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| 2026年 3月 |
補習その12 | つげ義春が天に召された。終生の宿痾だった貧しさからは解放されたのかな。ご冥福をお祈りいたします。 「つげ義春」の名は当サイトの意外なところで登場するので、乞うご期待。なにそれ。 今になって、今になってようやっっっっと気付いたのであるが、フージャーズ(フットボールの方)が全米チャンピオンになってた。 最近、何とはなしにYouTubeを見ていたら、「あなたへのおすすめ」的にローズボウルのハイライト映像がプッシュされてきた。サムネイルを見ると、キャプションには「アラバマvsインディアナ」。しかも、「インディアナ」の字の後ろには「(13−0)」とあり、前には「#1」。「いや何。全米一位でアラバマとローズボウル、戦ってんの?!。いや、戦ってたの。」。 私は慌ててその動画を見た。「いやまあ、さすがにアラバマには勝てんやろ。」。 結果、38−3で快勝。ハイライト映像だから断言は出来かねるけど、内容的にも快勝。 続いて、当然の如く、全米チャンピオンシップのマイアミとの一戦のハイライト動画が「あなたのへのおすすめ」されてくる。当然のように視聴。こちらも、内容的には不明であるが、結果は27−21で快勝。全米チャンピオン。 一応、それから調べると、ローズボウルが所謂「準々決勝」にあたり、その後、準決勝でオレゴンと当たり、56−22で快勝、そうして、マイアミとの決勝戦に勝利して、全米チャンピオンとなった訳である。優勝、おめでとうございます。 ちなみに、BIG10チャンピオンシップはオハイオステイトと全勝同士で対決し、13−10で勝利しとる。ここが正念場だったのかな。しかし、オハイオステイトに勝つとわ。 つうのを、今頃知った。3か月遅れで知った。もしかしたら、何らかの意図があって、この件についてここまで触れて来なかったかと思っていた読者もいたのかもしれないが、本当にリアルに今知った。今頃気付いた。 そんな事ある。この「高度情報化社会」と言われている現代において、知りたい情報を3か月遅れで知るなんて、そんな事ある。いや、あったんだけどさ。知りたくない情報は次から次へと知らせるくせに、知りたい、いや、知りたかった情報が3か月遅れって。 いやまあ、年末年始は例のコルツの体たらくでフットボール情報を意識的無意識的に避けてたってのはあるにはある。帰省する時も、例年だと、その間のプレイオフ番組の録画予約したり、ついでにボウルゲームも録画予約したりするのであるが、今年はそれをしなかった。痛恨。今年は放送してたんかな。あれも気まぐれ放送だからな。 いやほんと、リアルタイムで追いたかったよ。フージャーズ(フットボールの方)の全米チャンピオンを体験したかったよ。 今調べたら、全米チャンピオンシップ出場自体が初めてなので、全米チャンピオンは当然史上初。しかも全勝優勝は、フージャーズとしては75−76の男子バスケットボールチーム以来みたい。いや、これもすごいな。 痛恨だよ、痛恨。いや、失態だよ。「インディアナポリス研究会」を掲げるサイトとしては大失態だよ。しかもそれを、「2024シーズン・コルツ」の項で報告してるというな。 いやでもほんと、2025のインディアナ州は風水的に何かあったとしか思えんな、でなきゃ、政治的陰謀。インディアナ州のスポーツチームを勝たせる事にいかなる政治的利権や思惑があるのかはさっぱり分からんが。 ペイサーズ、インディアンス、前半のコルツ(涙)、そうして、このフージャーズの全米制覇。ちなみに、バスケットボールの方は男女ともに、昨季今季ともに、5割前後の成績。う〜む、こちらには風水的にも政治的にも風は吹かんかったのか。 ちなみに、わたしはどっちかつうとシーケモアーズ派。いまだにどう読んだらいいのか、さっぱり分からんが。 