インディアナポリス研究会コルツ部

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2021シーズン

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Week11 11月15日
WAS@PHT
18−26
 前回、「懐かしのガイジン選手」について記事にしたが、その後、関連動画をいくつか視聴した。

 その前回の記事でもちょいと触れたハタ迷惑な男デシンセイ。なんと、オリオールズ時代の1979年に、ワールドシリーズに出場してた。5番サードで出場し、あのエディー・マレーの後を打ってる。しかもホームランまで打っとる。

 その対戦相手のパイレーツには、あのビル・マドロック。落合が抜けた後、ロッテで4番を打った選手である。

 そうして、1977年と1978年のワールドシリーズは2年続けて、ヤンキースとドジャースの対戦(今季と同じ!!)なのであるが、ヤンキースには、前回の記事でも触れたロイ・ホワイト、ドジャースには、そのホワイトと入れ替わるように巨人入りしたレジー・スミスが在籍していた。

 ここにちょいとウィキペディア情報を加えると、当時のドジャースには、あのトミー・ジョンが在籍していて、1978年では初戦の先発。第4戦にも先発していて、レジー・スミスに3ランホームランを打たれている。

 また、ゴセージも、当時のヤンキースに所属し、このワールドシリーズにも出場していて、上記の第4戦でリリーフ、勝利投手になっている。

 そのゴセージも出場している1981年のオールスターゲームであるが、そのゴセージのほかに、上記のビル・マドロック、マイク・イースラー、そうしてパチョレックの姿がある。

 ゴセージとマドロックが選出されていることに驚きは無いが、イースラー、そうして何よりパチョレックには驚いた。

 イースラーは、その名前と妙なバッティングフォームでごくごく一部のプロ野球ファンに愛惜、ちゅうか珍重されていたが、オールスターに選ばれるくらいの実力者だったのね。「ヤンキースの4番」みたいな触れ込みで入団してきた選手ではあったが、確かに数字は残したしね。

 しかし、そのイースラーよりビックリしたのはパチョレックである。日本では飛距離不足が指摘されていたガイジン選手であったが、打率は安定していたし、実力者ではあったのだろう。でも、オールスター級だとは知らなんだ。

 「パチョレック」ではなく、「パシオレック」みたいに発音されてた。まあ、私のポンコツ聴覚なので、うかつに信用しないように。

 阪神退団時、つか引退時のオマリーの「パッキーさん、サビシイヨ。」が懐かしい。

 で、一応、ウィキペディアで調べてみた。珍しい名前だし、顔も似ていたので本人で間違いないだろうと思っていたが、違ってた。兄弟だった。メジャーリーグのオールスターに出場したのは兄のトム・パチョレックで、日本のプロ野球で活躍したのは弟のジム・パチョレックだった。ちなみに、彼らの兄、すなわち長兄ジョンも同じく野球選手でメジャーリーグ出場経験がある。

 ややこしい。

 てな具合で、パチョレックはともかくとして、80年代から90年代にかけて日本のプロ野球で活躍したガイジン選手の多くはメジャーリーグでもなかなかの活躍をしているのである。

 ちなみに、前回の記事で触れたベン・オグリビーもオールスター出場経験ありである。つか、ホームラン王(1980年、アメリカンリーグ)まで獲っとる。

 しかし、その1981年にオールスターに出場しているビル・マドロックは、その後、1983年にもオールスターに出場、1975年1981年と合わせて、計3回のオールスターに出場した選手になった訳であるが、それから僅か5年後、まさか川崎球場でプレイする羽目になるとはねえ。人生、何が起こるか分からんよねえ。

 まあ、このマドロックに限らず、メジャーリーグでオールスターやワールドシリーズに出場した選手が、日本に来たら、そりゃヤル気なくすよね。

 球場がどうとか、レベルがどうとかという以前の問題であろう。だって、夢見た世界ではないんだから。

 この手の元メジャーリーガーを「ヤル気がない」とか「日本の野球をナメてる」とか評する人も多いけど、そりゃ仕方ないよね。ヤル気つうか、モチベーションつうか、もっと根本的なもの、情熱とか活力とか、そういう根本的な心性が、どうしたって失われると思う。

 今回初めて、彼らのメジャーリーグ時代の姿を見たけれど、やはり晴れやかだもん。涼やかだもん。日本にいる時は、どこか暗い感じというか、心の闇とまでは云わないけど、どこか暗い陰を彼らは感じさせてたけれども、アメリカでの彼等にはそういう暗さは全くなかった。ホワイトやスミス、あるいはオグリビーの、ああいう明るい感じを今回私は初めて見た。

 こういう事象の譬えはいくらでも思いつくけれども、あえて伏せたいと思う。まあそりゃ、「観光旅行して、養老年金貰って、はよ帰ろ」って気持ちにはなるよね。

 こういうのを見ると、ブーマーやバース、ブライアントやフィルダー、更には、先に挙げたパチョレック弟といった、メジャーリーグで活躍出来なかった選手の方が、先の活躍組よりも大活躍したというのは当然だと思う。

 まあ、年齢的な問題も勿論あるだろうけど、やっぱ「ヤル気」が違うよね。「孫のオモチャ代にでも、なりゃいいや」と「人生、のるかそるか」じゃ、そりゃヤル気が違うよね、結果が違うよね。しかも、当時の日本のプロ野球は、ギャラ的にはメジャーリーグと同等、あるいは、それ以上なのだから、ヤル気が違うよね。

 って、ここで話は大きく変わる。

 前回、「DH制」についての感想で、「9番ピッチャー」を「9番野手」と比較したけど、これ違うよね。「全然違うわ〜〜い」って怒られるんじゃないかって、ビクビクしちゃった。

 アップした翌日あたりに気が付いたので、それについて私の考えを述べたい。修正したい。完全な解答を出したい。すなわち「DH制における打力の向上」というお題な訳であるが、案外、この問題をマジメに考えた人は少ない、少なくとも私は目にした事が無いので、ここに開陳してみるのも面白かろう。

