○ステーション」みたいな命名は多かった。「FMステーション」なんて雑誌もあったと思う。

 と思って、今ウィキペディアで調べたら、「FMステーション」は1981年創刊。こっちが本家かい。アブナイアブナイ。

 「プレイステーション」と「ニュースステーション」、あるいは「プレイステーション」と「ニュースステーション」の関係は、いわば「本歌取り」の関係、あるいは「軒を借りて」の関係になってしまった訳だけど、まあ、そういう話である。

 ちなみに、「プレイステーション」というその名を初めて知った時、私はすぐさま「FMステーション」、ではなく「ニュースステーション」を連想したので、「天下のソニーが、なんかなあ」と訝しんだものある。「ウォークマン」のような鮮やかさはまるで感じれらなかった。

 ちょいと話は逸れるが、「ウォークマン」という命名の鮮やかさは何よりその意外性であろう。

 何の予備知識もなく、「ウォークマン」という名前を聞いた時、人はどのような機械、あるいは商品を連想するであろう。10人中8人くらいは「万歩計」であろう。その他だとルームランナー的なモノや、歩行保護器具的なモノを連想する人もいるかもしれない。「膝パット」とか「靴底シート」みたいなものである。「携帯用カセットテーププレイヤー」を連想する人は皆無だと思う。

 また、逆に、「携帯用カセットテーププレイヤー」を前に、「これに名前を付けてみ。」と指示された時、人はどんな命名をするだろう。「リトルデッキ」とか「ライトプレイヤー」、あるいは「モバイルミュージック」みたいな感じであろうか。冴えた人だと、「ミュージックウォーカー」ぐらいまではいくかもしれない。ここまで来れば、「ウォークマン」まではあと一歩だけど、その一歩はなかなかの距離であろう。

 しかも、この「ウォークマン」という命名のスゴイところは、この名がそのまま英語圏でも通用したという点である。そういうものは案外、というか当然少ない。たとえば、「ファミリーコンピューター」は「ニンテンドー・エンターテインメント・システム」に変わってしまうし、「ユーノス・ロードスター」は「MX−5」あるいは「ミアータ」である。まあ、「ミアータ」は英語としても、どーなの、ってところはあるけどさ。

 「ミアータ」はともかくとして、外国で名称が変わってしまうのは、これは仕方がない。それが英語表記であったとしても、「JapaneseEnglish is funny.」になってしまうからだ。これはしょうがない。日本語に限らず、あらゆる外来語的表現はファニーである。和製中国語もアメリカ製日本語も、そうしておそらくドイツ製フランス語もペルシア製イタリア語、皆一様にファニーであろう。

 「ファミリーコンピューター」なんて日本人的に良さげな感じだけど、アメリカ人的には論外なのだろう。それよりも「Nintendo」の方がはるかに東洋の神秘的で魔法の箱的で、ゲーム機にぴったりの名称だったのだろう。「ATARI」っていう先蹤もあるしね。

 その後、「ファミリーコンピューター」の後継機の名称が「ニンテンドー64」になったのは、アメリカ市場及び世界市場を意識してのものである。でも、今や「ファミリーコンピューター」や「ファミコン」は、ゲームが好きな人なら世界中の多くの人が知ってる名前、ある意味伝説的名称なのだから、復活させても面白いかもね。

 ところが、「ウォークマン」はそのまま「ウォークマン」なのである。「歩く」の「Walk」のみならず、「目覚める」の「Wake」あたりも連想させて、アメリカ人、あるいは英語圏の人々にとって新しいライフスタイルを想起させる名前にもなったのだと思う。

 ちなみに、このあたりの事を軽くウィキペディアで調べてみると、もともとソニーには「プレスマン」という商品があり、それを継承する意味での「ウォークマン」だったらしい。ただ、「プレスマン」はレコーダーであったので、プレーヤーに「ウォークマン」はかなりの飛躍だと思う。「プレイマン」とか「リスンマン」が普通だよね。

 また、アメリカに限らず、諸外国においても、発売当初は「ウォークマン」ではなく、現地用の名前を用意したらしいが、1年も経たないうちにうちにミュージシャンらの口コミで「ウォークマン」の名が広まり、それが定着し、そのまま現地でも、というか世界的に「ウォークマン」で統一したらいい。これまた、鮮やかな話である。

 ただまあ、その「ウォークマン」を押しのけて、「プレイステーション」がソニー史上最大のヒット商品になる訳だから(数量的にはともかく、ソフトも含めた売上的には。たぶん。)、「命名」なんてそんなもんである。名前だけなら、「メガドライブ」や「ドリームキャスト」、「ゲームキューブ」の方が良さげでしょ。「カセットビジョン」の方がカッコいいでしょ。まあ、「ゲームキューブ」もパクりちゃあパクリだけどさ。

 つう訳で、出産を控えたお母さんお父さんやその関係者の皆さ〜ん、「名前」なんて、どーでもいいんですよ〜〜。名は体を表しません。キラキラネームなんて不要ですよ〜〜。命名は凡庸に限ります。「ファミリーコンピューター」「プレイステーション」、凡庸でしょう。カッコ悪いくらいがちょうど良いんです。「アトム」「ウルトラマン」「マジンガーZ」「仮面ライダー」「ゴレンジャー」「ガンダム」、みんなダサいでしょう。それでいいんです。