いやもう、獲れよ、メンドーサ、ブラック。そゆ時に限って1巡無し。しかも、向こう2年。バラード、ぶっ殺す。 さて、それよりは少々鮮度の高い話になるが、ベネズエラ、勝ちましたねえ。 ベネズエラがこの手のメジャースポーツで世界チャンピオンになるって、これが初めてなんじゃないかしら。さすがに個人スポーツでは世界チャンピオンを輩出してるだろうけど、メジャー、つうかベタなチームスポーツで世界チャンピオンでこれが初めてじゃないだろうか。まあ、ベネズエラっつたら、悪いイメージしかないけどな。ベネズエラ国民の皆々様おめでとうございます。 アメリカ在住のベネズエラ人が一人残らず、あの球場に集まってましたよねえ。←大袈裟。 この大会は、予選が日本とアメリカ、あとプエルトリコ、決勝がアメリカのみで開催されるという事で、色々批判があるけれど、こういうの見ると、これはこれでおもろいなと思う。「アメリカ、ざまあ見ろ」大会として定着していくのも良いと思う。 イタリアは、残念でしたね。サッカーと野球で世界制覇。一番乗りはどの国か。道は険しい。 日本は、ベネズエラに負けて準々決勝敗退。この手の事象を「実質準優勝」とかいう輩が未だにいるけれども、もう飽き飽きしたわ、そのフレーズ。「ベスト32」とか「ベスト64」とかもな。優勝だけが価値あるんじゃ〜い。 伊藤がアブレイユにホームランを喰らって、それが大きな敗因になった訳だけど、メジャーリーガーに見え見えの高めのストレートで勝負したら、そうなるわな。あんな配球したら、大谷でも打たれるわ。あれで空振りを獲れるのは全盛期のクレメンスとかチャップマンくらいだわ。スキーンズ様でも打たれる。 このアブレイユに限らず、前回大会の吉田も同様だけど、見え見えの配球が多過ぎる。吉田の時も、「低めの変化球、それもシンカー系統で勝負するのだろうなあ。」なんてハナクソほじりながら見ている私でも予想できる配球を、本当にその通りして、あっさり狙い撃ちのホームラン。 まあ、なんつーか、WBC、メジャーリーグ、日本のプロ野球問わず、最近はこういう、「のんきな配球」がホント多い。で、打たれる。そうして、「打たれても悔いはない。」とか言うんだよね。いや、「悔い」の問題じゃねえよ。「勝敗」の問題、「確率」の問題だよ。「オメーに悔いが残らなくても、こっちに残る。」byえーじ、だよ。 あと、相変わらず、ホームランでしか点が取れない。昨年のワールドシリーズの時にこの事を書こうと思って、有耶無耶にしちゃったんだけど、ほんとヒドイ。ヒド過ぎる。現今の野球は、日本もアメリカも含めて、「進塁」と「守備」の技術が皆無に等しい。かえって、ヨーロッパの方がそのへんの事はマジメにやっとるのかもしれん。 ブレイザーがこれを見たら、卒倒するであろう。自己の実存を疑うレベルである。 まあ、仕方ないけどな。プレイヤーも観客もホームランと三振と四球しか分からないのだから、それで良いのかもしれん。分からないものは実在しない。 アメリカ野球の末路、アメリカの末路、文明の末路って事である。日本もしっかり追随しとる。この件についてはいずれ。 さて、次は高校野球の話。 前回だか前々回だかの記事で、「高校野球の基本戦略は『守備重視』である」みたいな事を私は書いたけれども、同じ記事で、「戦略の根拠は『トーナメント制』というそのフォーマットにある」とも書いた。 この「トーナメント制」の他に高校野球のフォーマットの特徴はもう一つある。それは、「基本的に一回こっきりの対戦である」という点である。つまり、同じチームやプレイヤーとは基本的に二度対戦しないのである。 地方大会だと、春の大会で戦って夏の大会でも戦う、すなわち再戦するという事が稀にあるかもしれないが、あくまで「稀」であろう。全国大会、すなわち甲子園大会だと、ほぼ皆無であろう。例えば、高校3年の春の大会で清原は渡辺智男に屈辱の3三振を喫し、リベンジに燃えていたけれども、夏の大会で高知大会を制したのは高知商の中山。