 前回、私は筆が滑って、いや、タイピングが滑って「9番ピッチャー」を「9番野手」と比較した訳であるが、これは違う。

 では、何と比較すべきかというと、普通に考えれば、「ピッチャー」の代わりに打席に入る「DH」という事になるであろう。まあまあ、そりゃそうだよね。そこを変更している訳だから。

 で、「3番DH」や「4番DH」の打力を「ピッチャー」の打力と比較して、その分だけ、「DH制」の方が「打力が向上」「レベルが上」としている訳である。「DH制における打力の向上」の論拠としている訳である。

 でも、これ、よくよく考えてみたら、違うよね。間違ってるよね。なぜなら、DHに入るようなバッター、すなわち「3番DH」「4番DH」みたいなバッター、スラッガーは「DH制」でなくともラインナップされるからだ。

 例えば、80年代の門田(例えが古くて、スマン。本当にスマン。)が何かの弾み、トレードなり、ひとりFA制度なりでセントラルリーグに移籍したとする。その際、その移籍先のチーム、大洋なり巨人なりは門田をベンチに置くであろうか。「お前は守備がいまいちだから、代打でガンバッてな。イイトコで出すから。」となるだろうか。

 いや、なる訳ねーー。

 レフトなりファーストなり無理やり守備に就かせて、4番なり5番なりを打たすであろう。つかまあ、当時のセントラルリーグの全球団は門田に4番を打たすであろう。原や掛布、田代や杉浦では格が違う。70年代の大杉や山本なら、まだ門田と4番の座を争えたろうが、80年代では厳しかろう。

 あとはバースって事だろうけど、このへんは好みかな。

 つかまあ、当時のプロ野球全球団でも、門田と4番の座を争えるのは落合ぐらいである。これも好みで3番落合4番門田、あるいは3番門田4番落合になるだろう。

 つかまあ、日本のプロ野球全体でも、80年代の門田と4番の座を争える選手は10人20人くらいしかいないと思う。最近のプロ野球なら、三冠王を獲った時の村上だけだ、あとは勝負にならん。

 この頃の南海の選手は、パシフィックリーグの悲しさ、南海の悲しさ、彼らの能力に相当する評価が得られなかった。当時の南海の内野陣、ブレイザーの作り上げた南海の内野陣を、山口瞳が「いかにもプロらしい」と褒めたのが、私の知る限り、唯一の評価で、あとは等閑に付された。そもそも、野村克也にしたって、ヤクルト監督就任時は誰も歓迎しなかった。誰も知らなかった。等閑に付された。この当時の事は、それこそ「野村克也」の稿できっちり書きたい。しっかり書きたい。

 あとは新井宏昌。彼もまた完全に等閑に付された。当時左の巧打者は多く、篠塚とか田尾とか高木豊とか、セントラルリーグの選手は色々チヤホヤされた。天才的なバットコントロールどうこう。でも、結局、2000本打ったのは新井のみである。実際、技量も彼らに比べ、新井の方が一枚上だった。まあ、新井の場合は、今でも正しく評価されていない。等閑に付されている。「知られてないのは、無いのと同じ」、野村の言葉である。

 あっ、そうそう、もう一人、当時の南海の選手を褒めていた人がいた。山際淳司である。門田のキャッチャーフライを絶賛してた。大阪球場に高々と上がるキャッチャーフライを「金を出して、観る価値がある」と絶賛してた。

 あとはとにかくセントラルリーグ一辺倒。巨人一辺倒。徳光、ねじめ、お前らだよ。しかも、そういう人たちが、時折、自身の見識を示したいらしく、パシフィックリーグの選手を唐突に褒めだす。それも腹立たしい。玉木、お前だよ。

 閑話休題。

 つう訳で、DHを任されるような選手は「DH制」が無くともラインナップされる。

 門田の場合は、あくまで私の空想、推論に過ぎないけれども、無論、実例もある。デストラーデである。日本シリーズで、「DH制」の布かれないセントラルリーグの本拠地のゲームでは、デストラーデはレフトの守備についてた。まあ、恐ろしい勢いで森監督は守備固めを投入してたけどな。下手すりゃ、5回くらいから守備固めを入れ、デストラーデなり清原なりを引っ込めてた。

 ブライアントも日本シリーズでは同様である。

 つう訳で、「3番DH」「4番DH」を任されるような選手は、「DH制」があろうがなかろうが、ラインナップされるのである。したがって、「9番ピッチャー」の代わりにラインナップされるのは「3番DH」「4番DH」ではない。

 では、誰か。それは、「『3番DH』『4番DH』の選手が『DH』に回った際、守備に就く選手」である。当時の西武の場合でいえば、安部や森である。彼らが「9番ピッチャー」に対置される選手であり、彼らの打力が、すなわち「『DH制』における打力向上」「『DH制』によるレベル向上」なのである。

 確かに安部や森ならば、当時の西武の全てのピッチャーより大幅な打力の向上は認められるであろう。まあ、当時の西武の投手陣の打力はよく分からないけどさ。

 ただ、これが安部や森ではなく、笘篠や吉竹だったらどうだろう。まあ、さすがに走力まで含めた総合的な攻撃力なら、笘篠や吉竹に分があるであろうが、単純な打力となると微妙なのではないだろうか。例えば、これはあくまで仮説だけど、松坂が当時の西武にいたら、ここぞという場面で笘篠や吉竹と松坂、どちらが怖いかと云えば、意見が分かれると思う。

 松坂はあくまで私の妄想なので、より現実的な比較対象を出そう。例えば、90年代のセントラルリーグに「DH制」が導入されたとすると、当時の巨人だと、井上(例えが古くてスマン、本当にスマン。)あたりがクロマティの代わりに外野の守備に就くと思うが、槇原はともかくとして、桑田や斎藤、あるいは水野や宮本あたりと井上、どちらが怖いかといったら、これまた意見が分かれるであろう。