 閑話休題。話を久米宏に戻す。

 久米宏というタレントの特徴は何かというと、「その実体の分かりにくさ」「本性の分かりずらさ」だと思う。

 テレビの中でペラペラペラペラ、それこそ立て板に水の如くしゃべる久米宏であるけれど、その実体や本性を知っている人はほとんどいないのではないだろうか。とりあえず、私は全く分からない。何が好きなのか何が嫌いなのか、どういう考え方を持っているのか、政治的に右なのか左なのか、その人となりが私には全く分からない。長く音楽番組を担当していた割には、久米宏自身の好きな音楽は分からない。そもそも、音楽が好きかも分からない。

 唯一、その「好き」が知られているものとしては、「広島カープ」があるけれども、それがどの程度の「好き」なのか、生まれた時からの骨の髄までのカープファンなのか、それとも70年代のカープブームに乗ってのファンなのか、ライトなのかヘビーなのか、私には全く分からない。

 また、先に私は、「81歳とは意外だった」「ビートたけしより年上と知って驚いた」と書いたけれども、年齢すら分からないのである。年齢不詳なのである。

 かつて、読書週間での企画だったと思うが、「ニュースステーション」で出演者が好きな本、あるいは人生で最も面白かった本を紹介するみたいな催し(?)があった。

 私は久米宏がどのような本を紹介するのか興味津々であったが、それはなんと「モンテ・クリスト伯」。もしかしたら、記憶違いかもしれないが、とにかくその手の本。「アフリカの印象」とかでは、絶対ない。

 いや、確かに面白い本だろうけどさ、いや読んだ事ないけどさ 、デュマの小説だから間違いないだろうけどさ、これでは久米宏の人となりは全く分からない。どうとでも取れるし、どうとでも取れない本である。「好きなマンガは何」と問うて、「忍者ハットリくん」と答えられたような感じである。いや、確かに面白いけどな。「忍者武芸帳」とか「魔太郎がくる」、ではない。無論、「狂人軍」でもない。

 「自身の正体を明かさない」という観点に立てば、「モンテ・クリスト伯」は完璧な回答であろう。

 ちなみに小宮悦子は、「金持ち父さん」的なベストセラー(タイトルは忘れた。)を挙げていた。人生で最も面白かった本ねえ。さもありなん。

 小林さんは、もう降板していたかもしれないけど、その場にいたら、いかにも新聞記者らしい、クソつまらない本、くだらない本を挙げていたと思う。それこそ、今の池上彰みたいなな。

 事程左様に、久米宏というタレントは、その本性や実体、人となりを絶対見せないのである。明らかにさせないのである。尻尾を掴ませない。その著書を立ち読みした時も、何を考えている人なのか、私にはさっぱりわからなかった。無味乾燥とか水っぽいとかとは異なる、究極のミスティフィカシオンといった感じである。

 久米宏の出演するラジオやテレビを一つ残さず見ているようなダイハード久米宏ファン(そんな人、いるのか。)ならともかく、普通のテレビ視聴者は久米宏の人となりを全く知らないであろう。

 そういった意味では、上の記事に書いた所ジョージやタモリとは全然異なるタイプのタレントであった。

 所ジョージやタモリやは、「口から出まかせ」みたいなタレントだけど、彼らの好きなもの嫌いなもの、人となりは、私のみならず、多くの日本人の多くが知っている。所ジョージはアメ車が大好きであり、タモリはジャズと電車と高低差が大好き。そういう事は多くの日本人が知っている。

 本性や人となりが分からないタレントとしては、他に田村正和や石立鉄男などがいるけれど、彼らの場合は、トーク番組やバラエティ番組といった所謂「肉声を発する番組」にほとんど出演しなかった為に、その人となりが分からない訳で、その手の番組専門、すなわち「肉声を発する番組」専門の久米宏とは条件が異なる。

 そのほか、本性や人となりが分からないタレントとしては、郷ひろみや木村拓哉といった、所謂「アイドルタレント」がいるけれど、彼らの場合は、はっきり「事務所の方針」である。河合奈保子のショートケーキである。
 そのほか、AV女優も本性や人となりが分からないタレントであるけれども、これはつまりセックスのみを売りにするタレントにとっては、本性や人となりは不要、むしろ邪魔なのであろう。視聴者にとって「性的存在」であるだけでよい、そういうタレントなのだろう。

 実際、AV女優の人となりなんて邪魔でしょ。「私は子供の頃、父親と死別して、貧しい、それは貧しい家庭に育ちました。そうして、借金漬けの家計を支えるために、この世界に入りました。」とか「中学生の頃、父親にレイプされました。だけど、その時、男、いやチンポの味を知り、それ以来チンポなしでは生きていけない人生です。」とか、邪魔でしょ。勃たないでしょ。いや、故に興奮するって人もいるかもしれんけどさ。