そんなもんである。まあ、その中山から清原は例の大ホームランをかっ飛ばす訳であるが。 もっとも、その後の国体は別である。あれは夏の大会のトップチームでの再戦大会みたいなものなので、これは例外。選手たちも、そんなに重視していないしね。 また、練習試合を含めても、再戦、再々戦というのはほとんど無いと思う。「PLvs天理」のような定期的な交流戦があっても、それも年一年二程度だと思う。まあ、毎週のように交流戦をしているような学校もあるのかもしれないけど、それは例外中の例外であろう。 また、「毎年交流戦を行っている」あるいは、甲子園大会において「昨年と同じカード」といっても、それは校名だけの話で、中身、すなわちプレイヤーは全然別ものである。当然3年生は卒業してしまい、新1年生が入学しており、選手個人も急激に成長するのが高校生である。高校野球は年次更新のチームである。 つう訳で、高校野球というのは、基本的に「一回こっきりの野球」、「2度対戦しない野球」なのである。これが基本フォーマットである。法政二高の柴田と浪華商業の尾崎は高校野球史上でも非常にレアなケースである。当時、両校あるいは両者の力量が傑出していたという事であろう。再戦、再々戦の物語は他にないんじゃないかな。 かくして、「トーナメント制」というフォーマットが高校野球の戦略戦術を規定限定したように、「1回こっきりの対戦」というフォーマットも同じく高校野球の戦略戦術を規定限定する。いや、「恥のかき捨て」的な野球とか、そういう事じゃないよ。 まず、一般に野球は投手有利のスポーツである。とりわけ、初対戦時は更に投手が有利になる。そうして、初対戦時、バッターが打ちづらいのは、無論、直球より変化球である。初見の変化球を打つ、確実に芯で捉えるというのは、プロの一流バッターでもなかなか難しい。それの最も有名な事例が、例の長嶋の4三振であるし、近藤真一のノーヒットノーランであろう。いずれもカーブが主題である。また、ルーキー木田のパームボールやルーキー野茂のフォークボールなども同様であろう。 これが高校野球だと、より事態は深刻になる。金田や近藤のカーブ、木田のパーム、野茂のフォームほどでなくとも、ちょっと切れのいい変化球なら、高校生は打ちあぐむ。まず、打てない。 故に、高校野球で活躍するピッチャー、甲子園大会で勝ち進むピッチャーというのは良い変化球を持っているピッチャー、更に言えば特赦な変化球を持っているピッチャーである。荒木のカーブ、桑田のカーブ、松坂のスライダー、田中のスライダー、斎藤佑樹のスライダー、皆然りである。 この件で私にとって印象深いのは2000年の夏の大会の東海大浦安である。このチームの1回戦を私はたまたま、本当にたまたま見ていたのであるが、この試合エースの井上君が(名前は今調べた。)、試合序盤に負傷退場してしまい、セカンドの浜名君が登板した。私は「あらら、」みたいな気持ちで観ていたのであるが、この浜名君、スリークォーターとサイドの中間みたいなフォームから、なんとシュートが投げられるのである。高校生レベルだと、甲子園出場チームでも、初見のシュートはまず打てず、この試合、東海大浦安は快勝。 それから、あれよあれよと勝ち進み、決勝は当時、というか今現在でもかな、史上最強を謳われる智辯和歌山。後にヤクルト入りして全然活躍しなかった武内が3番を打っているような打線であった。 ここで浜名君は力尽き、6−11で敗戦し、準優勝に終わる訳であるが、これなどは「高校野球で活躍するのは良い変化球、特殊な変化球を持っているピッチャー」の典型であろう。ちなみに、エースの井上君は、大会終盤復帰するのであるが、典型的な「右の本格派」であった。「右の本格派」というと聞こえはいいが、要するに「平均的なピッチャー」である。直球主体のピッチングである。この井上君がケガをしていなかったら、東海大浦安の決勝進出は無かったんじゃないかな。