 まあ、大久保DHという手もあるけどな。

 つう訳で、「『DH制』における打力向上」「『DH制』によるレベル向上」というのは、この安部や笘篠、井上あたりの選手の打力次第って事になるのであるが、このへんは微妙でしょう。そもそも、強烈に打つのならレギュラーを獲っている訳だし、そういう強打の選手をベンチに置くだけの余裕のあるチームがどれだけあるかって云えば、微妙でしょう。

 例えば、来季、セントラルリーグで「DH制」が導入されるとする(ようやっと、例えが現代に)。では、ヤクルトはどうするであろうか。

 普通に考えれば、守備のヘタッピな村上をDHに回したいところであろうが、その代わにサードに入るのは、武岡。ピッチャーと打力はさほど変わらんよね。サンタナをDHに回して内山や濱田を入れるっていう手もあるかもしれないけどね。あとは、単純にDH川端。

 ただ、いずれにしても劇的な戦力アップにはならないと思う。微増止まりであろう。日本シリーズのセントラルリーグのチームによくみられる光景。

 これが例えば98年の横浜だったら、中根や佐伯、あるいは鈴木をDHにすることで大幅な打力アップが見込めるだろう。でも、そうならないチームも多い。

 例えば、今季の広島とかね。DH制が導入されたとて、「誰を入れんねん」って話だよね。「いや、むしろ森下を外すな」って話だよね。

 実際、大谷が今季の広島にいたら、可能不可能、要不要にかかわらず、大谷に4番を打って貰わざるを得ない。4番ピッチャーをやって貰わざるを得ない。

 本人が嫌がっても、「いや、そこを何とか」「お願いますよ」って拝み倒すしかない。なんなら、マツダスタジアムの入場料に「大谷税1万円」が上乗せされるかもしれない。でないと、カープファンは入場不可みたいな。

 つう訳で、よっぽど打つ選手、3割30本が保証されているような選手が、チーム事情の関係、守備力の関係でベンチを温めているっていうようなチームならともかく、普通のチームは「DH制」が導入されたところで、劇的な攻撃力アップは認められないであろう。まあ、守備の下手な選手をDHに回して、代わりに守備のうまい選手を入れることで、総合的な戦力アップが図られるって側面はあるだろうが、それも劇的な戦力アップにはならないであろう。微増にとどまると思う。先の例で云えば、笘篠や吉竹、武岡のパターンである。

 ちなみに、「DH制」導入のきっかけとなった高井であるが、その高井と入れ替わるように長池が代打に回ってしまったため、劇的な打力向上とはならなかった。うまくいかんもんやね。

 以上が、「『DH制』が大幅な打力向上にならない、ひいては、総合的なレベルアップにつながらない」事の論理的根拠である。たぶん、完全な解答だと思う。

 経験的な根拠としては、「二つのプロ野球リーグ、すなわち日本のプロ野球とメジャーリーグで、DH制導入の有無がレベル差につながっていない」が挙げられると思う。もっとも、私の知る経験、事例はこの二つしかないので、もしかしたらDH制の有無が大きなレベル差を醸成したリーグはあるのかもしれない。たぶん、無いとは思うけど。それくらい先に挙げた論理的根拠はしっかりしていると思う。自負してる。

 まあ、3割30本打つような選手がうじゃうじゃしているような野球リーグだったら、レベル差が醸成されるかもしれないけど、そういう事は無いと思うんだよねえ。不思議と、どんなリーグでも強打者はチームに数名しかいない。

 まあ勿論、前にも書いたけど、「全員DH」なら話は別だけどな。DH一人くらいじゃあ、レベル差は醸成できないであろう。

 あっ、そうそう、「全員DH」は勿論選手数を増やすよ。今と同じじゃ、ほとんど変わらん。

 で、これから懸案の「ヤオガチ論争」を書き、ゲームを2試合くらいレビューして、来週アップする予定であったのであるが、予定変更。なぜなら、ワシントンのゲームに感動したからだ。その理由はたったひとつ、ルーキーQBのジェイデン・ダニエルズである。

 ぶっちゃけ、このゲームを観るまでは、ワシントンのQBには全然関心なかった。「昨季は、訳の分かんねーのが先発やってたなあ〜。あいつ、まだいんの?。」ぐらいのノリである。

 ところが、一発で気に入った。しかも。その最初のシーンはベアーズ戦でのヘイルメアリーである。この映像が放送されたあたりから、見た。

 「えっ。」って思った。「このQB、いいな。」って、一発で気に入った。

 で、その後、このゲームでじっくり観察したのであるが、素晴らしい。

 ここ最近罵倒したダーノルドのようにターゲットのガン見は無い。ダメだと思ったら、すぐ切り替える。そうして、最近のQBには珍しくポケットワークもいい。さすがにマニングレベルではないけれど、十分ポケットパサーといってよいレベルのポケットワークである。

 パスが常に、とまでは云わなくとも、主に腰より下に投げられているのもいい。インターセプトを避けられるからだ。これは明らかに意識して、そこ、すなわち下方に投じている。インターセプトの少なさが、日本の実況席で話題になっていたが、なるほど、これならインターセプトは少ないであろう。

 ここ最近、特に昨季は、ニッチもサッチもいかないQBを見せられて、ニッチもサッチもいかない感想を書かされていたので、実に新鮮である。

 私の20年近いNFL観戦歴で最も感銘を受けたルーキーQBはダントンであり、次点はバローなのであるが、この2者に割って入るというか、この2者より上かもしれない。ダントンとバローの順は逆だったかな。当時、どう評したか忘れた。でも、読み返さない。

 まあ。ラックという別枠というか異次元の選手もいて、この3者の上に君臨しているけど、ラックの場合は、私の観戦歴というか、NFL史上でもベストのルーキーQBだったと思う。まあ、あんな変なHCと組まされなけりゃ、別のキャリアもあったのに。伝説的なゲームを3つも4つも残して、スーパーボウルも2回くらいは勝てていただろう。パガーノは無論のこと、アーセイとグリグソンの罪も重い。