 AV女優の過去バナはともかくとして、久米宏は誰がどう考えたって「性的存在」ではない。いやまあ、そういう趣味の人もいるのだろうけどさ、それはごくごくごくごくごくごく少数であろう。久米宏のタレントマーケティングには計算されていない筈である。

 こういうタレントは、おそらく久米宏ひとりだったと思う。あっ、そうそう、もうひとり、黒柳徹子もそういうタレントであったけれども、これはまた別枠であろう。

 そういう訳で、久米宏のテレビの中での発言、久米宏というタレントの発言は、すべて私には「人工的肉声」「肉声的人工」のように感じられていた。

 これが久米宏がごく自然に行ったもの、それこそ本性に従ったものなのか、それともセルフイメージ戦略なのか、それは私には分からない。おそらく両者が混然一体となったものなのであろう。そういった意味でも、非常に稀有なタレントだったと思う。

 「ニュースステーション」の最終回の一杯のビールを飲み干す、あの有名なシーン、あれは「僕はテレビの中で一度たりとも好きな事は出来なかった。だから一度くらいは好きな事をしたい。」、そういう意味だったのだろうか。どうだろう。

 あと、「ニュースステーション」の功罪、というか罪の部分について、かつてどっかで書いているので、ここでは繰り返さない。

 で、本題に入りたいのであるが、上の記事での書き忘れをここに記しておきたい。いや、そのまま忘れちゃってもいいんだけどさ。せっかくヒマな年末年始に考えた事だし、書かせてね。

 上の記事で、「所ジョージやタモリは、かつてキワモノタレントだった。」みたいなことを書いたけど、ここ10年くらいのテレビ業界で、その位置にいるのは有吉とマツコである。

 いやまあ、この10年、テレビはほとんど見ていないので、彼らがどんな調子なのか全然分からないんだけど、風の便り(?)に両者が売れに売れているとは聴いてる。

 いや、有吉とマツコって。キワモノ度でいったら、所ジョージやタモリの比じゃねーぞ。キワモノというか、ゲテモノだからな。珍獣だからな。エリマキトカゲじゃなくてウーパールーパーだから。若い人には全然分からない譬えだけどさ。

 有吉なんて、「ユーラシア大陸横断」だよ。ゴールした時、カツ丼に飛びついて、いや文字通り飛びついて、「うめえ〜。」って涙流しながら食ってった男だよ。

 これは私がテレビで見たありとあらゆる、フィクション、ノンフィクション、アニメまでぜ〜〜〜んぶひっくるめた中で、出演者、あるいは登場人物が旨そうに食事するシーン第1位、それもダントツ第1位、2位なんていねーよの第1位である。多分更新される事は無いと思う。たぶん全世界でも第1位だと思う。これを超える方法が思いつかん。「カツ丼をあんなに美味しく食えるなら、ユーラシア大陸横断しても良いかな〜〜。」って、ちょっと思っちゃったよ。いや、思わねーよ。

 その有吉が大人気タレントって、世の中どうなってんだよ。タモリや所ジョージの比じゃねーぞ。

 んで、もう一人がマツコって。マツコなんてホモ雑誌にコラム書いていた男(?)だよ。あのナンシー関が最後に絶賛した男だよ。ナンシーの忘れ形見だよ。いや、それは違うか。

 それが大人気タレントって、世の中どうなっとんじゃ。多様性進み過ぎだろ。性的マイノリティを優遇し過ぎだろ。性的マイノリティには、もう少し厳しく当たれ。

 ところで、皆さん、ホモ雑誌って、読んだことあります?。いやホモ雑誌に限らず、変態雑誌って読んだことあります。「薔薇族」とか「さぶ」とか「SMスナイパー」とか「マニア倶楽部」とか「アリ(以下自主規制)とか。

 私はかつて、とある筋から(「どんな筋」とかツッコまないよーに。「とある筋」だよ、「とある筋」。)、その手の雑誌を入手し、熟読した事がある。

 いやもう、読みだしたら止まんねーよ。自分が生きてきた世界がどんだけちっちゃいか思い知ったよ。まさしく、「どんだけ〜〜。」だよ。いや、ちっちゃいのは向こうの世界だけどさ。自分の知らない世界がまだまだまだまだまだまだあるんだなって思い知らされたよ。

 ところで、その手の本、変態雑誌って、皆さん、読んだことあります?。さすがに立ち読みは厳しい。この立ち読みの天才、書店の天敵の私でさえ、これはさすがに厳しい。いや、一回くらい、あったかなあ〜。個人経営の、それこそババアが店番しているような、文房具も併売しているような、薄暗いお店で一回ぐらい立ち読みした事はあるかもしれん。パラパラするくらいだけどさ。さすがに熟読玩味は出来ん。

 で、これ、はっきりがっつり念のため断っておきますけど、私は性的には完全にドノーマルですから。ソフト・オン・デマンドで興奮しちゃうような、中学生レベルの性的嗜好ですから。いやほんと、ドノーマルですよ。はっきり断っておかないと。

 こういうのは、はっきりさせておかないと、ヤバいらしいからな。ちょっとでもその気を匂わすと、その筋の人たちがものすごい勢いで寄って来るらしいからな。

 とにかく、ノーマルグループに比して、その筋のグループ、すなわち変態グループは絶対数が極端に少ないので、その気のある人は絶対逃さないらしい。それこそ、マツコがどっかで言ってた。