文字通り、いや、字義以上の「ケガの功名」である。 そうして、この浜名君、セカンドとしては無論の事、ピッチャーとしてもプロ入りしていない。 そう、この「高校野球で活躍するのは良い変化球、特殊な変化球を持っているピッチャー」は、そのまま「甲子園の優勝投手、甲子園で活躍したピッチャーはプロでは活躍しない」の理由になる。 プロ野球というのは、当然のことながら、日米を問わず「何度も対戦する」フォーマットである。となれば、どんなに素晴らしい変化球、どんなに特殊な変化球でもプロは必ず打つ。どんな変化球も慣れれば打てるのである。 裏を返せば、変化球が打てない理由はただひとつ、「見慣れないから」である。その軌道やタイミングを覚えてしまえば、打つなり見逃すなり出来るのが変化球である。山田のシンカーも、結局、落合は攻略した。 もっとも、どんなに「見慣れても」打てない変化球も無くは無い。二つあると思う。 ひとつは「ナックル」である。これは「見慣れても」というか、厳密に言えば「見慣れる事のない」変化球というべきであろう。ナックルは、人も知るように、一球一球変化の異なる変化球だからだ。だからこそ、ナックル一本鎗というピッチングも成立するのである。 もうひとつは、これは非常に稀、それこそナックルより稀だけど、「直球より速い変化球」である。ごく稀に、本当にごく稀に、直球より速いシュートとか、直球より速いスライダーとか、投げるピッチャーもいなくはない。ただまあ、これは変化球ちゃあ変化球だけど、速球だよね。この球が打てないのは速いからであって、変化するからではない。 つう訳で、「見慣れても打てない変化球」は無くは無いが、それはあくまで例外的であって、通常の変化球は見慣れれば打てる。例えば、佐々木のフォークやリベラのカットボールなども、あれはクローザーの変化球だから打ちあぐむのであって、先発ならプロは捉えるであろう。実際、佐々木は先発に失敗しているし、リベラも晩年は、カット一本鎗では厳しくなり、シュートも投げるようになったらしい。晩年は、年齢的な衰えもあるだろうけど、さすがに「覚えられた」のであろう。 ちなみに、「クローザーは対戦回数が少ない」というのを、気付いている人は意外に少ない。例えば、先発だと、日本のプロ野球の場合、ピッチャーとバッターはシーズン15打席程度の対戦となる。先発ピッチャーは年間25試合程度の先発で、各チーム5試合とすると、1試合3打席の対戦で15打席という訳である。 これがクローザーだとぐっと少なくなる。仮に30セーブ投手だとすると、5で割って各チーム6セーブ。6イニングだと平均2打席である。巡り合わせによっては、1シーズン丸々無対戦も十分ありうる。それだけの対戦数で佐々木のフォークを打つのは困難であろう。事実上、高校野球と同条件である。 メジャーリーグではもっと少なくなる。アメリカンリーグ東地区に属しながら、リベラと数シーズン未対戦なんて選手もいたであろう。 これが、プロでは「変化球一本鎗」がナックル以外いない理由である。一方で、「速球一本鎗」という選手が、数は少ないものの、稀に出てくる、それこそ、先の怪童尾崎とか、ある時期の山口志や江川などであろう。もっと短い期間、1シーズンとか数か月、あるいは数試合だったら、「速球一本鎗」、すなわち、「困ったらストレート」みたいなピッチングが出来た選手もいたであろう。 「速球が打てない」のは、以前にもどこかで書いたけど、これは完全に運動能力の問題である。故に、どれだけ対戦しようが、ボールの軌道が分かっていようが、打てないものは打てないのである。これも、以前そこで書いたと思うが、私は恐らく時速100キロ以上のボールは、どれだけ練習しても打てないであろう。それが私の運動能力の限界だからである。 一方で、時速100キロ以下のボールであれば、ナックルを除けば、それがどんな変化球であろうとも、私は練習次第で、すなわち見慣れれば、ヒットになるならないはともかくとして、いずれ当てる事は出来るようになるであろう。