 それはともかくとして、このダニエルズは素晴らしい。一発で気に入った。

 で、「ドラフト時の評価はどんなもんだったんじゃろ。」と思って、ドラフトガイド誌にあたってみたら、「典型的なスクランブルQB」みたいな評。比較対象はラマー・ジャクソンだってさ。いや、全然違うでしょ。実際、スタッツ的にもそんなに走ってるわけでもないし。どんなスカウティングしてんの。

 しかも、大学は、ここ最近パッシングオフェンスではブイブイ言わしているLSU。すなわち、バローの後輩である。期待できる。

 更には、大学には、コロナ直撃世代というのもあるが、がっつり5年間通って(アリゾナステイト3年、LSU2年)、55試合先発1438アテンプト。期待できる。

 インテリヤクザを思わせる風貌、まなざしもいい。

 私がGMなら、「賭けてみよう」と思わせるQBである。

 懸念材料としては、ドラフトガイド誌でも指摘されていた通り、同じワシントンの先輩を思わせる「線の細さ」であろう。こればっかりは何とも言えないが、グリフィンほどランに頼る感じでもないので、その不安はいくらか薄まると思う。

 ワシントン待望のフランチャイズQB誕生かな。長い長い長い長い暗黒期をいよいよ脱出か。

 そのレッドスキンズ改めコマンダーズであるが、ダン・スナイダーがオーナー色を更迭(?)され、HCにはダン・クインを迎え、いかにも刷新という様相であった。良い方に出るんじゃないかな。クインは実績十分のコーチだしね。良い人事だったと思います。

 で、OCはキングスベリー。まあ、キングスベリーはHCよりOCの方が向いているように思う。マニアックにゲームブックをこねくり回すタイプだと思う。

 でも、この試合はそれが裏目に出たか。第4クォーターのあの場面はさすがにキックだったと思う。「タッチダウンを奪えば、勝ち確定」みたいな場面でもないし、とりあえずFGを決めて逆転し、プレッシャーを与えておくべき場面だったと思う。ギャンブルは無いわあ。まあ、クインの指示なのか、キングスベリーの発案なのかは分からないけれども。このコールには、選手、とりわけダニエルズが困惑していたように思う。

 キングスベリーっぽいちゃ、ぽいけど。典型的な「勝手読み」。

 とまあ、コマンダーズ前途洋々みたいな感じで書いてきましたけど、この試合は18−26でコマンダーズ敗戦です。でも、良い試合でした。

 でも、とりあえず、コマンダーズの今オフの課題はオフェンシブラインとレシーバー陣の強化かな。レシーバー陣は、現状ザック・アーツ頼みみたいっぽいしね。まあ、比較的解決しやすい課題だから、そんな難しくないっしょ。

 OLは優秀なコーチを引っ張ってくれば良いだけだし、レシーバーは下位でもエースはいるしね。「見る目」さへあれば簡単簡単。「見る目」さえあれば、ね。

 一方、対戦相手のイーグルスについてであるが、あんま書くことは無い。ここ数年、つか、ず〜っとなにかしか色々書いてるしね。

 強いて挙げれば、ブランドン・グラハム。

 いや、お前、まだやってたんかい〜〜〜〜。

 いや、まあ、去年もいたから知ってたけどさ。

 まあでも、ブランドン・グラハムといったら、私がまだ「高速チビッコパスラッシャー」に夢を見ていた頃、チェックしていた選手である。当時のドラフト記事でその名に触れていると思う。

 でも、その夢から私は覚めた。でも、グラハムは現役。

 まあ、パスラッシャーっていうのは、意外に息の長いポジションなので、現役15年目それ自体はさほど驚くべきことではない。いつかも書いたけど、意外に運動能力より経験、駆け引きのポジションなのである。

 でもまあ、そんな大した成績でもないのに、よく続いたよね。私が「夢から覚めた」理由はいくつもあるが、そのひとつはこの「ブランドン・グラハム」ではある。

 大活躍している訳でもないが、クビにならない程度の活躍って感じである。

 今、キャリアスタッツを調べてみたら、キャリア15年で75.5サック。う〜〜ん、微妙。キャリアベストは2022シーズンの11サック。そうして、それが唯一の、キャリア15年で唯一の二桁サック。う〜〜ん、微妙。

 まっ、ガンバッてな。

 でも、夏のキャンプで云われてんだろーなー。「あの人、また来てるよ。」「えっ、今年もやんのかよ。」みたいな。完全な三井さん状態。「老害」とか言われてんだろうなあ。ハーツとか言いそうだもんなあ。

 あっ、そうそう、「老害」で思い出したが(何故?)、ジャーマイア・トロッター君は未だスターターを獲得できてない模様。こちらは、ドラフト時のスカウティングが正しかったという事か。ガンバ。

 あと、アイザイア・ロジャース君はその姿を視認できず。残念。


 で、先週のコルツコーナー。ビルズに20−30で負け。まっ、どーでもいいや。


 あと、先週書き忘れたことを一つ。まっ、しょーもないことだけど。

 アーロン・ロジャースさん、背番号は「8」なのね。さすがに「12」は付けられなかったか。実績的にはロジャースに軍配は上がるだろうけど、向こうは、極端な言い方をすれば、ジェッツ史上唯一のスターだしな。文字通りのレジェンド。つか、NFL史に残るレジェンド。

 「そういえば、あの御方はジェッツ時代に何番付けてたかなあ。」と思って、調べてみたら、ちゃんと「4」を付けてた。あれっ、その間をとって「8」という事なのか。そういう事なのか。