 「私たちの世界はとにかく数が少ないから、元カレの元カレの元カレが私の今の彼だったりするのよ。すっごい狭いサークルなのよ。『関節キッスにご用心』の世界よ。だから、ホモの世界でエイズが蔓延するのも当然よ。ホモとエイズが病理学的に相性が良い訳じゃないのよ。関係が深い訳じゃないのよ。とにかく、ホモの世界は、男女の恋愛の世界に比べて、比較にならないくらい狭くて小さい世界なんで、その中の一人がエイズに関したら、その世界のほぼ全員が感染しちゃうのよ。」。

 多少脚色したが、んなような事を言ってた。

 とにかく、私はホモじゃないからな。変態じゃないからな。しつこく断っとかんと。

 で、唐突に話は変わって、美術展の話である。

 年末にとある美術展に行った。そうして、これはこの美術展に限らず、どこも同様なのであるが、ここ数年、どの美術展でも来客がスマートフォンでパシャパシャやっとる。

 いや、それが奇書珍品の類ならいいよ。分かるよ。でも、彼ら彼女らの多くがパシャパシャやってるのはベタもベタ、ドベタ、国宝みたいなのをパシャパシャやっとる。そんなのそこらの美術書や画集、図録に収録されてるよ。

 これが80年代以前なら、まだ分かる。当時の美術書や画集、図録は印刷が非常に悪かったからだ。デカい、重い、値が高い、画質が悪い、と良いところが皆無なのが往時の美術書の類だった。

 それが大きく変わったのは90年代に入ってからである。当時、本屋で「TASCHEN」という出版社の画集を見た時の衝撃は今でもはっきり覚えている。印刷が美しい。しかも、安い。廉価版だと3000円くらいで(当時の円高の影響もあったかもしれない。)、それ以前とは比較にならないくらいの美しい画集が買えるのである。これは衝撃だった。衝撃プライスって奴である。

 これは「TASCHEN」が嚆矢という訳では無かったのかもしれん。私が初めて見たのが偶々「TASCHEN」というだけで、印刷の技術革新は当時ですでに始まっていたのだろう。塗料や紙、印刷術等々の革新、そうしてDTPの普及がそれらを後押ししていったのだろう。その頃から明らかに美術書や画集、図録は変わった。小さく、軽く、安く、そうして美しい。

 なんだから、スマートフォンで撮る意味ねーだろ。どうしても、自分のスマートフォンにその作品を収めたいというのなら、その画集を撮影した方がはえーよ。買う金がない、あるいはケチりたいというのなら、図書館で借りてくりゃいーだろ。つか、そんなのネット上に溢れてるよ。コピペなりスクショなり、すりゃえーだろ。美術館で撮影する意味が全く分からん。撮影環境なんか最悪なのにさ。

 せっかく美術館に来ているのだから、高くはないが安くもない入場料を払っているのだから、自分の目で見ろよ。タッチとか微細な陰影は自分の目で見なきゃ分かんねーだろ。

 もっとも、そういう微細なものも最近の美術書なら印刷出来ているかもしれないが、最近の美術書でも絶対に印刷できないものがたった一つだけある。それは「大きさ」である。これだけは実物を見ないと絶対分からない。そうして大きさは意外に意外なのである(タイプミスじゃないよ。)。

 思ってたより大きいものもあれば、思ってたより小さいものもある。版画の類は「思ってたより小さいもの」が多い。絵画は「思ってたより大きいもの」が多い。また、なかにはバカデカい絵画もある。さすがにバカデカい彫刻は見た事ないけどな。奈良の大仏は別格だけどな。逆に鎌倉の大仏は小っちゃくってビックリした。大仏に限らず、何でもかんでも大きいのが奈良で、何でもかんでも小さいのが鎌倉である。あと、日光の「見ザル言わザル聞かザル」も意外にちっちゃくてビックリした記憶がある。小学生の頃の遠い遠い記憶だけどな。

 上野の西洋美術館にもデカくてエロいピカソの絵があるよね。ミロとマネのデカいのも常設してる。

 そういうのを体験しろよ。そういうのが美術館だろ。美術体験だろ。もちろん、美術書にサイズは明記されてるけど、数字では分からんよ、大きさは。上野の科学博物館のシロナガスクジラの骨格標本はホント、バカデカいよ。ピノキオの逸話があながちフィクションじゃないと思えてくるからね。しかも外に置いてあるから、タダで見れんだよね。今はどうか知らんけど。いや、施設内だったかな。タダって事は無かったかな。

 で、今、ネットで調べてみたら、「骨格標本」ではなく、「シロナガスクジラ像」みたい。おかしいなあ、私の記憶では「骨格標本」だったのだが。

 いや、大きさだけが美術体験じゃないけどさ。とりあえず、パシャリパシャリするとこじゃねーだろ、美術館は。まあ、連中は生涯美術や芸術とは無縁無関係、没交渉なんだけどな。花より団子、裸眼よりカメラか。