打てるようになるであろう。 故に、「困ったらシュート」「困ったらフォーク」みたいなピッチングは出来ないのである。不可能なのである。野球という競技の性質上、変化球は見慣れれば打たれてしまうからである。故に、プロ野球では、配球やコントロールが、高校野球とは比較にならない程、重視される。 そうして、これがそっくりそのまま「甲子園の優勝投手、甲子園で活躍したピッチャーはプロでは活躍しない」の理由となる訳である。 甲子園の優勝投手、甲子園で活躍したピッチャーがプロ野球で活躍しない理由としては、「優勝した事で傲慢になって、云々」みたいな事はよく言われるけれども、それも無くは無いが大きな要因、主たる要因では無いと思う。 理由はやっぱりただひとつ、「甲子園で通用した変化球が、プロではいずれ打たれてしまう。」、これだと思う。 その最も分かり易い事例は斎藤佑樹、というか斎藤佑樹のスライダーであろう。本人は「高校時代のようなスライダーが投げられなくなった。」と述べているが、正確には「高校時代のスライダーが捉えられるようになった。打たれるようなった。」であろう。確かに、「投げられなくなった」という側面も無くは無いだろうけど、主因はやはり、「捉えられるようなった」「打たれるようなった」、端的に言えば、「慣れられた」「覚えられた」という事であろう。 それは既に大学時代からだったであろう。大学野球はリーグ制である。プロほどではないにせよ、再戦は多い。1年生からレギュラーやベンチ入りも多いであろう。次第に、得意というか、生命線のスライダーが捉えられるようになっていったのだと思う。そこで、スライダーの改良を試みたり、フォームを変えてみたりで収拾がつかなくなっていったのだと思う。 同じ「甲子園で活躍したピッチャー」といっても、桑田や松坂、田中は違う。彼らは変化球頼みのピッチャーではない。荒木は、微妙なとこかなあ。 では、プロで活躍するピッチャーはどういうピッチャ−かというと、それは無論、「ストレートに力があるピッチャー」である。「地肩が強いピッチャー」といっても良いかもしれない。 では、そういうピッチャーが甲子園でどういう成績を残すかというと、1回戦2回戦では、それこそノーヒットノーランとか1安打完封とか、それに近いピッチングをする。ところが大会が進むにつれ、疲労が重なり、球威が衰え、打たれてしまうという訳である。江川なんかはその典型であろう。これが例えば、トーナメント制であっても、週一開催の大会であったなら、彼らの多くは甲子園優勝投手となり、「甲子園の優勝投手、甲子園で活躍したピッチャーはプロでは活躍しない」という言葉、あるいはジンクスは生まれなかったろう。ここでも、フォーマットが競技を規定限定している。 まあ勿論、ストレート一本鎗、剛球一直線で甲子園を制したピッチャーもいなくはない。先の尾崎とか渡辺智男はその事例であろう。でも、尾崎はともかく、渡辺は春の大会だったというのも大きかったと思う。あとまあ、渡辺には一応カーブもあるしね。ストレート一本鎗で夏の大会を制したのは、もしかしたら尾崎だけなのかもしれない。 まあ勿論、変化球投手も疲労、あるいは疲弊しない訳ではないけれど、その影響は速球投手ほどではないであろう。その意味でも、「甲子園大会で活躍するのは、良い変化球を持っているピッチャー、特殊な変化球を持っているピッチャー」という事になると思う。 また、これを裏返すと、甲子園で活躍する、高校野球で活躍するバッターは変化球を打つのが上手いバッターともなる。 最近、YouTubeで「清原の甲子園全13本塁打」を見たけれども、そのうち10本くらいは抜けたカーブをスタンド、あるいはラッキーゾーンに叩き込んだものであった。