 ちなみに。そのジェッツ、というかロジャース、今週は我らがコルツと対戦。まっ、どーでもいいや。

                                  2024/11/17(日)
11月17日
CIN@LAC
27−34
 続けて、YouTubeでメジャーリーグのオールスターを見ている。今度は80年代後半。

 この時代に選ばれた選手が日本に来るのは、これから5年後、すなわち90年代中盤あたりになるため、日本はバブル崩壊、アメリカプロスポーツ界はインフレ開始時期にあたるので、ほとんど日本に来るような選手は出場していないだろうと、私は予想していた。ところが、結構来てた。

 選出のみで出場はしていない選手もいるが、

 1984:ゴセージ、マイク・マーシャル
 1985:ブラッドリー、クルーズの兄
 1986:ジャコビー、バーフィールド、モスビー、グレン
 1987:フェルナンデス、パリッシュ
 1988:ジョニー・レイ、グリーンウェル、バンスロー(バンス・ロー)
 1989:ケビン・ミッチェル、フリオ・フランコ、グレン、フェルナンデス、グリーンウェル
 1990:ケビン・ミッチェル、フィルダー(日本プロ野球通過後)、フリオ・フランコ

 漏れがあったら、ゴメンナサイ。

 先発級は、さすがにミッチェルとフランコのみであるが、なかなかに多士済々なメンツである。しかも、パリッシュやジョニー・レイ、バンスローあたりは、オールスターに選ばれてから数年後に日本に来ていた訳であるから、当時の日本がいかに金を持っていたかって事である。現在の中日ファンの皆々様にとっては泣けるエピソードではある。

 オールスター級の選手が日本に来なくなるのは、もうちょい先の話、90年代に入ってからって事か。

 でも、バナザードはオールスターに選ばれていないので、そういった意味では、ジョニー・レイの方がバナザードより格上って事だったのね。

 ちなみに、ジョニー・レイに関しては、ちょっと、というか色々思い出があるのだけれど、当時、長嶋茂雄がヤクルト戦のゲスト解説をしていて、レイの事を実況に問われ、「マイナーでしょ。」って答えてた。当時の私は、レイがオールスター級であることは知らなかったけれども、メジャーリーグで実績があることは知っていたので、この長嶋の解答、というかお得意の珍解答を鼻で笑った。

 でも、オールスター選出選手、しかも数年前に選出された選手を「マイナー」って。当時の長嶋茂雄を「メジャー通の長嶋さん」とか言っていた人がいたけれど、誰とは言わんが、笑っちゃうよね。ヘソで茶が沸くとはこういう事だ。

 そうそう、その第2次長嶋巨人に鳴り物入りで入団してきた「現役バリバリメジャーリーガー」バーフィールドさんであるが、このオールスターで打席に立っていて、カーブを三振してた。持ち芸か。名人芸か。

 ちなみに、1985年の「クルーズの兄」というのはホセ・クルーズの事で日本に来たクルーズ兄弟の兄である。パチョレック・パターン。そのクルーズの弟、あの日本シリーズでサヨナラホームランを打ってたよね。兄のクルーズも日本シリーズに出場してるよね。

 あと、これは日本プロ野球とは全然関係ないことであるが1989年のオールスター、あのボー・ジャクソン様が出場してた。当たり前だけど。「インディアナポリス研究会」なので忘れず記載しておきます。あの大ホームランをかっ飛ばした試合である。んで、当然のようにMVP。

 あと、これは本格的にどーでもよい情報であるが、バレンタインが87年か88年のオールスターに出場、というかコーチとして参加していた。

 まあ、ボー・ジャクソンやバレンタインはともかくとして、かつて書いたけど、ここに挙げたような選手が1990年前後に日本のプロ野球に在籍活躍したことで野茂や吉井といった多くのプロ野球選手がメジャーリーガーの実力を知ることになる。そうして、って事になる訳だけど、昨今の日本のプロ野球、というか日本の経済力では、土台無理な話だよねえ。「憧れる」が精一杯。

 あと、これは全然関係ないけど、当時のメジャーリーグのオールスター戦を見ていたら、クリス・セイボーの名や顔に遭遇。ちょっと好きだった選手なだけに、懐かしい。久しぶりにその名を見た。数年大活躍、まさしくオールスター級の活躍をして、いきなり消えたみたいな印象の選手。

 後年の選手でいうと、リンスカムみたいな当退場の仕方だけど、まあ、リンスカムはピッチャーだから、分からんでもないが、野手では珍しいタイプだと思う。あのゴーグルが懐かしい。

 さて、本題の「ヤオガチ論争」である。

 このテーマについてあれこれ書く前に、まず言葉の定義から。なぜなら、この「ヤオガチ論争」は言葉の定義や議題の定義がなかなかにややこしいのだ。門外漢が勘違いしやすい話題なのである。

 まず、「ヤオガチ」の「ヤオ」について。

 この言葉は「八百長」の短縮形、略語なのであるが、だからといって、「八百長」の意かというと、ちょっと違う。

 一般に「八百長」とは、「何らかの賭博を行い、その当事者、あるいは、その関係者が、その賭博に勝つために、その賭博の対象のゲームでわざと負ける事」と定義できるであろうが、「ヤオガチ論争」、すなわちプロレスファンの使う「ヤオ」とは、それとは少し、というか全然異なる。

 プロレスファンの使用する「ヤオ」とは、「勝敗やその他諸々があらかじめ決まっているゲーム」という意味なのである。英語で云えば「FIXED」とか「FAKE」とか、プロレスの隠語である「ケッフェイ」がそれに近い言葉なのであろうが、多くの日本人にとってピタリとハマる言葉でなかったのであろう、「八百長」縮めて「ヤオ」がそれに相当する言葉として使用されている。

 もともとは、大相撲ファンや大相撲関係者の間で使われていて、他の多くの言葉と同じく、プロレス界でも使用されるようになったのだろう。

 で、勿論、相撲界で使用される「八百長」も正しい使用法ではない。一部の例外を除き、相撲界における「八百長」にも「賭博」は介在しないからだ。相撲界においても、両者、あるいは関係者の取り決めで、「あらかじめ勝敗やその他諸々を決めておくこと」を「八百長」と呼称している。