 さて、本題のバラードへの悪口であるが、疲れちった。来週に回しま〜〜す。

 「たいがいにせーーよ。」という声が思いっきし聞こえてきたけど、しょーがないでしょ、じーさんなんだから。疲れちったもんは疲れちったんだよ。「本題を先に書け」という説もあるにはあるが。

 その罪滅ぼしという訳でもないが、プレイオフについての感想をひとつふたつ。

 今プレイオフ最大のトピックスは、なんといっても2.9連覇中だったチーフスのプレイオフ陥落であろう。

 「チーフスに何が起こったか」は、門外漢の私には全然分からん。ただまあ、こういう事は部外者には全然分からなくとも、内部の人たち、関係者全員にとっては明々白々な理由のある場合が多いので、それだけ除去すれば、あるいは改善すれば、来季から強豪復帰となるであろう。数年前のイーグルスの突然の凋落みたいなもんだと思う。

 もっとも、勤続疲労中のマホームズにとっては、良い休暇になるんじゃないかな。来季の復帰を期待しております。いや、期待してねーーー。ずっと、休んでろーー。

 で、そのチーフに代わって、という訳でもないが、プレイオフに華麗に復帰したのが、憎っくきペイトリオッツさん。

 「対戦相手に恵まれている」という声も大きかったけれど、プレイオフ緒戦も突破し、ディビジョナルプレイオフまで来たとなっちゃあ、あながち「フロッグ」の一語で切り捨てる訳にもいかない。

 っつても、私は試合を全然見ていないので、論評は避けたいと思います。ディビジョナルプレイオフのテキサンズ戦はじっくり見てみようかな。

 でもまあ、これでペイトリオッツが「本物」だとすると、かつての「ベリチック=ブレイディ論争」は完全決着ですな。一番エラかったのはクラフト・オーナー。

 まあ、なんとなくうすうす予感してたけど、そういう事だったのか。当サイトでも、ちらほら書いているけれど、NFLに限らず、プロスポーツチームで最も重要なのは、選手でも監督でもなくて、結局オーナーなんだよなあ。

 ヤンキースのここ数年の停滞は、誰がどう考えたって、ジョージ・スタインブレナーの死去と軌を一にしている。

 日本のプロ野球に目を転じても、西武ライオンズの黄金期と堤義明は切っても切り離せない関係だろうし、ここ20年くらいのホークスと孫正義の関係も切っても切り離せないであろう。

 そうして、そのホークスが黄金期のライオンズに比して、どうしても後塵を拝してしまうのは、孫正義と堤義明の、オーナーとしてのというよりは、事業家あるいは経営者、あるいは人間としての器の差という事になってしまうであろう。所詮はM&Aで成り上がった孫正義と(ホークスもまた「M&A」である。今のホークスを作ったのは、誰がどう考えたって、前任の中内功であろう。まあ、「M&A」での成功も、それはそれで一つの才能才覚だけどな。)、街そのものを作ってしまった、あるいは文化そのものを作ってしまった堤義明との器の差という事になろう。

 もっとも、その両者も、プロ野球そのものを作ってしまった正力松太郎の足元にも及ばんけどな。こちらは「昭和の怪物」だしな。器というより、格が違う。違い過ぎる。

 ちなみに、その堤義明であるが、彼はどうして根本陸夫を招聘したのであろう。この時点での根本は、球界内部的にはともかく、外部の人間にとっては全く実績のない男であったのに、どうしてその才能に気付いたのであろうか。冷静に考えると、不思議である。堤義明は、部類のプロ野球好き、プロ野球通って感じでもなかったし、どうして根本の才能に気付いたのであろうか。ほんと不思議。一発目の人事で史上最高のGMを引き当て、その彼に自由に仕事をさせるって、なかなかの慧眼というか、強運だよ、いや豪運だよ。

 んなぐらいかな。

 あっ、そういやあ、パンサーズとベアーズもプレイオフ進出しましたな。おめでとうございます。これでここ数年のドラフト上位(5位以内)で指名されたQBは軒並みプレイオフ進出を果たしましたな。これも、ひとつのコロナ効果かな。しつこい。

 してないのはリチャードソンさんくらいか。


 こりゃ〜〜、バラード、責任取れ〜〜〜〜。取りさらせ〜〜〜〜。

                                  2026/1/18(日)
Divisional
Playoffs
雑感  スンマセン、NFLについて書きます。

 ディビジョナルプレイオフの4試合、濃度の差こそあれ、それぞれ見たので感想を書きます。順不同です。

 まずは、テキサンズ@ペイトリオッツ。

 この試合の映像を見た瞬間の、私のみならず、古参の全コルツファンの第一声は、

 「また、この天気かよ〜〜〜〜〜。」

 いや、これ完全にトラウマだから。冬のフォックスボローはコルツファン共通のトラウマだから。コルツは一回ペイトリオッツにプレイオフに勝ってるけど、そん時はRCAドームだから。しかも、前半大量リードされてからの、勢い込みの逆転勝ちだから。

 つか、今ウィキで調べたら、RCAドームは既に爆破解体されてんのな。南無さん。

 RCAドームのご冥福はともかく、いつかも書いたけど、私が大金持ちだったら、ジレットスタジアムに屋根付けっからね。前の晩に勝手に付けちゃうからね。一夜城ならぬ一夜ドーム球場だからね。