もっとも、清原の場合は例の中山の剛速球をレフトスタンド中段がある訳であるから、単に「変化球を打つのが上手い」というだけのバッターではないけれども。 清原は別格としても、所謂「高校通算○○ホーマー」みたいな触れ込みの選手の多くがプロで苦しむのは、それが一因かと思われる。 一方で、「高校通算0本塁打」の選手がプロでホームランバッターとして大成する事もままあるが、それは彼らの多くが「速球に強い」バッターであったからであろう。以前にも書いたけど、バッターの格はどの速さの速球が打てるかで決まる。 で、話をWBCに戻すが、日本はベネズエラに5−8で敗戦した訳だけど、3回裏に森下の3ランが出て、この時点、あるいは4回終了時点では、5−2でリードしていた。ここから、継投に失敗、ブルペン陣が崩れて、日本は敗退する訳であるが、ここで井端監督の念頭にあったのは、いや絶対ある訳ないんだけど、「潮崎がいたらなあ。」だったと思う。 これは井端監督に限らず、歴代の日本代表監督、いや各国の野球代表監督は「潮崎がいたらなあ。」と思うはずである。 いや、潮崎がいたら、この手の大会では楽勝でしょ、全勝でしょ。ちょっとリードしたら、例えば今回の日本代表であったら、3回終了の時点、あるいは4回終了の時点で潮崎を投入したら、その時点でゲームセットでしょ。潮崎を、いや、あのシンカーを1,2打席で打つのは、メジャーリーガーと言えどもほぼ不可能だと思う。その時点で、「オーマイガッ」である。いや、ベネズエラ人がなんていうのかは知らんけどさ。そうして、それはそのまま各チームへの威嚇にもなる。リードされたら潮崎が出てくる。この前提のもと、戦略を立てなければならない。相当に規制された無理な戦略を強いられるであろう。 ちなみに、潮崎には思い出がある。 あれは1997年の日本シリーズである。その頃、潮崎は先発に転向していて、第2戦に先発したのであるが、そこでヤクルトサイドのベンチレポートが入る。「ヤクルトのミーティングは30秒で終わったそうです。『潮崎は4年前と変更なし。以上』。」。で、そのレポートが入った瞬間に、どどっと連打して潮崎を3回KO。その時のゲスト解説が工藤で目を白黒してた(いや、見てないけどさ。表現表現。)。「ホントですか。ホントですか。」。 おそらく、前回の日本シリーズ、いや、その前の日本シリーズの時点でクセを見抜いていたのであろう。この時点から、潮崎はちょこちょこ打たれてる。完封的なピッチングはほぼ無い。 こういう感じで、ある程度、というか、しっかりとした準備をしていれば、潮崎のシンカーといえども捉えられるが、事前準備ほぼ無く潮崎と初対戦なら、あのシンカーは全く打てないであろう。その無様な事例が1990年の巨人。 ちなみに、連打連打が続く、それもポテンヒットとか「いいところに飛んだ」的な当たりではなく、芯を食った当たりが続く時は、クセを見抜かれているか、サインを盗まれているかのどちらかである。どんなにピッチャーの力が落ちても、バッターの技術や配球の読みだけで、4連打5連打は続かないからだ。ほぼ間違いなく、クセを見抜かれているか、サインを盗まれているかである。野球とはそういうスポーツである。 で、今回のWBCのベネズエラ戦での継投が色々と批判されていたが、その点について、井端監督を責めるつもりは私には全くない。この手の代表チームの継投はチーム事情だけでは決定できないからだ。当然ながら、所属チームとの約束等があろうし、シーズン前であるから、選手や代理人の希望もあろう。そういう、ややこしい状況での継投だから、レギュラーシーズンのゲームやプレイオフのゲームのような継投批判は出来ない。 実際、このゲーム、レギュラーシーズンやポストシーズンなら山本は続投であろう。なぜなら、山本以上に打ちにくい投手は、日本どころか世界中にもいないからだ。「打ちにくさ」という意味では、今の山本は、間違いなく世界一である。 「打ちにくさ」というのは、「速球が速い」とか「変化球についていけない」とか、そういう意味ではない。