 プロレス界においても相撲界においても、それに対応する適当な言葉が見つからなかった、あるいは創作できなかったので、それに近い意味を有する「八百長」、縮めて「ヤオ」が使用されたのであろう。色々と誤解を招くけれども、仕方がない。言葉の世界ではよくあることだ。っつても、他の事例はパッと思いつかんが。

 ちなみに、「八百長」の正しい使用法は、まさしく「ブラックソックス事件」や「黒い霧事件」での「八百長」が正しく正当な、寸分の狂いの無い使用法である。

 一方、「ガチ」は「ヤオ」に対する対義語、すなわち、変な言い方になるけれども、「勝敗やその他諸々があらかじめ決まっていないゲーム」を意味する。まあまあ、一般的通常的な意味で、「ゲーム」の事である。相撲やプロレスでは、所謂「ヤオ」があるために、一般的通常的な事にも専門用語を与えなければならなくなっているのである。「そば」と「中華そば」、「日本そば」みたいな関係といってよいであろう。「洋服」と「和服」とかね。それに類する事象は多いであろう。

 で、「ガチ」の語源は、申す迄もなく、相撲用語の「ガチンコ」の短縮形、略語である。それを副詞化形容詞化した言葉で「ガチに」とか「ガチな」なんていうのは、最近では、相撲界やプロレス界のみならず、一般的にも使用され、流行っている。かつての「マジ」とか「マジに」に代わって、使用されている。

 ちなみに、この「ガチ」や「ガチに」といった言葉は出川哲朗あたりが流行らせた新しい言葉だと私は思っていたのであるが、なんと三島由紀夫の小説でも使用されていた。もしかしたら、湘南の不良少年の間では、古くから使われていた言葉なのかもしれない。「マジ」や「マジに」より古い言葉なのかもしれない。出川も川崎市出身だしね。使っててもおかしくはない。

 で、今回、この記事を書くにあたって、三島の使用したその該当箇所を確認しようとしたのだけれども、全然見つかんねーーー。一年前くらいの読書なのに、全然見つかんねーーー。これが、私の妄想、夢の世界の話だったらゴメンナサイね。でも、去年くらいの読書だから、ある筈なんだけどなー。自分の過去が信じらんねーーー。自分の記憶が信じらんねーーー。

 まあまあ、私の記憶障害脳障害はともかくとして、これが「ヤオ」「ガチ」の言葉の定義である。ザックリ言えば、「ヤオ」は「フィクション」、「ガチ」は「ノンフィクション」といっても良いかもしれない。「ヤオ」は「作り物」、「ガチ」は「天然物」といったところである。

 これが「ヤオ」と「ガチ」の言葉の定義であり、その言葉を使用して「ヤオガチ論争」となる訳であるが、ここでも、ちょっとした障害、門外漢の勘違いするポイントがある。

 一般に「ヤオガチ論争」というと、「『ヤオ』と『ガチ』、どちらが優れているか」みたいな論争であると思いがちであるが、「ヤオガチ論争」はそうではない。それを争っているのではない。議論しているのではない。

 ちなみに、そういう議論なら、私の大好物、参加したいぐらいである。もっとも、「『ヤオ』と『ガチ』、どちらが優れているか」に関しては、大方結論は出ている。

 それが小説なのか舞台なのか映画なのかテレビなのかといったメディアによる相違はあるけれども、多くのエンターテインメント、とりわけテレビというメディアにおいては、「『ヤオ』でもなければ、『ガチ』でもないもの」、すなわち「『ヤオ』と『ガチ』の中間」が最もウケる。それが芸術作品として優れているか否かはともかくとして、「ウケる」のは、間違いなく、その中間体、「『ヤオ』と『ガチ』の中間体」である。ざっくり云えば、何回か前の記事でも触れたが、「リアリティ番組」である。「ヤオ」のような「ガチ」、「ガチ」のような「ヤオ」である。

 今回の記事では、プロレスの側からのアプローチ、すなわち「『ガチ』のような『ヤオ』」について書いているけれども、これを逆転する、すなわち「『ヤオ』のような『ガチ』」は、小説や映画、テレビドラマの激しく求める「リアリティ」であろう。それの究極形。ある意味、完成形が「リアルバラエティ」「リアリティドラマ」「リアリティ番組」である。

 ちなみに、これは「テレビタレント」「テレビ芸人」でも同様である。所謂、「テレビは素人が面白い」という奴である。

 テレビ史における最初の素人は誰かといえば、諸説あるだろうが、一般には林家三平であろう。「どーも、すみません」である。このフレーズを最初に使った時、どういうシチュエーションだったのかは知らないが、普通に考えれば、ネタを忘れて、あるいは、間違えて、つい謝ってしまったのであろう。そうしたら、客がドッと沸いた。で、その後、それを連発、持ち芸にしたのであろう。

 その後、「テレビは素人が面白い」に最初に気が付いたのは、萩本欽一、欽ちゃんである。コント55号でオロオロする坂上二郎を見て、それを発見したのであろう。

 コント55号というと、その風体から、欽ちゃんが「ツッコミ」、二郎さんが「ボケ」のように思われがちであるが、それは違う。おかしな事を言ったり行ったりするのは欽ちゃんで、その言動に二郎さんが振り回されて、笑いを取るというのが「コント55号」の笑いの基本的構造である。

 もちろん、当初は、わざと、芝居として、演じていたのであろうが、時には、本当に、プランを超えて、二郎さんがアタフタしてしまったのであろう。そうして、そういう時こそ、よりウケた。そこで、欽ちゃんは気が付いたのだと思う。「テレビは素人が面白い」と。

 それからの欽ちゃんは素人、欽ちゃん用語で云うところの「天然」探しの永遠の旅に出ることとなる。まあ、これが前川清や斉藤清六、見栄晴くらいなら、まだマシだけど、オックンあたりとなると、もう放送ギリギリである。このあたりから、欽ちゃんは完全に迷走していたと思う。