 また、私がオーナーだったら、オーナー会議で熱弁振るうわ。「ジレットに屋根付けろ、コノヤロー。」って。寒冷地のドーム球場化を義務付けろとまでは云わんが、ジレットだけはドーム義務化。規約改定しろ。ライセンス剥奪しろ(税リーグネタ)。

 いやもう、腹かっさばく勢いで熱弁振るうね。

「ドームにしなきゃ、腹かっさばく〜〜〜〜。」

 その荒天が理由かまでは分からんが、よく見た感じ、既視感アリアリの感じでテキサンズの敗北。いやペイトリオッツの勝利。ジレットで裸で応援してた若い連中、お前ら風邪こじらして死ね。

 ただ、チームの実力的には、伯仲というよりむしろはテキサンズ有利だったように思う。実力的にはテキサンズだったと思う。

 その実力差を覆したのが、荒天かどうかはともかく、ストラウドだったと思う。何をすべきがまるで分かっていない。

 スタッツ的には4被インターセプトが全てだったと云えなくもないが、ただまあ、その割には点差が開いていないというか、試合を通して点差的には接戦だったことを考慮すると、むしろテキサンズのゲームだったと思う。

 とりわけ、前半終了時点で4ターンオーバー、うち一つがピック6であったのに、スコアは10−21で11点差。4ターンオーバーだと、3−33みたいなスコアも十分有り得た訳である。なのに、11点差。これは、むしろ「ツイている」と見るべきで、私がストラウドだったら、あるいはテキサンズ側の人間だったら、「イケるイケる。今日はうちの試合や〜〜。」と意気軒高となったろう。

 でも、試合はそのままペイトリオッツが押し切って16−28。また、試合内容的、というか試合全体の印象としても、ペイトリオッツが危なげなく勝ち切ったといった印象ではある。このゲームを観戦しながら、「ペイトリオッツの敗戦」を予想、あるいは予感した人は少なかったのではないだろうか。

 それはひとえに何が原因かというと、ストラウドの自信の無さ、試合を終始一貫しての自信の無さだったと思う。「何をすべきか分からない」みたいなクォーターバッキングに終始してた。

 先に書いたように、この展開で前半終了10−21なら、むしろ勝ちゲームと考えるべきで、それこそラックあたりだったら、「勝ち確じゃ〜。」とばかりに意気軒高、自信満々にプレイするはずなのに、ストラウドにその様子は終始一貫見られず、終始一貫自身無げ。で、その通り、あっさり敗戦。「この3年間、何やってったんだか。」ってゲームであった。

 ストラウドがルーキーの時に同じことを書いたけど、やっぱり1年目はサイドラインに置いておくべきだったと思う。サイドラインでゲームの構造、NFLの構造を学んでおくべきだったと思う。さすれば、こういう結果にならなかったのではないだろうか。技術的には素晴らしい才能の持ち主なだけに、惜しい、実に惜しい。

 その責任の一端、全てとは云わないが、その一端はデメコちゃんにもある訳だけど、好きな選手だっただけに、サイドラインでの苦虫潰したような表情は見ているこっちも辛い。

 で、その反対側のQB、ドレイク・メイであるが、その良さは正直よく分からなかった。凡庸という印象を受けた。同期のダニエルズやニックスのような颯爽とした印象はない。でもまあ、ブレイディも出て来た時はそんな感じだったし、こっから伝説が始まるのかな。いや、始まんねーーーー。潰れろーーーー。

 そのほかだと、やっぱディッグスかな。彼の加入は大きかったと思う。いや、獲れよ、バカ。このディッグスとかカップ三冠とか市場に出てきてるじゃねーか。なんで、手を出さん。ピットマンやピアースに、なんで全幅の信頼置いてんだよ。ディッグスやカップ三冠がいたら、プレイオフ出れただろーーーが。

 あと、ペイトリオッツのコールが、ここぞという時、妙に当たるような気もしたな。特に第3クォーター序盤のペイトリオッツ陣7ヤード、3rdダウンでのフラットパスがデフレクトされてたけど、あれ覗いてたんじゃないの、チートリオッツじゃないの。しかも、直前にテキサンズがタイムアウトを取っていただけに余計に怪しい。気のせい、私の気のせい?。

 で、カンファレンス決勝はブロンコス戦。でも、つうか、そもそも、このテキサンズ@ペイトリオッツ戦が始まる前にニックス・シーズンアウトの一報。

 いやもうこれ勝ち確じゃねーか。スーパーボウル復帰確定じゃねーか。いや、復帰ってなんだよ復帰って。腹立つ〜〜〜。

 そういう「勝ち確ゲーム」故に不気味ともいえるけどな。それこそベリチックだったら、慎重に慎重を期して万全に万全を期してゲームに臨んだであろう。そのへんはヴレイベルもしっかり継承してるかな。