「対応しづらい」、あるいは「アプローチしづらい」という意味である。「狙いが絞りにくい」といっても良いであろう。「速球を狙う」とか「カーブを狙う」とか「高めを狙う」とか「右打ちする」とか、そういう対応やアプローチを最もしにくい、世界一しにくいピッチャーが今の山本である。いや、この10年の山本である。それが、この10年間、山本がほとんど打たれなかった、難攻不落だった唯一の理由である。 その山本の後に投げるピッチャーはどんなピッチャーでも「打ち易い」ピッチャーになってしまうであろう。大谷ですら、打ちやすくなってしまうであろう。唯一の例外は、先に挙げた潮崎ぐらいである。クセを見抜かれていない潮崎くらいである。 山本が降板しただけで、ベネズエラ側は相当ホッとした事だと思う。それだけで福音である。俄然、ヤル気が出て来たと思う。勇気が湧いてきたと思う。 そういう継投であるから、難しいのは仕方ないし、失敗するのも仕方ない。それを責めるつもりは全く無い。ただまあ、ここ10年くらいの、日米を問わず、「継投」についての一般論を述べてみたいと思う。 以前どこかで、「『100球をメド』が監督の福音になってる」みたいな事を書いたけれども、この「100球をメド」の他にも、今の野球には継投の定石というか、不文律的なものが多い。「回跨ぎはしない」とか「クローザーは1イニング限定」とかである。 結果、昨今の継投は、非常に定跡的というか、定型的というか、もっと言えば形式的なものが多い。各監督の考え方とか勝負勘とかいったものは、ほぼ無い。皆無である。かつては、「監督の仕事で最も難しいのは継投である。」とよく言われたものであるが、最近はほとんど言われない、聴かれない。だって、みんな同じだから。それこそ、AIでも出来る継投である。 是非を問うている訳ではない。おそらく、正しいのだと思う。その場その場で監督やピッチングコーチの考え方や勝負勘といった状況判断に頼るよりも、この手の判断は形式化定型化した方が、成功率的には高くなるのだろう。100試合以上行うリーグ戦においては、その方がより良いのかもしれない。 ただまあ、その弊害として、各監督やピッチングコーチがピッチャー交代のタイミングを全然勉強しないというのはあると思う。今回の井端監督はともかくとして、そういう試合が散見される。「機械的に継投して失敗」ってパターンである。いやまあ、「人間的な継投」より「機械的な継投」「オートマチックな継投」の方が勝率が高いというのだから、それでいいいんだろうけどさ。 いやでも、「最近の監督は、ピッチャー交代のタイミングを知ってんのかな。」と思わされることが多い。 ちなみに、私は、明かな「ピッチャー交代のタイミング」をひとつ知っている。それは、「右バッターに左中間を割られた時」「左バッターに右中間を割られた時」である。これが続くとき、あるいは多い時は、完全にピッチャー交代である。これは「芯を食っている」からである。多くのバッターが「芯を食っている」というのは、すなわちボールが見極められているという事である。替え時であろう。 勿論、その場その場で色々様々なチーム事情があるから、そこで即交代とはならないであろうが、単純にこれ以上失点が許されない状況であるならば、そういうピッチャーは即交代である。 最近の監督は、こういう自分なりの「ピッチャー交代のタイミング」を持っていない人が多い、というか全員である。上記のような理由で仕方ないんだけどさ。でも、本当により精度の高い判断、高度な判断、そうしてそれを欲する仕事は、まだまだ人間じゃないと難しいんだけどなあ。でもないか。 で、これから本題の「補習」にはいるつもりであったが、疲れちったので、次回。こんな調子なんで、そこんとこヨロシク。 今週も風邪ひいちった。一ヶ月で二度も風邪をひくとは。ここ数年全然風邪をひかなかったのに。 2026/3/29(日) |