 そうして、次に「テレビは素人が面白い」に気が付いたのはビートたけしである。そうして、ビートたけしが見つけた素人、史上最強の素人、史上最強のテレビ芸人が、ほかならぬ、明石家さんまなのである。

 明石家さんまというと、非常に優秀な芸人、お笑いモンスターみたいに言われているけど、芸人として、あるいは、本職の落語家としては、二流どころか、完全に三流である。さんまちゃんの落語どころか、漫談でさへ、絶望的につまらない。
 ちなみに、私はさんまのラジオを聞いていたことがあるけど、これも絶望的につまらなかった。たけしのオールトナイトニッポンとは比較にもならない、月とスッポン、鶴とアヒル、猫に小判である。いや、猫に小判は違うか。

 で、あまりにもつまらなくて、ジミー大西を呼んできて、クイズみたいのをしていたくらいである。ジミーにクイズを答えさせたら、大概面白いでしょ。ただ、芸人としては、あるいはラジオ番組としては、反則でしょ。芸人としてのプライドは無いのか。

 ところが、その明石家さんまが、ひとたびテレビに出れば、史上最強のテレビ芸人、お笑いモンスターに様変わりするのである。このへんの事情をうまく表現したのが春風亭小朝で、「さんまさんは舞台の上だとビックリするほどつまらないんだけど、テレビの中だとビックリするほど面白いんだよなあ。不思議。」。

 その小朝は、さんまとは逆に、「舞台の上だとビックリするほど面白いが、テレビの中だとビックリするほどつまらない」のである。まあ、小朝に限らず、落語家は、テレビに出ると、総じてつまらんよね。立川談志もテレビでは絶望的につまらなかったしね。テレビの中で最も成功した、ウケた落語家は、現時点でも林家三平であり、その「どーも、すみません」であろう。

 あっ、そうそう、鶴瓶も三平やさんまと同じ系譜だよね。はるかに格は下がるけれども。

 ちなみに、ここまで、落語家の名前を数人出したけれども、二代目三代目とかは私は全然分からない、調べていないので、各自補正してください。それぞれ、一般的、昭和的なイメージでの「三平」「小朝」「談志」です。

 私はかつて、あの落語協会会長になりたがる鈴々舎馬風が「五代目」だと知って、驚いたことがある。談志のエッセイを読んでいた時(もち、立ち読み)、「馬風」の話が出てきて、なんとなく芸風は似ているのだけど、年齢的時代的に齟齬があるのを奇妙に思っていたら、私の知る「馬風」の先代の話だった。いや、分かりづれーよ。

 まあ、そんな話はともかくとして、兎に角「テレビは素人が面白い」のである。そうして、それに気付いたビートたけしが「面白い素人」を自前で育てよう、あるいは囲おうとしたのが「ガンバルマン」であり、「たけし軍団」である。そうして、それをテレビ番組に応用したのが80年代中期からの一連のたけしの番組、「たけし城」や「スポーツ大将」で、その極みは、申す迄もなく、「元気が出るテレビ」である。

 ただ、たけしが偉かった、あるいは賢かったのは、欽ちゃんを見ていたというのもあるだろうが、「素人」を「素人」のまま使わなかった点であろう。何かしらの「加工」「演出」を施しているのである。個人単位でいえば「リアクション芸」だし、番組単位でいえば「ヤラセ」であろう。「オックン」じゃあ、どうしようもないからね。「天然」は「天然」のままでは、不味いのである。分からない程度に料理するのが、料理人の腕の見せ所であろう。刺身は「料理」なのである。

 ここまで来て、賢い方ならお気づきであろうが、これって「プロレス」だよね。「リアクション芸」はプロレスの「受け身」だし、「ヤラセ」は「ケッフェイ」「ヤオ」であろう。先に私は「『ヤオ』に相当するうまい日本語がない」みたいなことを書いたけど、プロレスの「ヤオ」の、より正確な日本語的表現は「ヤラセ」であろう。まあでも、「ヤラセ」じゃねえ。さすがに、使えない。

 まあまあ、「言葉」の問題はともかくとして、こういうところでもビートたけしとアントニオ猪木はつながってくるのである。エンターテインメントの世界で、お互いそれぞれに足掻いていたら、同じ「方法」に到達したという事なのだろう。そういった意味でも、この「方法」の強度や正確性が知れよう。

 ちなみに、この「『ヤオ』と『ガチ』の中間」というのは、映画や舞台はともかく、小説の世界でも同様である。19世紀はユーゴーやディケンズ、バルザックのようなガチガチの「ヤオ」(変な言い方)が主流、というか全てだったけれども、そこから、フローベールやトルストイを経て、プルーストやジョイスへと至り、20世紀終盤にはボルヘスの登場となる。この200年、あるいは300年の小説の歴史は、「ヤオ」に少しづつ「ガチ」を混ぜ込んでいった歴史だともいえよう。その現時点における最終形態がボルヘスの小説的エッセイ、エッセイ的小説である。いわば、「明石家さんま」、「アントニオ猪木のプロレス」、「リアリティ番組」である。

 では、何故「『ヤオ』と『ガチ』の中間が面白いのか」と問われると、もう私には分からない。私の手に余る。「人間精神はそういうものだ」としか言いようがない。

 以上が、「『ヤオ』と『ガチ』、どちらが面白いのか」についてのまずまずの結論なのであるが、プロレスファンの大好物の「ヤオガチ論争」はそれではない。プロレスファンの争っているのは、「『ヤオ』と『ガチ』、どちらが面白いのか」では全然なく、彼らは「プロレスは『ヤオ』だったか、『ガチ』だったか」を争っているのである。泣きながら、いや、血を流しながら争っているのである。闘争しているのである。