 あっ、そうそう。ブロンコスさ〜〜ん。リバースさんをお貸ししますよお〜〜。よろしかったら、どうですか〜〜。

 で、そのニックスを失ってしまったブロンコスであるが、そのニックスについて。

 がっつり見た訳ではないので、この試合も含めて、今季ちょろちょろ見た数試合、というか数回での印象になるが、とにかくコントロールはいい。ディープは見ていないので何とも言えないが、中短距離のコントロールは抜群だと思う。現役ではダニエルズと並んで双璧ではないかな。ロジャースやマホームズより上だと思う。

 故に、このシーズンアウトは返す返すも残念無念四角麺。

 そのブロンコスに敗れ去ったブロンコス、つうかジョシュ・アレンであるが、結局こんな感じでキャリアを終えていきそうではある。QBのタイプは違うが、リバース・コースか。

 先発キャリア10年以上のQBって、なんだかんだでスーパーボウル優勝はともかく、出場はしてんだよね。マット・ライアンも出場したし、後述するがスタッフォードも、こちらは優勝してる。先発キャリア10年以上でスーパーボウル不出場となると、ここ最近じゃ、それこそリバースくらいしかいないような気がする。あとはカトラーか。

 このへんはNFLの「戦力均衡政策」が上手くいっているという証左のひとつなんだろうけど、とりあえずジョシュ・アレンである。

 これはもう、再三再四語っているけれども、この手のタイプ、ジョシュ・アレンとか同期のラマー・ジャクソンのようなタイプ、すなわち「困ったら走りゃあいい」タイプは、どうしても真のクォーターバッキングが身につかない。クォーターバッキングに甘さがある。

 「困ったら走りゃあいい」というのなら、鼻っから走りの専門家であるRBにボールを渡せばいいので、QBにボールを託す意味がない。つか、走りに自信があるならRBをすりゃいいんだよ。実際、この手のタイプの最高峰であるマイケル・ヴィック様にはそれを強く感じた。いや、ランニングバックさせりゃあいいじゃん。

 QBのランというのはあくまで「スクランブル」であって、オフェンスの軸にはならないのだと思う。ヴィック様以下、この手のQBが覇権を握れないのはそれが理由だと思う。ジョシュ・アレンの明日はどっちだ。

 で、次はラムズ@ベアーズ。結構新鮮な、ありそでなかったマッチアップであるが、結果は20−17でラムズの勝ち。

 最後の最後でQBの差が出ちゃったかな。土壇場でインターセプトされちゃったカリブ・ウィリアムズと、きっちりチームを勝利に導いたスタッフォード。QBが全てではないけれど、そんな印象を与えたとは思う。

 さて、そのスタッフォードであるが、これはレギュラーシーズンの記事でも書こうと思っていながら、時宜を失って書く機会が無かったのであるが、ほんと、いいベテランQBになったなあと思う。こういう「いいベテランQB」となると、最近じゃあ珍しく、最晩年、それこそブロンコスでスーパーボウルを制覇した頃のマニングぐらいしか思いつかん。ブレイディやロジャースは「いいベテランQB」って感じじゃないんだよねえ。他にはロスリスバーガーやリバースかあ。でも、ちょっと違うんだよなあ。今現在のスタッフォードの持つ「ベテランQB感」は彼等には無かった。

 QBに限らず、更にはスポーツに限らず、「ベテラン」の特徴は何かというと、それは要するに「数多の経験を得た」って事である。「酸いも甘いも噛み締めた」って事である。「その世界において経験していないことが無い」である。

 ロスリスバーガーやリバースに「いいベテランQB」の感じが無かったのは、彼らは1チームでキャリアを全うしたからであろう。故に「その世界において経験していないことが無い」訳では無いからである。スティーラーズしか、あるいはチャージャーズしか知らないのが、彼らのQBキャリアである。リバースのコルツはオマケだからな。完全な年金給付センターだからな。特に最後の3試合はな。

 また、ロスリスバーガーやリバースが一貫して強いチームに在籍していたという事も彼らに「いいベテランQB」の感じが無かった要因であると思う。「酸いも甘いも噛み締めていない」のである。つか、「酸い」を知らない。ちなみに、忘れている人は多いであろうが、マニングの最初期は弱いチームだったからな。いや、酷いチームだったからな。

 また、「いいベテランQB」の特徴のひとつに「スポーツの勝ち負けが幻想である事を知っている」というのもある。所謂「勝敗を越えて」「勝敗の彼方」である。

 そもそも、プロスポーツマン、すなわち20歳を超えてスポーツをしている人達っていうのは、いい歳こいて「スポーツにおける勝敗が幻想である」って事を知らない人たち、気付いていない人たちである。ちょっと賢い人なら10代後半で気付き、スポーツを、とりわけ勝敗にこだわるスポーツマンを「阿呆らしい」と感じるのだけれど、それを感じない人達がプロスポーツマンになる訳である。スポーツに熱中する訳である。

 そうはいっても、さすがに30代後半になれば、「スポーツにおける勝敗の幻想」について気が付くようなる。もっと大事なものが、スポーツの世界、プロスポーツの世界にある事を知るようになる。勝敗なんて2の次3の次、最下位とまでは云わないけど、プライマリー的には下位に属するものと知る事となる。