 いや、それ、完全な答えが出てるよね。紛う事なき解答が出てるよね。

 といったところで、今回はお開きとしとくか。以下次回。まだまだ続く、続くったら続く。

 で、いよいよ本題。本当の本題。

 ついにハーボーのゲームじゃ〜〜〜〜〜〜〜〜。

 待ってましたよ、この時を。待ちくたびれましたよ。神宗一郎ですよ。

 開幕前から、ちょろちょろ書いてきたが、今季の私のNFL観戦のお楽しみのひとつはマーヴィン・ハリソンJr.様であり、もうひとつはハーボーであった。

 それがようやっと、ようやっと日本初公開、本邦初公開じゃ〜〜い。

 今まで何やっとんたんじゃ〜〜い、Gた〜〜〜す。

 つかハリソンJr.様はいまだ日本未公開。このまま今季お預けじゃないだろーな。自力でプレイオフ出なきゃならんのかい。

 ハリソンJr.様の行方はともかくとして、本邦初公開のNFL第2次ハーボーゲームである。

 私がハーボーのゲームに何を期待しているかというと、それはただひとつ、「イカれたプレイコール」である。それを期待して、テレビの前に待機した訳である。

 で、いきなり出た。いきなりの3連続ラン。

 経緯を詳述すると、このゲーム、ベンガルズのオフェンスから始まり、それは7プレイでパント。

 そうして、この試合最初のチャージャーズのオフェンス。

 1stダウン:左アウトサイドへのラン、8ヤードゲイン。
 2ndダウン:アップ・ザ・ミドル、ノーゲイン。
 3rdダウン:やや右へのアップ・ザ・ミドル、ノーゲイン。

 はい、頂きました。いきなりのイカれたコール。

 「いや、ゲーム開始当初の3連続ランなんて、普通じゃね。しかも3rdダウン2ヤードだし。」って思った方もいるであろうが、いや、全然普通じゃないよ。

 試合最初のドライブで、1stダウンをランで8ヤードゲイン、2ndダウンをランでノーゲインときたら、ほとんど全てのOCやHCはパスをコールする。だって、この試合まだ一度もパスをコールしていないのだから。結果度外視で、様子見、試運転という意味でパスをコールする。QBにパスを投げさせたいし、OLにパスプロさせたいし、レシーバーにルートを走らせてみたい。それは人情である。合理的でもあろう。ここでランをコールするのは、よほど特殊なゲームプランを持っている場合のみである。あとは、直前のプレイでQBがちょっとしたケガをしたとか、そういう特殊な事情がある時のみである。

 でも、ラン。それも普通にアップ・ザ・ミドル。私が敵のDCやHC、あるいはディフェンスプレイヤーでも「あれっ」となる。それを感じないのは、よほど鈍感な奴だけであろう。

 これ、野球で云えば、初回の先頭打者、あるいは要警戒の中心バッターに同じ球種を三球続けるようなものである。つまり、

 初球:カーブ、空振り。
 2球目:カーブ、あわやホームランの大ファール。
 3球目:カーブ、いい当たりの2ベースヒット。

 みたいなもんである。バッターサイド的には「結果」は出たものの、その配球に「不気味な感触」は残るであろう。「えっ、どーいうこと。」である。そうして、2打席目以降、バラバラにされるのである。

 この試合も同様であった。

 まず、「ハーボーはランヘビィ」という情報、スカウティングが当然ある。実際、このゲーム、シンシィ・ディフェンスは終始ラン警戒のディフェンスであった。先の3rdダウンのランが止まったのも、それが理由である。

 「でも、あそこでパスをコールしないのか。という事は、この試合は終始ラン、これでもかこれでもかってぐらいにランなのかなあ。」と思う、あるいは疑心暗鬼になって迎えた次シリーズ、いきなりのパス・オリエンテッドでタッチダウン献上。その後も、シンシィ・ディフェンス陣が「えっ、えっ」と混乱している間に、パスが投げられまくって、前半で3タッチダウン・1FG、24失点。この時点でゲームは決したといって良いであろう。

 まあ、確かに形の上では、終盤シンシィは同点に追いついたし、シンシィに勝ちの目もあったろうけど、ゲーム自体はチャージャーズ、つかハーボーが終始コントロールしていた。典型的なハーボーのゲームである。最初の3連続ランでゲームを支配したのだ。

 勿論、裏目に出ることもあろう。こういう「イカれたコール」がゲームを壊してしまう事もある。また、こういう「イカれたコール」はハーボーのエキセントリックな性格に由来するものであるから、それが人間関係に軋轢も生むだろう。実際、ナイナーズはそれで崩壊したと言われている。

 カレッジだと多少の専制は許されるであろうが、プロは選手も個人事業主である。専制が難しい側面もある。

 でも、私はそういうハーボーのゲームが大好きなのだ。大好物なのだ。この調子だとプレイオフも確定気味なので、今後が楽しみ。ルンルン(何それ)。

 一方、シンシィであるが、この敗戦で4勝7敗。さすがに今季は終了かな。昨季と今季と来季が勝負のチームだけど、どーすんだろ。来季にオラの全てを賭ける、か。

 この試合を見た限りだと、やっぱちょっとOLが弱いと思う。そのへんを改善しないと、来季も厳しいかと思う。


 そうして、今週のコルツコーナーーーー〜〜〜。「まっ、どーでもいいや。」、と言いたいところだけど、ジェッツに、あのアーロン・ロジャース様の率いるジェッツに28−27で勝利。パチパチパチパチ。まっ、どーでもいいや。ちなみに先発はリチャードソン君です。1パッシングTD・2ラッシングTDsの大活躍でした。パチパチパチパチ。

 一方のジェッツは、これで3勝8敗。さすがに終わった。今季終了。アーロン・ロジャースの明日はどっちだ。

 つか、コルツのヘッポコレシーバー陣をあんだけどフリーにして大丈夫なんか、ジェッツ・ディフェンス。いや、大丈夫じゃないから、この位置にいるんだけどさ。ハイライト映像とはいえ、初めて見たぞ、コルツのヘッポコレシーバー陣があんだけどフリーになるの。

                                    2024/11/24(日)

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