 ロジャースやブレイディに「いいベテランQB」の感じが無かったのは、これが理由である。彼らは最後の最後までガツガツしてた。ロジャースは今現在もガツガツしてる。

 いや、ロジャースがガツガツするのは、これは分かる。理由はハッキリしている。分からないのはブレイディである。バッカニアーズで優勝した次のシーズン、すなわちラストシーズンですら、ブレイディはガツガツしてた。ベテランQB感が全然なかった。若手QB、それこそ今季のカリブ・ウィリアムズのように勝ちに飢えていた。

 そういう「勝利への飢え」という意味では、まさしくマイケル・ジョーダン級、というかマイケル・ジョーダンを超えていたと思う。究極の勝ちたがり。マイケル・ジョーダンは30代半ばで引退しているので、40代のマイケルが勝利に飢えていたか、それは分からない。でも、30代中盤で引退したという事は、この時点で勝利には厭いていたのであろう。

 勿論、ウィザーズ時代はあるけれども、これは「勝つため」とは別の理由での現役復帰だから、参考にはならない。

 ちゅう訳で、こういう「いいベテランQB」感、あるいは「ベテラン選手」感を醸しだせる人はなかなかに少ないのであるが、その数少ない一人が現在のスタッフォードだと思う。あと、かつてのマニング。

 ただまあ、「勝利への飢え」を失っているというのは、プレイヤーとして、とりわけQBとしては、大きなとまでは云わなくとも、少なからずマイナスではあるので、それがゲームにどう作用するのかは、ラムズ戦の見どころの一つだとだと思う。枯れたクォーターバッキング。ベアーズ戦でのオーバータイムでの勝利は、これが良い方に作用した事例であろう。

 ちなみに、「ベテラン」というと私には必ず思い出す一事がある。

 私は一時期、半年ぐらいかな、交通警備員をしていた事がある。

 そこで、ある時、この道20年の大ベテランと勤務を共にした。この人は、通常は内勤で、現場仕事はしないのであるが、その日は人手不足で現場に降臨してきた。

 その人がどんな警棒サバキをみせるのか、私は興味津々なのであったが、なんとその人はほぼ何もしなかった。警棒を後ろ手にして、終始ボーっとしてた。それでも、ごくごく最低限の動きで通行人や工事車両、一般車両等々を的確に誘導してしまうのである。ナルホドと私はしたたか感心した。

 仕事にもよるだろうけど、「ベテラン」つうのは、そういうものなのである。必要最低限、それゆえ的確な動き。それが「ベテラン」である。酸いも甘いも知り尽くした動きである。全てを知り尽くすとは、こういう事なのであろう。

 一方で、若手という訳でもないのだけれど、1年目で2年目仕事に慣れてきた人の中には、現場を仕切りたがる人が多い。通行人や通行車両、工事車両、作業員、そうして警備員の同僚にあれこれ指示を出す。私もうるさく言われた。そうして、自身も終始せわしなく動いている。

 仕事熱心で結構な事なんだろうけど、こういう人は事故りやすいらしい。交通警備員の仕事は、全国で年間3人くらい死者が出るのだけど、その死者は大抵こういう「現場を仕切りたがる人」であるらしい。あちこち目移りして、あれこれやろうとして、轢かれてしまうのだ。

 で、最後のひとつはナイナーズ@シーホークス。こちらはシード順1位の貫禄って訳でもないだろうけど、6−41でシーホークスの圧勝。シャヒードのキックオフリターン・タッチダウンが飛び出して、そのまま圧勝である。

 んで、ダーノルドの野郎が調子ぶっこいている訳であるが、そのクォーターバッキングは基本的にというか、全面的に昨季と変わっていない。ファーストターゲット・ガン見型である。

 この手のタイプはチームに恵まれると、その能力を全面的に発揮するというか、チーム成績に乗せられて評価が急上昇する訳であるが、根本的な能力が上昇している訳ではない。あくまでファーストターゲット・ガン見型である。

 また、このファーストターゲット・ガン見型の進化型としてミッションコンプリート型というのがいるのだけど、ダーノルドはそのタイプではないと思う。プレッシャーがかかれば、ガタガタになっちゃうタイプだと思う。

 さて、カンファレンス決勝の予想であるが、さすがにアメリカンはペイトリオッツだろうなあ、悔しいけど。悔しいけど、悔しいけど、悔しいけど、悔しいです。

 いやなんだよ、プレイオフ復帰ってよお。復帰ってなんだよお。

 つう訳で、予想はペイトリオッツだけど、ペイトリオッツが負けたら、死ぬほど喜ぶね。「神が舞い降りた」と思うね。

 ナショナルは難しい。「ラムズの安定感」vs「シーホークスの爆発力」みたいな図式になると思うけど、スタッフォードのベテランの味を買って、ラムズかなあ。ダーノルドはここでコケると見た。

 今季のNFLはレギュラーシーズン、プレイオフともに、じっくり見ている訳ではないので、あんま信用しないでね。

 私の予想通りだと、スーパーボウルはラムズvsペイトリオッツかあ。何、この既視感。イヤなイヤなイヤな予感しかしないんだが。

                                         2026/1/25(日)

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